Chapter 1-7 Day After Day
無数の星が浮かんだ夜空の下でシナロア州クリアカンの空気はとても冷えていた。
大きな高層ビルは少なく深夜まで営業している店も少ない。
どこの通りの店もシャッターやまるで刑務所のような鉄格子で正面を閉じきっている。
道路には路上駐車された車も少なく閑散としているおり、空き缶と紙屑でイルミネーションされた歩道は野良犬ぐらいしか利用していない。
そんな清純な街では夜空が広がる景色を妨げるものは何も無い。
カルテルによる麻薬戦争下のクリアカン。殺人発生率が異常なまでの高さを誇るため真夜中の町を出歩くものは少ない。
本当に静かな夜と言える、だがその静かさが平和で平穏なものによるとは限らない。
それを一瞬で示す様な風景が街の中にあった。
州宅街の一角にあるアレクセイ・サハロフの住む家、彼ほどの若い男が1人住むには大きすぎる程の家。
その白い邸宅にある集団が近づいている、全員やや低姿勢で周りを気にしながら歩いていた。
人数は7人でバラバラな背格好ながらも皆ラフな服装、黒いパーカーや乱雑な柄のTシャツ。
さらに全員が銃を握りそれらは拳銃からショットガンなど統一感が無い装備だった。
柵を越えて二手に分かれると表の集団は正面ドアに群がり、もう一つは裏口へと向かった。
彼らは若くしてのプロであった、専門技術も多く持ちそれらは開錠技術も含んでいた。
黒い塊にも見える若者たちの集団は扉に近づく、1人が自前の加工した針金の様なものを鍵穴に突っ込み数秒で扉は屈服し開放した。
例えこれほど豪華な家だとしてもここでは珍しくないセキュリティであればその対策は容易に練られてしまう。
2つのグループは家の中に入るとバラバラと散らばっていく、まるで流し込まれ水のように。
彼らは銃を手に視線を巡らす。
暗い夜であっても白を強調した家の内装は外観にも劣らず豪勢な雰囲気を持っていた、その中で完全なストリートギャング風の男達が踏み込む絵は明らかな強盗被害の典型だった。
だが彼らの探しているのは金目の物でなく、手では触れられないが壊すことができるモノ。
「 hasta(上だ)」
3人は1階を探し残りの4人が本命である2階へと上がっていく、上を調べるメンバーの内3人がリビングの大きな階段を上がっていきもう1人が奥にある別の階段へと回る。
リビングからの階段で2階に上がると左手にすぐ大きな物置がある。そして右手には1階との吹き抜けを遮る柵とその向かい側の2つのベッドルーム、またそれらに挟まれた廊下。奥にもまた1人が向かっていった階段が見える。
裏の階段に1人、物置に1人、そして各ベッドルームへと彼らは入っていく。
リビングの階段から1番遠い場所にあるベッドルームの扉を男が押し開く、男は襟が黒ずんだ白いTシャツを着てうねった嫌な艶を纏った髪を下げていた。
部屋の中は机と本棚、そしてロッカーという殺風景なモノ。
そしてその扉から真っ直ぐ先にベッドがある、毛布が中央から少し脹らんでいる。今は深夜の0時過ぎ、ベッドの中で人が静かに眠っていて当たり前であった。
男が浅黒い肌の顔で口端を僅かに歪めると伸ばした腕をベッドに向けながら、部屋へと踏み込み始めた。
その腕の先には6インチコルトパイソン、かつて美しいシルバーのボディを持っていたであろうが今では随所に錆びがある哀れな姿の銃が収まっていた。
部屋の中はカーテンの隙間から差し込む僅かな月明り以外の光源は無く真っ暗。
ベッドへと視線を定め男が部屋に入る、腕は真っ直ぐに視線の方向へと伸ばしたまま。
だが突然音もなく扉の影から伸びた右手が銃を持った手首を強く握り、引き込む様に部屋の奥へと引きずられる。
そして、一瞬で飛び出した左手の掌底が肘関節の真横を強打し関節は完全に不自然な方向へとへし折られた。男は余りの激痛に叫び声を上げると同時にパイソンを取り落とす。
扉の影から姿を現したアレクセイは肘を破壊した右手をさらに伸ばして襟をつかむ、続けてなめらかな動きで腿を上げ膝蹴りで男の鳩尾に打ち込んだ。男は呼吸ができない程の衝撃から体をくの字に曲げ頭が下がる。
今度は頬肉を削ぎ落とす勢いで右手で捻りを加えた掌底を顎に打ち込んだ、男は眼球をぐるんと回し白目になると意識は完全に消失した。
扉の背後に隠れていたアレクセイはグレーのTシャツにジーパンという恰好だった。
彼は直ぐに部屋の外へ向き直し黒いジーパンと腰の間に挟んであったサファリアームズ製マッチマスターを抜く、顔の前でスライド後部を包むように握った手でスライドを少し引き薬室内の45ACPホローポイント弾を確認する。
それから振り返ると足で先程の男を押し上げて仰向けにし喉仏に向けて踵を勢いよく踏み降ろした、ゴキンッという音。舌骨と甲状軟骨が骨折しトドメを刺す。
既に侵入者の叫び声は家中に響き確実に他の連中までもが向かってくるはずだった。
マッチマスターを両手を曲げ顔の近くで構え部屋の外の左右を覗き込む、姿は見えないが幾つもの何かが動く気配がする。
そして部屋を出ると右手にある扉が開いてたままの物置にマッチマスターの照準を向けながら慎重に歩いていく。
だがその時背後から「ギシギシ」と階段の軋む音が鳴る、その瞬間アレクセイは振り返り真っ直ぐに腕を伸ばし床から生えたように見える頭部に向けて二発発砲した。しかし弾は頭部にあたらず階段を上がっていた男の鎖骨と胸部中心に着弾。
胸骨柄の破片と先端が花の様に開いたホローポイント弾を浴びた心臓は破裂し体内で真っ赤な爆発が起きて男はショック死する。
だがアレクセイが振り返ったと同時に背後の部屋からSIGP230を両手で構えたドレッドヘアーの男が彼の真後ろに姿を現した。
そこでアレクセイは階段に向けて振り返った勢いのままもう一度やや頭を下げながら身を翻し、左手からその前腕へ流れる様に相手の銃を握っていない手の甲を添えて射線を逸らした。
そして男の銃を構えた両腕の間に左腕を差し込み相手の手首を脇に固定する、そのままアレクセイは回転を続け外側に体を捻りながら腕を広げると男は固定された腕に引きずられて体勢を崩す。そのままアレクセイは男の胸に向けて発砲、さらに被弾し倒れる勢いも利用し反時計回りに男を振り回して壁へ叩き付ける。
すると今度は物置の奥から大柄な男が姿を現す、様子を伺っていたため動き出すのが遅かった。男は慎重にやや猫背な姿勢で手には太いサイレンサーが取り付けられたM10を構えている。
撃った男を叩き付け壁に向かっていたアレクセイは横目で大柄な男を見据えたまま、素早く胸の前で抱くように構える――CAR(Center Axis Relock)システムにおけるHigh positionの構えをとりマッチマスターを発砲。
弾は下腹部に命中し腸を引き裂いて貫通す男はその衝撃で壁に寄りかかった、続けてアレクセイは両腕を伸ばしながら肘の関節をやや曲げて構え直して頭を撃ち抜く。
かつて男の鼻があった部分が陥没した頭は壁に叩き付けられるとその勢いで中身――脳漿や骨片と血液――が吐き出されて壁に降り注ぐ。
だがそこで不意にアレクセイの体が宙に浮く。
背後で先程の撃たれた男が突進しながら抱き抱えるように彼を持ち上げていた、男の心臓は醜くひしゃげた45ACPを受けて破れ大量の出血を起こしていたがアドレナリンの力を借りて反撃してきたのだ。
アレクセイは体をよじりなんとか腕から抜けようとしながら背後に銃を向けようとするが、男はアレクセイを抱えて咆哮を上げながら走り出し白い柵を打ち壊して吹き抜けへと突っ込んだ。
そのまま2人は1階、玄関前の中央に落下する。
アレクセイは床に叩き付けられその衝撃から目を見開いて一気に肺の中の酸素を吐き出してしまう、しかし男も落下の衝撃を受け掴んでいた腕が外れた。
「 Este hijo de puta de mierda(このクソ野郎!)」
そこで一緒に落ちた男は先に動き出し彼に掴みかかる、しかしすかさずアレクセイは体を捻り振り下ろす様に肘を勢いよく男の顔面に叩き込んでからマッチマスターを額に突き付けて撃った。
弾丸と共に噴出した火薬粉が射入孔にこべりつき皮膚を焦がし、反動であんぐりと口を開け額に穴が穿たれた頭が床でバウンドした。
アレクセイがすぐ転がるように起き上がり膝立ちになった直後彼の眼前にある壁の裏から足と銃身が僅かに覗いた、咄嗟に壁に向けて撃ち込むと当たらなかったものの足と銃らしき影は引っ込んだ。
しかしそこでマッチマスターは薬室をさらけ出しスライドが後退したままになった。
アレクセイはマッチマスターから手を離し落とすと立ち上がって背後の壁に身を隠そうと走りこんだ。
するとそこには今にも飛び出そうとしていた若い――それでもアレクセイよりは年上だが、オドオドした調子の――男がダブルバレルショットガンを向ける為ハイレディポジションから振り下げようとしていたところだった。
アレクセイはそのまま突っ込むと右手でバレルを、左手でストックの根本を相手の手首下から掴む。
男は反射的に引き金を引き轟音と共に天井が大きく抉れた。
そしてアレクセイは右手を強く押し出し銃身を男の顔に打ち付けると一瞬の間にショットガンを捻り奪い取る。
だがその時猛スピードで太鼓を連打する様な音が響き渡り壁の随所から粉塵が巻き上がった。
壁の向こうで病的なまでに痩せ細り眼の周りが窪んだ薄気味悪い男がM10を壁に向け乱射していた。
壁を突き抜けた9mm弾はショットガンを奪われ強打された顔を押さえた若い男の体中に突き刺さり愕然とした表情で膝から崩れ落ちる。
同時にアレクセイも被弾し吹き飛ばされる様に倒れこんだ、微かに呻き声を漏らしながら彼は自分の腹に手を当てるとそこには濡れた感触があった。
だが傷を見ることも無く手に着いた血液をズボンで拭うとショットガンを床に押し当てて立ち上がろうとした。
痩せた男は長いマガジンを引き抜き再装填を始める、M10は毎分1250発の連射速度により一瞬の発砲で弾切れだった。
アレクセイは壁から離れようとしながら視線を部屋の奥へと向けいていると突然SIGP226を構えた刈り上げ頭の男が奥の曲がり角から現れ、驚愕の表情を浮かべて拳銃を振り上げる。
そこですかさずアレクセイはショットガンを立ち上がる直前のしゃがんだ姿勢で男に向けて撃ち込む。
散弾は股関節付近に集まって命中しダブルオーバックが股関節を砕き周囲に爆散する、大腿動脈は切断されて溢れる様に出血し散弾と骨片は膀胱や腸も突き破りながら体中に潜り込んだ。
男は「ギャッ!!」という奇怪な叫び声を上げてメトロノームの様に横へ倒れて突っ伏した。
男の股間接付近は乱雑に肉の花が咲き白い骨が筋肉繊維と血管と共に覗いていた、それでも銃は手離さずに仰向けの状態で下半身を引きずっていた。
アレクセイはショットガンを捨て腹部の痛みを無視すると低い姿勢で食いしばった歯を剥き出しにし、ミサイルの様な勢いで走り出した、そして素早く荒らされた部屋の床から転がっていたプラスドライバーを掴むと男に向かって飛び込み男に馬乗りする。
その突っ込んだ勢いの左手で男の顔側面を床に押し付け肘で拳銃の射線を逸らす、そしてドライバーを耳に斜め上の角度を狙い突き刺した。ドライバーは一瞬で皮膚、頭骨そして大脳を貫通し脳幹に突き立てられ男の顔は時が止まり、動きは完全に静止した。
アレクセイは死体からすぐに降りてSIGP226を拾い上げると先にある曲がった廊下の先の部屋に飛び込んだ。
体勢を立て直してから勢いよくP226のスライドを引き1発だけ薬室から吐き出させて次弾装填、すぐさま影から銃を突き出し肩まで覗かせると寸前までアレクセイがいた場所に飛び込んできたM10を構える男へ9mm弾を叩き込む、だが男は瞬時に彼の動きに反応し元の場所へ身を翻して戻っていった。
P226を8発撃って隠れたアレクセイの隠れている壁から粉塵が撒き散らされその中から弾が飛び出しす、引き金を引かれたM10の角ばったボディから金色の薬莢がザラザラと吐き出され床に散らばる。
アレクセイは姿勢を低くし銃撃をやり過ごす。
数秒で銃撃が止み男は素早くマガジンを再装填した。
静寂な空気が硝煙と共に漂う。
アレクセイと男の間には玄関前の二階まである吹き抜けの空間と壁が隔てられていた。
男はM10をストックも出さずに猫背で顔の高さに構えて壁から覗き込み、視線の先の曲がり角を凝視し続ける。アレクセイは両肘を大きく曲げP226を胸の前で保持して壁に張り付いていた。
男に向かって左から行けば全く障害物のない広いキッチン、あるとすれば先程の死体と弾切れのショットガン。右からリビングを抜けていけば吹き抜けを回り込む様な形で男に近づける。
落ち着かない様子で男は右の通りから左の通りへとせわしなく視線を振り回す、冷や汗が全身から滲み、背中にシャツが張り付いていた。
アレクセイは意を決して気配を押し殺し靴底を床へ押し付けるように左のリビングへと進んでいく。
少し進んだところで、テーブルの上からコップを取った。
顔を出すわけには行かず、聴覚で気配を探る。
時折男が足を動かし、薬莢に当たった音が聞こえる。
そして、アレクセイはギリギリにキッチンのある部屋に入るよう、コップを投げた。その瞬間、素早く動き出す。
床に叩き付けられ「ガシャン」とガラスのコップが割れる
男が反射的に音の方向に発砲した。その狙いの先で、壁が一瞬に穴だらけとなる。
アレクセイは前腕を縦にして、右ひじを顔の高さ上げ、両手で顔の近くにP226を斜めで構えた。握る右手と左手で親指の腹を突き合わせている。
最低限の体面積だけを、曲がり角から覗かせながら進んでいく。
男は発砲後、すぐに罠だと気が付き視線を左へと振った。
姿勢をやや変えて銃を縦に構え、覗き込んでいたアレクセイの頭部と、拳銃の銃口が同時に姿を現した。
男は素早くM10を向けようとする。だがそれよりも早く、視線とリンクした射線で男を捉えて撃った。
壁の影から3発。胸の中心に撃ち込んでいく。弾痕は逆三角形を描いた。男は信じられない様な表情を真っ先に浮かべたが、すぐに苦悶の表情で体を被弾の反動で振った。
アレクセイは最初に胸の左側を撃ち、その反動でM10の射線を逸らした。さらに2発、心臓を狙う。そして、腕を影から頭部に向けて突き出し、頭がブレる間も無く素早く2発撃ち込む。
まるでフロントサイトに載った様に、視界の中で映る男の顔面が「ボコンッボコンッ」と窪んだ。
男は膝から力が抜け。僅かに後方に寄った重心から、仰向けに倒れた。
9mm弾の小さな薬莢が床に衝突していき、その薬莢の中から小さな金属音が響いた。
男の頭部から血液が逃げ出すように溢れ出し、床に広がっていく。
血液が染み込み、玄関前のカーペットは黒ずんでいった。
アレクセイは静止した。冷や汗が額から流れ、息が荒くなり肩を大きく上下させながら呼吸する。すでにシャツの下腹部は出血で真っ黒だった。
おぼつかない足取りでリビングの方へ戻っていく。近くにあった木製で背の高い椅子を引きずり、倒れる様に腰を落として座る。
傷に手を押し当てるが出血が止まらない。体の震えも増していき抑えることができない。
頭が重くなり、思考がゆっくりと沈むように曇っていく。
だがアレクセイは、銃を握り続けている。指はトリガーから外されているが、ちょっとした拍子に引いてしまいそうだった。
ぼんやりと視線が虚空に浮かぶ。元々白く陶磁器の様な肌が、もはや生気の無い不気味な白へと変わっていく。
段々と彼の顔に影が掛かり始める。
アレクセイの邸宅前に黒く重いボディのSUVが、黄色い砂粒を吹き飛ばしながら停車した。
同時に3つのドアが開く。すると砂埃が晴れていき。黒い革靴が2足、足首に小さなベルトが付いたショートブーツが1足地面へ降りた。
黒いスーツを着た2人の男達、そして背の高いシルエットの女性が現れる。
長身に長い銀髪の女性は、グレーのスーツにスカートの上から、真っ白く襟元にファーが付いたコートを羽織っている。
銀色の長髪が夜風で微かに揺れていた。
女性がポケットに手を突っ込んで家を見上げていると。男達は銃――KPOS―G2というキットを装着しカービン化させたグロック18c。そしてケル・テックのKSGにホロサイト、フォアグリップを取り付けたもの――を構える。そして、アイコンタクトし邸宅へと進んでいく。
玄関の扉が開いていることを確認し、中へと進んでいく。
男達は照準を巡らせ警戒している。血と硝煙の匂いを感じて眉を顰めていった。
それに続くようにヘレナは歩いていくが、反対に全く警戒した様子は無かった。彼女の勘が、この場の争いが既に終結していることを告げてるのだ。
彼女は玄関を潜り二階への階段前で立ち尽くす。男達は2人揃って二階を睨みつける。
ヘレナの足元には頭に穴が開いた男の死体が転がっていた。
彼女はストッキングで覆った、健康的に脂肪と筋肉で構成されている足を曲げてしゃがみ込むと。人差し指、細く白い指を艶のある爪から頭の窪んだ弾痕――射入孔――にゆっくりと差し込んだ。
「グチュグチュ」と嫌な、生理的嫌悪感を催す湿った音が聞こえる。
頭の中はまだ体温が暖かく保たれていた、死んで十分も経っていないことが分かる。
男達は目を合わせ、お互いをカバーするポジションに着くと二階へと上がろうとする。
だがそこで、「ガシャン」と金属塊が床に落ちる音が一階の奥から聞こえ。男達が一斉に照準と視線を動かした、ヘレナもそちらへ顔を向ける。
2人がお互いの死角をカバーしならがら一階の奥へと進んでいく。 グロックとKSGのストックを肩付けし、人差し指の腹はトリガーの側面を撫でている。
そこで不意に彼らが立ち止まり、同じ方向に銃口を向けた。
ヘレナが近づくと二人は離れる。彼女は隙間に入っていきその光景を見た。
男。だが青年というには若く、少年というには成熟したオーラを纏った存在が背の高い椅子に座り込んでいた。
真っ黒く澄んだ髪は肩に触れないほどに長く。その髪の側面は流れる様に美しくうねっていた。
ヘレナが視線を降ろしていく。彼の止血しようとした左手は赤黒く、右手は脱力しその指先には拳銃が落ちている。
アレクセイが気配に気づき、顔を僅かに動かした。
彼の眉は細く、長いまつ毛は整い。その下には形の良い唇が僅かに隙間を開け、酸素を欲して揺れていた。
だが彼の蒼い目には光は少なく、浮かんだ生気は弱々しかった。
状況からは明らかに、彼が自宅への侵入者を皆殺しにしたと判断できた。だが彼自身を見ると、誰しもがその判断に迷いを生じさせた。
ヘレナは2人を差し置いて、アレクセイへと歩み寄っていった。
「お姉さんは誰?」
アレクセイが声を絞り出し、質問した。
「私はヘレナ・モグリッジ。ちょっと、良いかしら? 」
ヘレナが死にかけの人間に対しての発言にしては違和感を感じざる負えないほどに、落ち着いた物言いをした。
「これは全てあなたがやったの? 」
完全に無駄な質問だった。ヘレナが微かに取り乱し、反射的な質問をしたのだ。
彼らは確信していた。この惨状を作り出した存在はコイツなのだと。
「……」
彼は黙って目を見つめ返す。肯定も否定もしない。
だが、ヘレナ達は彼に用があって、この地に来たのではない。彼らはある人物を、彼らの組織に勧誘する為にここ来ているのだった。
「あんたは……レオニード・サハロフの関係者? 」
レオニード・サハロフという人物。以前、最強と謳われた殺し屋。 主にヨーロッパで活動していたが、ある事件を切っ掛けに裏社会から姿を消していた。当然、表の世界からも。
偶然にもヘレナ達は彼の所在を知り。はるばるメキシコの地にまで訪れ、勧誘し雇おうとしたのだ。
泥沼の抗争にあるラーズヴァリーヌでは、彼の様な人材は貴重なのだ。
「レオニードは……僕の、父親です」
「では、あなたの父親は何処に? 」
「最近、亡くなりました」
少し間を挟んで答えた。
「それは悪いことを聞いたわね。でも、なぜ亡くなったか教えてもらえる? 」
アレクセイは目を逸らさない。
「わかりません。僕は、父さんが死んだという事を聞いただけです」
父親の死に対して素っ気ない訳でもない。相当に警戒しているのだろうか、彼の声に悲しみは感じられなかった。
これで彼らは無駄足を踏んだことになった。これでもう、目的は果たせないことが分かったのだ。
だが、ヘレナに落胆も苛立ちの感情も湧いてきていなかった、寧ろその逆。彼女は大きな期待を抱いた。
「ねえ、あなたはどう? 」
「どう……って? 」
彼は僅かに眉を下げ、困惑の表情を浮かべる。
ヘレナは確信していた。彼は父親と同じ者だと。
「私は今、あなたを雇おうと考えているの。イヤかしら? 」
男達が銃口を若干下げ、顔を見合わせる。
「でも……僕は……」
「あなたはこのままだと死ぬだろうし。たとえ生きていても、警察によって拘束されるでしょうね。そうなるとこれから大変よ? 」
アレクセイが立ち上がろうと、足に力を込めようとしたが。穴の開いたタイヤに空気を入れるように、自然と力が抜けていった。
実際の所、彼は危機的状況だった。彼自身が瀕死であり。状況的に見て警察に拘束されれば、二度とこの家に戻ってこれないのは違いなかった。
そして、彼はなんとか頭を動かし考えていくと、一つの結論に達した――――。
彼をこの家に縛りつけるものは、何も無かったのだ。
今まで父親は死に、ただ選択肢が無かったから残っていたのだ。
「僕は……今どうすれば良いかわからない。だから、もし僕を必要としてくれるなら、それに従う」
アレクセイは顔を上げ、僅かに身を乗り出しながら答えた。
「ありがとう。そして、ようこそ。クラスニー・クルーグへ」
ヘレナが目配せすると、男達は銃をスリングで肩に掛けアレクセイを邸宅から連れ出そうとする。
「そういえば、あなたの名前を聞いてなかったわね」
「アレクセイ、アレクセイ・サハロフです」
「そう、なら私はアリョーシャって呼ばせて貰うわね?」
彼女はそう、微笑みながら言うと。アレクセイは戸惑いの表情のまま車に乗せられていった。
ゆっくりと車へ歩いていくと、遠くからサイレンが聞こえる。
――彼、相当派手にやったのね――
彼こそが本物なのだろう。殺しを目的とし、生きる為でも強要されたのでもなく。必要とされる殺しだけを果たしてきた者。
彼はこれまでもそう生きて、これからもそう生きるのだろう。
そう、殺しと共に《Along with the killing》。
車から夜空を見上げ、ヘレナは僅かに微笑むのだった。