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日米蜜月  作者: 扶桑かつみ
64/140

フェイズ41「WW2(35)アイスランド島侵攻」

 1944年6月初旬、連合軍というより日本の大艦隊が、欧州枢軸の意表を突いてイギリス本国の北部を空襲した。

 

 空襲は一日だけだったが、現地イギリス空軍には大きな損害が出た。

 そして欧州枢軸側は一日で終わるはずがないと考え、ブリテン島北部や、ノルウェー南岸、フランス北西部の防備を固めることに腐心する。

 日本艦隊は、補給のために下がっただけと考えられていた。

 そして補給をしていると言う点だけが正しかった。

 

 そうして数日が経過し、今度は別の場所から悲鳴が上がる。

 

 アイスランドからだった。

 

 欧州枢軸が欧州近海にいると考えていた日本艦隊を探し、英本土など大西洋側の防備強化に躍起になっているスキに、北米大陸東岸を出撃した攻略部隊がアイスランド沖まで進軍してきたのだ。

 要するに、亀が驚いたら首を引っ込めるように、現地枢軸軍を受動的にさせるため、日本艦隊がイギリス北部を攻撃したというわけだった。

 

 ニューファンドランド島からアイスランド島まで、直線距離でおおよそ2500キロ。

 船団が10ノットで進んだとして、約6日の行程になる。

 12ノットだと約5日だ。

 そして連合軍は、船団出撃から7日でアイスランド沖合に進出した。

 出撃は日本艦隊出撃から数日後に実施されており、日本艦隊出撃を半ば隠れ蓑としての出撃だった。

 北米東岸沖合にいる欧州枢軸の潜水艦が、すっかり掃討された後なのを見越した迅速な進撃でもあった。

 

 アイスランド島は、第二次世界大戦が再開してからずっと欧州枢軸陣営に属していた。

 というよりも、イギリス本国軍が1941年春に強引に陣取っていたので、欧州枢軸陣営に属さざるを得なかった。

 

 バイキングの末裔が住むアイスランド自身に軍事力は皆無で、それどころか北大西洋海流の影響で辛うじて人が住める環境だった。

 ほとんど北極圏に位置し、自然が厳しいので簡単に戦場に出来る場所ではなかった。

 戦争をするにも、冬は一日のほとんどが夜になる上に海も流氷で閉ざされる時期もあるので、船が近寄ることすら不可能な事もあった(※真冬は軽砕氷船が必要)。

 周辺海域も波が荒いことが多く、北大西洋海流の温かい海水の影響で、春以外は霧や靄が出やすかった。

 秋から春にかけては、天候が激しく荒れることも多い。

 

 故に孤立しがちで、駐留している欧州枢軸軍も多くはなかった。

 

 沿岸砲兵、歩兵、高射砲兵、そして空軍部隊を合わせても3万人程度で、まともな戦闘部隊は増強されても1万人程度だった。

 航空隊は、哨戒機、偵察機部隊が中心で、連合軍機が偵察に姿を見せるようになってからは戦闘機大隊も追加された。

 しかし、英本土からも近いので、この島だけで守る気はなく、兵力を置いているのはあくまで念のためだった。

 

 アイスランドは、北米大陸から見て最も近いヨーロッパであり、玄関口のような場所になるからだ。

 

 しかしそこに、連合軍の大艦隊が出現する。

 

 歴戦のヴァンデクリフト将軍率いる第一海兵遠征軍と、アジアから移動してきたアメリカ陸軍の第24師団の合計7万を越える陸兵を、200隻を越える各種艦船が運び、これを100隻以上の艦艇が支援した。

 攻略船団には、多数の護衛空母、旧式戦艦も含まれていた。

 アメリカ海軍の機動部隊のうち1群も、支援のために展開していた。

 

 そしてさらに、欧州大陸からの反撃への備えと各種全般支援のために、ブリテン島北部を攻撃したばかりの日本海軍・大西洋艦隊・第一機動艦隊が洋上に展開していた。

 

 上陸部隊の総指揮官は、それまで東アジアにいたダグラス・マッカーサー大将。

 この作戦の前に大西洋方面軍司令官に就任し、初仕事としてこの作戦を全般指揮していた。

 

 マッカーサー将軍は、アイスランドへの上陸に際して「連合軍は、ついに欧州の一角に橋頭堡を築いた」と宣言し、さらに反撃の狼煙を上げたことを宣言した。

 この時点で連合軍はクレタ島を占領していたが、小なりといえど欧州の一国に攻め込んだので大きなニュースとなった。

 ただ少し露骨なため、アメリカ大統領選挙の為の共和党の宣伝と言われることが多い。

 

 アイスランドに展開する欧州枢軸軍は、日本海軍の最初の一撃で戦闘力を喪失した。

 数十機程度の戦闘機大隊など、圧倒的という以上の戦力差の前にはいないも同然だった。

 

 上陸作戦では、連合軍の上陸支援部隊に日本海軍の第二艦隊も加わって沖合に陣取り、10隻以上の戦艦が過剰なほどの艦砲射撃を実施した。

 超弩級戦艦《大和》《武蔵》にとって、敵に対して初めて砲火を浴びせた戦闘であり、マッカーサーが日記に残したように艦砲射撃と言うよりは「祝砲」のようなものだった。

 

 この攻撃では「連合軍はあえて島の通信施設を破壊しなかった」と言われるが、それは流石に偶然だった。

 だが生き残った現地枢軸軍の通信施設は、悲鳴のように現状を欧州大陸に送信し続けた。

 

 ここで欧州枢軸軍は、反撃を行うか、アイスランドを切り捨てるかの選択を迫られる。

 

 現状で反撃に使える戦力は、艦艇が英独仏全ての大西洋艦隊を合わせて戦艦11隻、各種空母6隻、艦載機総数250〜300機程度。

 アイスランド沖まで洋上攻撃可能な地上配備の攻撃機の数は、一週間程度でかき集めても200機程度だった。

 潜水艦は多数あるが、現在進行形で洋上に展開している潜水艦の消息不明が相次いでいた。

 アイスランドはヨーロッパの北の玄関口だが、欧州から戦力を投入するには少し遠い場所だった。

 

 しかしアイスランドを切り捨てた場合、アイスランドを拠点化した連合軍によってイギリス北部は確実に連合軍の重爆撃機の行動圏内に入ってしまう。

 北海の北側の防備も手薄となり、爆撃機と潜水艦により北海の安全な航海も揺らぐ。

 ノルウェー南部も危なくなり、特に冬のスウェーデン北部からの鉄鉱石の輸送ルートが危機に瀕する。

 偵察面でも、北海の北側が確実にその対象となる。

 そればかりか、イギリス本国全てが偵察対象となる恐れも強かった。

 ヨーロッパ本土の北海沿岸すら偵察される可能性があった。

 

 アメリカで開発中という超重爆撃機が実戦配備された場合、フランス、ドイツ北部が爆撃圏内に入る可能性も十分に考えられた。

 そしてこれらの地域の本格的な防空体制を整えないと行けないことを考えた場合、欧州枢軸の戦争経済がより悪化するのは確実だった。

 

 アイスランドは、出来る限り守らねばならない場所だった。

 

 そして一度の戦闘、数隻の大型艦の損失でアイスランドが守られるなら、費用対効果の面では安いと考えられた。

 しかもアイスランドへの侵攻は、夏を過ぎると気象条件の悪化から難しくなる。

 これは今の反撃を肯定する大きな要因だった。

 連合軍は何度でも押しよせるだろうが、うまくいけば気象条件によって一年近い時間が稼げる可能性があった。

 

 だが、戦力面で連合軍の撃退が可能かというと、難しいというのが回答だった。

 これは感情面ではなく、何度も行われた机上演習の結果だった。

 

 襲来している連合軍艦隊は、日本の主力部隊だけで戦艦12隻、高速空母16隻、艦艇100隻以上、実働艦載機800機以上と算定されていた。

 その上、上陸支援の旧式戦艦、護衛空母などが多数が島を取り巻いている。

 米機動部隊の存在まである。

 しかし今回の場合、主力となっている日本の空母部隊さえ退けてしまえば、敵の意図は挫けると考えられた。

 空母部隊を退けて敵の制空権を低下させたところに戦艦部隊を突入させれば、勝機は十分にあると考えられた。

 

 この作戦案は突発的なものではなく、既に何度も机上演習されてきたものだった。

 敵戦力が不明な点もあるので作戦成功率は未知数なところもあるが、敵が十分な橋頭堡をアイスランド島に作る前に作戦を決行することに決まる。

 

 以下が、この時の欧州枢軸各国海軍の大型艦になる。

 


 ・イギリス本国艦隊(艦載機:約210機)

 CV 《イラストリアス》 CV 《ヴィクトリアス》

 CV 《インプラカプル》 CV 《インディファティガブル》

 BB 《キング・ジョージ5世》  BB 《アンソン》 BB 《ハウ》

 BB 《ロドネー》  BC 《フッド》 BC 《レナウン》

 CG:5隻

 ※速力の遅い《ロドネー》は別の任務部隊を編成。


 ・ドイツ大艦隊(艦載機:約60機

 CV 《グラーフ・ツェペリン》 CVL 《ザイトリッツ》

 BB 《テルピッツ》  BC 《シャルンホルスト》 BC 《グナイゼナウ》 

CG:1隻 AC:2隻


 ・フランス大西洋艦隊

 BB 《ジャン・バール》

 BC 《ダンケルク》 BC 《ストラスブール》

 CG:3隻


 ※フランス艦隊は、ビスケー湾方面の警戒と予備兵力としてブレストで待機。

 

 ※低速旧式戦艦は、他の旧式艦と共に作戦参加は見送り。

 


 これらの艦隊は、作戦発動時点ではイギリス海峡方面(ブレスト、プリマス)に集まっていた。

 ドイツ艦隊が同方面まで出てきているのは、直前までモロッコ沖に出撃しつつあったのを引き返してきた為だ。

 

 戦力としては航空戦力が不足しているので、日本の空母機動部隊と戦うには友軍の支援が受けられる沿岸沿いを進む必要がある。

 このため、ドーバー海峡を東に抜けて、北海を経由してアイスランドへ向かう経路が選択された。

 このルートなら、ブリテン島とノルウェーからの航空支援が、中間にあるフェロー諸島辺りまで受けられる。

 そこからアイスランド主要部まで丸一日の距離もない。

 ブリテン島とアイルランドの間を抜ける方が早いが、艦隊の動きにより日本艦隊を友軍制空権に引き寄せる為にも、北海周りが選択された。

 

 もっとも、作戦の初期段階は、日本の空母部隊が自分たちを発見すれば、勝手に寄ってくると予測された。

 そして友軍制空権下まで引きずり込めば、相手が強大な空母機動部隊でも十分に戦えると考えられていた。

 

 これがこの時期の欧州枢軸海軍の、基本的な決戦構想だった。

 洋上航空戦力が少ないので、正面からの堂々とした戦闘は難しい故の選択だった。

 

 今回の作戦の場合は、自前の空母がないフランス艦隊は別行動を取り、万が一敵がビスケー湾方面やモロッコに敵艦隊出現した場合に備えることになった。

 すでに地中海の戦力がアテにできないので、予備兵力は非常に重要だった。

 最悪の場合、アメリカ海軍の大艦隊が出現する可能性もあるのだ。

 

 かくして1944年6月12日〜13日、「アイスランド沖海戦」もしくは「フェロー諸島沖海戦」が発生する。

 

 欧州枢軸艦隊の動向は連合軍にほぼ察知されており、6月11日にイギリス、ドイツの主力艦隊が北海を抜ける頃には、日本海軍第一機動艦隊はアイスランド沖合に展開し直していた。

 しかも日本艦隊は、枢軸側の予測どおりブリテン島に近寄る動きを見せており、黎明から一斉に欧州枢軸の艦隊に対する空襲を開始するつもりだった。

 

 そしてそこが欧州枢軸側の狙い目でもあった。

 

 ブリテン島北部とノルウェー南西部沿岸に展開したイギリス、ドイツの空軍部隊が、先手をとって6月11日深夜に一斉に日本艦隊への空襲を開始したのだ。

 

 空襲は夜襲であり、これならば洋上で劣勢な戦闘機の有無は関係なかった。

 相手が洋上の空母機動部隊なら、夜間戦闘機はあっても数が限られているからだ。

 本来は昼間に艦隊と共に一斉に空襲を仕掛ける想定だったが、先日の戦闘で昼間の空襲は危険が大きすぎると判断されたためだ。

 

 ノルウェー南部に急ぎ集められたドイツ空軍機は、便宜上第一航空艦隊に属している「ユンカース Ju88」、「Do217」、「ハインケル He177 グライフ」などで、新鋭機が多い上に数も200機近かった。

 これはカリブでの敗戦を受けて編成が進められていた部隊が、ドイツ本土に多かったおかげだ。

 また、地中海のどこかに派遣予定だった部隊が、まだドイツ本土に残っていたおかげだった。

 ただし、第一航空艦隊に属しているように練成中の部隊が多いので、一部の熟練部隊以外は未熟なパイロットが多いのが実状だった。

 特に夜間攻撃に耐えられる熟練度を持つパイロットは、甘く判定しても全体の3分の1程度だった。

 戦争が大規模化して大量のパイロットが養成されるようになっても、洋上作戦行動が出来る攻撃機パイロットは希少種だった。

 しかし誘導爆弾、魚雷など有力な対艦装備を搭載可能な機体が多かったので、戦力は十分だと判定さていた。

 

 イギリス北部のイギリス空軍は、北部各地の有力な飛行場が空襲を受けて反撃も失敗したばかりなので十分な戦力が無かった。

 しかも空軍全体で新型機の導入が遅れているため、洋上攻撃の主力はいまだ「ヴィッカーズ・ウェリントン」や「ブリストル・ヴォーフォート」だった。

 攻撃には「デハビラント・モスキート」の攻撃機型と夜間戦闘機型が参加したが、モスキート自体ももはや新しい機体ではない。

 それでも南部からも急ぎ移動させたので、こちらも200機以上の機体が用意された。

 ただしこちらも、夜間攻撃任務が可能なパイロットの数は、全体の4分の1ほどしかいなかった。

 既に大きな損害を受け、多くのパイロットが居なくなっているのが大きく響いていた。

 

 枢軸全体で夜間攻撃を仕掛けるのは、合わせて400機のうち120機程度だった。

 だが夜間戦闘が出来るパイロットばかりなので、戦闘機の迎撃がほぼ無いことと合わせて十分な戦果が期待された。

 

 夜間の艦隊への空襲は、事前の偵察情報に従って概略方向に向かい、その後は機載レーダーで探知しながら接近し、状況が許せば照明弾投下を行った上で攻撃を実施する。

 レーダーが大幅に用いられるようになった点が以前との大きな違いだが、夜戦が混乱しやすいという点では違いは無かった。

 ドイツ空軍では赤外線を用いた暗視装置が一部で使われることとなっていた。

 

 しかし、パイロットの練度が大規模夜間戦闘を行うには総じて低く、イギリス、ドイツ空軍が今まで共同訓練を怠っていた為、混乱は枢軸側でより大きかった。

 

 連合軍は日本艦隊のみだし、大西洋側での訓練を終えたばかりの精鋭艦隊なので混乱は最小限だった。

 日本艦隊司令部としては、敵の大規模な夜襲も想定範囲内だった。

 そればかりか、敵が夜襲を仕掛けてくる事を正確に予測していた。

 自分たちが同じ立場でも、同じ事をするからだ。

 

 艦隊外縁には、特製の高いマストにレーダーを搭載した哨戒用の駆逐艦を配備し、夜間偵察機もニューファンドランド島から飛行艇などを飛び立たせていた。

 そして艦隊自身は、《大和》《武蔵》を中核とする戦艦部隊を最も敵の近い場所に置いて、万全の防空輪形陣を組んで待ちかまえた。

 調整の取れていない枢軸軍機は、大艦隊が作り出す高射砲(高角砲)の濃密な弾幕の中に、誘蛾灯に引き寄せられる虫のように吸い込まれ、無数の高射砲弾の餌食となっていった。

 加えて、潜水艦に足下を掬われないように、ハンターキラーも呼び寄せて警戒に当たった。

 

 この時日本艦隊の高射砲弾は、この作戦の為にアメリカ海軍が特別供与した近接信管が多数配備されていた。

 多数と言っても全体の20%にとどいていなかったが、これは当時のアメリカ海軍の精鋭艦隊でも同様なので、アメリカ海軍がケチったり差別したわけではない。

 近接信管は、流石のアメリカでも大量に生産することが出来ない最新兵器だったのだ。

 

 なお、高射砲の弾幕の場合恐ろしいのは、近接信管よりも各種レーダーと優れた高射装置で管制射撃が行われている点だった。

 五月雨式に攻撃してきた敵機は、レーダーと高射装置に捉えられて順番に集中砲火を浴びていった。

 かつては「ソードフィッシュ雷撃機」が成功した戦法も、無数の両用砲と機関砲による迎撃で自殺行為となっていた。

 これがもし昼間なら、面白いように撃墜されていく欧州枢軸軍機が目視できただろう。

 

 そして無数の砲火と墜落する機体が作り出す炎は、攻撃した側に多くの誤認を産み出した。

 人とは見たものを期待をもって判断しがちだが、そうした心理を現したようにこの夜の枢軸側の攻撃機は、「大戦果」を報告した。

 しかし実際は、直衛艦や駆逐艦に若干の損害が出ただけで、大型艦の至近弾以外での被弾は空母1隻、戦艦1隻に被弾があったのみだった。

 しかもどの艦も、作戦行動を続けられる程度の損害だった。

 ドイツ軍自慢の誘導ミサイルが命中した戦艦では、弾頭の榴弾に装甲表面を焦がされただけというのもあった。

 

 だが、英独共に攻撃隊の壊滅と引き替えの戦果がごく僅かとは考えず、友軍機が落ちる火炎を敵艦が炎上する様と誤認し、多くの空母や戦艦が火だるまになったと報告された。

 全ての報告を集計すると、空母の半数(8隻)、戦艦の三分の一(6隻)が撃破された計算になる。

 最も楽観的な報告だと、戦果はさらに五割り増しにもなった。

 つまり日本艦隊は「全滅」している事になる。

 

 「戦果報告」を受けた司令部の判断は、攻撃隊の規模からさすがに敵艦隊の全滅はあり得ないと考えだが、報告の半分程度の損害は与えたのではないかという考えが持たれた。

 従来の夜襲は奇襲攻撃なので、戦果が大きくなりやすいからだ。

 

 そして英独双方が互いの戦果を報告し合うが、両者共に流石に不確定な高い戦果を他国に報告しないだろうと考え、日本艦隊にかなりの打撃を与えたと判断した。

 

 そしてその上で、周辺に展開する空軍部隊と、進撃途上の友軍艦隊に「追撃」を命令する。

 欧州の艦隊は既にフェロー諸島沖合まで進んでおり、何の抵抗も無ければ後丸一日でアイスランドのレイキャビク沖合に到達予定だった。

 敵艦隊が大きな損害を受けているなら、損傷艦に追いついて撃沈も可能だろうと期待された。

 そして追撃のまま、アイスランドに突入できる可能性も十分にあると判断された。

 

 だが、欧州枢軸側の楽観論と混乱をあざ笑うかのように、夜明けすぐにも日本海軍の高速偵察機「彩雲」が追撃中のイギリス本国艦隊上空に飛来する。

 フルチューンした特別製エンジンを搭載した「彩雲」で、モリブテンをたっぷり入れた超高オクタン価ガソリンを使って、高周波をまき散らせつつインターセプターを悠々と振り切り、喜々として友軍機を呼び寄せた。

 

 追撃中の枢軸艦隊はこの時点でおかしいと考えたが、その事は30分もしないうちに夜明け前に偵察に飛び立った友軍機からの報告報で肯定されてしまう。

 

 「敵空母機動部隊2群と戦艦を中核とする別働隊を確認。

 さらに未確認の艦隊1つを認める」という地上機のモスキートがもたらした偵察報告は、夜間あれほど激しく攻撃した日本艦隊が、まるで無傷な事を雄弁に伝えていた。

 しかも各空母は盛んに艦載機を発進させつつあり、2時間以内に友軍艦隊上空に至ることまで伝えていた。

 前衛の戦艦部隊は、その航跡と位置から速力を通常より大きく早めている事も伝えていた。

 

 敵大機動部隊との距離は、直線で400キロも無かった。

 戦艦部隊だと、さらに50キロ以上縮まる。

 枢軸側は敵が逃げている可能性が高いと考えていたが、戦意旺盛な日本艦隊はむしろ深夜のうちに高速で接近していた。

 そして両者の間に遮るものは何も無かった。

 

 この報告で枢軸側は追撃どころではなくなり、イギリス、ドイツ艦隊は直ちに反転。

 付近の友軍に、最大級の支援を要請した。

 しかし艦隊から最も近いイギリス北部のインヴァネス空軍基地まで約600キロ。

 希望的観測上の大戦果に乗せられ既に大きく進んでいたので、陸地からはかなり離れていた。

 それでも各地の空軍部隊は、出撃を急いだ。

 航続距離が短い戦闘機は殆ど出せないが、航続距離の長い攻撃機を敵艦隊に向けて出撃させる事は可能だからだ。

 既に大損害を受けて、稼働機は特に現地イギリス空軍が70%程度に落ちていたが、出し惜しみしている場合では無かった。

 この艦隊が全滅すれば、欧州を守る最も重要な「壁」が崩れ落ちてしまうのだ。

 しかも相手は、敵の最強の破城鎚である空母機動部隊だった。

 

 またイギリス、ドイツ艦隊では、自分たちが受ける損害を少しでも少なくする為に、全滅覚悟で空母艦載機の攻撃隊を出すことになる。

 

 イギリス、ドイツ艦隊合わせて約270機の艦載機のうち、140機が戦闘機で残りが攻撃機と爆撃機だった。

 イギリス海軍の艦載機は、「シーファイア」、「フェアリー・ファイアフライ」、「フェアリー・バラクーダ」で、ドイツ海軍は「フォッケウルフ Fw190T」と「ユンカース Ju87D」になる。

 攻撃機は全て実戦初参加だが、初陣から非常に厳しい戦いを強いられる事となった。

 

 「フェアリー・ファイアフライ」は戦闘爆撃機なので爆装を、「フェアリー・バラクーダ」は雷装、妙に凝った機体となった「ユンカース Ju87D」は半々程度が魚雷と爆弾を搭載した。

 護衛は戦闘機が合わせても40機程度。

 艦隊の防空を優先した為、戦闘機のほとんどが守りに回される事になった。

 

 日本軍攻撃隊は、早くも午前7時には枢軸側の艦隊上空に姿を見せた。

 合計250機以上の堂々とした大編隊が、3つの空母群ごとにまとまってやって来た。

 しかも夜明け前から攻撃隊の準備をしていたので、すぐにも200機近い第二波が出撃準備中だった。

 第一機動艦隊は、この戦場で枢軸艦隊主力を撃滅してしまう積もりだった。

 攻撃隊が出撃するとき、《大鳳》艦橋で攻撃隊を見送っていた艦隊参謀の一人が「勝った」と呟いたほど大勝利を確信していた。

 

 なお、第一機動艦隊は作戦開始から連戦続きだが、一度後退したときにある程度補充の機体とパイロットを後方に待機していた補給部隊から受け取っているため、作戦当初から数はあまり減っていなかった。

 これに対して枢軸側は、艦載機は100機近い戦闘機を艦隊前面に展開できたが、沿岸部からの援護は戦闘機の航続距離の短さが仇となった。

 スピットファイアでは、ドロップタンクを付けても十分な航続距離が確保出来ないからだ。

 

 航続距離に向けるリソースを他の性能向上に回しているので仕方ないのだが、この場合はマイナスとなった。

 単純な数なら日本軍攻撃隊を上回る300機以上の戦闘機が各基地に準備されたのに、追撃のため艦隊が外洋に出過ぎており、この時は1機も艦隊上空に送り込めなかった。

 仕方がないので、無いよりましとモスキートの戦闘爆撃機型1個大隊が、急ぎ足で友軍艦隊上空を目指した。

 このモスキートも、本来ならば空軍の攻撃隊を援護するためのものだった。

 日本艦隊を攻撃する部隊は、ほとんど援護なしの攻撃だった。

 

 フェロー諸島とシェトランド諸島という北海の入り口近辺の中間辺りの海域で、日本軍攻撃隊の制空戦闘機隊とイギリス海軍のインターセプターが激突する。

 

 戦闘機の数は日本側が多く、性能とパイロットの質も日本軍が高かった。

 しかもイギリス側の航空管制は地上と比べると甘く、日本軍機をインターセプトしきれなかった。

 

 約100機のシーファイアは60機以上の烈風に半数以上が抑えられ、さらに攻撃隊を目指したシーファイアは、ほぼ同数の直援隊の烈風に阻止されてしまう。

 そして100機以上の日本軍攻撃隊は、空母を第一目標として攻撃を開始する。

 

 日本軍攻撃機は、既にお馴染みとなっている「天山」、「彗星」の強化改良型だが、基本的に枢軸側の機体よりも高性能なので、エンジン強化した事でこの時でも十分な戦闘力を有していた。

 日本本土では新型機の最終テストが急ぎ行われていたが、それすら不要と言わんばかりの攻撃の冴えを北欧の空でも見せつけた。

 

 この日本軍の攻撃を僅かでも阻止したのは、焼け石に水とばかりに陸から送り込まれたモスキートだった。

 持ち前の快速を活かした一撃離脱と機首に集中した機銃の弾幕で、一部の日本軍機を翻弄した。

 日本の烈風の方が速度は速いが、双発機の逆さ落としの攻撃は予想外だった。

 またイギリス、ドイツ艦隊の対空砲火も以前と比べると大きく向上していた。

 

 2波450機も送り出した日本艦隊の攻撃だったが、結果は不満足なものに終わった。

 枢軸側の何隻かの空母と戦艦に命中弾を浴びせたが、雷撃が成功した何隻か以外には大きな打撃を与えられなかったからだ。

 しかも魚雷を命中させた艦も、致命傷には至っていなかった。

 攻撃が集中せずに、分散してしまったからだ。

 

 当然、次の攻撃隊を送り込もうとしたが、途切れることなく続く欧州枢軸側の攻撃への対応で、攻撃隊の収容すらままなららず、必然的に次の攻撃隊の準備は遅れた。

 《大鳳》の飛行甲板に爆弾が命中するなど、ヒヤリとする場面すらあった。

 そして総司令官の小沢提督は、まずは敵の攻撃を防ぎきる事に専念することを決めたため、枢軸側艦隊への攻撃は昼に持ち越される事になった。

 

 そして欧州枢軸側の攻撃が、日本側が防戦に徹した事でほとんど成果を挙げないまま尻窄みになっていく頃、日本艦隊の各空母の格納庫内では次の攻撃隊の準備が整えられた。

 あとは飛行甲板に艦載機を並べて送り出すだけだった。

 その飛行甲板に命中弾を浴びせた枢軸軍機もあったが、日本空母の多くが装甲空母のため僅かな損害しか与えられなかった。

 それでも軽空母1隻に判定中破の損害を与えるなど、犠牲を省みずに奮闘している。

 だからこそ日本艦隊も、まずは防御に専念したのだ。

 そして日本艦隊が必殺の攻撃隊を放つ直前、連合軍の攻略部隊総司令部からの要請があった。

 

 アイスランド沖に停泊する司令船に座乗するマッカーサー将軍が、「友軍空母機動部隊は、敵艦隊攻撃より攻略部隊支援を優先されたし」と発したもので、この要請はアメリカ本土の連合軍海軍・大西洋艦隊総司令部、日本海軍大西洋艦隊にも出された。

 本来は、各国陸海軍の上位組織から各部隊への命令しか出来ないので要請の形になっているが、これはほとんど命令だった。

 もしくは告げ口だった。

 

 マッカーサー将軍は、攻略作戦中の危険を最小限にする積もりだったと言われているが、この事は後日連合軍内で大問題となった。

 事態は指揮権全般の諸問題に及んでしまい、その後連合軍内で命令系統の再構築にまで発展してしまう。

 その結果、より円滑かつ親密さを増した命令系統と司令部機構が作られたのだが、あまり良い変化の発端では無かった。

 

 また日本海軍は、この事件以後マッカーサー将軍を酷く嫌うようになってしまう。

 もっとも、日本海軍がマッカーサーを嫌いになったことは、日米両軍の特に高級将校間の親密さを増すことに大きく影響したと言われる。

 というのも、独善性が強いマッカーサー将軍はアメリカ陸軍内でも問題視されることが多いし、アメリカ海軍からも嫌われていたからだ。

 中華戦線にいた頃の日本陸軍でも、独善的過ぎると言われることが多かった。

 

 その後の事はともかく、マッカーサー将軍からの要請を受ける形で、日本海軍・第一機動艦隊は強大な戦闘力を完全に発揮しないまま、進路を反転せざるを得なかった。

 確かに、敵艦隊への攻撃よりも上陸作戦支援の方が作戦上では重要だからだ。

 実際、アイルランド沖には、日本艦隊追撃の命令でブレストを出撃していた有力なフランス艦隊が確認されており、ノルウェー海の枢軸艦隊に構っている場合でもなかった。

 

 おかげで欧州枢軸海軍の主力部隊は壊滅を免れ、獲物を逃した日本艦隊こそ悔しがったが、連合軍全体としてはいつでも倒せるという考えしかなかった。

 洋上戦力にはそれだけ開きが出ており、上陸作戦を邪魔さえされなければそれで十分だったのだ。

 ここに連合軍としての、枢軸側海軍の評価を見ることができる。

 

 枢軸側ではマッカーサーの事が分からなかった為、フランス艦隊が敵攻略船団に脅威を与えた事が日本艦隊の後退をもたらしたと分析されたため、結果論的だがイギリス、ドイツはフランスに借りを作ったと考えられた。

 

 アイスランド島自体の攻略は、一週間とかからずに全ての欧州枢軸軍部隊が降伏して呆気なく幕を閉じた。

 そしてアメリカ海兵隊は次の任務のために船に引き返し、入れ替わりに工兵部隊が続々と上陸して、アイスランド島北西部の小さな半島に押し掛けた。

 

 アイスランド唯一のまとまった平地であるケブラヴィーク(ケフェラビク)と呼ばれる場所に、大規模な空軍基地を作るためだ。

 現地には欧州枢軸軍が作った飛行場が既にあったが、滑走路が三角型の形で3本あるだけだった。

 駐留施設も数十機規模のもので、欧州枢軸が使うならそれで十分だった。

 だが連合軍は、ここにある程度の規模の重爆撃機部隊を駐留させる予定だった。

 

 もっとも、陸軍航空隊の一部では、2000メートル級滑走路を作れるだけ作って、数百機の重爆撃機を配備し、まずはイギリス本島、続いてドイツ北部などを戦略爆撃するべきだと論陣を張った。

 戦略爆撃マフィアのアーノルド将軍なども力を入れた。

 

 だがアイスランド島は、北極圏のすぐ側で自然が厳しい場所だ。

 冬はほとんど夜になるし、海は流氷で閉ざされてしまう。

 冬以外の季節も、穏やかという事はない。

 しかも敵本土に近い最前線だ。

 そんな場所に、大規模な補給を必要とする数百機の重爆撃機部隊など置けるわけが無かった。

 連合軍総司令部がアイスランドに求めたのは、牽制だった。

 アイスランドから無視できない程度の攻撃を行う事で、イギリス本土、ノルウェーなどに防御の負担を与え、敵戦力を北に拘束するのが主な目的だった。

 

 そして連合軍の拠点となったアイスランドは、連合軍が望んだ役割を必要十分に果たしていく事になる。

 加えて欧州北部の偵察がし易くなり、その密度も大きく向上した。

 さらに北欧沿岸の航路に対する航空攻撃も実施されるようになり、欧州枢軸の戦争経済にも悪影響を与えることが出来た。

 

 欧州から近いので奪回される恐れもあったが、海軍力の差、連合軍の艦隊が北米東岸からすぐに駆けつけられる場所であることなどから、大きく問題視される事も無かった。

 唯一注意するべきは大規模な空襲だが、欧州枢軸側の航空機の航続距離は総じて短く、枢軸側の大規模な飛行場から最低でも1200キロも離れていたので、連隊規模の防空戦闘機を配備しておけば十分と判断されていた。

 

 そしてアイスランド島は、当面は牽制のために奪取したのであり、当面の本命は地中海、ジブラルタルだった。

 その準備のため、アメリカ海軍の大機動部隊はこの戦いに出撃してこなかったのだ。

 だが、艦隊規模、作戦規模が大きいため、彼らが動きだすにはもう少し時間が必要だった。

 

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