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Along with the killing  作者: キャラメル伯爵
18/29

Chapter 4-2 Kill Everyone

 ――ある日のどこか、もう誰の記憶にも無い出来事――



 眩いダイヤを通したような煌びやかな日差しが窓から差し込み、真っ白いカーテンを透過してリビングを照らした。明るい琥珀色の大きなダイニングテーブルとイスも光を浴びている。

 2階建ての大きな邸宅の中にはフライパンの上でベーコンと卵が香ばしく焼かれる高い弾ける様な音だけが響く、そして時折ステンレス製のターナーがフライパンを擦りベーコンをひっくり返す音混ざる。

 キッチンに立つのは白いエプロンを付けた銀の長髪を根元で縛りポニーテールにした女性。焦げ過ぎないようにと注意しつつベーコンと卵を焼き一つ一つ皿に盛っていく。

 両手に皿を持った女性はスリッパを履いた足で歩きだし、まだ誰も座っていないテーブルへと近づいて行く。

 テーブルの上にはパン、サラダ、オレンジジュースとカラフルな朝食が並び、その中に赤黒いベーコンと黄色い卵が盛られた白い皿が置かれる。


「■■■ー朝ごはんを食べますよー早く降りてきなさーい」


 ハープを連想させ心地良さを与えるような明るく爽やかな声が広い家の中を駆け巡る。すると2階からどたどたと柔らかいもので何度も床をはたく様な子供の足音が鳴った。


「今行くー!」


 小さな5歳ほどの子供が階段を降りようと手すりに掴まりながら踏み込んだ――。


 その時不意に「ドンッ」という激しい何かを打ち付ける音が轟くとドアノブや鍵の金属片が撒き散らされた、同時に蹴破られたドアが無力にも開け放たれショットガンやSMG、拳銃を携え銃口を前方に向けた男達が我先にと雪崩れ込んでくる。

 ドアがやかましく打ち破られると同時に女性はテーブルから素早く銀に輝くナイフを掴み取った。侵入した男達は家の中へ濁流の如く広がっていくと数人はダイニングへ向かい、また別の数人の目は階段を降りようとする2階少年の姿を捉えた。


「■■■! そこから逃げなさい! !」


 ――もう一度「ドンッ」という激発音が轟く――


 エプロン姿の女性がまるで軽いマネキンの様に後方へ吹き飛びナイフが甲高い音を立てながら床に転がる、真っ白いエプロンの腹部に開いたいくつかの黒点に見える弾痕から、その周りへと赤黒く染まり血のシミは下腹部から床へと広がっていく。女性は驚嘆し目を見開いて複数の弾痕が穿たれた自分の腹を見下ろす。胃を散弾が引き裂きそこへ体内に溢れ出た血液が流れ込むと食道を駆けのぼってき、愕然とした表情の口腔から溢れ出す。

 銃口から硝煙を吐くショットガンを持った男はフォアエンドをコッキングし空薬莢の排出と次弾装填を行う、その背後には銃を持った男達が数名並び同じ方向へ真っ黒い銃口を突きつけていた。

 次の瞬間何重にも数えられない速度で連続的な発砲音が撃ち鳴らされ瞬く間に女性の体は弾痕だらけになる、数発だけが着弾した頭部は銀の髪の毛と頭皮、頭骨を撒き散らされながらその衝撃で後方へ数回揺れる。光を反射する程に美しく銀にきらめく長い髪の毛が赤い血溜まりへ頭皮に束でこべりついたまま沈み込む。


 2階で銃声に身を震わした少年は弾かれたかの如く咄嗟に玄関とは反対側へと走り出した、少年の全身は鳥肌が覆い背筋と肩は痙攣のような震えで蠢いていた。少年は靴下で滑る床を駆けていく、そして2階にあったバスルームへと飛び込むと素早くドアと鍵を閉めて後ずさり壁に背中を付けると座り込んだ。

 彼の頭には思考なんてものはなく重油の様な重々しく拭えない恐怖に真っ黒く染め上げられていた。

 だが突然少年の頭の中に衝撃が走る、視界が急激に明るくなったのだ。


「Пронашао сам те.(見つけたぞ)」


 それは恐怖のあまり座り込み目を瞑っていた少年が扉を蹴破られた音で反射的に目を開け前方へと視線を向けたからだった、すると目の前には3人の銃を持った男達。

 

「ああ……ああ……」


 もうすでに後ずさりする空間も無く壁に背を付いた少年の足がバスルームのタイルの上で無力に滑る。そして先頭に立つ男が卒然に手を突き出すと少年の黒く短い髪を後頭部から鷲掴みすると持ち上げ、引き下ろし床へと叩きつけた。「ガツンッ」という少年の頭部がタイルに打ち付けられる。


「いやだあああああああ! ! 助けて! 助けて!」


 さらにもう一度髪をきつく握りしめた左腕が振り上げられ、激しく勢いよく叩き落された。「ガンッ!」少年の皺も染みも無い白い額の皮膚が微かに裂け小さな血痕がタイルにこべりつく。頭骨にヒビが小さく走る。


「うわああああああああ! ! ママアアアアアア! !」


 細い赤い血の線が額を濡らした少年は赤く染め上げた顔面で甲高く泣き喚く。目はきつく閉じ大粒の透明な涙を目尻から瞼の隙間全体から溢れ出させていた。両手は必死に男の手を振り払おうと掴みかかるが、少年の指も丁寧に切り揃えられた爪も男の屈強な手に引っ掛かる事すらできなかった。


 少年を掴み上げた男はふと見まわすと湯気の上がるお湯の溜まった白いジャグジーバスを見つける、お湯は十分に溜まっており傍にある操作パネルで温度の調整も可能であろうことがわかった、そして男は嗜虐的な笑みを浮かべながら2人の仲間に目配せした。一人の男がポケットからナイロン製のケーブルタイを取り出す――。


 草木と花壇に囲まれ庭やプールをも完備した白く美しい2階建ての邸宅。一瞬でガラスをナイフで何十にも引っ掻いた様な幼い絶叫が漏れ、後に微かに流れるのは静かに何かが焼ける音だった。



 ――アルバニア共和国ドゥラス州、州都ドゥラス――



 早朝、まだ通りを歩く人は少なく静かな様相なドゥラス高級住宅街。その中でアドリア海に面した地に立つひと際存在感を醸し出す豪邸、ミュルテザ・イストレフィ―が持つ屋敷があった。

 そこへ一台の小型クーペが現れ裏口前に止まる、すると中からは浅黒い肌を纏った初老のアルバニア人女性が現れる。彼女は周囲を全く気に留めることも無く裏口の門の鍵を開けて自力で門を開くと車を駐車場に止めた。

 そしてハンドバッグを持って車から降りると車をロック、すると突然彼女は周囲を見回す、長年務める場所だったからこそいつもと違う人気の無さを感じていた。

 だが彼女はそのままいつも通りに裏口から屋敷に入っていく。そこでも明らかに人気が無い、誰とも会わず屋敷の主を守る護衛達の姿すら無い。彼女は使用人室で荷物を置き使用人の恰好に着替えて部屋を出た。

 屋敷内の壁の多くは砂色の石材によって作られ所々には柱や小さな石像が置かれている。そんな砂色の廊下を進む使用人の女性は不意に曲がり角で赤い汚れを発見する、まさかと思い慎重に進み曲がり角の先に視線をやる――するとそこにはベージュ色のスーツを着た男が力なく床に倒れていた、血の汚れは男の頭部から流れ出し固まったものであった。

 微かに捲り上がったジャケットの陰からはショルダーホルスターに収まったままの銀に輝く拳銃が見える。

 使用人の女性は恐怖に怯え震えながらも歩みを止める、だが直ぐに視線を通路の先に向けると死体と血溜まりを避けて歩き出す。その先には大きなリビングとダイニングがあり高齢となり殆ど外出しなくなったミュルテザがいつもそこのソファーに座っている筈だった。

 彼女は駆け出しリビングに向かうがそこへ近づくにつれ転がっている死体は増えていく、さらに転がっている死体のうち銃を持ったままの者や近くに銃が転がっている死体も目につき始め、空薬莢が数えきれない程散らばっていた。

 そしてリビングに踏み込んだ――大きなソファが置かれて暖炉まである二階まで吹き抜けとなっているリビング、その空間にも必ず頭に赤黒い弾痕がある黒ずくめの男達の死体が無造作に散乱している、彼らの手元や近くには拳銃でなく大きなライフルがあるというのが一介の使用人である彼女にも特に優秀な護衛だったのだろうと予想を可能にしていた。

 彼女が呆然とリビングを見回しているとふと一番奥の壁の傍に不自然な物を見つけ歩み寄りつつ焦点を合わせ凝視する、そしてそれが何か分かった瞬間足を止め素早く振り返ると前屈みになり勢いよく吐瀉物を口腔から噴出させる。その勢いはあまりに強く周囲や彼女の白いエプロンにまで飛び散った。

 彼女の逸らした視線の先、壁に埋まりながら真っ直ぐ垂直に立つ木製の柱の根本、そのすぐ傍に零れ落ちて自重とその柔らかさで潰れた人間の腹部に収まっている筈の臓物による肉の山、さらに山の中にはガス式の釘打ち機が放り込まれていた。

 内臓は人為的に刃物で開腹されて掻き出されたのか死んだ蛇のようにとぐろを巻く腸は所々に切り裂かれた跡がある、その切れ口からは腸液や糞が漏れ泥の様な有り様で顔を背けたくなるような悪臭が立ち込めていた。

 その真上には両足をロープで結び付けられ柱の出っ張りから逆さに吊り下げられている老人の死体があった、その両手は後ろに回されケーブルタイで親指を結び付けられている。

 首は根元から切断され切り口から断面を晒し動脈や食道から未だ血液がぽつりぽつりと滴っており、肩や首とその根元は死斑によって赤紫に薄っすらと染まっている、そしてその腹部には引きずり出された内臓の代わりに皺が多く散見される老けた男性の頭部が押し込まれていた、眉間にはぽっかりと一つだけ脳へと通ずる孔が穿たれている。切り開かれた腹部の周囲がやや膨張しながらも血塗れの頭部を押し込まれていたのは――ムハレムの父親、ミュルテザ・イストレフィ――であった。

 押し込まれた顔は驚嘆の表情のまま時が止まっており鯉の様に丸く限界まで開かれた口腔には本人の物であろう陰嚢と陰茎が押し込まれていた、すると使用人が訪れたことによって微かな空気の振動が起きたのか口からそれら男性器が零れ落ち床にだらしなく「グシャリ」と潰れ転がった。

 


 ――アレクセイの自宅――



 静まり返った深夜の世界に包まれた家、外から伝わるのは風の流れる音と車が一瞬だけアスファルトをタイヤが踏みしめる足音のみ。

 誰もいないリビング、唯一部屋を満たす空気を振動させているのは時計の針が1秒の刻みを知らせる乾いた音のみ。

 するとその静寂を破る鍵を開けドアを開ける音が鳴るがすぐに閉じられ鍵が閉められる音が続く。

 「コツコツ」と革靴が床を叩く音、それから不意の甲高い鍵の束がが陶器製の小物入れに放り込まれる音。

 そしてリビングに黒いネクタイを緩めながらアレクセイが姿を現す、緊張と肉体的疲労から度々深く息を吐きながら真っ直ぐとベッドのある部屋へ向かっていった。

 部屋に入ってすぐに黒いジャケットを椅子の背もたれに投げ掛け拳銃やホルスター、予備マガジンを露わにすると前のめりにベッドへ倒れ込んだ、顔を真っ白いカバーに押し付け呼吸が辛くとも少しの動きも億劫といった様子で暫く彼は静止する。

 ふと彼は顔を横に向けると視線の先、枕の直ぐそばに薄く長方形の暗いブルーカラーのケースがベッドの上に乗せられていた。それは丁寧に金のリボンで結び付けられて閉じられている。彼が家を出る寸前にそれを眺めてから置いたままであった。

 彼の白い柔肌を純白のカバーが受け止めそれらと相反する色調の底抜けに真っ黒い髪が彼の横顔にパラパラと掛かる。

 彼は青いケースを見つめるとほんの微かに本人が気づくことも無いほどに小さく口端が上がり目尻を下げた微笑み、何かが楽しみでしょうがないといった純粋な心情で発生した自然な反応が表情に現れ始めていた。

 碧眼に光の反射で生じた白いハイライトが彼の表情に温かみを感じさせる、それはもし第三者が見れば宗教画にて聖母に祝福を受けた無垢な童子を彷彿とさせたかもしれないものだった。

 すると彼は段々と目がトロンと力を無くしていき微睡み始める。無意識に顔を触り心地の良いベッドカバーに子犬のように擦りつけ、四肢の力が抜け始める――しかし一瞬で焦った表情へ変えて目を見開くと、飛び起きシャワールームへ足早に入っていった。



 ――早朝、ラーズヴァリーヌ州のとある十字路――



 数十分おきに数台の車だけが道路を通る程度な時間、直立させられた信号機は忠実に役目を果たし続けている。青――黄色――赤――青。

 その時颯爽とバンが十字路に向かって疾走していた、早朝の日光に当てられフロントガラスの反射が運転席の様子を外から伺うことを難しくしている。その勢いは信号が如何なる色を示そうとも止まる気が無い様子であった、だが十字路の中心に差し掛かった瞬間後部ドアがスライドして開かれ、暗い車内が一瞬晒されると男が丸いバスケットボール大の何を鷲掴みしていた。車は一瞬だけ減速するも完全には停車しない。

 それでも男はドアが開いた瞬間そのボールを道路に放り投げるとその後の様子を一瞥することも無くドアを閉めた。

 メキシコ人の放り投げられた頭部は断面から固まった血片を撒き散らしながらアスファルト上を転がっていき三眼で色を示す信号機の眼下で止まった。

 既に死後硬直が始まっている頭部を覆う筋肉は固くなり表情が微動だにしない、その真上で信号は何も変わらず粛々と通行の是非を示す色を「カチッカチッ」と繰り返し映している。



 ――シエラマドレカルテルの所有するビル内のオフィス――



 ラーズヴァリーヌの街に溶け込んだとあるビル、大きく目につく看板も無く一般人であれば特に何を業務としているか主張はしていなくとも、自分たちには理解できない専門的で難解な業界の企業なのだろうと勝手に考え興味を失うであろう外観であった。

 だがその中、上層階にはシエラマドレカルテルの幹部達のオフィスとその副官やまた経理や法律関係など各々が重要な役割を持った者たちの仕事場があった、だがいつもは必要以上に従業員達が静かに業務を進め移動していたビル内が今では騒然とみな動き回り遠慮なく足音を打ち鳴らしていた。

 つい数日前から突然カルテルへの攻撃が始まったのだ。敵勢力は不明、宣戦布告も無し。

 カルテルの仕切る売春宿や上納金を徴収しているプラサへ無差別とも思える広範囲な襲撃が立て続けに行われ、カルテルはその対処に追われているのだ。

 店は銃撃され店員の生死問わず営業は困難になり、麻薬の売人は10数人が路地裏だけでなく表通りで通りかかった車に射殺されていた。

 それでも当地におけるボス、セレドニオ・アロンソは静かにデスクで座って連絡を待っていた。彼の副官であるバシリオ・ヒスペルトが敵の正体だけでも掴もうと数人の手下を連れて調べに出ていったまま消息を絶っていたのだ、彼はもう数年アロンソの右腕として優秀な働きを見せていたメンバーであり、連絡を怠るなど考えられず彼自身とその供回りもロス・ファナティコス程ではなくとも武装し腕が立つ者ばかりという点から只ならぬ事態に巻き込まれているのは明らかであった。

 するとアロンソのオフィスのドアが勢いよく開け放たれ外部に情報を集めに行っていた部下の一人が姿を見せた、特に驚く様子も無くアロンソは顔を上げ目を向けるが普通ならば粛清されてもおかしくない不敬であった。だが今の様な状態で咎める人間もいなかった。

 

「やられました!」


「何?」


「ボス・ヒスペルトが! ここから数ブロック先の十字路で彼の切断された頭部が見つかりました……恐らく他のメンバーも……」


 アロンソにとって最も最悪で忌避すべき事態が現実となった。初手から翻弄されたまま幹部を殺されてあろうことか死体の辱めまで受けることになるのは、あらん限りの泥と糞を彼らの名前に塗りたくられたのと同義であった。


「それに街に向かっていた他の連中が敵勢力の正体を明らかにしてきました、恐らく隠すつもりも無かったのでしょうが――」


「誰だ」


 アロンソの鋭い一言が短くハッキリ空間を揺らし、その中に「御託はいらない、こんな状況で俺の機嫌を損ねたいのか?」という暗で重圧な脅しと共に、質問の言葉を伝書鳩となんら変わらない役割の部下に伝えた。


「イストレフィ……ファミリー。アルバニア人の連中です……」


 アロンソは眉を顰める、それは限りなく度し難い話であった。連合シンジゲートの長であり講和による街の安定を最も望んでいた者たちが、唐突に前触れも宣戦布告も無く抗争の口火を切ったという事なのだから――。


「確かなのか?」

 

 声色から怒気が抜け、代わりに報告を急くような圧迫感ある問いを投げかける。


「襲撃者を数名殺害することに成功し、死体の身元がイストレフィの連中だという確認が取れました」


「サルヴェッティやクラスニークルーグからの連絡も未だ無しか?」


「はい……ボス、ご指示を」


 アロンソは一瞬だけ部下から視線を外し眼下――床に視線を泳がすがその刹那に思考をまとめ上げ、改めて鋭い感情を殺した目つきを部下に突き付ける。


「全メンバーに敵がイストレフィ・ファミリー及び、連合シンジゲートだと連絡しろ。そして一刻も早くロス・ファナティコスの連中を招集し報復を」


「ハ、ハイ!」


 部下は脱兎の如くオフィスを飛び出しスマートフォンでコールし始める。


「一体どういうことだ……」


 数多の抗争を剛腕と策略で生き残ってきたアロンソでさえ現状は測りかねない不可解な物であった。しかし真相がハッキリしなくともやるべき、実行すべきことがあるのであれば彼は躊躇なく素早く実行する。



 ――ホテル・カストリオティ、上層階ムハレムのオフィス前――



「指示したのは?」


「ボスです、例の報告を受けて組織全体に命令を送りました」


 ユリアナはムハレムのオフィスの前で彼のもっとも信頼できる部下に事情を聞いていた、オフィスが完全に閉め切られている以上本人に聞くことは叶わない。

 彼女はトレーニングジムで汗を掻いていた所突然連れていた部下がとある指令を受け、その詳細を問いただす為にカストリオティを訪れていた。

 ファミリーの構成員、彼女を除く全員に伝えられていたのは――シエラマドレカルテルへの全面攻撃指令――。

 

「こんなバカげたことを始めてあいつはいったいどういうつもりだ?」


「ボスがこの指令を発令すると決めた直後、それに異議を唱える者もいたのですけど……その場で射殺されました」


 ――ムハレムが行使すべき暴力を両者が許諾して代行してきたユリアナは困惑する。


「どうなってる――」


 ユリアナが部下から話を聞いていた同時刻、窓と大きなドア全てが完全に閉じられたオフィスの内部。

 そこには鼻をツンとつく様な刺激臭と濃いアルコールの香りが充満していた、その発生源は主に床に散らばった吐瀉物と中身が入ったまま叩き付けられたであろう酒瓶の内容物であった。吐瀉物は白濁色の液体に消化途中の食物の欠片が幾つも浮き、湯気立つ暖かさが胃酸の不快臭を漂わせていた。

 そして部屋の中央に仁王立ちするムハレム、掻き毟った頭髪は嵐に見舞われた草むらの様に乱雑に乱れていた。

 悪臭を放つ汚物以外にもあらゆるゴミや小物が床に散乱している、それは彼がパニックかヒステリー、それに準ずる激しい感情の発作に突き動かされた形跡であった。

 


 ――クラスニー・クルーグ本部、ヘレナのオフィス――



 部屋の中央に置かれソファに挟まれたテーブルの上に、クリップ止めされた紙の束が「バサッ」という音で落とされた。紙の束には不鮮明な写真や監視カメラの映像を切り取ったような画像、またそれの説明らしき文書がびっしりと書かれている。無造作に叩きつけられた周りにも似たような書類が山を成していた。

 乱暴に呆れて見る価値すらないと言わんばかりな態度で書類を投げたヨセフ、彼はソファに座り目頭を押さえていた。机に置かれた彼のスマートフォンは何度もメッセージ受信を知らせる振動を続けている。


「最悪過ぎる、予想を遥かに上回る悪夢みたいな事態だ」


「ええそうね、今のこちらの損害は?」


「直接的なメンバー……幹部や事務のスタッフ、護衛部隊には今のところ被害報告は無い。だが俺たちが登録しているリスト入りの連中――殺し屋たちがどうなったかまでは不明だし確認できるとも思えないな」


「彼らの狙いはアルバニア人のみということ? でもそうとは到底考えられない……サルヴェッティへの攻撃は確認できた?」


「いや、今のところ無しだ。状況の把握が難しいな」


「ここで先に動いて攻撃を仕掛けたのはイストレフィ、でもその発端はアルバニアにおけるカルテルの先制攻撃――要人の暗殺」


「そっちの事件も調査中だ、だがイストレフィの連中はその実行を指示をしたのがカルテルだと見ているんだろうな」


「でもそれにしてはカルテルの反応がいささか愚鈍過ぎないかしら、先制攻撃を仕掛けたなら反撃する間もなくイストレフィ――連合シンジゲートを丸ごと押し潰していた筈」


「いや、今回はイストレフィの連中も反応が格別に早かったと言えるぞ。明確な根拠も無い推察だが、チェチェン人の件から恐らくカルテルを警戒して手駒を揃えていたのかもしれん」


「――ここにカルテルが来てからまだ日も浅い、先制攻撃してから追い打ちを掛けるにしても容易じゃない……それなら何故今仕掛ける?」


「さっきも言ったがチェチェン人――スレイマノフを潰したことによってムハレムがあそこまであからまな敵意を向けてくる展開から予定外だったんじゃないか? あの様だと利益を無視して組織の名誉を盾にしてでも仕掛けられる可能性があるとも十分言える状態だった」


「攻撃される危険に晒され続けるのを選ぶくらいなら、多少強引であっても先手を取りに向かう……」


「連中、本格的にここでメキシコの流儀を発揮する気だな」


「ともかく厳戒態勢にするべきなのは間違いない、でもまだサルヴェッティの動きとカルテルの攻勢もどう動くか不明瞭」


「やれる限りのことはしよう」


「集められる限りの情報は集めましょう、発端の事件も追うように」


「了解」


「部隊の招集、それから――」


 その時2人のスマートフォンが同時に着信を知らせる振動と音を発した――。

 それぞれの画面に表示されていたのはイストレフィとサルヴェッティの連絡係であった。


 する着信の音からスマートフォンに2人が視線を向けたと同時にオフィスのドアが開かれた、そこに現れたのは相変わらずのスーツを着崩したニコライ。


「これはまた……」


 ニコライはうず高く雑に積まれた書類の束と緊張感に包まれた空気から察すると、大きく肩をあからさまに竦める、実際に彼が慌てる事態は少なく今ではないという事であった。

 するとその時ヨセフが電話を終え、ニコライに向き直った。


「良かった、お前はなんともないようだな」


「まあ俺はな」


「どういう意味だ?」


「来る途中、街の表で死体をもう何度か見かけたからな。カルテルやらシンジゲートどころじゃない、下部組織の連中もどさくさに紛れて動き始めてる。もしかしたらどっちかの組織がけしかけているのかもしれないがな」


「状況は順調に悪化し続けているみたいだな……」


「そうでなくちゃな……」


 深刻な表情で言葉に詰まるヨセフ。だがニコライは一人この場でこの状況で、不敵な八重歯を覗かせた笑みを浮かべて心を躍らせていた。



 ――デルヴェッキオが個人で所有する屋敷――



 スレイマノフが使っていた屋敷とはまた別の白く上品なデザインの屋敷。周りには他の住居は無く、広い土地ごとを購入してそこに彼の屋敷だけが建てられていた。テラスからは広大な自然の景色が拝める。

 デルヴェッキオは屋敷のリビング、一般的な家庭の数倍になるであろう面積を誇るリビングでソファに深く座って目を瞑り、一人大型高級オーディオから発せられるクラシックミュージックを堪能していた。

 すると彼の使用人であり右腕でもある丸刈りの石像のように微動だにしない表情の男が彼の傍に音も無く近づいてく。そして軽く肩に手を乗せ、自分が来たことを知らせると耳元に口を寄せてやかましくもないが聞き取りやすい適当な声量で主へ報告をした。

 報告を終えた男が傍に直立し指示を待つ。


「遂に来たか。だがそのムハレムの状態は本当か? そうなると少し気になる問題があるな……しかし……」


 完成した姿が一つか、それとも複数なのかもわからない戦略という名のパズルをデルヴェッキオは瞬時に脳の中で組み上げる。ピースは今ある手段や真実、憂慮すべき事象だ。

 一瞬の間に熟考した彼は真っ直ぐで高い鼻梁の顔を上げ、ゆっくり頬を吊り上げた笑みを浮かべ目を輝かせる。


「我々も動くぞ、大きな賭けだが誰にも後れを取るわけにはいかない」


「と言うと……?」


「車と最低限の人員を用意しろ、当事者に話を聞くのさ」



 ――ラーズヴァリーヌ内にある廃工場――



 真夜中、都市部から大きく離れた位置にある廃工場から聞こえるのは夜風に揺らされて軋むトタンや金属の音。工場を照らすのは月明りのみ、だが工場の事務や管理を行う本棟から逸れた建物から揺れる光が漏れていた。

 オフィス棟とも呼べる建物、中には薄汚れたネズミの死骸やほこりに塵が積もったデスクが幾つも並べられている、その上には時代遅れな旧型のデスクトップPCが乗せられているがどれも画面は無残にも割られていた。

 その部屋の隅では焚火灯が起こされており、壁にはPOF製G3A3やレミントン製M11-87が立てかけられ。また傍にはキンバー製1911クローンGrand Raptorも置かれている。そして焚火をじっと見つめる座ったジェイク・アーチャーの姿を、炎が照らし、感情を示さない眼球を金色に輝かせていた。

 彼の手には発信中を表示されたスマートフォンがある、だが彼はもう相手が出る事を期待していないようであった。

 彼の傍には病的なまでに整然と弾薬がずらりと立てて並べられていた、7.62×51NATO弾や.45ACP弾、12ゲージダブルオーバック弾――。

 そのどれもが明らかに不足している。元も彼が持ち込んでいた.45ACP弾は残り14発程、7.62×51NATO弾は一マガジン分あるかないか、12ゲージに至ってはコロンビア人のアパート以降に奪った5発のみ。

 彼の目にも明らかに戦闘、及び命令の遂行すら難しい状態であった。その上彼が廃工場を根城に定めたのも彼には休める場が無く、庇護してくれる存在はこの地にたったの一人も存在しない為だった。

 

 彼はこの時まだ知らなかったが、今回の依頼主であるコロンビアのゴルフォカルテルはシエラマドレカルテルの本国部隊に既に殆ど殲滅させられ。彼の飼い主である南アフリカで活動するマダムも自分の身を守る為に奔走しており、彼の存在は完全に捨て置かれていた。そんな中でも幸いだったのはマダムが真っ先に彼の命をカルテルに差し出していないことだけだった――。

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