プロローグ
――――ある日のどこか――――
血溜まりの上に人が横たわっている。
身動き一つしない黙りこくった男の死体、スラングがプリントされたシャツは所々黒く濡れていた。
周りには9mm口径の薬莢、さらには空のマガジン、短機関銃までもが床の上で無造作に放置されている。部屋の中にはむせ返る程の硝煙が漂う。
太陽は完全に沈み窓からは月の光がかすかに差し込んでそれは部屋に浮かぶ埃や塵、幾つかの死体を照らす。
それら死体の頭部数か所に穴が空き艶のある紅い血がマンホールから溢れる水の様に流れ出している。
血と死体で汚れた部屋はソファやテーブルが置かれている大きなリビング、家庭的な日常風景の想像も容易な程何気ないものしか置かれていない。
だが数えきれない程それらの印象に似つかわしくない弾痕が幾つかの壁に空いている。壁の中に弾丸が埋まり着弾の衝撃で弾痕の周辺の壁紙が剥がされその下に壁の破片が転がっている。
床に転々と火の玉の様なシルエットの血痕が続く。
静かな惨状の中で背もたれの高い椅子に一人深く座り込み呼吸を荒くして肩を上下に揺らしている。
だらんと降ろした手にはツヤの無い黒い拳銃が握られている。安全装置は外され指は引き金に触れたまま、反対側の左手は真っ赤に濡れ脇腹の傷を抑えている、だが指の間からは鮮血が流れ出し灰色のTシャツに赤黒いシミが広がっている。
彼は体温が下がっていくのを感じると悪寒が生じ始めた、体中から力が抜けているが体の芯からの震えはどんどんと大きくなる。視界の端がぼやけその範囲は徐々に広っていく。
サイレンの音が家の外から響き始め耳に届くがその音はまるで水中にいるかのようにくぐもって聞こえる。それが救急車なのかパトカーなのか彼にはもうわからない。思考、記憶、そして意識が朦朧とする。
少しずつ体から力が抜けていき拳銃を握っている手が震え始めるともはや自分の意志で腕の筋肉を締めることができなくなる。
やがて手から滑り出した拳銃は銃口から床へと落下した。
ここからアレクセイ・サハロフの人生は始まった。