夕食
勇輝は遠慮というものを知らず肉を自分の取り皿へとどんどん運んでは幸せそうな顔で食らいつき、パンにシチューを付けて、デカい一口を開け、笑顔を絶やすことなく食事を楽しんでいた。
この様子から見るに勇輝は相当腹ぺこだったのだろう。それもそのはず、菜乃葉と違い日本時間の今日の夕飯を摂っていなかったのだ。『異世界時間』いや、『ドルエン時間』では現在午後七時。
時差を考えると日本時間が午後九時三十分の所で異世界召喚され、その後、ドルエン王国の時計台には午後二時三十分と示されていた。
日付はわからないが恐らく、七時間、日本時間が早いと考えられる。
これは日本とカイロの時差だ。
「母さん何してるんかな」
菜乃葉の脳裏に『母親』という存在が思い浮かんだ。時計を見てみると、ドルエン時間は現在、午後七時なので現在の日本時間は午前二時。学業優秀の菜乃葉は頭の中で計算し、その答えを導き出していた。
「寝てるか······」
哀調を帯びた声で菜乃葉はまた呟いた。
「ん――何か言っ······!」
勇輝の瞳に映し出されていたのは哀愁を漂わせている菜乃葉の姿。それはまるで大切な人を失ったかのような『あの時』と同じ絶望感に支配されているようだった。
勇輝は声を掛けようと思ってもなかなか言葉が出てこない。
カインズとシャノの様子を見て二人も菜乃葉の様子に気が付いていて憂いを帯びた目で彼女を見ていた。
「どうか······したの?」
そう声を掛けたのはシャノだ。声を掛けられたことに気が付いた菜乃葉は我に返り、さっきまでのことを取り繕った。
「あー、大丈夫だよ。多分少し疲れていたかも」
勇輝は菜乃葉のこの言葉が嘘だと言うことには顔の表情を見た瞬間気が付いていた。
――彼女は嘘を付く時の表情をしていたのだ。
それもそうだ二人はあくまでも実の兄妹、付き合いは十四年程だ。
シャノとカインズを取り繕うことは出来るかもしれないが、『実の兄』勇輝は無理だ。
そんな菜乃葉の嘘を見抜いていても勇輝はシャノとカインズに伝えるような真似はしなかった。
「なら、いいけど」
安堵の吐息を漏らすシャノとカインズだが、どうも勇輝にはそんな吐息は出なかった。
今ではにっこりと笑っている菜乃葉だが、その表情は全て演技だろう。
「あれ? お前さっきまであんなにガッツいて食ってたのに食べる手が止まってるぞ。いらないならいただき!」
勇輝が一口もまだ口を付けていないパンを菜乃葉が奪って行った。
『ちょっ! やめろ!』といつもの勇輝なら言ったはずだったが、さっきの表情とは打って変わって美味しそうにパンを食べる菜乃葉を見ていたらその気持ちも失せていった。
「腹減ったー! 菜乃葉! さっきお前が食った俺のパン返せ!」
夕食を終えて、四人とも居室でゆったりしていた。まだ一時間しか経っていないのに勇輝は腹が空いたらしい。菜乃葉の『あの表情』を見た後ではどうもあまり食べる気になれなかったらしい。
「残念だけどもう食べた物は返せませーん!」
勝ち誇った顔をしていた菜乃葉に勇輝は「チッ」と舌打ちをした。
「あれ? まだ一時間しか経ってないのにお腹空くって勇輝って相当食いしん坊なんだ」
軽く微笑みながらシャノはそう言った。
勇輝は高校二年生、まさに沢山食べる時期でもあるので腹が空くのは仕方の無いことだ。
そして勇輝のお腹が音を立てた。彼は恥ずかしいのか耳が少し赤い。
「軽い物なら作ったろうか?」
カインズのその言葉を聞いた時、勇輝は目を輝かせていた。
「お願いします!」
カインズの作る料理にとても期待しているように元気の良い声を出し、勇輝は頼んだ。カインズは読んでいた本を閉じ、椅子から立ち上がり、キッチンへと向かって行った。
「シャノよろしくー」
また、火が必要になったのだろう。やはり料理には火という物は必要不可欠なのだ。シャノは億劫そうに立ち上がった。
そんな彼女の様子を見て、勇輝は微笑みながら謝りの素振りを見せた。
「フレア」
シャノの『フレア』は相変わらずとても形が良く、瞳を焼き尽くすかの様な素敵な火を形成していた。
役目が終わったシャノは再び寝転がった。
異世界での生活は案外上手く行き、今ではのほほんとのんびりなライフを過ごすことが出来ているが、それも束の間。
「あー! 大事なこと忘れてた! そこの兄妹! そんな寝転がって怠けてないで魔法の特訓するわよ!」
「「シャノに言われても説得力がない」」
異口同音に兄妹は寝転びながらそう言った。
夕食の後、一番に横になり怠けていたのはシャノだからだ。
この世界には電気が存在していないらしいがその代償に『魔力』が存在している。だが電気がない限りテレビを見たり、ゲームをすることが出来ない。――よって、やることは『横になること』だけという如何にも怠惰な結論を兄妹は出していた。
「ちょっと、俺はカインズの作ってくれる飯を食べて魔力を補給するから『先』に菜乃葉を連れて行ってくれ」
「――はっ!」
勇輝は特訓したくないオーラをびんびんに放ち、変な口実を作りこの場を免れようと考えた。菜乃葉は勇輝を睨み付けるが彼はこっちを向こうともしない。菜乃葉の顔が怖くなっていることを悟り目を逸らせているのだろう。
人間は楽な道と苦な道があったら大抵は楽な道を選択する。それは菜乃葉も同じことなのだ。だが、それはそう安易に行くことではない。
「んじゃ、菜乃葉特訓するよ!」
「え、ちょっと」
シャノは菜乃葉の腕を掴み、そのまま地下へと向かって行った。その時の菜乃葉の顔を勇輝は見なくても想像が付いていた。彼の脳裏に浮かぶのは、菜乃葉の怒り顔。ただそれ一つしか浮かばなかった。
「お主、結構ブラックじゃの」
扉がガチャンと閉まった後でカインズが口を開けていた。
勇輝は昔から友人に『性格悪ぃなあ』などと言われてきたが、カインズはこれを『ブラック』と言い換えた。性格が悪いと言うと何か響きが悪くなるので躊躇したのだろう。
「まあな。ところで飯の方はもう出来た?」
菜乃葉に怒り顔をさせてしまった勇輝だが、意外と悠然な態度を取っており食事をカインズに要求してきた。
「妹さんが帰ったらお主、怒られるだけじゃあ済まないかもしれないぞ?」
「大丈夫、未来のことは未来の自分に任せる」
勇輝は名言を言い放ったつもりだったがその後、部屋に続いたのは静寂だった。しばらくしてその静寂は遮られたが、遮ったものは「はあっ」と付いたカインズのため息だった。
「いやいや、ため息じゃなくてここは俺のあの名言のカッコ良さを尊重するべきだよ!?」
顔を赤く染め、恥ずかしそうな様子だ。
日本にいた時の勇輝はアニメやラノベのイケメン主人公が放っていたカッコイイ名言を一度は放ってみたくなったのだ。その証拠に彼のスマホには『アニメ 主人公 名言』という三つのキーワードが検索履歴に残っていた。
だが、彼は顔の観点が欠けていてイケメンではなくB級レベル。即ち平均的な顔面偏差値の持ち主なのだ。
そこから彼の憧れのアニメの主人公というものにはなりきれようがなかった。
「名言というか今のはどちらかと言うと失言じゃな」
この言葉は勇輝の心にしっかりと刺さった。そして彼は自分がイケメンではないのを両親からの遺伝子のせいにしたが、同じ遺伝子を受け継いでいる菜乃葉は容姿端麗なので親のせいにすることは出来なかった。
だが、いくらイケメンだとしても場面が良い雰囲気ではなければ『名言』というものは存在しなくなる。
顔だけでなく場面も相当重要なのだ。
「まあまあ、今のは悪かったのう。ほれ、出来たから食って機嫌でも直すのじゃ」
そう言ってカインズは皿を勇輝の前に置き、中には美味しそうなクッキーが入っていた。これは食事とか飯と呼ぶよりお菓子と呼んだ方がしっくりくる一品だ。
丸や四角、まれに星型のレアなクッキーも入っていた。
そしてあっという間に勇輝はクッキーを食べ終えた。
「ありがとう! めっちゃ美味しかった!」
「そんなこと言われるとワシも照れるのう」
頭を軽く掻きながらカインズは照れていた。そして勇輝が『ごちそうさまでした』の一言も言わずに席から離れようとした時だった。
「ちょっと待たんか。大事な話がある」
「――?」
ドルエン王国や『サジカル草』の守護者についてはもう聞いていたのでそれ以外の大事な話となれば疑問符を浮かべないことは勇輝には出来なかった。
そしてその大事な話が気になったので再び椅子に腰を掛け、カインズの話を聞く体勢を取った。