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日米蜜月  作者: 扶桑かつみ
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フェイズ16「WW2(10)カリブの死闘の幕開け」-1

 1941年夏頃から、カリブ海のほぼ真ん中に位置するジャマイカ島が激戦地の一つとなっていた。

 現在のジャマイカ島は、陸上競技選手を多く輩出したり、レゲエ音楽で有名で陽気な国と思われているが、砂糖などの単品作物栽培に絡んだ黒人奴隷の悲哀の歴史が多くを占めている。

 


 当時ジャマイカ島は、イギリス領だった。

 独立に向けた運動が盛んになっていたが、イギリス本国はこれを利用して戦争協力すれば独立を約束すると言って枢軸陣営に属させていた。

 

 カリブ地域では3番目に大きな島で、アルミニウムの原料となるボーキサイトを豊富に産出するため戦略的にも重要な島だった。

 またカリブのほぼ真ん中にあるため、アメリカの海上交通を妨害するもってこいの位置でもあった。

 アメリカ本土を爆撃できる拠点としても使えた。

 

 しかし逆に、アメリカの勢力圏(元保護国)のキューバからは最短で160キロメートル、アメリカ本土のマイアミまでも1000キロメートルも離れていなかった。

 アメリカの目と鼻の先というわけだ。

 しかもヨーロッパからジャマイカに至る途中には、アメリカ領(自治領)のプエルトリコ島までがあった。

 このためイギリス本国は、大きく南周りの航路を設定し、アメリカが戦争準備を整えないうちに続々と戦力を送り込んだ。

 

 主に送り込まれたのは空軍部隊で、レーダー、通信管制施設、高射砲部隊など、航空戦を行うための部隊が中心だった。

 そうした上で潜水艦などが進出して、アメリカとの戦争が始まってから半年ほどは、カリブ海航路を荒らし回る拠点となった。

 「ヴィッカーズ・ウェリントン」などの爆撃機も、この島から盛んに出撃して艦船を攻撃した。

 数えるほどだが、マイアミなどフロリダ半島すら攻撃した。

 つまりイギリス軍は、米英戦争以来久しぶりにアメリカ本土を直接攻撃した事になる。

 こうした攻撃のため、アメリカはジャマイカの事を「20世紀の海賊の島」と呼んでアメリカ市民の敵愾心を煽った。

 

 しかしアメリカ本土からあまりにも近いため、いずれ奪われる島という意識も最初から持たれていた。

 この島の役割は、一日でも長くアメリカ軍を足止めする事だった。

 一方では無理な地上戦をする気がないので、地上部隊は警備用の最低限で、最初から撤退のための準備も行われていた。

 


 なお、イギリス空軍機によるマイアミなどフロリダ半島に対する嫌がらせを主な目的とした小規模な爆撃は、アメリカ市民に絶大な心理的影響を与えた。

 

 旧宗主国が百数十年ぶり(ナポレオン時代の米英戦争以来)にアメリカ本土を攻撃した事になるが、イギリス本国云々よりも「アメリカ本土が攻撃された」という事実が極めて大きな衝撃となった。

 アメリカ市民は、戦争になっても本土が攻撃を受けることはないと安易に考えていた。

 枢軸軍の潜水艦が沖合で跳梁しても、海でのことだという割り切りがあった。

 しかしマイアミ爆撃は例外だった。

 イギリス軍は軍事施設を目標としたが、誤爆や投棄などで市街地、民間にも被害が出た。

 しかも嫌がらせ目的で、燃料を追加で積み込み搭載爆弾も少なくした状態で、ミシシッピ川河口部のニューオーリンズなどにも爆撃を行った。

 しかもこの時期、大胆にもアメリカ東部沿岸に到達したフランス海軍が有する当時世界最大の潜水艦 《シェルクーフ(スルクフ)》が、ノーフォーク軍港を自慢の8インチ砲で砲撃していた。

 ドイツやイギリスの潜水艦も同様に、艦砲射撃は何度か実施した。

 

 枢軸側としてはアメリカ国内の混乱を誘い、防備に手間を取らせる「嫌がらせ」以上の作戦ではなかった。

 だがアメリカ市民は、枢軸側が考えた以上の反応を示した。

 東部海岸からメキシコ湾岸に至るまでのほとんどの地域が、政府、軍に対して自分たちの場所を防衛するように極めて強く要請する事になる。

 関係ない地域までが、同様のことを求めた。

 

 そして政府も声の大きさから無視できず、この時期の戦争努力、生産努力の多くを「アメリカ本土防衛」に投じざるを得なくなった。

 この影響は兵器の生産や軍の派兵にも大きく響き、アメリカ軍の反攻を最低半年遅らせたと言われている。

 戦争中盤以後ほとんど使い道がなくなった沿岸砲台、高射砲陣地、過剰なほどの防空壕など、今日に残る施設もアメリカ各地に無数に残されていたりもする。

 アメリカ国内の土建業者の一部の懐が温かくなっただけだった。

 

 そして多くの研究家は、この時欧州枢軸陣営はジャマイカ島を利用して全力を挙げてパナマ運河を攻撃し、一定期間でもいいので使用不能にしておくべきだったと論じている。

 

 だが、アメリカ政府、軍もパナマ運河の重要性とカリブの危険性は十分認識しており、開戦すぐにもアメリカ陸軍の航空隊と守備隊が展開していた。

 小規模な空襲ではほとんど意味はなく、運河はよく言われるほど簡単には破壊できない。

 だからこそ大規模に攻撃して運河を破壊するべきだという意見が出てくるが、そもそも当時の欧州枢軸陣営というよりイギリス本国に、ジャマイカに大量の爆撃機を送り込む能力と部隊が存在していなかった。

 そこでチャイナへの「無益な派兵」をしなければ良かったという論がさらに出てくるが、これも机上の空論でしかない。

 チャイナに兵力を送らなければ、アジア戦線は早期に東南アジアやインドでの戦いになり、準備の整わないまま呆気なく枢軸側が敗北していた可能性も十分にあった。

 

 つまり枢軸陣営がパナマ運河を破壊できなかったのは、1940年の夏に突然のようにアメリカとの戦争が始まったからだと言えるだろう。

 


 カリブでの最初の航空戦は、キューバ南部のグアンタナモ(アメリカの租借地)に拠点を構えたアメリカ陸軍航空隊と、ジャマイカ各地に陣取るイギリス本国空軍の間で行われた。

 そして、イギリス側は攻撃では通商破壊戦を目的としているので、基本的に島を守る事を目的とした航空戦を行った。

 攻めるのは当然アメリカ側で、アメリカ陸軍航空隊は「カーチスP-40 トマホーク」戦闘機、「ベルP-39 エアコブラ」戦闘機、「ノースアメリカンB-25 ミッチェル」、「ダグラスA-20 ハボック」爆撃機を主力とした。

 4発重爆撃機の「ボーイングB-17 フライングフォートレス」はアメリカ本土で生産と部隊編成が急ピッチで進められたが、戦いの最初の方は投入できる状態ではなかった。

 

 対するイギリス本国空軍は、「ホーカー・ハリケーン」、「スーパーマリン・スピットファイア」を投入し、各種爆撃機は敵迎撃機の多いキューバに対しては、夜間爆撃か嫌がらせ程度の昼間爆撃しか行わなかった。

 「ヴィッカーズ・ウェリントン」などを用いれば、フロリダ半島のマイアミ程度まで爆撃が可能だったが、島の防衛を優先して島には爆弾をあまり持ち込まず、戦闘の初期以外でアメリカ本土攻撃も行われなかった。

 また「ウェリントン」の航続距離ならカリブ海のほぼ全域が行動半径に含まれるので、哨戒機としても重宝された。

 そしてさらにパナマ運河も攻撃可能で、実際何度か運行妨害を目的とした爆撃が実施され、アメリカ陸軍航空隊、高射砲部隊などが慌てて大量に展開するなどの混乱が連合軍の側で見られたりもした。

 

 ジャマイカ島は、アメリカにとって喉に刺さった魚の小骨どころか、喉元に突きつけられたナイフも同然だった。

 


 ジャマイカでの空中戦は、基本的にイギリスの防空網をアメリカ軍がいかに食い破るか、という点が焦点となった。

 そして初期のアメリカ陸軍航空隊は、惨敗記録を更新し続けることになる。

 「P-40」は扱いやすく安定性、稼働率、整備性が高いなど使い勝手の良い機体なのだが、これと言って優れた性能は無かった。

 そして格闘戦となると「スピットファイア」の敵ではなく、「スピットファイア」に対しては最高速度、降下速度など航続距離、行動可能時間以外のほぼ全ての面で劣っていた。

 皮肉にもイギリス軍が使うマーリンエンジン(捕獲品)を試験的に搭載した改造型で、ようやく互角の戦いが出来る程度の性能だった。

 

 このため爆撃機を護衛しきれない事が多く、アメリカ陸軍の爆撃機は「スピットファイア」などの餌食となる場面も多く見られた。

 またイギリス空軍が優れた早期警戒網と航空管制能力を持つため、常に優勢な防空戦を展開した。

 ただし中型機でも編隊を組んだ爆撃機の弾幕射撃は強力なので、華奢な「スピットファイア」も攻めあぐねることは多々見られた。

 それでも爆撃機は、戦闘機の餌食だった。

 

 かくして1941年春から夏にかけてのジャマイカの空はアメリカ軍パイロットの墓場となり、アメリカ軍はやむなく夜間爆撃に戦法を変更したほどだった。

 この当時、アメリカ軍の物量はまだ発揮できるまでに生産体制が構築されていなかった。

 加えて、戦闘機戦でのあまりの苦戦のため、戦闘機開発に多くの努力が傾注される事になる。

 ここで重要なのはエンジン開発で、日本軍が中華地域で手に入れて複製中だったイギリスのマーリンエンジンがアメリカにもたらされ、パッカード社の手によって日本より早くそして完璧に複製、そして量産ライン構築へと続いていく事になる。

 (※パテント料は英連邦自由政府側の会社に支払われている。)

 また、アメリカ軍によるジャマイカ島爆撃がある程度形になるのは、10月頃に「B-17(E型またはG型)」が戦線に姿を見せるようになってからだった。

 重防御の「B-17」は、イギリス軍機が主武装としている7.7mm機銃での撃墜が難しく防御機銃も強力なためイギリス空軍も手を焼いた。

 このため20mm機関砲装備の「スピットファイア」は、優先してジャマイカ島に配備された。

 


 また一方で、ジャマイカの戦いで重要だったのが、イギリス軍の島への補給をどうやって阻止するかだった。

 

 島自体は「スピットファイア」が円卓の騎士のように鉄壁の防空網を作り上げているので、戦闘機の行動圏外で島にやってくる船を襲撃する方がはるかに確実だった。

 このためアメリカ軍は、プエルトリコ島に航続距離の長い「B-25」爆撃機部隊を進出させて、早くから輸送船攻撃を開始した。

 しかしプエルトリコ島も、小アンティル諸島に既に展開していたイギリス本国空軍などの空襲を受けていたので、初期の頃は攻撃よりも防戦で手一杯だった。

 小アンティル諸島には、早い段階でイギリス本国空軍だけでなくフランス本国空軍、オランダ本国空軍(イギリス軍装備使用)までが進出していた。

 

 しかも初期の襲撃で警戒を強めたイギリス本国海軍は、ジャマイカ補給及びジャマイカからのボーキサイトの運び出しを行う際に、十分な護衛を付けた船団で行うようになる。

 このため潜水艦による通商破壊戦も十分にはできず、1941年秋までの輸送作戦は80%以上の成功を収めていた。

 

 当然だが、早期のジャマイカ島攻略の話しも持ち上がったが、制空権を奪えないと上陸船団が大損害を受ける可能性が高いため、何を置いても制空権を奪い取ることが先決だった。

 


 1941年夏頃のジャマイカ島には300機近い航空機が展開し、その80%以上が戦闘機だった。

 そして主力は「スピットファイア」で、「P-40」や「P-39」との島上空での戦闘のキルレシオは3対1以上と圧倒的に優勢だった。

 爆撃機を足すと最大で5対1に迫るので、単純に数字を比較すると補給を絶った状態でも、アメリカ陸軍航空隊はジャマイカを完全に沈黙させるために1000機以上の損害を必要としている事になる。

 戦闘機の性能差と航空管制の相乗効果が、この大きな戦果をもたらしていた。

 

 アメリカ軍が消耗を避ける最善の方法は、圧倒的戦力を揃えた短期間の航空撃滅戦だが、戦力の備蓄には時間が必要だった。

 だが時間を空けると、イギリス空軍も戦力をより充実させるというジレンマがあった。

 しかもイギリス空軍は、間接的にベネズエラの石油輸送ルートを守る目的を果たすべく、ジャマイカでの戦いに力を入れていた。

 

 そうした中で考えられたのが、ジャマイカより重要なベネズエラ航路の遮断を狙った大西洋での大規模な通商破壊戦だが、10月に行われた空母を用いた作戦は中途半端なまま一旦作戦を終えていた。

 そしてアメリカ海軍の潜水艦の戦果が振るわない以上、短期間での通商破壊戦の効果は期待できなかった。

 

 このためアメリカ軍全体として、正面からのジャマイカ島に対する航空撃滅戦が決定する。

 このため陸軍航空隊だけでなく海兵隊の航空隊の投入も決まり、攻略作戦時には海軍も空母を束ねた攻略部隊を出すこととに決まった。

 

 10月から規模を大きくしたジャマイカ島空襲が開始され、イギリス空軍の激しい抵抗もあって激戦が展開された。

 「B-17」がまとまった数で投入されるようになり、爆撃の効果も徐々に出るようになる。

 

 そうした中で、一つの作戦が連合軍内で持ち上がる。

 

 激戦を支えるための船団がイギリス本土を発ったのに合わせて、大西洋ではなくカリブ海でその船団を撃滅して補給を絶ち、連動して一気にジャマイカ島への航空攻勢を強めるというものだった。

 

 仕掛けるのは、イギリス船団がベネズエラ沿岸からジャマイカ島を目指す最後の行程。

 戦闘機はドロップタンク付きの「ハリケーン」だけを相手にすればいい場所で、空母で制空権を得た上で水上艦隊を用いて撃滅するのが作戦の骨子だった。

 

 しかしイギリスも船団には巡洋艦を含む強力な編成をしており、間接支援で枢軸海軍の戦艦を含んだ艦隊が同行することも多かった。

 春以後に3度の大規模なジャマイカ輸送作戦が行われたが、アメリカ海軍は自らがすぐに準備できる戦力が不十分なため、襲撃計画こそ立てるも実施は出来なかった。

 

 だが、ビスマルク追撃戦以後、枢軸側の護衛戦力が大きく低下しているので、11月初旬にジャマイカに到達すると予測された船団を撃滅する大きなチャンスだった。


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