フェイズ57「WW2(51)ノースアイルランド上陸作戦1」-1
連合軍のイギリス本土「奪回」作戦は、大きく3つの段階に分かれていた。
第一段階は、辺境沿岸部の制空権獲得の目処を付けること。
これは、1945年4月一杯続いた空母部隊による空襲でほぼ達成された。
イギリス空軍の攻撃部隊が艦隊攻撃に出てこなかったのは予想外だったが、大きな問題はないと考えられていた。
第二段階は、イギリス本土中枢に進撃するための橋頭堡もしくは前線拠点の確保。
そして第三段階は、イギリス本土中枢への強襲上陸とそしてイギリス全土の解放となる。
そして1945年6月、第二段階が発動される。
作戦名は「オペレーション・アイスバーグ」。
日本名「氷山作戦」となるが、バーグはゲルマン系つまりドイツ系の「山」という意味がイギリスに伝わって出来た言葉だ。
北の海から押しよせる氷山になぞらえた作戦名だと一般的には言われるが、穿った見方をする者は欧州枢軸に対する当てつけとして作戦名に英独合わさった言葉を採用したと言った。
もっと酷い者は、欧州枢軸をいずれは溶けて無くなる氷山に例えたのだと言った。
もっとも、作戦名自体は単純な順番だったとする説も多い。
そして連合軍は、自らが立てた押し迫る戦争スケジュールに動かされるままに目標に従って動きだした。
1945年5月24日、連合軍の大艦隊が北アメリカ大陸北東部から出撃した。
空母機動部隊は英本土各所への空襲を繰り返してから帰投してすぐの出撃だが、全てが織り込み済みのため補給と最低限の整備、乗組員の最低限の休養、さらには新規艦艇の迎え入れと艦隊の再編成まで行われていた。
一連の空襲で艦艇の損害が無かったのが、うれしい誤算なぐらいだった。
伊藤とキンメルの艦隊は、さらに陣容を分厚くしていた。
5月27日には、その先発していた空母機動部隊の前衛部隊が、英本土北部沿岸各地を再び空襲した。
そして28日、電撃的に襲来した高速艦艇で編成された船団に運ばれた自由イギリス海軍の海軍コマンドと陸軍の1個旅団が、英本土北部のヘブリディース諸島に上陸を開始する。
自由イギリス軍のみが上陸したのは、そこが英本土の一部だからだ。
遂に連合軍は、英本土に一歩を記したのだ。
本来なら、この時点で英本国空軍は全力で迎撃を開始するべきだが、北部のレーダーサイト、空軍基地が壊滅状態から立ち直っていないため、機体とパイロットがあっても北からの攻撃に十分対処出来なかった。
またその機体とパイロットも、連合軍がコーンワル半島に侵攻してくる可能性がある程度高いと予測していた為、一部戦力の再配置から始めなければならなかった。
それに枢軸側の大前提として、艦隊と空軍の共同攻撃までは戦力温存が強く命じられていた。
単独で戦っても各個撃破されることは、今までの戦いで嫌と言うほど痛感させられていた。
そして乾坤一擲、存亡を賭けた戦いなので、一度に全ての戦力をぶつけなければ意味が無かった。
この戦いは、文字通りの決戦だった。
ヘブリディース諸島は、英本土の先にある細長い諸島だが、北にありすぎること、地形が険しい事、気象条件が悪すぎることなどから、殆ど人の住まない場所だった。
飛行場を作れる場所など無いが、それでもイギリス軍のレーダーサイトや監視哨が各所に置かれていたが、全て先月の爆撃で「地図のシミ」となっていた。
アイスランドからの重爆撃機の空襲が散発的に続くため再建もできておらず、その再建も本土を優先したので後回しにされていた。
僅かに守備隊が再配置されていたが、大規模な上陸をされることは想定外だったため、ほとんど何も出来ずに、降伏するか荒れ地の奥地へと逃れるしかなかった。
連合軍の目的は、何カ所か波の静かな入り江を確保する事にあった。
これから始まる大作戦で損傷した艦艇を一時避難させ、進出した工作艦で応急処置するためのものだった。
そしてそうした場所を占領する以上、本格的な大規模上陸作戦が始まった事は間違いなかった。
しかしイギリス本国は、北で地形も厳しい北端の島々に最初に上陸してくるのは、ほとんど想定していなかった。
しかしこれで、連合軍の侵攻がノースアイルランド又はスコットランド方面と確定したので、それだけが救いと言えた。
それまでは、アイルランド参戦の謀略はもちろん北部への攻撃はあくまで陽動で、連合軍の本命がコーンワル半島かもしれないという考えを棄てきれなかったからだ。
もちろん、連合軍の本命はノースアイルランドまたはスコットランドだと考えられていた。
だが、既に戦力差が大きく開いている現状では、連合軍は回りくどいことをせずコーンワル半島に強襲上陸を仕掛けてくる可能性も棄てきれないとも考えていた。
そのための謀略や陽動攻撃と考えると、辻褄も合ってくるからだ。
また、ノースアイルランドまたはスコットランド方面に攻めてくる際の拠点の一つとして、ヘブリディース諸島に襲来する事も一応は想定されていたが、4月半ば以後の空襲で可能性が多少は下がったと判断された。
コーンワル半島方面を激しく空襲した規模が陽動とは思えなかったからだ。
無論、陽動のため空襲を繰り返したと言うのが真相であり、イギリス本国軍でもそう言う見方は強かった。
自分たちが英本土を攻略するのならば、ノースアイルランドから手を付けるからだ。
だが、可能性がゼロではない以上、コーンワル半島方面の防衛を無視するわけにもいかなかった。
北に戦力を集めすぎたところに不意を打たれたら、一瞬で奪われてしまいかねないからだ。
とはいえ、イギリス本国軍は連合軍を過大評価しすぎていたとも言えるだろう。
もしくは、海で隔てられたノースアイルランド、防衛も難しいスコットランドより、平地が多く中央からの増援も送り込みやすいコーンワル半島方面に攻めてくることをイギリス本国軍が期待していたとも言える。
この事は、切り札の一つでもある「グロスター・ミーティア」ジェット戦闘機が運用できるコンクリート製滑走路を持つ飛行場が、コーンワル半島にも多かったことから伺い知ることができる。
歴史上でも、追い込まれた側が自分たちの都合で防衛計画を進めることは良くあることだった。
とにかく、連合軍は英本土侵攻の第一歩として、いささか地味ながらヘブリディース諸島に第一歩を記した。
そしてこれで、イギリスのみならず全ヨーロッパに警報が鳴り響いた。
戦史などでは、戦いを告げる角笛が鳴り響いた瞬間とも言われる。
欧州枢軸陣営は、1945年初夏から初秋までのどこかで、連合軍がイギリス本土に侵攻してくると予測していた。
そして、どこに侵攻されても簡単に防げないことも分かっていた。
だからこそ、反撃の手段となる機動戦力である海軍整備に力を入れ続けていた。
消耗した空軍の回復にも務めた。
そして連合軍はやって来た。
北部から侵攻してきた以上、次の目標はスコットランドの北西部に位置するアイラ島と考えられた。
アイラ島はアイラ・モルト・ウィスキーで有名な島だが、ノース海峡の北の入り口にあり、戦略的に重要な場所にあった。
そしてこの島を占領して海峡の制海権を得ると共に、アイルランド島またはブリテン島北部上陸の前線拠点とすると見られていた。
このためイギリス本国軍も、万が一の事態に備えてこの島には一定程度の守備隊を置いていた。
とはいえ、総面積600平方キロメートルで英本土のような平坦な地形なので、あまり守備隊を置ける環境でもなかった。
海岸線の長さを考えたら全ての場所の水際で撃退するのは無理で、上陸に適した限られた場所とその後背に守備隊を置くしかなかった。
その戦力も、本命ではないので大部隊を置いても仕方ない。
最悪無視され、存在価値のない遊兵と化してしまう。
このため1個師団が守備についているだけで、1944年に入ってから一時増援された工兵と共に各地に砲台や防御陣地を作っていた。
そして中途半端にしか守られていないアイラ島に、連合軍の上陸部隊が出現する。
6月1日、巨大な戦艦が何隻も並んで、盛んに艦砲射撃を実施。
上空には白黒の「侵攻帯」を付けた無数の航空機が舞い、蛇の目だけを付けたイギリス本国空軍を蹴散らした。
上陸に先駆けても、甲板上に無数のロケットランチャーを並べた火力支援艦と、ギリギリまで近づいてきた駆逐艦が、手当たり次第に上陸地点を叩いた。
そしてアメリカ海兵隊1個師団が、今までの戦闘よりもさらに洗練された装備と戦術を有した多数の水陸両用車両を先頭にして上陸を開始する。
M11を先陣とした小型艇の挺団は、もはや見慣れた光景ですらあった。
上陸予想地点なのでそれなりに陣地と砲台があったが、多くを破壊された上に制空権、制海権は絶対的なため、守備隊はほとんど何もできなかった。
それでも残る火力を海岸に迫る敵に向けるも、火を噴いた途端に連合軍の砲撃や爆撃が集中して沈黙していった。
北大西洋上の沖合には無数の空母が展開しているため、ようやく再配置が進んだイギリス本国空軍は反撃の糸口が掴めない状態だった。
そして連合軍の侵攻部隊を攻撃するには海軍との連携が必要不可欠だが、海軍は敵の主力侵攻部隊が現れるまで出撃しない方針だった。
これはイギリス本国海軍のみならず、ドイツ、フランスなど欧州枢軸全体の方針でもあった。
一撃で決定的成果が得られる出撃でなければ、ようやく再建された海軍主力部隊をすりつぶす意味がないからだ。
もちろんだが、欧州枢軸各国の海軍の出撃準備は急ぎ進められ、欧州枢軸始まって以来の大艦隊が姿を見せつつあった。
そして彼らが撃滅するべき敵の侵攻部隊が、遂に姿を見せたからだ。
6月5日、連合軍の巨大な侵攻船団がアイルランド島北東海域に姿を見せる。
そして彼らの侵攻速度を考えると、上陸場所がほぼ確定できた。
スコットランド中枢地域に上陸するのなら、もう一日早く同じ海域に進出しているべきだったからだ。
アイラ島に上陸したことでスコットランド上陸の可能性も高まったが、それならさらに内陸よりの島にも早い段階で手を出していると考えられた。
だが、スコットランドに上陸してくる場合も想定しなければならないため、戦力の配置は中途半端にならざるを得ない。
仮にスコットランドに上陸を許した場合、南部のブリテン中心部とは高地で隔てられたスコットランドを前進拠点として、空と海だけでなく陸でも前線を構えなければならないが、その場合イギリス本国の方がより不利になると予測された。
もちろん、補給や制空権の面で連合軍が不利な要素も強まるが、相対的な戦力差から連合軍が危険を冒してでもスコットランドに来る可能性は否定出来なかった。
だが、船団の位置と速度から考えると、潮位が丁度良くなる6日の早朝までに船団がスコットランドの上陸予測海岸の沖合に展開することは不可能だった。
速度を上げれば可能だが、それをするには船団が巨大すぎるし、そもそも船の速度的に無理だった。
つまり7日のスコットランド上陸を予定していると考えられるが、それにしては位置が中途半端だった。
そしてスコットランド上陸という予測に足を引っ張られていた為、イギリス本国軍は本命の防衛のための動きが遅れざるを得なかった。
連合軍の目標は、ノースアイルランド。
上陸地点はアイルランド島の北東部で、占領したばかりのアイラ島のノース海峡を挟んで向かい側の辺りだ。
この辺りなら辛うじて大部隊が上陸できる砂浜や海岸が広がっており、そしてノースアイルランドは平坦な地形なので、上陸して橋頭堡を作ってしまえば、短期間での全地域制圧は比較的容易いと結論されていた。
本土から孤立している上に、配置されている戦力が限られているからだ。
加えてノース海峡にさしかかるので、上陸地点の波の高さも許容範囲と判断されていた。
連合軍がノースアイルランド侵攻で軍事的に注意するべきは、上陸地点に殺到してくると予測される枢軸側の海軍と空軍だけだった。
そして何より、軍事的以上に注意するべきは政治的問題だった。
ノースアイルランドは、イギリスの歴史上、政治上で極めてデリケートな場所だからだ。
加えてアイルランドと国境を接しているため、国境近辺での戦闘行為は慎重に行わなくてはならなかった。
英連邦自由政府も、ノースアイルランド侵攻は何度も中止を要請したほどだ。
だがチャーチルは、逆にノースアイルランドから英本土に進むことこそが、正統なイギリス奪回の道筋と考えて賛同し、反対する人々を説得した。
ノースアイルランド侵攻に際した連合軍の戦略目的は、可能な限り確実かつ迅速に英本土中枢部進撃のための前進拠点を確保すること。
特に多数の空軍部隊を展開させる為、安全な拠点として機能するノースアイルランドを求めた。
連合軍としては、ノースアイルランドで空軍部隊を本格的に作戦行動開始させた時点で、英本土奪還もしくは解放は成功したも同然で、あとは時間がどれほどかかるかという事だけだった。
そしてそれも1945年内には決着が付くと見ていた。
同年9月には、ブリテン島への上陸を予定して準備が進められていた。
なお同時期、南フランスでも本格的反攻作戦が開始され、ロシア戦線でもソ連軍が大規模な夏季攻勢の準備を進めていたので、欧州枢軸各国はイギリス本土救援に海軍以外を出すことは不可能と判断されていた。
1945年6月は、連合軍の総反攻の時だった。
そして枢軸側は、戦争全体の決定的破局を避けるため戦わねばならなかった。
特に、イギリス本国政府の動揺と焦りは強かった。
何度も言うが、ノースアイルランドはイギリスの政治上で、極めてデリケートな場所だった。
仮にアイルランドが参戦しないとしても、ノースアイルランドを連合軍、わけても本国政府にとっては反逆者の英連邦自由政府が支配すること事は、断固として受け入れられなかった。
政治的には、ブリテン島に侵攻される方がまだマシというほどの場所だった。
だからこそイギリス本国政府は、総力を挙げて敵侵攻部隊を攻撃することを枢軸各国に伝え、海軍主力部隊の総力出撃を極めて強く、脅してまでして要請した。
そしてドイツ総司令部も、この戦いで連合軍を撃退できなければイギリスが戦争から脱落し、欧州枢軸の戦争経済の瓦解が一層進むと考え、海軍に総力を挙げた出撃を命令した。
ヒトラー総統は「死力を越える力を出し尽くして戦う以外、勝利の道はない」と檄を飛ばした。