フェイズ45「WW2(39)オペレーション・トーチ」-1
1944年5月から7月にかけて、ヨーロッパ周辺へと移動しつつあった3つの戦線は激しい動きを見せた。
戦争の大転換期と言われることもあるほどの変化だった。
全て連合軍の攻勢の結果であり、連合軍はアイスランド島とクレタ島を陥落させ、ソ連軍を中心としたロシア戦線は南部の要衝クルスクを奪回し、さらなる前進を続けていた。
ナチスドイツを盟主とした欧州枢軸は防戦一方に追いやられ、国力差、生産力差から押しとどめる以外の戦略的手段が無かった。
従来の戦争ならば負けを認めて講和を求めるという手段もあったが、「イデオロギー・ウォー」でもある第二次世界大戦ではそれも通用しない。
その事は、中華民国の悲惨な末路が全てを物語っていた。
「戦争を終わらせるための戦争」とすら言われた第一次世界大戦よりも過酷で容赦のない戦争こそが、第二次世界大戦だった。
そうした中、戦争の大転換期から取り残された欧州枢軸の牙城こそが、ジブラルタル海峡を抱えるモロッコ戦線だった。
当時モロッコ戦線は、ダカールに陣取る連合軍が航続距離に優れた重爆撃機を少数ずつ定期的に飛ばすだけの戦場だった。
間に中立国スペインの植民地があり、海と砂漠で大きく隔てられているので、地上侵攻も不可能だった。
連合軍の侵攻は海からの渡洋侵攻と強襲上陸以外なく、それは1944年2月の航空戦の失敗でとん挫していた。
連合軍がモロッコに本格的に侵攻して確固とした足場を確保すれば、欧州枢軸の北アフリカ戦線の全面崩壊を意味していた。
そうなれば、戦場はいよいよ欧州本土となる。
しかし最初の戦場はイタリアがほぼ確定しており、不安定な政治状態にあるイタリアが徹底抗戦するかが不透明だった。
地中海に面するフランスも、動揺が広がると予測された。
それ以前の問題として、欧州世界は地中海が丸裸となり「柔らかい下腹部」を連合軍にさらしてしまう事になる。
その予兆のような攻撃がアメリカ軍の手によって行われる。
1944年6月16日、アイスランド、クルスクでの戦いが終わったすぐ後、今度は南から連合軍がやって来た。
エジプトのポートサイドを離陸して成層圏から飛来したのは、第8航空軍に属する「ボーイング B-29 スーパーフライングフォートレス」超重爆撃機63機の編隊だった。
「B-29」は、第二次世界大戦後半を代表する戦略爆撃機だった。
同時にアメリカでしか作り得ない、時代を超越するほどの革新的な超兵器だった。
全長30メートル、全幅43メートル、自重32トンの巨体ながら、最高時速576キロで飛行することができる。
航続距離は最大で6600キロメートルで、最大爆弾搭載量は9トンにも達するなど、全ての面で従来の重爆撃機の常識を凌駕していた。
この性能を知って、日本軍は自らの重爆撃機の開発計画を大きく上方修正するか、最悪白紙撤回したほどだった。
しかも、単にカタログスペックが高性能なだけでなく、随所に最新技術が投入されていた。
遠隔操作の防御銃塔、余圧式の乗員区画など優れた装備を持ち、その上成層圏を飛行することが出来た。
当時成層圏は、いわば「神の領域」だった。
空気が薄くなり酸素が必要なエンジンの出力が大きく落ちるため、普通の飛行機では例え高性能でも飛ぶのがやっとだった。
飛ぶためには、エンジンに圧縮された濃厚な空気を送り込む排気タービン過給器を搭載する必要があった。
これは当時アメリカだけが量産化に成功した装備で、B-29はこれも装備して成層圏で活動できる世界初の重爆撃機だった。
「B-29」の編隊は枢軸側のレーダーに捉えられたが、すぐにも混乱が起きた。
まず、巡航速度が今までの重爆撃機よりも速かった。
今まで最も速い巡航速度を持つ重爆撃機は、やや旧式化したとはいえまだまだ現役の日本の「深山」だった。
だが未確認機は「深山」より50キロ以上速かった。
しかも高度を測定するレーダー情報が正しければ、高度9000メートル以上という今までにない高々度を飛行していた。
今までは、高くても8000メートル程度だった。
酸素マスクや電熱服があっても、人としての限界を超えてしまうからだ。
つまり、生半可な迎撃では全く対応できない状態だった。
この時期の欧州枢軸側も、遠からず連合軍の本格的な都市無差別爆撃(=戦略爆撃)が始まることは予測していた。
そのための準備も、限られたリソースを割きつつ少しずつだが進められていた。
特に矢面となる可能性が高い地中海方面では、今までおざなりにされていた対空レーダーサイト、迎撃機、迎撃機の飛行場、高射砲が整備されつつあった。
そしてこの時まともに機能したのは、レーダーサイトだけだった。
目標が高度9000メートル以上では、数の上で多かった旧式の高射砲(※新型はほとんど対戦車砲として前線にあった)では真上を飛んでも届かなかった。
機械式過給器を搭載しなければ、液冷戦闘機でも同じ高さに登るだけで精一杯の空域だった。
しかも上昇するためには多くの時間が必要なため、従来通りの迎撃タイミングでは全く間に合わなかった。
「B-29」は進撃途上で編隊から脱落する機体もあったが、それは自らの故障による脱落・後退だけだった。
その「B-29」の編隊が爆撃したのは、イタリア南部の主要都市ナポリ。
爆弾投下量は、約230トン。
高々度から爆弾を絨毯爆撃で投下してから、悠然と去っていった。
高々度からの爆撃のため実質的な被害は軽かったが、受けた心理的衝撃は非常に大きかった。
何しろまともな迎撃が出来なかったからだ。
ナポリとその周辺には、既に多くの高射砲とレーダーサイトが配備され、迎撃専門の飛行大隊も展開していた。
ナポリに至るルート上にも、レーダーサイトや飛行場があった。
しかしイタリア軍は、ほとんどまともに迎撃出来なかった。
飛行進路に近かった少数のドイツ製88mm高射砲が何とか成層圏近くまで届いたが、爆撃時の「B-29」は巡航時よりさらに500メートル上昇していた事もあって有効とは言い難かった。
敵機が真上にこないと、射程距離の面でほとんど意味がないからだ。
空の騎士となるべきイタリア空軍もほとんど迎撃に失敗し、接触した戦闘機も「B-29」の猛烈な対空砲火と高空の厳しい環境のため、実質的に何も出来なかった。
そして衝撃の大きさは、迎撃の難しさだけではなかった。
航続距離ではなく、作戦行動半径が2000キロメートルを越えることがこの攻撃で証明されたからだ。
つまり、東欧全域が作戦行動圏内であり、欧州枢軸の生命線となっていたルーマニアのプロエシュチ油田もその中に含まれていた。
それでなくても、先月(5月)末にクレタ島が陥落した事でギリシア方面では通常の航空撃滅戦が開始されつつあり、予断を許さない状態だった。
その上高々度迎撃を強いられるとあっては、現地を守るドイツ第三航空艦隊の負担は増すばかりだった。
さらに言えば、「B-29」は枢軸側が掴んでいる情報より高性能な可能性も高く、最悪全ヨーロッパが「B-29」の作戦行動圏内という可能性も十分に予測できた。
登場当初の「B-29」とは、性能上はまさに超兵器だった。
これ以後ドイツは、慌てて防空体制の整備と高々度迎撃機の開発に狂奔することになる。
連動して、今まであまり重視されていなかったジェット戦闘機、ロケット戦闘機の開発速度を大幅に早めることとなる。
そして多くの資源、人材を防空のために浪費するようになり、そのしわ寄せは他の兵器生産、前線へと影響した。
加えて、ルーマニアのプロエシュチ油田を守る第三航空艦隊への迎撃戦闘機の配備を急ぎ、当然他の部隊にしわ寄せがいった。
そしてドイツが懸念したように、この爆撃を始まりとして、連合軍の欧州大陸に対する戦略爆撃が開始される。
爆撃に参加したのは「B-29」だけでなく、当初はむしろ旧式の「B-17」、「B-24」が主力だった。
「B-29」の数が少なく、加えて恐ろしく稼働率が低かったためだ(※暑さと砂漠の砂、潮風などもあって、稼働率は20%程度だった)。
日本軍も「深山」か「深山改」を有していたが、この頃の「深山」はかつての任務を思い出したように、地中海を低空で飛び回ってシチリア島近辺での活動を活発化させていたので、戦略爆撃には形だけしか参加しなかった。
なお、1944年中の戦略爆撃は、枢軸側の防衛体制と連合軍の航続距離の関係もあって、イタリア南部やバルカン半島の一部に限られていた。
一度ルーマニアのプロエシュチ油田も100機編成の編隊で爆撃したが、枢軸軍の抵抗が激しいため多くの損害を出して、それ以後無期延期とされた。
この迎撃で第三航空艦隊指揮官のケッセルリンク元帥は、その後の爆撃機迎撃の基本となる迎撃戦を実施し、しかも押しよせる爆撃機より多い数の迎撃戦闘機によって撃退に成功している。
そして連合軍は、一連の戦略爆撃によって一つの事を再確認する。
今更、戦略爆撃という迂遠な方法を大規模に進めるよりも、一日も早くヨーロッパに進軍しなければならない、と。
そしてその最初の準備は、既に整っていた。
1944年夏、アメリカ海軍の空母機動部隊(TF.48)が、約半年ぶりにモロッコ沖合に戻ってきた。
2月のTF.28の時に受けた損害は、雷撃を受けた一部艦艇の修理が遅れている事を除いて癒され、それだけでなくさらなる新規兵力を数多く加えていた。
特に《エセックス級》空母が44年の前半に集中して就役しており、その実戦配備が急ぎ進められた。
枢軸側にとって幸いと言うべきか、8月の時点では初夏にアイスランドと英本土北部沖合に現れた日本海軍の空母機動部隊の姿は無かったが、それは慰めにはならなかった。
連合軍は着実に戦力を増やしていたが、迎撃する現地欧州枢軸軍の戦力は十分に回復していなかった。
戦時生産がフル回転しているので機体の数だけはむしろ増えていたが、パイロットが不足していた。
特に洋上飛行が出来る攻撃機パイロットは激減していた。
と言うのも、2月のモロッコ沖、5月末からの英本土北部での洋上航空戦と連合軍の空襲によって、欧州全体で洋上飛行が出来る攻撃機パイロットの多くが撃墜されていたからだ。
しかも洋上で撃墜されているので、パラシュートで機体から脱出しても助かる者は多くは無かった。
その上、そもそも欧州枢軸では洋上飛行が出来る攻撃機パイロットは、戦争初期からずっと希少種だった。
慌てて大量育成も行われたが、欧州沿岸で戦う前にカリブ海とインド、中東の各線戦に逐次投入されて消耗していた。
しかも盟主ドイツ(空軍のゲーリング国家元帥)は、洋上作戦を行えるパイロットの育成を軽視し続けていた。
そして44年2月と6月の戦いで、せっかく回復途上だったパイロット達の多くが失われてしまった。
教導部隊まで出撃させたため教官にすら事欠く状態で、時間も長く見ても半年しかないため回復する事は物理的に不可能だった。
例外はイギリスを中心とした空母機動部隊で、各国海軍が頑としてパイロットの拠出を拒んだので、来るべき時に備えて温存されていた。
しかしそれも、5月の強大な日本艦隊との海戦で戦闘機隊以外は壊滅的打撃を受け、夏の時点では補充兵の再訓練が本格化したばかりだった。
だが、米機動部隊の出現は、来るべき時が訪れたことを伝えているように思えた。
もっとも、夏に現れた米機動部隊は、2月と違って辻斬りのように一通り空襲するとあっさりと去っていった。
これは連合軍にとっては一種の威力偵察と、限定的な航空撃滅戦の一環でしかなかった。
もちろん多くの資源を消費する貴重な空母機動部隊なので、何度もそのような任務に投じることはできない。
言ってみれば、本番の前のリハーサルのようなもの、もしくは役者が揃う前の前座のようなものでしかなかった。
(※戦略上の実際は違っていたのだが。)
そして9月に入ると、アイスランド作戦後の休養と再編成を終えた日本海軍の空母機動部隊が大西洋へと出撃する。
当然ながら、アメリカ海軍の空母機動部隊も補給を終えて再出撃した。
しかもアメリカ本土では、膨大な数の艦艇、船舶が続々と出撃、もしくは出撃体制を整えつつあった。
本番到来、というわけだ。
実質的な第二次モロッコ作戦に際して、連合軍はモロッコへの強襲上陸作戦という直接的目標とは別に一つの戦略的実験を行った。
その実験とは、一度にどれだけの艦隊を有機的に運用でき、その後方支援体制を維持できるか、ということだ。
この実験は、来るべき欧州本土もしくはブリテン島への大規模作戦の際の実証データの一つを取るという側面があった。
そして実験をしておかねばならないほど、北大西洋に犇めく連合軍海軍は規模を拡大させていた。
何しろ、アメリカ海軍のほぼ全力と日本の主力艦隊、自由英連邦海軍の主力が集結していたのだ。
「トーチ (ともしび)」と名付けられた作戦に参加する艦隊は、大きくアメリカ第4艦隊、アメリカ第6艦隊、日本第一機動艦隊、連合軍第1艦隊になる。
それぞれの艦隊が複数の艦隊を指揮下に置き、大海軍の総力に匹敵する戦力を有た。
多国籍艦隊となる連合軍第1艦隊は、自由英連邦とアメリカ海軍、日本海軍、自由フランス海軍などの艦艇が属している。
そしてアメリカ第6艦隊、連合軍第1艦隊に護衛される形で、ダカールと北米大陸東岸の二カ所から出撃する攻略部隊が続く。
強襲上陸作戦を実施するのは、いち早く戦場に到着するダカールに集結していた部隊で、この部隊だけで5個師団を基幹とした17万人に達する。
そしてダカールの部隊が橋頭堡を確保した段階で、北米大陸から本隊の第一陣が到着する。
第一陣というのは、この後続々と北アフリカに上陸する予定だからで、当面の規模だけでも軍集団規模に膨れあがるからだ。
また地上部隊だけでなく、空軍部隊も3ヶ月以内だけで1個航空軍(米第3航空軍)が展開予定だった。
またアメリカ本土からの部隊は、第一陣の規模だけで2波で30万人を越える。
つまり、50万の将兵が短期間で上陸作戦を展開することになる。
支援する艦隊、艦艇、船舶の乗員だけで20万に達し、さらにダカール方面の空軍部隊などが支援する。
作戦参加する将兵の数は、直接的なものだけで75万人に達し、ダカールと北米東岸の支援要員を加えると100万人を越える。
これら膨大な兵力のため、作戦準備段階から「史上最大の上陸作戦」と言われていた。
そしてさらに「史上最大」の言葉は、今後何度も用いられるだろうとも言われた。
連合軍の戦力は、まだまだ拡大中だったからだ。
まずは一連の作戦のために集められた艦隊を見てみよう。
・「オペレーション・トーチ」連合軍海軍・戦闘段列
(CV=空母、CVL=軽空母、CVE=護衛空母、BB=戦艦、CG=重巡洋艦、CL=軽巡洋艦、CLA=防空巡洋艦、FA=直衛艦、DD=駆逐艦、DE=護衛駆逐艦)
・アメリカ海軍・第4艦隊(艦隊司令:スプルアンス大将)
・第48機動部隊(TF48)(艦隊司令:ミッチャー中将)
・第1群(ミッチャー中将)(艦載機:約330機)
CV 《エセックス》 CV 《レキシントン二世》 CV 《ワスプ二世》
CVL 《ベローウッド》 CVL 《カウペンス》
BB 《アイオワ》 BB 《ニュージャージ》
CG:2隻 CLA:2隻 DD:18隻
・第2群(モントゴメリー中将)(艦載機:約330機)
CV 《エンタープライズ》 CV 《ホーネット》 CV 《ハンコック》
CVL 《カボット》 CVL 《サン・ジャシント》
BB 《インディアナ》 BB 《サウスダコタ》
CL:3隻 CLA:1隻 DD:15隻
・第3群(ボーガン少将)(艦載機:約250機)
CV 《ヨークタウン二世》 CV 《サラトガ》
CVL 《インディペンデンス》 CVL 《プリンストン》
BB 《ワシントン》
CG:1隻 CL:2隻 CLA:1隻 DD:14隻
・第4群(シャーマン少将)(艦載機:約250機)
CV 《バンカー・ヒル》 CV 《イントレピット》
CVL 《ラングレー二世》 CVL 《グァンタナモ》
BB 《アラバマ》 BB 《マサチューセッツ》
CL:2隻 CLA:2隻 DD:16隻
・第5群(デヴィソン少将)(艦載機:約300機)
CV 《タイコンデロガ》 CV 《ランドルフ》 CV 《フランクリン》
CVL 《モンテレー》
BB 《ミズーリ》 BB 《ウィスコンシン》
CG:2隻 CL:2隻 DD:16隻
※第5群は8月時点では訓練中。9月より作戦参加予定
※第二艦隊と第四艦隊は、司令部が違うだけ。
・日本海軍・大西洋艦隊 第一機動艦隊(艦隊司令:小沢中将)
(※9月より作戦参加予定)
・第一部隊(小沢中将直率)
CV《大鳳》CV《神鳳》(艦載機:約180機)
CVL《龍驤》CVL《龍鳳》CVL《祥鳳》(艦載機:約90機)
BB《金剛》BB《榛名》
FA《涼月》FA《初月》FA《若月》
CL《仁淀》 DD:15隻
・第二部隊(西村中将)
CV《赤城》CV《加賀》(艦載機:約150機)
CV《蒼龍》CV《飛龍》(艦載機:約120機)
CVL《千歳》CVL《千代田》(艦載機:約60機)
BC《鳥海》BC《摩耶》
CL《利根》CL《筑摩》
FA《霜月》FA《冬月》
CL《阿賀野》 DD:14隻
・第三部隊(角田中将)
CV《翔鶴》CV《瑞鶴》(艦載機:約150機)
CVL《日進》CVL《瑞穂》CVL《瑞鳳》(艦載機:約90機)
BB《高雄》BB《愛宕》
FA《秋月》FA《照月》FA《新月》
CL《大淀》 DD:16隻
・第二艦隊(栗田中将)
BB《大和》BB《武蔵》
BB《長門》BB《陸奥》
BB《比叡》BB《霧島》
CG《妙高》CG《那智》CG《足柄》CG《羽黒》
CL《矢矧》 DD:16隻
・アメリカ第6艦隊(艦隊司令:キンケイド大将)
・TF61-1(オルデンドルフ少将)
BB 《コロラド》 BB 《メリーランド》
BB 《テネシー》 BB 《カリフォルニア》
BB 《ニューメキシコ》 BB 《アイダホ》
BB 《ネヴァダ》 BB 《オクラホマ》
BB 《アーカンソー》
CG:3隻 CL:2隻 DD:16隻
・TF62-1(スプレイグ少将)(艦載機:約450機)
CVE 《サンガモン》 CVE 《サンティー》 CVE 《スワニー》
CVE 《シュナンゴ》 CVE 《サギノー・ベイ》 CVE 《ペトロフ・ベイ》
DE:7隻
・TF62-2
CVE 《ナトマ・ベイ》 CVE 《マニラ・ベイ》 CVE 《ケイマン・アイランズ》
CVE 《オマニー・ベイ》 CVE 《ヴァージン・アイランズ》 CVE 《カダシャン・ベイ》
DE:8隻
・TF62-3
CVE 《ファンショー・ベイ》 CVE 《ホワイト・プレインズ》 CVE 《カリニン・ベイ》
CVE 《セント・ロー》 CVE 《キトカン・ベイ》 CVE 《ガンビア・ベイ》
DE:7隻
・連合軍第1艦隊(艦隊司令:フィリップス大将)
・自由英・大西洋艦隊(フィリップス大将)(艦載機:約100機)
BB 《ウォースパイト》 BB 《クィーン・エリザベス》
BC 《レパルス》
CV 《フェーリアス》 CV 《レンジャー(米艦)》
CG 《シュロップシャー》
CL:2隻 DD:12隻
・救国仏・大西洋艦隊(ミュズリー中将)
BB 《リシュリュー》
CG 《シュフラン》 CG 《コルベール》 CG 《デュケーヌ》 CG 《トゥールヴィル》
DD:5隻
・日本・第八艦隊(五藤中将)
(旗艦:CL《香取》)
CG《青葉》CG《衣笠》CG《加古》CG《古鷹》
CL《酒匂》 DD:16隻 他多数
・米・TF63-1(メリル少将)
CG:1隻 CL:2隻 DD:12隻 DE:23隻 他多数
※上陸作戦指揮官はターナー大将が担当し、実質的に第6艦隊、連合軍第1艦隊を指揮する。
・アメリカ海軍支援任務部隊
給油艦:33隻、補給艦:6隻、CVE:11隻 DD:18隻 DE:27隻
・日本海軍大西洋艦隊支援部隊
戦闘補給艦:4隻、補給艦:2隻、給油艦:13隻、CVE:6隻 DD:6隻 DE:14隻
※ハンターキラー部隊(対潜水艦部隊)は、護衛空母を有する常時6個戦隊、有しない8個戦隊が、任務如何に関わらず常時北大西洋上に展開。
※潜水艦は、日米海軍の潜水艦約120隻が、3交代のローテーションで北大西洋に常時展開。
最低でも40隻が任務に従事。
※ハンターキラー部隊、潜水艦隊共に、大規模作戦時には展開数を増加。
さらに日時が経つごとに規模が拡大。
※各種揚陸艦船、ハンターキラー部隊、潜水艦隊などの詳細は割愛。