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日米蜜月  作者: 扶桑かつみ
91/140

フェイズ61「WW2(55)ノースアイルランド上陸作戦5」-1

 1945年6月7日の夜が明けた頃、連合軍は敵が戦艦多数を擁する主力艦隊を橋頭堡と船団にぶつけてくることを予測していた。

 イギリス海軍の主力艦隊が、これ見よがしに迫っているから間違いようのない「予測」だった。

 

 しかし、これこそが囮ではないかという意見も強かった。

 本来なら夜間に上陸地点に到達して攻撃し、闇夜に紛れて逃げるのが定石だからだ。

 もしくは、深夜に危険度の大きい海峡突破をするべきだ。

 それを白昼堂々突破して、昼間のうちに艦砲射撃を仕掛ける積もりに見えたからだ。

 この場合、夕闇と共に去って闇夜の中逃走することが出来るので、メリットがないわけではない。

 だが、それでもより危険度が高かった。

 

 だからこそ連合軍の空母部隊は、勇敢に突撃してくる戦艦部隊を無視して、敵空母と航空戦力の撃滅に全力を傾けた。

 戦艦こそが、戦力分散させるための囮と考えたからだ。

 だが、放って置くわけにもいかないので、対応する戦力も準備した。

 

 迫り来るイギリス主力艦隊に対しては、少しばかり感傷的に連合軍も主力艦隊で迎え撃つこととなる。

 感情的には、昼間砲撃戦を臨むべく挑戦状もしくは白手袋を叩きつけられたと解釈したし、現状では空母部隊や空軍機の空襲のため、空母艦載機に暇がない可能性が高いからだ。

 それに連合軍は、枢軸海軍が戦艦部隊をぶつけてくると当初から想定していた。

 自分たちが敵の立場でも、同じ事を考えたからだ。

 特に日本海軍の将校達は、枢軸側の考えを正確に「予測」していた。

 「キャプテン・マッド」と呼ばれた神大佐などは、お国言葉丸出しで「他にあり得ませんど」と断言していた。

 

 そして日米海軍の指揮官たちは、できるのなら艦隊決戦がしたかった。

 自らの願望と敵への礼儀を満たすには、それが一番だからだ。

 


 連合軍の主力艦隊は、大きく3つあった。

 アメリカ海軍のリー提督率いる第24任務部隊。

 デイヨー提督率いる第61任務部隊。

 日本海軍の宇垣提督率いる第二艦隊だ。

 さらに自由イギリス海軍は、自分たちのなけなしの戦艦を割いて万が一の事態に備えていた。

 これ以外では、日本の空母機動部隊に高速戦艦が随伴しているだけになる。

 

 だが、戦艦部隊だけで迎撃するわけではなく、イギリスの主力艦隊に対しては付近に展開していた潜水艦部隊に攻撃命令を下していた。

 


 ポーツマスを出発した時、イギリス海軍の戦艦部隊は以下の陣容だった。

 


・A部隊(主力艦隊)(指揮官:ホランド大将)

 BB 《ライオン》 BB 《テレメーア》 BB 《サンダラー》 BB 《コンカラー》

 BB 《キング・ジョージ5世》 BB 《アンソン》 BB 《ハウ》

 BC 《フッド》

 CG 《ノーフォーク》 CG 《サセックス》 CG 《ロンドン》

 CL:2隻 DD:9隻


 A部隊とは、大戦が始まってから一番最初に設立された艦隊の事であり、本国艦隊の主力艦隊を意味していた。

 これはドイツとの戦争が始まってから変化がなく、艦艇が入れ替わりながらも維持されていた。

 

 そして1945年の初夏のこの時、A部隊は開戦以来最大級の戦力となっていた。

 駆逐艦と巡洋艦の数は少なかったが、少なくとも戦艦の数では最大級となっていた。

 しかもほとんどが建造から5年以内の新鋭戦艦ばかりという状態は、第一次世界大戦以来の出来事だった。

 

 そして本来なら勝つために進むのだが、彼らはむしろ負けるために進んでいた。

 もし仮に勝つような事があった場合は、余程の偶然と奇跡と神の恩寵が積み重なったという事でないのなら、作戦自体はむしろ失敗していた。

 彼らが負けるほどの戦力を連合軍がぶつけてくるのが、作戦の前提条件だからだ。

 それほど刹那的な出撃であり、英国最精鋭のA部隊は正々堂々負けるために戦場へと向かった。

 

 枢軸海軍内でのこの作戦立案に際して英本国海軍は、「本国防衛の為の艦隊決戦の名誉を譲るワケにはいかない」、「貴国には得意の輸送船狩りをお任せしたい」と言ったと言われている。

 

 対するのは、主にアメリカ海軍だった。

 

 全ての新鋭戦艦で固めた第24任務部隊が主力で、すぐ後ろには第61任務部隊が敵からは島のレーダーの影になるように展開していた。

 

 迎撃場所はノース海峡の南側。

 ここを突破されるとむしろ連合軍が窮地に陥るが、狭い海峡では迂回やすり抜けることが難しいので、大軍で進路を塞いで集中砲火を浴びせれば十分に勝利できると考えられていた。

 撃滅ではなく後退に追いやれば連合軍の勝利なので、尚更勝算は高いと考えられていた。

 

 ただし海峡の両岸は敵地であり、またイギリスにとっては中庭のような場所なので細心の注意を払って布陣していた。

 


 イギリス本国艦隊A部隊の進撃は、順調とは言えなかった。

 

 イギリス海峡を抜けてアイリッシュ海をブリテン島に沿って進んでいるとき、複数の潜水艦からの襲撃を受けた。

 

 A部隊の行程は、全部で約1000キロ。

 18ノットで真っ直ぐ進んだとして約31時間かかる。

 途中で潜水艦を警戒したジグザグ航行を行わなくてはならないので、2時間ほど余計に時間がかかってしまう。

 そして6月7日の昼から、できれば午後6時くらいに敵上陸船団に攻撃を開始するスケジュールで進むので、6月6日の朝にポーツマス沖で陣形を整えて進軍を始めていた。

 

 だがこの行程だと、危険の大きいアイリッシュ海(=北大西洋に隣接した海)は主に深夜に通過しなければならなかった。

 夜間だと目視監視が難しく、沿岸から飛来する友軍の対潜哨戒機もレーダー監視しかできないので、どうしても守りが手薄になってしまう。

 そしてそこを、連合軍の潜水艦が突いてきた。

 

 戦艦はブリテン島寄りに隊列を組んでいたので無事だったが、主力で一番外側の巡洋艦が餌食となった。

 

 アメリカ海軍の精鋭《ガトー級》潜水艦複数によるレーダーを用いた遠距離雷撃により、《サセックス》と《ロンドン》が相次いで被弾。

 特に《サセックス》は潜水艦魚雷、しかも高性能火薬を搭載した酸素魚雷が4本も命中したため、ほとんど轟沈といえる時間で沈んでしまった。

 《ロンドン》は2本で済んだので撃沈は免れたが、何とか自力航行できる程度にまで速力が落ちてしまう。

 しかたなく護衛に駆逐艦1隻を割いて引き返させたが、これで3隻の艦が沈むか脱落してしまう。

 

 A部隊は、その後すぐに潜水艦を振り切るため増速して海域を突破し、友軍機もさらに数を増して支援したので、さらに損害を受けることは無かったが、先が思いやられる損害だった。

 だが6月7日は、進撃自体は静かに行われた。

 連合軍は偵察機こそ送り込んできたが、それも防空任務の友軍機が追い払った。

 覚悟した空襲もなく、その日の昼を迎えることが出来た。

 

 しかし、連合軍は攻撃を諦めたわけではなかった。

 

 まるで西部劇のガンマンのように、彼らは偵察機という決闘状を送りつけてきて、自分たちは決闘場で待ちかまえていたのだ。

 


 7日の午後2時頃、両軍の戦闘機部隊が敵の偵察機や、連合軍の護衛空母から飛び立った少数の攻撃機などを追い払う中、互いに接近する。

 周辺の空域では、そこかしこで両軍の航空機が激しい戦いを繰り広げていたが、ノース海峡の南側は比較的静かだった。

 

 場所はノース海峡の南の入り口付近。

 ここにアメリカ海軍のリー提督率いる第24任務部隊が重厚な陣容で布陣していた。

 しかも最初から「T字」を描く形で戦艦部隊が位置しており、巡洋艦戦隊、水雷戦隊はすぐにも突撃できる構えだった。

 まさに「待ちかまえていた」という表現が相応しい状態だった。

 

 ただし、海峡の北東から南西に抜けるように移動していたので、英艦隊の動き方によっては反航戦になる可能性の高い陣形でもある。

 海の広さがないので仕方ないが、これがワナにも見える動きだった。

 

 そうして遠望できたアメリカ艦隊を見て、イギリス艦隊の司令部ではため息に近いうなり声が漏れた。

 アメリカ艦隊が想定よりも強化されている事と、アメリカ艦隊しかいない事だ。

 

 枢軸側の目論見としては、日米双方の主力艦隊がこの場にいなければならなかった。

 米主力艦隊と共に日本艦隊が整然と隊列を組んでいる状態こそが、英主力艦隊が想定していた敵の陣形だった。

 それが作戦全体の成功条件だからだ。

 

 しかし確認できる限りでは、アメリカ海軍の尖塔のような艦橋を持つ戦艦の隊列しか見えなかった。

 

 だがそれだけで、自分たちを圧倒する戦力だった。

 


 アメリカ海軍第24任務部隊(指揮官:リー中将)

 BB 《モンタナ》 BB 《オハイオ》

 BB 《アイオワ》 BB 《ニュージャージ》

 BB 《ミズーリ》 BB 《ウィスコンシン》

 BB 《インディアナ》 BB 《サウスダコタ》

 BB 《アラバマ》 BB 《マサチューセッツ》

 BB 《ワシントン》

 CG 《ボルチモア》 CG 《ボストン》 CG 《ピッツバーグ》 CG 《セント・ポール》

 CL:3隻 DD:18隻


 以上が編成で、戦艦だけの隊列と巡洋艦の隊列、駆逐艦の隊列に分かれていた。

 しかも艦艇の全てが、大戦が始まってから就役した新鋭艦艇で編成されていた。

 しかもこの戦いに際して、アメリカ海軍は期待の新鋭戦艦を、当時のアメリカにしか出来ない建造速度で間に合わせていた。

 欧州枢軸はまず間に合わないと考えていたのだが、アメリカは過剰な人員と資材を投じて、3交代24時間体制の建造で巨大戦艦を作り上げたのだ。

 

 アメリカが送り込んできたのは、《モンタナ級》戦艦だった。

 

 全長280メートル、基準排水量6万500トン。

 主砲は《アイオワ級》にも搭載されている3連装の50口径16インチ砲が4基12門。

 両用砲の数は他と変わらないが、新型の54口径砲を搭載していた。

 何より本クラスの特徴は、その防御力にある。

 《アイオワ級》は排水量の問題と高速戦艦という面を突き詰めたため、装甲防御力は十分ではなかった。

 だが本クラスは、自らの強力な16インチ砲弾に対して万全の装甲が施されていた。

 それどころか、部分的には日本海軍の46cm砲にも対応できるほどだった。

 枢軸側の16インチ砲に対しては言うまでもない。

 

 最高速力は27ノットに抑えられていたが、アメリカ海軍伝統の重武装、重防御型戦艦の完成型と言えるだろう。

 本クラスは5隻計画されており、残り3隻は主砲を48口径18インチ砲連装4基8門として、防御力、機関出力を強化した形で建造が進められていた。

 これら3隻は後期型、《改モンタナ級》または《ルイジアナ級》と呼ぶ。

 

 なお《モンタナ》は45年2月、《オハイオ》45年5月に就役したばかりだった。

 《オハイオ》は細部の工事を残したままで、戦闘ギリギリまで工員が残って一部工事を続けていたほどだ。

 乗組員の訓練も、建造半ばから完成した場所から開始され、一部は他の艦や実物大模型を使っての代替訓練までしていた。

 このため選抜されたとは言え乗組員の練度に若干の不安を抱えていたが、レーダーも最新鋭を搭載していたので砲撃精度の甘さは技術力でカバーできると考えられていた。

 

 また、最新鋭レーダーを多種多数搭載しているのは他の戦艦も同じで、性能はイギリスと同等か勝るほどだった。

 つまりイギリス海軍に対して劣る点は全く存在しないわけで、アメリカ海軍、いや連合軍はイギリス海軍の主力艦隊の迎撃はアメリカ艦隊だけで十分と考えての布陣だった。

 

 だが、戦場では何が起こるか分からないので、念のための後詰めとしてデイヨー提督の艦隊が敵から伏せるように配置されていた。

 日本艦隊がこの場にいないのは、連合軍としては当たり前だったのだ。

 

 しかしイギリス艦隊は、当たり前だと納得するわけにはいかなかった。

 全ての敵を引きつけてこその囮であり、囮の役割が果たせていないからだ。

 このため戦闘方法の変更が行われた。

 本来なら敵を引きつけつつねばり強く戦う予定だったが、この場にいない戦艦部隊も引き寄せないといけないので、損害に構わず敵陣奥深くに突撃することとされた。

 目の前の艦隊を突破さえすれば、後詰めの敵艦隊も出てくるだろうとこの時のイギリス艦隊も予測していた。

 

 一方の連合軍というよりアメリカ海軍は、豊富な戦力を活用してイギリス艦隊の包囲殲滅を企図していた。

 あえて反航戦を挑むような布陣も、最終的には敵の退路を断つためだった。

 反航で交差した辺りで後詰めの第六艦隊の戦艦部隊が島の影から出現して前を塞ぎ、その段階で主力艦隊は敵の後方に向かって突進して後ろに回り込んでしまうのだ。

 それをより確実とするため、巡洋艦群を戦艦隊、駆逐戦隊双方から分離して独立させていた。

 

 英艦隊も、二つの艦隊を相手取る可能性は考えていたが、英艦隊には突撃して少しでも多くの敵を引きつける以外の選択肢はなかった。

 

 かくして、英艦隊の増速と共に海戦の火蓋が切って落とされる。

 


 双方が敵影を認めたのは、水上捜索レーダーによってだった。

 このため、最大で50キロ近く離れていた。

 いや、ポンド・ヤードの単位を使う二つの国が相対しているのだから、約28海里と表現するべきだろう。

 

 距離がありすぎるので、まずは双方接近するしかなかった。

 互いに速力は26ノット。

 艦隊が隊列を組みながら出せる最高速度だった。

 相対速度は52ノット(約時速93.4km)なので、1分間に約0.87海里(約1560メートル)距離が詰まる事になる。

 

 そして距離が23海里まで狭まった段階で、ブリテン島とアイルランド島の昼間にあるマン島の島影から、次々に光点が映し出される。

 速度は40ノット以上で、個々の反応は中型機程度。

 しかし空中ではなく、水上レーダーが影を捉えた。

 つまり水上艦艇であり、これほどの速度を出せる高速艇といえば、高速魚雷艇しかなかった。

 


 英海軍の高速魚雷艇は「MTB」とそのままの略称で呼ばれ、第二次世界大戦の初期にドイツと戦うために整備された。

 その後敵が日米となったが、主にカリブ海では有効な戦力と判断され、開発にも力が入れられた。

 

 戦闘機エンジンをデチューンしたものを搭載するなどして速力を強化し、主にアメリカがPTボートと呼ぶ同種の艦艇を投入してきたため、武装も強化された。

 そしてカリブ海やインド洋の一部、中東などで運用され、大きな損害とそれなりの戦果を得ることができた。

 しかし戦線がヨーロッパに移ってくると、役割が変化した。

 沿岸防衛用兵器として、主に英本土防衛に役立てようとしたのだ。

 しかも英本土の北部は氷河期の名残で地形が入り組んでいるため、小型艇の潜伏場所を置くには向いていた。

 また小型艇なので北大西洋の荒波で運用することは、特に冬季にでは自殺行為だが、内海や沿岸部なら十分な機動力も維持できると見られていた。

 何より本土沿岸は、勝手知ったる海だった。

 そうして多数が建造され、各地に設置された擬装施設に配備されていった。

 

 しかし連合軍も、欧州各国が沿岸防衛用として魚雷艇を重視していることは先刻承知していた。

 地中海でも、イタリア海軍などから何度か痛い眼を見ていた。

 このため、空襲で事前に基地ごと破壊していった。

 また、高速魚雷艇は、装甲が皆無で対空火力も貧弱なので、航空機が天敵だった。

 それを見越した機体も、出来る限り配備した。

 戦闘機だと対地攻撃機としても注目された「F4U コルセア」にロケットランチャーを装備して哨戒、撃滅させた。

 空母のない艦隊には、既に役割を終えつつある兵器と見られていた水上機が多数配置された。

 上陸作戦の為には、主に特設艦だが水上機母艦も多数動員された。

 このため日本海軍では、高速水上機母艦を軽空母に改装するべきではなかったのではないか、という議論まで起きた。

 

 しかし高速魚雷艇はあくまで支援兵器であり、撃退する機体も連合軍にとっての重要度は低かった。

 そのためアメリカでは専用機などは用意されず、日本で開発された水上爆撃機の「彗雲」(の改良型)を追加発注することで凌いでいる。

 「彗雲」は大元の日本海軍でも、かなりの数が配備されていた。

 自由英連邦軍など各国でも使われ、連合軍で最も使われた水上機の一つとなった。

 

 「彗雲」は水上機ながら急降下爆撃も可能な上、翼に20mm機銃を装備するなど攻撃力が豊富だった。

 エンジンを強化した後期型は、ロケットランチャーも搭載できた。

 だからこそ高速魚雷艇狩りに重宝され、加えて急降下爆撃能力があるので対潜哨戒にも使えるので、カリブ海での戦いから連合軍で愛用された機体だった。

 

 ノース海峡の戦いに際しても、搭載機能を保持していた各戦艦、巡洋艦に搭載されていた。

 着弾観測の必要性が大きく低下してたが、この作戦では魚雷艇対策として多くの艦船が一度は降ろした「彗雲」を搭載していた。

 アメリカ軍では、「彗雲」用に水上艦艇用のカタパルトを開発して装備したほどだった。

 

 この戦闘でも50機近い彗雲が配備されており、海戦前から3分の1が翼にロケットランチャーを装備して戦闘哨戒任務についていた。

 そして敵魚雷艇部隊出現の報告を受けると、各艦のカタパルト上で発進待機していた「彗雲」が、次々に放たれていった。

 


 英海軍の高速魚雷艇「MTB」部隊は、もともとノース海峡近辺に配備されているものは殆ど無かった。

 スコットランド北部の部隊は多くが壊滅状態で、生き残りは南西部のコーンワル半島に多数が配備されていた。

 ノースアイルランドは沿岸の地形が単純なので隠蔽場所がなく、一部の港湾などに配備されていたが数は少なかった。

 そして連合軍の英本土侵攻が明らかになった段階で、急いで配置転換を開始した。

 この移動は主に夜間に行われたが、海路で間に合わないものは基地にクレーンと戦車用の大型トレーラーを送り込んで、陸路でブリテン島を横断して想定戦場の近くの沿岸まで運ばれていた。

 

 数は資料によって様々だが、約50隻程度あった。

 中には、ドイツ製の「Sボート」の姿も見られた。

 

 なお「MTB」は複数の種類があり、この時も一つの種類ではないが、基本的には45cm魚雷を2本装備している。

 アメリカ海軍だと4本装備の重武装が基本だが、これはアメリカ海軍が贅沢なだけで、2本装備が各国でも一般的だ。

 

 ともかく、戦艦同士の砲撃戦を目前にして、俄に高速魚雷艇と水上機の戦いが始まる。

 

 英本国海軍の魚雷艇は、対艦用にも使える6ポンド砲と機銃1丁が基本武装だが、この頃には連装機銃2基程度乗せるのが基本スタイルだった。

 しかしあくまで魚雷が主武装で速度が命なので、大型の機銃は搭載されず、20mm砲かアメリカ製の不法ライセンス生産(※アメリカは参戦後に枢軸側のライセンスを停止していた。)となるM2 12.7mm機関銃が搭載されている事が多かった。

 

 そして魚雷艇と水上機の戦いだが、圧倒的に魚雷艇が不利だった。

 遮蔽物のない開けた海を、敵艦隊に向けてひたすら突撃するより他無い魚雷艇に対して、「彗雲」の方は思い思いの好位置からロケット弾か機銃を見舞った。

 しかも2〜3機の編隊(各艦ごとのチーム)で1隻ずつ確実に仕留める戦いを行ったため、魚雷艇部隊は確実に数を減らしていった。

 

 しかし数が多すぎるため、全てを撃沈することは出来なかった。

 

 そして魚雷艇部隊がアメリカ艦隊の駆逐戦隊の一部に近づく頃、戦艦同士の砲撃戦が遂に始まる。

 ある意味駆逐艦の先祖帰りした任務に回帰したわけだ。

 そして本来なら空に向かう40mm機関砲なども迎撃に回すため、魚雷艇は攻撃する間すら与えられず粉砕されていった。

 

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