〜第9話〜 戦闘
翌日……朝食の時間。
食堂でギルウェはディルから、さっそく昨晩の話を聞かされた。
「昨日、姫君がさ、カンチガイしちゃって。
『ギルウェ様が私利私欲で、わたしの力を使うはず無いのに!』って、怒り出しちゃってさ。
ボク、ギルウェと姫君の進展を報告しろって頼まれてただけなのになぁ」
「しん、てん!? どういう……」
ギルウェよりも先にネリーが恥ずかしそうに問いかける。
「うーん……二人が、どんな感じで、仲良さげにしてたかってことの、かな」
「そういう、見張りだったのですか……!?」
ディルの隣、ギルウェから見てテーブルの向かいに座るネリーは顔を赤らめて俯いている。
「……!」
ギルウェは正直、ネリーの反応に照れた。
出会った当初から温厚そうなネリーが怒っているところなど、うまく想像出来なかったが……
「(会って間もないネリーが……俺のために怒る……? 信頼されている???)」
アヴァロン湖内の島で育った箱入り娘であるネリーが、何でもかんでも信じやすいだけかもしれないが……それを差し引いても、ギルウェにとって嬉しいものは嬉しい。
「(……しかしディルが見張りというのは初耳……いや、だが! わかるぞ)」
ギルウェは根菜とチーズの玉子焼きを食べる手を止め、ディルに尋ねた。
「……アンナ師匠に頼まれたのか。 それとも弟達か」
道中、新婚の二人が『どんな状態になるか監視、うまいこと引っ掻きまわすように』と、面白がってディルに依頼する彼女・彼等の姿……ギルウェには容易に想像出来た。
「うん。 みんな心配してたよ。
団長もね。 創りたてホヤホヤの剣、貰っちゃったし。 アンナ様からも、報酬としてまた新しい軍服を貰えそうだ」
「(やっぱり! すっかり買収されている!
というか団長まで!? 信じていたのに!)」
頭を抱え込むギルウェ。 ネリーが慌てて確認する。
「……では、その。
騎士が竜を攫ったりせぬように、という見張りでは、無い?のですね??」
ネリーも頭を抱えた。
「(恥ずかしい! 失礼にも程があるカンチガイ……!)」
二人の反応を見て、ディルは面白くて仕方が無かった。
ネリーよりも僅かに速く復活したギルウェは、苦笑しながらネリーに説明する。
「皆だって、何やかや言いつつ、俺のことは信頼してくれてるハズですので……。
ご心配には及びませんよ」
「あ、あの、その。 ごめんなさい……」
仮にそういう懸念を抱かれているのだとしても……。
いくら人手不足とはいえ、信頼していなければ気心知れたディルを見張りになど付けるわけが無い。
半竜人であり妖精騎士団員であるディルを同行者に寄こすということは、ネリーに対する配慮であると同時に、もうギルウェがほとんど信用されているのと同義でもある。
「俺は魔剣士でも王でもありませんが、一応、キニフェの王族に連なり頼られる地位で……申し分無い扱いを受けてますし。
貴重な聖竜の妻も、貰ったばかりですし。
この待遇を棄てて周りに弓を引く輩と思われている程、信用が無いわけではありません。
ただ… 」
妻と数えたのが自分のこととわかったネリーの頬から赤らみが消えない。
「ただ?」
「まぁ確かに先例が、いるもので。
だからネリーも心配してくれたのでしょう?」
ディルも玉子焼きを飲み物のように食べ尽くしながら、補足する。
「例の、エレーネとランツェの組と」
「あと、奴……トリストですよ」
「? その方は、知りませんでした」
「そうでしたか。
一応、式にも居たらしいのですが……その騎士は木の一族の妖精……ファストンの出身で、ある珍しい竜の世話を卵の頃から任されていたそうです」
ギルウェはネリーに話してくれた。
しかし、その騎士と、仕える貴族の仲の良さを妬んだ者が讒言をした。
『竜を手なづけた騎士は、竜を使って謀反を起こそうとしている』と……。
「疑われた騎士は貴族の元に居づらくなり竜を残して去ったのですが……竜は付いてきてしまったそうです。……もちろん目立つから半竜娘姿に変幻して」
「卵から育てたのでは……無理もないかもしれませんね」
他に縁者もいない仔竜……刷り込みで情もあるはずだ。
「その後、ファストン領内で『竜を飼ってはいけない』という触書きが出されたこともあり、貴族は騎士と仔竜を、王都に立ち入らないことを条件に見逃すことにしたそうです」
「今はボク達の同僚。
コッチ側は竜に対して緩いからね」
ディルは何皿めかの山菜の酢漬けに手を伸ばした。
「で、そいつなんだけど、これからコッチ来るかもよ?もしかしたら何処かで、すれ違うかもね」
腹ごしらえを終えた一行は出立の準備に取り掛かった。
***
荒地の砦……支部の入り口。
「グリフィンだ、グリフィンだー!」
昨日、ネリーが歌を教えた子供達と、その家族が見送りに来てくれた。
子供達は、グリンを見てキャッキャと騒いでいる。
「野生の鷲獅子を見たら、近寄らないで逃げるんだぞ? こんなに、おとなしくないからね…!?」
ディルが子供達に忠告する。
「赤毛のおねーちゃん、グリフィン怖いんだろー!」
「なっ、怖くない! 怖くなんか、ないぞ……!」
無邪気な子供達の声に釣られて、ピーイ!とグリンも鳴いた。
「昨日は、子供達と遊んでくれたようで、ありがとうございます!」
年齢がわかりづらいが、おそらく子供達の親なのであろうノームの女性が、ネリーに頭を下げる。
今までは同じノームであるエレヴェニーグ妃がやって来て、結界を修繕していた。
が、今回やって来るのは異なる種族の聖竜姫ということもあり、不安に思っていたノーム達。
だが……ネリーが普通の半竜人達と変わらない姿で、穏やかに話している様子を見て、考えを改めたのだろう。
「聖竜のおねーさん。 もっかい歌ってー!」
「こいつ昨日、来てなかったから!
歌、聞いてないんだ」
昨日、ネリーと歌って遊んだノームの男の子が、やはりノームの妹を指差す。
「え、と。 ギルウェ様、良いですか?」
「(どうか青鳥の軍勢以外の歌で!)」
と、念じつつギルウェが『別に構わない』と許可を出せば、ネリーは他の選曲にしてくれた。
「(想いが通じたようで良かった!)」
ギルウェはホッとする。
ニコニコとネリーの歌を聞いてくれる兄妹の愛らしい顔はそっくりで……彼らを見るうちに、ネリーは自身の『兄竜』との記憶が蘇えってしまう……。
ネリーは歌いながら、ふと思うのだった。
「(……わたしが、こんなことをしていると知ったら、兄は)」
兄竜は他の大多数の竜と同じように、自分と同種族である竜以外の種族を、妖精や人間を下に見るところがあった。
しかし雄竜である兄は、ネリーの父母に付き従い、湖の島の外で活動をしていた。
親と共に聖竜として、魔海竜の勢力と戦っていた……そのはずだった。
基本的にアヴァロンの聖竜は、雌竜がほとんどの数を占める種族ではあるが、数十年から百年ほどの間に雄竜が一頭生まれ、種を繋いできた。
雄竜は大抵、湖の穏やかな暮らしに馴染めず、大体が外へ出てゆく。
雌竜よりも大きい角、ギザギザと尖った攻撃的な鱗を持ち、湖から離れた彼らは、外の民から聖竜とは認識されず……ただの光魔法を使う竜……光竜と呼ばれることも多かった。
そして……あれは八、九年程前であろうか。
ネリーの前から、兄は姿を消した……。
仲間の顔を見に、アヴァロンへ顔を出すことも、連絡も途絶えた。
最後に会ったのは魔海竜が倒される前、だったと記憶している。
父母が亡くなったと聞いたのは、その後だった。
兄も共に死んでしまったのか。
それとも、どこかで生きているのだろうか?
……もし今、兄竜に会えたのなら……彼は湖の外で民のために活動するネリーを、一体どう思うだろうか。
「(だめ、今は歌に集中しないと!)」
無事に歌を披露し終え、見送りのノーム達から拍手を貰ったネリーはスカートの端を摘み、微笑んで挨拶をする。
戻ってきた彼女に、ギルウェとディルは進路の確認を改めて行う。
「姫君? そういうわけでボクはこっから南西のアヴァロンに寄って城下町に帰還する予定」
「これから、また鷲獅子に乗っていただきます」
「姫君達は、もうちょっと西に進んで渓谷の神殿をお願い」
「はい!」
今日のネリーも昨日同様、赤みがかった焦茶色を基調とした長い上着を着用している。
上着の胸部分はリボンやボタンで留められ、腰から下の前部分は開いたスカートのように広がり、キュロットとタイツを覗かせる。
今日も仕事で鷲獅子に乗るため、動きやすい格好だ。
ギルウェやディル、見送りのノーム達の目から見ても良く似合っているし、サイズもちょうど良いようだった。
城下の職人達が時間をかけて用意した甲斐があるというものである。
ギルウェは、今日も結い上げられたネリーの華やかな日の出色の美しい髪と、嬉しそうな金色の瞳に見惚れる……のを苦労して我慢し。
思わず考え込む。
「(しかし……! てっきりネリーは俺の好感度を狙い、この姿になっているのかと)」
それは違うと昨日、判明した。
ネリーは、この姿にしか変幻できないらしい。
「(最初に俺の魔力を使って変幻したから??
いや、関係は無いか……)」
ギルウェは不思議に思うのだった。
「今までありがとう、ディル」
笑顔を綻ばすネリー。
髪は左右を束にして二つの団子状に結い上げることで角を隠していたが、まとめきれず溢れた前髪が数束、風に揺れる。
「こちらこそ。
姫君のお手紙、長老達に忘れずに渡しますから」
「よろしくお伝えくださいね。
ヒトの姿になれるのって便利で良いわね。
竜の姿だと、羽ペンを握るなんて繊細な作業は、出来ないんですもの」
ネリーがこういう他種族の良いところを見つけるのが上手い温和な性格で良かった……!と、ギルウェは心の中で喜びながら、ネリーに聞く。
「こちらの字を書くことが、出来るのですね」
ネリーは笑いかけてくれる。
「書き順は、変幻同様、特訓しました。
もともと読むことは出来ましたから。
半竜人の仲間達がくれる手紙や、持ってきてくれる書物を読みたかったですし」
ギルウェは胸を撫で下ろす。
この性格なら、ネリーはどこへ行っても衝突せず歓迎されるだろう。
もちろん、いちばん最初は恐れられるだろうが……でも、そんな民とて少なくともこの荒地の支部では『またおいでください』と声をかけてくれる。
見送りのノーム達と、別れの挨拶を交わす。
「では……邪魔者は、ようやく居なくなるので。
仲良くね」
ディルは、おかしそうに笑いながら赤い竜翼を出し、飛び立った。
「(もう、ディルったら……あ。
服を着た状態での羽の上手な出し方、聞き忘れてしまったわ……)
しくじりを痛感するネリー。
ギルウェもグリンに合図をだし、二つめの結界へ飛び立った。
ネリーはどうしてもギルウェのことを考えてしまう。前に居るのだから仕方がないが……。
「(彼が、わたしのことをどう思っていようと、それでも役に立ちたい)」
結界を創る力は希少なのだ。
だから前任者である元王妃は大変だったと聞く。その力のせいで付け狙われ、よく誘拐されかけたと。アルトスが、歳もかなり離れた彼女に求婚し王妃としたのも……あまりに狙われるがゆえ不憫に思い、頼るべき親も亡くしてしまった彼女を守るためにそうしたのだろう……とネリーに説明してくれた聖竜も居た。
当時に較べれば妖精圏は平和になりつつあるし、強力な竜であるネリーが狙われることは無いだろうが……この聖竜の力を使うことで、ギルウェを始めとする皆を助け、守りたいとネリーは願う。
「この調子で、他の結界もやります!」
「それは頼もしい。 では早速お連れしましょう」
ギルウェの肩に捕まりながら『これまで通り頑張るだけです』と、ネリーは自分の心に誓う。
***
残りの結界は、あとひとつ。
荒地の神殿から渓谷の神殿へ向かって、ギルウェとネリーを乗せた鷲獅子は、飛翔していた。
「ルトアキア方面では、座り心地の良い馬車なるものが発達しているらしいのです。
妖精圏にも、それを導入して欲しいと思っていたこともありますが……こうしてネリーと二人乗りできるのであれば、こちらもなかなか良いものですね」
「! ふふ。そうですね」
ネリーが満更でも無さそうな声色で返事をするので、ギルウェは
「(今、自分は最高に騎士らしいことをしている……!)」
と、内心、得意な気持ちになっていた。
普段は貴重な力を持つ女性の護衛などでは無く、各地の巡回だとか邪竜を始末したりだとか、地道で殺伐とした業務が多いのだから、時々はこういうのも良いだろう。
が、だんだんと……
「(……道中、何も文句を言われないのは助かるのですが!たらし込もうと思ったら、コチラがたらし込まれたような……!今朝のことと言い!!)」
ネリーの余裕のある態度、微笑みは崩れないが……自分がネリーの眼に映るもの微笑む先へ対しムズムズと、とても一緒に笑顔にはなれぬような気持ちが湧き出つつある現状にギルウェは気づき、自分でも驚く。
こんなことは今まで……無かったような気がする。
「(この焦るような気持ちは、きっとアレだ……ネリーと仲良くなる前に、彼女が『もう外の景色もたくさん見たし、結界も張り終えたし、故郷に帰ります』と言い出すことを、恐れている……のではないか、おそらく)」
と、結論するギルウェ。
ネリーが妖精圏や人間界における結婚というものを、どのくらい理解してやって来ているのか……いまだ不安なのだ。
「(この先、ネリーをアヴァロンへ帰らせたくない……次も必ず来てくれるという保証は、無いのだし)」
妖精騎士団の見解としても、ネリーにはずっと妖精圏に居て欲しい。
結界も時が経てば綻びが出る。
今後も、その修復を手伝ってくれるのであれば、特にウェレスは安泰である。
最初こそ心配したが、ネリーは非常に性格も良く優秀だ。
「(結局、国益か!)」
キニフェ出身のギルウェがウェレス領のために上手いこと妖精騎士団員として働けば、本国の朝の一族はそれだけ地の一族に貸しを作れることにもなる……。
「(だが、それだけでは無いんですよ、それだけじゃ無くって……! でも、とにかく!
俺は妖精圏の平和のため、ネリーと親密になって、引き止めておかねばなるまい!)」
意気込みを新たにする。
母の親友であった師匠の故郷ウェレスのため……師匠と再婚した、お世話にもなった団長のために。
アルトスは、その離婚・再婚騒ぎのせいで高かった人気に少しばかり傷が付き、現状とても可哀想だ……とギルウェは感じていた。
ギルウェの知る限りでは、
『子が産めないから離縁などと、まるでルトアキアの人間のようなことを言う!』
『あんな恐ろしい予言をされてしまったのであれば、王の子など怖くて産めるわけ無いじゃないか』
『アンナ様と結婚したかっただけじゃないのか』
『エレヴェニーグ様が可哀想だ』
『駆け落ちされても仕方がない』
『鍛治工房に篭り過ぎ』
などと酷い言われようで……ちょっと、もうやめてあげて欲しい。 結界さえエレヴェニーグ様が居た時のように回復すれば、なんとか許してもらえるのでは無いか?と、ギルウェは希望していた。
「(……また、打算的な振出しに戻ってはいまいか?)」
とも思いつつ……ギルウェは『とりあえず、また諦めず、甘めに誘いかけていきましょう』と心の中で決め、後ろのネリーに話しかける。
「やっと二人きりになれましたね?」
「えぇ」
行きは一緒だったディルとも、もう別行動だ。
「……わたし、貴方と一緒に旅できるのが本当に嬉しいんですの。まるで本で読んだ『新婚旅行』というものみたいで」
「…………!」
「(風が強くて、聞こえなかったかしら)」
『あまりギルウェに対し多くは望むまい』というネリーの方針は変わらぬものの、それはそうと『思っていることはきちんと伝えておきたい』とも考え、話したのだったが……。
「(風がビュウビュウ煩く無い場所で、次回はちゃんと伝えましょう)」
ギルウェはネリーに肩を掴まれながら、返事が出来ないまま固まっていた。
「(……ネリーは、そういう今この場で、すぐにでも抱きしめて押し倒したくなるようなことを言わないでもらいたい……!)」
危険だ、やはりネリーを誘惑するのは危険だ……とギルウェは痛感する。
空を飛んでいる最中だ。当然、押し倒すことは叶わない。
「(万が一、顔を見られていたら、この顔色は冷たい風に当たったためということにしよう……)」
ギルウェは顔を赤くして照れていたが、前を向くネリーにはわからない。
ピィー!とグリンが鋭く、ひと鳴きする。
「悪かった、お前も一緒だったな!」
「二人きりでは、ありませんでしたね!」
まだ、ひと仕事あるのだ。
ギルウェは、眼下の森を見下ろす。
今のところ城下と違い、仔邪竜の死体は見当たらないが、木に阻まれて見つからないだけなのだろうか。
もちろん無いに越したことは無いのだが……。
ディルや弟達の報告によると、ネリーが結界を生成した次の日には大量に、城下の田畑や野原や道々に落ちていた仔邪竜の死骸。
「(それが、こちらでは全く見当たらない……)」
少し不気味といえば不気味だった。
「(城下での例もある。 警戒しておいて欲しいと、砦の騎士達へは伝えておいたが……)」
ネリーに余計な心配をかけることは、ギルウェとしては言いたく無いし、まだ確証も足りない。
「(まさかとは思うが……城下町が特別、狙われていたのかもしれない。
妖精の巣城があるからな……)」
一年前の事件もあったし、それ以前とて。
アルトス団長には、妖精騎士団には敵がいるのだ。
何度も狙われてきた……。
急にピィ、ピーイ!とグリンが嘶き始めた。
「どうした? グリン」
人の言葉を話せぬ鷲獅子の代わりに、おずおずと答えたのはネリーだった。
「あの、グリンが鳴いているのとは関係ないかもしれませんが……あちらから濃い邪気の匂いがします」
「……邪気? わかるのですか」
「はい。 ……昨日の仔邪竜よりも、強い気配……匂いなのです」
一般人にはわかりづらい邪気も、ネリーのような聖竜にかかれば遠くからでも匂いでわかるものらしい。
この辺りは城下町の結界が届かず、荒地の神殿の結界も当然、薄くなり始めていたため、邪気が溜まり影響が出始めていたはずだ。
そこへネリーが結界を創り直したことにより、浄化の力は強まっている。
警戒して進んで行くと……空の道を塞ぐように飛んできた黒い影。
「! ネリー、しっかり捕まって。
速度を、上げます」
「あれは……」
邪竜だった。
仔邪竜ではなく、完全な成体。
鷲獅子より、ひと回りも、ふた回りも大きい。
ネリーは竜よりも小さい人型に変幻した身で、それを見上げた。
半竜女姿で、竜を見上げた経験なら、アヴァロンでもあった。
だが、あれは気心知れた仲間達で……。
これは敵意ある竜。
「(……怖い……)」
そうネリーは初めて感じた。
外に出て、今まで恐怖を感じたことなど、無かったのに。
「……すぐ終わらせるので、グリンと居てください」
ギルウェはネリーに、そう伝える。
「はい……!」
戦うつもりなのだろう、と察したネリーはギルウェの肩から手を離し、代わりに手綱を預かり、握りしめる。
「(ギルウェ様の、邪魔にならぬようにしなければ)」
「グリン、ネリーを頼む」
ギルウェは素早く背に青い翼を出現させながら、跨がっていた鞍の上に立ち上がる。
とん、と靴の裏で鞍を蹴り、グリンに合図を出すと同時に……ネリーを乗せたグリンは真下の、一際大きな大木の上へ急降下してゆく。
ギルウェは邪竜に向かって飛翔する。
邪竜の羽は、見たところ図体の割に小さい。
「(あれでは素早く飛ぶことは出来ない)」
浮かびあがって移動するので精一杯だろうとギルウェは判断し……自分の翼に当たらぬよう器用に、腰に帯びていた剣を抜き払う。
邪竜は視界に入った動くものは全て襲う。
ギルウェを薙ごうとする竜爪をうまく躱し、接近。
咆哮する邪竜の首……左側をすれ違いざまに斬りつけ、背にまわりこみ返す刃で翼に斬り込む。
完全に切り落とすまではいかなかったが、バランスを崩した邪竜は、叫び声をあげて地に向かって落ちてゆく。
「(地上に落ちきる前に)」
ギルウェは翼のスピードを上げて追う。
まだ無傷な、右側の首へ回り込む。
両手で剣を握り直し、魔力を乗せて思いっきり斬りつけ……首を落とした。
落下した竜の巨体が木々を倒し、土煙が上がる。
「(……失敗した!)」
ギルウェは想定よりも、邪竜の黒い返り血を避けきれなかったことに感づく。
いつもなら構うことではないが、
「(今回は女性連れ!)」
これはつらい……ネリーに怖がられる……どうしよう、と、急に焦り始めるギルウェ。
「どっか飛び込める池、泉、湖……無いな!」
急いで探す努力も虚しく、よく躾けられたグリンはネリーを乗せて主人の元へやって来た。
「ネリー? 怪我はありませんでしたか?」
「はい」
ギルウェはグリンの頭を撫でながら、無事を確かめる。
そしてグリンの鞍に結びつけている荷物から布を取り出し、剣に付着した汚れを拭う。
鞘にしまうと、申し分け程度に自分も身綺麗にした。
当然、ネリーにもグリンにも傷ひとつ無かった。
ネリーは安全なところまで戦闘慣れしたグリンと下がり、そして木の上から、流れるような動きでギルウェが邪竜を倒してしまったのを見ていた。
ギルウェの身のこなしからして大丈夫だとネリーは信じていたが……そして実際、彼は元気そうだが、姿を見るまでは不安だった。
「ギルウェ様こそ……あ」
黒い汚れのような血は邪竜のものと、ネリーにもわかっていた。
しかしネリーは彼の頰に小さな赤い線……擦り傷を見つけた。
先程までは無かったものだ。
ネリーは手を伸ばす。
「おっと、いけません。 あまり近くと指が汚れますよ」
「でも、傷」
「傷?」
「もっと頰を寄せてください」
ギルウェは、言われた通りにネリーの指へ顔を近づける。
するとギルウェの頰に、暖かな白い光が流れてくる……傷が塞がっていく。
これくらい聖なる竜であれば容易なことだったが、ギルウェは驚く。
「……貴女の手を煩わせてしまうとは」
ギルウェは情けない、と思うと同時に。
一緒に邪竜の返り血までもが分解され、付着した黒い汚れが綺麗になったことに、有り難いと感謝する。
人々の絶望や負の感情から生まれる邪竜の血が、身体に良いわけが無い。
「いいえ! このくらい……わたしは何もしていません。
ギルウェ様は、身体を張って戦ってくれたのに」
「俺は勤めを果たしたまで。
いやぁ、あんなに大きいの久し振りだったので。
驚きましたね」
はやく決着をつけられて良かったこと。
一匹しか居なかった上に、動きも遅く、こちらがスピードで優っていたこと。
おまけに団長の剣があったので、とギルウェは聖剣の素晴らしさについて語りだす。
「しかし流石!
団長が手ずから打った聖剣です! 切れ味が違う!」
普通の剣であれば、魔力を乗せたとしても、ここまで竜の肌に刃を通すのは難しい。
ただ、アンナ師匠に言わせれば
『ハッ! 材料が良いのよぉ。
ウェレスの良質な鉄鉱石と……アヴァロンの湖の水も使ってるんでしょお?』
と、酷い言われようなのであった……もう少し団長に優しくしてください、とギルウェは絶えず思う。
「あと、グリンが居たので安心でした」
実際ギルウェは、もっと今より若い頃に、集落へ攻め込んでくる竜の群れを見ている。
たった今、倒した竜より小さなものから大きなものまで様々だ。
しかも、大事な物資を運んでいたり、避難民を守りながら、味方竜に乗りながら戦ったことも多い。
だから、こういう事態に慣れてはいるが、久々に遭遇すると、やはり心配だ。
「急に手綱を任せてしまって驚かせたでしょうが、乗りながら乗せながらの戦いは、グリンやネリーにまで刃が当たりそうで恐ろしい。
あまり、したくありませんからね」
そう言いながら、こともなげに笑う彼を見て。
「ありがとう、ございます」
ネリーはギルウェを尊敬し、礼を言う。
「(ギルウェ様……わたしより、小さいのに……あ、今はわたしのほうが小さいですけれど。
竜の姿に戻った時の話です)」
それなのに、果敢に立ち向かい、危なげなく倒してしまった。
「(戦いに、慣れていらっしゃる……一体、幼い頃から、どのような苦労をされてきたのでしょう)」




