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日米蜜月  作者: 扶桑かつみ
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フェイズ44「WW2(38)クルスクの戦い2」-2

 だが5月27日、ドイツ軍にさらなる悲報が駆けめぐる。

 

 悲報は、まずは空から訪れた。

 満州帝国陸軍が本国から送り込んだ新規の1個航空団(300機以上)がこの日に活動を開始し、他の航空団とともに全面的な攻撃を開始したからだ。

 しかもこの航空団は、遅れて参戦しただけに連合軍各国の最新鋭機で固められていた。

 「P-47D-25」、「三式戦闘機 疾風」でドイツ空軍機を圧倒し、「A-26 インベーダー」が圧倒的火力で地上部隊を吹き飛ばした。

 

 この予期せぬ空襲によって、各所で優勢に戦車戦と機動防御戦を展開していたドイツ軍部隊は大打撃を受けてしまう。

 平原を走る戦車など、空からはよい的でしかない。

 伏せていても、発砲火炎が自らの存在を伝えるようなものだった。

 敵歩兵を阻止するために重要な重砲も、擬装ネットの下に隠れるしか無かった。

 しかも新規部隊は、新兵器のナパーム弾を戦場で使い始めており、予期せぬ損害をドイツ軍に強いた。

 

 もっともこの空襲では、前線のすぐ後方の補給部隊、修理部隊、重砲兵部隊が集中的に狙われ、防備が薄くなっているところを突かれて多くの犠牲が出た。

 他にも、前線が近づいていた各地の野戦飛行場にもかなりの損害が出た。

 

 そして、主にドイツ軍では損傷したり故障した戦車は修理部隊が回収して修理することで多くが復活するのだが、それを阻止された形だった。

 加えて大食らいの(ガソリン消費量が多い)ドイツ戦車は、戦場で激しく機動すると燃料がすぐに尽きてしまうので、補給がなければ車両を棄てるしか無かった。

 

 次の悲報は、地上の最前線からだった。

 シベリア鉄道の特別列車でそのまま戦場の手前まで移動して来た「三式重戦車ジヲ」1個連隊(約60両)が戦闘加入してきたのだ。

 

 この三式重戦車部隊は、4月の時点で日本からの緊急レンドリースが決まった戦車を、丁度満州に戻っていたボロボロになった戦車連隊に与えて再編成したものだった。

 しかし兵士の数が足りないため、臨時に戦車学校の教官や生徒を引き抜いたり、日本から運んできた兵士達まで加える事で兵員を充足していた。

 兵士の中には、日本からピカピカの戦車を運んできてそのまま小隊長にされた者までいた。

 

 「第十一教導重戦車連隊」と改編された部隊は、僅かな期間の慣熟と部隊訓練だけで戦線に投入されたが、実戦慣れした兵士と熟練兵が多かったため、そのまま戦場に突入しても慌てることなく最前線を突進していった。

 

 なお、この連隊を運んだ列車は東鉄が仕立てた特別編成で、アメリカ製の強力な機関車(当然レンドリース品)を三重連にして、他の運行中の輸送列車を全て支線やジャンクション、各駅に入れさせて特急列車並の速度で運行され、強引に戦場に間に合わせていた。

 100両(重戦車以外の支援車両や物資、兵士用の客車も含んでいた)の各50トンの重量物を乗せた列車を特急列車並の速度で運行する事は、戦時であっても危険行為だったが、その行為は報われることとなった。

 この輸送作戦は、戦時のシベリア鉄道の運行を殆ど預かっていた東鉄の面目躍如だった。

 

 そしてパンターとティーゲルIの中間の性能と言われる、当時連合軍最強の重戦車の群れが集中して最前線に投入された効果は大きかった。

 しかもほぼ同時期、ソ連軍も工場から出てきたばかりの「IS-2」重戦車の新たな戦車連隊を別の戦場で投入しており、既に大きく疲弊していたドイツ軍戦車部隊を質量共に圧倒する事に成功した。

 「ジヲ」と「IS-2」が投入された戦場では、それぞれ敵を押しとどめていたドイツ軍のVI号重戦車部隊(重戦車大隊)が正面からの戦いで壊滅的打撃を受けており、戦術的にもドイツ軍が受けた衝撃は小さくなかった。

 

 しかもこの二つの部隊は、共に南部戦線に投入され、その後すぐに彼らの脇を機甲軍団がすり抜けて包囲殲滅戦へと突入し、最終的に握手に成功している。

 彼らのほとんどは重装備と物資を棄てることで後退に成功したが、ヒトラーの親衛隊が戦場で敗北した衝撃も大きかった。

 

 そしてドイツ軍は、空でも陸でも敵に押し切られた格好になり、空襲も激しさを増しながら依然続くため、現地ドイツ軍はこれ以上その場で戦えなくなってしまう。

 少なくとも戦線を押し戻して、以前の戦線に戻すことは不可能だった。

 総統が何を命じようとも、クルスクを維持することも奪い返すことも無理となった。

 既にドイツ軍は、撃破する側ではなく撃破される側だった。

 

 なおこの時期、本来ならドイツ軍もドイツ本国から空軍部隊の増援が予定されていた。

 だが、その増援予定の部隊の多くが、北大西洋上で攻勢に出た日本海軍への反撃に投入されて既に壊滅状態だった。

 北大西洋方面が危機に瀕したので、イギリス本国もフランスもこれ以上の空軍の派遣を謝絶した。

 このドイツの空軍部隊があれば、戦況は変わっていたと言われる事も多い。

 

 そして空襲の後は、制空権を奪い合う中で空襲を受けながらのドイツ側の後退戦となった。

 前年の夏と違って十分に制空権が得られていないため、後退は困難だった。

 そして一旦は撃破したり進撃を押しとどめたソ連軍だったが、すぐにも増援を受け取って体制を整え、追撃に転じてきた。

 対するドイツ軍は、今までと違って、少し後方で故障車両や損傷車両を修理する前に後退を余儀なくされたため、多くの車両を遺棄せざるを得なかった。

 戦場で回収できずに遺棄された車両も多かった。

 このためドイツ軍機甲部隊は見る間に小さくなり、この時本来の意味での大損害を受けることになる。

 

 と言うのも、クルスクの戦いは「大戦車戦」と言われるが、実のところ完全損失した車両は両軍共に少なかった。

 大損害を受けたソ連軍でも、直接の損害は精々数百両だった。

 戦線が維持されている限り損傷または故障した戦車の多くは整備兵に回収され、後方で修理して復活できるからだ。

 だがドイツ軍は、ついに戦車を大量損失してしまう。

 故にクルスクの戦いは、ドイツ軍の大敗なのだ。

 

 5月31日、クルスクに満州帝国の五色旗が翻る。

 

 そしてクルスクから伸びる鉄道線を失った中央戦線のオリョールに対して、時を置かずにソ連軍はただちに攻勢を開始。

 中央戦線での大攻勢、攻勢の第三段階の発動だった。

 

 ドイツ軍から見てのオリョールは、東部のブリャンスクからの道路しか補給路がないので、機甲予備部隊に欠くドイツ軍は圧倒的物量で押しつぶしにかかってくるソ連軍から自軍を救うため、オリョールから後退するしかなかった。

 円滑な補給が無ければ、強固な陣地帯も宝の持ち腐れだからだ。

 オリョールの南部に布陣してクルスク大戦車戦にも一部が参加したフランス軍(第3軍)も、自らの部隊の多くは健在だったが、そのままでは孤立してしまうため、戦線の後退に伴って共に下がるしか無かった。

 

 クルスクの戦いから約一ヶ月後の7月初旬からは、南部最大の要衝ハリコフでの攻防戦が開始され、ソ連軍の精鋭部隊とドイツ軍が再び激突する。

 

 この周辺にはイタリア軍(イタリア第7軍)やハンガリー軍、ルーマニア軍も布陣しており、ドイツ軍と共にソ連軍の攻勢を何とか押しとどめようとした。

 英国製の戦車や装備で武装したイタリア軍と東欧軍は善戦したが、戦力と規模から活躍にも限界があった。

 局所的にはイタリア軍が機動防御戦を成功させたりしたが、ソ連赤軍はさらに外側から大部隊で包囲を閉じようとするような有様だったからだ。

 

 しかもこの時の枢軸軍というよりドイツ軍には、既に十分な機甲部隊の予備兵力が無かった。

 精鋭部隊も、5月の大損害から立ち直れていなかった。

 対してソ連軍は、兵士と兵器を消耗品扱いする分だけ戦力の補充は早く、そして何より物量で勝っていた。

 予備兵力がなければ、弱った戦線を補うことも出来ず、一度突破されてしまうと後退するより他無くなってしまう。

 

 二週間続いた攻防戦の末、ドイツ軍はハリコフからも後退。

 その激戦の中で、機動防御戦を行うどころか圧倒的数に押しつぶされてしまい、覆いがたい損害を受けた。

 この戦場でも、戦線または戦線後方で多くの装甲車両が修理されないまま遺棄されたが、もはや回復しがたい打撃だった。

 

 そして、ドイツ軍の攻勢防御の要である機甲戦力の大幅な減少によって、一気に南部戦線の崩壊が始まる。

 ドネツ川各所でソ連軍の渡河作戦が始まり、同時にハリコフからはドネツ川西岸に対して北部からの迅速な攻勢が実施された。

 現地ドイツ軍は二方向からの攻撃には既に耐えられないし、ここでも空いた戦線の穴を埋めるだけの予備部隊が無かった。

 

 以後ドイツ軍は南方戦線で総崩れの様相を示し、ソ連軍が補給切れで止まる秋まで進撃が止まることは無かった。

 

 そして8月になると、スモレンスクからアゾフ海に至る全ての前線でソ連軍は攻勢に転じた。

 中央軍団集団、北方軍集団はもともと兵力に乏しく、戦線を支えるだけの部隊しか無かった。

 このため激しい攻勢を耐えることは無理で、ゆっくりと後退していくより他無かった。

 

 しかも9月と11月には他戦線に回すため兵力が引き抜かれた事で、ドイツ軍の後退速度は早まってしまう。

 予備兵力どころか、戦線を支える兵力が本格的に不足し始めたからだ。

 

 9月末には中央部の要衝であるスモレンスクには赤旗が翻り、ついに11月6日には南部の要衝でドニエプル川の西側にあるキエフも奪回される。

 

 クルスク戦から秋にキエフが奪回されるまで、都合半年間の激戦は戦史上に残る戦いが各所で展開された事になる。

 だが、全体としてドイツ軍は負けて後退する側で、ごく限られた戦術的な場面以外で、ソ連軍の攻勢を押しとどめることは出来なかった。

 戦場で撃破された戦車はソ連軍の方が常に多かったが、それだけだった。

 

 大いに期待されていたドニエプル川での河川防御も、その前年までのロシア戦線全体に対する楽観論と準備不足もあって殆ど機能しなかった。

 だからこそキエフが呆気なく奪回されたのだ。

 そしてクルスクの戦いからの一連の後退戦で、ドイツ野戦軍は致命的といえる打撃を受けてしまい、今までのような戦線の維持ができなくなる。

 

 この年ドイツは、シュペーア軍需相の天才的と言われた生産指導のもと1万5000両もの戦車を生産したが、それよりも多い数の戦車を、その生産した半年の間に失ってしまった。

 つまり戦力が増強されるどころか、弱体化していった。

 しかも戦車の多くは、単純に戦場で完全撃破されたものよりも、修理できるのに破棄、遺棄された車両が圧倒的に多かった。

 戦車が大型化、高性能化していたので、簡単に完全破壊されなくなったが、ほとんど意味が無かった事になる。

 

 なお、クルスクの戦いで、満州帝国陸軍・遣蘇総軍は一旦力を使い果たした。

 兵士の直接の死傷者こそ10万人程度だったが、多くの精兵を失っていた。

 強引な戦闘を行ったため、装甲車両の損害も小さくなかった。

 何より、43年夏から溜め込んでいた燃料、弾薬、兵器を一度使い果たしていた。

 特に平地に山を作るほど溜め込んだ重砲弾は、ほとんど撃ち尽くしていた。

 

 石原完爾の大博打というのも、あながち間違いでは無かったのだ。

 

 それでも44年夏になると、ソ連軍に歩調を合わせた進撃は行われたが、ほぼまっすぐ西にあったキエフ奪回戦には加わらなかった。

 100万の大軍なので完全な位置替えは無理だが、それまでより少し南部に戦場を移していった。

 つまりそれは、今後発生するであろうドイツ本土への侵攻に満州帝国軍が関わる可能性が低まったことを現している。

 

 多くはソ連指導部の思惑であり、満州帝国に逆らう理由もなかった。

 何より満州帝国陸軍は、クルスクの戦いで一番の武功を挙げた。

 この武功は戦争の帰趨を決するほどの武功であり、ソ連政府は再び遣蘇総軍の将兵に最高栄誉の赤旗勲章などの勲章を乱発しなければならなかった。

 スターリン書記長と馬占山元帥との直接会談が写真付きで全世界に紹介され、ソ連は遣蘇総軍を最大級で称えた。

 称えざるを得なかった。

 遣蘇総軍には満州帝国が引き入れた連合軍各国の武官と報道官、民間の従軍記者が多数入り込んでいたので、嘘や隠蔽が出来なかったからだ。

 しかも満州帝国皇帝溥儀が、スターリンを訪問した「ついでに」現地将兵を視察して士気を鼓舞したとあっては彼らの武功を隠しようも無かった。

 

 それにスターリンは、いずれはロシアを立ち去る英雄達には概ね寛容だった。

 

 その後も満州帝国軍は、陸空軍共にロシア戦線そして東欧戦線で終戦まで戦い続けたが、以後彼らの名を戦史上で見ることは少なくなる。

 少なくとも目立たなくなった。

 だがそれは、欧州枢軸側でドイツ軍以外の名をロシア戦線で見なくなったのと似ている。

 

 つまりロシア戦線は、ドイツ人とロシア人の民族同士の戦いにより傾倒したと言えるだろう。

 もしくはヒトラーとスターリンの戦いになったとも言える。

 ドイツに完全に勝機が去ったこと、敵が戦争を投げ出すまで戦い続けることが難しくなった事で、戦争がそういう方向に向いてしまったのだ。

 

 だが一方では、満州帝国の強かな外交政策の影響と見る向きも強い。

 つまり、戦後に東欧やドイツから心底憎まれないため、ロシアでの戦いの帰趨が決した後は目立たないように振る舞ったと言うことだ。

 

 戦争の行く末が見え始めたこの時期、多くの国は既に戦後を見るようになっていたのだ。

 

 しかし戦争はまだ終わりが見えなかった。

 

 戦争は、本格的にヨーロッパへと移りつつあった。

 

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