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〜第8話〜 不穏 (挿絵あり)


 中庭の中央は当然、吹き抜けのため屋根は無く、雨晒しの石の柱が並ぶだけ。

 その真ん中に、やはり妖精の巣(フェアリーネスト)城内の神殿と同じような円形の石の台座があり、ネリーはぴょんと飛びのる。

 台座に規則正しく埋め込まれた魔石は濁った闇色だ。

 ネリーは早速、結界の修復を始めることにした。


「揺らめいて

 雲運ぶ風


 轟いて

 実りの雷雨……」


 ギルウェとディルの視線の先。

 ネリーが歌い、舞うことで、結界を生成し始める。

 心なしか風も煌めき、良い香りがし始めた。


 結いきれず、こぼれた髪の細い束が、ネリーの動きに合わせて緩やかに揺れる。

 熟した柑橘類を思わせる、日の出色の髪。

 ギルウェには結界を生成するような魔法は使えないが、それでも空気が清浄になっていき、周囲が浄化されてゆくのは感じることが出来た。

 黒ずんだ色で淀んでいた台座の魔石も、どんどん透明度のある水晶のような色合いへと変化してゆく……。


「(もうすぐ結界を創り終えそうですね)」


 ネリーの歌を聞きながら、誰かが近づく気配にギルウェとディルは警戒する。


 近づいて来たのはノームの子供達だった。

 ノームは大人でも背丈が小さく、年齢がわかりづらいが、髭が無いことと、尖る耳の肌の若々しさで本当に子供かどうか判断することが出来た。

 子供達がネリーの歌に聴き惚れているのは、ギルウェ達から見ても明らかだった。

 彼等は拙い小声で、


「ねぇねぇ、あれがアヴァロンから来たって言う、結界を創ってくれる聖竜でしょ?」


「『あれ』では、ありませんよ。 ネリー姫です」


 ギルウェは生真面目に訂正する。

 

「『竜なんて、おっかないから見にいくんじゃ無いよ』って母ちゃん達が言ってたけど、綺麗なお姫さんじゃない!」


「そうでしょう、そうでしょう。

 俺と契約した姫なんですよ

 綺麗でしょう」


 イイでしょう、とギルウェが返す頃には、ネリーの歌はもう終わっていた。


挿絵(By みてみん)


「おぉ」


 ディルは、ぱちぱちと手を叩く。

 ディルもまた結界を生成する力は持たないから、感心しているのだろう。


「お疲れ様です、ネリー。

 お休み時間にしましょう」


 ギルウェが、そう言うや否や。

 儀式の歌を聞いていた子供達が、わぁっとネリーを捕まえてしまった。

 ギルウェもディルも止めようとしたが、『大丈夫』とネリーが笑う。

 きゃっきゃと楽しげなので邪魔にならぬようギルウェとディルは見守ることにした……。


 はしゃぎまわる子供達の質問に、ひとつひとつネリーは答えてゆく。


「別に、この場所でなくても小さな結界を張ることは可能なのよ。

 結界とは祈りの力だから」


 魔力を持っていれば使えるというものでは無い。

 他者を思いやれる心が必要なもの。


「あなた達にも、出来るのよ。

 楽しいことや好きな人のことを考えて、それが保たれますようにって想うだけ」


 子供達にねだられて、新しい歌を教えるネリーを見守るギルウェ。


「(ネリーは妖精圏に来てから常に楽しそうだ……)」


 笑顔でいてくれるのは嬉しいが、その笑顔は……


「(自分に向けられるものも、ディルに向けられるものも、あのノームの子供達に向けられるものも、全て等しい笑顔なんですよね……!)」


 ギルウェはそう痛感していた。


「あの子達きっと大戦が終わった頃、生まれてきた世代だね」


「七年以上前の……騒ぎを知らないんでしょうねぇ」


 ディルの言葉をギルウェは肯定する。

 ディルは、ネリーを見つめるギルウェの想いを察したのか、にやにや笑いを噛み殺しながら聞いてくる。


「で。 姫君も心配だけど……ギルウェはどうなの?」


「……ネリーは!

  俺のことより林檎タルトが好きなのです」


 ネリーから嫌われてはいないはずだ、とギルウェは自己評価していた。

 だが特別、好かれている手応えも無い。

 今のところ。


「ヤキモチ??

 やっとギルウェが、その感覚をわかってくれたようで何よりだ。

 ボク、オマエと同僚だからって、よく他の女の子達から相談を受けてたからさぁ」


「相談?」


「朝の一族の男って……まぁ最近の子達は違うみたいだけど。

 宗教上の理由から女の子には皆、優しくチヤホヤしたり親切にするだろ。

 だから、そこんとこ理解してる女の子は、『皆にそうなんだ』って、のめり込まないように付き合うし。

 知らないで近づいちゃった女の子は、最初は良くても最後は不安になって去っていく……だろ?

 『自分だけが特別扱いされてるんじゃなくて、他の女にもこうなんじゃないか』って」


「……あ」


 思い当たる節が無いわけでも無かった。 ギルウェとて、今まで本当に好きになった女性は……全く居なかったわけでは無い。 それなりに本気になって自分から迫った女性もいた。 ただ……何故かいつも最後はうまくいかず。


「……小さい時から、そうやってきたんで、今さら変わったことをするのは落ち着かないんですよ……」


「オマエ真面目にそれ守ってるけどさぁ……今時、律儀にその教え守ってる妖精、少ないだろ」


 ギルウェは幼少期『女性は太陽!女が魔力による守護を授けたいと思ってくれるような男でありなさい!そうなりなさい』とキニフェで教育を受けていたため、国の外に出た後、少々のカルチャーショックはあった。


「(やはり、あれは我が一族ならではの特色であったらしい……)」


 教育といっても、習ったのは基本的な付き合い方ではあったが。 女性の誘いを極力断らない、身だしなみを綺麗にする、嘘をつかない……などなど。

 しかし後々、大きくなって振り返ってみれば


「(確かにアレを律儀に守っているのは、自分だけでしたね…!)」


 父母はギルウェには才能がある!魔剣士を守る太陽の騎士になれる、と言ってくれていた。 才能とは、女性に好かれやすい顔ということかな?とギルウェは思っていたが……違う。 間違いなく、性格の問題……!と、ギルウェは今更ながらに理解する。


「……皆、真面目に、そうやっていると思ってたんですけどねぇ」


「昔は戦いも多いし魔力を貰わないと、やってけなかったんだろうけど。

 今は、平和だし、魔力もそこまで差し迫って必要としてないからね」


「(しかし今、考えてみれば……力を分けて貰うため優しくするって打算的だ……!

 優しくする努力もせず、開き直って酷い扱いをするよりかはマシ?と思いたいが!)」


「……まぁネリーはそういう、特別扱いされたいってタイプじゃなさそうだし。

 良かったじゃないか」


「わかります」


 これまでのネリーの態度を見るに、彼女は妖精圏に……観光兼お仕事を、しに来ているのだろう。

 もう少し自分に、興味を持って欲しい……と、ギルウェは思う。


「……ネリーとは、そういう打算的なだけじゃなくて……もっと、こう……『それだけが理由で、こんなに優しくはしない』と伝えたいのですが。

 もう関係の始まりが打算的でしたから!」


 妖精圏側は、聖竜であるネリーに結界を創ってもらう。 彼女は、自分の生活をサポートしてもらう。

 ネリーにとってギルウェは補佐役、所詮は案内役でしかない。

 外の世界を体験し、既に満たされているネリーが、それ以上を、通常の男女のあれこれを望むだろうか?


「……それはオマエが頑張れ。

 得意だろ、そういうの」


 聡明なネリーとは、国益の損得感情抜きで仲良くなりたいと想うのに。 できればずっと。

 なのに彼女ときたら!


「……で、話は初めに戻りますよ。

 ネリーは林檎タルトのほうが好きなんです」


「悔しいの?」


「うっ、悔しくなんか!ありませんよ?

 というか……お前でしょう、ディル……」


「何?」


「ネリーに、ああいう風に変幻すれば俺好みの姿で良いだなどと吹き込んだり、他にも色々と教え込んだのは……」


「はぁっ!?」


 ディルは、いつものすました顔を歪め、素っ頓狂な声を上げる。


「……オマエ知らないのか?

 父親とか師匠から聞いてないのか……?」


「?」


「竜は自在に、どんな姿にでも変幻できるわけじゃ無い。

 妖精が羽を出す時、体内の魔力を放出し、具現化して固めるだろう?

 アレと基本的な仕組みは一緒なんだ。

 ただ、竜は妖精より力が強いから、身体ごと分解して別の形に再構築できる。

 でも、細かいところまで指定は無理だ。

 こういう顔が良いだの、こういう体型が良いだの、細部まで変化させることは出来ない」


 妖精の羽も同じだ。

 あの大きさが良い、あの色が良いなど選ぶことは出来ず、持って生まれた魔力量と質に左右される。


「人の形に、竜の魔力を押し固めるのだけで大変なんだ」


「……では、つまりネリーは自分の意思ではなく、どうしようもなく、あの姿になっている?と……」


 あの美人な姿に。 ギルウェの好みに。

 特別、狙っているわけでもなく。


「そういうこと。運が良かったね」


「何の話をしているんですの?」


 子供達に歌を教えていたネリーが帰ってきた。

 ギルウェ達は、いつでも手の届く範囲で見守っていたのだが、話に夢中になっていて、かなり接近を許した。


「もう良いのですか」


「はい。 お待たせいたしました。」


 見ると子供達は、ネリーに習ったらしい歌を歌いながら中庭に咲いていた花を摘み、振り回しながら駆け回っている。


「いつも、ああやって遊んでいるのですって。

 あぁ、緊張しました」


「そんな風には見えませんでした」


「だって……見物の方が、始めた頃より増えているから。

 式の参列者よりは、少なかったですけれど」


「あぁ、それは。 皆、ネリーに興味があるのでしょう」


 朗らかに笑うネリーに、ギルウェも笑みを返す。

 そこへディルが口を挟んだ。


「ところで何の話をしてたかっていうとね?

 姫君がどれだけ苦労されてその姿を保っているのか、こいつに教え込んでやろうと思って」


「!? え、やだ恥ずかしい!」


 ネリーは慌てふためいた。 自分の変幻下手っぷりが、ばれてしまうと思ったからだ。


「(初日の騒ぎからして、もうギルウェ様は既にご存知でしょうが……もう、こうして克服?したのですから、忘れてほしい……!)」


***


「ネリーの仕事が順調だったおかげで、こうして散歩の時間が取れました」


 結界を生成し終えた後も、案外と時間が余ったため、ギルウェとディルはネリーを砦の向こうへ散歩に連れ出すことができた。

 ウェレス城下町よりかは店の数も疎らで、緑も多い。長閑な村だ。

 だが、広場には行商の一団もおり、商人達や客達の賑やかな声が聞こえてくる。


 それらを目で追いながら外を歩くネリーは、初めて見る景色に心を弾ませる。

 ディルも彼女に誘われて同行していたが、邪魔にならないよう新婚の二人を見守る。


 時間が過ぎるのはあっという間で、支部へ帰り着く頃には日も暮れ始めていた。

 砦は、やはり小高い丘の上に建てられていたから、坂道を登って上から見下ろせば、麓の家々に(とも)り始めるランプの明かりを見ることが出来た。


「(ずっと故郷の森に居ては、このような夜景を見ることはできなかった)」



 ネリーも魔海竜が現れる前……何十年も前であれば、竜の姿のまま少しは外へ出ることが出来た。しかし、あの頃はこんな風景では無かった。

 それから数十年、魔海竜勢力と間違われて討たれかねないと外出を禁じられ……長いこと島の外へ出られなかったのだ。


 そして日が沈んだ後で、夜景よりも何よりもネリーの心をときめかせたのは、


「(ギルウェ様の翼……綺麗)」


 夕食のため、食堂へ続く砦内の廊下を歩くネリー……。 彼女の前を行くギルウェの背には、あの魔力で出来た青い鳥の翼が現れている。


「?」


 視線を感じたのか、ギルウェが振り向く。


「…あの。 さっきディルから、一体なんの話を聞いたのです?

 教えていただきたいのです…!」


 ちょうど良いのでネリーは、先程の疑問を小声で問うてみた。


「そんなに詳しいことは何も。

 ……ただ俺があまりにも物を知らなかったので叱られていたのです」


  ギルウェが苦笑して言うには。


「俺の父親が教えてくれたのは、竜のどこの部位をどう破壊すると動きが止まるとか致命傷とか、そのような……野蛮な知識しか教えてもらえませんでしたから。 もっと実用的なことを……変幻が思うよりも自由の効かない、大変なものだということを、知らなかったのです」


「戦いの知識も、そちらも充分、実用的と思いますけれど……その時代は、そのくらいがちょうど良かったのでしょう」


「貴女にそう言っていただけると救われますよ」


 昼にも使用した食堂に入り、夕食を注文する。


「あれとそれとこれと……あとこっちも」


 大量のメニューを落ち着いた声で告げてゆく男装の半竜娘(ドラゴンメイド)は、ネリーの注文量を見て驚く。


「!? 姫君、それだけで足りる?

 昼もあんまり食べてなかったよね!?」


「? いえ、わたしはこれで十分……」


「(ネリーも結構、男並みにガッツリ頼んではいるのですが、確かにディルに比べると少なく見えるのが不思議だ……)」


 ギルウェは、そんなことを口には出さず、心の中で呟く。 さっそく運ばれてきた人参のポタージュに喜ぶネリーを一瞥。

 ネリーは相変わらず、間違っているわけでは無いのだが匙の使い方が不慣れなようで、マナー違反にならぬ程度に思い切りの良い食べっぷりであった。


「(あれはあれで可愛らしい)」


 と、感じ始めている自分自身に気づき、ギルウェは少し愕然とする。


「(違う、そうでは無くて!)」


 ネリーに聞きたいことがあるのだと思い直す。


「……ところで先ほど、ノームの子らに教えていた歌……あれは」


「あぁ……あの歌は。

 居竜区で流行った歌のひとつです」


 ネリーは、他にもいる周囲の客に邪魔にならぬよう小声で歌ってくれた。


「わるいりゅうには

 くるぞくるぞ

 あおいとり

 りゅうのかえりち そまった

 あおいとり

 りゅうせいのように ふってくる

 いたいじゃすまない あおいとり」


 ギルウェはギクリとする。


「それは、まさか……父の軍勢のことではないですか?

 歌にまでなっているのですか!?」


「これを歌うと仔竜が悪戯をやめるので母竜達は大助かりしたそうですよ?」


 ふふ、と笑うネリー。


「鎧を着込まれて信じられないスピードで突っ込んでこられては……竜にも大打撃ですから。

 あれは中の人達は無事なのですよね?」


「(優しい声で、そんなことを言われても。

 内容がよく頭に入ってきません)」


 やっとの思いでギルウェはネリーに返答する。


「まぁ……朝の女神の、守りの加護があるので無事だったよう、ですね……父達は妖精のくせに鉄製品が好きでして」


「? でも鉄も自然物でしょう」


  武装して立ち向かわねば魔海竜に食われてしまう……そんな状況では、しのごの言っていられず、防衛するしかない。

 

「(攻撃は最大の防御になる。ネリーも、そう思ってくれますかね?)」


「……聖竜の仲間達は、よく『下の世代のお子様方は、親に似ず比較的、穏やかだそうで良かった』と」


「竜達にそんな風に言われていたのですか……」


 知らなかった、どうして教えてくれなかったんだ、ディル……と、ギルウェは火竜の少女の方を見やるが、彼女は先に到着した料理に夢中だった。

 昼に食べた味が気に入ったのか、ディルの食卓には、また香草で飾り付けられた焼き鳥の皿があった。


「父の戦い方は真似できないと思っていましたから、平和な世になって助かりました」


「朝の一族の軍勢が来ると、竜を追い返せるから、幸運の青い鳥と呼ばれていたそうではありませんか。

 ……わたし……実は」


「ご注文のお客様ぁ〜!

 お待たせいたしましたぁー!」


  ネリーは何か言いかけていたが、ちょうど彼女が楽しみにしていたミートパイと苺のパイが到着してしまったために、ギルウェは最後まで聞けずじまいであった。


「!!! すっごく美味しそう!」


***


 夕食も食べ終わり、夜。

 昼に話した子供達の話では、周辺の民達は『竜の姫が来る』と恐れていたらしいが……ネリーの見た目は他の妖精と変わりない。 その上、放つ気配も優しげだったため、拍子抜けしたものか、特に怖がられているような様子も無く一日は終わった。


「ネリー。 俺は隣の部屋におりますので、何かあればお呼び下さい」


  ギルウェはネリーの、長い日の出色の髪を掬いあげ、毛先へ口付ける。


「おやすみなさい」


「オマエよく、そういう恥ずかしいこと平気で出来るよね……」


 『自分がされたら絶対ムリ……うげぇ』と言わんばかりな表情のディル。


「え?」


「姫君は気にしなくて良いよ。さっきも言ったけどボクがいるんだから平気だよ」


「は、はい! おやすみなさいませ」


 三人は就寝の挨拶をして、別れた。


***


 女部屋の扉を閉めて、自室へ向かいながらギルウェは思う。 今日も疲れただろうに、ネリーの挨拶する姿の、なんと可愛らしいことだろう。


「(焦る顔も見れましたし)」


 ギルウェが、慌てるネリーの顔を拝めたのはディルのおかげでもあるのだが。

 やはり何十年も生きている竜とて、自分の話を自分の知らない場所でされるのは恥ずかしいものなのか。

 ギルウェは少しネリーに親近感を抱きながら寝台に横になる。


「(……そう! ディルが居なければ、新婚旅行なのだが……! まぁ生暖かく見守ってくれてるのが有難いですけど!)」


 散歩から帰るまでの道中を思い出す。

 砦への近道に通った、ノーム達が暮らす家々。

 幻想的な明かりが照らし出す景色を見つめる、ネリーの嬉しそうな顔といったら。


「( 一体、あの後……ネリーは食堂では何を言いかけていたのか)」


***


「姫君、何も問題ないね。 服も一人で着られるし、お風呂も入れるじゃないか」


「ディルが、教えてくれたからですよ?」


 ネリーはディルと寝間着に着替え、宿泊部屋に備え付けられた羽ペンを使い、手紙に近況を書いていた。

 宛先はアヴァロンの長老達。ディルに届けてもらうためだ。


 散歩中に覗いた広場……日も暮れたし、じきに店を閉める時間ということもあり、駆け込み客が値下げ交渉をする声で騒がしい行商人のバザー。

 その時に入手したレターセットだ。

 『これくらい構わない』と買ってくれたギルウェに、ネリーは感謝していた。

 ……それを、ディルが『あいつ相変わらず点数稼ぎが、あざといな』という視線で見送っていたことにネリーは気づかなかった。


「姫君、こっちで何か困っていること無い?」


 ディルの質問に、ネリーはピタと手を止める。


「……服が、慣れません……」


「まぁ……慣れるしかないね、ソレは……」


「ディルは最初から大丈夫だったんですか!?

 この素肌に、まとわりつく感覚」


 ギルウェにも白状したが、竜は服を着て生活しない。 どうも着ていると、むずむずと落ち着かない……が、島で『外の連中は服を着るもの! 半竜人の姿になったら、みだりに服は脱がぬように!』と、しつこく長老からも言われている。


「ギルウェ様に品の無い女と嫌われたくないから、ずっと我慢しているのですけど……もう限界です!

 つらいです」


「……頑張って」


 ディルもウェレスで働き始めた当初は服に困ったが、アンナの衣装部屋に助けられたらしい。


「ボクはねぇスカートがダメ。

 足、スースーする。 だからアレ履いてるんだ」


「スカートはまだ良いのです。 足は覆われてもまだ耐えられるのですが……胸にべったり張り付くのが気持ち悪くて。 脱いじゃいたくなります」


「姫君、胸あるものね。 ボクは無いから」


「? わたし??普通ではありませんか?」


「無いわけではないと思う。

 もうソレ書き終わった? 布団入ろうか」


 ディルは手紙を預かり、ランプの灯りを消す。


「長老達に渡しておく」

「ありがとう!」


 衣服の気持ち悪さに泣き崩れていたネリーだったがパァッと笑顔が輝く。

 それぞれ布団に潜り込んだ後も、しばらく会話は続く。


「姫君、よく結婚なんて決意したよね。 ボクは、そういう契約?とかに縛られるのは無理。 ダメ。

 で、どう?ギルウェは。

 悪いヤツでは無いでしょ?」


「はい……とっても親切な方です」


 ギルウェの名が話に出ただけでネリーは笑顔を咲かせる。 少し頰が赤いが、この暗さではわかるまい。


 ネリーにとってギルウェは本当に素敵な騎士であった。 自分を気遣ってくれるし、働き者のようだし……何より、あのような変幻が失敗した姿で会った時でさえ受け入れてくれて、一緒に美味しいものを食べて笑ってくれて、知らない景色を見せてくれる……。

 ネリーは思い出すだけで喜びを感じる。

 喜びのエネルギーは、そのまま光の魔力に変換され、ネリーの半竜人姿への維持に繋がり、世界が保たれて欲しいと願う祈りの原動力になる。

 これは結界を創る時に必要な、最も重要な感情だ。


「(彼が幸せでありますように)」


 でも、同時にネリーは少し辛くなった。


「(ギルウェ様がここまでしてくださるのは、わたしが結界を創れるから。 だって、そうでなければ……種族だって、違うのだし。

 それくらい、わかります)」


 本当は、ギルウェは何を思っているのだろう。

 少しでも自分と近いことを考えて欲しいような、欲が出始めてきて、いけないとネリーは思う。


「(わたしは、こちら側の、妖精圏で生まれ育った者では無いのだし、あまり多くは望むまい。

 聖竜は賢い竜ですもの。

 もちろん約束した結界生成は、しっかりこなすし……それ以外は……外を、こうして見てまわるだけで、充分)」


 ギルウェは約束通り、すべてネリーの補佐としてやってくれているだけ。


「(カンチガイしては、いけない……でも)」


 その、仕事に対し真面目な姿勢が、また何よりネリーにとって好感触なのであった。


「ギルウェ様は、わたしのことを気づかってくださって優しくて。 昨日もそう。グリフィンに乗せて外を見せてくれて」


 ディルは、うんうんと頷き


「同僚だけど、うん……あいつならまぁ安心かな。

 ……他にイザとなった時の竜の扱いだとか女のコの扱いが上手……というか、何とかなりそうなの、あいつしかいないんだよね。……考えてみると。

 こうなるのは必然だったと思うよ」


「そうなの? ……わたしにとっては良かったわ……どうしたら、もっとお役に立てるのでしょうか」


「もう役に立ってるよ姫君は。

 ギルウェも、そう思ってるはず」


 ディルは笑う。


「でも……まだまだ足りません」


「それ言うと、喜ぶはずだよ」


「わたし本当に楽しいのよ。

 それのお返しがしたいのだけれど、そもそもわたし達って……彼は、結界を創ってくれることを望んでいて、わたしは妖精圏で生きるのを手伝って欲しい、変幻を続けるのに必要な魔力を分けて欲しい。そういう契約、でしょう」


 ネリーの切なげな訴えを聞いてディルは


「(なんだ、姫君……けっこう、満更でもない反応じゃ無いか。 やったな同僚!)」


 思ったよりも幸せ充実していそうな二人に混ざり込むことを、申し訳なく感じながら……ディルは畳み掛ける。


「ふーん……ホントに楽しませてくれてるお返しが、したいだけ? 魔力にしか、興味は無いの?」


「…………」


 ネリーにとって、考えないようにしていたこと。


「(契約に含まれていないことを願っても、迷惑にならない?)」


 あまり期待しては、いけない……もう十分、して貰っているのだから。

 わたしは賢い聖竜なのだから……そう、ネリーは自分に言い聞かせようとするが……。


「(でも、本当の心は……)」


「ちゃーんと教えてくれないと困るんだなぁ。

 ボク、頼まれちゃってるんだ」


「え!?」


 妖精の巣(フェアリーネスト)城で行われた結婚式の時、これ幸いとお料理の食い溜めをしていたディルは、ギルウェの身内に取り囲まれたのだ。

 おそらくディルが共通の知り合いということで、何かと同行することになったり、相談を受けるだろうと。

 二人を見守って欲しい……そして何があったか、どういう進展があったか教えて欲しい、と。

 彼の弟達や師匠や、上司である団長達から。


「(妖精ってホント噂好きだよね……特に恋バナ。

 まぁこの辺りって他に娯楽ないもんな)」


 アヴァロンの聖竜達だって心配しているし、二人が仲良く生活をしている、愉快な話を回収して持ち帰りたい。


 しかしネリーは違う意味に受け取ってしまった。


「(頼まれてる!? もしかして……監視!?)」


 昨日のラデガスト達の言葉が蘇る。


『結界を創れる姫を攫ったなんて噂立っちまったら洒落にならない』


 攫うと、疑われている……?

 ギルウェ様は信用されてない?

 あんなに頑張ってるのに!?


「(ディルは、見張りなのだわ……)」


 強大な力を持つ普通ではない竜の娘と、約定を交わした者……警戒されるのは当然なのだろうか。

 それにしたって、あんまりだ。

 あんなに真面目に働いているのに……。

 ネリーは憤慨した。


「頼まれてるって、見張り!? そんな……ひどい!

 ギルウェ様が、わたしと契約したのは国のためで……! 私利私欲でわたしの力を独占して使うわけ無いじゃ、ありませんか!」


「!……あー違う。

 見張りとか、そういう意味じゃ無いんだけど……でも、ある意味、見張りみたいなものか」


 夜の闇の中で、ネリーの考えを察したディルは、にんまり笑う。


「(姫君なら、なんとかなるんじゃないかなーとは思っていたけれど、期待以上の適応力の高さだ)」


「? そうなのですか?」


 一体どういう意味の見張りなのだ、ネリーは不思議に思う。


「姫君は会ったばっかりなのに、あいつのことそう思ってるわけ?」


「……付き合いが少なくたって、そのくらいのことわかります」


「それもギルウェに言ったら喜ぶよ。

 明日にでも直接、彼から聞いてみるといい。

 今日はもうお休みなさい」


「はい……おやすみなさい」


 ネリーは、ひとまずディルの言葉を信じ、眠りにつくことにした。


***


「……まったく!酷いことをするねェ。

 せっかく、ここまで仕込んだってのにさァ」


 言葉の内容とは裏腹に、どこか愉快にも聞こえる女の声。


 花畑の上には、いつかのウェレス城下町と同じように、(おびただ)しい数の仔邪竜の死骸があった。

 それらに、黒いローブの小柄な、女の影が近づく。


 女が、手に持つ杖を振り上げ、おどろおどろしい呪文を唱えると……。


 仔邪竜の死骸は全て、糸でも括り付けられて引っ張られているかのように、一か所の同じ場所に集まっていった。


「こうでもしないと、使い物にならないねェ……」


 生肉同士がぶつかる音。

 全ては混ざり合い、大きな一頭の邪竜へ変貌した。

 それを見て女は、楽しそうの笑うのだった。


そろそろ折り返しです。

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