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 ひと冬の間にエレナと会えるのは一度か二度でした。

 畑仕事のない冬とはいえ、日々の家事もあれば、春に向けての用意もあります。使用人が休めるいとまなど、ほとんどないのです。エレナが離宮へ向かうときには、白鳥たちが知らせてくれます。


 そうはいっても、昨日もこなかった。今日もこないだろう。明日もきっと来ないだろうけれど……。

 わずか数回の知らせを王女は塔の中で心待ちにするようなりました。

 王女は四季の塔から夜になると外をながめます。近くの家々の灯り、エレナのお屋敷がある方角の灯り。わずかにともる灯りは降る雪越しに、にじんで見えます。

 けれど、あの灯りの中にエレナがいると思うと、王女の心は不思議と満ち足りた気持ちになるのでした。


 冬が終わり、北の宮殿に戻った王女は自分以外が住むことのなかった宮殿の一室をきれいにしました。

 そしてその部屋の壁に秋の王女にお願いして譲ってもらった、色とりどりの木の葉と木の実で作られたリースを飾りました。白く味気なかった壁がそこだけ明るくなったように感じました。


 次の冬、エレナは十三才になりました。

 一年の間にたいそう背が伸び、痩せて華奢に見えました。お古のオーバーにはていねいに継ぎがあてられ、長く伸びた髪は背中で金にきらめきました。

 そして、ふたりはまた四阿(あずまや)のベンチに腰掛けて編み物をします。エレナの腕は上達していました。すいすいと針を動かし、透かし模様を編みます。

「冬はすてきです」

 王女の胸は、どきんとはねましたが、ことさら冷ややかに言いました。

「そう、かしら」

 エレナは気にせず続けます。

「忙しい畑仕事もなくて、ストーブを囲んで皆さんがおしゃべりします。わたしは繕いものを手伝いながら、それを聞かせてもらうのが何より楽しいのです」

 幼い頃よりは、エレナは邪魔者扱いされなくなってきたようです。一人前……とまではいわずとも、だいぶ仕事がこなせるようになってきたのでしょう。

「それに、ふだんより相手をしてもらえます。字を教えてもらえます。暖かい季節は、外の仕事が多くて皆さんお疲れですから」

 エレナは字が読めるようになってきました。王女が用意した短い詩を前ほどつかえることもなく、ゆっくりとですが読みあげました。

「次にお会いするときまでには、字が書けるようがんばります」


 春から秋にかけて、北の宮殿にいる間に、王女は夏の王女に頼んで茶葉と茶器一式を譲ってもらいました。香りのよい新茶に夏の赤い花があしらわれた茶器があるだけで卓に花が咲いたようでした。エレナのお喋りに耳をかたむけながら、二人でお茶が飲めたなら、どんなにか楽しいでしょう。


 秋口、一足先に飛びたった白鳥がエレナのようすを教えてくれました。

 エレナは、文字を書く練習をしています。それから本を貸してくれる者がいるようです、と。


 エレナは十四才になりました。

 やせっぽっちだった体が丸みを帯びました。肩に羽織ったショールの上からでも胸が膨らみをもってきたことが見て取れました。

「王女さま、少しですが字が書けるようになりました」

 小さな紙に書かれた文字はまだばらつきがあり、上手とはいえませんでした。けれど、ていねいにていねいに書かれてありました。

「詩もいくつか覚えました」

 そうして、王女のまえで詩を幾つかそらんじました。

「なかなかだ。誰かから教わったのか」

 王女が尋ねると、エレナはわずかに頬を染めました。

「アレシュさまが、ご本を貸してくださいました」

 アレシュ……どこかで聞いた名前です。

「領主の孫か」

 確か、エレナと出会ったのは領主が孫に見せる月虹(げっこう)の魚を捕ってこいと命じたからでした。

「アレシュさまは、わたしより一つ年下ですが、わたしのような下々(しもじも)にも心を配ってくださるかたなのです」

 そういって、いつも編みものを入れてくるかごから小さな本を出して王女に見せました。

 古い本ですが、大切に扱われてきたようです。皮の表紙が手に馴染みます。中には、たくさんの詩が書かれてあります。

「それは、よかったな」

 ええ、と返された本を胸に抱いてエレナは明るくほほ笑みました。エレナの笑顔とは裏腹に、王女は胸の中に何かわだかまるものを感じました。


 言い知れぬ不安に、王女は塔の中で雪の結晶をいくつもいくつも編み続けました。白鳥たちは編みあがるそばから、空へと持って行きました。そうしないと、床いちめんが雪のモチーフで埋め尽くされてしまうからです。

 雪嵐こそ少なくすみましたが、その年は雪がいつもより深く深く積もったのでした。


 エレナは、侍女になってくれる……はず。

 けれど、アレシュの話をするエレナのほほえみを思い出すたびに、王女は不安になりました。そのたびに、エレナのための品々が増えていきます。

 エレナはもうじき十六才になります。約束の時が近づいています。

 王女は宮殿の部屋にベッドをしつらえました。春の王女に頼んで、タンポポの綿毛がぎっしり詰まったふわふわの寝具を用意しました。

 ほかにも、小さなたんすや椅子にテーブル。着替えの侍女用の服は、秋の王女にお願いして作ってもらいました。白い絹で作られた侍女の服はふわりと軽く、それに合わせて王女は襟のレースを編みました。


 いつの間にか、王女はエレナに是が非でも侍女になってもらいたいと強く思うようになりました。

 エレナの気が変わらぬうちに時が経てばいいと日々願ってばかりいました。


 白鳥たちは伝えます。

 アレシュとエレナは人目を忍ぶようにして、会っていると。

 仲むつまじく肩をよせ合っていると。


 十五になったエレナは、顔のあばたは目立たなくなることもなく、そのまま背の高いりっぱな娘になっていました。


 いつもとは違い、大き目のかごを離宮へ持って来ました。

「花嫁のべールを編むよう、言い遣いました」

 それは、純白のレースの糸で細かく編まれた美しべールでした。王女も思わず息をのみました。

「これは、おまえが?」

 はい、とエレナはうなずきました。エレナの技は、一足飛びで高みへと達していたのです。細い糸を針を巧みにうごかし細かい模様を編み上げていきます。目を凝らすと、それは王女が編む雪の結晶の意匠でした。

「王女さまの作られる結晶いじょうに美しいものを知らないので……すみません、勝手に編むなど大それたことを」

「かまわぬよ。これだけの腕前になろうとは」

 王女の言葉に、エレナはほっとしたようにため息をつきました。

 二人はいつものように編み物をしました。王女は雪を、エレナはベールを編みます。

 いつもなら、おしゃべりが止まらないエレナは口数少なく、手を動かします。

「花嫁は、誰?」

 弾かれたように、エレナは顔をあげました。

「ア、アレシュさまの……」

 言うなりエレナは息が詰まったように、口を閉ざしました。

 アレシュはエレナよりも一歳年下です。ずいぶんと早い婚儀を王女はいぶかしく思いました。

「きゅうな話なのか」

「いいえ、ご婚礼はまだまだ先なのですが。これの他にもドレスにもレースを使いたいと奥さまに命じられましたから。なので、早くから準備を」

 取り繕うにようにして、エレナは早口になりました。レースを掴む指がふるえています。

 王女はエレナの荒れた手を、赤くひび割れた指を取りました。

「……こんな指先に糸が食い込んだら痛かろう」

 両の手に包んで、王女はエレナの手をいたわりました。これほどまでに上達するまで、エレナはどれほどの時間を費やしてきたのか、王女には推し量ることができました。

「おまえはよい娘だよ」

 エレナは青い目を見開きました。唇がわななき、涙が一滴頬をすべりおちました。

「もったいないお言葉です」

 エレナは涙を指先ではらいました。と、その指の傷がすべて治り、まるで生まれたての肌のようにすべらかになっているのに気づきました。

「これは……」

「おまえが編み物へかけた時間への褒美だよ」

 エレナは両手を目の前に広げて、じっと見つめていました。エレナの指は白く長く美しいかたちをしています。

「……エレナ、おまえが侍女になったなら、そのあばたも全て消してあげよう」

 夢から揺り起こされたように、エレナは王女を振り返りました。

「王女さまも……」

 エレナは急に帰り支度を始めました。レースを静かにたたみ、かごへとしまいました。ショールを肩に巻き、立ち上がりました。

「エレナ?」

「王女さまも、やはりわたくしの顔が見苦しいと思われるのですね」

 エレナはお辞儀をすると、振り向きもせず足早に離宮から去っていきました。

「エレナ!」

 王女の声は虚しく森に響きました。


 次の年、エレナは約束の十六才になるのです……。





 

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