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日米蜜月  作者: 扶桑かつみ
90/140

フェイズ60「WW2(54)ノースアイルランド上陸作戦4」

 空母対決の連合軍の主軸が日本艦隊なのには、大きな理由があった。

 

 日本艦隊の分散よりアメリカ艦隊の分散の方が理に適っているという理由もあるが、この場合は日本海軍が新たに搭載してきた艦載機の攻撃能力が買われたからだった。

 


 日本艦隊を中心とする連合軍の空母機動部隊による反撃は、午前9時頃から開始される。

 午前6時半頃から始まった枢軸側の攻撃は、第一次、第二次合わせて1時間以上行われたが、午前8時までに完全に終了した。

 

 そして連合軍艦隊から枢軸軍機が一度姿を消すと、俄に攻撃隊の編成が始まる。

 しかし、すぐに出撃は出来なかった。

 戦闘機のほぼ全てを迎撃に回したため、彼らを一旦収容して燃料補給などの準備を行わなくてはならなかったからだ。

 また攻撃機の多くも、万が一の被弾と誘爆を避けるため燃料と弾薬の搭載が待たれていたので、搭載する時間も必要だった。

 各空母の整備兵達は、敵の攻撃が終わるのを今か今かと待ちかまえていたと言われる。

 

 そして準備を整えた上で飛行甲板に並び、そして各空母群の少し後方に空中集合した攻撃隊は壮観といえる規模だった。

 

 各空母群の艦載機数は、日米共に250〜300機程度。

 損害を受けた部隊もあるので数は若干低下しているが、それでも攻撃隊の総数として1300機の攻撃隊が編成できた。

 空母の飛行甲板の広さなどの関係で、一度に放つことは物理的に無理なので、大きく2波に分けて編成された。

 

 この時編成されたのは、第一次攻撃隊700機、第二次攻撃隊600機になる。

 各空母群が120〜80機のまとまった攻撃隊を編成し、しかも日米でそれぞれで一つの集団を形成しながらの進軍なので、一度に300機以上の大編隊を肉眼で見ることが出来た。

 

 非常に雄大な光景なので、日本軍攻撃隊を率いた当時の総飛行長の村田中佐は、先導機の後席からの眺めを一生忘れない光景だったと後世に記録している。

 


 連合軍が攻撃目標とした枢軸海軍の空母機動部隊は、大きく菱形の陣形を取っていた。

 


      《英艦隊》

← 《仏艦隊》   《独艦隊》

      《英艦隊》


 途中までいたドイツの主力艦隊は、この日の夜が明けるまでにノースアイルランド方面に進路を向けているため、既にその姿は無かった。

 この離脱はオークニー諸島の島影に紛れる形で行われたため、連合軍はまだ察知していないと枢軸側では考えられていた。

 もっとも、ノースアイルランド近海には連合軍の主力艦隊が集結しているので、連合軍は特に気にしていなかっただけという説も存在する。

 

 主力艦隊の事はともかく、枢軸側は連合軍よりも未熟ながら輪形陣を組み、各艦隊も10〜15海里離れて布陣していた。

 彼らは艦載機を収容して次の攻撃隊を放った後で、日米艦隊の大空襲を受けることとなった。

 このため両軍の大編隊は、一触即発の状態で空で交差している。

 

 日米の編隊が最初の攻撃目標に選んだのは、菱形の左右に展開するイギリス本国の艦隊だった。

 先頭を進むフランス艦隊は、艦艇数、特に空母の数が少ないため脅威が低いと判断されたため後回しにされ、半ば無視されたのだ。

 

 しかし連合軍も、まずは敵艦載機のインターセプターの洗礼を受けねばならなかった。

 

 枢軸側が用意できた邀撃機は約160機。

 攻撃隊に多めに配分したので、その分数が減っていた。

 しかも連合軍ほど効率的な配置ができないため、迎撃効率も高くは無かった。

 

 これに対して連合軍は、第一次攻撃隊だけで約250機の戦闘機を随伴させていた。

 そしてこのうち約120機は、自由に戦闘してかまわない制空部隊なので先導機と共に少し前を進んでいた。

 そして友軍の濃密で正確な偵察情報に従って位置を変更しつつ、先に敵を見つけるとすぐにも襲いかかった。

 邀撃する側が、逆に先制攻撃を受けてしまったのだ。

 

 枢軸側も艦隊にも航空管制を取り入れていたが、各国連合の艦隊な上に、偵察情報が不足するため十分な管制ができず、そして連合軍の力任せの攻撃の前に防空網は大混乱に陥ってしまう。

 

 それでも全体の半分程度の戦闘機が攻撃隊に取り付こうとしたが、彼らは直衛部隊に阻止されてしまう。

 

 結局、ほとんど邀撃できないまま、枢軸側は連合軍の攻撃をまともに受けることとなる。

 

 第一次攻撃隊の攻撃機の総数は約450機。

 うち250機が日本軍機、200機が米軍機だが、攻撃方法が少し違っていた。

 どちらにせよ連合軍より対空砲火が劣るイギリス艦隊に防げる攻撃でない上に、どちらも飽和攻撃だったが攻撃方法が少し違っていた。

 

 基本的にアメリカ海軍は、優れたドクトリンを有しているが、それでもそれぞれが好機を見て攻撃を仕掛ける傾向が強い。

 日本海軍は、何にせよ一度に集中攻撃する形を好んだ。

 だが、急降下爆撃機と雷撃機が同時攻撃するのは難しく、高い練度が必要だった。

 そしてこの頃の日本海軍は、指揮官以下ほぼ全員が熟練者であり、90%以上が実戦経験者だった。

 アメリカ軍も似たような状態だったが、空母部隊の規模が大きすぎるため実戦経験者は日本海軍よりも少なかった。

 どちらにせよ、枢軸側とは比較にならない熟練度であり、対空砲火にさえ捕捉されなければ、熟練した手腕を発揮して高い戦果を記録した。

 

 しかし先にも記したように、日米で攻撃パターンが少し違っていた。

 また、この時の日本海軍機は、雷撃ではなく急降下爆撃を重視していた。

 

 急降下爆撃は、日本海軍とドイツ空軍が最も秀でていると言われるように、どちらも重視していた。

 アメリカ海軍も機体開発に成功した影響もあって急降下爆撃を重視していたが、日独ほどではなかった。

 これには国の豊かさの度合いの違いからきているので、アメリカが日独より急降下爆撃を重視しないのは当然だった。

 急降下爆撃は精密な爆撃が出来る反面、パイロットの危険も大きいからだ。

 加えて、艦艇への攻撃で最も重要度が高いのは、魚雷を命中させることだった。

 魚雷を命中させれば、船にとって最も厄介な浸水を発生させるからだ。

 

 だが、急降下爆撃も無視できない。

 特に中小艦艇への大型爆弾の投下は、一撃で目標を撃沈に至らしめる場合があった。

 そしてこの時の日本海軍は、それを大型艦艇でも再現しようと、機材を揃え腕前と磨き作戦を練ってきていた。

 

 日本海軍の急降下爆撃の切り札は、「愛知 四式艦上攻撃機 流星」と「五式徹甲爆弾」だった。

 「流星」は無理をすれば800kg爆弾を抱えて急降下爆撃が可能であり(※装置を調整すれば2000ポンド爆弾でも可能。)、「五式徹甲爆弾」は戦艦の主砲の41cm砲弾を改造した急降下爆撃用の800kg徹甲爆弾だった。

 既に水平爆撃用の800kg徹甲爆弾は、1941年春頃から使用されて各地で高い戦果を記録していた。

 しかし水平爆撃は命中率が低く、効率が悪かった。

 特に洋上で活動する艦艇相手には、通常ならばまともな命中率は期待できなかった。

 急降下爆撃は高い命中率を期待できるが、800kgもの重荷を投下できる機体が日本海軍には無かった。

 だが、新型の「流星」には可能だった。

 少し機体性能を越えるため、投下するためには熟練搭乗員が必要となるが、当時の日本海軍には綺羅星のごとく熟練搭乗員が犇めいていた。

 そして彼らは新たな機材を与えられると、艦爆の神様と言われた江草中佐指導の元でアメリカ東部沿岸の辺境で猛訓練を実施し、この作戦までに十分な手応えを得るまでに自らを鍛え上げていた。

 訓練は非常に厳しく激しいため、見物にきたアメリカ軍将兵が「連中こそが本当のヘルダイバー」だと呆れたほどだった。

 


 急降下爆撃隊の指揮官は、ベテランを差し置いて抜擢された関行男大尉。

 彼の率いる大隊は中隊単位で分かれると、それぞれ目標とした航空母艦への投下を実施した。

 

 彼らが目標としたのは、英海軍のZ部隊。

 空母 《インプラカプル》《インディファティガブル》、軽空母 《コロッサス》《グローリー》《オーシャン》を中心とした輪形陣を組んでいた。

 彼らの目標としては、少しばかり物足りなかったかもしれない。

 

 しかも日米の空母機動部隊に比べると護衛艦艇は少なく、対空砲火も甘かった。

 このため輪形陣内に次々に躍り込み、目標に投弾していった。

 「五式徹甲爆弾」搭載の「流星」隊は4個中隊あったので、4隻の空母が目標とされた。

 そして《コロッサス》を除く全艦が、破格の徹甲爆弾を浴びることになる。

 しかも激しい対空砲火を前提として編み出した集中爆撃戦法なので、一度に全ての機体が4隻の空母に襲いかかった。

 

 《長門型》戦艦の主砲弾を改造した徹甲爆弾は、短時間の間に次々に命中のするか付近に大きな水柱を林立させた。

 水柱の大きさは、まさに大型戦艦級だった。

 そして命中した爆弾は、戦艦の装甲を貫くために作られた砲弾のため、各甲板を貫いて艦の奥深くで次々に炸裂する。

 

 最も悲惨だったのは《グローリー》だった。

 

 《コロッサス級》軽空母は、急造で速度もあまり速くない上に、回避する運動性能も今ひとつだった。

 また完成してから日が浅いため、艦長以下乗組員の艦への習熟も十分ではなかった。

 このため格好の目標とされ、小型ながら次々に命中弾を浴びて、《グローリー》には4発が船体にまんべんなく命中してしまう。

 そして最後の4発目が命中すると、全艦バラバラになるような大爆発を起こした。

 ボイラー、主機タービン室、弾薬庫など艦の最も重要な箇所もしくはその近くで炸裂したためだ。

 栄光という名を与えられた空母は、激しい爆発の中で栄光とは真逆の生涯を強制的に閉じされられていった。

 

 姉妹艦の《オーシャン》は少しマシだが、2発が命中して大打撃を受けたところに雷撃機が殺到して、短時間で沈んでいった。

 簡易構造だとか、脆いとか関係ないほどの打撃だった。

 

 そして悲劇は、重厚な装甲を鎧った筈の装甲空母にも起きた。

 

 空母 《インプラカプル》と《インディファティガブル》は、《イラストリアス級》空母の後期型にあたる。

 搭載機数の増加を図るため防御構造を簡易化して格納庫側面の装甲が無くなっていたが、飛行甲板には十分な装甲が施されていた。

 500kg爆弾までなら、直撃にも耐えられた。

 その装甲を、安全高度以下から投下された「五式徹甲爆弾」は難なく貫いていった。

 《インプラカプル》は2発、《インディファティガブル》は3発が命中し、どちらもこれだけで大破を余儀なくされた。

 幸い弾薬庫への直撃は無かったが、どちらも船体内の防御甲板までも貫かれてボイラーか主機室が破壊されたため、速力も大きな低下を余儀なくされた。

 そしてそこに、魚雷を抱えた「流星」が殺到した。

 

 唯一「五式徹甲爆弾」の洗礼を受けなかった《コロッサス》だが、こちらにも多数の急降下爆撃機と雷撃機が殺到した。

 それでも艦長の腕と運のお陰で、《コロッサス》だけがこの攻撃を何とか至近弾のみで耐え抜くことが出来た。

 

 しかし英海軍のZ部隊は、第二次攻撃隊が来る前にほぼ壊滅状態に追い込まれてしまう。

 


 W部隊は、アメリカ軍編隊の猛攻を受けていた。

 

 アメリカ艦隊とイギリス艦隊の対決は実質的にカリブ海以来だが、因縁浅からぬ関係であるためアメリカ軍は戦意が高かった。

 

 アメリカの第一次攻撃隊のうち攻撃機は約200機だが、このうち90%以上が敵艦隊へと到達できた。

 そこで対空砲火の洗礼を受けるが、やはり日米の艦隊に比べて密度の低い弾幕だった。

 しかもアメリカ軍機は日本軍機よりも頑丈なので、20mm機銃弾が1発や2発当たっても、姿勢が多少ぐらつく程度だった。

 ポンポン砲こと8連装40mm機関砲は、正常に作動すればかなりの威力だが、部分的な故障は日常的光景で、この時も例外では無かった。

 またヴォフォースの40mm機関砲と比べると発射速度、威力共に低かった。

 だからこそ連続発射できるように大きな弾倉を付けて8連装にしているのだが、十分では無かった。

 また砲座自体が大きく重いため、沢山搭載することが出来なかった。

 このため中距離機銃だと、ドイツの37mm砲(後期型)の方が有力だった。

 また、なぜ有効性が立証されているヴォフォースの機銃を採用しなかったのかという理由だが、イギリス人の頑固さと国産兵器へのこだわりと言われる事が多いが、いまだに良く分かっていない。

 分かっている事は、ポンポン砲では連合軍の編隊を撃退するには威力が不足しているという事だった。

 

 W部隊には、期待の新型空母 《オーディシャス》と《イーグル》がいたが、大柄で目立つためアメリカ軍パイロットの格好の目標とされた。

 空母 《イラストリアス》と《ヴィクトリアス》、護衛の巡洋戦艦 《レナウン》はむしろその影に隠れた形になってしまい、大型空母2隻に攻撃が集中してしまう。

 そして集中攻撃を受けると、回避することが非常に難しかった。

 就役して半年も経たない2隻の大型空母は、奮闘虚しく次々に被弾していった。

 

 2隻の新造空母は、大型で飛行甲板が装甲化されるなど頑健な構造を有するため、簡単には屈しなかった。

 米軍の急降下爆撃機「ヘルダイバー」が投下するのは1000ポンド(約450kg)爆弾なので、複数を被弾しても飛行甲板の主要部が食い破られることは無かった。

 被弾して爆発しても、装甲板が波打つ形に歪む程度だった。

 

 そして装甲空母は重心が高く魚雷に弱いため、急降下爆撃よりも雷撃に対空砲火を集中させた。

 しかし米軍も、この時の攻撃に備えた部隊を用意していた。

 それは、2000ポンド徹甲爆弾を搭載した「アヴェンジャー」による水平爆撃だ。

 水平爆撃は命中率が悪いが、装備と訓練を改善し、そして確率論などの科学的検証で数字を引き上げ、そのためにアメリカ海軍では珍しく訓練の段階から特別チームを編成した。

 言うまでもないが日本海軍の急降下爆撃隊への対抗心から誕生したもので、日米の競争が産み出した部隊と言えた。

 そして彼らは、期待に十分応えた。

 16機編成のチーム2つがそれぞれ大型空母を目標として、敵艦の回避行動を予測しつつ4機ずつで一斉に投下を実施。

 本来はまとまって投下するのと分散する点で違っていたが、機敏に避ける相手の場合はこちらの方が効果が高いと判断されたからだった。

 実際は違うという計算もあるが、彼ら特殊爆撃チームは厳しい訓練から産み出されたアクロバット飛行隊のようなチームワークを戦場でも見せつけた。

 なお、この爆撃隊のパイロットの一人に、後にアメリカ大統領、副大統領のどちらにもなる人物(当時中尉)もいて、ご夫人の名を記した愛機で攻撃に参加している。

 

 10%以下、実質3%程度、最悪1%もないと言われた命中率は、10%以上の数字を叩き出した。

 つまり4発が直撃し、どちらの大型空母にも2発ずつ命中しており、そして大打撃となった。

 至近弾となった3発も、強い衝撃波を起こして敵艦の船体に小さくない打撃を与えた。

 

 通常、艦艇に対して、2000ポンドもの大型爆弾を使用するのはオーバーキルであり、また命中率が極端に下がるので避けられるのだが、努力と執念が実ったのだった。

 

 そしてそれ以外の攻撃も十分な戦果を挙げ、攻撃全体としては15〜20%近い命中弾を与え、W部隊は壊滅的打撃を受けることとなった。

 

 なお、日米を合わせた第一次攻撃隊の命中弾数は、魚雷16本、各種爆弾31発で、艦載機発着能力を維持したイギリス空母は《ヴィクトリアス》と《コロッサス》だけになっていた。

 護衛艦艇の沈没はほとんどないが、もはや全滅と言っていい有様だった。

 

 しかも連合軍の反撃は、まだ始まったばかりだった。

 


 約1時間の時差で殺到した第二次攻撃隊600機は、第一次攻撃隊の攻撃で脱落したり激しく黒煙を吹き上げている艦艇に向かう隊もあったが、本命は日米共に一番奥に布陣していたドイツの空母部隊だった。

 

 第二次攻撃隊の攻撃機の数は約400機。

 残りは戦闘機で、約100機が大きく減った枢軸側のインターセプターを相手にするだけで、易々と枢軸側の艦隊上空に至った。

 攻撃隊の直衛についていた戦闘機隊は、散発的に迎撃してくる枢軸側戦闘機をあしらいつつ、一部は攻撃隊と共に高度を下げていった。

 護衛をするためではなく、自分たちも攻撃に参加するためだった。

 連合軍艦隊は、枢軸側が既に十分な戦闘機を持っていないことを掴んでいたので、コルセア戦闘機の一部に対地攻撃用のロケットランチャーを搭載していたのだ。

 

 攻撃の先陣は「F4U コルセア」で、彼らは昨年枢軸側が行ったロケットランチャーの攻撃で、まずは護衛艦艇の対空砲を黙らせようとした。

 

 とはいえ主目標としたドイツ艦隊は輪形陣が薄く、しかも輪形陣とは言えないほど粗く不完全な陣形しか取れていなかった。

 練度の不足と護衛艦艇数の不足の双方が影響しており、見た目で戦艦のようにすら見える重巡洋艦までが輪形陣の外側で対空砲を打ち上げていた。

 

 日米の編隊は、艦隊の左右からロケットランチャー部隊をけしかけ、彼らが開いた突破口から怒濤のように攻撃隊本隊が躍り込んでいった。

 

 ドイツ艦艇の対空砲は、高角砲と37mm機関砲、20mm機銃だった。

 どれもラインメタル製などドイツの優秀な兵器だったし、各艦針鼠のように対空砲を搭載していたが、そもそも護衛艦艇の数が少なかった。

 また旧式な方の37mm機関砲は、対空砲としては不十分な性能しかないため対空用の新型への換装を行っていたが、十分に配備は進んでいなかった。

 また、日米の算定では、空母1隻に対して5隻の護衛艦艇が理想だが、ドイツ艦隊は空母4隻に対して護衛艦艇はわずかに9隻。

 日米の基準の半分にも満たなかった。

 これでは十分な陣形と弾幕が形成できる筈もなく、連合軍のロケットランチャー部隊は過剰攻撃なほどだった。

 

 だが、連合軍は容赦しなかった。

 しかし日米対抗で功名争いができるほど余裕のある状態でもなかったので、とにかく空母に攻撃を集中した。

 


 当然、艦隊の中心に位置する大型空母に攻撃が集中した。

 大型空母 《アトランティカ》《パシフィカ》は、ドイツ海軍が建造したヨーロッパ最大の空母であり、新しいドイツ海軍の象徴でもあった。

 しかし就役から日も浅く、《パシフィカ》はこの年の4月に就役したばかりだった。

 新造艦特有のペンキの輝きをみせており、尚更連合軍の攻撃を引き寄せていた。

 

 ドイツ艦隊に殺到した連合軍機は、攻撃機だけで約300機。

 これらが僅か30分の間に波状的に襲いかかった。

 時間で割れば1分10機の割合だが、攻撃を受けるドイツ艦隊の将兵からすれば、呼吸する間もないほどの激しい攻撃だった。

 

 そして攻撃自体は、ガントレット(袋叩き)以上の過剰攻撃となった。

 

 最初に魚雷1発を受けるまでに10分以上が必要だったが、雷撃を受けて速度が落ちたり運動性が落ちると、後は次々に命中していった。

 最後は6機一列の雷撃機が投下した魚雷が、全弾命中するという珍しい光景すら見られた。

 右からはアメリカ編隊、左からは日本編隊が同時に雷撃し、敵空母上空で交差するという航空ショーの一幕のような情景すら見られた。

 

 攻撃の様は、どの部隊がどのような戦果を挙げたのかを記すほどもないほどに猛烈だった。

 2隻の大型空母は、どちらも必殺の大型徹甲爆弾を含めて20発以上を被弾していた。

 

 攻撃が終わって連合軍機が立ち去った時、航空機運用能力を残していたドイツ空母は無かった。

 辛うじて《グラーフ・ツェペリン》が中破で短時間の修理で航空機運用能力を回復できる見込みだったが、他は無理だった。

 

 重巡洋艦を途中から改装した軽空母の《ザイトリッツ》は、過剰な攻撃を受けてた上に、同じ場所に短い時間差で魚雷を受けたため船体中央が破壊されて竜骨をへし折られ、船体をまっ二つにして沈んでいった。

 イギリス設計のドイツ空母2隻は、攻撃隊が去ったときは辛うじて浮かんでいた。

 だが、一部が原型を止めないほどに破壊され、もはや浮かんでいるだけだった。

 《アトランティカ》はノロノロと進む以外の事ができず、《パシフィカ》はもっと酷い損害を受け、全ての動力を失って自力で排水も出来なくなり、沈むのを待つだけだった。

 すでに総員退艦が命令されて、駆逐艦が寄り添って乗組員を救助していた。

 2隻とも、これほど被弾して短時間で沈まなかった事を賞賛するべきだと言われたほどだった。

 

 護衛艦も無傷ではなく、重巡洋艦 《アドミラル・ヒッパー》が輪形陣の外周で魚雷と爆弾複数を受けて大破。

 駆逐艦も2隻が沈められた。

 無傷の大型艦は、幸運艦と言われる重巡洋艦 《プリンツ・オイゲン》だけだった。

 

 そして損害はドイツ艦隊だけでなく、イギリス艦隊の脱落艦艇は、漏れなく追撃を受けて沈む以外の選択肢が無くなっていた。

 無傷の艦隊は、連合軍から半ば無視されたフランス艦隊だけだが、フランス艦隊だけで今後の攻撃を防ぐことは不可能だった。

 イギリスの残存稼働空母と合わせても、空母は5隻だけ。

 艦載機は防空戦で生き残った戦闘機を、国籍問わずに収容しても200機程度だった。

 攻撃機は、偵察に出ていた一部を除くと、早朝からの攻撃と昼に受けた大損害でほぼ全滅していた。

 合わせても稼働機は30機程度しかなく、次の攻撃隊を出すのは自殺行為以上の愚行だった。

 


 だが枢軸軍の空母部隊は、連合軍が反撃を仕掛ける前に、戻ってきた艦載機隊を収容した後、再出撃させていた。

 

 第一次、第二次攻撃隊は、合わせて約700機送り出された。

 このうち戦闘機は約200、500機が攻撃機で、戦闘機は約半数、攻撃機は40%ほどが何とか戻ってきた。

 半数以上の損害に慄然とした枢軸艦隊だったが、だからこそ反復攻撃を行わなくてはならなかった。

 それに報告の戦果が半分だとしても、連合軍艦隊の3分の1近い空母に打撃を与えているので(実際は20%程度)、作戦を成功させるためにも再度の攻撃は必須だった。

 

 しかし損害があまりにも大きかった。

 帰還した機体も、攻撃機の60%程度しか再出撃には耐えられそうになかった。

 戦闘機はまだマシだが、それでも20%は破棄もしくは修理が必要だった。

 加えて第二次攻撃隊全ての再装備を待っていたら、連合軍の攻撃隊が殺到する事が各種情報から判明していた。

 このため攻撃隊は準備が出来た部隊から、可能な限り固まって出撃させることになる。

 

 結局、枢軸各空母の飛行甲板から飛び立ったのは、戦闘機70機、攻撃機110機程度だった。

 しかも最も大きな集団で50機程度で、各空母群でバラバラの攻撃隊となった。

 それでも第三次攻撃隊を出せただけ、彼らは健闘したと言えるだろう。

 

 だが攻撃隊は、最初の攻撃よりも過酷な状況が待っていた。

 

 連合軍の防空部隊は、500機近くあった。

 このうち常時半数が上空にあり、敵機接近を受けて各空母から追加の攻撃隊が放たれた。

 そして旗艦《大淀》からの的確な指示に従って、効率的に邀撃していった。

 

 枢軸側の戦闘機隊は、ほぼ全機が敵のインターセプターに拘束された。

 攻撃機の方は、バラバラに飛んだことが逆に幸いして、20%近くがインターセプターを突破するか、迎撃ゾーンをすり抜ける事ができた。

 だが次は、艦隊からの猛烈な弾幕が待っていた。

 しかも各空母からは、さらに追加の邀撃機の出撃も続いているため、それらに捕捉される攻撃機もあった。

 結局、連合軍艦隊に取り付けたのは、全体の10%程度。

 つまり僅か12機だった。

 しかも一塊りではなく、3つの編隊に分かれて、バラバラな攻撃を行った。

 それでもアメリカ軍の空母1隻に爆弾の命中弾を浴びせたのだから、健闘したと言えるかも知れない。

 しかしこれで、枢軸軍が再建した空母機動部隊の攻撃は完全に終了だった。

 

 後は、連合軍の攻撃が続くだけとなる。

 

 しかし、枢軸軍の空母機動部隊の一番の役割は、敵空母部隊の行動を封殺することだった。

 そして各地で作戦中の戦艦部隊から、まだ攻撃成功の連絡が入っていない以上、尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいかなかった。

 

 このためイギリス艦隊は、健在な空母を中心に艦隊を一つに纏めることとした。

 また損傷艦と一部護衛艦を割いて、損傷した艦艇の撤退も行わせた。

 その上で、英、独、仏の艦隊を近寄せて、艦隊上空にインターセプターを配置することとした。

 

 そして艦隊自身の進路だが、敵空母部隊が全力で食いついてきた以上、こちらから進撃する必要はないので、ノースアイルランドから少しでも離れる進路をとった。

 進路は一見撤退しているようにも見えるので、連合軍が残敵掃討の好機とみて追撃してくる可能性も高いと判断された。

 

 初手の総攻撃が通じなかった以上、もはや行動の封殺ではなく囮こそが枢軸海軍が誇った空母部隊の役目だったのだ。

 

 そして連合軍は、他の友軍からの支援要請もないので、そのまま枢軸艦隊の追撃へと移っていた。

 


 6月7日の戦闘は、午前6時〜7時に枢軸側の総攻撃があり、同9時〜10時に連合軍が総反撃を実施。

 その後の連合軍は、艦載機の往復と攻撃、そして帰還後の補給を加えると4時間が必要となる。

 これらの結果、午後2時頃に次の攻撃隊が順次編成されていった。

 第二次攻撃隊の再編成を加えると、最後の攻撃隊が出撃するのは午後3時頃となる。

 そして午後3時が、通常の空母戦での攻撃隊を放つタイムリミットだった。

 午後6時を越えると、普通なら日が没して空母への帰還が難しくなるからだ。

 

 もっとも、戦場は夏至が近い北極圏寄りの海域なので、午後10時頃まで空は明るい。

 だが、だからと言ってパイロットを酷使することもできない。

 午後7時から8時に攻撃隊を出せなくもないが、それは本当に緊急事態があった場合のみとされた。

 

 午後3時半から4時半にかけて、連合軍は第三次から第五次の攻撃隊を送り出した。

 最初の攻撃で撃墜された機体は少ないが損傷はそれなりに出ていたし、整備の問題などで出撃を見合わせた機体も少なくなかったので、合わせても1000機を下回っていた。

 最初が2回で1300機なのでかなり減った事になる。

 攻撃隊のうち攻撃機の数は約600機。

 やや数が少ないが、機銃弾などを被弾した機体が少なくなかったからだ。

 

 この攻撃隊はそれぞれ250〜100機程度に分かれ、さらに各空母群でも攻撃隊を出した時間のズレがあるため、断続的に攻撃が続けられることになる。

 枢軸側から見たら、途切れることなく攻撃を受けているような感覚だった。

 


 もはや詳細をここでは記さないが、この攻撃の結果、枢軸各国が作り上げた空母機動部隊は壊滅した。

 歴戦の武勲艦だった《ヴィクトリアス》も、最後まで雄々しく戦った末に魚雷7本、爆弾十数発を被弾して海に飲み込まれていった。

 辛うじて生き延びた空母もかなりあったが無傷の艦はほぼ皆無で、護衛艦艇の損害も酷く、艦隊の再建が不可能なほどの打撃を受けることとなった。

 

 だが彼らの奮闘で、連合軍の空母部隊の主力は、この日のノースアイルランド近辺の他の戦闘には関わることが出来なかったので、十分に任務を全うしたと言えるだろう。

 


 そして空母同士の戦いが行われている最中、ノースアイルランド北東部の近海で史上最後と言われる戦艦同士の艦隊決戦が、各所で行われることとなった。

 


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