〜第3話〜 変幻の成功
ネリーは自分でも驚いていた。
ネリーの変幻下手っぷりを知る仲間達から『最近の外の若造は竜を見慣れていないらしいから、ネリーを見て怪物扱いするのがオチだ』と言われていたのだ。
なのに、この方は……凄い。
会った時から、親切だ。
おそらく、動じない方を騎士団側が選んでくれたのだとは思うが……それを差し引いても
「(普通に会話してくださるじゃない。すてき)」
自分に向かって恐れず微笑むこの朝の一族の妖精騎士のことをネリーは好きになれそうだと感じていた。
「契約の相手が優しい方で安心いたしました」
「……優しいのは貴女のほうでしょう。
森の外の窮状を見かねて、結界の援護をしてくださると」
ギルウェが硬直から立ち直り、やっとの思いで言葉を発したことに、ネリーは気づかない。
それどころでは無い。
貴女のほうが優しい、だなんて嬉しいことを言われた。 自然と微笑んでしまう。
「外の営みのことについて不慣れで迷惑をおかけするでしょうが……」
「いえ、俺がついていますから。ご安心を。 こちらこそ貴女には不便をおかけすると思いますが」
ギルウェも釣られて困ったように微笑んでいた。
「魔海竜との戦争が無ければ、貴女にこのような窮屈な思いはさせずとも済んだのに」
***
美女になった姫君……ネリーは式の準備のため、城勤めの女達に連れていかれた。
既に着ていた緋色のドレスも充分、綺麗な衣装であったが、あれは旅用の軽装な衣装なのだろう。 もっと豪奢な婚礼衣装に着替えるので忙しいようだ。
大戦中は、身寄りを失った若い子供から年寄りまで、あらゆる妖精達が城内で働いていた。
平和になってゆくにつれ、ほとんどの働き手達は故郷に帰るなり城外へ引っ越して行ったが、妖精の巣城に出来た居場所を気に入って残ってくれた古株もいる。
彼、彼女達は戦後になって新たに行儀見習いとして城にやって来た子供達に仕事を教えていた。
そういうわけで衣装係の勤め人達の中には、半竜人以外の、変幻前の竜を見馴れていない子供もいるものだから……あのネリーの顔を見て卒倒せずに済む。
あらゆる意味で良かった。
「……美人だ」
ギルウェが惚けた顔で見送っていると……ドタドタとやって来たアルトスと弟達が驚愕する。
「大丈夫か!?」
「はい。とても好みのタイプです」
「っ!?!?」
「兄貴がおかしくなった」
「働き過ぎ!? ストレス!?」
「なかなか相手が定まらないと思ったらそうか……そういうことか……」
「……さっきの姫を見てないのですか……それは惜しいことしましたね」
「見たよ、城内に入ってくる時!」
「顔が! 顔が!」
「モンスター顔が好みだったの……? 兄さん!」
弟達はギルウェの伝えたい内容が理解できないようだし、アルトスは責任を感じ思いつめる顔で、今更なことを言い始める。
「そなた……本当に良いのだな?
……昔は『自分は女の共有財産だから結婚はしないだろう』などと言っておったのに……」
「(弟達もウンウン頷くな。あと、当時の俺をそう育てたのはキニフェの父母の教えです)」
『良いですかギルウェイン。
太陽を奉じる我が朝の一族において、女性は太陽。
その太陽である女から想われる男になることが出来た時、太陽の力は分け与えられます。
結果的に男は女以上に太陽にも等しい存在になれるのです。
だから貴方は女から愛される男になりなさい』
幼い頃に聞いた亡き母の言葉。
何も疑わず真面目に、言われた通り、教えを守って生きてきてしまった自分。
まさか妖精圏の男達の大部分は『そんなに頑張ってまで魔力なんか、いらない……』という考え方だったなんて。
ウェレスへ来るまで知らずに育ってしまったギルウェなのであった。
「(俺は、あのキニフェ流教育の被害者です……! まぁ……それはそうと)」
あの美人を見損ねた皆を、ギルウェは残念に思うと同時に、いずれ知れることになるのだから良いかとも考え。
「ここまで来て、一体何を言っているのです。
我々には時間がありません」
「そうじゃな……報告によれば先ずウェレス城下町を含む主要箇所の結界はどれも薄くなっており保って、
二か月から……一か月」
「ど、どうしてそんなになるまで放っておいたんですか……!?」
最近、一人前の騎士になったばかりの末の弟が恐れながら口を開く。
「よく聞いてくれた、これには事情があってだな……」
結界生成を可能とする稀有な聖竜の姫を、婚姻という形で妖精圏へ貰い受けることが決まってから、何だかんだ言いつつも城下のノーム達や城勤めの半竜人達は大いに沸き立った。
半竜人達は何度もアヴァロンとウェレスを行ったり来たりして姫を採寸し、ノーム達は持ち前の器用さと職人技で姫が不自由せぬよう衣装を作成した。
気前の良い城下の仕立て職人達は、お祝いに上等な衣装用生地を大盤振る舞いしてくれた。 せっかくだからと妥協の無い凝った衣装作りを決行した結果、現在の結界を保てるタイムリミットはだんだんと少なくなっていき……このような急ぎの式である。
そうアルトスは事実を隠さず説明した。ギルウェも補足する。
「慣れない地へ、わざわざ旅して来てくれた姫の体調も考えつつ……なるべく、さっさと早めに契約の挙式をして、様子を見つつ結界補強の旅に出る必要があります」
最悪、他所から結界に関して秀でている方に来てもらい、結界の延命措置を取る手もあるが……どこの地域も守護の要となる大切な結界を創ることが出来る者を、そう簡単に外へ出したがらない。だいたい、こんな時期が差し迫った状態で頼み、タダで来てくれるワケが無い。
だから身内で済む問題になるのなら、それに越したことは無いのだ。
「せ、政略でいっぱいの新婚旅行だ……!」
「特に南の海側ルトアキア方面、結界が完全に機能しない事態になれば、浄化しきれない邪気が邪竜を生み、海上交通に影響が出ます」
北方は、現在ではウェレスと関係が良好な朝の一族キニフェ領なので、まぁ何とかなるが、反対方面までは。補うのにも限界がある。
「うむ、放っておけば商業に大打撃じゃな……」
ルトアキア人……大半の民が魔力を持たず、魔石による召喚獣の使役に頼り、宝石の一族と呼ばれる、人間達。
その多くは基本的に妖精を好まないが、妖精の作り出す武具や道具は大好きだ。
買い物目当ての者から、好奇心で妖精に興味を持つ変わり者まで、時おり旅して来ることがある。平和になった証拠だ。
「そうです。
大戦前のように、また、どんな言いがかりをつけられるか、わかったものではありませんし。
結界に通じる者が生成をやってくれるのであれば、非常に強い結界が長保ちするということにもなり、こんなに助かることはありませんから」
「……わかった、そなたがそう言うのなら」
「兄ちゃんのファン達が、結婚反対の暴動を起こす前にな…!」
ギルウェは、その言葉を発した三男をキッと睨み
「俺のファンは皆さん礼儀正しいので、そんなことはしない。撤回しなさい」
「……実際、兄貴が繰り返しそう言うもんだから、兄貴ファンを自覚してるノーム娘達が、この発表に対して文句も言わず不気味な程静まり返ってるんだよな……」
「何その統制されたファン軍団、かえって怖い……!」
「いや、凄いな……。
聖竜の花嫁をよろしく頼んだぞ、ギルウェ」
弟達と団長は震えながらそう言った。
***
式の時間。
妖精の巣居城内にある、古い神々を祀る神殿の廊下…。
東南の火の妖精の炎を閉じ込めたランプが、赤や黄、白に青から紫まで彩り豊かに明るく照らし出す、季節の生花で飾り立てられた式場。
昨年のウェレス王アルトスとアンナの式は再婚ということもあり、あまり大々的にすることが出来なかった。
本日の主役であるはずの新郎新婦の意思とは全く関係の無いところで、一年前に獲得し損ねた経済効果を取り戻さんとする民達の勢いが感じられる。
真っ白な式典用衣装で整えたギルウェは、ネリーを待つも心の中は。
「(……先程のアレは、俺が現実逃避のあまり見てしまった幻覚だったのか……?)」
いや、だが美人になったネリーを見逃した不運な団長と弟達はともかくとして。
姫君を連れ出した、女性達は普通の反応であった。
もし、ここ数年間、せいぜい半竜人しか見ていない……大戦以来、竜を見慣れていない、着せ替え係のノーム達が。 ネリー姫の、あの顔を見たとあれば……もっと反応は
「キャーーーー!?!?!?」
「あら、戻ってしまったわ」
ネリーがやって来る方角から、不吉を予感させるに充分な悲鳴が聞こえた。
「…………!?」
***
物資の少なかった昔は、様々な儀式で着まわしの利く漆黒の婚礼衣装が好まれたそうだが、大戦も終結した昨今では、真っ赤な色調の派手な婚礼衣装が流行している。
火の一族だとか水の一族の、他所の影響を受けたものだろうか。
ギルウェの隣に並ぶ真紅の婚礼衣装の花嫁。
手先の器用な職人のノーム達が準備の締め切りギリギリまで仕事をしていたおかげもあり、花嫁の衣装は金糸の刺繍も、細かく散りばめられた宝石も見事な、豪華なドレスだった。
花柄をあしらったな見事なレースのトレーンも同様だった。
ただし、ベールの向こうの顔は……
「(……顔が……元に戻っている……!)」
顔はベールで隠れるのでまだ良いのだが、真っ赤なドレスは何故か胸元が割と開かれたデザインのため、白とも金とも朱と言えぬ光る鱗が見えてしまっていた。 目立たないで欲しいと思うが……列席者は気づいていることだろう。
心中焦りつつも涼しい顔で花嫁の手を取る騎士に遠慮して、訝しく思いつつ小声で噂をする参列者の様子。 その気配を察知してギルウェは一瞬、眉間に皺を寄せる。
ネリーを気遣わせないためスグに笑みを戻すが。
親類用の参列席で泣いている弟達も、うっかり視界の入ってしまった。おそらく
『だから!どんな者が来るか、わかったものではないと言って止めたんだ!』
『兄ちゃんは騎士団の、妖精圏の犠牲に……』
『兄さんのファンが暴動おこしたらどうしよう、内乱になる』
「(……とでも言って、憐れみ、嘆いているんでしょう……!)」
そう感じ取るギルウェ。実際、そこまで一生懸命止められた記憶は然程、無かったが……心の中で叫ぶ。
「(いや!……かわいそうなのはネリー姫だ。
本当は美人になれるのに、やればできる子なのに、こっちの姿で式を挙げねばならないなんて……)」
このことは明日にはウェレス中に広まってしまうことだろう。
あの朝の一族出身の妖精騎士が、地の一族の王アルトスから紹介された聖竜の姫とは一体、如何なる姫なのだろうかと……皆、噂するだろう。
そんなことは知ってか知らずかネリーは……キョロキョロ辺りを見回していた。
そうなのだ、救いはネリーが特に列席者達の様子を気にもせず、楽しそうに飾り付けられた花々や色取り取りのランプや祭事用タペストリーを目で追っていて……まるで悲壮な感じがしない……ところか。
着替えた時に香水か何か付けたのだろう、彼女が歩くと時折ふわりと甘い香りが漂う。
本来、同族同士であればこのような式はその一族内で信仰されている神に誓いを立て、一緒になるという披露目を行う。
が、今回はややこしい。
そもそも聖竜が先ず、どちらかといえば大昔からこの地域で恐れられる神にも近しい存在であるし、朝の一族であるギルウェが信仰するのは太陽の女神。
式を行なっているのは地の一族の国ウェレスなので、職人と鍛治を司るノームの神も立てなければいけない。
そして万が一、聖竜が暴走した時のため力を抑え込む、特殊な細工を施した契約の指輪も、これから贈らなくてはならない。
聖竜本来の力を鑑みれば、こんな指輪は気休めである。 本気になった聖竜を止めることなど出来ないだろうが、無いよりあるほうが安心である。
司会を務めてくれる熊毛皮の衣装で着飾ったアルトスが上手にまとめ祭壇前で式の進行をしていく。
ギルウェは、ひんやりとしたネリーの手を取り、貴重な絨毯の上を進む。
「さっきは、うまく変幻できたのに」
姫が小声で呟く。
「残念でしたね」
ギルウェとしては本当に……そう返すしかない。
「……わたし、もう一度やり直してみます」
「え、ちょっ」
こんな列席者も見ている場所で、成功した半竜女への変幻を試すのか。
失敗して竜の姿に戻ってしまい、神殿を破壊してしまったら、と心配するギルウェをよそに……光に包まれる姫。
ベールやドレスの裾に、優しい風が通り抜け、ふわりと翻る。
光量が落ち着く頃には、姫はギルウェが客間で見た時と同様の、美しい姿になっていた。
鱗に覆われていた肌は残らず、きめ細やかな人のものへと変化しており、真紅に金糸の婚礼ドレスがよく似合う。
温かみを感じさせる頬に、唇。
人の顔に良く似合う、日の出を思わせる橙色の髪がベール越しに透けて煌めく。
団長も列席者達も一体何が起こったのか、開いた口が塞がらない様子。 ギルウェは二度目であるため比較的、落ち着いていた。
アルトスは、何とか仕事中であったことを思い出し、喜びを隠しきれぬ様子で式の進行を再開した。
促されたギルウェとネリーは、契約の誓いを立てる。そしてギルウェはネリーの左手を取り、薬指に指輪を通す。
「まったく。 こんなに俺をハラハラさせたのは、後にも先にも貴女だけでしょう」
「ふふ、貴方と居ると凄いわ、うまくいくようなの」
ネリー姫の顎に手をやる。
「でなければ貴女へ推薦されたりしません」
ギルウェは、ふふんと笑い、ネリーの唇に優しくキスをする。
「!」
嬉しい驚きに舞い上がらなぬようネリーは、なんとか平静さを保つ努力をする。
「(これは挨拶だもの! 知っているもの)」
今のは話に聞く、外の種族の、ただの挨拶だ。
敵意が無いことを、武器を所持していないことを示す挨拶。
ネリー以外とも、必要があればするだろう。
「(それでも……)」
どう変幻しても残ってしまう角と一緒に、熱が集まっていく頰を、俯いてベールで覆い隠すネリー。
バタバタ動きそうになる尻尾は、たっぷりしたスカートが隠してくれるだろう。
ネリーは不思議だった。身体が温かくなる。魔力が、活性化している。
「契約を交わした二人と列席者の皆様に湖の聖竜と、朝の女神と、地の神のご加護があらんことを!」
アルトスが声も高らかに締めくくった。
その後、神殿の外にある広い庭園で宴が始まった。
こうなると最早、主役の二人はそっちのけで参列者達は、自分の出会いを求める者達、宴席ならではの美酒美食を求める者達とに分かれて思い思いに楽しむ。
これを目当てに、新郎新婦やその家族と無関係な者まで会場に混ざりこんでいることも珍しくはない。
本来は花婿と花嫁もそこに加わって夜中まで歌って踊って騒ぐこともしばしばだが、早朝から旅してきたネリー姫を気遣い、二人は食事を終え次第、早めに退散の予定であった。
「これは何ですか?」
「芋とミルクのポタージュスープですね」
隣に座るギルウェに、テーブルに運ばれてくる食事の内容を説明してもらうネリー。
テーブルマナーも、しっかり特訓して来たネリーは木製の匙で掬い、幸せそうに口に運ぶ。どうしても匙づかいが不慣れな感は否めないが。
「う!……ぉ……」
「!?……大丈夫ですか? お口に合わな」
「おぉいしぃです……!!」
ネリーは苦しんでいたのでは無く、喜びのあまり悶えていたようだ。
ギルウェは安堵する。 花嫁も花婿も同じものを食べているのだから、万が一何か盛られていたとしたら、ギルウェにも被害が及ぶ。
そんな事態になっては、アヴァロンの聖竜達もネリーに対する無礼に当たると、恥をかかされたとお怒りになるだろう。
「それは良かった。 俺もこちらの料理は楽しみで……ウェレスのパンは柔らかくて美味しいんですよ」
キニフェでもパンが無いわけでは無いが、どうしても病人食のような穀類のお粥と一緒に魚や肉を食べることが多い。
現在テーブルには、四角や丸い形をしたパンの上に、季節の野菜や狩ったばかりであろう新鮮な鶏の焼肉、近くの港で獲れたらしい魚料理が溢れそうなほど乗せられている。
パセリやバジルが彩り豊かに振りかけられており、味付けも絶品だった。
聖竜の島では味わえなかった料理にネリーは感激している。
「…………!」
そして甘いパンも美味だった。
レーズンを混ぜて焼いた丸パンは切れ込みにカスタードクリーム、ナシ、ベリーのジャムが挟まれていた。 四角くスライスされたパンにはプラムとクリームチーズ。貴重なシナモンまでかけられている。
アヴァロンに居たら、なかなか同じものは食べられない。
「昔は全て自給自足しなければならなかったのですが……最近では、遠隔地の、今まで見なかった食材も手に入るようになって美味しくなったんです。
俺が子供の頃は、こんなに豪華で凝ってるの無かったんですけれど」
かつては、各地の魔海竜勢力が危険であったため、集落は分断されていた。
人里から人里へ旅は、困難を極めたのである。
が、七年前に魔海竜が倒され、その後、徐々に魔海竜の残党も減ってきた。
「魔海竜残党が減ったあとも……魔海竜勢力を狩ることで生計を立てていたハンター達が失業し、野盗となってしまうことが頻発したので。
しばらくの間は集落の外に出るのは命懸けだったんです」
「でも、すぐに鎮圧して、このように平和にしたのでしょう?
今思えば、野盗が酷かったのも……当時、邪気が酷かったせいかも知れませんよ」
ネリーの言う通り。
現在では、ようやく結界を強化することにより邪気や邪竜の発生も減り始め……実際には、発生する側から斬っているのだが……盗賊の被害も減ったし、庶民は比較的これまでよりも安全に街道を行き来できるようになった。
そのため流通が生まれ、物資が豊かな集落から足りない集落へ、流れていきやすくなった。
需要のある交換物さえ準備できれば、あらゆる食糧が手に入る。
「……あっ、こちらも美味しい。素敵ですね……!」
こんなにメニューが増えたのは、最近の話なのだ。
ネリーは、口内に広がる幸せに、
「(この地を、こんなに美味しいものを届けてくれる皆様を……ギルウェ様を、守る)」
そう誓うのであった。
しかし、次から次へと自分の元へ運ばれてくる皿……とんでもない量の食事。どうして?とネリーは思う。
「まだおかわりありますよ?」
ギルウェがそのくらい食べるのかとネリーは思ったが、そうでは無いらしい……式の慣例なのだろうか。
「わたしはもう充分ですので、ギルウェ様がどうぞ?」
「!」
ギルウェは驚く。 同僚の半竜人は、とにかく大量に食べることを知っているからだ。
彼女もおそらく、と入念に準備してあったのだが。
「(遠慮しているのか?
味付けが薄くて気に入らなかったとか……いや、竜なんだし、それは無いか)」
なんといっても竜達は本来の姿では無い人型へ変化するため、魔力を必要とするはずだ。
そして魔力に変換するためにも食事量は多くなるはず……そう思っていたのだが……。
「?……残してしまうと、もったいないかしら……?」
ネリーは、やはり自分の分だったかと察した。
「いえ? 無理されずとも……育ち盛りの者がおりますので。
手をつけてないものは、処理してもらいましょう。
おそらく、その辺に……やはり居ましたね」
先程から、チラチラとギルウェ達を見ている三人の青年を手招きする。
三人とも朝の一族らしく、それぞれ濃淡は違うもののギルウェとよく似た、朝の一族らしい水色の髪だ。
「弟達です」
「ギルウェ様の弟、様方」
ならば自分にとっても同じこと……できれば仲良くしてもらいたい……!と、そう願うネリー。
ギルウェは、弟達に具材の挟まったパンが綺麗に並べられた皿ごと渡しながら紹介をしてくれた。
「上から順にラデガスト、ヘリオス、ホルスです」
「どうぞネリーとお呼びください」
あんなに心配していた当の弟達は、すっかり美女になったネリーに骨抜きにされ、にやつきながらそれぞれ挨拶を返した。
ネリーがもうお腹いっぱいになってしまったのだということが知れると
「だーからトリストんとこの竜と比べたらダメだって言ったんだ、兄貴」
「ディルも、よく食べるけど……あそこのルーデちゃんと比較したら全然、小食だったな」
「ディルは一日四食、ルーデちゃんは一日五食は食べないと力が出ないらしいよね……」
「(……そんなこと言ってお前ら、量が足りなかったら、それはそれで文句を言うくせに!)」
ネリーの手前、ギルウェは言い返さないが……。
もちろん食費はかからないほうが嬉しいので、まったく構わない。嬉しいハズレだ。
「義姉上は、聖竜ですもんね。その辺の竜と違いますね」
「ちゃっかりもう義姉上呼びかよ」
「でも、良いな義姉上…!」
「……そうか、兄さん達は初姉なのか……」
あんなにすったもんだあったというのに、もう義姉と呼び慕う、ネリーの美しさに魅了されたらしい弟達。
「(……盗られないようにしよう……!)」
と、ギルウェが心の中で思っている頃。
ネリーは兄弟達の、遠慮の無いやり取りを興味深く眺める。
今まで女所帯の島に居たネリーにとって、男の兄弟は珍しい光景だ。
そこへ最後のデザートが運ばれて来た。
ネリーが眼を見開いて固まる。
「……これ……は……りんごタルト」
「アヴァロンの林檎と同じ、とはいかないでしょうが、良ければお召し上がりください?」
ネリーは感涙して震えた。
「……わたし……林檎のタルト、本当に好きで……出入りしてくれる仲間に強請って、何度も持ってきてもらってたんですけど、どうしても……冷めてて。
……これは……焼きたて……!」
「義姉上……!」
「林檎タルトで嬉し泣きするひと、はじめて見た!」
「籠城から解放されて初めて食事をするひとみたいだ……」
散々な言われようだ。
「でも、ごめんなさい……流石に、たくさん食べた後なので……」
既に切れ込みのいれられたワンホール全てを食べきることは出来ない。
竜姿に戻ればひと口で食べられるが……
「(列席の皆さんがビックリするだろうから、ここでは無理。できない)」
取っておいて貰おうか……だが、焼き立ては一番美味しいだろう。
「わたし、ひと切れ食べますから、残りは皆さんで食べてください」
「では」
ネリーの心配りを受け止めてくれたギルウェはタルトの一切れを摘み、ネリーに笑顔で
「俺も、これ好きなんですよ」
「! 美味しいですね」
ネリーも微笑み返すが。
「(ネリー義姉上すげえ……)」
弟達は戦慄した。
兄があんな風に微笑むと、いつもなら即座に女の子が恋にオチる姿が見られるのだけれど、ネリーからその気配は無い。
彼女の頰に浮かぶ赤らみ、微笑みは林檎タルトを見た時から変わらない。
ネリーが返した微笑みは好物が無駄にならずに済んだ安堵からで、ネリーが恋に落ちているのは林檎のタルトに対してだということが伺える。
「……兄貴、先は長いな」
「兄ちゃん、そんなに落ち込むなよ」
「兄さん頑張って!」
「落ち込んで無いから」
「本当に仲が良いのですね」
ネリーは無事、焼きたて林檎タルトを心ゆくまで堪能し終わり、口元をナプキンで拭きながら、ふふ、と笑う。
「みな同じ母のもとで生まれ育ち、同じ師匠に鍛えられて妖精騎士になりましたので。この通り」
ネリーの笑顔に、ギルウェは気をとりなおし。
「妹の、母から魔剣を受け継いでいるフロレッタは、領内に結界を張り巡らせ、守護するのが仕事なので。
国を空けられず今日は来られませんでしたが」
「俺ら兄弟は彼女の代わりに自警団へ派遣されています」
「キニフェは何も無いところですが、今日来れなかった妹が居りますし」
「良かったら、いつか来てください」
「はい!きっと、ご挨拶に行きます」
まだ見ぬ景色に、ネリーは心を弾ませる。