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 女の子と出会って、二日ほどが経ちました。

 王女は塔の中で、レース編みをしていました。雪の形の六角形をいくつもいくつも編んでいきます。王女が晩秋の朝もやを紡いだ細い細い氷の糸を、銀のかぎ針で編んでいきます。淡雪のような雪の結晶が王女の膝に広がっていきます。誰も気にとめないでしょうが、王女のささやかな楽しみです。

 編んだレースは、白鳥たちが空で放つと粉雪となって山々に降ります。

 小さな手仕事をしながらも、王女は先日の女の子のことを思いました。

 あばたを散らした顔に王女に向けた素直なまなざし、冬が好きと言ったときのはにかんだ笑顔。

 月虹(げっこう)の魚は湖に戻ったと白鳥から聞き、女の子が約束を守ったことも知りました。

 もう会うこともないだろうけれど、冬が好きという女の子の言葉は、王女の胸に小さな灯りをともしたのです。

 すると、窓からまた白鳥が一羽やってきました。白鳥は王女に告げました。

 あの女の子が、また離宮へ向かうように雪原を歩いていると。

 王女はいぶかしく思いましたが、編み物を置くと案内の白鳥に付き従って塔から飛び立ちました。


 今日は先日よりもよい天気ですが、ゆうべ降った雪で離宮までの足あとは消えています。空から見る女の子は、二三歩進んでは立ち止まり、また歩いては立ち止まりなかなか先に進みません。

 王女は雪の上にうずくまる女の子の前に降りたちました。

 ボロボロのオーバーを着てうなだれる女の子は、まるで鼠のようにも見えました。

「……おまえ」

 誰とも話すこともない王女の声は、へんにかすれていました。女の子がゆっくりと顔をあげました。

「王女さま」

 泣いていたのでしょうか、目が真っ赤になっていました。女の子はあわてて目をこすると立ち上がりました。また小さな桶を持っています。

「魚は無事帰ってきたと白鳥から聞いたが。まだなにか用か」

「魚を逃がしたことをしかられました」

 王女は眉をしかめました。

「それで、また捕まえて来いと命じられたのだな」

 ほんのいっとき、見られるだけでは満足しないのか。もしかすると、女の子には戻ってきて欲しくなかったのかも知れないと思い至ると、王女はこめかみをひきつらせました。

 王女の声音からいらだちを感じ取ったのか、女の子は首をすくめてうつむきました。

「なんと無情で強欲な。そのような者は(わらわ)が氷詰めにして魚とともに湖に沈めてやろう」

「いいえ、いいえ。ご領主さまは、ただアレシュさま……お孫さまを喜ばせたかっただけなんです」

 今にも白鳥に姿を変えそうな王女に、女の子はすがりつきました。その拍子に大きすぎる手袋が落ちると、あかぎれだらけの手があらわになりました。

「わたし、お役にたたないとご領主さまのところにいられない。わたしには父さんも母さんも、帰る家もないから、だから『いらない』って言われたら……」

 女の子の青い瞳に涙がもりあがり、あばたの頬を流れました。

「だから、言われたことがやれないと……いつも役たたずだから。畑仕事もできないし、みっともない顔だからおもてにも出るなっていわれるし」

 王女のドレスを掴んだまま、女の子は涙をぽろぽろとこぼし続けました。王女の手は所在を失い、ただおろおろと上げたり下げたりしましたが、やがて女の子の頭を優しく抱きました。

「おまえ……妾の侍女となるか」

 女の子がぱっと顔をあげて王女を見つめました。自分で言っておきながら、王女はひどく驚きまばたきを忘れました。

「わたしが、王女さまの侍女に……?」

 王女はひたむきな女の子から視線をそらせて、ともに来た白鳥を見つめました。白鳥もまた目をぱちくりとして首をかしげています。

「で……でも、泣き虫はいやだわ」

 取ってつけたような言葉を王女は口にしました。

「泣きません、もう泣きません」

 女の子はオーバーの袖口で顔をごしごしとこすり涙をぬぐいました。

「おまえ、字の読み書きはできて?」

「……すこししか……」

 王女は喜び半分、落胆半分で肩から力を抜きました。女の子があきらめてくれたらいいと。

「では、無理ね。寝る前には侍女には本を読んでもらいたいから。それに、編み物も得意でないと妾の手助けにはならないし……」

「読み書きは、おしえてもらいます。編み物、れんしゅうします」

 胸の前で手を固く握り、女の子は瞳をきらめかせました。あばたが広がる顔ですが、目鼻立ちはとても整っています。素直な気質であることも魚のことで分かっています。

 ほかの季節の王女たちのように、侍女がいたならと思わないでもありません。

 王女は女の子の肩に手をのせ、腰を落とすと目線をあわせました。

「ならば、つぎの冬におまえの首尾をみせてもらおう」

「しゅびを?」

「ええ、どれほど出来るようになったのか、確かめさせてもらう」

 できるか、と王女はもう一度少女に問いかけました。もう女の子は泣いていません。

「はい、王女さま」

 はっきりとそう答えました。王女もうなずき、女の子の手を取り並んで歩きだしました。

「おまえ、名はなんという。年はいくつだ」

「エレナともうします。十一才です」

「エレナ、魚を授けよう」

 では、と言うなり王女はエレナを小脇に抱えて、雪のうえに浮かび上がるとそのまま宙を走りました。

 女の子は歓声をあげて、王女と手をつなぎともに走りました。風をきり、雪を舞い上げて二人は離宮まで一足飛びにかけていきます。その後先(あとさき)を白鳥たちが飛んでいきます。

「すてき、すてき!」

 エレナは頬を赤くして空を見あげています。王女は長い銀の髪をなびかせ、ドレスの裾をひるがえして風の中で寂しげにほほ笑みました。

 王女の『所業』を見たなら、エレナは侍女になりたいとは言わないだろうと思ったからです。


 湖につきました。エレナの息は弾んだままです。前と同じように、王女は月虹の魚を桶に取ってきました。

 そして桶をエレナの前におくと、大きく息を吸いました。

「よく、見ておいで」

 王女は桶の上に手をかざしました。桶の中の魚は青いうろこをきらめかせて泳いでいます。けれど、かざした王女の手のひらが光り出すと、徐々にその動きが鈍り始めました。それにしたがって魚の身は見る間に透明になっていきます。

 ぱしゃん。

 一度だけ桶の水がはねました。

 すると、王女の手の中に氷の粒が生まれていました。

「ほら、これを持っておゆき」

 桶の水はなくなり、ただ水晶で彫られような魚がありました。鱗は金と銀の線で縁取られ、わずかに青みがかって見えます。

「命はここに」

 手の中の氷の粒を王女はドレスに加えました。怖がらせたかも知れない……けれど、もしも嫌だというのならそれでもいいと王女は思いました。

「ありがとうございます」

 淀むことなくお礼を述べたエレナに、王女は理知のきらめきを感じました。

「……この魚は命を王女さまに預けたのですね」

 大切にします、とエレナは王女のドレスの氷の粒を見つめて言いました。

「妾は恐ろしくないか」

「怖くありません。王女さまは他のどなたよりも美しいです」

 背筋を伸ばし、桶を下げたエレナはもう泣いていた女の子ではありませんでした。

「いっしょうけんめい、字を習います。編み物のうでをみがきます」

 王女もまたうなずき、心を決めました。

「なれば、おまえが十六までに首尾よく仕上がったならば、妾の侍女となるがよい」


 エレナは王女と約束をしました。



残り一話の予定です。

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