〜第2話〜 やってきた姫
妖精騎士団の本拠地でもある妖精の巣城の中では。
「……向こうから“妖精圏の結界補強を手伝う”と、言ってきたのでしょう?」
ずっと準備を進めてきたギルウェ達であったが、間に入ってくれている半竜人達から、やっと到着した聖竜の姫君の様子を聞き……懸念していた事態が起きたことを悟る。
「なのに、変幻が出来ない者を送って寄こすんですか?」
「出来ないのでは無い。 “下手”らしい!」
回廊をゆくアルトスと、問題の娘竜を任される予定の当事者。
ギルウェは足を止め不安げに言った。
「団長……嫌われているんじゃないですか? アヴァロンの雌竜達に」
「あ〜〜やっぱりそうなのかな〜〜……どうしてワシは昔から、こう女性に嫌われるかの……」
「(鍛治工房へ引き篭もってばかりで女性を放ったらかしだったからじゃないでしょうか!)」
ウェレスで従士見習いをしていた子供時代、現妃である師匠とケンカばかりだった団長、二人から互いの愚痴を聞かされた記憶がギルウェの頭に蘇る。が、廊下の真ん中で沈み始めた団長を見て、しまった言い過ぎた!これ以上は失言するまい……と話題を変える。
「とにかく! ……そんなに酷いのですか?」
「……実際に会えば、わかる。
ワシは先程、出迎えた時に見た。
そなたを連れてゆくからと言って、待たせてある」
問題の娘竜が待機している客間へ、二人は歩みを再開させる。
すれ違う居城の勤め人達は、竜の島から来た姫の出迎えと式の準備で忙しない。
とにかく時間が無い。
急な式ではあるので、集まることが出来る妖精騎士団員と、騒ぎを聞きつけて来るであろう城下町の民など、身内で迅速に済ませてしまう予定ではあるが……。
これが魔海竜が倒される前であれば、他の近隣の国々や人間の国ルトアキアだとかが『どうして呼んでくれないのか!ケンカを売っているのか』などと、何かと干渉して来たに違いない。
あの頃は妖精の一族同士もまだまだ仲が良好とは言えずピリピリしていた。
その空気と戦い、この魔法の海域、通称・魔海に浮かぶ妖精の島々の連合……妖精圏の自警騎士団を組織してくれた団長には本当に感謝している。だからギルウェに後悔は無いのだが……。
聖竜姫が通されている、玄関付近の客間が見えてきた。
「とりあえず、その……姫と!
話しをさせて貰います」
扉の前まで来た。
ギルウェは逸る気持ちのまま扉を開けた。
「失礼します」
大きな、よく磨かれた窓からは明るい日の光が差し込む。
彼の目の前に飛び込んで来たのは。
部屋の中央……緋色のドレスの女性。
上質な布張りの長椅子に腰掛けている。
振り返って窓の向こうの青空を見ており、顔はうかがえない。
背筋はぴんと伸び、よく熟れた柑橘類を思わせる橙色の豊かな髪が、たっぷりと波打つ。
髪の合間から、わずかに角らしきものが見えた。
……背中を見る分には、
「(なんだ団長、あんなに脅かして。 普通に綺麗な女性じゃない、か……)」
姫君が振り向く。
「(なるほど、これは酷い!)」
ギルウェは、姫に近づいて顔を見てしまった。
アルトスから忠告を受けていた通り、リザードマンと呼んで差し支え無いトカゲ顔であった……。
身体の線は確かに人型だったが、竜時の顔、肌……つまり鱗が残ってしまっているようである。
聖竜というだけあり、まるで日の出のように薄っすら赤や黄色や白に輝く鱗は、聖なるものの眷属だと言われれば頷けるものだったが……。
「(この姫は、露出する肌という肌が鱗で覆われていて、とても半竜女には見えない……)」
今までギルウェが見たことのある、ウェレス領内に住んでいたり妖精騎士団に在籍している半竜人達と比較して、だが……。この手のタイプをギルウェは初めて拝見する。
居竜区との連絡役でもあり、妖精圏側で働く半竜人は、角や尾こそ隠せてはいないものの、肌など他の部分は全て人と同じであった。
出そうと思えば背から出せる竜翼も、必要時以外はしまっている。
いつの間にか窓の向こうで
『最悪ずっと、このままだぞ』
と、気を遣って二人きりにしてくれたアルトスが、何やら心配そうに身振り手振りで伝えてくる。
ここまでとは自分も思っていなかった……ギルウェは、ことの重大さをようやく理解した。
これでは……昔、仕事で斬った魔海竜勢力の輩や……最近、斬ってきた邪気から発生する怪物と、そう変わらぬ見た目では無いか……? 寝室で間違えて斬りかかってしまったらどうしよう。
アヴァロンの聖竜達がお怒りになる。
せっかく湖の島から助けに来てくれたのに……などなど思考する。
「(……そうだ……助けて貰わねばならない……自業自得とはいえ、今、ウェレス王家は、妖精騎士団は人材が不足している!
特に守護結界を生成する役目の……!)」
邪気を跳ね除け、内部を浄化する結界を制御し、この魔海の中でも、とりわけ妖精の多いこの領域を守るためには……古くから湖の孤島に住まい、結界生成を得意とする聖竜の力を借りるのが確実だ。
まずは聖竜姫が、どの程度、協力的なのか見極めなければならない。
まわりの者に言われて仕方なく来ざるを得なかった可能性とてあるのだ。
その場合は……
「(たらしこむしか無い!)」
ギルウェがそう決意しながら、窓の向こうをチラと見やると人数が増えている。
ギルウェの弟達だった。
三人の弟達は長兄に同情してくれたが、決して自分が役目を変わろうなどとは言い出さなかった。
三人は今アルトスと一緒に、渋い顔でコチラを見ている。
姫は今、窓には背を向けているからバレていないはずではあるが……。
「(客人に失礼でしょう、どっか行って欲しい!)」
いつもであれば、もう少し空気を察してくれる子達なのだが、今回ばかりは兄が心配だと見える。
「初めまして。
朝の一族、青なる翼に連なる者、妖精騎士団のギルウェイン・ノールリースと申します」
話を戻そう。
まぁ顔は仕方ないとして、問題はどこまで今ウェレスが置かれている状態を、妖精騎士団の内情に理解を示してくれているのか、だ……そう気持ちを切り替えて笑みを浮かべ、ギルウェは初めの挨拶をする。
「はじめまして」
姫は、首の鱗が声帯に影響でもしているのか、嗄れ声である。
「貴女のお名前は、なんとお呼びすれば良いのです?」
「……ラグネリーネ・ヴィヴルと申します……が、長いでしょう?
どうぞ気軽にネリーとお呼びください」
「俺のこともギルウェと短くどうぞ」
そう言ってギルウェは、にこりと笑ってみせる。
万が一怒らせでもして“結界の修復などしない!帰る”と言われては困る。
「あなたも、ここ座ります? どうぞ」
ネリーは長椅子の隣を詰めてくれた。
「どうも」
ギルウェも隣に座る。
「(弟達より気がつくかもしれない)」
今のところネリー姫からは“上から言われて仕方なく来ました”と言った様子は無い。
先程も、初めての場所にオドオドせず、見える景色を楽しんでいる様子だった。
「ごめんなさい、こんな姿で」
鱗で覆われた表情は硬く動かないし、声もこの嗄れ声では、本当に心から謝っているのか社交辞令で言っているのか、ギルウェには判別がつかない……。
「いえ……翼は、出していらっしゃらないのですね」
「竜みたいだと皆さん、怖がると思って。
隠してあります。
出そうと思えば出せるのですけど……」
「いえ、出さないで、そのままで良いです」
慌てて止めるギルウェ。
既に充分、姫は竜のような容貌であるからだ。
ネリー達聖竜や聖竜側に組した竜種と、件の大戦で各一族から集まった魔剣士達に討伐された魔海竜とは別物であったが、一般の庶民にそれを見分けることは至難だ。見分けなどつくはずもない。
いまだにあらゆる竜種は人々から恐れられ、狩ろうとする者等もおり、そういった狩人から先の大戦で協力的だった竜達を保護し、守らなければならない始末だった。
居竜区エリッシアは、竜達を閉じ込めている場所では無い。 無知で野蛮な人々から竜を守るための保護区なのだ。
実際、湖の雌竜達はそんな竜と妖精、人間との関係を案じネリーを託した……ということもあるのだろう。
他にも人間の姿に変幻可能な半竜人達が架け橋となるべく活動をしてくれている。
そして、その出入りの半竜人達が言うには、『彼女は結界を創るのが上手い』と。
少しばかり『歌う』だけで、強固な結界を創ることが可能らしい……評判が良いのだ。
「団長……ウェレスのアルトス王からお話があった通りです」
向こうで弟どもが声こそ聞こえないものの、
『スゲェ兄貴なんであのドラゴン顔と普通に話できてんだ』
『いつもと、あんま変わんない調子で』
『やっぱり女なら誰でも良いのか……』
「(などなど結構、酷いこと言っていないか。
兄には、わかる。
あとで覚えておくがいい)」
「お聞きしております。
あなたは朝の一族の、騎士様なのでしょう」
「はい。キニフェの一族の男は、だいたい七つまで領土の母の元で育てられ、その後は外に追い出されてしまうのです。
それからは従士として父や師匠と各地を旅して育ち……今は妖精騎士団員をしています」
そのためギルウェは、ここから北にある朝の一族の領土キニフェにて王族としての教育は受けてはいない……あそこは代々、ずっと跡継ぎが女でやってきたいうこともある。
大戦終結直後は、国内も荒れていたから手伝いのために故郷へ戻っていたが……あの時、ウェレスを長く留守にしなければ。
キニフェに戻っていなければ、二年前の事件はもっと違ったものになっていたのかもしれない。
今でもギルウェはそう思うが、過ぎたことを気にしても仕方がない。
「なので……特に、この地の一族の国王にはお世話になっていまして、この縁談を頂きました」
そう説明した時、姫は
「えぇ、聞いております。
騎士団の方々は……ここ数年の間は、大変だったでしょう?」
社交辞令だとは思うが、まさか尊大と評されることが多い竜から、こちらを労わる言葉が貰えるとは。
ギルウェは一瞬、感動して固まった。
「わたしにお手伝いできることがあれば、何なりと言ってください」
「(……一応やる気はある姫のようだ! 有難い!)」
ギルウェは心の中で拳を握るが、まだ結界を実際に創って貰ったわけでは無いので、感謝をするのは早いと考える。
やってくれるという方に向かって、やらせる前から失礼ではあるが、結界生成も半竜人への変幻同様、いざやらせてみたら失敗するかもわからない。
「……ネリー姫には、この地の一族の結界生成をお手伝いしていただくことになります。
我が朝の一族と、火の一族や水の一族については、落ち着いておりますので」
「よい守護役の方がおられるのでしょう?
キニフェには。……妹君?」
「よくご存知で。 妹は生まれてからずっとキニフェの館で母と共に過ごし、そのまま跡を継いで、結界の守護役をしてくれています」
しかし、もっと女性が喜びそうな話題や言葉で口説き落とすべきところを何故、国際情勢の話を自分はしているのだ……なんだか、うまくいかない、とギルウェは返答しつつ思う。
「たびたび俺もキニフェへ帰り、あちらの仕事をしたりしていたのですが、特にウェレスで邪気による怪物の出現が多いもので。 討伐をしています」
いつもであれば、もう少し女性に対してうまい対応が出来ていたような気がする……が、最初から協力的な姫なのだから。
もう別に、これ以上たらしこむ必要も無いのでは……?とギルウェは考える。
どうして自分は、口説き落とすべきと思ったのだろうか。
肌が鱗とはいえ、一応、女性だ……から?なのだろうか……。
「弟達は従士をしていましたが、今では皆、一人前の騎士になりましたので、最近は手分けをして妖精の領域の巡回をしています。 ……人手が足りず、このような困った有様なのです」
ギルウェが肩をすくめて苦笑してみせれば
「人手が……エレーネのせい、ですわね?」
「……そのこともご存知ですか」
「あの事件では、我が同朋のエレーネが、とんでもないことをいたしたそうで」
「悪いのはエレーネを監督していた騎士です。
信頼できる者だったのですが、残念です。
貴女は事情をよく知っていらっしゃるようですが」
いくつかネリーと話をしてみたが……思ったよりも、この姫は、こちらの内情に詳しい!とギルウェは舌を巻く。
アヴァロンから、森の外へ出たことが無いはずなのに? 竜達の情報網がここまでとは。
「……表向き、当時の王妃は追放、あの騎士はその処断に逆らったので彼も愛竜も王妃と共に追放、ということになっております。
……騎士の竜が攫ったわけでは無くてね。
詳しくはまた落ち着いてから、二人きりの時に」
「わかりました」
ネリーは素直に承諾した。
「貴女は湖の……森の外へ出たことが無かったのですよね?」
ネリー姫は一体どこまで知っているのだろう……確認していくこととしよう、とギルウェは決める。
「はい……本当に大昔に、竜の姿で少し外を飛んだことがあるだけ。 何十年も外へ出られませんでした。 情勢が情勢でしたし。
でも情報は入ってきますわ。 行き来する半竜人や、旅人から話を聞いて……長く生きてますもの」
えっへんと言わんばかりの調子で姫は言うので
「(やはり竜は長命なのか……)」
万国共通で、あまり女性に歳のことについては言わないほうが良いのだろう……と察知し、ギルウェは心の中で呟く。
「わたし、外の世界の文化が大好きですのよ。
ずっと、外を見に行きたかった……でも、大戦もあったし、しばらくは皆さん、わたし達の姿を見るのも嫌でしょう?
いろいろと準備をしなければいけなかったし……わたしひとりじゃ、この体たらくですから、案内してくださる頼れる方も必要ですし」
なるほど、道理で……外の事情もよくご存知のようだし、好奇心からやって来た姫のようだ、とギルウェは理解する。
「(結婚の契約と召喚獣の契約あたりを何か、勘違いされているのかもしれないが!)」
声は嗄れていたし、表情は読み取れないが話す姿は心なしか嬉しそうだ……とギルウェは感じる。
外に出られたのが余程、楽しいのだろう。
「(……どうして。
こんなに賢そうで話もわかってくれそうな……今まであまり会ったことのないタイプの半竜人の女性が……よりによってトカゲ顔なのだ……)」
うん、慣れれば可愛く感じることだって、この先あるのかもしれないけれど……そうだ可愛いと思えなくもない、そう言うことにしておこう。
これから努力していこう。
そう、結論付けるギルウェ。
「(だが正直この姿では……邪気から発生する怪物だとか、昔斬っていた魔海竜の郎党共と変わりがない!)」
どうしても考えがそこに着地してしまう。
これから毎日ずっと、同じ寝室で、彼女の補佐が仕事で……落ち着かない。
もう少し庇護欲をかきたてる顔になってくれないと、あんまりだ……頭を抱えたくなったが
「(仕方がない。妖精圏の平和のためだ……!)」
ギルウェは椅子から立ち上がり。
「賢いネリー姫。我らは愛をもって契約をなす者。
協力を願いましょう、聖竜よ」
彼女の前で跪く。
表情も感情も伺えないが……だが、まぁ一応。
「これからどうぞ末永く、よろしくお願いいたします」
ギルウェはネリーの手を取り、彼女の手の甲に口付ける……ひんやりとした不気味な感触。
と、その時。
一瞬、室内が眩しく、何かが煌めいた。
不思議に思い、ギルウェが顔をあげると……先程まで居たトカゲ顔の姫はどこにも居らず。
同じ緋色のドレスを着た、美しい顔立ちの……半竜人の姫が、そこに居た。
波打つ日の出色とも夕陽色とも判別つかない橙の髪の隙間から、控えめな角を左右に覗かせる、大輪の花のような……せいぜい二十代にしか見えぬ娘。
彼女……ネリーが少し驚いたように、容貌によく似合う声を発し、微笑んだ。
「ふふ、よろしくお願いします」
「(美女じゃないか!)」
ギルウェは驚きから、しばしの間硬直した。