フェイズ63「WW2(57)ノースアイルランド上陸作戦7」
1945年6月7日は、連合軍、枢軸軍共に非常に状況が錯綜した一日となった。
ノースアイルランド北部を中心として、英本土北部洋上の各所で戦闘が頻発したからだ。
中でも戦艦同士が戦闘する、本来なら分かりやすい形の艦隊戦が複数箇所で発生したことは、両軍に混乱をもたらした。
連合軍は混乱を最小限にするべく布陣して情報を集め、そして迎撃した。
だがそれでも、広い範囲で多数の艦艇と航空機が戦闘をしている状態では、誤認情報も少なくなく、どうしても万全とはいかなかった。
6月7日午後3時頃、アメリカ艦隊がイギリス艦隊と、日本艦隊がドイツ艦隊と戦艦同士の艦隊決戦を行っているとき、北緯56度30分、西経7度付近でフランスの主力艦隊が北に向けて突進しているのが発見された。
連合軍の空母部隊も、枢軸側の空軍か空母機動部隊との戦闘の真っ最中で、援護を出すことがほとんど無理だった。
しかも間の悪いことに、比較的近くにいた空母部隊はこの日最後となる反撃のための攻撃隊を出した直後だった。
すぐに阻止行動に出られる部隊は、ノースアイルランド北部沿岸で上陸作戦を支援している火力支援部隊だけとなっていた。
なぜフランス艦隊が、突如上陸船団の約100キロ北方で出現したのか。
フランス艦隊は、当初は空母を中心とした機動部隊を編成して、枢軸海軍が総力を挙げた空母機動部隊の先鋒を務めていた。
しかしこれこそが欺瞞行動だった。
しかも当初は、ずっと先鋒を務める予定だった。
そうしなければ、連合軍の空母部隊から万が一戦艦部隊を前進してきたとき、対応できる戦力がほとんど存在しないからだ。
しかし出撃直前になって、少しでも敵上陸地点に向かう部隊を増やすべきだと考えられた。
連合軍の侵攻がノースアイルランドと分かり、しかも予想より大きい戦力の可能性が高いため、イギリス本国が酷い焦りを見せたからだ。
このため、フランス艦隊も途中で分離させる予定で進軍することとなった。
そして途中で分離できるように部隊を組み替え、オークニー諸島を抜ける時に艦隊の分離を実施。
島影に隠れ、さらにはドイツ主力艦隊の転進に紛れる形で機動部隊から離れた。
このフランス艦隊の動きは、連合軍の夜間偵察機のレーダーに捉えられていた。
しかしこの頃の機載レーダーは海面反射と艦艇、島を十分に判別できないし、この時は複数の空母部隊が複雑に艦隊運動をしていた上に、連合軍は規模の大きなドイツ艦隊の動きに意識を集中していた。
フランス艦隊の動きについても全く察知していなかったワケではないが、当初の動きを外洋に出る為の陣形変更だとしか考えなかった。
これはフランス艦隊が急な作戦変更の為、分離に手間取ったことが逆に幸いした形だった。
しかも現地の連合軍機の数では、ドイツ艦隊と空母部隊主力を追いかける事しかできなかった。
加えて枢軸艦隊は、激しい電波妨害を放っていた。
そして何とか連合軍に見つからないまま分離したフランス艦隊だが、そのまま空母部隊から分離したドイツ艦隊よりも、かなり出遅れることが当初から確実視されていた。
そのため、小規模な艦隊なのを活かして別進路をとって抜け道を使うことにする。
抜け道とは、英本土とヘブリディース諸島の間のリトルミンチ海峡で、枢軸軍は連合軍が海峡の出口あたりで潜水艦などの哨戒を行っている可能性を考えていた。
だが時間がないため、フランス艦隊はこの危険度が高い海上ルートを進む事となる。
しかし現地の海については詳しくないので、海峡を通る間はイギリスの高速艇が先導を務めることとなっていた。
そして夜から朝にかけて島々の影に隠れながら長い海峡を突破したが、連合軍は何の警戒もしていなかった。
連合軍は、ドイツ艦隊に注目していたし、フランス艦隊が分離したことを知らなかったのだから、ある意味当然だろう。
そしてフランス艦隊は、海峡突破後も半ば戦闘速度で突進を続けて遅れを取り戻すどころか、細長い島の向こう側で並進していたドイツ艦隊を追い抜いてしまう。
・フランス大西洋艦隊(ジャンスール大将)
BB 《ジャン・バール》
BC 《ダンケルク》 BC 《ストラスブール》
CG 《アルジェリー》 CG 《フォッシュ》 CG 《デュプレ》
CL 《ド・グラース》 DD:5隻
以上がこの時のフランス艦隊の陣容で、重要な作戦のためジャンスール提督がそのまま艦隊を率いていた。
この艦隊が目標とする連合軍の船団まで、残り約150キロから170キロ。
20ノットで進んだとして、4時間半程度の距離でしかなかった。
このうち軽巡洋艦 《ド・グラース》が戦争中に就役した艦艇だった。
排水量は8100トン。
55口径6インチ砲3連装3基、9cm高角砲連装5基を基本武装としていた。
計画当初は魚雷発射管を装備予定だったが、建造中に対空砲と電子装備が大幅に増強されることになったため、他の一部装備と共に装備から外された。
また、船体など各所も小さな設計変更や装備の増設があったため、就役時の排水量は100トンほど超過している。
日本の《大淀型》や英本国の《フィジー級》に匹敵するが、少し小さく軽武装だった。
それ以外は対空装備が増強されただけで、以前と大きな違いは無かった。
対する付近の連合軍だが、各所に大規模な戦力を派遣していたため、意外に支援戦力が希薄だった。
アメリカの旧式戦艦部隊は南のノース海峡に向かい、少し離れた場所の護衛空母群はイギリス本国空軍との戦闘に忙殺されていた。
モロッコ作戦の頃にいた救国フランス艦隊と日本の巡洋艦艦隊は、南フランスでの大規模な上陸作戦のために地中海に移動していた。
つまり上陸部隊を支援する有力な艦隊は、アメリカ海軍の巡洋艦数隻を中核とする火力支援群を別とすると、自由イギリス海軍の大西洋艦隊しかなかった。
自由イギリス海軍の大西洋艦隊は、彼らにとっての「祖国奪還」作戦の最初であるため、全ての戦力を結集していた。
艦隊は空母を中心とする小柄な空母機動部隊と、旧式戦艦を中核とする艦砲射撃部隊に分かれていた。
このうち空母機動部隊は、アメリカ海軍と共に英本土空軍との戦いに忙殺されていた。
つまり残された艦隊は、アメリカが参戦する切っ掛けになった艦隊脱出のときの旧式戦艦を中心としていた。
以下が、この時の編成になる。
自由英・大西洋艦隊(フィリップス大将)
BB 《ウォースパイト》 BB 《クィーン・エリザベス》
BC 《レパルス》
CG 《シュロップシャー》
CL 《トロント》 DD:6隻
同艦隊はフランス艦隊発見の報を受けると、すぐに北上を開始した。
それまでは、艦砲射撃任務のため上陸した海岸から10〜20キロほど離れた沖合を遊弋していた。
それ以外の任務は予定外であり、連合軍としては万が一戦闘に巻き込まれて主要艦艇が沈めば、政治的にマイナス効果があると見られていたからだ。
だが、残された艦隊は実質的に彼らだけだった。
同艦隊は、大型艦は1940年初秋のアメリカ参戦の切っ掛けともなった、英艦隊の亡命騒動の時に英本土から脱出してきた艦艇を中核としている。
だがカナダには、大型艦を整備する能力を有するまともな施設はなかった。
このため保守整備、さらには近代改装はアメリカ又は日本に頼まなければならなかった。
それでも戦場に投入できるように準備が進められたが、政治的影響があるため安易に戦場に投入できなかった。
目立つところではアジアに派兵された巡洋戦艦 《レパルス》の活躍があったが、偶発的なものを除いて危険度の高い戦闘はほとんど行っていない。
しかしこの戦場では、同艦隊に事実上の死守命令が出された。
数時間、遅くとも夕方まで踏ん張れば、他の海域で戦闘している友軍が駆けつけることが出来るし、白夜も近いので夜中でなければ空襲もできるようになる。
絶望的ではないが、それでも非常に危険な任務だった。
もっとも、フィリップス提督以下の自由英艦隊は、英本土奪回作戦の最後の防壁として、ついに自分たちの義務を果たすべき時が来たのだと、非常に士気は高かった。
なお大型艦は旧式艦ばかりだが、軽巡洋艦 《トロント》はアメリカから供与を受けた《クリーブランド級》で、駆逐艦も全てアメリカが大戦が始まってから就役させた駆逐艦から供与を受けたものだった。
それ以外だと《クィーン・エリザベス》《ウォースパイト》共に戦前に大規模な近代改装が施された為、ボフォース40mm機関砲、エリコン20mm機銃で対空火器を増強したのみだった。
しかし戦前に徹底した近代改装を施していたため、防御甲板の大幅な増厚、主砲仰角の増加など行い、速力以外は新鋭戦艦とも十分渡り合えると判断されていた。
《レパルス》もアメリカに移動してから大幅に対空火器を増強したが、それ以上の改装は施されていない。
このため艦隊の最高速力が実質23ノット程度のため、これが唯一の不安点だった。
フランス艦隊発見後は、連合軍は南下するフランス艦隊に常時偵察機を複数張り付かせていた。
そしてこの時点では、自由イギリス艦隊以外にまともに迎撃できる位置に有力な艦隊が無かった。
自由イギリス艦隊以外で最も近いのは日本の第二艦隊だが、この時はドイツ海軍の主力艦隊と艦隊決戦の真っ最中だった。
次に近いのはアメリカ海軍の2つの主力艦隊になるが、こちらは上陸部隊を挟んで反対側のノース海峡で、しかもこちらも艦隊決戦の真っ最中だった。
船団の近くでは大型駆逐艦による駆逐隊を集成した臨時の水雷戦隊の編成が始められたが、まともな迎撃ができる状態では無かった。
このため自由イギリス艦隊は、時間を稼ぐのではなく、敵の進撃を阻止する以外の選択肢が無かった。
このためT字でフランス艦隊の前に立ちはだかり、その後はトウゴウ・ターンで同航戦に持ち込み、敵が進撃できなくなるまで攻撃する事を決める。
戦闘方法自体は日本艦隊とほぼ同じだが、フランス艦隊の方が有力なので阻止できるかは微妙だと当初から考えられた。
このため連合軍は、火力支援任務に当たっている艦隊から水雷戦隊や巡洋艦戦隊を何とか抽出して、次の阻止線を張ろうと四苦八苦していた。
加えて、先に迎撃にでた形の自由イギリス艦隊に援軍を送ろうとした。
もっとも、先述した通り自由イギリス艦隊は士気旺盛で、ある種楽観的な雰囲気すらあった。
自分たちが、フランス艦隊「ごとき」に負けるはずがないという自負があったからだ。
撃破どころか、ヴィレヌーボー提督の艦隊のように、撃滅する気ですらいた。
そうして7日の午後2時頃、自由イギリス艦隊はフランス艦隊に対して砲撃を開始する。
ここでも、事前に接触を続けていた連合軍が、先手を取ることができた。
しかも連合軍は、2隻の駆逐艦を先行させてさらに詳細な情報収集を行わせていたので、射程距離ギリギリからの砲撃戦を開始した。
対してフランス艦隊は、敵のど真ん中で観測機を出すことも難しいため、レーダー情報と目視が頼りだった。
このため砲撃戦は3万メートルを切らねば行うことは難しく、《ジャン・バール》搭載の15インチ砲の優位も活かせなかった。
しかしフランス艦隊は、敵が数の少ない自由イギリス艦隊と知って、勝算を持っていた。
それはフランス艦隊の戦艦(戦列艦)の主砲が全て艦の前に装備されている点だ。
フランス艦隊は、この利点を戦術面で活用するべく、敵隊列への突進を基本戦術としていた。
ようするに、T字を描く自由イギリス艦隊に対して、「ネルソンタッチ」のような中央突破を図ろうとしたのだ。
間違いなく、トラファルガー沖海戦の意趣返しを画策したのであり、フランス艦隊は速度を上げたまま自由イギリス艦隊の戦艦隊列へと突進した。
フランス艦隊の動きは、回頭と同航戦を企図していた自由イギリス艦隊の意表を突いた。
フランス艦隊が自由イギリス艦隊への突進を続ければ、自由イギリス艦隊がどれだけ回頭しても、同航戦に移行することはできない。
しかも回頭しすぎると、敵に上陸船団への突入路を明け渡してしまう形になってしまう。
このため自由イギリス艦隊は、同航戦の予定を棄てて敵に舷側を見せた状態で砲撃を開始する。
自由イギリス艦隊の不退転と言える動きは、フランス艦隊を少なからず動揺させた。
それは、フランス艦隊の目的は突破であって、「潰し合い」ではないからだ。
フランス艦隊としては、自由イギリス艦隊が同航戦を挑もうとした所をすり抜けて、高速を利して一気に敵上陸船団に突撃するところにあった。
この場合、少しの間だけ同航戦になるが、速度差からほとんどまともに組み合わずに終わると考えられた。
しかし正面からの潰し合いとなってしまうと、例え勝ったとしても次の戦闘が出来るという保障がない。
しかも、現在進行形で行われている各地での各国艦隊と連合軍との艦隊決戦が、枢軸側の思惑通りに運んでいないので、退路を考えると尚更大きな損害は許容できなかった。
そして戦艦同士の戦いは、遠距離すぎたら高い角度からの一撃に注意が必要で、近距離になると命中率が上がって損害が増してしまう。
フランス艦隊としては、中間ぐらいの間合いで自由イギリス艦隊が同航戦を挑んで来ることを期待していたが、フランス艦隊が焦りを見せた時点で既に相対距離は2万メートルに迫りつつある。
にもかかわらず、自由イギリス艦隊は前から動く様子を見せなかった。
しかも、距離2万5000メートルあたりから、双方に被弾が発生するようになっていた。
まっすぐ進むことで舷側への被弾は減るのでフランス艦隊に優位だが、結局上から落ちてくる砲弾の前には、上面への被弾率はそれほど変わらなかった。
しかも相手は、旧式戦艦といえど砲撃に熟練していた。
一番の弱敵とみていた巡洋戦艦 《レパルス》は、歴戦の艦である事を証明するように一番の命中弾を出していた。
対してフランス艦隊の攻撃だが、自由イギリス艦隊ほどではないが命中弾は出ていた。
《ダンケルク》《ストラスブール》は、小型の高速戦艦ながらカリブでも奮闘した歴戦の艦なので、多くの命中弾を得ていた。
しかし33センチ砲では、近代改装されて防御甲板などの厚さを増した《ウォースパイト》《クィーン・エリザベス》の装甲を打ち抜くには、少し力が不足していた。
33センチ砲は、口径も長いので主砲の威力は自由イギリス艦隊の42口径15インチ砲に匹敵するのだが、やはり小口径砲には限界があったということだろう。
対して、自由イギリス艦隊の42口径15インチ砲が打ち出した砲弾のうち2発は、《ダンケルク》《ストラスブール》の防御甲板を貫いていた。
幸い致命傷は至っていないが無視できる損害でもなく、旧式でも格上の相手では正面からの長期戦は厳しかった。
そうして砲撃戦もたけなわとなったが、フランス艦隊に暗雲が立ちこめる。
旗艦にして新鋭戦艦の《ジャン・バール》の主砲の半分が、突如沈黙してしまったのだ。
しかもこの沈黙は、被弾による損害ではなかった。
砲弾命中の衝撃による故障でもなく、自らの射撃による故障だった。
4連装砲塔は国を問わず故障が多いが、就役から日が浅いほど故障率は高い傾向にあった。
それが、連続した斉射によって引き起こされた形だった。
しかも《ジャン・バール》は、フランスが開発した超重量弾を用いていたせいか、この時点で敵に1発しか命中弾を与えていなかった。
その1発も、敵旗艦 《ウォースパイト》の後部を破壊するも、砲撃戦に影響を与える損害ではなかった。
しかもほぼ同時に、《ダンケルク》も《クィーン・エリザベス》からの被弾によるバーベットの歪みで、2つあるうちの2番砲塔が旋回不能になってしまう。
これで艦隊全体の砲撃力は、3分の2に低下してしまう。
4連装砲塔は舷側部を短くするなど利点も多いが、こうした被弾による戦力減少が大きいという欠点もあった。
対して自由イギリス艦隊は、3隻とも被弾による煙を上げていたが、依然として砲撃力は全く衰えていなかった。
この時点で、フランス艦隊は砲撃戦の早期切り上げと、離脱を考えるようになってしまう。
敵地深くで、大きな損害を抱えた上での孤立を警戒したからだ。
ここにドイツかイギリス本国艦隊の突破報告でもあれば話しは全然違うのだが、朗報はどこからももたらされなかった。
逆に、空母部隊が激しい攻撃に晒されている報告や、ドイツ艦隊の前に日本艦隊が立ちふさがったなど、悲報ばかりが入っていた。
しかも自由イギリス艦隊は、距離2万メートルを切るという時点でも、巧みな艦隊運動でフランス艦隊と上陸船団の間に立ちふさがり続けていた。
ここからは潰し合いであり、しかも速度を増していた巡洋艦戦隊と水雷戦隊の戦闘も開始されつつあった。
重巡洋艦同士の戦いだとフランス艦隊が圧倒的に有利で、水雷戦隊は駆逐艦の火力と隻数から自由イギリス艦隊がやや有利だった。
何しろ自由イギリス艦隊の駆逐艦の半数は、アメリカ海軍最新鋭で排水量2500トン以上もある小型の軽巡洋艦のような《アレン・M・サムナー級》だった。
撤退するチャンスは、ほぼ今しか無かった。
自由イギリス艦隊は、守りに徹しているので追撃してくる恐れも少ないし、他の連合軍艦隊も別の敵に忙殺されていた。
そしてフランス艦隊としては、北大西洋方面に抜けてしまえば、そのまま大きくアイルランド島を迂回してフランス北西部まで逃れられる可能性が高かった。
そしてフランス艦隊を率いるジャンスール大将が撤退を決意しかけていたその時、イギリス本国海軍の主力艦隊からの通信が入る。
「我、敵艦隊を突破しつつあり。
全ての枢軸艦隊は敵上陸地点に突撃せよ。
神の加護があらんことを(May God bless you)」
◆
ドイツ海軍の主力艦隊が完全に敗北し、フランス海軍の主力艦隊が独自撤退を決意しかけていた少し前、イギリス本国海軍のA部隊は、アメリカ海軍の2つの主力艦隊に挟み撃ちに陥りつつあった。
目の前には、海峡の入り口から現れたデイヨー提督率いる第61任務部隊、後ろに回り込みつつあるのが、既に一度反航戦を行ったリー提督率いる第24任務部隊。
合わせて戦艦20隻もの大艦隊で、これに対してイギリス本国艦隊は新鋭戦艦ばかりとはいえ、戦艦は8隻だけ。
本来はイギリス本国艦隊も大艦隊なのだが、相手が悪すぎた。
だが、イギリス本国艦隊は奮闘し、デイヨー少将の艦列に混乱を生じさせることに成功していた。
《オクラホマ》轟沈、《ネヴァダ》大破戦線離脱、《カリフォルニア》舵故障。
続けざまに起きたこの3つの損害で、イギリス本国艦隊に対して「蓋」を担っていたアメリカ艦隊の隊列が乱れた。
イギリス艦隊を率いるホランド提督はこの機を逃さず、全艦隊に突撃を命令した。
ホランド提督が突撃を命じた理由は二つ。
本命のドイツ艦隊を日本の主力艦隊が迎撃した事。
そして自分たちの進む先に、今以上の主力艦隊が居ないことだった。
すでにフランス艦隊が自由イギリス艦隊と激突していることも伝わっていたので、この時点ではイギリス本国艦隊のA部隊こそが敵上陸船団に突撃できる本命となっていたのだ。
しかし、突撃すると言っても簡単ではなかった。
混乱しているとは言え、前面にはまだ戦艦8隻(戦力としては6隻)を有する艦隊が混乱しつつも立ちふさがっていた。
しかもうち2隻は、かつて「ビッグ7」の一角だった16インチ砲搭載戦艦の《コロラド》と《メリーランド》。
徹底的に近代改装されている事もあって、新鋭戦艦にとっても十分に強敵だった。
さらに補助艦艇でも、敵の方が圧倒的に優位だった。
そしてその強力な旧式戦艦部隊は、自らの混乱と敵の突撃を受けて、自らの行動方針を完全に守勢にしてしまう。
つまり同航戦を選んで転進し、一時的に砲撃を中断したのだ。
すかさずA部隊は突撃を強める。
そしてアメリカの旧式戦艦群が同航状態に入り、速度の優位から徐々に追いつき、そして追い越すときに、全友軍に対して敵を突破しつつあると電文を発した。
この時点でA部隊司令部は、自らの生還の見込みは薄いが、作戦の成功は達成されると考えていたことになる。
しかし、アメリカ艦隊も手をこまねいていたわけではない。
イギリス本国艦隊が速度を落とさず突進しているので、巡洋艦戦隊、水雷戦隊は各部隊指揮官の独断という形で既定を無視した速度に増速した。
艦隊司令部も、速度制限を無視して良いと既定を無視する命令を出している。
さらに高速発揮できる《アイオワ級》戦艦4隻を戦艦隊列から分離させて、巡洋艦戦隊と共に突撃させた。
一部巡洋艦よりも速い速力33ノットの発揮が可能な《アイオワ級》だから出来る荒技だった。
しかもこの時の《アイオワ級》4隻は、僅かな時間だけだったが機関のリミッター解除による本当の全力発揮で突進している。
このため戦艦とは思えぬ波を立てて、33ノット以上の速力を記録した。
しかも実質的に隊列を解いて2隻ずつのペアで行動することで、隊列維持の手間も最小限としていた。
そのあまりの速度は、先行する巡洋艦などに追いつかんばかりだった。
そして残りの各戦艦は、砲弾を命中させることよりも、突撃を支援するための煙幕としての弾幕射撃を重視して、とにかく多数の砲弾を敵艦隊に送り込んだ。
この砲撃では、どうせ当たらない遠距離射撃だと言うことで、後続となっていた第24任務部隊の残る6隻の戦艦は、非常に珍しい事に超遠距離での見越し射撃という名目で、射撃速度限界の射撃を実施している。
あまりに早く射撃したため、故障した砲が幾つも出たほどだった。
イギリス艦隊の突撃と、アメリカ艦隊のなりふり構わない戦闘姿勢により、戦闘は一気に過密さを増し、さらに混沌とした度合いを深めた。
そうした中でも活躍したのが、両軍の旧式戦艦だった。
アメリカの新型艦は距離が有りすぎるか、超全速での突進中のため、まぐれ当たりを除いて砲弾がまともに命中しなかった。
イギリスの新鋭戦艦は、《ライオン級》が就役から日の浅い艦が多いので練度が十分ではなかった。
アメリカの旧式戦艦は、旧乗組員を引き抜かれて練度が落ちている艦も多かったが、十分に有力な戦力となる《コロラド》《メリーランド》《テネシー》はそれほど引き抜かれていなかった。
だからこそ、戦闘中盤でも多くの命中弾を出したし、隊列が混乱してもその最中でも敵への的確な攻撃を続けていた。
しかもデイヨー提督の艦隊は、T字から同航戦へと移行する航路を進んでいるため、イギリス艦隊も簡単には突破しきれずに攻めあぐねていた。
イギリス艦隊の旧式艦といえば巡洋戦艦 《フッド》だが、同艦は先ほど《オクラホマ》を轟沈させたばかりだったが、次の目標とした《アイダホ》にも相次いで痛打を浴びせかけていた。
しかし、その活躍のため敵に目を付けられ、また隊列の最後尾と言うこともあって、急速に追いついてきた《アイオワ級》4隻の集中砲火を浴びることになる。
《アイオワ級》は高速発揮時の船としての安定性が非常に低く、さらにスーパーヘビーシェル(超重量砲弾)は遠距離での命中率が悪いため、遠距離砲撃の命中率が非常に低かった。
この事は乗っている者達も十分に理解するようになっていたので、距離15海里まで砲撃は再開しなかった。
だが、常識外れの健脚で短時間で距離を詰めると、まともな速度まで減速して一気に速射を開始する。
まるで巡洋艦か駆逐艦のような戦いぶりだった。
この時点で、デイヨー提督の艦隊の水雷戦隊と巡洋艦が距離を詰めて、イギリス側の巡洋艦と水雷戦隊との激戦を開始する。
互いの距離は10海里(1万8000メートル)を切る当たりから巡洋艦同士の砲撃戦が開始されていたが、距離1万を切ると8インチ砲弾でも十分に命中弾が出るようになる。
ここまで戦闘が進むと、もはや「混沌」という言葉相応しく、英米の軍人達は「魔女の大釜」と欧州的表現でこの時の様子を述懐することになる。
「魔女の大釜」は約10分ほど続いたが、次第にイギリス本国艦隊の劣勢が明らかになっていった。
基本的にアメリカ艦隊は、後方からの追撃がうまく行かなくても、何とか敵を包囲下においていた。
特に戦艦以外の艦艇が高速発揮でイギリス艦隊に追いつき近づいてしまうと、戦力差が如実に現れてしまう。
イギリス側の巡洋艦と水雷戦隊は、前に立ちはだかるデイヨー提督麾下の巡洋艦と水雷戦隊との戦いに忙殺されていた。
このため後方には、途中から合流した《ハント級》護衛駆逐艦5隻の小さな艦隊が殿を務めていた。
彼らは煙幕展開をして時間を稼いでいたが、1000トンほどの排水量に10.2cm砲4門の武装では、限界があった。
しかも対潜用の艦艇のため、魚雷も装備していないので時間稼ぎの雷撃すら無理だった。
そこにアメリカ海軍最強の重巡洋艦戦隊と水雷戦隊が攻撃してきたのだから、まともにぶつかってはひとたまりもなかった。
各艦は煙幕を展開しつつ回避に専念して時間を稼いだが、猛烈な射撃の前に次々に被弾し、1隻また1隻と蜂の巣にされ火だるまとなっていった。
そうして稼いだ時間は限られており、イギリス本国艦隊が突破しきる前にアメリカ側の戦艦以外の艦艇群が追いついてしまう。
これで水雷戦隊による包囲は完成し、戦艦隊列にも8インチ砲弾が落ちるようになる。
この事態に、巡洋戦艦 《フッド》は「不関旗」つまり艦隊司令部の命令に従わない旗を掲げて隊列を離脱。
後方のアメリカ艦隊への攻撃を開始する。
本来「不関旗」は航行の自由を失ったときに掲げる信号だが、《フッド》は「不関旗」を嘘の口実にして殿を買って出たのだ。
《フッド》の転進と反撃で、リー提督麾下の重巡洋艦群は一時的な混乱に見舞われた。
いかに最新鋭の重巡洋艦といえども、戦艦の砲弾を受けては歯も立たない。
事実、最初に目標とされた《ボストン》は、回避機動を行う前に2発を被弾して、機関部を打ち抜かれて大破戦線離脱を余儀なくされた。
次に戦隊旗艦の《ボルチモア》が、速射を浴びて艦橋に1発を被弾。
司令部は何とか無事だったが、アンテナなど損害で指揮継続が難しくなる。
しかもさらに1弾が命中して主砲を一つ吹き飛ばした。
このまま壊滅するのではと思われたほどだが、そこに《アイオワ級》戦艦4隻が、少し後方から集中砲撃を開始する。
《フッド》も目標を《アイオワ》に変更したため、アメリカ側の重巡洋艦群も隊列を立て直す余裕ができた。
しかしこれで、戦艦隊列へ突撃する水雷戦隊の支援が少しの間出来なくなった。
このため水雷戦隊も、過剰な接近をしばらく諦めざるを得なくなる。
そして《フッド》と《アイオワ級》という、両軍最強の高速戦艦同士の戦いとなる。
とはいえ、流石に結果は戦う前から決まっていた。
《フッド》は奮闘し、目標とした《アイオワ》に3発の命中弾を浴びせて判定小破の損害を与えたが、戦艦としては防御が甘いと言われる事もある《アイオワ級》とはいえ、流石に42口径15インチ砲弾でバイタル・パートを撃ち抜かれる事はなかった。
逆に4隻合計36門(※砲撃したのは前部の24門)もの50口径16インチ砲が雨霰を降り注ぎ、それまでほとんど無傷だった《フッド》は、短時間の間に複数の砲弾を被弾する。
戦争半ばに徹底した近代改装を施したとは言え、《フッド》は巡洋戦艦だった。
しかも1.2トンもある16インチ砲弾が命中しては、流石に防ぎきれなかった。
被弾したそこかしこが破壊され、戦闘力も一気に殺がれてしまう。
あと一押しすれば《フッド》は沈まないまでも完全な沈黙を余儀なくされただろうが、撃沈ではなく撃破を第一に考えていたアメリカ艦隊は、《フッド》にトドメは刺さず目標を敵本隊へと移した。
これは大型戦艦を砲撃のみで沈めきるのは非常に手間だからで、《アイオワ級》4隻が情けを掛けたワケでも手を抜いたワケではない。
戦闘力を奪った後は、水雷戦隊の仕事だからだ。
実際この時の《フッド》は、全艦から煙を噴き上げ2つの砲塔が破壊されるなど主砲戦能力を実質的に半分以上失っていた。
副砲など他の火器も半数近くが破壊され、機関部も4分の1が破壊されて高速発揮も無理になっていた。
幸い水面下のバイタル・パートは打ち抜かれていなかったが、もはやまともな戦闘力は残されていなかった。
このため《フッド》は、「我損傷大ナリ。
コレヨリ独自ニ待避ス。
貴艦隊ノ武運ヲ祈ル」と司令部に伝えて、敵のいないマン島北方海上に向けた待避を開始している。
この後、《フッド》は、アメリカ艦隊が駆逐艦を5隻しか差し向けなかった事と巧みな航路選択、さらに一緒に待避した《ハント級》駆逐艦の生き残り2隻との共同作戦で、共に戦場からの離脱と退避に成功した。
だが、ノース海峡での戦闘はまだ続いており、それ以外のイギリス各沖合での戦闘も続いていた。
「魔女の大釜」は、まだまだ災厄を吹き出し続けていた。