フェイズ58「WW2(52)ノースアイルランド上陸作戦2」-1
6月6日に日付が変わった頃、連合軍の巨大な上陸部隊はノースアイルランドの北部沿岸に現れた。
上陸部隊の第一波として一千隻近い大船団で運ばれたのは、自由英第1軍とアメリカ第2軍、アメリカ海兵隊第1遠征軍の合わせて8個師団と砲兵軍団、海軍コマンド、レンジャー大隊などの支援部隊、合わせて22万人。
支援するのは直接的な兵数だけで約30万人以上。
総数58万人の大兵力で、モロッコ上陸作戦を上回る史上最大の上陸作戦だった。
上陸部隊の出撃拠点も複数に分かれており、北米東岸のカナダのハリファックス、同じく北米のニューファンドランド島、アメリカ北東部のボストン、西アフリカのモロッコ、西アフリカのダカール、アイスランド島の前進部隊からの抽出部隊など、6箇所からタイムスケジュールに沿って進んできた。
これを守るのは、モロッコ侵攻よりもさらに陣容を増した連合軍の総力を挙げた、史上最大規模の記録をさらに更新した大艦隊だ。
総指揮官は、アメリカ海軍のニミッツ元帥。
アメリカ陸軍のマッカーサー元帥は、この時南フランス方面の指揮をしていた。
加えて海軍が重要な役割を果たさねばならないため、海軍の総指揮で作戦が実施されていた。
チェスター・ニミッツ元帥は、軍人としての力量、個人としての人格共に非常に優れた人物で、人によっては第二次世界大戦最良の最高指揮官と評する事もあるほどだ(※主にアメリカ海軍評だが、全般的な支持も高かった。)。
日米の個性の強い指揮官達も、彼にだけは悪く言うことは無かったとも言われる。
上陸部隊を指揮するのは、自由イギリス軍のモントゴメリー大将。
副将としてアメリカのアイケルバーガー中将(アメリカ第2軍団指揮官でもある)。
英本土奪還作戦なので、自由イギリス軍に指揮の優先権が与えられていた。
上陸船団の直接護衛と支援はヒューイット中将。
上陸船団の実質的な統括はターナー大将。
そして全般的な航空支援と護衛の機動部隊指揮官は、キンメル大将と伊藤中将。
こちらも全般支援に当たる主力艦隊は、リー大将と宇垣中将。
海軍は、今まで指揮をしていた人々が入れ替わったり休養中だったりするが、連合軍としては万全の布陣で作戦に臨んでいた。
・「アイスバーグ」第一波上陸部隊:
・自由英第1軍団:
加第3師団、豪第2師団、豪第8師団、英海軍コマンド旅団
・アメリカ第2軍団:
陸軍第1師団、第1騎兵師団、陸軍第23師団、他独立大隊多数
・アメリカ海兵隊第1遠征軍(軍団):
第1海兵師団、第3海兵師団
(※加=カナダ、豪=オーストラリア)
最初の船団で運ばれたのは以上の師団で、上陸する兵員だけで22万人にも達する。
しかも一週間以内に、自由英、米陸軍共に1個軍団、合計6個師団が第二波として投入予定だった。
その船団の多くも、すでに各地の出撃拠点を出発していた。
主にアメリカが建造した無数の船舶は、他の部署に影響を与えること無く、この巨大な兵団を問題なく輸送できた。
そしてこの段階で各種支援部隊もさらに上陸予定で、第3波となる全ての上陸部隊を合わせると戦闘部隊だけで50万人を越える予定だった。
参加する上陸用艦艇の総数は、上陸用舟艇などの他艦に搭載された「艇」扱いの小型艦船と護衛艦艇抜きで2000隻を越える予定だった。
操る水兵の数も、これだけで10万人に達する。
ノースアイルランド北部沖合で船団が集合した様子は、水平線の先まで船で埋め尽くされ、壮観の一言に尽きたと言われる。
最初に上陸するのは、米第1海兵師団、米第3海兵師団、カナダ第3師団、米陸軍第1師団。
上陸作戦に慣れた部隊ばかりだった。
総指揮のため、海兵隊のヴァンデクリフト大将までが前線に出てくる念の入りようだった。
これに自由英海軍コマンド連隊、米陸軍レンジャー大隊などが加わって脇を固める。
ただし、連合軍の拠点から遠すぎるため、空挺部隊の作戦参加は無かった。
その代わりと言うべきか、試験的に垂直離着陸が可能な新世代の航空機であるヘリコプターが、偵察や観測のために少数機搭載されていた。
また日本海軍は、数は少ないがオートジャイロも持ち込んでいた。
上陸予定地点は、機雷敷設、大規模な上陸妨害の障害物があまりない事が既に分かっていたので、ダカール、モロッコのような事前掃海や排除工作はほとんど行わず、いきなり上陸部隊が沖合に展開した。
上陸部隊の先鋒は「M11」水陸両用戦車、各種LVT(水陸両用装甲車)、DUKW水陸両用トラック、各種揚陸艇で編成されていた。
そして古代の兵士達のように沖合で整列すると、「M11」を先頭にして一気に上陸を仕掛けた。
「M11」戦車は、日本の水陸両用戦車同様に自由英にも供与されており、上陸した各師団の戦車大隊は1個中隊が「M11」戦車だった(※「M11」は従来型だけでなく、榴弾砲装備型、火炎放射器装備型など派生型も含む。)。
上陸作戦自体は、今までの教訓を反映して機材、戦術共に洗練され尽くしていた。
現地を守る第一線級とは言えない英本国陸軍部隊は、猛烈という言葉を通り越えた砲爆撃を前にして、壕の奥深くで耐えるより他無かった。
反撃しようものなら、撃った百倍と言われるほど激しい反撃を受けた。
間断なく無尽蔵なレベルで降り注ぐロケット砲弾による爆発と轟音は、この世の終わりを思わせたと言われる。
上陸作戦は順調に伸展し、遠い沖合で遠雷のような音が連続して発生するまでに、連合軍は十分な縦深を持つ橋頭堡を確保することができた。
英本土空軍の攻撃が若干あったが、全て許容範囲内の妨害でしか無かった。
結局、上陸初日は連合軍にとって順調に伸展した。
夜の間もサーチライトを照らしてまでして上陸が続けられ、翌朝にはさらなる上陸部隊が続々と上陸して橋頭堡も拡大した。
懸念された英本土空軍の夜間爆撃も、ごく僅かに行われたに止まっていた。
この時点で現地英本国軍の反撃は微弱で、すでに内陸に向けた威力偵察が開始されようとしていた。
しかし翌7日の午後に入った頃、上陸支援していた艦隊が慌ただしい動きを見せた。
枢軸軍の反撃が開始されたのだ。
しかし反撃してきたのは陸軍ではない。
艦隊が動いた以上、反撃は海と空からだった。
欧州枢軸軍が上陸作戦が引き返せない段階を待って反撃してきたものだと、連合軍では判断していた。
なお、強襲上陸を仕掛けた連合軍の近辺には、機動力のない歩兵師団4個と沿岸砲兵部隊が守備していた。
さらにもう少し離れた場所の沿岸部を含めると、さらに2個師団が展開している。
敵の上陸予測地点なので、ノースアイルランドの海岸沿いでは最も分厚い陣容なのだが、部隊は海岸に沿って薄く配備され陣地も貧弱で、とても長時間耐えられる戦力ではなかった。
しかも上陸前面には2個師団しかないので、なおさら内陸からの機動戦力の到着が重要だった。
比較的早くから沿岸陣地構築や障害物の設置は言われていたのだが、兵器の生産、他の戦線への増援などで、ほとんど手付かずのままこの日を迎えていた。
しかも一部間に合った砲台や強固な陣地のかなりが、事前の砲爆撃で破壊されるか無力化されてしまっていた。
2000ポンド爆弾や1トンもの砲弾を無数に浴びて無事でいられる陣地は殆ど無かった。
そして何より、連合軍の上陸部隊は英本国軍の予測よりも多く、当然だが機甲戦力、重砲などの火力も敵に対して十分ではなく、連合軍が戦略的な奇襲に成功したことを物語っていた。
ちなみに、ノースアイルランド全体では、1個軍12個師団が配備されていた。
だが、これも現地の動員した民兵部隊(※ほとんどが連隊または大隊規模で限定的能力しかない。)を含めての事なので、実質は10個師団程度の戦力だった。
それにイギリス本国軍全体で戦車や装甲車、トラックが不足しており、機械化部隊も機甲師団と自動車化師団が1個ずつあるだけだった。
機動防御部隊全体では1個軍団4個師団があったが、これも十分に移動できてこその戦力だった。
そして水際での機動防御戦を仕掛けるには、海空との連携が重要だった。
しかしイギリス本国が、ノースアイルランドの防衛を疎かにしていたわけではない。
先に書いたように、イギリス本国軍は以前から連合軍の英本土侵攻の第一段階は、ノースアイルランドが最も可能性が高いと考えていた。
しかし今まで遠隔地での戦争が続いたことから、陣地構築などはあまり進んでいなかった。
沿岸陣地の構築が本格化したのは1944年春以後の事だが、この頃になると英本土の生産力が大きく衰え始めていたので、他の兵器の生産などを優先したためさらに遅れた。
英本国軍としては、全ての海岸線を守ることは全ての面で不可能なので、海空戦力で連合軍を退ける事を優先したからだ。
しかし海空戦力だけではどうにもならないので、重要箇所だけでも水際撃滅とはいかなくても海岸付近で持ちこたえている間に陸海空三軍の総力を挙げて連合軍の侵攻船団を撃滅するという方針に変更された。
しかしこの段階でも、陸軍が守るべき海岸は多かった。
何しろ英本国は島国だ。
そして優先度としてノースアイルランドは一番なのだが、ノースアイルランドに大軍を置くわけにもいかなかった。
大軍を集結して鉄壁の防御態勢を整えた場合、連合軍がノースアイルランドを無視して英本土にきたら、英本土は陸での守る術が無いという可能性も十分にあり得た。
特に北アフリカで猛威を振るったマッカーサー戦法の幻影が、英本国軍首脳の心を惑わせた。
また政治的に、あまり大軍を置きすぎると、アイルランドが刺激されて最悪連合軍に加わる可能性も考慮しなければならなかった。
連合軍のアイルランド参戦の謀略でも、その事は明らかだった。
連合軍の意図はノースアイルランドに大軍を置かせない為だが、英本国としても常識的に考えてノースアイルランドに大軍は置けなかった。
結局、ノースアイルランドに置く戦力は、英本土に残る全軍の3割程度となった(民兵除く)。
辛うじて上陸直後に防戦ができる程度の戦力であり、連合軍に安易なノースアイルランド上陸を躊躇させるためであり、アイルランドを刺激しないため配置兵力を限った兵力配置でもあった。
故に英本国軍、いや欧州枢軸軍が頼りとするのは、海空戦力だけだった。
欧州枢軸海軍の総出撃は、6月5日に決定した。
連動して、英本土空軍、ノルウェーのドイツ空軍部隊の同時攻撃も決定した。
敵の動きを若干だが読み違えた分だけ、出撃も後手に回ってしまった。
本来なら上陸開始直後に敵の上陸地点に殺到する予定だったが、その予定は崩れていた。
枢軸側の最優先目標は、連合軍の上陸船団の粉砕。
そのために最も脅威なのは、連合軍の空母機動部隊。
この空母機動部隊を、枢軸側の空母機動部隊と空軍部隊の総力を用いて封殺。
その間に主力艦隊が空軍の援護を受けながら突進して、上陸船団を砲雷撃戦で粉砕するのが作戦の骨子となる。
この場合、連合軍の空母部隊が主力艦隊に本格的に食いついたら、例え敵空母部隊に大打撃を与えても作戦は失敗となる。
そして連合軍が、ここで海軍力の総力を損害に構わず投入してくると予測していた。
これ以後の戦いに、強大な海軍はそれほど必要とされないからだ。
連合軍としても、上陸作戦が成功するなら海軍主力部隊はすりつぶしても構わない戦力となるのだ。
ノースアイルランドが占領さた後は、敵空軍が展開したら英本土上空の制空権が奪われ、連鎖的に欧州北部の戦線は短期間で崩壊していくからだ。
故に枢軸側でも、「いかなる犠牲を払おうとも」という作戦内の文章に表現されたように、何が有ろうとも枢軸の空母部隊は連合軍の空母部隊の動きを抑さえなければならない。
空軍と連携すれば撃滅も可能という楽観論もあったが、精々一時的に半壊させるのが精一杯というのが、事前に何度か行われたオペレーション・リサーチの結果だった。
しかも最悪の場合は、枢軸側は海空軍が敵空母部隊に各個撃破され、何も出来ないまま一方的に撃破される事も予測された。
しかもかなり高い確率で。
その証拠に、連合軍の空母機動部隊は、5月30日から開始された航空撃滅戦によって、全力を挙げてイギリス本土の北部を猛烈な勢いで攻撃していた。
空での戦力差が既に3対1、4000機対1400機程度の戦力差のため、防空に徹していても英本土空軍が圧倒的に不利だった。
しかも初動で兵力配置を一部誤っていた為、スコットランド方面、ノースアイルランド方面の空軍部隊は、予定よりも少ない戦力で防戦に徹するも、既に猛烈な空襲を受けて壊滅的だった。
事前に強固な退避壕などに退避していた攻撃機部隊も、飛行場と周辺の退避壕への攻撃で、既に20%程度が損失または損傷で戦力を失っていた。
これを見越して、道路を臨時滑走路として退避壕に避難している部隊もあったが、その数は少なかった。
さらに北部の飛行場の半分以上は、短期間で修復不可能な打撃を受けていた。
しかも南西部からの兵力移動は、急いだ余りかなりが兵力の逐次投入となり、効果的に敵を迎撃するより先に、敵に各個撃破の好機を与える結果になってしまった。
また連合軍は、北部にあるコンクリートまたはアスファルトで舗装された滑走路を徹底的に破壊していた。
英空軍には、主にアメリカ軍が使う金網の板を張った簡易滑走路はないので、一度破壊されると短期間での修復は不可能だった。
言うまでもないが、航続距離の短いジェット機の運用を封殺するためだ。
連合軍は、枢軸側のジェット機をかなりの脅威と考えていたからだ。
もちろん、英本土空軍も懸命に防空戦を展開し、機械力、人力全てを動員して飛行場の復旧に務めていたが、連合軍のD-dayまでに十分に戦力復活できる見込みはなかった。
1000機近い数の戦闘機は半数以下にすり減らされ、400〜500機あった攻撃機も30%を出撃前に戦力価値を失っていた。
英本土中枢部で待機する重爆撃機部隊はほぼ健在だったが、敵橋頭堡を攻撃するには戦闘機の護衛が必要なため、有効な戦力とは言えなくなっていた。
対する連合軍空母機動部隊も、1週間以上続いた猛烈な勢いの航空撃滅戦で、すでに全体の20%、800機近い戦力を消耗していた(※純粋に撃墜されたのは、この30%程度。損失の多くは着艦失敗と帰還後の破棄。)。
しかし6月2日からは機動群ごとに交代で後方に下がって、補給と共に航空機、航空隊の補給を受けているため、前線で運用される機体数に大きな減少は見られなかった。
連合軍は、空母の数から第一線に投入できる戦力に限りがあるため、換えのきく補充航空隊を十分以上に揃えていたのだ。
その数は、第一線機の2倍もになる。
なぜそれほどの数が動員できたかと言えば、答えは意外に簡単だった。
大戦中盤以後のアメリカ、日本の空母艦載機部隊は、連戦による疲労や消耗に備えて、航空隊が丸ごと交代できるように部隊数を二倍に増やして、実質二交代で運用するようになっていたからだ。
重要作戦で簡単に過積載することができるのも、交代用の航空隊から部隊を一時的に持ってきているからだ。
そしてこの作戦は乾坤一擲なので、一時的に自分たちのルールを破り、その全てを投入してきたことになる。
そして交代として入れ替わってきた航空隊の多くが、ソ連空軍などなら親衛隊と言われるような精鋭部隊だった。
日米の航空隊にそうしたものはないが、それでも各機体に施された派手なマーキングなどから、彼らの自信と精鋭度合いを見て取ることができる。
欧州枢軸側の出撃拠点は、イギリスが空母部隊はロンドンに近い英仏海峡南東部。
主力艦隊だけが、事前配置の影響で少し西のポーツマス。
フランスが英仏海峡対岸の各港。
ドイツが英本土から500キロほど東のヴィルヘルムス・ハーフェン。
最初の出撃は、英仏艦隊と合流するドイツ艦隊。
次いでフランス艦隊とイギリスの空母機動部隊。
最後に少し遅れてポーツマスのイギリス主力艦隊が出撃する。
北海から北大西洋に出る方が時間がかかるので、ドイツ艦隊の出撃開始は総出撃が決定する前の4日午前中に始まっていた。
これは港湾にいて事前空襲を避けるための洋上退避でもあったが、結果としてそのまま出撃することとなった。
英仏の空母部隊は、5日になってから出撃している。
英主力艦隊の方は、突入の時間調整もあるので半日以上遅れて出撃した。
そして7日黎明からは、ヘブリディース諸島沖合で史上最大規模の空母同士の戦いが行われる筈で、その日の午後には主力艦隊が連合軍の出撃地点に突入予定だった。
英主力艦隊だけが単独行動だが、こちらは英本国空軍が総力を挙げて上空を守る予定だった。
ドイツの主力艦隊は、空母部隊の前衛として途中まで行動を共にするが、最後に空母達と分かれて、一路敵上陸部隊を目指す。
主力艦隊が二手に分かれるのは、連合軍の侵攻場所を見誤った配置ミスと言われることもあるが、この作戦では連合軍の迎撃を混乱させ、作戦を成功させるためだった。
枢軸側も、連合軍が主力艦隊を複数運用していることは察知していたので、戦艦部隊同士が激突する可能性は十分に考慮していた。
机上演習では英独合同艦隊で突撃したが、連合軍も日米が総力を挙げて迎撃したため、二倍以上の戦力差の前に押しつぶされてしまう事が多かった。
つまりは押し潰されるのを避けるために主力艦隊を二分したのであり、つまり空母部隊と共にどちらか片方の主力艦隊も「囮」となる予定だった。
もちろん戦場では何が起こるか分からない。
偶然の一弾などで、格下が格上を撃破する可能性もゼロではない。
戦艦の群れならば、戦術で戦略をひっくり返せる可能性もある。
しかしそれは「奇跡」に類するものであり、欧州枢軸側も神の奇跡だけに縋るつもりはなかった。
何があろうとも、例え全滅しようとも、全ての艦が沈もうとも、作戦を完遂しなければならなかったのだ。
かくして「ラグナロク作戦」は開始される。