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Along with the killing  作者: キャラメル伯爵
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Chapter 4-1 Kill Everyone

 夕暮れ時、ラーズヴァリーヌの街並みに地平線へ落ちていく太陽の光が覆いかぶさり電柱やビル、ライフルを構えた男達の影が地面に溢されたタールの様に広がり伸びていく。

 散発的な銃声が街の中で撃ち鳴らされビルやアパートなどの建物に反射しては広がって次々と鳴り響いた。

 ある路地裏にも通ずる道路で数体の死体が転がり周囲の市民たちは一目散に駆けて散っていくが数人の者たちは車や建物、ゴミを盾にして容赦なくお互いにライフルや拳銃を視線の先へと発砲している。パタパタと倒れていく者たちの体からゆっくりとじれったい動きで血が流れ出す。その傍らには輪ゴム止めされたビニール袋や紙袋が地面に撒き散らされていった。

 スレイマノフ・ファミリーが壊滅してからラーズヴァリーヌでは連合シンジゲートにも属さない小さな組織が抗争を繰り返している、彼らは貪欲に次々と強引にチェチェン人たちのシマを椅子取りゲームの様に狙ってい襲っていった――。



 ――ダイチェ・チェロベーク美術館、地下――



 高級な絨毯やジャンデリアで飾り付けられつつ黒と金色で殆どを占められたデザインの地下展示室、磨かれたガラスケースには銃器、弾薬、その他ナイフなどの武器から防弾チョッキなどの道具までクッションやスタンドに据えられ飾られている。さらには粛々と静かな部屋の各所に美しい筋肉や骨格などを持った体の彫像が銃器を携えながら台の上に建てられている。

 展示室にはスーツなどで黒色など派手さを抑えた上品で整った服装の雰囲気の者たちが展示品を眺めまた丁寧に銃器を構えつつ談笑していた。

 そんな中違和感なく溶け込んだ服装――黒いスラックスに黒いネクタイ、白いシャツと黒いジャケット――のアレクセイが前屈みで両手を両ひざに押し当てながらガラスケースに真っ直ぐと視線を向けていた。


「CZ75のP-09にP-07、それとフルオートマチック……フルオートかぁ。いざという時には役立つかな」


「何かお探しで? それともこちらを試していかれますか?」


 静かに傍へ寄っていたムッシューさんが驚かさぬように声を掛けてきた、けれど僕は慌てて手を忙しなく振って断る、今は特に目的があって見ている訳でも無いのだ。目的も無くしいて言うなら昼ご飯でも食べようかなぐらいしか考えないで外出してしまい、軽い昼食を終えて結局行ったことのある多少慣れている場所につい向かってしまっていただけだった。


「いや、大丈夫です。すみません」


「いえいえ、何かあればお気軽にお声掛けください」


 ムッシューさんはそう穏やかに言い小さく礼をするとまた音も無く下がっていった、折角だし後で75フルオートを試してみようかな……。

 ふと背を伸ばし周りを見渡すと多くの客やホテルのドアマンの様に微動だにしないまま直立し微かに首と目を動かし客たちを監視するスタッフ達が視界に入る、僕には物言わぬ静かな雰囲気は居心地の良さも感じられるけれど僅かに場違いな感覚も拭えない。

 ガラスケースに視線を戻すがやや興味を失ってしまい視線が滑る、ポリマーのライフルや鉄のライフル、木が一部使われたライフル……大きな口径のライフルも考えておいた方がいいかもしれないと最近は思っていたんだった――。


 その時背後に2人分の気配を感じると同時に柔らかい絨毯を踏む足音が耳に入ってきた、すると溜息が吐かれる音が聞こえてくる。


「もしかしたらと思ったけどホントに居たわね」


 振り返るとそこには手を腰に当てて全く呆れたと言わんばかりな表情を浮かべるヘレナさんとスマートフォンを操作しているヨセフさんが佇んでいた。2人も何か買いに来たのかな……。


「折角の日曜日なのにこんな所に来ているの? それとも何か仕事の関係で気になることが?」


 ヘレナさんがそう言いながら傍まで歩み寄ってくると前屈みになってガラスケースに視線を降ろした、そんな中僕は悟られないように無意識で伏目がちに視線を彼女に向けていた。病室でのあの出来事の記憶が鮮明に浮かぶ、あの時の行動の意味を僕は察することができなかったけど頬に熱を帯びる言い様の無い気恥ずかしの感覚までも蘇ってきていた。

 その時ふと視線を逸らすとガラスケースに微かに映る反射越しに僕を見るヘレナさんと目が合い驚いて向き直した。でもヘレナさんは何も言わず、何を言えばわからないのか微かに頬を赤に染めながら目を小さな範囲で泳がせている。そんな僕のイメージにそぐわない仕草に驚きと共に恐れ多くも彼女に愛おしさらしき何かを感じた自分に気が付いた。


「あの――」


「男爵が仕事を終えたという報告があった、後で詳細を確認してくれ。それとシルノフはまだ復帰を承諾しない、調べだとヤツに金が必要なのは確かだし時間の問題だろう」


 スマートフォンをスリープモードに切り替えて仕舞い込みながらヨセフさんが淡々と報告しすぐさま振り返ったヘレナさんは表情と声色を整えていつもの態度で返答した。


「報告を確認して諸経費や後処理については明日の内に伝える、シルノフについてもそのまま任せるわ」

 

「了解。久しぶりだなアレクセイ、傷は大丈夫か?」


 ヨセフさんは僕に向き直し体を指差す。


「はい、鼓膜と肋骨も治りましたし、ここももう殆ど癒着して痛みもありません」

 

 僕は45口径で撃たれた下腹部を手で抑える仕草をする。


「そうか、ならよかった。それじゃ俺はこの辺で、アレクセイもまたな」


 ヨセフさんは軽く会釈するとコートを翻して出口へ向かっていった。


「ヘレナさん、あの――」


「もしかして……怒ってる?」


「え! ? あ、いや別に怒ってないですよ?」


「退院の時は行ってあげられなくて、それにこの前も急に……」


 僕とヘレナさんは2人して珍しく得も言われぬ気まずさに対面したまま固まってしまう、そんな中つい手持ち無沙汰だった僕はネクタイの祈り重ねを撫でる様に触れていた。偶然その動作を見つけたヘレナさんが小さく声を漏らす。


「……ねえアリョーシャ」


 すると目を細めつつ僕の全身をやや怪訝そうな目で見まわした。


「そういえばアリョーシャっていつも黒いスーツじゃない? 他の服装とかで出掛けたりしないの?」


 そう言われ自分の恰好を改めて見直す、確かに多少の違いはあるけれど外出時はいつも似通った黒いスーツだ。


「無いわけじゃないんですけれど楽ですし……出かける時はいつも前からこんな感じですよ」


 するとヘレナさんは左手首の内側に付けた腕時計をチラリと覗き込んでからこちらにきらきらと光っているような錯覚を覚える目を向けてきた。


「今はまだ11時少し前ね、今日の予定ってある?」


「特には……ん?」


「ならいいわね行きましょう、デートに……」


「デ、デート! ?」


「あ、いえ何でもないわ、ただのちょっとした買い物よ」


「そんな急にどういう……」


「細かいことはいいの、とにかく一緒に来て」


 彼女はそう言うと強引に僕の手を引いて出口の大きな両開きのドアに向かっていく、その時視界の端に笑顔で見送るムッシューさんの姿に気が付いたけれどすぐにドアの先まで引きずり込まれていった――。


 ――州都の中心にある通り――


 煌びやかなラグジュアリー店やブティックが立ち並ぶ石造りの通り、街灯の細かいデザインですら豪華に飾られている。店内や通りに居る人達は整ったビジネスマン然とした人から近所に住んでいるのか軽装の運動着でにこやかに散策する人までいた。

 緩々でギラついたサイズの合っていない高級腕時計を振り回すスーツの人たちは株や企業買収について偉そうに語り合う、わざわざ高級な通りをランニングコースに指定した人たちはイヤホンで音楽を聴きつつ得意げな顔でゆったりと店の前を過ぎていく。


「お客としてこういうところに来ると何故かちょっと緊張しますね……」


 つい僕は視線が泳いでしまい見慣れない風景に囲まれ体がソワソワする。


「大丈夫、すぐに慣れるわ」


 車を降りて部下たちに待機しろと合図したヘレナさんは僕の手を引いて青鈍色の車両止めを通り過ぎ店が立ち並ぶ通りに入った。太陽が頭上で照っている中僕はいつ戻りのスーツ、流石に多少浮いているかもしれないし少し熱いけれどヘレナさんと会うのにだらしがない恰好というのも問題だと思う。


「服を買うという話でしたよね? 普段着とかでしょうか、それとも何か他の?」


「とにかくこっちよ、入ればわかるから」


 すると彼女に煌びやかなブティックへと手を引かれた、店頭のショーケースにはボディマネキンがややゴシックでイギリスの貴族を連想させるような衣装を着せられていた。いかにも高級で僕には派手過ぎるような印象すら抱かされた。

 店内は白色と木を合わせた落ち着いたデザインで中央には子供から大人までのマネキンがおしゃれに飾られ、それを囲む様に店の壁沿いには多くの服やアクセサリーが並べられていた。店に入るとすぐにスタッフが僕たちの傍に寄ってくる。


「お久しぶりですね、マーガレットさん」


「ええ、でも今回は私じゃなくて彼の物を探しに来たの」


「え! ? ここのお店はちょっと僕には派手というか、華やか過ぎる様な……」


「そうですか、わかりました。ではこちらなんてどうでしょう」


 スタッフは僕の小さな抗議なぞ全く耳に入らなかったのか奥へとドンドンと案内していく。見れば見る程店に並ぶのは煌びやかで豪華な品々だった、店の照明に反射しその存在を誇示するようなネックレスやドレス――。


「ヘレナさん」


 僕は小さくスタッフに聞こえないようにヘレナさんの袖を引きながら声を掛ける、けれど彼女は気が付かなかった――でも店内を見回す彼女の目と表情はとても楽しそうで輝いていた。

 そんなヘレナさんを黙って見つめていた僕に彼女は振り返って声を掛けた。


「いい店でしょ? ほんの少しだけでいいから試してみない?」


 彼女の表情を見た僕にはもう拒否の言葉が喉から出てこなくなっていた。


「そ、そうですね少しだけなら……」


「アリョーシャは元々綺麗で整っているんだから色々試してみないと勿体ないわ、後で美味しいケーキも食べさせてあげるから♪」


「なんだかやっぱりヘレナさんにだいぶ子供扱いされてる気がします」


 そう僕が呟いている間にヘレナさんはあっという間に店の奥に入り込んでいった。


「アリョーシャこっちこっち」


「今行きますって!」


 小走り気味に彼女の下へ向かっていく僕、ヘレナさんはその短い間にもスタッフに何か色々と用意してもらうのか話している。


「よくわからないけどデートってこういうものなのかなぁ?」


 ――数十分後――


「やっぱり僕が一方的に遊ばれているような……」


 僕の眼前で堂々と仁王立ちするヘレナさんの表情は心の底から満足げで何か大きな仕事をなし終えたと言わんばかりだった、しかも女性スタッフの人まで両手を合わせて小さく口を開けて呆然と驚いていた――全身丸ごと着せ替えられた僕を見て――。


「これはちょっと、いやすごく恥ずかしいんですけど……ヘレナさん? 聞いてます?」


 僕は隣に置かれた全身鏡に向き直って自分の姿を改めてまじまじと見た。頭には栗色のミニハットがやや頭頂部からそれた位置に斜めって付けられている。

 上半身は随所にレースがあしらわれた白いブラウスで袖は裾にかけて広がっていくコルネットスリーブ、胸元には栗色の大きなリボンの様なジャボ、そして下半身は栗色に統一されたサスペンダーで吊り下げられているふわりとしたスカートと柔らかなふくらみの様なドロワーズ、やっぱりどれもがレースが沢山飾り付けられている。さらに足には幾つかのベルトがあしらわれたゴシック風のハイブーツでレース付きの白いハイソックスが膝小僧とブーツの間から覗いていた。


「こ、これって女の子の服なんじゃ……」


 僕はあまりの羞恥心に声と白い手袋を嵌めた両手を震わせてなんとか声を絞り出す、鏡に映る驚嘆し目を見開いて頬を段々と赤く染める自分の姿はまるでおとぎ話に出てくるような恰好だった。

 僕は抗議しようと振り返ってヘレナさんに向き合う、けれど背筋を伸ばし腕を組みながらも幸せそうな彼女の表情を見て言葉が詰まってしまう。それに――僕自身こんな経験をしたことが無かったし、初めてこんな可愛らしくめかしつけられるのもつまらないという訳でも無かった。


「う……ケーキの件忘れないでくださいね!」


「勿論わかってるわ。さ、後ろ向いて」


 彼女にそう言われて僕は何も聞かずそのまま回転し背を彼女に向けるとブーツの固い靴底が床で「ゴツゴツ」と鳴り響いた。鏡に映る僕のすぐ左側の背後に立つ彼女、満足げな表情のまま右手で僕の右二の腕に手を添えた。すると不意にスカートの内側に何かが押し込まれる感触が背に走った、けれどそれが何かすぐに分かる。

 SIGP230を収めたコンシールドホルスターが腰のほぼ7時の位置に差し込まれていた。まるで錠前に鍵の歯が全てカチリと収まる様な感覚が前進を駆け巡る。


「これで完璧ね」


 前屈みになった彼女が僕の太腿の付け根から上へと下腹部の開腹跡を手でなぞりながら耳元で小さくかつハッキリと囁いた――。


 それから僕と彼女はさらに色々な服を試着してみては彼女が買っていった。どれもいつ着ればいいか迷うような服ばかりだったけれど……しかも僕たちには持ちきれない量になっていたから荷物を一旦車に押し込んできたのだった、それに僕は元のスーツに流石に着替えた……。


「さて、次はティータイムとしましょう」


「覚悟してください、僕はとても沢山食べるつもりですからね」


「あら結構よ、でもそれならちゃんと美味しいお店にしないとね」


 そう彼女はにこやかに答えると既に決めてあったのかブティックが立ち並ぶ通りからそう離れていない場所にある三階建てのカフェへと案内された。店は彼女によって既に予約されており直ぐに奥のテラスのテーブルへ着くことができた、流石ヘレナさんの手回しだなと静かに僕は感心していた。


「それじゃ予約しておいたメニューでお願いね」


「かしこまりました」


 お店には事前にメニューも伝えてあったのかな……。


「ここの一番いいメニューをもう頼んであるからね、それに他に気になったものとかお代わり、追加があれば遠慮なく言ってちょうだいね」


 テラスからは先程通った高級な店の立ち並ぶ通りが見下ろせる、ぽつぽつと歩く人や素早く通り過ぎていくランニング中の人、風景そのものが落ち着きゆるやかな流れを映していた。

 僕はそんな景色をぼんやりと眺めながらスマートフォンに届くメッセージを幾つか無視したままメニューを見つめるヘレナさんを横目にちょっとした考え事をしていた。


「何をそんなに考えているの?」


 隠すつもりも無かったとはいえ真っ直ぐに心中を見透かしてくると少し拍子抜けというか、なんだか何も隠し事が通用しない気がしてくる。


「今日、いえ前からヘレナさんには色々貰うばかりなので僕はどうするべきかなと……」


 考えていたことを明け透けに伝える、実際自分一人で悩んでいても答えが出そうにもないと感じていた。ならばヘレナさんに聞けば何か糸口が掴めるかもしれない。


「あらそんなこと?」


 彼女がやや目を見開いて予想外だと言わんばかりの表情を浮かべたと同時にいくつかのケーキやタルト、まだ切り分けられていないパイが静かに置かれた。ヘレナさんは粛々と料理を並べ一礼してから去っていったスタッフに目もくれずケーキをお互いの皿へと乗せ始めつつ言葉を続けた。


「私は確かにあなたにいくつかの形の有無はそれぞれの物を提供したわね、でもちゃんと私にとっては前払いでも無くその場の等価交換に等しく満足のいくものを対価として受け取れているのよ」


 目をケーキから目を離さぬままケーキサーバーで丁寧かつ滑らかな動きで分けていく。


「でもこれは私主観の気持ちと考えから成り立っている。そしてあなたの気持ちは一方的な奉仕を受けている様に感じ、またそれに対して何も応えないままというのが気に入らないというもの」


 にこやかにケーキを分け終えた彼女がチラリと僕の目を真っ直ぐと見る。


「私が自分の感じたことに基づいた考えから行動しそれをあなたに実行してる、あなたに対して強く礼やお返しはいらないと言うのは私の考えを押し付けるに等しい。だからこう言う、あなたが感じ考えた通りに行動すればいい、私はそれが如何なるものであっても受け入れるし嬉しいと感じると思う」


 僕の感じた気持ちに基づいた考え――。


「ハイ、どうぞ」


 僕は自分の皿の上に置かれたストロベリーのカットケーキの先端を刺したフォークをヘレナさんに突きつけた。ヘレナさんは驚きの表情と共に動きを一瞬止めた、だけど直ぐに串刺しのケーキの欠片から僕に視線を移すと目尻を小さく引き下げて嬉しそうな表情を示した。

 こんな程度のことは簡単な思い付きでしかないけれど……贈り物には贈り物を、奉仕には奉仕を。


「そうそうそんな感じね」


 ヘレンさんは目を瞑って向けられたフォークを咥えた。



 ――同時刻、ホテル・カストリオティ内のクラブ・ヘル――



 激しいEDMが響き続けるクラブ――中央には細かいライトが設置されたダンスフロアで若い男女入り乱れた客たちが踊り狂っておりその周りの幾つかの2人席には酒を飲む客がそれらを眺めている、音量は大きく鼓膜を激しく打ち鳴らし人の声は完全に掻き消されていた。

 色とりどりのレーザー照明が空間を隙間なく塗り潰さんと音楽に合わせる様に蠢いて四方八方を照射している。

 クラブの随所に赤いジャケットを着たイストレフィ・ファミリーの護衛達がその存在を隠そうともしないまま立ち、また座って腰や脇に拳銃を差しながらクラブの客たちに目を光らせていた。

 その中で2階に位置するVIPルームではムハレムが白いCの字に置かれたソファーに深く腰を下ろしており彼の周りには全裸のストリッパーが4人傍にいた。1人は彼の赤いシャツを左腕から捲り上げ彼のベルトで肘の付近を縛って浮き上がった静脈に透明の液体が詰まった注射器を突き立ててゆっくりとピストンを押し込んでいく、もう一人はチャックが下ろされた隙間から頭をもたげている男性器を口に含み頭部を激しくピストン運動を繰り返していた。そして右側にはソファに膝をついた女性が彼の首や顔に舌を押し付け蠢かせている。4人目は彼の目の前で胸部や臀部を見せつける様に踊る、だがムハレムは頭部をソファの背に預け虚ろな目で天井を見上げ鼻の下に盛り付けたコカインを吸引していた。アルカロイドとメタンフェタミンの相乗効果によって彼の意識は激しい興奮状態へ昇り上がったがそれでも壊れた人形の様な状態から変わることは無かった。

 しかしその時クラブの入り口に一人の女性が姿を現す、赤い革のジャケットを羽織りジーパンとブーツを履いたユリアナであった。彼女は険しい目つきと闘牛の様な怒りを周囲へ撒き散らしながら踏み込んでくるとイタズラが母親に見つかったような焦りようで部下の護衛達が道を遮った。


「すみませんミス・ユリアナここは――」


 激しい強打音が響き部下が横へ吹き飛ばされて倒れ込んだ、ユリアナの上半身の筋肉を無駄なく動かした鋭く素早い右フックが男の頬を打ちぬいていた。


「ちょ、ミス――」


 さらに彼女の肩に手を置こうとした別の男には容赦ない左ボディブローが放たれ肋骨にヒビが入ると同時に横隔膜も激しく損傷し内出血を起こした、そこへ続けて呼吸困難に陥って下がった頭部に向かって斜め下の右フックが眼孔側面に叩きつけられ男は床に倒れ込むと口から胃液、酒、数時間前に食べた何かを噴き出した。


「夫はどこ」


「こ、こちらです……」


 客をかき分けて現れた部下が汗を垂らしながら2階のVIpルームへ案内する、彼女の斜め後ろに控えて付いていく部下は既に微かに失禁していた。彼女は堂々とクラブの人込みを突き進んでいくがその剣幕はおのずと若者たちの沸き上がった脳を覚まさせ、でなければ即座に打ちのめさんと語るが如くであった。

 部下がユリアナから距離を取りながらVIPルームへの入り口を指し示すと彼女は躊躇なく開け放ち踏み込んでいった。


「何よあんた!」


 ムハレムの眼前で踊っていた女性が真っ先に気が付きヒステリックに吠えながらユリアナに向き直った、それに対して素早く距離を詰めたユリアナは両腕を大きく動かし突き出す様な前蹴りで女性の腹を強打し吐瀉物を噴出させながら後方に吹き飛ばしテーブルをひっくり返して酒や注射器、白い粉末を散乱させて失神し虫の死体の様に硬直した。

 ユリアナは彼の眼前に仁王立ちすると左右の泣き叫ぶ女たちの後ろ髪と首を掴んで左右へ投げ捨てる、続けて犬が水を舐める様な音を立てながら股座に顔をうずめる女の髪を頭頂部から鷲掴みして持ち上げると1発、拳を顔の中心に打ちつけ鼻の骨を折り手が鮮血に染まる。さらに1発、もう1発と固く握りしめた人差し指と中指の拳頭を振り下ろし頬骨を折り眼球を圧力過多で破裂させてから後方へ放り投げる、壊れたマネキンの様に脱力した女の背中に続いて後頭部と四肢が床に叩き付けられた。

 ムハレムは飛沫した鮮血を顔に受けながら目の前で次々とストリッパーたちが打ちのめされていくのを眺めている、正確には視線を投げかけていただけであった。ユリアナの目には彼が今にも唾液を口から垂れ流しそうに見えた。


「お前……子供たちも家で待っているというのに……」


 口腔から「ギリギリ」と歯軋りの音を漏らしたユリアナは右手の指をゆっくり一本ずつ折り畳み拳を組み上げる、荒れ狂う感情と研ぎ澄まされた武器たる肉体を完全に隔離している故震えが走ることも無い。うねった黒髪を顔の前で揺らし彼を見下ろしながら厳しく眉間に皺を寄せた目元を覗かせていた。


「チッ――」


 瞬く間もない速さで拳が彼の左頬に叩きつけられソファに倒れ込む、だがユリアナは素早く胸倉を掴んで持ち上げ顔を眼前まで引き寄せた。


「お前と親しかったアフメドがあんなことになって、酷く、ホントに酷くお前が取り乱す気持ちもわかる」


 そんな激しいユリアナの言葉を受けてもぼんやりした彼の目は段々と揺れ始める。


「クソッ」


 今度は重い頭突きが彼の鼻に直撃し鼻孔から赤い線が伸びるるがその衝撃で揺れた頭部をもう一度引き寄せた。


「それでもお前がしっかりしないでどうする! 街や他の組織の連中はお前がちんたらと立ち直るのを待っちゃくれないんだ!」


 彼女のその言葉でほんの少し彼の目と表情から意識的な動きが見える、その姿は自分の非を認め後は謝罪の言葉を発することだけを残した子供であった。


「俺は……」


「さっきも言っただろ、分かってる。それにこれまでのお前の事は責めない。だがこれからどうするかによってはお前を私は許さない」


 そして彼女はムハレムをソファに投げつけると踵を返してVIPルームから出ていく、扉が閉まる寸前に振り返るとソファに腰を下ろし両手で顔を覆う彼の姿が覗き見えドアがゆっくりと閉じられた。


「畜生……」


 ムハレムの頭の中で庭を駆け回る子供たちの姿とその明るい笑みに溢れた表情が浮かび巡り感情が収まり思考がハッキリとし始めた。

 顔を上げた彼の瞳に段々と闘志が浮かび始める、彼は立ち上がり身なりを整えると深呼吸して歩き出すとドアに手をかけた。



 ――サルヴェッティ・ファミリーが所有するビル――



 ラーズヴァリーヌ州都の一角に立つあるビルは頑強な強化ガラスによって外装が構築されて青く美しい印象を与え、またその建物から出入りする人たちもパリッとしたスーツを着てアタッシュケースを引っ提げ自身満々の表情と全身は最高に優秀なビジネスマンだと雰囲気から主張するような人間たちだった。

 そしてそのビルの最上階に位置するデルヴェッキオのオフィス――。


「それじゃよろしく頼む」


 デルヴェッキオは気さくな態度である大企業の幹部をオフィスから見送ると入れ替わりで書類を持った女性の秘書が入ってきた。そのスタイルは秘書というよりグラマーな売春婦のようだったが彼女は堂々とヒールの足音を鳴らしながらオフィスに踏み込んでいくと真っ先にデスへ書類が詰まったファイルを置いた。


「さてと……」


 デルヴェッキオは椅子の上で背筋を伸ばしファイルから書類を広げる、その内容は秘書が集めた新聞や雑誌の記事を切り抜き追記した物や公的機関の資料、また新規に書き上げたものなど様々であった。


「依然街の混乱は進むばかりか」


 秘書も立ったままファイルを開き資料を見つつ説明を始める。


「はい、スレイマノフ・ファミリーが壊滅してそのシマの奪い合いの為小競り合いから抗争まで起きています、この点において我々には特に大きな損害はありません。それどころか担当の者によれば市場拡大か顧客の流入が期待できるとの報告も」


「ふんふん、それにしてもここ最近の殺人や抗争の被害者は色々だな」


 報告を真面目に聞いているのかすらわからない態度の彼はペラペラと次々に書類へ目を通すが他人から見ればまともに確認しているのか疑問を抱かれかねないものだった。だが彼は確実に内容に目を通し街の状況、勢力図を頭の中に描き出そうとしていた。


「カルテルの連中はどうだ」


 秘書は一瞬眉間に皺を寄せつつ資料をめくり該当の情報を確認する。


「彼らもこの混乱に乗じて支配圏の拡大を進めているようです、それでも地元のギャングや以前から根を張っていたチャイニーズたちには出遅れているようですが。薬物の売人同士の銃撃事件や売春施設、違法カジノ、その他経営施設へお互いに襲撃を繰り返しています」


「だが地元に地盤を持っていないと大きく差が出るからな、それでも連中の強力な武力を振るえばその状況も変わりかねん……」


「それに例のイストレフィ・ファミリー、ムハレムがビジネスに支障をきたすほど以前の事件で精神的ショックを受けているという噂が街の災禍を悪化させているようです」


「後釜なんて無理なのは分かり切っている筈なのに街の屑共はそんなことで元気を出すわけだ、連中のシマへの支配は未だ頑強なのにな。実際の所これだけの騒ぎがあっても殆ど制圧に動いていないことが問題だ、例え大きな被害が無くても」


 秘書が不安げな目を向けるが彼は持って眺めていた資料をデスクに置き視線を正面から受け止める。


「しかしこのままではどうなるか……」


 両手の5本の指の腹を合わせて語りまた大げさなジェスチャーを織り交ぜて彼は自分の見解を述べる。


「ふん、どうとでもなるさ。我々の手を抜かぬように注意して業務に励まねばならぬだけ」


「それで今後の方針は――」


「今は特に変更は無い。チェチェン人の連中がいなくなったシマの扱いについても近いうちにある会合でハッキリするはずだ、それまで私たちが安易に手を出すわけにもいかない」


「カルテルがそのエリアで動いているという報告もありましたが――」


「ああ、連中はシマに触れられる大義名分があるからな。あいつらがチェンチェン人を根こそぎなぶり殺し、中古にした女たちも国外に売り飛ばした。チェチェン人のお膳立てのおかげで力で奪い去ってもその筋をしっかり通せたということだ」


「……」


「ともかくあのシマには触れられない、そしてカルテルも安易に近づくべき相手でもない。ムハレムの意向を確認してクラスニークルーグもどう動かすか考えなきゃならん」


「というと……」


「あの組織は形式上シンジゲートの下位組織ということになっていて各契約で支払われる報酬とは別の定期的な運用費も我々の共同資金で彼らに支払われている、だが直接対等で組織的な契約をしたのはイストレフィ・ファミリーだけだ」


「つまりすでに打てる手はそう多くないと?」


「そうだ、むしろ問題を増やさぬように大人しくしているのが最善の手という状況だな」


「そうですか、わかりました現状維持で情報収集の継続と」


「ああ、それで頼む」


 そそくさと秘書が書類を脇に抱えオフィスから出ていく。すると彼女の背後でデルヴェッキオは不敵な笑みを浮かべてドアでも壁でも、秘書の背中でもない何処かを見据える。


「さてさて、街は禍乱のどん底で悪化はすれど間違いなく好転はしない、状況はここからどう動くかね――」



 ――ある日、アレクセイの家――



 アレクセイが椅子に座りコーヒーを啜る音だけがリビングに響く、姿勢正しくも適度にリラックスしたまま座る彼はカップを支える腕を最低限の動作で動かす。やがて飲み干しキッチンにカップを置くと自室に入っていく。

 デスクの上にはVp9とマガジンが2本置かれており彼は慣れ親しみ尽くした動きでVP9をホルスターに差し込み続いてマガジンも差し込んでいく。そしてハンガーにかけられていたジャケットを取り出すがその隣にあるヘレナにプレゼントされた服を横目に一瞬だけ一瞥する。それからジャケットを羽織ると鏡の前で皺を伸ばしネクタイの根元に付けた銀色にきらめく祈り重ねの傾きを細かく整える。

 そして彼は足早に部屋を出ると扉を閉めていった、扉が閉じられたと同時にベッドに置かれていたスマートフォンが振動する――


『発信者:ヘレナさん』


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