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日米蜜月  作者: 扶桑かつみ
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フェイズ25「WW2(19)プエルトリコ島戦4」-1

 1942年10月10日、遂に連合軍のプエルトリコ島奪回作戦が開始される。

 作戦名は「ウォッチ・タワー」。

 

 作戦はアメリカ軍を中心とするも、日本海軍も大挙参加していた。

 というよりも、日本海軍が夏から秋口にかけて送り込んできた空母機動部隊なくして、作戦は成り立たなかった。

 その事は9月24日の海戦でも立証され、この作戦でも装甲空母を持つという優位を活かしての活躍が大いに期待されていた。

 なお、先の海戦で魚雷1発を受けた装甲空母《翔鶴》だったが、マイアミの浮きドックで強引に簡易修理を施して、僅か1週間で戦場に復帰している。

 修理は後で本格的に行わなくてはならなかったが、主に修理を行ったアメリカ軍の修復能力の高さを見せつける一例と言えるだろう(※潜水艦魚雷を2本受けた《サラトガ》は思いの外重傷で、修理に1年近く要する事になる)。

 


 10月中旬に入ろうという頃のプエルトリコ島を巡る戦況は、2ヶ月前と大きく変化していた。

 2ヶ月前にプエルトリコ島が陥落した頃は、枢軸軍の潜水艦が猛威を振るっていたが、既にその影はプエルトリコ島周辺ですら薄れつつあった。

 連合軍の集計では、怪しいものを除いてもこの二ヶ月で50隻の敵潜水艦を沈めるか撃破したと判定しており、実際に枢軸軍潜水艦の脅威は大きく低下していた。

 

 既に「護衛空母(CVE)」と呼ばれる、高速貨物船か高速タンカー改造の簡易改造空母の大量就役の第一陣の実戦投入が開始されており、合わせて建造された大量の護衛艦艇(駆逐艦または護衛駆逐艦)が実戦配備に付きつつあった。

 これらに加えて、大型機ではレーダーの搭載が進んで、欧州枢軸の潜水艦に対する監視の目をいっそう強めていた。

 全ては1940年夏の参戦以来、約2年間も苦しめられ続けてきたアメリカが、他を差し置いてまでして揃えた艦艇や装備であり、これから先ヨーロッパに向かう道を切り開いていく為の地味ながら究極の切り札だった。

 

 しかし彼らの姿はまだ少ない上に、制空権がない場所には投入できなかった。

 故にプエルトリコ島の攻略には、最強の艦隊を投入しなければならなかった。

 城門をうち破るには、破城鎚が必要だからだ。

 

 そして破城鎚とは、日米の有する空母機動部隊であり、破れられた城門から突き進むのがアメリカ海兵隊であり、突破を成功させるための支援として高速戦艦が多数用意された。

 

 連合軍では、プエルトリコ島の攻略での制空権には大きな不安を抱えていなかった。

 空母部隊は戦闘機の比率をさらに増やす措置を取っていたが、基地配備の攻撃機隊はキューバ島南部を中心に既に溢れかえっており、その気になれば空の要塞「B-17」を100機単位で送り込むことすら出来るようになっていた。

 問題は、上陸前もしくは上陸直後の海岸近辺での制海権だった。

 

 仇敵だった戦艦 《ビスマルク》は沈めたが、欧州枢軸にはまだ多数の戦艦が残されていた。

 このため連合軍は、露払いのためにプエルトリコ沖合の枢軸軍水上艦艇の排除を画策する。

 空母を用いれば相手が逃げ出すだろうから、あえて制空権の下を水上艦隊に突撃させるという強引な作戦だった。

 

 しかも一度成功した飛行場への艦砲射撃を行うので、欧州枢軸側を余程不利ではない限り、島を保持したければ迎撃するしかない状態に追い込んで戦闘を強要しようとした。

 戦略条件を満たすために、戦術を優先させた戦闘だった。

 

 当然ながら危険な任務なので、まずは主軸となるアメリカ軍が水上艦隊を投じることになる。

 

 作戦のために用意された戦艦は、アメリカが《ワシントン》《ノースカロライナ》《サウスダコタ》《インディアナ》《アラバマ》、日本が《比叡》《霧島》だった。

 欧州枢軸に対して数の優位は明らかなので、作戦では最悪半数が損傷しても構わないと割り切っていた。

 それで敵の水上艦隊を壊滅させられれば、プエルトリコ島奪回作戦の少なくとも序盤は成功したも同然だからだ。

 

 物量を用意できるようになったアメリカらしい作戦で、それに付き合わされた日本海軍も、現地に派遣されていた提督や高級将校の多くが積極性に富んだ人々だったので、むしろ作戦への積極参加を伝えていた。

 突撃作戦を熱心に説いて回った神重徳大佐などは、あまりの積極性のため「キャプテン・マッド(変人大佐)」とまで言われた。

 

 そして、後に異常とまで言われたテンションでプエルトリコ島を奪い返しに来ようとしている連合軍に対して、現地枢軸海軍は窮していた。

 稼働空母は《ヴィクトリアス》1隻だけ。

 戦艦は、他国の声を無視してドイツ海軍が本国に戻ってしまったので、予備兵力として温存していたフランス艦隊を出すしかなかった。

 もちろんイギリス本国海軍も、戦艦 《プリンス・オブ・ウェールズ》《デューク・オブ・ヨーク》など水上艦隊を出撃させるが、大型艦での劣勢は明らかだった。

 


 1942年10月10日、アメリカ艦隊がプエルトリコ島の西部にある最も重要な飛行場であるカロライナ飛行場に突進していった。

 

 キャラハン少将率いる戦艦 《ワシントン》《ノースカロライナ》に、大型軽巡洋艦 《サンフランシスコ》《ポートランド》、軽巡洋艦3隻、駆逐艦8隻を中心とした大艦隊だった。

 目標は、西部マヤグエス市郊外にある飛行場。

 これを破壊して、枢軸側の制空権を奪い去るのが目的だった。

 

 これに対して枢軸側は、フランス艦隊がこの日の防衛担当で、戦列艦 《ダンケルク》《ストラスブール》、軽巡洋艦1隻、駆逐艦7隻と劣勢だった。

 重巡洋艦はこの時は東部海岸の防衛担当で、イギリス艦隊は小アンティル諸島の泊地で休養と待機にあった(※連合軍の出撃に対して緊急出撃したが、その日は間に合わなかった)。

 

 戦闘は夜間戦闘で、双方ともに夜間戦闘を前提とした水上捜索レーダーを装備していた(※フランスはイギリスから供与を受けていた)。

 だが、夜間にレーダーだけを頼りに戦闘をするには、当時のレーダー精度は高くなかった。

 特に乱戦になると、使用してもほとんど無駄な程だった。

 またアメリカ艦隊、フランス艦隊共に夜間戦闘を重視しているわけではないので、艦隊行動に不安もあった。

 しかもこの日の現地の夜は、時折激しいスコールが降らせている暗雲が夜空と月を隠していた。

 そしてレーダーと目視確認が難しいため、両者共に相手を見付けるのが大きく遅れた。

 

 両艦隊が気付いた時には接近しすぎており、艦載砲で戦闘を行うには接近しすぎた状態となる。

 そして一気に乱戦となり、レーダーよりも照明弾や火焔の明かりで敵を探って戦う状態となる。

 まるで古代の戦士同士の戦いであり、目の前に現れた敵に対する咄嗟砲撃が頻発して、両軍の艦艇に大損害が続出した。

 戦闘は機銃まで撃ち合うほどで、闇夜の混乱の中で同士討ちも多数発生した。

 両軍提督が「魔女の釜」と表現したほどだった。

 

 戦艦 《ワシントン》《ノースカロライナ》は、前衛の駆逐艦がどこかに行っている間に敵のど真ん中に入り込んでしまい、先頭を進んでいた旗艦 《ノースカロライナ》は主に駆逐艦からのめった打ちにあって、多くの砲弾を被弾してしまう。

 それでも戦艦なので主要部は全く無傷で、戦闘航行に大きな支障は無かった。

 だが自らの砲撃と敵から受けた砲撃、そして被弾後の火災で自らの位置を晒してしまう。

 そこに1万メートルを切る距離にいた戦列艦 《ダンケルク》《ストラスブール》が、ほとんど出会い頭で前部に集中している主砲16門を叩きつけるように浴びせかけた。

 

 《ワシントン》《ノースカロライナ》も咄嗟に応戦したがフランス艦の方が一歩早く、《ノースカロライナ》は僅か3分で高初速の13インチ砲弾を複数を近距離から受けてしまう。

 13インチということで一見他国の巨砲に比べて威力が小さいように感じられるが、口径の長い砲身から打ち出された重量弾のため、45口径14インチ砲弾よりも威力があるほどだった。

 

 そしてそのまま《ダンケルク》《ストラスブール》は高速で通過していったが、こちらも16インチ砲弾を数発受けて黒煙を吹き上げながらの転進と後退で、相手が戦艦だったので慌てて逃げたというのが正しい状態だった。

 フランスの2隻の戦列艦も、カウンターにより小破または中破の損害を受けていた。

 

 戦艦同士の戦いをピークとして、混乱した夜間戦闘は終息に向かった。

 両軍共に損害が大きすぎるので、戦闘継続が出来なくなっていたからだった。

 そして双方ともに、損害に唖然とした。

 無傷の艦を探す方が難しいほどで、どちらが勝者か分からないような有様だった。

 しかも戦艦 《ノースカロライナ》は、上部構造物は瓦礫の山となり機関部が全滅するほどの状態で大破し、敵地であるためキングストン弁を開いて自沈せざるを得なかった。

 そして戦闘で戦艦を喪失したのに加えて、ほとんど全ての艦艇が損傷したため飛行場砲撃も出来なかったので、アメリカ側の敗北だった。

 


 翌日、今度は日本艦隊がプエルトリコ島西部のカロライナ飛行場に、沖合から一気に近寄り艦砲射撃を実施した。

 

 行ったのは戦艦《比叡》《霧島》に、重巡洋艦《青葉》《衣笠》《加古》《古鷹》の小柄な重巡洋艦部隊と護衛の駆逐艦4隻で、こちらには重巡洋艦 《アルジェリー》《フォッシュ》《デュプレ》を中核としたもう一つのフランス艦隊が展開していた。

 日本艦隊としては、最初の艦砲射撃以来二度目の攻撃だった。

 

 枢軸側は、昨日の今日で再び夜間に艦隊を差し向けると考えていなかった為、日本艦隊がほとんど正面から出現したにも関わらず混乱していた。

 慌てて迎撃の配置につくような状態で、日本艦隊の十分に対艦戦闘の余裕を与えてしまう。

 

 日本艦隊は周辺の捜索以外でレーダーを用いず、当然だが夜間砲撃を行えるほどの装備(=精度)ではないので、この時点で飛行場に落とす予定だった観測機の照明弾投下を命令。

 落ち着いて、浮かび上がったフランス艦隊に対する砲雷撃戦を開始する。

 

 そして混乱から立ち直れないフランス艦隊は、回避も煙幕展開もせずに飛行場砲撃阻止を目的として同航戦を挑んでしまう。

 対する連合軍としては艦隊撃破も目的の一つなので、日本艦隊も受けてたった。

 そして夜間に砲撃を命中させたければ昼間より接近するより他なく、両者危険な距離まで接近し合っての砲撃戦を展開する。

 そして距離が近ければ、重巡洋艦の8インチ砲でも戦艦に相応の打撃を与えることが出来た。

 このため日本艦隊の先頭を進んでいた戦艦《比叡》は、かなり被弾して損害を受けてしまう。

 だが、やはり戦艦は戦艦だった。

 相応の距離があれば撃破は難しく、フランス艦隊の重巡の方が次々に14インチ砲弾(もしくは8インチ砲弾)を被弾して戦場からの撤退を余儀なくされた。

 そして夜間に追撃戦をしても仕方ないので、日本艦隊は敵艦隊がいなくなった海岸に陣取り、慌てて出てきた魚雷艇を駆逐艦に任せて艦砲射撃を行うことができた。

 艦砲射撃は郊外の飛行場だけでなくサン・ファンの港湾部にも実施され、榴弾で施設や揚陸された物資を破壊し、停泊していた輸送船なども撃破した。

 

 これでプエルトリコ西部の主要都市サン・ファン郊外にある飛行場は再び大きな打撃を受け、翌朝行われたアメリカ軍の絨毯爆撃で壊滅してしまう。

 

 飛行場は艦砲射撃だけで完全に壊滅したわけでは無かったが、多数の機体が損傷したうえに飛行場自体の機能が大きく下がったところに「B-17G」が100機単位の大編隊で押しよせた為、迎撃が失敗したからだった。

 しかも再建途上を狙われた形のため、工作機材、整備車両の多くも破壊された。

 

 だが、一昨日に艦砲射撃に失敗した東部の飛行場は防戦に成功しており、「B-17G」の損害も多く、爆撃だけでは壊滅に追い込めなかった。

 


 そして13日夜も、連合軍艦隊はプエルトリコ島に押しよせた。

 

 先の二度の大規模夜間戦闘は、好対照の結果となった。

 

 敵の状況が分かっていれば、昼間との戦闘と大きく違わない。

 しかし混乱した状態だと、常識では考えられないほどの損害が出てしまう。

 そして闇夜やスコールがあると混乱が発生しやすかった。

 11日の戦闘がまさにそうで、逆に晴れて月も出ていれば混乱は最小限で済む。

 それが12日の戦闘だった。

 

 そして13日の夜、プエルトリコ島の上に月は輝いていなかった。

 

 この日の夜、連合軍艦隊は再びプエルトリコ島東部に艦砲射撃を企図した。

 参加したのは、戦艦 《ワシントン》《サウスダコタ》《霧島》、駆逐艦9隻だった。

 別働隊は陽動も兼ねて再び島の東部を目標として、こちらは重巡洋艦《那智》《足柄》《青葉》《衣笠》《古鷹》を中核とする艦隊が向かった。

 再び島の東部に向かうのは日米合同艦隊で、日米の今までの合同訓練の成果も試される戦いでもあった。

 合同となったのは、双方ともに二日間の夜戦で大きな損害を受けたからで(損傷艦が非常に多かった)、消耗戦を前提としていたとはいえ楽な戦いでは無かった。

 東部に快速艦隊が向かったのは、友軍からの距離が遠いのと、既に壊滅した飛行場への攻撃であり、基本的には陽動任務のためだった。

 実際、サン・ファン沖合には駆逐艦戦隊が防衛任務に就いており、敵影をレーダーで捉えた日本の巡洋艦部隊に蹂躙されているので、陽動はある程度成功したと言える。

 

 なお、戦艦 《インディアナ》《アラバマ》は、夜間戦闘をするには乗組員の練度がまだ不足していると判断されたため、投入が断念された。

 

 対する欧州枢軸軍は、フランス艦隊が全ての大型艦が損傷して後退したため、イギリス艦隊が陣取っていた。

 戦艦 《プリンス・オブ・ウェールズ》《デューク・オブ・ヨーク》を中心とする艦隊だった。

 この2日間の戦闘を受けて、夜間戦闘に備えた訓練も事前に行っての布陣だった。

 しかし、沖合の空母にも艦艇を割かねばならないので、護衛は軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻だけと心許なかった。

 

 闇夜のため、両軍共にレーダー情報を重視して相手を捜した。

 アメリカ軍のSGレーダーはこの戦闘までに突貫工事で出来る限り装備されていたので、巡洋艦以上の艦艇全てが装備していた。

 日本の艦艇は21号電探レーダー、22号電探のそれぞれ改良型を装備していたが、性能はアメリカ製の方がやや上回っていた。

 このため《霧島》は戦艦隊列の後方に位置していたし、警戒の駆逐艦はアメリカ側が担った。

 

 しかしこの夜も乱戦となってしまう。

 

 結果として互いのレーダーはあまり役に立たず、まずは駆逐艦同士が砲撃を始めて双方に被害が出た。

 そして駆逐艦部隊は仕切直すため戦場から離れたのだが、これで両者の混乱はかえって広まる。

 両者前衛が戦闘をした後もそのまま前方で警戒していると思い込んでいた為、気が付いた時には戦艦同士が近距離で直接相まみえる状態だった。

 


 最初に砲撃を行った大型艦は《サウスダコタ》と《プリンス・オブ・ウェールズ》《デューク・オブ・ヨーク》だった。

 《サウスダコタ》は《プリンス・オブ・ウェールズ》の艦橋構造物に命中弾を浴びせて火災を起こさせるも、自らも2隻の戦艦から複数の14インチ砲弾を被弾して砲撃能力と指揮機能を失い殆ど戦闘不能となってしまう。

 その後も独自に両用砲などが砲撃をしていたが、《サウスダコタ》は戦艦としての戦力価値を失った。

 

 次に激しい砲火を受けたのは、火焔を目標にして砲撃した《霧島》の砲弾を受けた《プリンス・オブ・ウェールズ》だった。

 最初の一撃で防御が弱い艦橋部分を完全に破壊されて指揮機能と統一射撃機能を失い、実質的な戦闘力を失っていた。

 そして《霧島》は、大きくなった火焔を目標にさらなる痛打を浴びせかけた。

 だが《霧島》も、その後ろの暗闇に潜んで無傷だった《デューク・オブ・ヨーク》からの砲撃で続けて2発を被弾し、3番砲塔が破壊されるなどかなり損傷してしまう。

 このまま撃たれ続けたら、旧式の高速戦艦では危うかった。

 

 《霧島》の危機を救ったのは、意外にも《サウスダコタ》だった。

 戦場からノロノロと離脱しつつも各個砲撃を続けていたところ、発砲の火焔を見付けた両用砲群による砲撃が《デューク・オブ・ヨーク》を捉えて、装甲化されていない艦橋構造物の多くを破壊したからだ。

 アメリカ海軍将兵の士気の高さを見て取ることが出来る一例だが、これで《デューク・オブ・ヨーク》はレーダーを使用不可能にされ、両用砲や機銃にも大きな損害を受けてしまう。

 そこに戦場に戻ってきた日本の駆逐艦群が突撃してきて、近距離から砲火を浴びせつつ最短距離約3000メートルで雷撃を行い、多数の酸素魚雷を命中させた。

 《デューク・オブ・ヨーク》は最低でも5発の61cm酸素魚雷が片側で続けて炸裂し、大きく傾き動力の殆どと戦闘力を喪失。

 傾きが大きいため、主砲も発射不能となった。

 その後しばらく漂流を続けるも、応急対策をして間に合う打撃と浸水ではなく1時間も保たなかった。

 

 駆逐艦を阻止するべきイギリス側の水雷戦隊は、アメリカの駆逐艦群と戦闘をしていたところに、戦場を迷走して敵のど真ん中(=反対側)に誰にも気づかれることなく突っ込んでしまった日本海軍の駆逐艦《夕立》の近距離からの砲雷撃を受けて大混乱に陥り、その後態勢を立て直したアメリカの駆逐艦群の奮闘もあって壊滅していた。

 この時イギリス艦隊は、同士討ちすら発生した中で《夕立》単艦に3隻が撃沈破されたと判定されている(※ただし諸説あり)。

 この奮闘のため、反撃を受けて戦場で立ち往生するもアメリカ軍駆逐艦に引かれて何とか生還した《夕立》は、この戦闘での一番の功労艦と称えられた。

 また《夕立》の生還は、アメリカ海軍からの技術伝授を受けたダメージコントロールが功を奏したからで、《夕立》は二重の意味でアメリカ海軍に助けられた形だった。

 

 その間、旗艦でありレーダーにも詳しいリー提督が座乗する《ワシントン》は、隊列が乱れた後は少し戦場から離れて状況をレーダーで正確に見定め、既に大きく損傷していた《プリンス・オブ・ウェールズ》に正確な砲弾を浴びせかけていた。

 《ワシントン》の砲撃は的確で、《プリンス・オブ・ウェールズ》は砲撃してくる相手をつき止めることが出来ないまま、複数の主砲弾を受けて完全に戦闘力を失い、夜のうちにうずくまるように波間に没する事になる。

 いかに重防御をうたわれても、16インチ砲弾を1万メートル程度の近距離から10数発も撃ち込まれてはどうしようもなかった。

 

 そしてイギリス艦隊がほぼ全滅という形で壊滅したことで、制海権は連合軍のものとなった。

 連合軍艦隊は、残敵を掃討しつつ態勢を立て直した《霧島》と無傷の《ワシントン》が、マヤグエス市郊外の飛行場を砲撃。

 飛行場をこの作戦中無力化する事に成功し、「第三次プエルトリコ海戦」は連合軍の勝利に終わった。

 

 なお、戦艦 《ワシントン》は、この戦闘で最も要領よく戦った艦となったが、苦戦を強いられた《サウスダコタ》《霧島》の乗組員からは、恨みに近い感情を持たれたと言われている。

 


 夜間突撃作戦の成功で、プエルトリコ島にあった飛行場3箇所のうち2カ所が沈黙し、残りの1箇所は島の南部で小規模のため重爆撃機だけでも対処可能で、上陸作戦の障害の多くが排除される事となった。

 

 小アンティル諸島には多数の枢軸側の飛行場があったが、プエルトリコ島占領で部隊は前進して現地の数は少なく、補充も短期間では間に合わない状態だった。

 

 あとは空母だが、連合軍はまだ7隻も動員できるのに対して、枢軸側は1隻だけでしかも搭載機数も少ない。

 艦載機数の差は10倍以上に開いていた。

 

 この状況を受けて、連合軍は上陸作戦にゴーサインを出す。


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