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日米蜜月  作者: 扶桑かつみ
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フェイズ64「WW2(58)ノースアイルランド上陸作戦8」-1

 6月7日午後2時半頃、満身創痍となった巡洋戦艦 《フッド》が戦場から待避を開始した頃、イギリス本国艦隊は同航戦となりつつあったアメリカの旧式戦艦群を何とか追い抜こうとして、さらにかわして戦線を突破しつつあった。

 

 当然ながらアメリカ艦隊の焦りは強かったが、それが仇となって水雷戦隊と巡洋艦部隊はイギリス本国艦隊の部隊との戦いにのめり込んでしまい、敵の撃破よりも回避と突破を優先したイギリス側にイニシアチブを握られっぱなしだった。

 

 だが、イギリス艦隊を混乱させる連合軍の援軍が、上陸船団の展開する方向から到着する。

 

 到着したのはPT部隊。

 つまり高速魚雷艇部隊だ。

 

 同部隊は上陸船団の支援としてランプ装備船、ドック型輸送船などで運ばれてきて、周辺に展開したばかりのところを、救援要請を受けて戦場に突入してきた者達だった。

 

 なおPTとはパワー・ボートの略称で、元は戦前のイギリスでブリティッシュ・パワー・ボート社が英海軍に提案したものを、一部改正の上でアメリカ海軍が導入したものだった。

 つまり、この海戦の前哨戦を戦ったイギリスの高速魚雷艇と、元は同じということになる。

 しかし戦時の贅沢なアメリカらしく、魚雷4本を搭載するなど重武装で、最初から速力40ノットが発揮できる大馬力エンジンを搭載したタイプが建造されていた。

 初期の同型艦はカリブの複雑で浅い海で活躍したが、戦場が欧州に移動してきたため、再び戦場に姿を見せたのだ。

 カリブの海での戦いでは、ケネディ一族のジョン・ケネディが艇長となって活躍したりもしている。

 

 この場に駆けつけたのは23隻と全てではなかったが、駆逐艦などの合間から突然姿を見せて突進してきたので、艦隊の先頭を突進していたイギリス本国艦隊の駆逐艦群を一定程度ながら混乱させることになる。

 

 そしてこのPT部隊の参入で、戦場の雰囲気は緩やかながら変化し始めた。

 イギリス本国艦隊の混乱を逃さず、アメリカ艦隊は徐々に混乱から立ち直り、隊列を立て直し、整然と敵艦隊への攻撃を再開するようになったのだ。

 

 こうなると、前側面と後ろ側面から水雷戦隊に圧迫された形になったイギリス艦隊は、思うような進路に進めなくなる。

 今までの戦いで既に多くの駆逐艦が沈むか撃破されているため、合計30隻以上の駆逐艦と20隻以上の魚雷艇を全て止めることは不可能だった。

 巡洋艦も相手巡洋艦との戦いに忙殺され、阻止する余力はなかった。

 


 そして護衛を丸裸とされてしまうと、戦艦は意外に脆い。

 将棋やチェスでの、王将やキングの駒と同じだ。

 

 戦艦には、駆逐艦など水雷部隊の撃退のために副砲や両用砲が装備されているが、それも敵と相対している側の砲は今までの砲撃戦でかなりが破壊されていた。

 火力は既に半分程度しかなく、圧倒的な数の差もあって接近を阻止する事は難しかった。

 しかも相手は単に大型で戦闘力の高い駆逐艦と言うだけでなく、かなりの駆逐艦が長距離攻撃も可能な酸素魚雷を装備していた。

 酸素魚雷のことはイギリス海軍も警戒しており、だからこそなるべく水雷戦隊を接近させないようにしていた程だった。

 

 そして徐々に焦りを強めるイギリス本国艦隊に、今までの幸運の返済を求めるような一弾が飛び込んでくる。

 

 《コロラド》が放った8発の16インチ砲弾のうち1発が、旗艦 《ライオン》に命中した。

 《ライオン》は今までの戦闘で4発の戦艦級の主砲弾を受け、うち1発は50口径16インチ砲弾だった。

 だがイギリス生まれの優れた装甲は耐え抜き、機関は全力発揮可能で主砲戦能力は維持していた。

 4万トンの新鋭戦艦は、流石に伊達では無かった。

 

 しかし、イギリス海軍で《ネルソン級》以後の新造戦艦及び大改装した旧式戦艦には、共通した欠点といえなくもない弱点があった。

 今までの戦艦なら、必ず備えられていた強固な装甲で囲まれた司令塔を持たないことだった。

 この改訂は、基本的には時代を先取りするものだった。

 戦艦が戦艦と撃ち合うだけの時代が終わったことを、イギリス海軍はいち早く受け入れていたという事だからだ。

 それでも、それなりに防御された艦(艦橋)の中枢部に司令部施設はあったが、戦艦の砲弾を弾き返すほどの防御力は無かった。

 加えてイギリス海軍の軍人達は、先達達のように海風を感じられる航海艦橋で指揮を執りたがる傾向があった。

 

 この時艦隊司令部は、航海艦橋ではなく戦闘艦橋で指揮を執っていた。

 そしてそのすぐ側に16インチ砲弾が飛び込んで、真下の防御甲板で炸裂した。

 防御甲板は性能通り16インチ砲弾の侵入を阻止して、真下にある機関部を守り通した。

 だがその上にある艦橋構造物までは守ってくれなかった。

 

 そして砲弾が炸裂したときの爆風と破片の多くが、司令部に突入してしまう。

 

 司令部は全滅では無かったし、艦の首脳部は航海艦橋にいたため何とか無事だったが、とても艦隊全体の指揮が継続ができる状態ではなくなった。

 


 「司令部壊滅。指揮ハ次席指揮官ガ執レ」


 被弾した《ライオン》からの信号がイギリス艦隊を駆けめぐり、指揮権は次席指揮官が座乗していた《キング・ジョージ5世》に移される。

 

 先頭を進む《ライオン》はまだ十分に戦闘可能だったが、これでイギリス本国艦隊の空気が変化してしまう。

 多くの将兵が、艦隊司令部の弔い合戦と考えるより、自分たちの攻勢が終末点に到達したのではと考えてしまったのだ。

 

 もともと作戦上でのイギリス本国艦隊の目的は、十重二十重の敵陣の突破ではなく、囮となって全ての敵を引きつけることにあった。

 だから現状で追いつめられているのは当たり前で、突破できたとしても船団を潰すだけの戦力が残るとは考えられなかった。

 

 しかも自分たちを叩きつぶす筈の日本艦隊は、ドイツ艦隊に向かって、あろう事かドイツ艦隊を壊滅させたと考えられていた。

 希望はフランス艦隊だが、艦隊規模から出来ることも限られているのは分かり切っていた。

 そして自らは、囮としての役割を中途半端にしか果たせず、強引に敵陣突破を図るも戦力は枯渇しつつあった。

 

 つまり作戦は失敗したのだ。

 

 だが、この時点で撤退すると言っても非常に難しかった。

 

 戦場はすでにノース海峡に入って、ベルファストの沖合にさしかかりつつあった。

 

 米英の艦隊は海峡のそれぞれ端の方に陣取った状態で、後ろからは米艦隊の本隊が追撃していた。

 前に敵はいないが、連合軍の上陸船団まではまだ100キロも先だった。

 このまま24ノットの速度で戦闘が続いたとしても、2時間半かかってしまう。

 そしてそんな長時間も高速発揮しながら進むことは、燃料の関係から難しかった。

 本土直近だったが、大型艦はともかく30ノット以上で走り回っている駆逐艦が燃料不足に陥る可能性があった。

 そして旧式戦艦群を振り切ったとしても、後方から追跡している《アイオワ級》戦艦群に追いつかれてしまう。

 そしてさらに後方の主力戦艦群も、30キロほど後方に位置して追撃していた。

 それらを振り切るには、高速発揮を続けるしか無かった。

 

 そして仮に全ての敵を振り切っても、その前にも連合軍の上陸支援する戦闘艦艇が死守線を張って待っていることは確実だった。

 さらに、作戦目的の船団も攻撃しなければならない。

 その間、戦闘速度を緩めることは許されなかった。

 そして全てをはね除けた後に、素早く撤退しなければならなかった。

 例え全滅覚悟でも、作戦として最初から帰還を考えないわけにはいかないからだ。

 

 また、撤退すると言っても、回れ右をする事は不可能だった。

 何しろ後ろには、アメリカの主力艦隊が退路を塞ぐ形で追撃してきている。

 狭い海峡内なので、他に進める場所も無かった。

 

 そして本来なら進む以外選択肢が無いというのが実状だが、戦場が本土近海なので逃げ出せる場所は皆無ではなかった。

 しかしこの場から離脱できても、今後の戦況を考えると二度と出撃できなくなる可能性が非常に高かった。

 

 この時点で英本国艦隊が向かえる撤退方向は、上陸地点の反対側、つまりグラスゴー方面だった。

 

 グラスゴー方面なら、現時点から北北東に進路を取ってクライド湾に入ればよかった。

 しかも現在の艦隊の位置から北北東に敵はいなかった。

 それに連合軍も、本来は上陸作戦で忙しいので、逃げる敵を執拗に追いかける可能性は低いと考えられた。

 加えてグラスゴーは、入り組んだ海岸線の奥深くなので逃げ込むには好都合だった。

 

 しかし、その後は沖合を封鎖されるだろうし、激しい空襲で残存艦隊は撃沈もしくは無力化される可能性が高かった。

 だから次席司令部では、撤退論と共にどうせ艦隊を失うのなら突撃して差し違えるべきだという意見も強かった。

 だが、差し違える前に全滅する可能性の方が高く、将兵を無為に死なせるべきで無いという常識論の方が勝った。

 日本風に言えば、死を決意するのはともかく、必ず死ぬのは邪道ということになるだろう。

 


 かくして、イギリス本国艦隊の次席司令部は、残存する全艦隊に撤退信号を発すると共に、全ての友軍に対して「艦隊司令部壊滅。

 残存戦力ハ、ぐらすごー方面ニ撤退ス」と電文を発した。

 

 この時点で午後3時半少し前。

 

 2時間ほど前まで英本土北部に進んでいた全ての枢軸艦隊は、残存艦隊が全て撤退していた。

 イギリス本国艦隊からはフランス艦隊の様子は分からなかったが、仮に進んでいてもこの電文で独自に待避すると考えられた。

 

 そして撤退を決意したが、進路を変更したことはすぐにもアメリカ艦隊に察知された。

 そしてアメリカ海軍は、「獲物」に成り下がることを宣言したに等しい敵を逃す気は無かった。

 また、撤退を決めたイギリス本国艦隊には、先ほどまであった気迫は霧散していた。

 後世からも、本当に全滅してでも突進を継続するべきだったという意見も少なくない。

 燃料と弾薬が尽きるまで戦い続ければ、万が一の可能性ながら連合軍の上陸船団を攻撃できる可能性もあったからだ。

 

 しかしそれは既に予測や「後世の研究結果」でしかなく、現実としてイギリス本国艦隊は全滅よりも撤退を選んだ。

 

 そして勝利の女神に自ら顔を背けた者に、戦場は無慈悲だった。

 

 撤退を決意した時点で、イギリス艦隊の戦艦隊列にはアメリカ軍の水雷戦隊が2方向から猛烈な勢いで迫っていた。

 それを阻止するべき重巡洋艦は決戦前に大きく傷ついて、《ノーフォーク》を残すのみだった。

 水雷戦隊も今までの戦闘で激減しており、しかも魚雷艇と一部水雷戦隊との戦闘に巻き込まれて、自らの戦場から抜け出せなくなっていた。

 

 そこに2方向からの統制雷撃戦が開始される。

 

 アメリカ海軍が距離1万5000メートル以上離れた場所から雷撃をすることは珍しく、しかも2つの水雷戦隊が統制雷撃戦を行うことは前代未聞だった。

 このようなことは世界中でも珍しく、日本海軍の水雷戦隊が辛うじて演習で実施したことがある程度だった。

 2方向からの統制雷撃戦は、余程の好機がなければできないからだ。

 しかも20隻以上の参加となると、最初で最後だった。

 同乗していた日本海軍の連絡将校が、羨望の眼差しで見ていたほどだったと言われる。

 

 アメリカ軍の大型駆逐艦群が遠距離から放ったのは、もちろんだが日本生まれアメリカ育ちの酸素魚雷。

 連合軍水雷戦隊の、もはや必殺武器だった。

 しかもイギリス本国艦隊はほぼ一方向に向けて転進の最中で、アメリカ艦隊の魚雷は扇状に2方向から45ノット以上の雷速で突進した。

 

 一般的に遠距離雷撃の命中率は非常に低い。

 しかしこの時は、以上のような有利な条件が並んでいた事と、イギリス艦隊がアメリカ艦隊がこれほど多数の酸素魚雷搭載艦を投入しているとは考えていなかったので、この距離での大規模雷撃はないと考えていた。

 アメリカ側駆逐艦が雷撃運動を見せても、多くが欺瞞行動と考えた。

 その証拠にアメリカ側の水雷戦隊は、待避もせずにその後も全速力で追撃してきたので、尚更イギリス側の予測を肯定した。

 それでも遠距離用の酸素魚雷は皆無ではないと考えたので、若干の進路変更を実施する。

 

 しかしそこがイギリス艦隊の不幸だった。

 

 2方向のうち片方の魚雷を避ける進路は選んだのだが、より遠くリー提督の第二艦隊の水雷戦隊が放った酸素魚雷の予測進路に、斜めからながら腹をさらしてしまったのだ。

 


 一度目の魚雷命中予測時刻を過ぎても、命中を示す大きな水柱は1本も立たなかった。

 だが、そのすぐ後、少し遅れて扇状に殺到したアメリカ製の酸素魚雷は、その航跡を殆ど敵に察知される事無く交差進路に到達。

 

 次々に巨大な水柱を奔騰させていった。

 

 勝敗が決した瞬間だった。

 

 この時被弾したイギリス本国艦隊の戦艦は、実に6隻。

 他に少し遅れていた駆逐艦1隻にも命中。

 駆逐艦は、竜骨がへし折れて二つによじれながら轟沈していった。

 当然だが、巨大戦艦達も無傷では済まなかった。

 

 小一時間の激しい戦闘でも、《フッド》の脱落のみで済んでいたイギリス本国海軍の戦艦達は、新たな殿だった《ハウ》を残して全艦が強力な酸素魚雷を被弾した。

 扇状だったので集中的に命中した戦艦は無かったが、どの艦も1〜3発の魚雷が命中。

 2発で1トン近い高性能爆薬が、船の最も弱い水面下で炸裂した。

 しかも炸裂したのは、アメリカ海軍が大戦中盤から投入した爆発威力の高い高性能爆薬だった。

 

 この被弾で、判定中破に陥る艦艇が続出。

 しかも魚雷の被弾までに、各戦艦はリー提督とデイヨー提督の戦艦合計20隻と激しい砲撃戦を展開した。

 リー提督の艦隊とは反航戦なので戦闘時間は比較的短かったが、それでも16インチ砲弾を多くの艦が被弾した。

 そしてそれよりもずっと多く、旧式の16インチ砲、多数の14インチ砲、12インチ砲弾を受けた。

 さらに8インチ、6インチ砲弾を被弾した戦艦も少なからずあった。

 小口径砲は近距離で多数を被弾しない限り問題はないが、戦艦の砲弾は通常同等の敵の場合の戦闘限度は、第一次世界大戦の頃で25発程度と言われる。

 それだけ受けたら、どれほど防御を固めた戦艦でも、戦闘力を失うとされていた。

 第二次世界大戦時のアメリカ海軍では、7〜8発程度で同等の敵なら戦闘力を奪えると想定していた。

 

 しかし逆を言えば、分厚い装甲で鎧った戦艦とはそれほど強固な存在だった。

 いかに頑健かは、第一次世界大戦のドイツ巡洋戦艦が立証し、第二次世界大戦で何度か発生した戦艦同士の戦いでも同じだった。

 超近接状態となる夜間戦闘は例外だが、幸運もしくは不運の一撃がない限り、戦艦を砲撃だけで仕留めるのは非常に難しい。

 

 この時のイギリス本国艦隊も同様で、どの艦も最大で判定中破に止まり、戦闘力を完全に喪失した戦艦は無かった。

 砲撃力を殺がれた艦は少なくなかったが、直接の被弾よりも故障により砲撃不能となった砲の方が多いほどだった。

 

 だからこそ魚雷が恐れられるのだが、この時はまさに恐れていた事態が一度に、しかも大量に発生した。

 

 被雷した各戦艦では、水面下の多くの箇所が破壊されるか、応急処置も間に合わず浸水箇所が拡大した。

 そして大きく傾いた艦は逆側に注水するしかなく、短時間でさらに多くの海水を飲み込んだ。

 海水を飲み込むだけなら、戦艦には多くの予備浮力があるので問題も少ないのだが、多くの艦では被弾でボイラー区画か機関区画の一部が浸水していた。

 さらに運の悪い艦は艦前方に被弾し、高速で進むと隔壁が破れてさらに浸水が悪化する状態のものもあった。

 それでも舵やスクリューがやられた艦がないだけマシだったが、たった一撃で艦隊は満身創痍だった。

 

 この被弾を前に《キング・ジョージ5世》の次席司令部は、撤退に最低限必要な速力18ノットが維持できる艦だけでも離脱するように緊急命令を出す。

 残る艦も、回避と艦の保全に全力を傾けつつ、どこでもいいのでブリテン島北部の入り江の奥地への待避を命じた。

 最悪の場合は近在の海岸への座礁も許可した。

 

 既に駆逐艦の随伴も半数以下だし、損傷艦をかばって撤退することは不可能だった。

 


 そして臨時旗艦となっていた《キング・ジョージ5世》は、大量に海水を飲み込んだ巨体を苦しげに反転させ、敵の迎撃に移った。

 これには、既に撤退がままならない《ライオン》、《サンダラー》も従える限り従った。

 

 米英の艦隊決戦の終幕は、まずは手負いの獣となった戦艦3隻と水雷戦隊の戦いとなる。

 戦艦は榴弾で駆逐艦や魚雷艇を攻撃し、駆逐艦と魚雷艇は接近の隙をうかがった。

 やがて旧式戦艦群と一部巡洋艦が追いついてきて砲撃を開始。

 さらに《アイオワ級》戦艦4隻が、十分な距離まで追いついて砲撃は激しさを増した。

 戦艦が迫ってきた時点でイギリス側の戦艦も戦艦を標的に変えたが、既に戦いは一方的だった。

 大きく損傷して速度が落ちた戦艦は、既に獲物か標的でしかなかった。

 

 最後には《モンタナ級》戦艦を中心とする本隊も追撃に参加し、多数の砲弾とさらなる魚雷を受けて、3隻のイギリス本国艦隊の戦艦達は本国の側で波間に没していった。

 

 結局、イギリス本国艦隊で生き残ったのは、撤退に成功した戦艦4隻、巡洋戦艦1隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻(ハント級含む)だけだった。

 

 沈められた艦は約半数だが、生き残った艦は駆逐艦2隻を除いて大きく損傷しており、もはや再戦を望むべくもなかった。

 主な艦艇が逃れたグラスゴーは造船の街だが、現状ですら半ば敵制空権下にあるので、もはや修理もままならないとも考えられた。

 

 イギリス本国艦隊の撤退からの敗走で、勝敗は完全に決したのだ。

 

 しかし、この日の戦いは誰もが状況把握に困るほど各所で行われており、戦いがまだ続いている場所もあった。

 

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