Chapter 6-1 Battle Royale
四年前、ベラルーシのとある都市。
殆ど歩く人間の姿が無い寂れた街の道路、そこに一台の車が走っていた。この街では珍しく目につく新車、錆びも無ければ凹みも無い、どのガラスも割れておらずしっかりと収まっている。それでも車はロシア製の車両によくみられる小さく、直線部分が多い武骨なデザインだった。
車の後部座席には小さいサイズのジャケットにすっぽり体を収めたアレクセイが座っている。暫く切られていない黒髪の毛先が眼前で揺れ、その奥に見える碧眼は動きがほぼない。
彼は背中をシートに預けて力を抜き、手だけを動かしてタオルを揉んでいた。タオルは段々と赤く染まっていき、代わりに彼の皺の無い小さな手から赤が拭い去られて白い肌が見え始める。彼の隣にはマカロフPMと予備弾倉一本がシートの上に転がっていた。
粘り強くひたすらに手の血を擦っていたアレクセイだが、既にタオルは乾いて血を落とせなくなって諦める。そしてふと窓の外を見た、太陽も見えぬ灰色の雲が浮かぶ空、コンクリートから伸びるひびのような枯れ木、刑務所か病院のような灰色の壁に唯一の装飾であるスプレーの落書きが残る建物、そういった景色が淡々と後方へと流れていく。
アレクセイの外を見る眼球は流れる景色を追おうともしない、景色の前で静止したまま。
車はそんな彼を乗せたままひたすらに走り続ける。
この時アレクセイは車の目的地がわからなかった。以前住んでいた場所は既に荷物をまとめて引き払っており、荷物は新しい場所に送ってしまっていた。だからこの車がこれからどこに向かい、乗るとしたら次は列車か飛行機かも知らなかった。ただついさっき終えた仕事を最後にこの街を出る、レオニードに知らされたのはそれだけ。
仕事の疲れ、そして思考に泥を流し込んで動きを鈍くさせるような死んだ景色、煩わしい手の汚れ。それらから意識を逸らしたくなった彼はレオニードに質問することにした。
「これからどうするの」
前を向いて静かに運転していたレオニードがルームミラー越しにアレクセイを一瞥、そして表情変えずに再び前方へと視線を戻して答える。
「次の街に行く」
今度はアレクセイがルームミラー越しにレオニードの顔を見る、表情は車に乗った時から何も変わっていないように見えた、それどころか自分に向ける表情はいつだって冷たく死んだように静止している。
「前もそうだったよね、ずっと繰り返してる。いつになったら終わるの?」
彼は自分自身が何のためにこの殺しと旅の繰り返しの生活を送っているか知っている、だがそれがいつまで続くのか、そしてそのあとはどうなるかまでは知らない。
「終わらないさ。もし終わったと思ってもそれは大抵終わっていない、いつまでも続くし付き纏う」
――Chapter 6-1:Battle Royale――
夜の闇に浮かぶ街の光が豪雨によってぼやけている、幻想的で虚ろな街を人々が傘を差して行き交う。幻の様な街の中に人が流れる光景の中、ずぶ濡れの黒髪の間から力を込めた鋭い眼光を覗かせるアレクセイが、ナイフを握る虚ろな目を突きつける暗殺者と対峙する。
アレクセイの口元が激痛で歪み、引きつる唇の間から白く鋭利な歯が覗く。
相手はどう見てもヘロインか何かの薬物中毒者、痛みには鈍感どころか感じない恐れすらある。彼は素早くそう判断する。
下腹部に突き立てられたナイフを握る相手の左手を、右手で固く掴んでこれ以上押し込まれないようにする。そして左手を相手の顔面に向けて突き出し、鷲掴みするように人差し指と薬指で両目を押し潰した。フルーツゼリーのような柔らかい眼球は簡単に虹彩から指の侵入を許し、中のゼリーを溢れ出させた。
相手は突然の視界の喪失、想像しない部位からの想像を絶する痛みに小さな女の子のような甲高い叫び声を上げる。
アレクセイはさらに左手を下へと押し込み、同時に右手で相手の左手を捻り上げてナイフを手放させる、そして掌を上に向ける形で手首を曲げさせて関節を極め、強引にしゃがませた。
そこで相手の頭が彼の胸ほどの高さに降りてくる、両手を離して両目から血を滔々と流す頭を掴み、キャップを捻る様に首を一気に斜め上へと回して頸椎を折った。一瞬で叫び声は止み、硬直した体が水溜まりの上にバシャリと落ちる。
アレクセイは赤黒い血が夜の街の闇を写す水に溶け込んでいくのを見下ろし、それから周囲を見回してから直ぐ傍の路地裏に駆け込んでいった。
室外機が並びダクトが寄生虫の様に飛び出す路地の壁、そこに彼は手をついて激しく肩を上下にさせて息をする。腹を見るとスーツのジャケットとベストの隙間からナイフのグリップが突き出たまま。
このままにはしておけない、ナイフが刺さったまま動けば傷をさらに広げてしまう。
両手できつくグリップを握りしめ、慎重な動きで引き抜く。肩を壁に預けた彼はあまりの激痛に一瞬声を上げ、そして刃先がやっと体から離れた。軽やかな金属音を立て、刃が真っ赤に染まったナイフを地面に落とす。白いシャツに赤黒いシミが広がっていく、左手で抑えてみるとそこまで出血は酷くないことに気が付き彼は安堵する。
丁度その時内ポケットのスマートフォンが一瞬振動した、取り出してみると画面にはメッセージ一件の表示。開いてみるとそこには『死ぬ気が無いのはわかった、ならそのまま生きてろ』と表示されていた、送り主の名は意味の分からない文字の羅列でしかなかった。
するとその時路地の奥から三人の人影が現れてくる。
スマートフォンを仕舞うと力の抜けそうな両脚を何とか立たせ、左手を壁につくアレクセイが横目に三つの人影を見る。
そこには黒い革のジャケットを雨で濡らす髪を後ろにまとめた中国人が三人立っている、全員が無表情で拳銃を右手に提げていた。彼等はチャイナタウンの祭りの件でやってきたとアレクセイもすぐわかった。
「ま、待ってください!」
そう言って彼は壁に突いた左手の下から一瞬でドロウしていたグロック34を腹の前から二度発砲した。一発ずつ二人の中国人の腹に着弾、撃たれた者たちが緩やかなくの字に腹を曲げ、撃たれなかった一人は拳銃を持ち上げた。
アレクセイは二人を撃ってすぐにグロックを両手で握り直して最後の一人の胸と顔を撃ち、歩み寄りながら拳銃を持ち上げる残り二人の顔も撃った。
路地に銃声が轟いて隅々まで響き渡ってから彼は手元に視線を落とし、引き抜いたグロックのマガジンを見てみると残弾は無くなっている。空のマガジンを捨て、スーツのジャケットを捲って腰のマガジンポーチを見ると刺さっているのは一本だけ。彼はその最後のマガジンを装填し、スライドを軽く引いて薬室内に弾が残っていることを確認する。満タンのマガジンを装填して薬室にも弾丸があると、少し弾詰まりが心配になる彼だが、手入れの行き届いたこの銃ならその危険性は低い。それになにより今の状況では一発の弾丸も惜しかった。
土砂降りの雨が至る所に叩きつけられる騒音の中、離れた別の路地から男の声や走る音、ショットガンのフォアエンドを動かし、チャージングレバーを引き絞る音が微かに聞こえてくる。水溜まりを踏みつけて撒き散らす音が近づいてくるのが彼にもわかり、路地では遮蔽物も逃げ道も無いと判断して表通りに向かう。
突然眩暈を感じたアレクセイはよろめき、壁に手をついて立ち止まる。腹部の刺傷からは出血が続いている、それに彼は一日ひたすら戦い続けていたせいで体力も殆ど使い切っていた。
銃を握る右手で傷跡を抑え、グチュリという血に濡れたシャツの動く音が漏れる。
苦し気に俯きながら、少し開いた口から白い息を吐く、そして微かに呟いた。
『家に……家に帰らないと――』
右手に握ったグロックをジャケットの下で隠しながら表通りの雑踏に紛れ込み、辺りに視線と注意を張り巡らせて歩くアレクセイ。
するとその時内ポケットのスマートフォンが振動し始めた、左手で取り出すと画面には非通知の表示。
「はい」
『あなたが噂のアレクセイ・サハロフ?』
スピーカーの向こうから若い女性の声が聞こえてくる、それは十代かもしれないと彼が考える程に若く高い、高揚した声だった。
「噂は知りませんが僕はサハロフです」
静かに感情を殺した声でそう返し。彼は辺りを見回しながら、通りの人が多い場所をなるべく選んで進む。
『知らないの? あなたの噂はこの街のあたしたちみたいな連中に広まってる、愛と復讐のためにアルバニア人を根絶やしにしたロマンチストだって』
「……」
アレクセイは返答に窮した。彼自身噂を否定も肯定もできる程、目的と意思をはっきりさせていたわけではなかったのだ。
『そんな有名人の首に特別報酬が引っ提げられてたら、あたしたち以外もあなたを殺したくてしょうがなくなるに決まってる』
彼の背中に悪寒が走る。じっと見つめられているような感覚に襲われ、その曖昧な視線を突きつけてくる方向に目を向けた。
彼が見つめた前方には、裾の短い暗い青のコートを着てその下からチェックのスカートを覗かせた、長い茶髪の女子高生らしき人が立っていた。睫毛や唇には化粧が施され、まるでこれから友人と遊びに行くかのように着飾った女子高生。
だが彼女の足元には赤い傘が落ちており、一切気にかけない様子で髪は雨で濡らされている、そして手に握ったスマートフォンが耳に当てられていた。
アレクセイはその女性がベルトで肩にかけている、大きなバイオリン用らしき楽器のケースに視線を引き寄せられていた。
『ハロー。意外とかわいい顔してるじゃん』
口を動かしたその女子高生と目が合った次の瞬間、彼はスマートフォンから手を離し、すぐ左で通り過ぎようとしていた同じ制服姿の短い黒髪の女子高生、その左手首を掴んで背中に捻り上げつつ背後に回った。右手に掴んでいたグロックを左脇から覗かせて二発撃つ。彼が撃った先で茶髪の女子高生はスマートフォンを捨て、楽器ケースからSAIGRYライフルを取り出す。マズルとハンドガードが溶け合ったような特異なデザインのGRYライフルには、ケースに合わせてやや短い20連のマガジンが差し込まれていた。
だが彼女には二つの9mm弾が防弾ベストの上から胸に直撃し、吹き飛ばされるように仰向けに倒れ込む。
その時彼が腕を捻り上げた女子高生越しに別の銃声が二度轟く、同時に防弾チョッキにぶつかる音、女性の高い叫び声が聞こえる。アレクセイはすぐに振り返って、腕を掴んだ女子高生の膝裏を蹴りつけてしゃがませ、その下がった肩の上から右手を突き出して、拳銃を向けている別の女子高生の胴に二発撃ち込んだ。相手は拳銃を構えていた両手を大きく広げながら背後に倒れる、だが先程と同じように防弾ベストを着ていることからまだ生きている。
彼がトドメの三発目を撃とうとした時、盾にされていた女子高生が右手で彼のグロックを握る腕を掴みだした。アレクセイはすぐに左手で彼女の頭を、左側へと投げ捨てる様に突き飛ばす。
さらに彼は背後の動きを感じ取り、振り返りながら大きく右腕を伸ばしてグロックの銃口を向ける。だが彼の傍にまで忍び寄っていた新たな金髪の女子高生はそのグロックを握る手を左手で抑え、右手に握ったCZ P-10C FDEモデルの銃口を掴んだ腕の上から彼の頭部に向け、発砲する。
弾丸は彼の頭部の直ぐ上を抜けて地面を抉る。彼は発砲の直前にしゃがみ込んで、背後の女子高生の股間をスカート越しに左拳で殴りつける、相手は恥骨に走った衝撃で苦悶しやや前屈みになる。
アレクセイはその隙に下から相手の右手首を掴み、一本背負いで背中から地面に叩きつけた。同時に胸を押さえながら立ち上がる拳銃を持った女子高生の頭を撃つ、相手は頭皮と脳みそをぶちまけて頭を仰け反らせ、俯けに倒れ込む。
頭を撃たれた女の手から拳銃が零れ落ちるより先に、彼はグロックの銃口を投げた女子高生に向けたが、引き金を引く前に倒れたままに放たれた蹴りを頭部に受けて仰け反った。
咄嗟に左腕でガードした彼は、右手のグロックを足元の女子高生に向けようとするが直ぐに彼は引き戻す。その刹那に彼の手首があった場所を短刀の刃が振り下ろされた。
彼が盾にしていた短い黒髪の女子高生が右手に順手で短刀を掴んでおり、降ろされた刃を彼女から見て左から右へと斜め上へ薙ぎ払った。
薙ぎをアレクセイは倒れないギリギリのバランスで上体を逸らして避ける、刃が彼の首の皮膚を微かに削いだがすぐ体勢を立て直した。だが相手は上半身を使った薙ぎの動きを続け、体を回転させると頭を狙った右脚によるバックハイキックを放った。
アレクセイはすぐさま右腕と左腕両方で頭部をガードする、だがその衝撃でよろめいた。相手はキックを放ったのと同じような速度で回転して向き直り、続けざまに短刀の刃先を彼の腹部目掛けて突き出した。
銃口を向ける隙も無い至近距離の猛攻。アレクセイはグロックを握った右手を左から右へと振り子のように下ろし、短刀の刃を防刃スーツの袖越しに前腕で抑えて上向きの半円に回し、左手で相手の右手を掴み直すと小手返しに近い、手首と腕を開かせる形で関節を極める。
彼は動きを封じた短刀を掴んだ腕の上から右手を突き出し、咳き込みながらGRYライフルを持ち上げる女子高生の胸と下腹部を撃ってもう一度地面に倒す。そして立ち上がろうとする地面に投げた女子高生の胸も撃つ、だが顔を撃つ暇も無く右手を極められた女子高生が放つ左チョップを右肘で受け止めた。
相手はその隙に右腕を引き抜き、同時に一瞬の動きで短刀を順手から逆手に持ち替え、距離を取らぬままにフックの動きで右から左に短刀を振るった。それをアレクセイに上体の動きで避けられると、振るった右手を自分の下腹部の左横に引き、そこから逆手で斬り上げようとする。
だが彼は一気に踏み込み、女子高生が引いた右手の手首を掴んで腹に押し付けた。短刀を押し込まれて振るえなくなった相手にグロックの銃口を向ける。
相手は右手を押しこまれながらも左手で彼の右手首を掴み、銃口が顔に向かぬように渾身の力で動きを抑え込んだ。だが銃口は顔ではなくとも胸には向いていた。
彼は踏み込み続けて短刀を掴んだ腕を押し込みつつ、右手を掴まれているのを無視して至近距離から胸に三発叩き込んだ。二人の眼前でグロックの銃声が轟き、マズルフラッシュが煌めくと同時に薬莢が飛び上がる。弾丸は女子高生のコートの上から胸に直撃し、煙を上げながら三つの穴を開け、黒い防弾ベストにめり込んで止まった。
女子高生は着弾の衝撃で肋骨を骨折すると同時に肺を損傷し、両目を見開きながら、口から小さな血の雫と共に肺の空気を吐き出した。
その瞬間に彼の右手を掴んでいた手が緩んだ、だが右手を引き抜く間もなくアレクセイの背後から右のハイキックが放たれ、それは右側頭部を捉えた。破裂音が響き渡る。
地面に投げられて胸を撃たれていた女子高生が背後で立ち上がっており、そのままスカートを大きく翻しながら、ローファーを履いた脚でプロペラを彷彿とさせる速度の蹴りを振るっていた。
吹き飛ばされて地面を転がるアレクセイ。何とかグロックを握りしめたまま立ち上がろうとする彼の腹を、抉る様な追撃のバックミドルキックが叩き込まれ、その打ち上げられた体が壁に叩きつけらた。そして力んでしまった人差し指が引き金を引いて、最後の弾丸が空に消える。
コートの胸の部分に防弾ベストのプレートを覗かせた女子高生は、蹴りで吹き飛ばしたアレクセイを尻目に落としていたP-10を拾い上げた。
蹴り飛ばされた腹を抱えながら吐きそうになるアレクセイだったが、その状態のままスライドがホールドしたグロックを左手に持ち替え、顔を上げながらP-10を持ち上げた女子高生の顔面に勢いよく投げつけた。
後退したスライド後部の鋭利な部分に顔面を切られた女子高生は顔を抑え、そのままP-10の引き金を何度も引いた。
ポケットからナイフを抜いたアレクセイは相手の左側に寄り、射線から離れて一気に走り寄る。両手で構え直そうとした女子高生の右手首を左手で抑え込み、右手でナイフの刃先を顔に突き出した。だが相手は手を下げた左腕の肘でナイフを逸らし、彼の右腕を掴んだまま頭突きを顔に叩き込んだ。そして頭を仰け反らせた彼に、右手を突き出してP-10の銃口を顔に向けようとした。
アレクセイは鼻血を流し、唇の端からも鮮血を垂らしながら相手を見据え続け、伸ばされた右手を左手で外側へと大きく逸らした。続けて手の中で逆手に持ち替えたナイフを相手の右手首目掛けて斬り上げる。
刃が触れる前に逆手のナイフをすぐさま左手で掴んで抑えた女子高生は、一瞬だけ怒りの表情で至近距離から彼を睨み、すぐさま素早い左足のバックハイキックを彼の側頭部目掛けて放った。それは目の前で起きながらも、不意打ちのような急激で高速の動きだった。
やや低い風船の割れる音を彷彿とされる破裂音が響き渡った、それは持ち上げた左前腕でキックをガードしたアレクセイの腕と相手の足の衝突で生じていた。
彼はすぐさま降ろされ前に足を左手で掴み、続けて逆手のナイフで持ち上げられた右手首を引き裂き、右足で一本足立ちになっていた相手の右足を素早く払いあげた。
足を掬い取られるように払われた女子高生は、背中から真っ直ぐ地面に勢いよく落ちて叫び声を上げた。
相手を地面に落とした直後、アレクセイは刹那にナイフを順手ながら人差し指と親指で掴み、振り下ろして相手の首に投げ落とした。
ナイフが喉に対して垂直に落ちて根元まで突き刺さり、またナイフ自体の重さと投げられた衝撃で女子高生は溺れるような嗚咽をさらに漏らした。
足元で女子高生が血を吐き出しながら、アレクセイは膝に手をついたまま肩を上下させて激しく呼吸する。雨と汗が混ざったものが俯いた顔の前に下がった毛先から落ちる。
呼吸が安定しないまま彼が横を見る、短刀を持った黒髪の女子高生が歩み寄っていた。彼女も同じように肩を上下させてゼエゼエと呼吸し、右手でしっかりと短刀を握りながら左手は胸を押さえていた。
「流石ね……噂通り。でも今のあなたは一体何のために戦ってるの……?」
するとアレクセイは小さく、頬を釣り上げてささやかな笑みを浮かべて答えた。
「あなたが僕の前に立っているからです」
二人は似たようなリズムで呼吸しながら一秒近く見つめ合った、そして同時に動き出した。
走り寄った女子高生は声を上げながら短刀を彼の首に振り下ろし、アレクセイはそれを左手で短刀を握る右手を逸らすことでやり過ごし、続けて右フックを顎の左側面に打ち込んだ。
相手は大きく仰け反りながらも両脚で何とか踏みとどまり、彼の顔を狙って右から左への薙ぎを放つ、だがそれはしゃがむことで避けられてしまう。
アレクセイはしゃがんで最初の薙ぎを避け、そして続けて振るわれた左から右への薙ぎを至近距離から両手で相手の右腕を掴むことで抑え、右手で相手の右手を掴むと強引に押し下げて短刀の刃を相手の下腹部に押し当てた。そして相手の腕が力を込めにくい斜め後ろへと一気に押し込むことで刃を引いて腹を切り裂いた。普通のコートとその下で防弾ベストの隙間から覗いていたシャツが腹ごとパックリと切り開かれた。
腹の傷口から腹圧で一気に腸が飛び出してくる。ところが腸が地面にとぐろを巻く直前、アレクセイは小さな銃のセレクターが操作される音を聞く。そして自分の腹から内臓が溢れ出す光景を見下ろし硬直する女子高生の右上腕、胸元を掴んでしゃがみながら背負い投げした。
GRYライフルを構えた女子高生がその銃口を彼の背中に向けた。
投げられた黒髪の女子高生は側頭部から地面に叩きつけられると、反対側の側頭部を肩に当てる形で首を折って即死した。
アレクセイは投げてすぐに地面に伏せて脱力した女子高生の死体を引き寄せる。
サポートハンドで銃口近くを掴むCクランプでGRYライフルを構えた女子高生が引き金を引く、雷のような激しい銃声が轟き続けながら弾丸がフルオートで吐き出された。だがアレクセイは自分の体を何とか地面と死体の間に押し込み、相手からは死体の背中が邪魔になって見えないようにしていた。
金色に輝く薬莢が煙を纏いながら地面に降り注ぐ。FMJの5.56mm弾が死体の背中に浴びせ掛けられるが、防弾ベストを貫通して勢いが弱まった弾丸は死体の中を掘り進むだけで殆ど貫通しなかった。
アレクセイは死体の影から拾い上げたP-10を覗かせ、三度発砲してGRYライフルを持った女子高生の首、顔面を撃ち抜いた。女子高生は頭部を仰け反らせて大きな音を立てながらライフルを地面に落とし、膝から崩れ落ちて後頭部を叩きつけて血と脳みそをゼリーの様にぶちまけた。
死体を押し退けて片膝を突きながらゆっくりと、アレクセイは立ち上がって拾ったP-10の弾倉を確認する、残り二発。辺りを見回すと既に人は居なくなっており、空っぽの通りで死体に囲まれながらたった一人で立っていた。
それからすぐに首からナイフのグリップを生やした死体に歩み寄り、ナイフを引き抜いてポケットに仕舞うと体を調べ、大腿に取り付けられていたベルトに一本だけP-10の予備弾倉があるのを見つけるとそれを奪って再装填した。スライドを引いて弾頭の残った弾丸が宙を舞ってから地面に落ちる。既に疲れて果てた彼の一挙一動が重い。
P-10をジャケットで隠しながら抱えたアレクセイは歩道を走り始める。おぼつかない足取りで小走り程度の速さで進む、革靴が水溜まりを叩いてバシャリと音を立てながら水を撒き散らす。
進んでいくと歩道を歩く人間も段々と増えてくるが、彼にブレの無い視線を送る人間も増え始めていることに気が付く、その殆どが懐か腰に服の上からふくらみがある様に見え、手も隠している場合が多い。神経過敏な者でなくとも感じ取れるほどの熱い殺意に満ちた視線を次々と突き立てられていく。
このままでは先程と同じように通りで襲われる、そう彼は考えた。そしてふと数メートル先に、見上げる程大きなショッピングモールがあることに気が付いた。
大きなガラス製の両開きドアを体重まで使って体当たりのようにして押し開く、今にも倒れそうな前方に重心を寄せた動きでショッピングモールに踏み込む。
ショッピングモールは外の世界とは隔絶されているかのように豪雨の音が無く、ただ穏やかな店内BGMと客たちの会話や足音が満ちていた。1階から4階まで吹き抜けとなっており、二階以降は吹き抜けに突き出したテラスが一階を見下ろしている。全ての階で壁のようにずらりと店が煌々とした明かりを漏らしながら並んでおり、そういった店の中や店の前の通路で客たちは思い思いに買い物していた。
ずぶ濡れのまま腹を抑えたように銃を隠し持つアレクセイ、彼の姿は明るいショッピングモールの中で抜け落ちたパズルの隙間の様に目立ち、客たちの殺意無き奇異の目が向けられた。
雨の雫を落としながら進んでいく、その時不意に彼の後に続いて後方のドアが開かれ、男が二名拳銃を握ったままに飛び込んできた。
アレクセイは驚きの表情を見せながらも左手でジャケットを広げて盾にし、同時に右手を伸ばして肩越しに五度発砲した。二発が外れて残りは一人の大腿と顔、それにもう一人の脛に着弾する。それに襲撃者らが発砲した弾丸はジャケット越しにアレクセイの腰と背中に命中した。
よろめいたアレクセイはテラスを支える太い柱に手を突いた、シャツの下で皮膚の弾ける激痛が走る。それでも彼は体を柱に預けた姿勢で最後の一発を撃つ、その弾丸は膝をついた襲撃者の眼孔を射抜いた。仰け反った頭部から血肉が噴き出し、一泊をおいて死体が倒れ込む。
被弾の激痛で顔をしかめるアレクセイだが、唐突に振動し始めたスマートフォンを内ポケットから取り出す。背中に当たった弾丸は肩甲骨にひびを入れていたので、腕を動かすごとに突き刺さる様な痛みが生じる。
スマートフォンを開くとそこには発信者不明の新しいメッセージが表示された。
『男爵がお前を狙ってる』




