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5-2


 自分の婚約者は、自分の提案に即座に頷いてくれた。婚約者は従姉姫とは友人でもある。従姉姫の所へ来ていた彼女と顔を合わせたのが、そもそも自分たちが交際をするきっかけだった。

 婚約者も王宮内の不穏な噂を耳にしており、従姉姫と連絡が取れない事を不安に思っていたという。

 自分が度々従姉姫を尋ねるのは、いらぬ憶測を呼ぶだろうが、婚約者なら問題は少ないだろう。

 彼女は従姉姫の身に起きたことを自分から聞きだすと、憤慨も露わに吐き捨てた。

「勝手すぎるうえに卑怯だわ。自分と同じ気持ちを向けられていないからと言って、それが疑う正当な理由にでもなるというのかしら!信じられないなら手放せばいいのに、それすら出来ないなんて!」

 まったく同意見だったが、今は婚約者に同調するより他に懸念事項もあった。

「確かにきみの言う通りだ。だがあいつがこうも簡単に彼女を疑うのもおかしい気がする。噂を裏付ける証拠でも見せられたんだろうか」

 そうね、と婚約者も頷いた。

「ねつ造された証拠と、あとは誰かが煽っているのかしら。ねえいま王宮ではこの噂で持ちきりよ。とくに彼女が王子の婚約者って事が、前から気にいらなかった人たちなんか、ここぞとばかりに攻撃しているわ」

 そうか、と腕組をして考える。

 ひょっとすればこれは、彼女に対する不名誉な噂だけでは、済まないのかもしれない。

 後ろ盾のない、婚姻を結んだとしても自国に益のない婚約者。

 王は病に伏し、あとを継ぐ王子はまだ年若い。

 そこから浮かび上がるものは、何だろうか。思考の海に沈みかけた自分を引き戻したのは、婚約者の細い指先だった。

「ねえ、何だか嫌な予感がするの。早く彼女を助けましょう」

 ああ、と頷き、確認するように婚約者に聞いた。

「本当にいいのか。もし上手くいかなかったら、きみにもきみの家族にも迷惑をかけることになる」

 頼んでおいて今更だが、聞いておかねばならなかった。すると婚約者は形のいい眉を跳ね上げ、それからにっこりと笑った。

「迷惑?それは私の望むところだわね。あの家の名誉が地に落ちようと、私には関係ないわ。まあ使用人には少し悪いとは思うけれど……いえ、構わないわ、ね。主人の性根が悪いと下も習うんでしょうね。まあ酷いものだったわよ」

 婚約者の家は、この国でも指折りの名家だったが、彼女自身は今の当主が外で作った子どもだった。

 彼女の母親が亡くなったため父親の家に引き取られたそうだが、半分だけ血の繋がった兄弟や父の正妻、また使用人たちからも随分と心ない仕打ちを受けたらしい。

 自分と婚約した途端、手のひらを返したように猫撫で声で擦りよるようになったわと、いつだったか腹立たしそうに言っていた。

 ともあれ、婚約者の覚悟は知った。

 ねえ、と婚約者が上目遣いに自分をうかがう。

「私の事はいいのよ。あなたはどうなの。殿下の意向に逆らって彼女を逃がしたら、殿下の不興を買ってしまうわよ」

「……間違った事をしている主を諌めるのも、側近候補の務めだろうからな」

 そうねと呟き、婚約者は自分の胸に額を押し当てる。

「彼女、ちゃんと眠れているかしら。ちゃんと食事が出来ているかしら。ねえ私決めているのよ。彼女と会って殿下の事なんかこきおろしてやるって。決めているの」

 婚約者を胸に抱いて、艶やかな髪を撫でてやる。ああ、そうしてやれと彼女の耳元で囁いていた。



 密かに手を回し、扉の外で立つ兵を抱きこんだ。隙が出来るのはほんの僅かな時間だけ。あらかじめ婚約者を通し、従姉姫には計画を伝えてあった。警戒が緩むよう、わざと婚約者が訪れる日を選んで実行した。

 時間が無かったのは事実だが、言い訳にしかならないだろう。

 一度は王宮を逃げ出したものの、すぐさま追手がかかった。従姉姫と婚約者の二人を連れては、思うように距離を稼げなかった。もし宰相の息子か、あるいは宰相自身が王宮に居たのなら事態は変わっていたかもしれない。

 彼らが居たなら、もっと違う方法が取れたかもしれない。

 しかし一人は他国へ留学しており、一人は王の名代として他国を訪れていて不在だった。

 逃げ切れないと悟った従姉姫は、自分を置いて行って欲しいと願った。

「あなたたちは、わたしに頼まれただけ。そうすれば、追及の手も緩むでしょう」

 婚約者は、莫迦な事を云わないでと言い返した。

「私たちを見くびらないでちょうだい。自分のやったことの責任は、自分でとるわ。これは私が決めた事よ」

 従姉姫は……かすかに笑ったようだった。そしてありがとうと呟く。

「ありがとう、あなたたちが居てくれて、よかったわ」


  

 結局、逃亡はほんの短い間で終わってしまった。従姉姫は連れ戻され、自分たちは監視のもと、それぞれの屋敷に軟禁されている。

 王子のもとに戻された従姉姫の様子を知る事も出来ず、苛々と部屋を歩き回る日々が続いていた。

 彼女はいまどうしているのだろう。一度逃げた事が王子にどのような影響を与えているだろう。

 暗い目をした王子の姿を思い出すと、背筋を嫌な予感が這いあがる。

 もしかしたら、自分のやったことは事態をより悪化させたのだろうかと……誰にも聞けず頭を抱えていた。

 そんな時だった。部屋の中に、突然人影が現れた。剣をとり、鞘から抜き放ちながら鋭く威嚇する。

「誰だ、どこから入って来た!」

 すっぽりと頭からフードを被った人物だ。怪しい事この上ない。けれどその人物は、場にそぐわないのんびりとした口調で答えた。

「やだなあ、物騒なもの、仕舞って下さいよ。ほら、僕ですって」

 言いざま、フードを外し、顔を露わにする。何度か会ったことがある、従姉姫の実家に仕えているという魔術師の顔がそこにあった。緊張を強いられたぶん、脱力も激しく、剣を鞘に戻すと椅子にどかりと腰を下ろした。

「お久しぶり。何だかまずい事になっているようだね。噂は聞いたよ」

 声はどこかのんきそうなもの。しかし目に浮かぶ強い光がそれを裏切っていた。

「……一度、姫を連れて逃げた。結局逃げ切れず連れ戻された。その後の事はわからない。俺も屋敷で軟禁中だ」

 そう、と魔術師は呟いた。

 ……従姉姫は年に数度、生まれ育った屋敷に戻っていた。それに何度か同行したことがある。

 王兄の屋敷にしては、こぢんまりとしていて素朴ささえ感じる屋敷。

 彼女を真っ先に出迎えるのは、いつも……この魔術師の青年だった。

「じゃあ状況は更に悪くなっているだろうね。これからすぐに出る。つきあってもらうよ」

「どこに」

 魔術師はきっぱりと言った。

「もちろん、王宮に。これ以上彼女をあそこに置いておけない。僕一人じゃ、行ったことのない場所には跳べないから」

 わかったと答え、慌ただしく服をあらためる。何が起こるかわからない、少しでも用心はしておくべきだった。

 すぐ準備は終わり、魔術師に声をかける。魔術師はコートの端を差し出し、触れているように告げた。

「これから王宮に跳ぶよ。手を離したら迷子になるから、離さないよう気をつけてね。取りこぼしても拾いになんて戻らないからそのつもりでね」

 恐ろしい事をさらりと言う魔術師の目には、抑えきれない焦りの色が濃く滲んでいたから、自分は何も言えなかった。その代わりに尋ねる。

「今までどこに居たんだ」

「仕事でね……ちょっと遠くに居てね。だから戻って来るのも時間がかかった」

 それなら、何故彼女の身に起きた事を知ったのだろう。その疑問を読み取ってか、魔術師は口の端で笑った。

「ねえ、信じるかな。信じなくてもいいけど」

 

 声が。声が聞こえたんだよ。彼女が自分を呼ぶ声が。



 魔術師は自分の記憶を頼りに王宮へと跳んだ。まず初めに、従姉姫が軟禁されていた離宮へと跳ぶ。しかしそこは無人だった。ついで、同じくらいの規模の、別の離宮へと跳んだ。

 するとそこは警備のようすも物々しかった。ここで間違いなさそうだった。

 さて、どうするかと思っていると、中から王子が出てきた。警備のものに何やら話かけると、迎えだろう馬車に乗り何処かへと走り去った。

 中に入るよと魔術師が言い、自分も慌ててその後を追いかける。中に兵がいるはずだと思えば、魔術師が何かしたのだろう、彼らは床に倒れていた。 呼吸に乱れがないことから、ただ眠らされているだけのようだった。

 離宮のつくりはどれも似ているので、まずは居間を探した。しかしそこには誰も居ない。嫌な予感を覚えつつ、寝室に行ってみる。

 するとそこに、彼女が居た。

 眠っているのか、彼女は目を閉じている。上掛けをかけられた胸が、規則正しく上下している。

 青白い頬、血の気の失せた唇。そして何より、最後に会った時よりも細くなっている気がした。

 その原因に思い当たり、大きく息を吐き出すことでやるせない思いを逃がすしか、なかった。

 しかしあるものが目に入った途端、激しい後悔と憤りとで息が止まった。


 彼女は襟繰りの広い夜着を身につけていた。露わになった鎖骨の辺りにも白い首筋にも、赤い痕があちこちに付けられていた。王子の執着を示すかのように、びっしりと。

 立ちつくす自分の横を抜け、魔術師は彼女に触れた。

「ねえ、起きて。迎えに来たよ、帰ろう」

 彼女はゆっくりと目をあけた。あたりを見回し魔術師の姿を認めると……微かに笑った。



 魔術師の行動は、矢のように早かった。あっと言う間に逃亡の算段をつけた。

 僕たちはこの国を出ていくからねと、魔術師は言う。これ以上彼女をこの国に置いておきたくないという。

 そうだな、と自分も了承する。この国に居る限り、また彼女が見つかる恐れがあるし、何より王子は諦めないだろう。他国へ出た方がより安全といえた。彼女の身の潔白を訴えた所で、王子は聞く耳を持っていない以上そうするしか術はないように思えた。

 自分にとっても。そう、魔術師と従姉姫に、ついて行くことにしたのだ。婚約者も一緒に。

 あなたの行く所にいくわよと彼女はきっぱりと言い切った。自分としても彼女を離したくは、なかった。

 王子を諌めるのが、側近の役割だった。自分は王子の側近として、やがては王の側近になるはずだった。

 けれどそれは、自分を引き留める枷にはならなかったのだ。諌めて、一度聞き入れられなかったくらいで投げ出すとは何事だと、自分の父あたりなら言うかもしれない。

 だが王子の、彼女に対する仕打ちは……お互いの間にあったはずの信頼さえ、打ち壊してしまうものだった。

 

 助け出した時、従姉姫の片足は酷い状態だった。

 籠の鳥とするべく、王子が痛めつけたらしかった。魔術師が手当てをし、落ち着いた先で治癒師に診せても、完全には治らなかった。その頃だ、魔術師が告げたのは。

「姫さん、どうやらお腹に子がいるようだよ」

 その場に居たのは、魔術師と自分、そして婚約者の三人。田舎の家を借り、二組の夫婦を装って暮らしていたのだ。テーブルを囲みお茶を飲んでいる時に、魔術師は穏やかな水面に石を投げ入れるように言った。

 従姉姫はこの場にいない。助け出して以来、不安定なのかぼんやりとしている事が多い。あるいは眠っている事が多かった。今はひとり眠っている。

 婚約者は、手を口にあて息を呑み、自分は重苦しい息を吐き出した。

 恐れていたことが現実になったのだ。

 


 

「ちょっと子どもたちを寝かしつけてきますね」

 彼女はお菓子を食べて、今度は眠たそうにしている子どもたちを、子ども部屋に連れて行った。

 その間にテーブルの上を片づけ、あらたにお茶を淹れる。そうしているうちに彼女が戻って来た。

「あいつら、寝た?」

「ええ、もうぐっすり。あら、お茶どうもありがとう」

 彼女は美味しそうにカップに口をつける。そうして、思い出したようにちいさな笑みを浮かべる。

「ふふ、大きくなりましたね、ほんとうに」

「……そうだな」

 彼女が産んだ子どもは、女の子だった。彼女のお腹に子がいると分かった時、婚約者は「私たちが育てましょう」と言った。驚いたものの、婚約者の次の言葉に納得する。

「その方がいいわよ。万が一王子にでも知られたらまた厄介だし、後継問題に関わりかねない。それならいっそ、私たちの実子にしておいたほうが面倒はないわよ」

「そうだな、丁度、というか同じ時期にこっちも子どもが産まれるしな。双子の兄弟で通せるか」

 何と言う偶然か、婚約者も妊娠していた。産まれる時期はこちらの方が少し早いだろう。出産し、落ち着いた頃また遠方へと移動すれば、二人の女性がそれぞれ子を産んだ事など、わからない。

そうして。

 幾度か転居を繰り返し、今はこの地に落ち着いている。子どもたちは日々大きくなる。

 彼女が産んだ女の子……今は自分の娘は、目の色も髪の色も、王子にそっくりだった。

 男女の違いはあるが、顔立ちもなにもかも。


 あの時、彼女は言った。

 王子ときちんと話をしておくべきだったと。その言葉の意味を随分とあとになって知った。

 王子との婚約は形ばかりのもので、やがて解消される事が決まっていたということ。

 彼女は遠方の領地へ行くことを決めていたということ。

 王子のもとへ留まろうとしていたのは、噂を耳にした王からのとりなしと、王子への事実の説明を待っていたのだということを。

 自分のやったことは、結局のところ事態を悪化させ、彼女をより望まぬ方へと押しやったのかもしれない。

 何度もそう思ったが、彼女に何をどう尋ねればいいのかわからず、何も言えないままだった。

 小さく笑みを浮かべる彼女の、心のうちはわからない。



「それじゃ、お茶ごちそうさまでした」

 彼女は立ちあがる。玄関まで送ろうとしたが、勝手知ったる他人の家ですから、お気づかいなくと言われ、再び椅子に腰を下ろした。ぱたん、と扉が閉じる音が聞こえた。しばらくして、隣の家の扉が開く音も。

 自分と妻、子どもたち。彼女と魔術師。二組の“家”は仲のいい付き合いを続けている。

 賑やかで、おだやかな日々。

 この日々が、この“日常”が、彼女の心に平穏をもたらすことを、願っていた。





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