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日米蜜月  作者: 扶桑かつみ
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フェイズ43「WW2(37)クルスクの戦い1」-2

 1944年5月22日午前2時、攻勢は突如始まった。

 

 約30個師団の重砲、ロケット砲の途切れることのない弾幕射撃は、質量共に重厚で非常に過激だった。

 満州本国からわざわざ持ち込んできたのか、数十キロ先の戦線後方にまで落ちる長距離列車砲弾まであった。

 この頃になると、カチューシャと呼ばれるソ連製の多連装自走ロケットランチャーは、満州帝国軍内でも一般装備だった。

 砲撃の中には、日本陸軍が開発したばかりの重ロケット砲(※四式四十糎噴進砲。

 砲弾重量200kg。

 ハーフトラックの車載型が主力)の自走型も、前線近い陣地から遊撃的に砲撃に参加して、艦砲射撃のような破壊力を発揮していた。

 

 そして重砲とロケットが吹き上げる土煙の合間から、重装甲で身を包んだ満州帝国陸軍の精鋭部隊が姿を現す。

 

 突破戦闘の始まりだった。

 

 この時、満州帝国陸軍・遣蘇総軍は、手持ちの機甲部隊のうち機甲師団1個、機械化師団2個を予備兵力として、合計10個師団もの機甲部隊を一度に、そして一カ所に投入した。

 この戦争の中で編成されていった第一機甲軍と呼称された最精鋭部隊であり、切り札を最初から投入したのだ。

 このため本作戦を、遣蘇総軍副司令である石原完爾上将の博打と評する事もある。

 

 もっとも石原完爾自身は、「苦労するのは兵士達で、高級将校なら馬鹿でも出来るただの突貫だ」と後に述懐している。

 この言葉は、「天保銭」とも呼ばれた日本陸軍出身の高級将校を馬鹿にしたものだと言われることが多いが、実際は満州帝国軍が部隊密度の高い正面に向けての突撃か、同じく部隊密度の高い防戦以外は苦手だという事を暗に示したものだと言われる。

 

 全軍の先頭を進軍する機甲部隊は、大きく3つの挺団を作り上げ、それぞれくさび形陣形とも言われる陣形を取った。

 そして密度の高い陣形で重戦車を陣形の先端部に据え、全ての障害を正面から受け止め、そして粉砕していった。

 日本人将校は、この陣形を電錐ドリル戦法などとも呼んだ。

 上空から進軍する自軍を見たとある高級将校は、その雄大で勇壮な光景を生涯忘れなかったと述懐しているほどだった。

 

 なお突進する機甲部隊には、少し後方に予備部隊の独立戦車部隊が最初から後続しており、何を企図しているかは明白だった。

 ある意味で決闘状を突きつけたに等しく、「突破されたくなければ、ドイツ軍も機甲部隊の精鋭を持ってこい」と行動で宣言しているわけだ。

 

 ソ連赤軍も、満州帝国陸軍がこれほど積極的な攻勢を取るとは想定しておらず、事前に支援攻撃を行う予定だった部隊が、引きずられるように攻勢に参加していった。

 もっともスターリン書記長としては、満州軍がドイツ軍陣地を突破できたら儲けモノ、沢山ドイツ軍がおびき寄せられたら儲けモノ、程度に考えていたとも言われている。

 そして次の段階で動く各部隊には、事前の作戦予定どおり動くように指示を出していた。

 ロコソフスキー将軍やコーネフ将軍ら現場に委ねたのは、第二段階の攻勢開始の微妙なタイミングだけだった。

 ソ連軍は、勝てるだけの準備をしてから攻勢を開始していた何よりの証拠だった。

 

 予想外の真っ正面からの攻勢を受けたドイツ軍は、スターリンほど暢気に構えているワケにはいかなかった。

 現地の防戦の総指揮官だったモーデル元帥は、ねばり強い防戦に長けた指揮官として定評があったが、彼もすぐに容易ならざる事態だと気が付いた。

 

 想定を大きく越える攻撃を受けているのは確実で、さらに想定を大きく上回る空襲と砲撃、そして後先を考えていないような機甲部隊の突進によって、パックフロント(対戦車砲陣地群)仕立ての第一線防御陣地帯は、本来は鋼鉄の壁の筈だったが、まるで熱したナイフの前のバターのように溶けていった。

 

 そしてドイツ人達が苦労して作り上げた陣地帯は、敵に一定の損害を与えるも2日間の激戦の末に突破された。

 ハトハトも地面に埋めた戦車も、何もかもが火力と装甲のローラーに挽きつぶされ、想定を越える密度と速度の攻撃の前に、守備している兵士達も爆炎の中で粉砕されていった。

 

 防御陣地帯は第三線まであるが、最も堅い第一線が二日で突破された事から考えると、このままでは一週間保たないと予測された。

 想定では通常の攻勢なら十分に耐えられると考えられていた重厚な陣地帯を、優勢な空軍の集中投入と宝石よりも貴重な筈の重機甲部隊の精鋭部隊によって突破されてしまったことに、ドイツ軍は騒然とした。

 敵の意図と戦力見積もりを誤っていた事になるからだ。

 このままでは、機甲軍団以外の予備兵力の投入が間に合わない状態だった。

 

 戦闘の推移は、自分たちがバクー前面で行ったこととよく似ており、何もしなければクルスクを失う可能性は高いと予測された。

 依然として「所詮は劣等人種の寄せ集め」と侮っていた満州帝国軍の精鋭部隊は、想定していたより遙かに強力だった。

 

 もちろん反撃すれば問題はない。

 南北の前側面から予備兵力として戦線後方で拘置されている機甲軍団を投入すれば、撃退だけでなく包囲殲滅すら可能だった。

 これは確実な事で、相手が満州帝国陸軍だけなら枢軸側の勝利は間違い無かった。

 高密度の集中攻撃または防戦以外は、満州帝国軍は苦手だからだ。

 臨機応変な対応を求められる機動戦になれば、ドイツ軍の勝利は間違いなかった。

 

 だが本当の敵は、ロシアの大地では外様の満州帝国陸軍ではなくソ連赤軍なのだ。

 ドイツ軍が大きく動けばソ連軍が一斉に動くことは確実であり、全面的な大規模攻勢を行う可能性も十分にあった。

 

 しかしドイツ軍は、満州帝国陸軍は最初に動かないと言う予測で兵力の配置と迎撃の準備を行っていた。

 このためソ連軍の精鋭部隊が布陣する地区に比べて、満州帝国陸軍の前のドイツ軍部隊は手薄だった。

 予備兵力も少なく、クルスクにいる予備部隊を中途半端に投入しても突破される可能性が高いと予測された。

 十分な支援を受けた2000両以上の戦車の群れは、それだけ脅威だった。

 色々言われることの多い「M4」中戦車も、主砲の75mm砲は速射性能が高く榴弾の威力があるので、集団戦を挑むと陣地突破にかなりの威力を発揮した。

 また持ち前の機械的信頼性の高さは、長期間の突破戦闘で起こりがちな故障での脱落を最小限としていた。

 しかも機甲軍団の先頭には中東で報告のあった重戦車が陣取り、車両によっては射距離1000m以内から撃たれた88mm砲弾すら易々と弾き返し強引に進撃していた。

 

 そして空からは、満州帝国空軍機が反撃で露見した陣地を一つまた一つ吹き飛ばしていった。

 しかも満州帝国軍の突進部分の上空は優秀な戦闘機部隊が陣取っており、ドイツ空軍が阻止攻撃することも難しかった。

 

 そして最初の48時間が経過し、満州帝国陸軍の重機甲軍団は、強引に第一線防御陣地帯を突破した。

 しかも突進力はまだまだ残していたし、主流から外された筈の日本人将校に率いられた漢族の兵士達は士気旺盛だった。

 

 5月24日朝、ドイツ軍は周辺に展開する予備部隊のうち2個機甲軍団を、満州帝国陸軍迎撃のために動かした。

 連動して、クルスク周辺に配置されていた部隊も本格的な移動を開始した。

 翌日には、強引な突進を続ける満州帝国陸軍の斜め前に位置して、直ちに満州帝国機甲部隊の包囲殲滅を開始する予定だった。

 機甲軍団は予備として拘置されていた精鋭部隊なので動きは非常に迅速で、空襲の合間を縫って移動と再配置についていった。

 合わせて周辺の歩兵師団など、迎撃に参加する部隊も移動した。

 

 真打ちの登場というわけだ。

 

 しかしその移動は、ソ連赤軍が待っていたものだ。

 

 翌5月25日午前3時、クルスク北方のオリョール方面、クルスク南方のハリコフ前面の枢軸軍陣地の全域が非常に激しい砲撃を受ける。

 

 ソ連軍の夏季攻勢の本番、攻勢の第二幕の始まりだった。

 

 どちらの部隊も、オリョール、ハリコフよりそれぞれクルスク寄りから攻勢を開始しており、親衛軍、突撃軍、戦車軍などの名を冠した精鋭部隊を集めた機甲部隊で編成されていた。

 

 黎明からは現地ソ連空軍の総力を挙げた航空攻勢も開始され、全戦線で飛ぶ機体の総数は満州空軍と合わせて5000機を越えた。

 対抗を余儀なくされた枢軸側も、後先構わずほぼ全力の2000機以上を動員したが、もはや現地の枢軸空軍で対処できる数ではなかった。

 相手が例え練度に劣るパイロットばかりでも、一度に多数を撃墜できるわけではないので、地上支援どころでは無かった。

 しかもソ連空軍も、重要な場所には精鋭の親衛隊を投入してきたため、ドイツ空軍を中心とする欧州枢軸各空軍は苦戦を強いられた。

 

 それでもドイツ空軍の戦闘機パイロット達は戦果を稼ぐ事が出来たが、その多くは空で生き残るために行っているだけだった。

 

 ソ連軍の攻勢開始当初、ドイツ軍総司令部は予測通りソ連軍が南方戦線で全面的な大規模攻勢を開始したと考えた。

 クルスク正面で敢えて最初に動いた満州帝国陸軍は半ば囮であり、この後は進撃速度を鈍らせて他戦区の友軍部隊と進撃度合いを合わせるとも予測された。

 

 しかし、ソ連軍の侵攻開始から半日を待たずして、予測が違っていた事が前線から次々に報告されてくる。

 

 敵の目標はクルスクのまま。

 オリョール、ハリコフ双方のソ連軍は、明らかにクルスク後方での握手、つまり包囲殲滅戦を企図していた。

 いっぽうで別の情報ももたらされた。

 クルスク正面の満州帝国陸軍は、依然として猛烈な陣地突破戦を展開中、というものだ。

 満州帝国陸軍の動きは、クルスク正面の部隊の拘束にあると考えられたが、それにしては動きがあまりにも過激だった。

 既に第二線が突破されかかっており、次の第三線にさしかかるのも時間の問題だった。

 

 このため周辺に展開したドイツ軍は、クルスクを失わないために満州帝国陸軍に攻撃を開始しなければならなかった。

 だがそのまま攻撃しても、その間にオリョール、ハリコフ双方のソ連軍が大きくクルスクを包囲する可能性が出てきた。

 双方では満州帝国陸軍に対する以上の激しい防戦が行われていたが、ソ連軍の精鋭部隊の過半が投入された現地では、クルスク前面での戦闘と同じ状況が再現されつつあった。

 しかもソ連軍のかなりの数の戦車隊が「IS-2重戦車」と「T-34/85戦車」を投入しており、防御陣地は当初の予測よりも機能していなかった。

 自慢のハトハト(88mm高射砲)も、神通力が陰り始めていた。

 

 ヨシフ・スターリンという為政者の名を冠した「IS-2重戦車」は、野砲を流用した122mmという空前の大口径砲を搭載しており、この砲弾が命中すればどんな装甲も破壊できた。

 もとが野砲なので、陣地攻撃にも向いている。

 車体は「T-34」譲りの傾斜の多い装甲で鎧われ、砲塔は分厚い鋳造砲塔だった。

 最大装甲は120mmに達しており、生半可な攻撃は通用しなかった。

 それでいて、見た目はそれほど大きく無かった。

 主砲こそ太く長いが、車体がギリギリまで絞り込まれており、ドイツ軍の次世代型戦車よりもかなり小振りだった。

 しかし紛れもなく重戦車であり、にも関わらずかなりの機動性も見せた。

 もちろん欠点もある。

 ソ連軍の他の車両と同じく、人間工学を無視した作りで、大柄な者は乗れないほど狭かった。

 主砲の照準能力が悪く、しかも大口径砲なので装填速度が遅かった。

 ドイツのV号戦車が3発撃つ間に1発しか撃てなかった。

 ついでに言えば、砲弾搭載数も少ない。

 たったの28発の砲弾しか積んでいなかった。

 1発当たり25kgもあるので搭載数が少なくなるのは仕方ないが、それでも少なすぎるだろう。

 

 それでも重戦車であり、ドイツ軍のパックフロントをモノともせずに進軍した。

 

 「T-34/85」は「T-34/76」の砲塔を新型の大型鋳造砲塔として、そこに85mm砲を搭載したものだった。

 

 大型砲塔は3人乗りとなり、全体の重量は26トンから32トンと大幅に増えた。

 それでも機動性はそれほど落ちず、防御力と火力が大幅に向上した。

 カタログスペックは、V号戦車を上回るほど良いことずくめだった。

 だが、そこはソ連の戦車なので、人間工学を無視し乗り心地と使い勝手が悪かった。

 それでも数字上で高性能なのは違いなく、高い機動性を発揮して戦争後半の主力戦車として活躍していく事になる。

 

 戦車は「T-34/76」がまだ主力を占めていたが、そうした新鋭戦車も少なくない数が攻勢に参加しており、何より数が多かった。

 戦車以外にも軽戦車を改造した対戦車自走砲、大口径砲を搭載した突撃砲なども多数含まれており、単純な数の上では満州帝国陸軍より遙かに多かった。

 しかも各戦車の上には、多数の歩兵が跨上歩兵として群がるように乗っていた。

 タンクデサントとも呼ばれるが、これだけは満州帝国陸軍もまねしない事だったが、視界の悪いロシア製の戦車だと意外に有効だったとも言われる。

 

 またロシア帝国時代から大砲の国なので、支援に当たる重砲の砲撃も凄まじかった。

 多連装ロケット砲のスターリンのオルガンはこうした突破戦でこそ本領を発揮し、短時間での濃密な弾薬投射量を見せつけていた。

 満州帝国陸軍より劣っている練度全般だが、それも精鋭部隊ばかりなので大きな違いは無かった。

 

 そして鋼鉄の濁流となったソ連赤軍の精鋭は、ドイツ軍が作り上げた強固なはずの陣地帯を強引に粉砕しつつあった。

 

 ドイツ軍に残された選択肢は、引くか戦うかだった。

 小手先の容易な手段で押しとどめるのは、もはや不可能だった。

 


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[一言] Acht-Acht=アハトアハト じゃ無い?
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