フェイズ58「WW2(52)ノースアイルランド上陸作戦2」-2
枢軸海軍の総力出撃を知った連合軍は、空母機動部隊と主力艦隊に総力を挙げた「阻止」を命令した。
また全航空部隊には、敵の機先を制する意味で英本土空軍へのさらなる攻撃を命令した。
このため、敵艦隊が戦場に到着するまで、英空軍に対する攻撃をさらに強めた。
連合軍は敵の目的が上陸部隊だけで、これを守りきれば勝利だと知っていた。
前線の各艦隊司令官も、心情としては敵艦隊との「決戦」を希望していたが、キンメル提督も伊藤提督も、敵の撃滅ではなく撃退、阻止を最優先とした命令を下していった。
3つに分かれていた主力艦隊の方は、既に支援で砲弾を使っていたので、交代で補給のために一時下がった。
空母部隊の一部も後方に下がり、対艦用装備の受領のため補給を実施した。
しかし枢軸艦隊が来るまでに、全ての艦隊が再び前線に戻ってくる予定になっていた。
全ては作戦通りだった。
枢軸軍艦隊の出撃は、当初から連合軍に察知されていた。
北海やドーバー海峡の西部には、潜水艦が無音潜行で伏在して偵察情報を定期的に送っていたからだ。
また敵の迎撃の隙間を突いて、アイスランドからB-29の偵察型の「F-13」が高度1万1000メートルの成層圏から、高性能レーダーの目を光らせていた。
特に作戦開始の1週間前からは、24時間体制で空からの監視も行われた。
長距離偵察に使う機体数が足りないので、「F-13」以外の偵察型の機体も集められる限り集められた。
このためアイスランドのケフラビーク基地では基地の規模が足りないので、滑走路の必要がない大型飛行艇も集められた。
日本の「二式大艇」の偵察型は特に重宝され、危険度の低い闇夜の洋上から枢軸軍の監視を受け持った。
6月5日に出撃した枢軸艦隊には、直線距離で50キロ以上離れた場所からの偵察機が張り付いていた。
空母艦載機では、高度1万1000メートルに素早く駆け上がって撃墜する事が無理だった。
イギリスの「スピットファイアMk.XII」やドイツ空軍が45年に入ってから新規導入した「Ta 152H」、もしくは両国が有するジェット推進型の戦闘機なら迎撃も何とか可能だが、発進基地からの距離の問題から実質的な迎撃は無理だった。
どれも航続距離が短すぎるからだ。
夜の飛行艇相手なら、地上配備の夜間戦闘機で相手をできなくもないが、接近した時点で待避してしまうので一時的に追い払う以外の事が無理だった。
しかも連合軍は、昼夜を問わず複数機、違う方角からの追跡と監視を行うため、接触を断つことは不可能だった。
加えて連合軍は、さらに離れた場所からより偵察と通信に専門化した偵察型の「F-13」を配置して統括的に偵察を行い、逐一司令部と前線各部隊に最新情報を届けていた。
イギリス本国海軍の主力艦隊への接触は少ないが、どこに来るのか分かっている以上、連合軍に焦りは無かった。
対して枢軸側は、連合軍の空母機動部隊の正確な所在と布陣を掴めていなかった。
上陸作戦を行う以上、おおよその位置は動きようがないが、そこにどれだけの艦隊が展開して、どれだけの艦隊が枢軸側の艦隊に攻撃しようとしているのかが分からなかった。
もちろん枢軸側も、多数の潜水艦と空軍の偵察機を出して敵情を探った。
だが、英本土北部の空軍は、連合軍の苛烈な航空撃滅戦の前に既に機能を大きく低下していた。
そして偵察機は、こちらも艦隊上空に配備された「F-13」と「二式大艇」の探知によって、近づくより前に探知されて、航空管制によってほぼ完全に迎撃されていた。
偵察機が敵に近寄るには、大規模な空襲をしかけて連合軍の制空権を混乱させるしかなく、それは実質的に一度しか出来ないことだった。
潜水艦による偵察は、ドイツ海軍の新型潜水艦「XXI型」が期待されたが、連合軍は多数のハンター・キラー戦隊、対潜哨戒機を出して封殺と撃破に務めたため、概略海域に入るのはどんな潜水艦でも自殺行為だった。
連合軍の対潜哨戒機は、例え深く潜った相手でも八の字運動を繰り返して見つけだし、誘導魚雷すら投下するようになっていたからだ。
ヴァルター・タービンと呼ばれる過酸化水素水を燃料として長時間潜行できる新型潜水艦の試作型も投入されたが、戦果を挙げることもなく、そして帰還する事も無かった。
何にせよ、枢軸側からの奇襲攻撃はあり得ず、攻撃側が枢軸側なのに、イニシアチブは連合軍が握っているに等しかった。
そして6月7日の早い朝が明ける。
6月7日黎明、枢軸側の空母機動部隊は、北海を抜けてオークニー諸島とシェトランド諸島の間を抜けて、北大西洋に出た辺りに位置していた。
午前3時には既に日ものぼり始め、清々しい北の朝が明けつつあった。
枢軸艦隊は盛んに自らの偵察機を放ち、アイルランド島北方海上に陣取っていると見られる連合軍の空母群を探した。
同時に、英本土北部の頑丈なシェルターに温存されていたモスキートなどの偵察機も飛び立った。
そのための滑走路として、カムフラージュしていた滑走路や道路改造の滑走路が使われた。
中には、山肌をくり抜いた擬装格納庫から、そのまま目の前の道路を離陸していった機体もあった。
連合軍の空母部隊の方だが、自分たちの優位は動かないが今日が正念場だと理解していた。
そして簡単な戦いでもないとも理解していた。
船団と上陸地点を守りつつ、敵空母機動部隊を退けなければならないからだ。
ポーツマスを出撃したイギリス主力艦隊に対しては、潜水艦の妨害以外は直前のノース海峡での戦艦部隊による迎撃となっていたが、余裕があれば艦載機でも攻撃予定だった。
そして10群もある高速空母群だが、うちアメリカ海軍の3群を上陸船団寄りに配置して、今まで通り英本土から飛来する敵機への対処に当たることになっていた。
しかも地上に対する攻撃を最低限として、この日は防空に専念する予定だった。
自由イギリス艦隊の空母と4群ある護衛空母群も同様で、こちらは総力を挙げて船団を守る事になっていた。
こちらの指揮は、護衛空母群との連携もあるのでアメリカ海軍のキンメル提督が担当した。
残る7群の空母群は、日本海軍の伊藤提督の指揮のもと総力を挙げて反撃してきた敵艦隊を撃退する予定だった。
しかも連合軍は、防衛戦が前提なので、事前のキンメル長官と伊藤長官による打ち合わせに従い、「撃退」の為の「後手の一撃」を予定した。
つまり、まずは総力を挙げて敵機動部隊の艦載機を落とせるだけ落としてしまい、敵が攻撃力の主力である艦載機を消耗した時点で、総攻撃を実施しようと言う腹づもりだった。
一見イギリス本国軍のこれまでの戦い方と似ているが、肝心なところで違っていた。
イギリス本国軍は、攻撃を成功させるために敵が侵攻するまで攻撃をしなかったが、連合軍がこの戦法を選んだのは基本的に「守りきれば勝ち」だからだ。
そしてそれが出来るだけの戦力と準備をしてきていた。
古来より「後手の一撃」は非常に難しいが、それが可能なだけの戦力差が開いたからこその選択だったのだ。
また、連合軍にとって敵艦隊の撃滅は副次的な要素でしかなく、極端に言えばすごすごと逃げ帰ってくれれば戦略目的は達成される。
だから目的が「撃退」なのだ。
また、消極的と言われることもあるが、空母の威力は艦載機が全てなので、それを落としてしまうことが肝心だと考えられていた。
そして母艦数、艦載機数、パイロットの熟練度、どれをとっても連合軍が圧倒していた。
枢軸側の艦載機パイロットは、彼らの空軍に比べても練度が低いと考えられていた。
と言うのも、カリブでの激戦で一度壊滅しており、再建したばかりの部隊も1年前のアイスランドを巡る戦いで消耗しているからだ。
そして空母艦載機乗りは、簡単に育成できない種類の特殊技能に習熟した兵士達であり、1年で再建するのは物理的に不可能だった。
ただし連合軍は、敵戦力の算定は少し誤っていた。
具体的な数字を挙げると、空母13隻、艦載機700機程度と見ていた。
本当は空母15隻、艦載機900機以上なので、艦載機数で30%近く見誤っていた事になる。
また、ノルウェーのドイツ空軍部隊の遠距離進出可能な約100機の戦力も、出撃する可能性は半々と見ていた。
そして連合軍側は、7個群、高速空母34隻、艦載機数2200機で迎撃しようとしていたので、三倍の戦力差で押しつぶす積もりだった。
実際は想定が少し違っていたが、それでも2.5倍の差であり、しかも圧倒的有利な連合軍側が初手を徹底防戦という手段に出た事で、実質的な戦力差はさらに広がっていたと言える。
海上上空での戦いは特にランチェスター・モデルが反映され易いので、決定的と言える以上の結果は既に約束されたも同然だった。
「決戦」を求めなくても手抜きはしない。
それがこの大戦を戦い抜き、そして着実に進軍を続けてきた日米海軍の方針だった。
戦前や戦争初期に決戦ばかり求めてきた海軍とは思えない心理面での変貌ぶりと言えるだろう。
そして枢軸軍は、真の海軍となった日米海軍という巨大な壁にぶつかり、それを撃ち破らない限り勝機は無かった。
また一方、イギリス本国空軍に対してだが、こちらは船団と上陸部隊への制空権維持が最優先されていた。
そのためには艦隊自身も守らなければならないが、優先事項としては上陸部隊が上だった。
そして作戦目的のために、こちらは防戦のみに徹する予定だった。
すでに攻撃は十分に行っているので、敵艦載機の大軍に乱入されない限り戦線は維持できると予測されていた。
ただし、空軍機の方が高性能な機体が多いし、一部パイロットは熟練者なので、そうした部隊に対しては強い注意が必要だった。
このため、最新鋭の「ベアキャット」を搭載する空母または空母群が選抜されていた。
そして大型空母 《ノース・アトランティック》《プエルトリコ》も多くの「ベアキャット」を搭載していたため、こちらに配置された。
このため《ノース・アトランティック》は、ドイツの《アトランティカ》という同じ名前を持つ空母との対決を楽しみにしていたので、乗員が酷く残念がるというエピソードが伝えられている。
しかし、枢軸側の空軍機の相手は、容易いものではなかった。
キンメル提督麾下のアメリカ海軍第28空母機動部隊の第1、第3、第4の14隻の空母と1100機の艦載機、スプレイグ提督率いる護衛空母群4群24隻の護衛空母と700機の艦載機、自由イギリス艦隊の2隻の空母と100機の艦載機、合わせて1900機が、侵攻したノースアイルランド北東部と周辺海域の制空権維持のための全ての航空戦力だった。
どの艦隊も北大西洋上に展開しており、第28空母機動部隊が最も敵の攻撃が予測されるポイントに位置していた。
そして上陸船団と橋頭堡を中心として、戦闘機部隊が上空に布陣していた。
また、各水上艦などに搭載されていた日本生まれの「彗雲」も動員できるだけ動員され、100機以上が各種任務に当たっていた。
その中には、低空で迫る敵攻撃機の邀撃も任務に含まれていた。
対する枢軸空軍というより英本国空軍は、この戦闘に500機の戦闘機と350機の攻撃機が動員できた。
また、英本土中枢から重爆撃機200機が投入予定になっていた。
合わせると1000機以上になるが、全てを合わせても敵戦力の60%程度でしかない。
ランチェスター・モデルに従えば、英空軍が全滅しても敵戦力は70%近く残る事になる。
しかし勝機は別にある。
英本土空軍としては、多少は手薄になったインターセプターを突破して、敵艦隊を一時的に活動不能に追い込めればいいのだ。
そして連合軍が、敵は上陸船団と橋頭堡を狙うと思い込んでいる隙をつくのが肝心だった。
このために重爆撃機部隊が、危険を冒して橋頭堡への攻撃を仕掛けるのだ。
しかし戦闘機の配分が問題だった。
北部に集中できるのは、配置場所と航続距離の関係もあって約500機。
しかも、これを全て敵空母部隊に向けることは難しかった。
まずアイリッシュ海を北上してくる主力艦隊の護衛が必要だった。
セントジョージ海峡までは中部を防衛する部隊が護衛するが、それ以後の護衛を考えると交代で100機は最低でも必要だった。
橋頭堡を爆撃する重爆撃機部隊も、護衛なしで出すことはできない。
このため350機程度が限界で、攻撃機もほぼ同数なので約700機が飛び立つことになる。
そして飛び立つ場所もそれぞれ別なので、集中攻撃には限界があった。
しかも攻撃機パイロットの中には、洋上攻撃の訓練が不十分な者が少なくなかった。
何しろ熟練者の多くは、今までの戦いでいなくなっていた。
そうした中での英本国空軍の希望は、「グロスター・ミーティア」ジェット戦闘機と「ホーカー・テンペストMk-II」戦闘機が含まれていた事だった。
ただし、英空軍初のジェット戦闘機「ミーティア」は、ジェット機としては最高速度が低いので、ジェット機や双発機としての欠点の方が気になる状態だった。
単純な最高速度だと、「F8F ベアキャット」や「烈風改」と大差ないからだ。
「テンペストMk-II」はイギリス空軍では珍しい空冷エンジン搭載機で、南方での作戦行動をし易いようにと開発が急がれたが、慣れない空冷機のため1945年に入ってようやく量産配備が始まったばかりだった。
それまでも空冷エンジン搭載型の「テンペストMk-V」が1944年春頃から活躍していたが、「Mk-II」の方がより大きな期待が持たれていた。
とはいえ戦闘機の主力は、英空軍の代名詞とすら言える「スピットファイア」各種だった。
「スピットファイア」はドロップタンクを積めば何とか洋上攻撃も行える航続距離となるが、洋上の戦いに向いているとは言えず、航続距離の長い「テンペスト」各種の方が攻撃機パイロットからは護衛として期待されていた。
そして彼らの目前に立ちふさがるのは、各種の「猫」達だった。
「F4F FM2 ワイルドキャット」、「F6F ヘルキャット」、そして切り札の「F8F ベアキャット」だ(※「F4U コルセア」もあった。)。
アメリカ海軍では、「ワイルドキャット」は攻撃機を狙い、重爆撃機は20mm機銃搭載型の「ヘルキャット」が、そして多数の「ヘルキャット」と「ベアキャット」で戦闘機を封殺する予定だった。
このため高速空母群と護衛空母群の混成航空隊を、航空管制により幾つも編成して敵を待ちかまえた。
また、こちらの上空にも、アイスランドより飛来した「F-13」や「B-24」の偵察型が高い高度で陣取り、レーダー情報を提供していた。
加えて多数の偵察機が上空に配置されているので、英本土空軍の攻撃隊の動きは丸見えだった。
そしてこの空で最も存在感を示したのが、やはりと言うべきか「F8F ベアキャット」だった。
投入された数は150機程度だったが、最高速度、上昇速度で敵を引き離し、得意の格闘戦で次々に練度で劣る蛇の目を描いた機体を落としていった。
「ミーティア」は最高速度で違いが殆ど無いので、単に双発機と単発機の戦いに近い状態でほとんど活躍できなかった。
重爆撃機の邀撃などの任務であれば、また違っていただろう。
「テンペストMk-II」は流石の性能と活躍を示したが、格闘戦では連合軍最強の座を掴んだ「ベアキャット」に軍配が上がった。
格闘戦なら「スピットファイア」も得意なのだが、日本陸海軍ですら降参した「ベアキャット」の格闘戦能力の前には形無しだった。
アメリカ海軍による迎撃戦は順調に推移したが、予想外の事態により一部が破綻する。
空戦の規模が数、空域共に広すぎるため、1隻の艦艇で管制できる能力を超えてしまったからだ。
米軍も大型空母に統括的な航空管制施設を設けていたのだが、それでは規模の面で足りなかった。
このためアメリカ海軍は、日本海軍の《大淀》のように改装中の指揮巡洋艦の投入を急ぐことになる。
しかしこの戦場には間に合わず、英本国空軍の一部突破を許すことになった。
そしてさらに米軍にとって誤算だったのが、英本土空軍が船団や橋頭堡ではなく空母部隊が主攻撃目標とされた事だった。
船団と橋頭堡上空には十分な数の迎撃機を配置していたが、そちらに力を入れすぎていた為、自分たちの艦隊の上空の守りが少しばかり手薄となっていた。
ここを英本国空軍に突かれてしまい、迎撃機を突破した英本国機は次々にアメリカ艦隊へと突撃した。
しかし、そこはアメリカ海軍だった。
日本海軍よりもさらに濃密な世界最強の弾幕射撃が敵機を迎え撃った。
空が真っ暗になるほどの弾幕を避けて高速空母群の輪形陣に入り込むには、船の甲板より低いところを飛ぶしかないと言われる状態だった。
ただし護衛空母群は、それぞれ僅かな護衛艦艇しかともなっていないため、2つの空母群が捕捉されて攻撃をまともに受けてしまう。
そしてここの護衛空母は艦載機以外で自らを守る術に乏しい為、護衛空母4隻撃沈、2隻大破、護衛駆逐艦2隻沈没、1隻大破壊という大損害を被ってしまう。
実質的に1個群が消滅する大損害だった。
護衛空母は、商船である高速貨物船や高速タンカー改造の軽防御構造なので、被弾には非常に脆かったのだ。
中には1発の被弾で沈んだ護衛空母も出たほどだ。
そして護衛空母でも空母なので乗組員数は1000名近く、多くが沈んだため戦死者、負傷者の数も多く出てしまうこととなった。
また、キンメル提督率いる高速空母群は、護衛空母群以上の敵機の攻撃にさらされた。
こちらも2群が集中攻撃を受けることになり、うち1群には期待の《NA級》大型空母が属していた。
そして《ノース・アトランティック》《プエルトリコ》共に流石の防御力と対空射撃能力を見せ、《プエルトリコ》が大型爆弾を受けるもその後の優れたダメージコントロールもあって航空機運用を続けた。
通常なら最低でも中破で戦線離脱しているところだが、アメリカ海軍初の装甲飛行甲板が活きた形だった。
だが、攻撃に耐えきれない空母も少なからず出た。
飛行甲板の形が大きく変化するほど改装された歴戦の空母 《サラトガ》は、平たく目立つ煙突のため目標とされ集中攻撃にさらされた。
被弾して帰投不能となった自爆機を2機も出す猛攻で、全艦に5箇所もの被弾を受けた。
しかしそれでも巡洋戦艦生まれたの船体は攻撃を耐えきり、判定中破で生き延びることができた。
《バンカーヒル》は、既に敵の攻撃が息切れしていたので自分たちの攻撃隊を準備しているところにこちらも被弾した自爆機が格納庫に突入し、自らのナパーム弾とガソリンで上部構造物が火だるまとなる激しい誘爆に晒された。
幸い沈没には至らなかったが、一時は総員退艦が命じられるほど猛烈な火災となったが、他艦の援助もあって何とか沈没は免れた。
ただし、損害復旧に1年以上かかると判定され、その後も修理が後回しにされたため二度と戦場に戻ることは無かった。
攻撃に弱い軽空母は《プリンストン》が被弾したが、幸い飛行甲板、格納庫に機体や各種物資が少なかったため、判定中破の損害で耐えきり、それ以外の軽空母への被弾も小型ロケット弾か至近弾を除いて無かった。
だが、空母部隊に攻撃が集中したため、上陸船団と橋頭堡はほとんど損害を受けなかった。
英本土中枢から飛来した重爆撃機の群れも、難なく撃退して半数近くを撃墜していた。
重爆撃機攻撃では、20mm機銃搭載型の各種機体が活躍した。
かくして、アメリカ海軍は10隻もの空母が沈むか大きな損害を受けたが、英本国空軍各部隊では反復攻撃できない部隊が続出し、攻撃力はほぼ完全に尽きてしまう。
健在空母が半数以上残れば、イギリス空軍、いや枢軸軍の敗北は確定的と、オペレーションリサーチでも出ていた。
そしてこの地域のアメリカ艦隊は、稼働空母は高速空母だけで11隻健在で、護衛空母群も2群は特に問題もないので、その後の制空権維持は十分にできた。
そればかりか、付近の英本土空軍を圧迫し続けた。
しかも、少し離れた場所には、主力の空母部隊が戦っていた。
しかしその日一日は、キンメル提督の部隊は敵空軍との戦いに忙殺されてしまい、余裕があれば行う予定だったイギリス主力艦隊への攻撃が行えなかった。
そして他への攻撃が出来なかったのは、もう少し沖合に展開していた日本艦隊を中核とする空母部隊の主力も同じだった。