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Along with the killing  作者: キャラメル伯爵
25/29

Chapter 5-5 Shots Fired

  ――ホテル・カストリオティ――



 ホテル内では様々な人間が動き犇めき合っている。赤いジャケットを羽織ったスーツ姿のスタッフたちは各々の業務をこなし、色とりどりのまとまりのないスーツやドレスを着た客たちは娯楽を欲求のままに楽しんでいく。

 一階ラウンジにはチェックインしようと受付に向かう客とそれに応じるスタッフ、チェックアウトを済まして出口に向かう客、そして荷物を運びつつ付き添うスタッフ。

 白く細い筋の走った大理石の床を革靴が叩く音は決して鳴り止まず、自信と安心の混在する平坦な客の声と、穏やかで諭すようなスタッフの声がラウンジの至る所で空気をささやかに震わす。

 だがスタッフは客を相手にする者だけではない、中には筋骨隆々な体をスーツに縛り付けた背の高い者たちがホテルの至る所に立っている。彼らの張った胴体はなにも筋肉と骨だけではなく、防弾チョッキとホルスターが覆っている。無表情に前で手を組みながら彼らはゆっくりと監視カメラの如く辺りに視線を巡らせている、まさに固定砲台じみたその姿を客たちは無意識的に視界から排除していた、なんせ日常のストレスや不安を拭うためにここへ多くの者が訪れているのだから。

 警護たちはホテルの主から最高レベルの警戒を指示されている、それは警戒だけではなく武力においても最高レベルを要求しているものであり、彼らが携帯する拳銃やSMGはどれもがFMJやJHPで、しかも強装弾仕様のものが多い。さらに警備室にはアサルトライフルやショットガン、挙句の果てにはバリスティックシールドまで用意されている。

 だがこれだけには留まらない、警護の隊員ではなく攻性な者たちが幾つかの控室で重々しいブーツをテーブルに乗せ、退屈な顔を隠そうともしないまま愛用の銃を撫でて来るべき時に備えて昼夜問わず待っているのだ。彼らも通常のスタッフと同じようにスーツを着ているが、前のボタンを閉めていないことから覗き見えるその下にチェストリグをきっちりと着込み、そのポーチには限界までアサルトライフルやSMG用のマガジンが差し込まれている。

 彼らは異常事態があれば砲弾の如く素早く、力強く障害に立ち向かい、撃ち砕くことを最上の目的とし、最高の娯楽とした者であった。

 そして当然彼らはホテルの主たるムハレム・イストレフィの命令に従う、しかし今のホテルに彼は居らず、その命令権はホテルマネージャーが一時的に預かっている。

 ホテルマネージャーはその名の通りホテルをマネージメントする、それは運営的な意味もあればトラブル解決においても言えた。

 ホテルマネージャーは計二人居る、それは片方が病欠や不慮の事故で死亡した場合に備えてのこと、しかし原則的にホテル内で動くのは一人。複数人居るとなればそれは逆に指示系統などに複雑性を与えてしまい、問題を発生させかねないのだ。

 彼らはオフィスで事務処理をこなすことが仕事の半分、もう半分は実際に己の脚を使ってホテル内を歩きまわることである。ギャンブルでとても多くの金額がやり取りされる場合となればマネージャーが直に確認するし、世界の表裏問わずの大物が沢山利用するここで客による問題があれば彼が面と向かって対応する必要もあるからだ。 

 ホテルの内の金を動かす場合も当然マネージャーがその場におり、警備員配属の監督や用意された武装の確認もまた彼の仕事の一つ、ホテルの重要事項では全てマネージャーが関わることとなっている。

 彼は三十分おきに無線機で異常が居ないことを警備室に伝える義務までも与えられている、例え本人に何かが起きたとしても警備室とスタッフが対応できるようにと。

 太陽の沈み始める頃、地下一階クラブ兼カジノブースで実際にマネージャーは柔らかな絨毯を、磨き上げられた革靴で踏みしめながら歩いている。胸を張りつつオープン回線の無線交信が常に聞こえるインカムの位置を指で調整しながら。

 グラスを片手に談笑しながら歩く客を巧みな動きで避け、辺りに目を配って気が付ける範囲の異常と、無意識の警報たる違和感がないかと情景を脳に流し込む。

 そんな朗らかな表情で目を開いて眼球を動かし続けるマネージャーの背後には常に二人の警護が付き添っている。彼らは通常のスタッフとは異なって前ボタンを閉めぬままにおり、その下にはヒップホルスターに収められた拳銃や腰のポーチに収められたマガジンが覗き見える。彼らもまたインカムでホテル全体の状況を常に聞き、それでいて猟犬のように付き添いながら、サングラスに隠されたハイエナの如き鋭い目つきで互いに別々の方向を警戒して歩く。

 磁石にまとわりつく砂にも負けぬほどに一切距離を変えることなく警護の二人はマネージャーについていく、客で満ちる狭い廊下を通る時も、マネージャーがトイレで用を足すときにも彼らは決して隙なく警護する。何故なら警護について考える者であれば誰しもが思う通り、もし愚かな輩がこのホテルで事を計画的に起こそうとするならばマネージャーが何らかの形で真っ先に狙われるのが分かりきっているからだ。

 最早マネージャーが大型の武器を両手に引っ提げているような錯覚を与えてしまう様な三人の印象だったが、スタッフたちはそんな想像と生じた感情を顔に出すことなど一切ないままにマネージャーと業務に関して会話をし、時には共に歩くことにもなる。

 ホテル・カストリオティの十四階、十五階にエレベーターで行くには鍵が必要であり、それを持っているのはマネージャーのみなのである。

 マネージャーが一人のスタッフを引き連れてエレベーターに向かう、ジャケットの裏には鍵が納められているが刑務官や警備員のようにジャラジャラと鳴らしながらではなくキチンと内ポケットに収められている。

 マネージャーは十四、十五階で食事のオーダーがあればその都度鍵を持ってスタッフを連れていく必要がある、そしてエレベーター前に立つマネージャーの傍に立つスタッフはキッチンクロスの掛けられた銀のサービスワゴンを押している。

 エレベーターに乗り込むと当然各階のボタンがあり、十四と十五階はボタンに明かりが灯っていない、しかしマネージャーが取り出した鍵を穴に差し込んで回すと光り、それを押してやっとエレベーターはドアを閉じて動き出すのだ。

 金の反射率が高くぼんやりと搭乗者を映す壁に四方を追われたエレベーターにスタッフが四名立つ、一人は中肉中背でやや背が高いマネージャー、そして鉄製の像の如き圧力を醸し出す警護二人、そんな彼らに通常のやや背の低いスタッフが混ざっているとなると第三者は傍から見てその通常のスタッフを可哀そうにと思うことが容易に想像できる。

 エレベーターは振動を限界まで抑えたまま上昇していく、ワイヤーが擦れる音も聞こえず、エレベーター内部からは穏やかなクラシックまでも流れている。だがそれはマネージャーにとっては数えきれないほどに聴いて飽きれ尽くしたものであり、聴けばため息が口から零れ落ちた。

 しかしエレベーターが十四階に到達し、ドアが開いたと同時にエレベーターから零れ落ちたのは弾痕の穿たれたマネージャーの頭部だった。

 エレベーター内には三つの死体がある、二人の警護は顎と側頭部に孔を開けられた姿で壁に寄り掛かったまま、また床に座り込んでいる。壁には歪な星形に飛び散った真っ赤な血がこべり付いており、警護が頭を押し付けたまま床に倒れ込んだことにより筆で拭ったような擦れた痕が残っている。

 エレベーターは倒れ込んだマネージャーをドアで挟んでしまったので閉じられず、何度も開閉を静かに繰り返していた。

 そんな中でサービスワゴンを押していたスタッフは開くボタンを押してから、マネージャーの傍をワゴンを押したまま通り過ぎていく、その手にはMARKⅣが握られていたが静かに何気ない動作で腰裏のズボンに差し込む。その刹那に腰のヒップホルスターのグロック34と予備マガジンが姿を見せる。

 ワゴンの上にはマネージャーが持っていた無線機とマイク、インカムが置かれている。

 そのスタッフ――に扮していたアレクセイは一旦ワゴンを廊下の壁際に止めて無線機を手に取る、そして自分のスマートフォンを取り出すとそのスピーカーを無線機のマイクに近づけた。スマートフォンを操作すると無線機のボタンを押し込んだ。


『定時連絡、異常なし』


 それはマネージャーがエレベーター内の音楽を聞き飽きたように、言い飽きた警備室への報告を録音した音声だった。

 アレクセイはスマートフォンをポケットに仕舞い、ワゴンのキッチンクロスの下に無線機も仕舞った。一瞬だけ垣間見えた二段のワゴンの中に食事は一切なく、下の段にストックが折りたたまれた状態のウルティオと丁寧に畳まれた黒の防弾ジャケットが隠されている。一旦間をおいて辺りを見回す、音が一切ない静かすぎる程の廊下が前後に伸びている、どの扉からも上下階からも音は入ってきていない。すると彼はホテルのスタッフが着る共通の赤いジャケットを脱ぎ、隠し持ってきた黒い防弾ジャケットに着替えた。

 そして再びワゴンを押し進めていく、やがて次々とドアの前を通り過ぎた果てに目的のドアに辿り着く。

 呼び出しボタンを押す、微かにドア越しに鳴るブザーが聞こえてくる。それからすぐにドアのロックを外す音、ドアが開かれた。小さく開かれたドアの隙間に男の顔が現れる、静かに見下ろすその表情は眉をやや傾けた疑問符を浮かべたもの、ルームサービスを頼んだ覚えのない警備を担当していた男は口を閉じたまま、一瞬いつもより多めの瞬きをする。

 一秒にも満たぬドアを開いてからの間、やっと男が口を開こうとした瞬間、アレクセイが腰から引き抜いたMARKⅣの銃口がその眼球に向けられ、風船の破裂音より小さな空気が抜けるような銃声を鳴らして眼孔から脳に22LR弾を叩き込んだ。

 部屋の中では項垂れるヘレナを囲むように数人の警護が椅子に座るか壁に背を預けて立っていた、皆重武装で各々のアサルトライフルやショットガンを提げ、退屈さを紛らわす方法も思いつかぬままつま先を見つめたり、爪の間に詰まった垢をナイフでほじくっている。

 すると土嚢が地面に落とされた様な音、それにドアの閉められる音が玄関の方向から聞こえて全員が一斉に顔を上げた。ナイフを仕舞い、姿勢を正し、グリップに手を近づけて体を玄関に向ける。

 すると玄関から彼等のいる部屋を繋ぐ廊下をワゴンだけが静かに進み、部屋の中に入ってきた、警護の者たちはまるで我が物顔で迷い込んだ猫を見つけたような様子で見つめる。そしてそれに続いて何事も無く、自室に戻ったかの如き自然さでアレクセイはワゴンの後から部屋に入った、彼の手にはグロック34が光を吸収するかと思わせる黒を纏って収められている。

 全員が銃を持ち上げる動きはほぼ同時に開始され、引き金に指を近づけて左手がハンドガードやフォアグリップを支えた、だが全員――警備全員より素早くグロック34を持ち上げていたアレクセイは彼らが銃口を向けるより先に引き金を引いていた。

 警護の者たちは一人残らず顔面に弾丸を受け、黒い弾痕を穿たれて後頭部から脳味噌と血をぶちまけて糸の切れた人形よろしく全身を脱力させて床に崩れ落ちた。ほぼ一つにしか聞こえなかった銃声が鳴り止むと、叩きつけられた死体と銃器が床で激しく音を立てる。

 銃創から滔々と溢れ出す赤黒い脳片を浮かべた血液がタイル張りの床を満たし、排水溝へと一様に流れ込んでいく。

 アレクセイは硝煙を吐く銃口をゆっくり下げ、落ち着き払った態度で部屋の中心で俯くヘレナに向かって歩みを進める。黒い革靴が薄いピンクを帯びた白色の脳片を踏みつけ、多分に水分を含んだ果実を潰すような音を立てても気に掛ける様子は一切ない。

 銃声が鳴り止んだ直後、所々が汚れては折れた長い銀髪を垂らすヘレナの頭が持ち上がり、ゆっくりと顔を上げてアレクセイを見つめた。

 彼はヘレナの目の前に立つと彼女の顔に両手を恐る恐る伸ばす、左手は何も持たぬ素手の状態、右手はグロック34を握りしめたままで。

 するとヘレナは微かに左手を震わせながら持ち上げ、アレクセイの伸ばしていた右手を拳銃ごと掴み、自分の顔に引き寄せてその手をきつく握りしめながら頬に押し当てて擦り合わせた。長い間呼吸を禁じていたかのように彼女は深く、長い息を吐いて目を瞑りながら手の感触に集中しようとする。

 

「あなたが来てくれたという事だけで私はこの胸を満たされる思いよ」


「意外でしたか、ヘレナさん」


「親以外を知らぬ獣に近かったあなたですもの、当然よ」


「でも来ました。来ないなんてことはありえません」


「契約にもないのに?」


「それでもです」


「アリョーシャ、あなたは変わった」


「ヘレナさんのおかげでしょうね」


「嬉しいこと言ってくれるわね」


 彼女がそう言うと瞼を上げ、目を合わせる。少し前屈みになったアレクセイの顔と正面から向き合い、右手を伸ばして彼の頭に乗せて黒い艶やかな美しい髪を撫で、それからゆっくりと下へと下ろして柔らかく雪のように白い頬にも添える。

 アレクセイは彼女の手を掴み、その手の冷たさに驚く。ヘレナの顔と手、首も不自然なほどに青白く、見るからに冷たい様子であった。


「さあヘレナさん、帰りましょう」


 不安が彼の胸の中に滲み始める、その感情から目を逸らすように言葉を口から紡ぐアレクセイ。だがヘレナが両手を離し始めるとその感情は急速に膨張し始め、表情にも表れていく。


「ごめんなさい、それはできない」


 ヘレナは自分の右手でアレクセイが贈ってくれたネックレスを握り、胸の心臓の位置にその拳を添えた。彼女の右手を小さく揺らす鼓動を生み出す赤い心臓、その左室自由壁には小さな亀裂が生まれ、亀裂からゆっくりと鼓動に合わせて鮮血が押し出されていた。

 彼女の心臓はムハレム達の襲撃による車の衝突時、その衝撃で外傷性心破裂を起こしていた。

 彼女は幽閉されている間頻繁に起きる胸の激痛と失神、それらから既に自分の命がもう持たないことはとうにわかっていた。そして今、ここまで生き永らえられた奇跡に安堵するべきだとも感じていた。

 ヘレナの悟り果てた思い、その表情を眼前で見たアレクセイは小さく口を開く、だが吐き出すべき言葉が全く浮かばず、情けなく息を漏らすばかり。

 

「あなたの傍から引き離され、それからずっともう一度逢いたいと考え続けていた、彼らが私に罵倒と唾を浴びせかけている間も。私の目に見えるのはあなたの顔だけ、私の耳に届くのはあなたの言葉だけ、私の肌に触れてその温もりを伝えるのもあなただけ。それをもう一度実感できた、それだけで十分よ」


「そ、そんな……でもでも――」


 言葉にならぬ彼の否定、感情が揺さぶられたが故のその反応にヘレナは表情を和らげ、彼を励まそうとその瞳から零れ始めた涙を自分の手で拭う。


「こんな素晴らしく感情を蠢かせるあなたに変えてあげられた私はここまで。もうあなたに何もしてあげられないわ。でもまだあなたはもっと先に進める、もうここまで素晴らしい姿に変わったんだもの、美しい模様を浮かべた蛹から色鮮やかな羽を抱えた蝶に」


「僕はまだヘレナさんと一緒に、もっと色々見せて欲しい、色々教えて欲しいんです……」


 ヘレナの右手を掴んで自分の胸に引き込み、静かな涙声で必死に彼は彼女を引き留めようとする。だが彼女はひたすらに諭す優しい声と言葉を続けた。


「生きることと殺すことが何よりも得意な私の大好きなアリョーシャ。いつのあなたも魅力的で、私は愛してる」


 彼女の血と心臓は最後の最後まで責務を果たそうとし、脳を動かしていた。だがそれも限界に達し、脳は活動を徐々に止めていく。ヘレナの視界はかすみ、思考はゆったりと遅く、暗く沈み始める。


「今のままで、これからも、素晴らしいアリョーシャであって――」


 ハッキリと彼女はそう言い、それだけは言い尽くし、そして目を閉じ、項垂れて沈黙する。心臓は既に動きを完全に止めていた。

ヘレナの右手を掴み続けていたアレクセイ、冷たく静かになった彼女の前に彼は跪く、右手に握られたグロック34の銃身が床に触れて「コツン」という音を鳴らし、そしてアレクセイは彼女の手を自分の頬に押し当てた。彼と彼が握るヘレナの手が煌めく涙に濡れる。

 生臭さの残る部屋で、幾つもの血を流す死体に囲まれたヘレナの死体とアレクセイ、部屋の中で聞こえるのは彼の押し殺しきれない嗚咽。タイル張りの血で濡れた地面に涙の雫が落ち、排水溝に流れ込もうとする血と交じり合った。



 ――



 ホテル・カストリオティへと通じるとある道路、高いガラス張りのビルに挟まれながら車列が駆け抜けていく。先頭の車両は容赦なくクラクションを鳴り響かせ、次々と車を退けながら速度を上げて進む。その車列は信号すら無視し、喧しいクラクションで全てを察した他の車両は車列を避け、近づかぬように恐る恐る距離を取った。

 どの車両も大柄な男達が席を埋め、その誰もがチェストリグを着込み、ライフルを提げた重武装に身を包んでいる。例外であるムハレムだけは彼らに囲まれながら車列中央の車内、後部席中央に座って汗を垂らし、耳障りな摩擦音を漏らしつつ歯軋りを繰り返していた。


「あいつはきっとあの女を助けるか、この俺を殺しに来るつもりなんだろう……」


 ヘレナの言葉を聞いてから幾つものストレス要因で身をすり減らされるような精神状態のムハレム、彼はブツブツと独り言のように喋り続けていたが、部下であり護衛部隊である車内の男達は真剣な眼差しをムハレムに送る。


「絶対に来る、来てもらわなきゃ困る……四肢を千切ってユリアナの前に引き摺り出してやる、死んでいてもな。お前ら、絶対にあの野郎を逃がすんじゃねえぞッ!」


 車内であろうと関係なくムハレムは全力で怒鳴る、そして部下たちは一斉にアサルトライフルのチャージングレバーを、ショットガンのフォアエンドを、ハンドガンのスライドを引き絞る音を立て。答える。


「勿論です」



 ――



 同じころ、ホテル・カストリオティからムハレムの車列とほぼ同じ距離の位置をホテルに向かって走る別の車両があった。それは街の中で明らかに浮くほどの完全な装甲車両、フォードF550スーパーデューティー。

 車内ではロスファナティコスの隊員たちが武装を確認している。全員が限界までポーチにマガジンを差し込み、銃器はサプレッサー無しの火力重視としたものばかり。

 助手席で会話を続けていたアガピトがスマートフォンを耳から離し、ポケットにしまうと振り返って部下たちに向き直った。彼も手にはベネリ製M4NFAを握っている。


「帰国寸前に呼び止められた可哀そうな諸君、これより最後の仕事を始める。さっさと帰りたいのはわかっているが、目的地のホテルから出てくるターゲットを迅速に始末すれば、飛行機に一直線で飛び込んで機内サービスを享受することができるからな」


 そう言って彼は一枚の写真を持ち上げて全員の前に見せる、そこに写っているのは電話を耳に当てながら道を歩いているムハレムの姿、ピントが合わずにぼやけた何かが映りこんでいるその写真は明らかに盗撮された物であった。

 

「ムハレム・イストレフィ。こいつがホテルから出てくるところを襲撃して殺す、死体は丸ごと持ち帰る予定だが、場所は相手方の本拠地なので最低限首だけ確保できればそれでいい。それとこれは補足だが、ボスによればあのガキ――アレクセイ・サハロフもその場に現れる可能性があるそうだ。その場合優先すべきはムハレムの首であり、ガキは無視しろ。まあ無駄なく、この任務の目的だけを考えて行動してくれということだろう」

 

 マリファナの煙で雲の中の様に白くくすんだ車内で隊員たちが写真を回していき、ムハレムの顔を頭に刻み込み、コカインやヘロインといったもので上塗りして脳に繋ぎとめる。

 部下たちと同じように手の甲に乗せた、真っ白な手触りの良さそうなコカインの粉末を鼻孔から吸引したアガピトが顔を上げる。


「間違いなく激しい鉄火場になる、この場に居る何人かがくたばるかもしれないから気張っていけよ」


 その発破をかけるような言葉に隊員たちはコカインを吸引する音、ゴム紐で縛った腕を指で叩く音、腸内で過剰に分泌されたガスを放屁するなどといった雑多な音で応じた。



 ――ホテル・カストリオティ――



 十四階の赤い絨毯が敷き詰められた廊下にボルトが後退したままのMARKⅣがバレルから落ちる、衝撃はしっかりと絨毯に吸収されて衝突の音は一切鳴ることが無かった。

 銃の傍を通り過ぎるアレクセイ。彼はMARKⅣを捨てるとすぐにスリングで体に繋いでいたウルティオのピストルグリップを掴んで持ち上げ、薬室の中を見ながらチャージングレバーを引き絞って初弾を送り込んだ。そしてそのまま転がっているマネージャーだった死体を退かしてエレベーターを動かした。

 彼が去った廊下のドアは全て開けられている、その内幾つかは機材の管理や休憩、また控室で呼び出しの時まで武装したまま待機していた緊急対応部隊の隊員などといった人間が居た。

 だがアレクセイがエレベーターに乗り込んだ頃には全員頭と他の部位に穿たれた弾痕から血を垂れ流して絶命している。部屋の中で地面に転がる使われることが無かった銃器、使用済みとなった小さく硝煙を纏う22LRの空薬莢。テーブルから滴って地面に溜まる真っ赤な血液、脱力した体を伝って外へと血によって運ばれる脳片や皮膚片。

 エレベーターが障害物の無くなったドアを閉じるその隙間から一瞬だけ、廊下の方へと視線を向けたアレクセイの澄んだ水で満たされる深海の如き碧眼の虹彩が覗いた。

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