6-2
完結です。
愚かなり……
違う。愚かなのは、妾だ。
王女は床に座り、玉座にもたれかかったまま、つららが垂れ下がる塔の丸い天井を見上げていました。
床には編みかけの雪が散らばっています。窓も壁も氷がはりついています。灯りもなく、穴倉のように暗い部屋にただ一人、王女は足を投げ出し座っているのでした。
幼い者と口約束を交わしたことも、それを何年も信じていたことも。
エレナと別れてからどれほどの時がたったのか、王女は顧みることもせず、もう長いあいだ胸の中の嵐の音を聞いているのでした。
王女の妾よりも、アレシュのそばにいたいのだとエレナは言った。あれほど目をかけ、気にかけてやったものを。親のいないエレナを育てたのと同然なはず……。
何度も繰り返した思い。
けれどエレナの振舞を罵れば罵るほど、ただ胸がキリキリと痛みます。
自身が吐いた言葉がどんなにか空虚であるか思い知らされます。
冬は冬らしく、冷たく冷酷で、慈悲の欠片もなく。
それでいい、それでいいはず。
誰もが冬など喜びはしない。春の包み込むような暖かさも、夏のはじけるようなきらめきも、秋の実りの豊かさもない冬は、ただの厄介ものなのだ。
冬の王女は心も体も氷に閉ざされ、白鳥たちですら近づけないのでした。
どれくらいの時が経ったでしょう。騒がしい声が外からしてきました。一人二人ではありません。十人でしょうか、二十人でしょうか。ざわめきは王女の耳まで届きました。
「王女さま」
外から声がしました。ひどくがさがさとしていますが、どこか耳に馴染んだ声です。王女は思わず立ち上がると、窓の鎧戸をわずかに開けて下を見ました。
王や春の王女の馬車が見えました。そしておつきの者たち、近くに住む者たちまでもが塔を取り巻いていました。
ようやく王女は塔に閉じこもりすぎていたことに気づきました。
先ほどの声の主は、入り口に立つ若い男に支えられた人でしょうか。
王女は目を凝らしてその姿を確かめようとしました。
「王女さま、わたくしです。エレナです」
耳を疑いました。いま声がしたほうには、フード付きのローブを着た腰の曲がった者がいます。かすれた声でした。老婆のような声をエレナだとは王女はにわかに信じられませんでした。
「いちどお約束を破ったことをお許しください。わたくしエレナは王女さまの侍女となります」
エレナには精いっぱいなのでしょう。杖にすがって腰を伸ばし、扉を叩きました。
その手の黒さに王女は、はっとしました。
自分が離宮から立ち去るときに、気持ちが昂るのに任せて雪嵐を起こしました。そこに取り残されたエレナは、きっと重い凍傷にかかってしまったのでしょう。
王女はそんな大切なことに気づかずにいたのです。人はか弱く、あっけないほどすぐに命を落としてしまうものだということに。
口もとを押さえる王女の両手がふるえました。
「……こんな姿では、お見苦しいと思います。王女さまの身の回りのお世話にも事欠くかと思います。けれど、いっしょうけんめい、心を尽くしてお仕えします。どうか、わたくしを侍女にしてくださいませ」
エレナは足に力がなくなったのか、扉のまえに膝をつき言いつのりました。
「侍女としてお役に立てないのなら、わたしを氷の粒にして下さい。氷の粒に変えて王女さまのドレスの飾りにしておそばに置いてください」
エレナは幼い日の、月虹の魚をことを覚えているのでしょう。魚の命を氷の粒に変えたことも。
王女は階段を下りて行きました。
「いらないわ」
扉が氷の塊をばらばらと落とし、軋みながら開きました。
「王女さま」
足音もなく、唐突に扉を開けた王女にみなの視線が集まります。王も春の王女もいます。
「お姉さま、どうして今まで閉じこもってらしたの」
鈴を振るような春の王女の声を目線で制して、王女はエレナの前に進みました。
目の前のエレナは生来の色白の肌は見る影もなく、鼻の先も黒くなっていたのでした。苦しげに立ち上がったエレナに寄り添う青年はまだ幼さの残る顔立ちをしていますが、背も高く大きな手でエレナの両肩を抱いて支えています。
「いらないわ。今さら、おまえなど侍女に」
「申し訳ございません、教え導いてくださったご恩も忘れ、王女さまと交わした約束を破ろうとしたわたくしをどうかお許しください」
体を支えてくれる青年からエレナは離れ、王女の前へと歩を進めました。
「おまえは恨まないの? そんな体にしたのは冬の……妾のせいなのよ」
エレナは首を横に振りました。
「王女さまとの約束を破り、悲しませたわたくし自身のせいです。さらに見苦しい姿となってしまったわたくしですが、王女さまのおそばに……」
深々とお辞儀をしたエレナを王女は駆け寄り、強く抱きしめました。
「なんて、なんて愚かな娘」
王女の頬を涙が伝いました。
「来なくてもよい。エレナは大切に思う者のそばにいればよい」
「そんな、わたくしは」
王女はエレナの頬を両手で優しくつつみ、青い瞳を見つめました。
「かまわない、約束はなしにして」
二人を見守る周りの者たちから、ざわめきがさざ波のように広がりだしました。
王女が淡い金の光を放ち始めたのです。光はエレナと王女をあたたかく包み、あたりへとほどけていきます。
「お姉さま……、みなさんご覧なさい。季節が動き始めるわ」
冬の王女のドレスを飾っていた氷の粒は少しずつ光へと姿を変えていきます。光は渦となり、天へと昇り噴水のようにはじけて空いちめんがきらめきました。
ああ、というため息が人々の口からもれていきます。
空を見あげていたエレナは王女へ目線を動かしたとたんに驚きの声を上げました。
「王女さま……!!」
冬の王女はほほ笑みました。雪のように白い顔にあばたがちらばっていました。
「これで、エレナとおそろいね」
思わず顔に手をあてたエレナは、自分の指が元通りになっていることに気づきました。足もいつのまにか力を取り戻し、腰も伸びています。
「これは……」
「お姉さまは冬に失った命を預かり、春には天へと返すのです。命の輝きを次の季節へと送るために」
たくさんの命の流れに浸され、エレナの傷は癒されたのです。
「皆さま、冬の王女は冷たいと思いでしょうか? わたくしたち王女は四人そろってようやく季節を動かすことができます。誰ひとり欠けることは許されません」
見かけはあどけない少女の姿です。けれどタンポポのような金の髪をした春の王女は優しく諭すように語りました。
「どの季節よりも命を奪う冬の王女は、誰よりも命の重さを知っております。ですから唯一、癒しの技を持っているのですよ」
皆は顔を見合わせました。今まで、冬はただ寒く冷たく、重苦しいものだとしか考えていなかったのです。
「おまえのあばたを半分、わたしがもらい受けました」
王女はエレナのフードを下してあげました。白い肌にはわずかにあばたがあるだけです。青い瞳に金の長い髪。エレナはまるで絵姿にある美しい婦人のようでした。
「王さま、どうか領主の跡継ぎであるアレシュと使用人であるエレナとの婚姻を認めてくださいませ」
春の王女の後ろに立っていた王は、肩をすくめ微笑みました。
「誰が婚姻を認めないと? これは、もう我の役目ではあるまい」
と、王はアレシュの肩をそっと押しました。
紅い髪と同じくらい顔を赤らめた青年のアレシュは、エレナと王女の前に進みでました。
「アレシュとやら。この子の見かけにも左右されず、いつも気をくばり心をかけてくれたことを妾は知っている。聡明なそなたにならば、我が子同様のエレナを託すことに異存はない」
アレシュは顔を強ばらせたままでうなずきました。そしてエレナの手を取りました。
「どうか、妻となってわたくしと共に歩んでくださいませんか」
エレナは戸惑うようにいちど王女さまを見ました。王女は黙ってうなずきました。エレナは左手を胸に当て、大きく息を吸いました。
「末永く、共に」
エレナの差し出した右手の甲にアレシュは口づけました。
わあ、と見守る人々から歓声があがりました。が、突然一人の卑しからぬ服装の老人が飛び出してきました。
「使用人を妻に迎えるなど、わしは許さんぞ!」
「おじいさま」
アレシュはエレナの肩を抱きよせ、眉をひそめました。エレナの顔が一瞬にして青ざめます。
「アレシュのご祖父殿か。わらわの娘、エレナの何が不満か」
二人を背にかばうようにして、冬の王女は飛びかかろうとするアレシュの祖父の前に立ちはだかりました。
「正直者で陰ひなたなく働き、読み書きにも手業にも優れておる。どこに出しても恥ずかしくない娘だと思うのだが。もっとも、ながくそちらのお館で世話になったこと、深く感謝を申し上げまする。嫁入りに際しては、秋の王女の壁飾りと、夏の王女の茶器一そろい、春の王女の寝具を持たせたい。それから妾は先ほどエレナに健やかな体を授けた。足りないものはないだろうか」
茹であがったように怒りに顔を赤くしていたアレシュの祖父は、ぐうの音も出せずに王女の前で地団駄を踏みました。
「おじいさま、わたくしアレシュはエレナを妻として領地を治めていきます。すでに母の了解はえているのです。エレナの今までの誠実な行いを覚えてらっしゃるのなら、優しいおじいさまには必ずやご理解いただけるとわたくしは信じております」
アレシュは祖父へと向かって、はっきりとした声で想いを述べました。
「これで決まりであろう」
王の一声に、領主である祖父も、うなずくしかありませんでした。
こうこうと、青い空から鳥の声が聞こえてきました。白鳥たちが迎えに来たのです。
「さあ、春の歌を」
春の王女の侍女らは、塔へと入っていきました。ほどなく、窓の鎧戸がひらかれました。春の王女がぱちんと指を鳴らすと、ふわりと花の香りが漂いあたたかい風が吹いてきました。二人の王女は目礼を交わし、塔の主の交代を果たしました。
「よいお方と巡り会えたな、エレナよ」
「王女さまのおかげです」
「それは、ちがう。妾は、ただお前と楽しくおしゃべりをしていただけ。おまえ自身が自分を正しく育てたのだ」
エレナの目が涙でうるみます。それを見つめる王女は心身ともに美しく成長したエレナを嬉しく思いました。はんめん、手離す淋しさも感じました。
白鳥たちが冬の王女のまわりへと舞い降り、帰還を促します。
「また遊びに行ってもよろしいでしょうか」
エレナの申し出に王女は胸を小さく突かれたように思いました。
「これからは、忙しくもなるだろう。ことに子を持てばなおさら……」
王女はエレナの手をそっと離しました。
「けれど、ひと冬にいちどくらいお邪魔してもかまわないでしょうか」
「でも、もう離宮も壊してしまったし」
歯切れの悪い受け答えしかしない王女にエレナは笑いかけました。
「嘘は、いけません。王女さまは、わたくしにそうおっしゃったではありませんか」
嘘をつかないこと、と幼いエレナに申し渡したことを王女は思いだしました。冬に嘘は似つかわしくない、と。
「……来てほしいわ」
王女は涙がこぼれそうになるのをこらえました。エレナは王女の手を両手で握りしめました。
「かならず、お邪魔いたします。どうかまた、わたくしに編み物を教えてくださいませ」
「ええ、かならず」
王女は身を翻すと、たちまち白鳥となって空高く舞い上がっていきました。
『四つの季節を廻すのはだれ? 花咲く春の王女、陽射しの夏の王女、実りの秋の王女、静寂の冬の王女たち。塔から我らを見守りぬ。巡り来る、巡り来る。とこしえに変わることなく』
人々の歌声が響きました。
アレシュとならんだエレナが大きく手を振ります。
空から見ると、塔の周りから雪がとけ始めて緑の大地があらわれ始めました。
季節が春へと移ります。
白鳥になって飛んでいく王女の胸はもう冷えてはいませんでした。あたたかく満たされていました。
それからというもの、人々は歌いお祭りをしました。
春の喜びを
夏の輝きを
秋の深さを
冬の美しさを
ことに、雪のような肌にあばたのある王女の物語は、冬の夜に暖炉のそばで語り継がれていったのでした。
おわり
ひとり冬の童話、ようやく完結しました。
今回の冬童話は、あらかじめ設定が決められてあり、それををどう書いていくのかが最大の課題でした。
当初は皆目けんとうもつかず、今年の冬童話は見送ろうと思いました。どうやったって、書けそうにありません。
ほかの皆さんの素晴らしい作品を拝読すれば、なおさら書くことはないだろうと。
しかし、魔が差したとしかいいようがありません。
わざわざ書いてしまいました。
白鳥は、毎年我が家の周辺へと飛来してきます。奴らはでかいです。
鳴き声は作中では「こうこう」と表しましたが、じっさいはほんとに壊れたラッパのような「きゃふ きゃふ ぐがゃふ ぐわっ」みたいな感じで、ちっともロマンチックじゃありません。それに、近寄って触れそうな感じを醸し出しつつも、ぜったいに触らせません(鳥インフルエンザのこともあり、冗談でも絶対に触ってはいけませんよ!!)。
そんな、冬の使者(性格悪そうな)白鳥と、ツンデレな王女、アレルギー持ちのエレナの話をなんとはなしに思いつき、書いた次第。
エレナはうちの娘が、ちょこっとモデルになっています。
冬はアレルギーが出ないし、スキーやスケートのウインタースポーツができるから、好きなんだそうです。
そんなこんなで、春先までかかってしまった拙作。お楽しみいただけたなら、幸いです。