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日米蜜月  作者: 扶桑かつみ
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フェイズ64「WW2(58)ノースアイルランド上陸作戦8」-2

 ノースアイルランド北部沖合では、突進するフランス艦隊と断固阻止に出た自由イギリス艦隊が激戦を繰り広げた。

 そして一時は、イギリス本国艦隊からの突撃電報を受けて、フランス艦隊が突撃を強めようとする。

 しかし、突撃しつつ自由イギリス艦隊の脇をすり抜けようとしたところを見透かされ、少し南下できただけで突破は出来なかった。

 

 その間、双方の損害は山積されていったが、我慢できなくなったのはフランス艦隊の方だった。

 彼らは、敵味方双方のイギリス艦隊のように全滅を決意した戦いをしていなかったので、根負けした形だった。

 

 その後フランス艦隊は、進路を突然北西に変更。

 一路を北大西洋沖合を目指した。

 

 これを自由イギリス艦隊は、ある程度追撃を続ける。

 

 そしてフランスの戦艦は後方に主砲を装備せず、しかも今までの戦闘で副砲も多くが使用不能になっていたので、ひたすら逃げるしか無かった。

 しかし戦艦の速度差があるので、いずれ逃げ切れるという楽観論がフランス艦隊にはあった。

 

 だがこの追撃戦には意味があった。

 

 自由イギリス艦隊は、フランス艦隊を北に向かうような追撃を行い、これは一見フランス艦隊を追い払う為のようにも思えた。

 しかし約30分経過すると、それが間違いだったことをフランス艦隊は知ることになる。

 

 先ほどまでドイツ艦隊と戦っていた日本艦隊が出現したのだ。

 

 彼らの右前方に出現したのは、日本海軍の重巡洋艦《妙高》《羽黒》と第一水雷戦隊の一部だった。

 

 日本海軍第二艦隊は、艦隊の半分がドイツ艦隊の追跡と残敵掃討を行い、速度が速い有力な艦艇を抽出して自由イギリス艦隊の援軍に向かわせていた。

 しかし距離が100キロ近く離れていたので、フランス艦隊が撤退のため転進したことで、ようやく追いついたのだ。

 

 日本艦隊出現で、フランス艦隊は大いに焦った。

 

 フランス艦隊は、既に激しい戦闘でレーダーの多くが破壊されるか感度が落ちていた。

 このため目視とほぼ同時に日本艦隊の接近を察知したのだが、その方向はフランス艦隊が逃走経路に選んでいた方向に近かった。

 自由イギリス艦隊から少しでも速く離れるためだったが、それが裏目に出たのだ。

 

 そして今度は北西ではなく南西に向かわないといけないが、そうなると一度自由イギリス艦隊に接近を許して、少なくとも戦艦からの遠距離砲撃は覚悟しなければならない位置だった。

 

 しかし日本の水雷戦隊の後ろに、さらに大きなレーダーエコーを4つも捉えた以上、フランス艦隊に選択肢は無かった。

 

 そしてフランス艦隊は転進してしばらくすると、追いついてきた形の自由イギリス艦隊が砲撃開始する。

 しかも自由イギリス艦隊よりも遠くから、水平線の向こう側から多数の砲弾が飛来する。

 日本艦隊の抽出部隊の本隊となる《高雄型》巡洋戦艦4隻の砲撃だった。

 距離は3万5000メートル近く、まぐれでなければ当たる距離ではないが、フランス艦隊を混乱させる効果はあった。

 

 以後フランス艦隊は、隊列維持を諦めて回避に専念した退避を開始し、散り散りの逃走を開始する。

 

 だが、回避に専念したため、砲雷撃による損害は避けることができ、連合軍を悔しがらせた。

 しかし、バラバラに逃げたフランス艦隊各艦に安息はまだ訪れなかった。

 アイルランド島を回って、フランス北西部のブレストに逃げ込むまで、気を許すことは出来なかった。

 事実、フランス艦隊の逃走に対して、連合軍は追撃を命令していた。

 


 追撃命令を受けたのは、周辺を哨戒していた潜水艦と、逆に枢軸側の潜水艦を狩るために展開していたハンターキラー部隊だった。

 連合軍としては、万が一分散したフランス艦隊が、各個に通商破壊戦に出るかもしれないと考えての事だった。

 

 実際、フランス艦隊が分散した海域から100キロほど離れた場所には、北アイルランドに向かう中規模な船団が移動中だったりもした。

 

 この追撃での武勲艦の1隻は、米潜水艦 《シーライオン》だった。

 同艦は、アイルランド沖合での哨戒行動中にフランス艦隊の追撃命令を受けた。

 そして深夜に少し遠距離で遭遇する。

 

 この時 《シーライオン》が出会ったのは、《ダンケルク》、《ストラスブール》と駆逐艦1隻。

 ソナーで駆逐艦が警戒しているのが分かったため、迂闊には接近しなかった。

 フランス側も、潜水艦の存在を察知したため、振り切るために増速して急ぎ海域を立ち去ろうとした。

 

 そこに後方から《シーライオン》が浮上。

 すぐさま搭載レーダーによる測定と今までの情報を元に、潜水艦にとっての超遠距離雷撃を実施した。

 同艦は《ガトー級》潜水艦の改良型の《カリブ級》で、日本の潜水艦と同様に酸素魚雷を主武装としていた。

 

 遠距離からのレーダー測定による隠密雷撃と酸素魚雷の相性は抜群で、1944年中頃からアメリカ海軍は多くの戦果を挙げていた。

 特にノルウェー、イタリアの沿岸部を航行する輸送船の攻撃で効果を発揮し、比較的安全に攻撃を行うことで反撃されたり攻撃前に制圧もしくは撃沈される事も格段に少なくなった。

 

 《シーライオン》もそうした攻撃に熟練しており、この時は持てる限りの魚雷10発を次々に交差予測地点に向けて放っていった。

 

 そして40ノットで2万メートル以上進んだ時、不意打ちの形で最初の魚雷が命中。

 続いてさらに命中が続き、合計3発の魚雷が命中した。

 この時点で敵駆逐艦からの反撃を警戒して退避したが、撤退中のフランス艦隊に大打撃を与える事に成功していた。

 

 《ダンケルク》には魚雷2本が命中。

 随伴していた駆逐艦にも1本が命中し、駆逐艦は命中直後の誘爆により短時間で沈没した。

 《ダンケルク》は、命中当初は辛うじて致命傷を免れたと考え、とにかく退避を優先した。

 

 しかし砲撃戦でかなりの砲弾を被弾していた事が遠因となり、雷撃命中による破壊と衝撃で各所の傷や亀裂が広がり、徐々に各所の浸水が増加。

 北の海の早い夜明けを待たずに波間に没してしまう。

 

 これ以外でも、いつもは潜水艦狩りをしている護衛空母の艦載機が、単独で撤退中だった重巡洋艦 《アルジェリー》を空襲によって行動不能に追い込み、自沈させている。

 

 戦艦 《ジャン・バール》と《ストラスブール》、その他半数ほどがブレストまで帰り着くことが出来たが、駆逐艦1隻を除いて全艦大きく損傷しており、フランス艦隊も壊滅した。

 

 しかし、撤退すらままならない艦隊もあった。

 


 6月7日の黎明から、連合軍と枢軸軍双方の巨大な空母機動部隊は、雌雄を決するべく激しく戦った。

 

 結果は枢軸側の惨敗だった。

 

 連合軍側の艦載機が母艦に帰投した夕方6時の時点で、15隻もあった空母のうち3分の2の9隻が既に海の底だった。

 何とか生き残った6隻の空母も、無傷の艦は1隻もなかった。

 艦載機運用能力を残していたのは連合軍の目を逃れて損傷復旧に成功した《グラーフ・ツェペリン》1隻だけだった。

 

 午後5時までに艦載機は去ったが、上空には依然として大型の偵察機が陣取っていた。

 戦闘機の発着能力を残している空母があったし対空砲もあるので必要以上に近づいてはこないが、レーダーがある以上振り切ることは難しく、少なくとも明るい間は連合軍の目から逃れることは不可能だった。

 しかもかなり外洋に出ていたので、連合軍の潜水艦すら警戒しなければならない状態だった。

 

 既に1時頃から実質的な撤退を開始していたが、連合軍の攻撃機が去った午後4時半頃から、損傷艦の本格的な救援、陣形の再編、そして撤退を開始した。

 

 しかし退くにしても問題があった。

 損傷艦艇が数多く出ていたからだ。

 

 特にこの場合の問題は、損害により速力が大きく衰えている場合だ。

 魚雷を受けて水面下に穴が空いている場合、機関部やボイラーが浸水していたら厄介だし、艦首付近を被弾している場合は速力による水圧を警戒して高速発揮が出来なくなる。

 また、爆撃も防御甲板を貫かれている場合は、機関部、ボイラーが破壊されている場合があるので、速力発揮の面では厄介だった。

 

 既に数ノット程度しか速力の出ない艦、全艦火だるまとなっていた艦については自沈や友軍艦艇による自沈魚雷などで処分、沈没していたが、それでも数多くの艦艇が傷ついて、身動きが取りにくくなっていった。

 

 そして枢軸側の惨状に対して、連合軍が追撃しない可能性は極めて低かった。

 

 しかも枢軸側艦載機の航続距離の問題から、戦闘開始当初から比較的近い距離で航空戦を実施し、そして午前中一杯は接近しあっていたので、さらに距離が縮まっていた。

 

 午後に入った段階で既に100海里(約180キロ)ほどで、高速艦が28ノットで進めば、僅か3時間半程度の距離だった。

 


 連合軍の追撃艦隊は、午後3時頃から各空母群から分離し初めて、午後3時半頃から本格的な追撃に移る。

 日本艦隊が2群、アメリカ艦隊が1群で、合計で高速戦艦4隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦14隻にも達していた。

 

 艦隊が3つに分かれていたのは、合流することによる時間の浪費を避けたのと、敵が複数方向に撤退した場合に備えての事だった。

 

 撤退を開始した枢軸側の各艦隊は、本来なら連合軍の追撃を振り切る事が可能だった。

 だが多くの損傷艦艇はそうはいかず、全て自沈させるか、見捨てるかの選択肢を迫られていた。

 そればかりでなく、敵の空襲の最中にはぐれてしまった艦も何隻か出ており、枢軸側の各艦隊司令部が把握できていない艦もあった。

 

 こうした状態に対して、枢軸艦隊のソマーヴィル大将とシュニーヴィント上級大将は、撤退を支援するための艦隊を編成し、損傷艦は可能な限り撤退に努力することを決める。

 特に空母と大型艦は、逃げられる限り逃げるように指示が下った。

 これは、枢軸側が残された艦艇を惜しんでの事だが、自沈させて乗組員だけでも確実に救った方が無難だったと評価されることが多い。

 

 枢軸側で撤退を支援するために殿しんがりを務めるのは、イギリスが巡洋戦艦 《レナウン》、重巡洋艦 《ケント》と駆逐艦3隻。

 ドイツが重巡洋艦プリンツ・オイゲンと駆逐艦2隻。

 

 速度が落ちて取り残されている艦艇は、空母 《インプラカプル》、《イラストリアス》、重巡洋艦 《アドミラル・ヒッパー》になる。

 また、艦隊主力と共に撤退できた空母は、《イーグル》《コロッサス》《グラーフ・ツェペリン》《ジョッフル》の4隻。

 ここに挙げた以外の空母は、既に沈んでいた。

 

 なお、重巡洋艦 《プリンツ・オイゲン》と駆逐艦2隻は、殿と言うよりは、重巡洋艦 《アドミラル・ヒッパー》を何とか曳航しようとしていた。

 本国からの命令があったためだ。

 このため本当に殿を行うのは、巡洋戦艦 《レナウン》などのイギリス本国艦隊だった。

 彼らは空母 《インプラカプル》、《イラストリアス》がノロノロと後退するより10海里ほど前面(後方)にあえて展開し、いち早く連合軍艦隊を発見する。

 しかも連合軍は偵察機で枢軸軍の状況をつかんでいるので、2つの方向から急速に艦隊が迫りつつあった。

 迫ってきていたのは、戦艦《金剛》《榛名》、軽巡洋艦《利根》《筑摩》に《夕雲型》駆逐艦4隻の艦隊と、戦艦《比叡》《霧島》、重巡洋艦《那智》《足柄》と《夕雲型》駆逐艦4隻の艦隊だった。

 戦力はどちらもほぼ同じで、速力も24ノットで追撃を行い、接近後は26ノット以上に増速していた。

 そして日本艦隊は、《比叡》などの方がイギリスの殿を相手にする隙に、《金剛》らが空母にトドメを刺す作戦で突進した。

 


 イギリス艦隊は、当初は回避に専念しながら損害を防ぎ、尚かつ少しでも時間を稼ごうと考えていた。

 遅い夕闇までは、あと4時間。

 それだけの時間を稼がなくてはならなかったからだ。

 しかし連合軍の動きに対して、見込みが甘かったことを思い知らされる事になる。

 仮に迫りつつある艦隊を振り切ってもう片方に食いついても、今度は振り切った艦隊が友軍空母に迫ってしまう。

 このため近くにいるドイツ艦艇に救援を求めるが、ドイツの《プリンツ・オイゲン》からは自らにも別の連合軍艦隊が急速に迫りつつあり、曳航を断念して急ぎ総員退艦後に自沈処理して撤退するという報告を受ける。

 つまり援軍が来るとしても、自沈処理してからと言うことになる。

 既に逃れつつある本隊は、敵潜水艦を警戒してこれ以上すり減った艦艇を割くことは難しかった。

 

 このため殿のイギリス艦隊は、追撃してくる半分の艦隊のさらに半分の戦力を二分するか、目の前の敵だけでも阻止するかの選択肢という、選ぶのも虚しい選択肢を迫られた。

 そして選んだのは、目の前の艦隊だけでも引きつけて、自らは回避に専念して撤退するという案だった。

 しかし、引きつけつつ逃げるというのも容易ではない。

 逃げすぎると、敵が損傷空母の追撃に変更する可能性が高いからだ。

 そうなっては、損傷空母は総員退艦の時間すら稼げず包囲されてしまうかもしれない。

 かといって引きつけすぎると、自分たちが避けることが難しくなる。

 また避けつつ逃げると言っても、各艦バラバラに逃げてもいけない。

 それこそ、敵を損傷空母に向かわせてしまう事になる。

 

 敵を迎撃する素振りを見せつつ、その上で避けなければならないのだ。

 

 イギリス艦隊に対して日本の追撃艦隊は、高速戦艦と重巡洋艦と駆逐艦に分かれ、その上で全速で追撃してきた。

 これならば高速戦艦の30ノットに合わせずに追撃が出来るし、敵の逃走方向を狭めることもできる。

 加えて回避機動を取るのも難しくできる。

 

 なお、逃げる巡洋戦艦 《レナウン》の最高速度は29ノット。

 追う《比叡》《霧島》は約29〜30ノット。

 速度はほぼ互角なので、振り切ることは極めて難しい。

 重巡洋艦 《ケント》は31.5ノット、《那智》《足柄》は33.5ノット程度。

 こちらは日本側はほんの少し優勢だった。

 


 追撃戦は、イギリス側が阻止を目的にしてあまり後退しなかったので、すぐにも距離は縮まった。

 対して日本艦隊は、当初は全速力で突撃を実施した。

 そして日本艦隊は、距離3万メートルを切るまでイギリス艦隊への直進を続け、距離3万メートルから戦艦2隻が散発的な砲撃を開始する。

 そしてイギリス側は、ジグザグに逃げている分だけ距離が詰まっていた。

 それでも空母からは引き離しているので、イギリス艦隊は現状に満足していた。

 

 しかしこの場合、相手が少し悪かった。

 大型艦は全てカリブでの激闘を繰り広げてきた歴戦の艦で、練度も戦意も高かった。

 しかも日本艦隊側は、これが最後の大型艦との砲雷撃戦と考えていたため、尚のこと積極的だった。

 

 追撃戦が始まってから約1時間後、戦艦同士の距離は2万5000メートルまで縮まったので、日本側が本格的な砲撃を開始。

 重巡洋艦と駆逐艦はまだ2万メートル程度離れていたため、《那智》《足柄》は滅多にしないリミッターを解除した本当の全速で突進を続けていた。

 この時の日本側の重巡洋艦の速度は、35ノットを超えていたと考えられる。

 

 残りの燃料など考えないような日本艦隊の突進のため距離はさらに詰まり、さらに約30分後には駆逐艦以外の艦艇は全て砲撃戦を開始する。

 イギリス艦隊と《那智》《足柄》の距離は、既に1万5000メートル程度。

 戦艦同士の距離も既に2万メートル近くで、しかも日本側は二手に分かれて逃げ道を塞ぐ形に進んだ。

 

 こうなってくると回避に専念するのは限界があり、手数の多い小口径砲すら届くようになると命中弾が発生し始める。

 だが、本隊はオークニー諸島近辺まで後退したという報告もあったので、殿を務めるイギリス艦隊も本格的な遁走を開始する。

 

 しかし、無事に逃げることは許されなかった。

 

 近代改装されていた《レナウン》は、数発の命中弾を受けるも何とか耐え抜いたが、《那智》《足柄》の砲弾が高い角度から命中した《ケント》は、機関部を打ち抜かれて速力が大きく低下してしまう。

 これで《ケント》の離脱は困難となり、《ケント》は再び回避に専念する動きに変更しつつも、日本艦隊の前に立ちふさがるような動きを見せた。

 

 囮となったのは間違いなく、日本艦隊はトドメは戦艦に任せて、巡洋艦と駆逐艦はさらに追撃を続けた。

 1時間に8〜9キロ距離が縮まるので、重巡洋艦でもあと1時間ほどで十分に《レナウン》を捉えられる目算が立つからだ。

 

 逃げるイギリス艦隊は、相手が格下の重巡洋艦なら迎撃してもよさそうだが、《レナウン》は既に戦闘で砲撃力が衰えているため、万が一の事態を考えて逃げるより他無かった。

 しかし時間が経てば追いつかれてしまうので、駆逐艦3隻が《那智》《足柄》などの前に立ちふさがり、砲撃、牽制雷撃、煙幕などあらゆる手段で追撃を妨害してきた。

 しかし撃退するだけの力はなく、《レナウン》を諦めた日本艦隊が本気を出すと1隻また1隻と被弾していった。

 

 結果、殿を務めたイギリス艦隊は、《レナウン》のみが逃げのびただけで壊滅する。

 


 そして彼らの壊滅と引き替えに守ろうとした空母だが、戦艦《金剛》などの別働隊の追撃のため早々に撤退を断念していた。

 

 空母 《インプラカプル》、《イラストリアス》のそれぞれには1隻ずつの駆逐艦が護衛に残っていたが、これは万が一の総員退艦に備えての事だった。

 そして、既に最低限の人数で運用していた各空母から次々に乗組員が駆逐艦に乗り移り、日本艦隊が距離2万5000メートルに迫る頃にはほぼ退艦を完了していた。

 そして遁走する駆逐艦と動かない空母を目にした日本艦隊も、無用な砲撃と追撃を中止。

 接近して空母の様子を見ることにする。

 

 二手に分かれた《金剛》などが接近したとき、既にそれぞれのイギリス空母は艦底のキングストン弁が抜かれて全艦に浸水が進んでおり、曳航は不可能だった。

 見た目には普通に浮かんでいたが、イギリス人が見捨てた以上、どうなっているのかは明白だった。

 

 そのまま放っておいても沈むのだが、日本艦隊もその場を離れなければならないので、確実に沈めるべく大型艦による砲撃もしくは雷撃を決定。

 しかし日本人の心情的には、敢闘した敵手に対して介錯をしてやるべきだと思った末の行動と考える方が自然だろう。

 実際、そうした手記が多く残されている。

 

 《インプラカプル》には、戦艦《金剛》《榛名》の近距離からの水平弾道の14インチ砲弾が舷側水面下に多数撃ち込まれ、のめり込むように沈んでいった。

 《イラストリアス》は、《利根》《筑摩》の砲弾では威力が不足するので、駆逐艦4隻が1本ずつの酸素魚雷を近距離から発射。

 全弾命中して大きな水柱を上げた。

 だが、被雷後も少しの間身じろぎもしなかったので再発射を検討中に、急速に傾いて横転。

 赤い腹を見せながら沈んでいった。

 


 長い夕闇の中での2隻の空母の最後が、枢軸側が「ラグナロック」と名付けた作戦の最後の情景だった。

 

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