異世界に転生したかった
「チッ……」
少年は自室で舌打ちした。
虫の居所がドン引きする程悪い。
「何で俺の味噌汁だけ豆腐が少ねえんだクソババア」
理由もドン引きする程くだらなかった。
因みに今日の夕飯の話である。
「あー、最近嫌な事ばっかりだ。生きるのが辛い。異世界に転生して無双したい。女神にチート能力貰いたい。チヤホヤされたい。なし崩し的にハーレムを築きあげたい」
妄言を垂れ流しながら、ベッドの上で目を閉じる。
「おっぱいを揉んでも許される存在になりたい……」
寝落ちする瞬間の妄言が一番みみっちかった。
*
「……ハッ⁉︎」
目を覚ますと、奇妙な空間に突っ立っていた。
暗いのに視界は明瞭で、足元には魔法陣的な何か。
「こ、これはまさか」
少年の心に光が射した。
この空間は正に彼の思い描く、『転生する時に女神と対面する謎空間』。死んだ覚えはないが、そんな事は最早どうでもよかった。
「ええ、そのまさかです」
「‼︎」
背後から聞こえた声。
振り向けば、美しい金髪の神々しい女性が立っていた。
「ようこそ、転生する時に女神と対面する謎空間へ」
「おお!」
「申し遅れました、どうも女神です」
「おおお‼︎」
優しく微笑む女神。
人生最高潮に調子こき出す少年。
「俺にチートとハーレムとおっぱいと異世界を下さいッ‼︎」
調子こいた勢いで願望がカオスな事になった。
今の彼の言葉をそのまま汲み取ろうとすると、女と世界そのものを欲する豊胸したい魔王である。
「身の程を知りなさい」
「あ……ハイ」
女神は冷静だった。
というか冷たかった。
「あなたの言いたい事は分かっています。要はここじゃない世界で好きに生きたいのですね?」
「そ、そうです! ぶっちゃけ何で死んだのか分からないけど、転生出来るならどうでもいいっす!」
彼の本心だった。
今とは違う自分になり、好き放題な生活を手に入れるチャンス。是が非でも掴み取る所存だ。
「落ち着きなさい、順を追ってお話ししましょう」
「ハイ!」
「あなたは死んでいません。私が特別に招待したのです」
「そ、それは何故?」
「それは……」
女神の真剣な表情とタメに、少年は期待を膨らませた。異世界に危機が迫っているとか、自分に凄まじい勇者としての素質があるだとか。溢れ出す妄想が止まらない。
「個人的にあなたをボロクソに罵倒したくなったからです♡」
と思ったら止まった。
「……ば、罵倒?」
「はい」
「何で?」
当然の疑問だった。
生きた状態で『転生する時に女神と対面する謎空間』に召喚されて、何故罵倒される必要があるというのか。
「あなたは人生というものを舐めています」
「舐めて……?」
「はい、そりゃもうベロンベロンですよ気持ち悪い。同じ舐めるなら犬の肛門でも舐めてる方がお似合いです」
「⁉︎」
しかも予想以上に酷い事を言われた。
とてもいい笑顔で、とても汚い罵倒をくらった。
「そんなあなたを異世界に旅立たせる訳にはいきません」
「いや舐めてないですよ! 俺は本当にこの世界に疲れてるんだ!」
あんな事を言われて黙っていられる少年ではなかった。何故なら彼はみみっちいから。
「最近家族が冷たいし!」
「豆腐の数で機嫌を損ねるような心の狭いあなたを養ってくれている事は棚に上げて、何を犬の肛門みたいな口から吐いているのですか。おっぱい揉みたいとか考える前に、両親の肩でも揉んでさしあげなさい」
「⁉︎」
凄まじい斬れ味。
的確に無防備な部分を突き刺す正確さ。
この職について数十年。女神はこの手のみみっちい心を抉る術を、完璧に熟知していた。
「む、昔仲よかった幼馴染とは何年も口聞いてないし……」
「その原因が何かを考えもせずに被害者面とはどういう了見ですか? 世界は自分を中心に回っているとでも思っているのですか? 今のあなたの周りには身勝手な自己満足の願望オンリーで出来た中身空っぽの空想ハーレム要員しか回っていませんよ?」
「⁉︎」
少年の目に薄っすらと涙が浮かび始める。
既に心がオーバーキルだった。
「……が、学校じゃあ……誰からも相手にされ、されないし……!」
「大したスペックしてない癖に他人を見下し腐った目と態度の人間と、誰が仲良くしたいだなんて思うのですか。あなた自分の顔を鏡で見た事あります? 犬の肛門を直視するのと大差ないレベルですよ?」
「…………」
最早ボロ泣きだった。
少年は言葉を発する事も出来ず、涙と鼻水をボロボロ垂れ流す。
(泣き顔気持ち悪……同情を禁じ得ませんね)
流石に言葉には出さなかった。
「分かりますか? 清い心を持ちながら恵まれなかった方や、褒められたものじゃない人生を激しく後悔していた方……私は来世有望な方々を数多く転生させてきました」
「…………」
「しかしあなたのような、別段不自由でもないのに小さな事にガタガタ不満を漏らし、根拠もないのに他人を下に見て、その上まるで自分が不遇な存在であるかのように振る舞う方に転生の手を差し伸べる事は、私のプライドが許さないのです」
「何だってんだ……こんなにボロカス言われたらどっちにしろもう生きていけねえよ……。こんないい所のない俺なんか……」
上げて落とされる事はこんなにも悲しいのだと、少年はこの時初めて知った。夢が叶うと思ったら、こんなにも人間性を否定される羽目になろうとは。
「しかし私も鬼ではなく女神。あなたにチャンスを与えましょう」
「……?」
「明日一日普通に過ごし、異世界に転生したいという思いが変わらなかった場合……その願いを叶えてあげます」
「えっ⁉︎」
涙と鼻水でグッチョグチョのまま、少年は目を見開く。チャンスどころか、転生が確定したようなありえない好条件。断ち切られたと思った蜘蛛の糸が、特殊合金のワイヤーになって帰ってきたようなものだ。
「本当だな⁉︎ 約束だぞ!」
「女神は嘘をつきません」
「よおおおし! 転生! チート! ハーレム! おっぱああああああああああいッ‼︎」
女神がほくそ笑んでいる事に、少年は気づかない。
(浅ましっ。どう考えてもおかしな条件なのに、疑う事すら出来ないのでしょうか)
いくらなんでも馬鹿過ぎる。
幾多ある異世界系の物語を見習って欲しい。
「さて、そろそろ目覚める時間です。どうかあなたの考えが変わりますように……」
「はっはっは、残念ながら俺の意志は絶対変わらん!
俺にピッタリな異世界とチートを用意しておけ! またすぐここに会いにきて、その綺麗な顔を拝んでやるぜぇ‼︎」
「うわウザ」
「え」
嫌悪感マックスの表情を最後に女神の姿が消えた。
魔法陣も消え、視界は完全に闇に閉ざされた。
*
「……ハッ⁉︎」
少年は今度こそ目を覚まし、ベッドから飛び起きる。
「おはようございます」
その横で女神が声をかけた。
が、少年は気づくそぶりを見せず、ぼーっとしたまま頭を掻く。
「ふふふ、ちゃんと見えていませんね」
それもその筈。
女神は現在、この世界の住民からは感知されない魔法的なもので身を隠していた。
「んだよあの女神……好き勝手言いやがってクソビッチが」
「…………」
突如として弾けるように飛んだ目覚まし時計が、少年の下顎にクリーンヒットした。
「ハヴォ⁉︎」
『メゴッ』というめり込む音と『チリーン』という目覚ましの音が調和する。
「次言ったらそこの本棚で下顎を抉りますよ?」
「⁉︎」
言葉だけ届くように魔法を設定。
少年はキョロキョロ部屋を見渡すが、やはり姿は見えていない。
「……俺の事は好き勝手言った癖に」
「私は女神だからいいのです。とても偉いのです。起きたならさっさとリビングで朝食を摂りなさい。あなたには勿体ない恵みをその犬の肛門みたいな口から摂取しなさい」
「これが本当の理不尽か」
痛みでまた涙目になりながら、少年は部屋から出た。
「今思いつきました。肛門から摂取して結局肛門から排出されるのなら、もしかしてかつてない程食べ物を粗末にしているのでは? というか口だけ犬の肛門という事はキメラですか? 生命の冒涜ですか? あなた本当に罪深いですね」
「どうしよう、またマジ泣きしそうだ」
そういえば泣き顔気持ち悪いなと思い直し、女神は黙った。この理由を少年が知ったらマジ泣きだった。
「あらおはよう」
「ん」
リビングの母に適当に挨拶して、所定の席に座る。
目の前には食パンとジャムの瓶。普通の朝食だ。
「ねえ……ちょっと聞いてくれるかい?」
「あ?」
何も塗らずにパンを齧ろうとした時、母が深刻げに口を開いた。
「前々からね、謝りたいとは思ってたのよ……」
「ん?」
「弟が出来てから、アンタの事はいつも後回しになっちゃってたわね」
「……んん?」
おかしい。
何だこの感じ。
「『お兄ちゃんだから我慢しなさい』なんて言う親になるつもりはなかったんだけど……ごめんね」
「…………」
少年はパニクっていた。
昨日豆腐の件で三時間近く罵り合ったというのに、起きてくるなりこの態度。そもそもこんなしおらしい謝られ方はした事なかった。普段はなし崩し的にいつも通りになっていたのに。
「母さんの事嫌いでもいいけど……いつも想ってるからね」
驚きのあまり、トーストが手から滑り落ちる。
何だこれは。急にどういう事だ。
「え……アヘ顔? 食事中になんてはしたない」
「お願い黙ってて」
ポカンとしている顔を、とんでもないものに例えられてしまった。軽く心にヒビが入る。しかしそれも、現状の驚きに飲み込まれていった。
*
家を出て登校中。
驚きが色褪せる気配はない。
女神が言うところのアヘ顔なまま少年は歩く。
「……何あれ」
「あれは謝罪といって、自らの非を認めて許しを乞う行為です」
「へえ〜しらなかったあ」
IQも溶けつつあった。
「むしろ謝罪すべきはあなたの方であるというのに、よい母親ではありませんか。なのにあなたは異世界を望むのですか? ああなんと勿体ない! というかあの母親があなたに勿体ない!」
「転生阻まれてる筈なのにさっきから死にたくなる事ばっか言われる」
女神の態度にも驚きだが、それに慣れつつある自分にも驚きだった。
「ちょっと!」
「んあ?」
締まりのない顔と返事で、背後からかけられた声に反応する少年。振り向いた先には一人の少女が立っていた。
「……え、お前」
「久しぶり、ね」
昔はよく遊んでいた——いわゆる幼馴染である。
(……いや、まさかちょっと待て)
あまりにもあまりなタイミング。
またか、またなのか……?
流石の少年もただならぬものを察し始めた。
「な、何だよ急に」
「最近なんか、あんた話しかけずらかったからさ」
背筋を冷や汗が全力疾走する。
未だ嘗てない回転率で背中が瞬く間にビショビショだ。
「何年か前からちょっと変な奴になって……。それで距離置いちゃったけど、でもこれだけは言っときたくて」
「…………」
「別に……あんたの事嫌いな訳じゃないから」
少し顔を赤らめる幼馴染。
頭が真っ白になる少年。
見えないけど微笑んでる女神。
「……ほ」
「?」
「ほびゃあああああああーーーーーーーーーー‼︎‼︎」
「⁉︎」
突然の奇声により沈黙が断たれる。
少年は走った。これまでの人生で最も速く走った。
唖然とする幼馴染と感じた事のない空気を置き去りにして、とにかくひたすらに走った。通学路がどっちだったか分からなくなる程めちゃくちゃに走り抜けた。
「可愛らしい幼馴染でしたね。あなたと並べるとまるで、月と一週間掃除してない犬の肛門のようです!」
「うるせえええええええええええええええええええ」
普通に並走しているであろう女神に構う余裕もなかった。「さっきからずっと犬の肛門の頻度高えな」と思ったが、刹那で脳から消えた。
「何なんだよさっきからあああ! 聞いてねえよ畜生ッ! まさか今いるこの世界がツンデレだっただなんて!」
当然のごとく、前を気にしてなどいなかった。
「いだぁ⁉︎」
当然のごとく、何かと正面衝突した。
「!」
短い悲鳴と地面を転がる音。一方的に誰かを突き飛ばしてしまったらしい事に気づき、はたと冷静さを取り戻した。
(ヤバ)
あれだけの速度で躊躇なくタックルをかました。
自分は無傷で姿勢を崩してもいないが、果たして相手もそうだろうか。何にしろ突き飛ばして転がした事に変わりはない。打ち所が悪ければ最悪の事態も考えうる。
……場合によっては、とてもまずい。
「どうしようどうしよう! 俺捕まる⁉︎ 人生詰む⁉︎ あ、いやでもそれなら転生すりゃいいか」
「相手の心配をしないあたりが実にあなたですね」
女神の言う事など今はいい。
おかしな事続きで気が動転していたが、やはり自分の意志は変わらないのだ。世界はツンデレなどではなかったのだ。自分の行くべき場所は——
「わ、私のバッグ!」
「……ふぁ?」
正面から走ってくる女性。何やら息を切らし、大層焦っていた事が伺えた。ふと視線を下に——タックルしてぶっ倒した人に向ける。
「……⁉︎」
少年は戦慄する。
その男性の傍には、ベージュの女性物であろうバッグが一緒に転がっていた。
……そんな、馬鹿な。
こんな事があっていいのか。
ありえない。嘘に決まっている。
「あなたがこの引ったくり犯を⁉︎ ありがとうございます!」
「…………」
何だ。
「何だ何だ?」
「引ったくりだってよ」
「マジか、倒れてんじゃん」
「…………」
何だこれは。
「見てたけどさ、あいつがタックルして」
「うおお……!」
「凄え」
「…………」
何だ……。
「……What's happening?」
「あらネイティブ」
*
時は大きく流れ夕方。
少年は河原で三角座りして黄昏ていた。
「……あの引ったくり犯、常習犯だったな」
「何やかんやで表彰が決まりましたね」
「……何故か学校に広まってたな」
「野次馬の中に同じ学校の生徒がいたようですね」
「……俺を見る目が変わったな」
「よかったじゃないですか。話しかけられるきっかけが出来ましたよ」
少年は声のする方を睨む。
しかし聞こえてくる声に変化はない。
「ほらほら、せっかくこんな状況なのに異世界だなんて勿体ないでしょう? 生まれた世界で楽しく生きた方がいいに決まって……」
「俺だってそこまで馬鹿じゃない‼︎」
昨日の母との喧嘩なんて比じゃないくらい、本気で声を荒げた。女神の声がピタリと止む。
「今朝からずっとずっと……アンタが何かやってるんだろ⁉︎」
「…………」
「でなきゃいくらなんでもおかしいじゃないか! しらばっくれたって駄目だぞ⁉︎ 流石の俺でも騙されないからな!」
「…………」
あれだけお喋りだったのに、女神は何も答えない。
「何だよ! そんなに俺の事が嫌いか⁉︎ そんなに俺の願いを叶える事が嫌なのかよ⁉︎」
「…………」
「アンタの言う通り、俺は性格よくないんだろうけど……でも俺がアンタに何かしたか⁉︎」
「…………」
「そもそもこんな見え透いたマッチポンプで俺の気が変わるって、本気で思ってたのかよ! どこまで俺を馬鹿にして——」
「すみません」
言葉を断ち切ったのは謝罪だった。
小馬鹿にするような空気のない真摯さが、少年の体を突き抜ける。
「今日起こった事は、確かに私のマッチポンプです。不快な思いをさせてしまってすみません」
「…………」
少年は面食らう。
姿の見えなかった女神が、自分の真正面に突然現れた。夢の中で会ったのと同じ、神々しくも美しい姿。
「しかし聞いてください。私が今日使った力は、決して嘘偽りを作り出すようなものではありません」
「……どういう事だ」
「あなたの母や幼馴染が放った言葉は嘘ではなく、彼女たちの本心という事ですよ」
「え……?」
混乱が解けた後、少年はこう考えていた。
今朝の母や幼馴染の言葉は、女神が何らかの方法ででっち上げたもの。思ってもいない事を口から言わせて、自分の意志を変えさせようとしていたのだと。
「二人とも、心の底ではああ思っていたのです。私はそれを口に出す手助けをしただけ」
「嘘偽りはないって……でもじゃあ引ったくり犯は⁉︎」
本心を引き出す云々はそうにしても、引ったくり犯との衝突はどう説明するというのか。
「あれは確かに意図的にぶつかるように仕向けました。しかし、あの時の現象には一切干渉していません」
「……つまり?」
「あの勢いでの正面衝突です。相手だけじゃなく、ぶつかったあなたにも相応の衝撃があった筈」
作用・反作用の法則だったか。学校の物理でそんな事を習ったなと、少年は薄っすら思い出す。
「しかしあなたは倒れるどころか、姿勢もほとんど崩していなかった。これはひとえにあなたが頑丈な体を持っているからです。紛れもないあなたの長所です。あなたはこの世界で、立派な取り柄を持っているのです」
「…………」
「ぶつかる相手を引ったくり犯にしたのは……学校内であなたが打ち解けるきっかけになればいいなと。これに関してはほぼあなたの自業自得なので、とりあえず印象を変えるところだけ。この後どうなるかは、あなた次第ですかね」
折角落ち着いてきていたのに、また頭がこんがらがりそうになる。苛立ち、困惑し、気持ちが振り回されて今の感情が分からなくなっていた。
「確かにあなた達から見て、異世界というものは魅力的に映るでしょう。剣と魔法が交錯する非日常。モンスターや魔王に立ち向かい、頼れる仲間と絆を育む。そして英雄にも勇者にもなれるかもしれない」
「……ああ」
「その通り、とても魅力的です。しかし……」
真剣な表情を綻ばせ、夢で見た通りの微笑みを浮かべる女神。
「家族や友人に思い思われ、何の変哲もない日常を謳歌する事だって、同じくらい魅力的だと思いませんか?」
「…………」
「異世界に旅立つのは、日常を謳歌してからでも遅くはないと思いませんか?」
夕日の光が女神を背から射す。
まるで女神が輝いているかのようだった。
「どうします? 異世界、行きたいですか?」
「……行きたい」
少年は俯き、額に膝を当てる。
何でだろう。自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「でも、今じゃなくていい気もしてきた」
「……そうですか」
正直分からないし、今も整理がついた訳じゃない。
でも、この世界にもう少しいてみたい。
確かにそう思ってしまった。
上手くやれるだろうか。
「帰ろう……」
立ち上がり、道に出ようと反対を向いて歩きだした。
「あ、ちょっと」
「言いたい事は色々あっけど、とりあえずありがとう。もうちょっと優しく言ってくれりゃいいのに」
振り返らず女神にそう言った。
ボンヤリした足取りで道に出る。
「じゃなくて気をつけて歩いてください!」
「え?」
「車来てますから……!」
言われた瞬間、少年の全身に走る衝撃。
鈍い音とともに吹っ飛び地面を転がる。
「ピギャア⁉︎」
走ってきていた自動車に、思い切り正面衝突された。面白い悲鳴を上げて動かなくなった少年を、女神は冷や汗を垂らして見下ろす。
(えええええ……。これはちょっと、いや……ええ)
流石に困惑を隠せなかった。
いい話っぽく終わる流れだったのに何て事だ。
「君、大丈夫か⁉︎」
運転手が車から飛び出してきた。
「ちょっと空気読んでくださいよ! あなた来世は犬の肛門に決定ですからね。異論は認めません」
苦情を叫ぶ女神。
もちろん運転手には聞こえない。
(しかしどうしましょう。流石に気の毒すぎますし、転生させてあげても)
女神がそう考えた時だった。
「……い」
「!」
「痛ああああああい! 痛いよおおおおお!」
「おお!」
少年の絶叫が響き渡る。
たった今事故られたとは思えない元気な声だ。
「痛い! 痛いいいいいいい!」
「……が、頑丈な体でよかったですね!」
「よくなああああああいいい痛いいいいいいい‼︎」
どうやら少年が頑丈だった事と、車のスピードが乗っていなかった事が功を奏したらしい。
「め、女神なら治せたりしないのかよおお」
「病院いってください」
「チクショオオオオオオオオオオ痛いよおおおお!」
「それではお元気で……あなたの幸せを願っています」
「今まさに幸せじゃねえよおおおおおおおお!」
こうして女神は少年の前から姿を消した。
因みに少年は運転手の迅速な対応もあり、一ヶ月後には無事に健康体になった。
彼こと清田宇津巳はこの後周囲への態度を改め、学校でも友人に恵まれた。十年後の二十五歳の時に幼馴染と結婚して二児を授かり、穏やかな人生を送る事となるのだが、それはまた別の話である。