Chapter 3-1 Wreak Havoc
――日が沈み切ったラーズヴァリーヌ州都、ヘレナのペントハウス――
「カチャカチャ」という食器がぶつかる小気味よい小さな音が響りながら、その上にはガラスとライトからなる豪華なシャンデリアが高い天井から垂れ下がり、インテリアの為であろう暖炉までも備え付けられている白色を基調とした大きな部屋。
手触りの良い白いマットが敷かれた正四角形のテーブルで、僕は小さなカットケーキを恐る恐る切り分けては口に運び、その甘美な美味しさに今の状況を忘れかけるというのを繰り返していた。一欠片を咀嚼し終え我に返って前方を見直す。するとそこには黒く胸元がへその近くまで開かれたドレスを着て、黒いレースのロンググローブに覆われた両手で頬杖をしながら、満足そうで穏やかな表情で僕を観察するヘレナさんが座っている。彼女自身は全くケーキに手をつけていないでただ僕を見つめ、ケーキを食べ終えると「これなんておいしそうじゃない?」とだけ言ってケーキスタンドから僕の皿に移し替えていた。
「やっぱり緊張しているのね、そんなに私があなたを呼んだ理由が気になる? 前回の会合の時全然食べさせてあげられなかったのが気になっちゃってね、これはその代わりってだけよ」
「でも、そんなことする人初めて見ました……誰もそこまで気にしないと、思う」
「そうね、少し言い訳みたいであって口実でもある。けど私の目的なんて、あなたが美味しそうに食事するところを見るぐらいなものよ」
その一言でこの場に呼ばれた理由が大したものでなかったという驚きを上回った気恥ずかしさが僕の頭を一杯にした。
「あ、え……そんなこと、言われても……」
「それにその顔、恥ずかしがって赤くなった可愛い顔も見れれば言う事なしね」
僕は何も言い返せず顔を伏せ焦った手つきでケーキを切り取っては口に放り込む。
「ヘレナさんは」
「ん? 何?」
「――僕の事をイジメ過ぎです。 確かに今の依頼主さんですし、以前の事で恩もありますけど……」
「そんなにイヤ?」
彼女が顔を覗き込んでくる、僕にはその視線を正面から受け止められない。
「わからない、僕にはわからないです……」
その時の答えにならない僕の言葉を聞いたヘレナさんはどこか寂しそうだった、物言わぬ眼球とその光彩は彼女の気持ちを僕に伝えんとするようだった。
「あ、そういえば!」
突然何かを思い出したように目を逸らしパッと表情を明るくさせ、彼女は立ち上がると何処か別の部屋へ行く行き足早に戻ってきた
「それなら、コレなんてどうかしら?」
そう言いながら彼女は長方形の黒い箱を差し出してくる、それは丁寧にリボンが止められどこか高級感がある。
「プレゼントよ、開けてみて」
言われるがままにリボンを解いて箱を開くとそこには、シルバーに磨き上げられ全体のシルエットが万年筆のペン先の様なアクセサリーらしきものが収められていた。
「これは?」
「ちょっと立ってくれる?」
彼女は僕の問いに答えないまま急かす様に立たせると、そのシルバーアクセサリーを取り出ししゃがんで僕の首元に近づけた。彼女のくすみの無い透き通る様な銀髪がサラサラと眼下で揺れているのが見える、それと同時に香水か彼女の体臭か判別がつかない甘い匂いが防ぎようもなく鼻孔に入り込み落ち着かない面映ゆさもあった。
「これは”祈り重ね”と言ってね、こうネクタイの結び目に付けるの」
僕の襟元に付けられたそれは羽根が幾つも重なったようなデザインで、甲冑の如く各部が擦り合いながらも稼働するよう加工されてその上部はリボンの様な太い十字が模られている。よく見るとその十字の中心にはワインレッド色の宝石――ロードライト・ガーネットが嵌められていた。
「どう?」
報酬でもない、取引材料でも必要物資ですらない損得抜きに人から与えられた物、それは純粋な”プレゼント”――ロードライト・ガーネットの輝きとシルバーアクセサリーの感触が人の想いを具現化させたように手元に存在した。
「Спасибо, я рад, что ......(ありがとうございます、嬉しいです……)」
俯いて”祈り重ね”を撫でるように指でなぞる僕を、彼女はやや開いた唇から吐息を漏らしつつ小さく手を動かし何かをしようとしながら見つめるも、静かに息を吐き自分を落ち着かせる様子を見せると数歩下がって薄っすらと満足げな笑みを僕に向け直した。
その時白いテーブルに置かれた彼女のスマートフォンが振動する。誰にも気が付かれず静かにメッセージの受信を通知しひとりでに画面が表示される。
『件名:報告 差出人:ニコライ・ラスコーワ……アレクセイの父親レオニードの存在が90年代プリシュティナ、サラエボ、ベオグラードで確認された。間違いなく当該地区で活動していたと思われるが当時紛争中であり詳細は未だ不明、アレクセイ本人の存在についても未確認。だが彼らが彼の地と繋がりがあるのは予想外であり警戒すべき事項だと思われる。イストレフィ及びムハレムに伝えるというのも考慮すべきかと。』
――数日後――
大きな豪邸のある一室に何人もの人間が忙しなく作業する騒然とした中、黒い影の様に仁王立ちした姿のアレクセイはサプレッサーから微かに硝煙の上がるVP9を握っていた。
周りでは救急隊員の恰好をした数名が幾つかの死体を特殊なシートで包んで次々と運び出し、また別の数人は家中にこべりついた脳味噌や滴る血液を丁寧に拭き取りながら漂白剤など幾つかの薬品を丁寧に振り撒いていた。本物の隊員とは見分けがつかない制服に無骨なゴム手袋をした姿はいささか違和感を感じさせるものがあった。
彼らは”ワイルドカード”と呼ばれる掃除屋達――適正価格で現場の後始末を請け負う連合シンジゲートには属さないヤロスラフ財団にも似た裏社会の独立組織。組織のワイルドカードという名前は彼らがあらゆる職種に扮して現場に現れ、成り代わって作業する事か呼ばれている。
まるで見えないバリアがあるようにたたずむアレクセイを避けて忙しなく掃除屋達は丁寧な後処理を行う。
そんな中、突然アレクセイの内ポケットでスマートフォンが振動しながら着信音を発し、彼は左腕だけを静かに動かして取り出すと耳に当てる。
短い会話だけが交わされ電話は直ぐに切られる、その時彼にある大きな仕事が舞い込んできたのだった――。
――クラスニー・クルーグが所有するオフィスビル――
不安が無いと言えば噓になる、それが今の僕の素直な気持ちだった。
流体的な白いパーツと大量のガラスで型どられたビル、僕は大企業が所有しているようなそんな美しいクラスニークルーグの本部に踏み込んでいた。もう今までで数回だけ訪れたことがあるけれど、その張り詰めた緊張感のあるビル内とオフィスはそうそう慣れられるものではない。
エレベーターに乗ってたどり着いた目的の階――そこは洗練されたデザインのデスクやPC、従業員達が揃えられているオフィス。ここのスタッフ達も当然クラスニークルーグを動かしている歯車の一つ、私語一つ挟まずPCに整った姿勢で向き合い、数人が時折ヘッドセットで粛々と業務に関する会話をしているようだった。
やがてヘレナさんのオフィスに辿り着いた僕はガードに扉を押し開けられておずおずと中に入っていく……。
中にはサクラ・コローナ・ウニータ系イタリア・マフィア――サルヴェッティ・ファミリーのカポであるクレメンテ・デルヴェッキオが、しっかりと固めた黒く艶々しいオールバックの頭をやや傾けた大きな態度と真っ白いスーツ姿で黒いソファに腰を下ろしていた。
堂々とした振る舞いは彼がこの場で最も高位の立場であり、またそれに絶対の自信を持ち合わせているという事をありありと示していた。それは見え透いた虚勢でもなく実際に他者を畏怖させどんな反発した相手であろうと制することができるもの。
そんな彼が落ち着いた表情を浮かべた顔面に埋まった眼球で素早くオフィスに入った僕を見据えると、なんの反応を示さないまま正面に慎ましく座ったヘレナに戻した。
「彼なら――」
ヘレナさんが言い切る前に、クレメンテが睨むというだけでは言い表せない程に殺気が溢れ過ぎた眼光を彼女に向けたまま背をソファーから離し、その顔を彼女に近づけた。
「お前たちは既に一度失敗している、次は許されない。わかっているな」
嫌味たらしくやや首をひねりながら語るそんな彼の口調は粘っこく絡みつく様だった、そして責められているヘレナさんは穏やかな表情ながらもいつものオーラを失いクレメンテに押されている様な状態、それは言い様の無い息苦しくまるで心臓病を患った様な不快感をも僕に抱かせた。
「買収したマローニだけじゃない、ファミリーのメンバーまで何人も死んでいるんだ。お前たちは契約に従って確実に、コイツを、殺せ」
右手のシンプルな金の指輪を嵌めた人差し指の先を、テーブルに置かれた紙束――写真がクリップで止められた書類に何度も押し付ける。すると今度は僕に激しい懐疑的目を向けながら乱雑に書類をテーブルの端に僕の方向へ放り投げた。
「今度はお前に聞く、本当に失敗しないか?」
それはまるで最初から僕が質問を否定することが決まっている様な蔑んだ言い方だった。僕はヘレナさんの表情を伺いなら恐る恐る書類を手に取る、盗撮されたのであろう不自然な二枚の写真に写っているのはラテン系の男達だった。
「サンチョ・レサマ・メンドーサとルフィノ・レサマ・メンドーサ、コロンビア出身の2人兄弟。兄のサンチョ・メンドーサはナポリの生ゴミの匂いがするようなクソ売人だがどういう訳か純度90%以上を維持したコカインを持ち込んでる。普通持ち込めたとしてもここまでの純度はありえない、他じゃ密輸や仲介を繰り返している内その品質は下がっていく。それをメンドーサ・ファミリーとかいう舐めた連中を使って売り捌いている上そいつらはやたらと武装し簡単に撃ちまくるときた、こいつらは粉で稼いだ金で地元のチンピラと銃を集めてさらに好き放題している、強盗、殺人、誘拐といった方法でな」
彼は明らかに怒った声色ながらも眉を僅かに動かすだけの小さな表情の変化でまたソファにふんぞり返って語る。
「もう一人のルフィノ・メンドーサ、こいつが特に厄介だ。ここには兄に呼寄せられて来たが、記録によれば本国で徴兵されコロンビア陸軍で訓練課程を修了する直前、上官を素手で脳機能障害に追い込んで除隊させられている。曲がりなりにも兵士みたいなもんだ。それでこいつは暗殺や強盗では先頭を切るし兄のサンチョが外出すれば護衛を務めている。お前らの殺し屋もこいつに殺されたな」
「数日前、この男……ルフィノ・メンドーサが直接ある人物をレストランで襲撃するという情報を得て我々が一人派遣した。だが失敗しレストランに居た人間も我々が派遣した殺し屋も死んだんだよ」
静かにオフィスの隅でタバコを吸っていたヨセフさんが疲れ切った表情で頭を垂らし顔を下に向けながら補足する。
「これは――殺しの契約(Contract of murder)だ」
「この2人はもう自分達が襲撃されて俺達に狙われていることを察知している。そのせいで外出時は選りすぐりの護衛を数名連れ、奴らの根城のアパートメントには武装した部下が多く張り付き警戒している」
クレメンテは顔をじっと見つめ僕の感情の揺らぎやこれから発する言葉の嘘を一切見逃さないようだった。
「しかもカルテルの連中が介入したがっている厄介な相手だ。今は押さえているがこれ以上問題が長引けばさらに面倒な事態に発展する、だから真っ先に後腐れも無いお前らが動かされた」
そう言いながらクレメンテはオフィスにいるヘレンさん、ヨセフさん、ニコライの顔を見回した。まるでお前らはそれなのに今まで何をしていた? と言わんばかりに……。
「それで?」
「殺します」
その瞬間煙草の吸い殻が床に落ちる音すら聞こえる程の静寂と緊張感がこの部屋を満たした。クレメンテは僕から視線を外すと再びヘレナさんを見て、片方の眉を上げた驚きの表情を浮かべてから僕の顔に向き直った――。
「ボス・クレメンテ待ってくれ! ! 俺がその仕事をやっ――」
「黙れ」
クレメンテは顔を向けぬまま恫喝しニコライを制する。
「俺達には掟がある、厳しい掟がな」
彼は軽く手を上げその甲を表にし、人差し指に金の指輪が嵌められているのを見せつけた。
「見ろ、こいつはシンジゲート幹部全員が所持する掟を象徴する指輪だ」
よく見ればルビーだろうか……赤い透明感を伴っている宝石が小さく埋め込まれていた。
「俺も、そしてそこのヘレナも持っている。すなわちその部下であるお前もその指輪に授けられた契約と掟の範疇という訳だ、これを破ってみろ――お前は破滅する」
「何と言われようと、最後に殺せと言われれば僕は殺します――必ず」
じっと彼の視線が僕の目に注がれる、それはまるで彼の意識が眼孔をこじ開けて脳と心に入り込もうとしていると錯覚させられるようだった。
「Darè Puoi mostrarmi――"killer”(”殺し屋”)」
立ち上がり僕の眼前に顔を近づけてそうたたみかけたクレメンテは静かに部下を引き連れて、ヘレナさんのオフィスから出ていった。
その後に残されたのはヘレナさんたち3人と、突然我に返って呆然となった僕だった。
「アリョーシャ、どうしたの? 急に……」
「あ、いや……僕にも何が……」
「確かに私があなたに依頼しようと考えていたけれど……あんなにハッキリと、アリョーシャ自身の口から言うなんて」
傍に歩み寄ってきたヘレナさんは僕の肩の近くにそっと手を添えながらも不安そうな声色だった、すると既に落ち着き払った彼女はニコライのことを穏やかな目で見据えた。
「それにニコライ、あなたには私を守る役目があります。どうかそれを忘れないように」
「だがヘレナ! あのコロンビア人は本当にヤバいだろ、こいつには無理だ! それに今度こそ殺し損ねれば連中は逃げ出す可能性もあるはずだ!」
ニコライは必死の形相でヘレナさんを説得しようとする、だけど彼女の僕を見つめる目には迷いも、考えを変えた様子も無かった。やがてヘレナさんの彼を見返す目はとても澄んでいたと、彼女の顔を静かに見上げていた僕は思った。
――それから数日後、ラーズヴァリーヌ州西部のアパートメント近く――
メンドーサ・ファミリーと名乗るギャング団が支配するエリアにあるアパートメント、その周りの道端には舞い上がる新聞紙や地面に転がる空き瓶空き缶から衛生環境と治安が悪いのが誰の目でも分かるものだった。
そんな街の歩道でふらふらと徘徊している薬物中毒者やギャングのメンバーらしき人達と一切目をも合わさず、羽織った黒いスーツの裾を舞わせ黒大理石の様な髪とやや目につく少年ともとられかねない童顔と背丈の人物――アレクセイ・サハロフが昇り始めた日に照らされている退廃した街を歩いていた。
彼はアパートメントの駐車場から敷地内に入ると周囲を軽く見まわして、静かにヒップホルスターから黒い革ベルトを覗かせながらVP9を引き抜き。少しだけスライドを引っ張って薬室内の初弾を確認してからサプレッサーを手早く取り付けた、長くなった銃身を黒いスラックスに覆われた大腿に沿わせながら敷地内を歩いていく。
――アレクセイがアパートメントに踏み込んで数分後――
薄汚れ短い金髪の男、黒いTシャツの上にはモスグリーンのジャケットを羽織りミリタリーカーゴパンツそしてナイロン製のライフルバッグを肩に掛けている。
彼は無表情にアパートメントに向かって歩いていくがその目は視界の如何なる出来事にも揺れず動かず義眼の様でもあった。
するとアパートメントに踏み入れてすぐ彼は自分の足に違和感を感じて右足を持ち上げ、ブーツの裏を見る。するとくすんだピンク色のガムがへばりついていた。どこかの誰かが吐き捨てたのであろうガムを彼は見つけてから一切の間もおかず指でつまんで放り投げた。
すると路上に寝っ転がっていたホームレスがそんな彼を見て腹を空かし舌を晒した犬の様に聞き辛さのある下品な笑い声を吐いた。
「へっへっへ……お前さん、道端でガムを踏むなんてとんだマヌケだな」
段ボールの上に横たわり黒ずみ切った服をまとったホームレスは酒瓶片手に大笑いする。
だがガムを踏んだ男は怒りや恥じらいを浮かべずただ何も見ない、ホームレスの侮辱した声が聞こえているであろうとも目線をも向けず変わらぬ表情のままアパートメントの奥へと進んでいく男――その名前はジェイク・アーチャー。
――
アパートメントの敷地内で見回りを務めている男が煙草を吹かし、握った拳銃をブラブラと持て余しながら適当に視線を巡らしていた、その近くでは番犬が首輪に繋がれた鎖を「チャリチャリ」と鳴らしながらゆったりと落ち着いた様子で鎖の許す範囲を歩き回っている。
突然サプレッサーの銃口が男の腰椎に対して垂直に押し付けられ、男は体を硬直させると小さな震えが腰から全身に広がりじわじわと不自然な汗が出始める。すると男の背後に立ったアレクセイに気が付いたのか茶色と黒い毛が混ざった犬が獰猛に吠え始めた。
「突然すみません。あなた達の雇い主、メンドーサ兄弟の所まで案内して頂けませんか?」
アレクセイが背後から素早く男の手首を捻って拳銃を奪い投げ捨てながらも囁く。
「おいおい、冗談が過ぎるぜガキ。ここにそんな奴はいない!」
男はそう言った瞬間体を捻って振り返ろうとする――だがアレクセイは左手で男の肩を押し返し素早くパンチの様に2回サプレッサーの銃口を脇腹に、腎臓辺りを狙って打ち込む。
「グッ……」
男は険しく眉間に皺を寄せて脇腹を抑えながら呻き苦悶の表情を浮かべた。
「5階507室にサンチョ・メンドーサの部屋がある、そこに2人がいるのでしょう? 余計な事をしたり大声で助けを呼べば周りの人間を殺すしあなたもすぐ殺しますから」
「ちょ……わかった、わかったから……」
男が両手を上げて降参の意志を示す。その瞬間小さな金属の摩擦音と破裂音にガスが抜けた様な音が響き、男の視界内で犬の後頭部が小さく破裂し毛むくじゃらな頭部のパーツと脳味噌、べたつく血がコンクリートの上に散らばって甲高い断末魔も無く犬が沈黙した。男は驚いて目をつぶり反射的に首を縮めていたが、ゆっくり瞼を開くと先程まで視界に映っていた騒々しい犬は四肢を脱力させて地面に転がっていた。
コロンビア人兄弟が根城とするこの7階建てアパートメントは無骨なコンクリートで作られ、灰色のヒビにまみれた壁の多くには無数のカラフルな落書きが施されていた、ここに住み着いてる人間はみなメンドーサ兄弟の手下ばかりであり普通の人間なら近寄ることすらしない。
男の斜め後ろについて歩くアレクセイは視界を周囲に巡らせながらも銃口を男の体に突き付けたまま。アパートメントにはいくつも部屋があるがどこからともなくヒップホップ等の騒々しい音楽が漏れてはアパートの敷地内で響いている、遠くからはまた別の犬が鳴く声が聞こえる中静かに2人は5階の通りを歩いていく。
「ここだ、案内しただろ自由にしやがれ」
2人は507と書かれた鉄製のドアの前に立った。
「すみません、呼び出すまでお願いします」
男は不満げな顔だが銃を突きつけられているとなれば拒否権は無かった、恐る恐る呼び鈴ボタンを押してさらに男は緊張の汗をかく。メンドーサ兄弟はここの支配者として君臨しているのであり、普通なら呼び出されない限りこちらから押し掛けることなど一切ない。錆びれたドアが乱暴に開けられ耳障りな摩擦尾音が鳴った、ドア枠とドアの間にはドアチェーンが掛かりその隙間からサンチョ・メンドーサが顔の右側だけを覗かせる。
「テメェ、何の用だ」
サンチョが「キロッ」と眼球を蠢かせ手下に向けて殺意がこもった視線を巡らせる。男は口早に答える。
「実は――」
その時男の陰から体半分を突然晒したアレクセイがVP9を素早く発砲し、弾丸はチェーンを砕き貫通するとそのままサンチョに向かい首の右側面を掠り風を裂くように皮膚を引き裂き、右総頚動脈という首に走る太い動脈血管に大きな亀裂を生む。
サンチョは目を見開き手で鮮血溢れる首を押さえながら着弾の衝撃も受け後ずさりし、ガラス製のテーブルに足を引っかけて仰向けでテーブルを粉々にしながら倒れこむ。
アレクセイは改めて眼前の光景に衝撃を受けて愕然としている男の背中に銃口を突きつけながら左手で押した。
「中に入ってください」
「お、おい……」
男はゆっくりと言われた通りに部屋に入っていきアレクセイは後ろ手にドアを閉めた。中には他の人間が居ない、サンチョの弟であり特に警戒すべきであったルフィノ・メンドーサも。
アレクセイは男の髪を鷲掴みしやや上を向かせると腰椎に向かって零距離でVP9を撃ち込み、右足の膝裏を蹴りつけて膝立ちにさせる。そのまま胸と右腕で男の頭をロックすると左手で素早くSOCPスピアポイントナイフを人差し指で引き抜き、逆手で構えると手首を捻りながら刺し傷を広げつつ突き刺す。柄まで到達すると素早くまた逆に捻りながら刃が筋肉に捉えられぬようその筋肉繊維の向きに沿いながら首から刃を抜いた、刃は総頚動脈を切り裂いただけでなく気管にも到達し裂け目を作りそこには動脈から溢れた血液が流し込まれていく。
男は自分自身の血液で窒息しながら水中で息を吐くような声を出し始める。アレクセイは首から噴き出する血潮が自分に掛からないように手早く男の頭を銃を握った手で押しのけた、男は眼球を大きく剥き出しにし根本を切断された木の如く倒れこむ。
それを見たサンチョは錯乱した様子で左手を突き出して振り回しながら口をパクパクと意味も無く開閉する。
「お――」
アレクセイは一切耳を貸さず聞こうともせず無表情に右手を突き出すとVP9のサプレッサーが付けられた銃口を彼の顔面に向けて引き金を引き、サンチョの鼻の付け根に弾丸を撃ち込んだ。薬莢が排出され微かに「ポトッ」という小さな音をさせて絨毯の上に転がり、サンチョの頭部は着弾した勢いで床に叩き付けられながらもややバウンドし沈黙する。
煙を上げるVP9を右手に握りながら静かに立ち尽くしたアレクセイは部屋を見渡す、小さな液晶テレビとボロボロになったシングルチェアにテーブル粉砕の巻き添えとなったインスタントヌードルが床に散乱していた。
――ここに居るはずだったのに――
事前の情報では彼らが外出する為に合流している筈がどうやら兄のサンチョしかこの場にはいないようだった。それでも彼は狭い部屋にいつまでも居るわけにはいかない、アパートメントにはそこらかしこが敵で満ちているのに逃げ場の無い一室に留まるのは危険であった。
彼は部屋を出ると扉に背を向け左右の通りに目を配りながら後ろ手に扉を閉める「ガチャンッ」という音がすると同時にアレクセイから見て左側の通りの陰から2人組が姿を現した、一人は長身で前髪もサイドもそり落とした金色の短髪の白人。もう一人は背が若干低くやや肌が黒く彫の深い顔をしたラテン系の男。
真っ先にラテン系の男はアレクセイに気が付き足を止めたが白人は不思議そうな顔でその男の顔を見ていた。
ラテン系の男はルフィノ・メンドーサ、2人目の目標。
白人の男は状況がわからぬまま首を回しアレクセイに視線を近づけていく――――
その視線が彼のシルエットに触れる寸前ルフィノは腰裏に刺したUSPへと右手を伸ばしながら左手は隣の男の背中を掴もうとする。アレクセイはVP9を握った手を胸まで持ち上げその銃口を左側、2人へと向けつつ右手を左手で包み親指の腹を突き合わせる――CAR(Center Axis Relock)システムにおけるHigh positionの構えを咄嗟にとる。
2人が同時に発砲し45口径の低い轟く発砲音とサプレッサー付き9mm口径による釘打ち機の様なやや高い射出音がアパートの通りに響いた。ルフィノは片手で抜き撃ちし弾丸はアレクセイから逸れて彼の傍を通り過ぎ、壁に刺さるがアレクセイの9mmサブソニック弾は白人の脇腹に命中し白いTシャツに赤い円を生じさせてそこからさらに赤黒い滝が服に描かれていく。
ルフィノは小さく呻く白人の男を左手で引きずり遮蔽物としつつ片手でUSPを乱射しながら元の階段へと繋がる曲がり角へ飛び込んでいく。アレクセイはHighpositionから素早くルフィノの方向へと銃を突き出し体の左側面を目標に向けたまま被弾面積を減らしたExtended position――右腕をL字に曲げるも肘を外へ突き出すように構え、左腕もL字に曲げ銃を握った右手を支える。右手首はボクシングにおけるファイティングポーズのような構えでやや30度程の自然な角度となり、両手で握った拳銃ごと傾けて正面から見るとグリップで右目を覆った形で構える。
彼は少しずつ近づき盾にされた白人を中心に挟みつつ斜めに歩き1発、1発……と計4発の反動を正確に抑えながら撃ちこむが、全ては白人の男の体に消えていきルフィノには当たらない。白人は自分が焦点を合わせるべき対象を失った虚ろな表情のまま着弾の衝撃で体を震わせながら引きずられていき、最後は投げ捨てられだらしなく両手を伸ばした状態で廊下に転がった。
アレクセイはルフィノが陰に飛び込む寸前に左足を踏み込み両腕の肘関節をややまげつつも腕を伸ばして左目で照準を見据えたApogee positionで狙い撃つ、だがその弾丸は曲がり角の一部を砕き飛ばし半円に削り取るだけに留まった。
その時突然彼の隣にある鉄製ドアの向こうからくぐもった大声が聞こえノブが捻られて扉が押し開かれた。
彼は体を180度回転させ扉に向き合いその回転を利用した勢いでドアを右足で蹴りつけて押し返し、強引に閉めると一瞬で5発適度にバラつく様に弾丸をドアに浴びせさせる、被弾し窪んだドアの向こうからは土嚢を落としたような音がする。
曲がり角へ向き直しアレクセイは右手のExtended positionで構え照準を完全に据わりきった眼球により覗き込みながら曲がり角へと素早く近づいて行く。その照準と銃口を沿わせながら角の向こうを覗き込もうとした瞬間、彼の銃目掛けて鷲のように開いた両手が飛び出してきた――。
だが彼は銃を降ろし右肘を前方に突き出してぶつけてその両手を逸らすと同時に凄まじい速さと勢いで陰で待ち伏せていた男の股間を右足の踵で蹴り抜いた、睾丸が砕け男が大声で叫び自分の股間を両手で押さえようとし上体と頭部が下がる。彼はCARの構えを解き男の頭部をまるで頭蓋骨を掬うように上向かせ、VP9のサプレッサーが付いた銃口を鼻孔に突き付けると間髪を容れず撃ち放つ。着弾の衝撃が鼻孔の中で炸裂し鼻が粉々に弾け飛ぶと弾丸は脳幹に含まれる間脳と中脳を破壊した。そこでVP9は15発撃ち尽くしスライドが後退したままストップしバレル前部と薬室が露わになった。
するとその死体の背後、階段を下りた先の曲がり角から2人の男が拳銃を持って姿を現す。アレクセイは死体の首を掴んで横に投げ捨てるとすかさず階段に向かって飛び出した。2人組のうち先頭に居た男が咄嗟に銃を持ち上げようとするがその寸前で飛び込んできたアレクセイに押し倒されその胸に彼は着地した。
彼は倒れ込んだ男と目があった瞬間その眼球に向かって飛び込んだ勢いも乗せてサプレッサーを叩き付けると男は激痛に吠える、そこでもう一人の敵は体を反転させて拳銃の照準を彼に向けようとした。
しかしアレクセイはVP9のスライドストッパーを押し下げスライドリリースしつつ立ち上がり、両手で銃を構えた男の腕を握ったVP9を上に向けた右上腕で押しとどめた、男は咄嗟に一発発砲し弾丸は壁に突き刺さる。次の瞬間アレクセイは手品の様なスピードで腰裏のコンシールドホルスターからP290を引き抜き自分の下腹部に沿わせて撃った。
9mmJHP115グレイン弾は男の腹に潜り込み大腸を突き抜け肋骨や胸椎から大きく逸れて背中から血を飛沫させながら飛び出した、男は声を抑えつつも大きく仰け反り拳銃を落とす。
アレクセイはVP9を腰4時方向のホルスターへ強引に押し込みつつ再び倒れ込んでいた男に向き直す、その時男は右手で拳銃を持ち上げ銃口を彼に向けようとするが彼は右足でその右手首を逸らし腕を男自身の腹に押し付けて無力化し、左手を突き出しP290の銃口を向けて引き金に力を入れ始めた――。
だがその直前両手が横から飛び出し左手を掴んで押し込まれ照準が男から逸らされる。腹を撃たれた男は一瞬怯んだもののすぐさま持ち直していた、男は左手で彼の左手首を掴んだまま右腕を薙ぎ払うように顔に向けて裏拳を放つ、そこにアレクセイは拳を振り上げた右上腕で受け止め押し返しつつ左手も引き男の両手を絡ませてロックする。そして引いた左手のP290を斜め上方へと撃ち放ち弾丸が腹に潜り込むも胃を突き破りその後方にある横隔膜をも破壊し内側から肋骨に衝突して弾丸はひしゃげて体内に留まった。
アレクセイはさらに左腕を引きその腕を掴んでいた男の左手首を右腕で巻き込みながら右手で掴み外側へと引っ張り男を自分の傍に寄せる、そして踏み込むと男の拘束された両腕の間に左腕を捻じ込み銃口を真上――男の顎へ向けると瞬時に発砲した。弾丸は容易く皮膚を貫通し下顎骨を破砕してピンク色で柔らかい舌をズタズタに引き裂くと、上顎骨を抜け前頭葉を歪んだ弾頭で掻き回し蛇行した結果、後頭部寄りの頭頂部から飛び出す。そしてアレクセイは流れる様な一連の動きでP290をExtended positionで素早く構え直し床に転がる男の眉間を撃ち抜いた。




