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冬はもう終わりなのですが。

 あばたを消すことを喜んでもらえると王女は思っていました。

 ですから、振り返りもせず帰っていったエレナの後ろ姿を思い出さない日はありませんでした。

 王女はあれからというもの、編み物がうまくできなくなりました。

 糸は針のうえをすべってばかり。目の大きさはそろわず、簡単な形でさえきれいに作れなくなりました。いぜんは、手の込んだ透かし編がたくさん入った繊細な雪が編めたというのに。

 まるで指が動かなくなったのです。そのたびに、糸をほどいては編み、編んではほどくのでした。けれども糸はもつれ、絡まりをほどこうとするたび切れてしまうのでした。


 北の宮殿は、もういつエレナが来ても暮らせるように整えてあります。

 春遅くまで留まっていた白鳥が戻ってきて、エレナのようすを教えてくれます。

 畑仕事や表には出ず、お屋敷の使用人の部屋にこもってレースを編み続けていること。

 時おり、アレシュやお館の奥方さまが訪れることも伝えます。

 レースを編み、手紙の代筆をし、料理に洗濯……。エレナの日々は王女からは遠く、次の冬までエレナの気持ちを知ることはできません。


 きっと、あきらめなければならないのです。エレナのために用意した品々も、思い描いたエレナとのふたりの暮らしも、すべて。

 けれど、もしかしたら……約束を守り侍女になってくれるかもしれない。

 幼いころから見守り続けた自分との約束を無下に断るほど、エレナは身勝手な娘ではないはず。

 かつてのエレナの笑顔を思いだして王女はわずかにほほ笑みます。それでも最後に見たエレナの頑なな後ろ姿もまた忘れることができないのでした。


 王女は宮殿にいるあいだ、どの王女とも会わずに閉じこもっていました。

 こんどの冬には、うまく雪を降らせることができるのでしょうか。不揃いの雪の結晶を見つめては、王女は(こうべ)をたれるのでした。


 やがて塔へ入る日が来ました。秋の王女は、いつにもまして青ざめ口を閉ざした冬の王女を気遣い、体を温める葡萄酒を贈りましたが、冬の王女は無言で受け取り塔の鍵をかけてしまいました。


 白鳥たちは王女が作った雪のモチーフをくわえて空へと飛び立ちました。

 大粒の雪がまたたくまに野山を埋め尽くし、屋根や川を凍らせていきました。軒には長いつららが垂れ下がり、村人たちは朝晩には雪をはらわなければ扉が雪に埋もれてしまうのでした。


 王女は凍てつく椅子に座り、白鳥からの知らせを待ちました。

 今ではもう、エレナが離宮を訪れる日が来るのが待ち遠しいのか、いっそ来なければいいのか分からなくなりました。

 いつもなら、雪が凍ったならば離宮へと元気よく駆けてきたというのに、エレナの来訪はなかなか告げられませんでした。

 その日は、王女が手慰みに雪を編んでいました。相変わらず、簡単なものですら目がそろわず編めないもどかしさに王女は顔をしかめていました。

 そこへ白鳥が知らせを持って来ました。エレナが離宮へ向かっていると。

 王女は編み物を椅子に放り投げると、白鳥に姿を変え、冬空の下へと飛び立ちました。雪原には、途中まで二対の足跡が点々と続いていました。けれど離宮にほどちかい場所に立ち尽くす人影がひとつあり、足跡は一人分だけが森へ消えています。

 王女は胸騒ぎがしました。

 翼をふるわせ、矢のように一直線に離宮へと飛んでいきました。


 森に囲まれた湖には白鳥が数羽、羽根を休めていました。王女は森のうえをぐるりと大きく一回りした後、湖を見つめるエレナの後ろにふわりと降り立ちました。

「エレナ……」

 呼ばれたエレナは振り向き、王女に深々とお辞儀をしました。長くつややかな金の三つ編みが、ゆらりと揺れました。

「王女さま」

 (おもて)をあげたエレナは、視線をかすかに外し唇をかみしめていました。王女はエレナの服装を見ました。もうツギのあたった服は着ていません。自分で編んだのでしょう。花模様が連なるストールをはおり、足には暖かそうな皮と毛で作られたブーツをはいています。

「……お詫びを申し上げます」

 エレナの赤い唇が動くのがただ恐ろしく、王女は耳を押さえたくなるのを必死でこらえました。

「侍女になるお話しを、お受けできなくなりました」

 王女はわずかずつ息を吸いこみ、声がふるえないよう静かに問いかけました。

「なにゆえか」

 ストールを前でかき合わせた両手をぐっと握ってエレナは心を決めたように、青い瞳で王女をまっすぐに見ました。

「ずっと、お仕えしたい方がおります」

「妾ではなく、ということか」

 エレナはぎくしゃくとうなずきました。王女は奥歯を噛みしめました。

「ア、アレシュさまでございます」

 とたんに王女は森の外に立っていた人影を思い出しました。アレシュはエレナに付き添って、離宮のそばまで来たのでしょう。

「おまえを花嫁にしてくれるとでも、いうのか」

 王女は意地の悪い問いかけをわざとしていました。エレナの肩がふるえます。けれど、エレナは答えました。

「アレシュさまの父ぎみさまは、ずっと前にお亡くなりになっています。アレシュさまの母君さまも認めてくださっています。アレシュさまは十七で家督を継がれます。先日まであった婚約も解消されました。そして、わ、わたくしを妻にと……」

「聞きたくもないわ!」

 思わず叫んだ王女に、エレナは身をすくめました。わなわなとふるえながら、王女はエレナをにらみつけました。

「領主と使用人の恋沙汰なぞ、ほんとうになるものか。いずれどこぞの令嬢を妻にすえて、おまえは日陰者になってしまうぞ」

 それより、侍女となって暮らした方が数段エレナは幸せになると、王女は強く思いました。

「……それでも、かまいません……あの方のおそばにいられるのでしたら」

 白鳥たちが突然、空を見あげて甲高い声でするどく鳴きました。

「おろかな……、妾との約束を違えるのか」

 はい、とエレナはうなずきました。

「おまえに編み物をするようにと言ったのは誰か」

「王女さまです」

「字をおぼえるようにと言ったのは誰か」

「王女さまです。今のわたしがあるのは、すべて王女さまのおかげです。けれど」

 王女の長い銀の髪が、水藻のようにゆれました。

 白鳥たちがいっせいに飛び立ちました。それが合図だったかのように、離宮を囲む森の木々が体をふるわせ、粉雪が舞いあがりました。それとともに森や離宮が崩れていきます。まるで水をふくませた絵筆で撫でられたように、ふたりの周りは滲んでいきます。

「侍女にはなれません。嘘は、申せません」

 雪まじりの強い風になぶられる髪をおさえ、はっきりとした声でエレナは王女を臆することなく見つめました。

「……恩知らずめ」

 王女の叫び声に離宮と森は一気に崩れ去り、はげしい雪嵐が起こりました。

「好きにするがよい!」

 白鳥になった王女は嵐の中へと飛び立ちました。真っ白な地上からエレナの詫びる声がかすかに聞こえたような気がしましたが、王女は羽ばたきを止めませんでした。

 王女の胸の奥にうずまくものたちは、ごうごうと雪と風のうなりとなってあたりを覆いつくしていったのでした。


残り一話ですm(__)m


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