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日米蜜月  作者: 扶桑かつみ
71/140

フェイズ45「WW2(39)オペレーション・トーチ」-2

 上記(前節)のように、数を数えるのも億劫になるほどの規模の艦隊に膨れあがっていた。

 しかもアメリカ東海岸では、刻々と多数の艦艇が建造されつつあり、一ヶ月違えば規模はそれだけ増えた。

 日本でも多数の艦艇が建造されていたが、大西洋に来るだけで一ヶ月以上かかるので、常にアメリカよりワンテンポ遅れている。

 

 また、最後に掲載した支援艦隊は、交代でダカールなど前線近くに進出している前線補給部隊で、大規模作戦では戦闘部隊の後方に待機している場合もある。

 同部隊の護衛空母は、ほとんどが戦闘のためではなく前線に航空機と交代のパイロットを迅速に供給するためのものだ。

 さらに、アメリカ本土東岸には、無数のタンカーや支援艦艇が待機している。

 重油備蓄のための拠点すら新設された。

 この潤沢な補給体制が、連合軍の巨大な艦隊の有機的運用を可能としていた。

 そして連合軍は、この時最大で3ヶ月の連続作戦行動が可能なだけの物資を準備していた。

 つまり11月末までが、この巨大な艦隊の秋の活動期間だった。

 作戦参加する将兵達は、積み上げられる膨大な量の物資を見て、このまま一気に欧州大陸に上陸するのだと噂し合ったほどだった。

 

 そしてもちろんだが、一度に記載した全ての艦隊が動くわけではない。

 作戦、任務に応じて動き、そして戦闘に加入する予定になっている。

 特に上陸部隊と共に行動する連合軍第6艦隊は、上陸作戦の段階で作戦行動予定だった。

 また、幾つかの艦隊は練成中だったので、編成表の上だけで組み込まれている状態に近いものもあった。

 特にアメリカ海軍は規模が肥大化の段階に達しているため、徴兵された水兵の練度が不足している場合があり、また下士官、将校の経験値も足りていない事があった。

 日本海軍も同様の問題を抱えており、第一線以外の大佐(=※連合軍戦時特例で准将扱いの指揮官級)は八八艦隊時代に将校となった老大佐が指揮官だったりした。

 


 上記した艦隊のうち、西アフリカのダカールに常駐していたのがアメリカ第4艦隊の旧式戦艦部隊と連合軍第1艦隊の一部、護衛空母群のうちの1つで、他は北米東岸で訓練や待機などとなっている。

 そしてノーフォーク近辺の長大な岸壁には、主に日米の無数の艦艇が接岸し、人々の度肝を抜いていた。

 これだけ多数の艦艇が存在するとは、流石のアメリカ人でも想像の外だったからだ。

 だが記載された以外にも、多数の艦艇が作戦行動予定だった。

 

 割愛と記載したうち、潜水艦隊だけで日米合わせて常時40隻以上が何らかの任務で北大西洋上やヨーロッパ近海に展開しいた。

 そして常時40隻を洋上に展開するためには、最低でも120隻が必要だった。

 

 潜水艦を狩るハンターキラー部隊は、駆逐隊1隊のみか、駆逐隊1隊に護衛空母1隻〜数隻を伴った部隊の二種類あったが、常時複数が展開していた。

 また大規模作戦の際には、多数の部隊が事前に出撃して、所定の海域で前線に殺到しようとする枢軸側の潜水艦狩りを実施する手はずになっていた。

 

 そしてこれらの艦隊に守られながら強襲上陸部隊を運ぶ揚陸船舶は、ダカールに進出しているだけで大型の兵員輸送船48隻、貨物輸送船47隻あった。

 他にもドック型揚陸艦、ランプ型揚陸艦、戦車揚陸艦、中型揚陸艦、歩兵揚陸艇、戦車揚陸艇、旧式駆逐艦改造の高速輸送艦、さらに各種揚陸艦、揚陸艇を改造してロケット砲などを搭載した火力支援艦など、合わせて380隻に達する。

 これらの艦船が搭載する上陸用舟艇まで数えると1000の単位になり、もはや「無数」といえる。

 これで約17万名、約5個師団と膨大な兵器と物資を運ぶ。

 そして大型の輸送船、揚陸艦が多くを占める船団がアメリカ本土東岸に位置しており、第二派以後の上陸部隊をピストン輸送で運ぶ手はずになっていた。

 この後発部隊だけでも大型輸送船など150隻になる。

 それ以外にも、第二弾の上陸作戦のため多数の揚陸艦船があった。

 

 モロッコの海岸に最初に上陸するのは、アメリカの第2海兵師団を先陣として、陸軍第1師団、第1騎兵師団、第32師団、第77師団になる。

 その他独立大隊、レンジャー大隊など多くの支援部隊が付属する。

 加えて、フランスの植民地に攻め込むので、救国フランス軍の部隊も半ば形だけ属していた。

 陸軍部隊の多くが、中華戦線から移動してきたいわゆる「マッカーサーの兵士達」で、上陸作戦の総指揮官もダグラス・マッカーサー大将が務めることとなる。

 さらに海軍各部隊の一部が、基本的にはマッカーサー将軍の命令で動く。

 

 なおマッカーサー将軍は、中華戦線からアメリカ本土に移動してきた日本軍部隊も、一部でよいので作戦参加させるつもりだった。

 彼らも彼の兵士達だからだ。

 

 だが、日本側の準備不足のため無理だという知らせを受けて、やむを得ず断念していた。

 

 この時期の北米の日本陸軍は、戦国時代から続く大名家にして現侯爵家当主の前田利為大将を総指揮官として、本間雅晴中将などを実戦部隊の司令官とした1個軍が移動しつつあった。

 400年近く続く名家の前田将軍はアメリカ上流階級から大人気で、軍務よりも実質的な外交に奔走させられることになる為、実務は本間将軍らが行なっていた。

 しかし準備不足というのは日本側が水面下で政治的配慮を示した結果で、実際は既に1個軍団程度は実戦投入可能だったと言われている。

 彼らはアメリカ南部各地の駐屯地で、部隊の編成と装備受領、そして訓練を行っていた。

 この時日本人達は、アメリカの人種差別の強さを知ることになったと言われるが、逆にアメリカ(南部)では人種差別を改める大きな一歩になったと言われている。

 

 なお、アメリカ国内に他国の兵士が友軍として多数入り込んだのは、独立戦争時のフランス軍を除くと建国史上初めてといえる事件だった。

 すでに日本海軍の大部隊が東海岸に陣取っていたが、彼らは主に人気の少ない沿岸部にしかいないので、日本陸軍の米本土移動はアメリカ国内で非常に注目された。

 

 また、各艦隊の現場での指揮権だが、海軍全般はアメリカ大西洋艦隊司令長官のニミッツ大将が持っていた。

 ちなみに、当時の海軍長官はノックス提督が急死したため次官だったフォレスタル提督が昇進の形で役職に就き、作戦本部長はスターク提督、合衆国艦隊司令長官は開戦前からずっとキング提督だった。

 日本海軍で言えば、海軍大臣、軍令部総長、聯合艦隊司令長官にあたり、この三職は合衆国海軍3長官と言う事がある。

 

 そして実戦部隊のほぼ全てを預かるニミッツ提督はワシントンかノーフォークの司令部にいて総合的な運営などの裏方に徹して前線指揮は現場に任せる向きが強かった。

 そしてスプルアンス大将が、第28機動部隊だけでなく日本の第一機動艦隊の実質的な指揮権を有していた。

 これは小沢提督が中将だからではなく、有機的な作戦実施のため日米共に了解の上で取られた措置だった。

 また小沢提督は日本海軍での正規階級は中将だが、連合軍内での艦隊指揮上では大将待遇で同格とされている。

 これに対してアメリカ第6艦隊、連合軍第1艦隊は上陸支援任務が主なので、上陸作戦部隊の総司令官であるターナー提督を介するも、マッカーサー将軍が優先的な指揮権を有することになっていた。

 


 この大艦隊が実施する「トーチ作戦」は、主に三段階からなっていた。

 

 最初に米機動部隊が半年前同様にモロッコを強襲して、短期的な航空撃滅戦を展開する。

 これは敵情を探る意味もあり、モロッコの抵抗力で作戦の方向性が決まることになる。

 抵抗が大きい場合は、日本海軍の機動部隊も投入した徹底した航空撃滅戦が次に予定されていた。

 次に、モロッコでの抵抗が想定範囲内、米機動部隊で十分に相手に出来る程度の場合、作戦を本格発動させる。

 そして必然的に攻略部隊が動き始めるが、この段階で欧州枢軸海軍が迎撃のために動くと予測された。

 そこで先手を取るため日本艦隊が欧州北西部に進み、イギリス海峡両側のイギリス、フランスの軍港を強襲し、艦隊がいる場合は艦隊を、いない場合は港湾と他の船舶を狙う。

 特に補給艦艇の撃破と、港湾機能の一時的低下を図ることが目的とされていた。

 これにより敵艦隊を動きを抑え、実質的な活動もさせにくくする。

 

 最後に日米の機動部隊を先鋒として、モロッコに対する強襲上陸作戦を決行する。

 

 敵の拠点を正面から攻略するに当たり、冒険的要素、賭博的要素を可能な限り排除した堅実な作戦だった。

 物量を全面に押し出しすぎている、贅沢すぎるという意見もあるが、敵を圧倒できるなら圧倒できるだけ戦力を投入して味方の損害を極力少なくするのが戦争というものだ。

 勝ち易きに勝つ作戦こそが、戦争で最も優れた作戦だからだ。

 

 それにこの時は、「欧州の城門」を突き破るには、それだけの戦力が必要だと考えられていた。

 


 対する枢軸側だが、洋上戦力は大きく不足していた。

 

 原因は幾つかある。

 

 まず、欧州枢軸各国が戦争中に建造開始した大型艦艇が、まだ完成していないものが多かった。

 大型空母、大型戦艦は建造に手間がかかるので、どうしても3年以上、できれば4年程度の時間がかかる(※アメリカはほぼ唯一の例外)。

 3交代24時間体制などのような突貫工事を実施しても、手間のかかる事に変化がないので1年程度の短縮が精一杯だ。

 最も大規模で高い効率を持つ造船業を有するアメリカですら、時間のかかる事なのだ。

 アメリカですら《モンタナ級》戦艦の大量建造には苦労していた。

 

 次に、今までの戦争での消耗で洋上作戦行動が可能な航空機パイロットが、大きく不足していた。

 特に1944年に入ってからの連合軍の二度の攻勢で、攻撃機、爆撃機のパイロットの消耗が激しく、半年や数ヶ月では補充や穴埋めはできず、各地の部隊は実状で壊滅状態のままだった。

 それでも機体は新型機を含めて揃っていたので、上層部はそれなりの戦力があると考えていた。

 だが、この考え方自体が間違っている。

 欧州沿岸での戦いが始まるまでに、カリブ、インド洋で激しい戦いをして消耗した後で、さらに最近に大きな損害を受けているので実状は非常に悪かった。

 幸い継続した航空撃滅戦が行われていないので、現場では多くの時間を訓練に充てていたが、そもそも基礎訓練ですら十分ではないパイロットでは、急速な能力の向上は難しかった。

 パイロットとは、2〜3年かけて育てるものなのだ。

 加えて洋上作戦となると、飛ぶ以外のことも学ぶとなるのでさらに時間がかかる。

 

 それでも数があるだけ、航空隊はマシだった。

 艦隊の方は、まだ新鋭艦が揃わないばかりか、6月半ばの「アイスランド沖海戦」で受けた傷がまだ癒えていない艦も少なからずあった。

 艦艇用より威力の低い航空魚雷とはいえ、まともに雷撃を受けると修理には最悪で半年もかかった。

 

 また前の海戦から二ヶ月程度では、新鋭艦を迎えることは殆ど出来ていなかった。

 イギリス海軍の16インチ砲搭載戦艦の《ライオン》と、フランス海軍期待の中型高速空母の《ジョッフル》、《ペインヴェ》が突貫工事の末何とか完成したが、まだ訓練中で就役に至っていなかった。

 そしてこの3艦を加えても、欧州枢軸海軍は連合軍海軍に対して大きく劣勢だった。

 


 1944年3月に改訂された欧州枢軸側の迎撃計画「V作戦」のモロッコ方面への侵攻に備えた「V-1作戦」では、現地航空隊が制空権を維持している間に、大西洋と地中海側双方から欧州枢軸海軍の総力を挙げた艦隊が殺到し、迎撃に出るであろう連合軍艦隊に艦隊決戦を挑むと同時に、侵攻してきた船団を撃滅する事になっていた。

 

 しかしこの作戦は、実施が1945年春頃と想定されていた。

 その頃にならなければ、十分な数の大型艦艇が揃わないからだ。

 それまでにモロッコ方面に侵攻があった場合は、44年2月の時ように航空機と潜水艦による迎撃と陸上での水際防御に重点が置かれることになっていた。

 そして6月のアイスランドを巡る戦闘で、事態がさらに悪いことが確実視されたため、海軍を除く兵力による迎撃に傾倒することとなる。

 

 モロッコへの増援部隊、陣地構築のための資材が優先的に供給され、工兵部隊も大幅に増強された。

 

 モロッコの地上部隊は、基本的にフランス軍だけだった。

 もとがフランス領なのもあるが、半年ほど前までいたイタリア軍がリビア、チュニジア方面に全て移動した為だった。

 イギリス本国軍が増援に来ることが決まっていたが、リビアの方が火急で英本土の防衛体制も急ぎ整えないといけなくなったため、本格的な到着は1944年秋以後の事だった。

 

 しかしフランス軍自体も、数は十分ではなかった。

 

 この戦争でのフランス軍は、1940年春にドイツ軍に惨敗を喫した。

 それ以前の問題として、第一次世界大戦からの人口学的な打撃から、まだ完全には立ち直れていなかった。

 このため見かけの人口に比較して、動員能力が大きく低下している。

 しかも1940年に一度敗北したことによる混乱もあった。

 国力も大きく減退していた。

 敗戦時のドイツからの賠償金こそ少なかったが、その時設定された強引な為替取引の為だ。

 為替操作でフランスは多くの資金、資産をドイツに取られていた。

 特に支払いには、ドイツの「強い要望」によりフランス銀行にあった金塊が多く充てられていた。

 加えて、鉄鋼産業の3分の1を担うアルザス・ロレーヌ地方を割譲されたことも、フランス経済の有機性を著しく阻害していた。

 総合的な評価では、戦前の工業生産力の60%程度しか発揮できない状態だった。

 単純に鉄鋼生産力で見ると、戦前での総力戦最大数値が1200万トンであるのに、700万トン程度しかない事になる。

 その分ドイツの鉄鋼生産力が400万トン増えたが、フランスにとってはマイナスばかりが目立っていた。

 この大戦でフランスが低調だったのも、経済的には仕方のない事だった。

 

 それでもロシア戦線に3個軍を投入し、欧州枢軸軍としての責務を果たした。

 そしてロシア戦線では、日々の消耗への補充と交代があるため、派兵する実数以上の兵士が必要だった。

 そして43年に1個軍が壊滅的打撃を受けて2個軍体制に縮小するが、それも連合軍の攻勢に対抗するため、ほぼ全てを引き揚げた。

 そして休養と再編成の後に、順次モロッコ方面に派兵された。

 

 1944年春以後のフランス軍は、兵力の3分の1が北西部を中心としたフランス本土にあり、残りの殆どがモロッコかその周辺部にあった。

 数にして総数100万以上であり、ドイツ占領から復帰後に一度退役するも祖国の危機を前に現役復帰したアンリ・ジロー大将が指揮した。

 この軍団は「フランス・西アフリカ軍集団」と呼称され、実質的にフランス陸軍の主力部隊だった。

 麾下の戦力としては、機甲師団3個、機械化師団2個、自動車化師団3個など30個師団以上があった。

 フランス軍伝統の砲兵も出来る限り動員されており、カサブランカなど沿岸部の主要都市には沿岸重砲兵も展開していた。

 もっとも、装備の半分以上はイギリス本国からの供与品であり、「S-41D中戦車」、「S-44重戦車」などの国産兵器は十分では無かった。

 しかも戦前から兵器開発に失敗したり停滞していた影響から、有力な兵器が不足しているのが実状だった。

 このため額面通りの戦力とは言えなかった。

 しかも兵力の3割程度は、戦力も士気も劣る植民地警備部隊や老年兵を中心とした予備部隊なので、前線配備はできなかった。

 またカサブランカ方面、ジブラルタル海峡方面に兵力を集中しているとはいえ、モロッコは広いので戦力も十分とは言えなかった。

 

 ジブラルタルにのみイギリス本国軍がいたが、ジブラルタルは非常に狭いので象徴的意味合いで海軍の海兵隊と陸軍の守備隊が若干いる程度だった。

 例外は要塞の沿岸砲兵だが、それも戦力は限られていた。

 ジブラルタルが近代戦で本格的戦場になることなど、通常想定されていなかったからだ。

 


 モロッコの枢軸空軍の方も、フランス空軍が主力を務めていた。

 44年春まで居たイタリア空軍は、激戦が始まったリビア方面に全て引き揚げた。

 このためモロッコには、フランス空軍以外だと再建されたドイツ空軍の第五航空艦隊だけになっていた。

 しかもドイツ空軍は、航空艦隊と言っても編成上は半個航空艦隊で、さらに戦力は限られていたので実働150機程度しかなかった。

 当然他方からの増援を求めたが、初夏に英本土北部が空襲を受けたことで、欧州全体が混乱していた。

 当のフランスも、海軍拠点のブレストがあるブルターニュ半島など北西部の防衛に力を入れざるを得なかった。

 

 最も期待されたイギリス本国空軍も、リビア方面への展開と当面の戦力建て直しに懸命で、約束した派兵は秋以後の予定だった。

 既に戦局は、本国の防備が急務だった。

 加えて、イギリス空軍は、実質的に圧倒的不利なリビア方面の空も支えている為、本土防空と合わせて他に手が回らない状態だった。

 英本土での兵器の生産は比較的順調だが、カリブ、インドでの激しい消耗が響いて、パイロットなどが大いに不足しているのだ。

 

 そして盟主ドイツの空軍だが、ただでさえ消耗している上に、春まで比較的安定していたロシア戦線が大変な事になっているので、他に構っている場合では無かった。

 

 そして欧州枢軸各国の軍事力が分散されている事そのものが、欧州枢軸が戦略的に追いつめられつつあることを示していた。

 そして攻撃の選択権を持っているのは、常に連合軍だった。

 

 その連合軍の未曾有の大艦隊が迫りつつあった。


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