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 この国の王が青い顔をして自分の執務室に駆けこんできたのは、初夏の昼下がりのことだった。

 前触れもなく不意に現れた王に慌てる部下たちには、しばらくの間休憩を取るよう指示を出す。

 うろたえきった王の姿を、無闇に晒すわけにはいかない。

 誰も居なくなった執務室で、執務机から離れ、部屋の隅の長椅子をすすめると王は……自分の幼馴染は疲れたように座り込み、頭を抱えていた。

 その向かいに腰を下ろし、何があったと問いかけると、幼馴染は喉の奥から絞り出すような声を上げた。

「……彼女のことを思い出した。お前が言っていたのは、このことだったんだな」

 その言葉で、自分は幼馴染が何を言いたいか理解した。

 そして十年ほど前から付きまとっていた違和感が消えるとともに、言い知れぬやるせなさも味わっていた。

 彼がすべてを思い出したとして、もう何もかもが遅かったから。



 あの時何が起こっていたのか、留学生として国を出ていた自分は、正確な事は知らない。

 宰相である父は、起きた事については教えてくれたものの、具体的な内容までは教えてくれなかった。自分が幼馴染の即位式のために一時帰国していたときには、既にその事態は終わっていて、関係者への処分も下されていた。

 表面上は落ち着きを取り戻していた王宮内。勢力関係もいくらか変わっているようだった。

 ただ一番大きな違いは、幼馴染の傍に彼女が居ない事だった。

 帰国の挨拶のため幼馴染の所へ顔を出した時、何故彼女が居ないのか問うた。すると酷く苦しそうな顔をして黙り込むから、それ以上何も聞けなかった。夜遅く帰宅した父に彼女の不在の理由を尋ね、そこで初めて、ここ数カ月の間に起こった出来事を知ったのだった。

 何故そんなことにと喘ぐような声をこぼした自分に、父も苦い顔を隠せなかった。様々な思惑が重なった結果が、あの事態を引き起こしてしまったと疲れたように書斎の椅子に腰を下ろしていた。

 彼女を得たいと望んだ者、幼馴染を得たいと望んだ者、そして権力を望んだ者……恋に盲目になったもの、権力欲にとり憑かれたもの……それらの思惑が入り乱れた結果、彼女に疑いの目が向くよう仕立て上げられたのだ。  

 彼女にかけられた疑惑は、まともに取り合うのが馬鹿馬鹿しいほどのものだった。

 世継ぎの王子の婚約者でありながら、その父親といかがわしい関係にある、と。

 そのような女は世継ぎの王子の婚約者に相応しくないと。

 手元に置いて可愛がった娘を、王はそのまま息子にあてがったのではないか。

 父が言葉を濁しながら語ったことは、どれも彼女を知る自分からはまるで遠い所にあるものであり、彼女を語る言葉とは思えなかった。

 けれど。どんな謂われのない中傷であっても、幼馴染が彼女を信じていれば問題はなかったのだ。

 幼馴染は彼女をよく知っている、そんな言葉に惑わされたはずはないと父に詰め寄ると、父は額に手をあて唸るように言葉を返した。

 殿下……いや、今は陛下であるな。陛下は姫の言葉を信じなかった。

どんなに言葉を尽くして訴えても、初めから疑ってしまって聞き入れなかった。続々と“密通の証拠”とやらが陛下の元にもたらされて、陛下はますます頑なになった。私がその時お傍にいればまた違ったのかもしれないが……お前も知っての通り前陛下の名代で他国を訪れていて……部下からの知らせで急ぎ帰国した時には、全てが終わっていた。前陛下も事態を収拾されようと病の体をおして離宮からおいでになられたが、その時にはもう遅かったのだ。姫はここから去り、行方はいまだに杳として知れない。

 そんな、と目眩がする心地に襲われ、頭を抱えて背中を丸めた。

 一体幼馴染と彼女の間に何が起きたのだろう。

 五つという年齢差のためか、彼女はまるで弟を見るような穏やかな目で幼馴染を見ていた。対する幼馴染はいつしか熱を湛えた眼で彼女を見ていた。 時々手に負えないほどの癇性を爆発させる幼馴染だったが、彼女はそれを上手に宥めていたから、彼女が傍に居てくれれば安心だと思っていた。

 彼女がたとえ今は弟としてしか幼馴染を見ていなくても、婚約をしている間柄だ、いずれ婚姻を結び今のような穏やかな未来を歩んでいくのだろうと疑うことなく思っていた。

 何故、彼女を信じなかったんだろう。その呟きに父は厄介な気質が出たのだと答えた。

 その言葉を聞いて、自分は今度こそ目の前が真っ暗になった。


 血族殺しの一族と他国から……そして国内の貴族からも陰で囁かれる、王の血筋。

 それは血腥い逸話にこと欠かないからでもあるし、他者を害すことも厭わない烈しい気性を引きついでいるからでも、ある。烈しい気性が向けられる対象は、ほとんどが身内であり……その結果、王家の血筋を引く者は、他国に比べあまりにも少なかった。権力争いの結果の事もあれば、痴情の縺れの結果であることもあったが……内部に深く関わる者は知っている。王家の血筋を引くものは、血族に執着しやすいのだと。

 烈しい気性と執着の結果が、このおぞましい名で呼ばれる所以だった。

 彼女は先王の兄の子であり、幼馴染にとっては従姉だった。血が濃くなることには一抹の不安があったが、幼馴染が彼女を大事にしている様子も知っていたし、彼女の父を生んだ人は王家の血を引かない貴族の出で、彼女の母は他国の出だ。これで少しは血も薄まっているだろうとも思ったのだ。


 彼女は一体どんな目にあったのかと問うた声は情けないほど掠れていた。

 父は言い淀んだ後、いずれはお前にも知れることだからと自分を納得させるように呟き、重い口を開く。

 そう、いずれは父のように王を支えるべく学んでいる自分は、いずれそれだけの能力を身につけたら父の跡を継ぎたいと思っていた。

 いつかはこの事態の顛末を自分も知る立場になる。そうでなければ、父は教えたくなかったと重いため息をついた。

 姫に疑いがかけられた時……あまりに信じてくれない陛下に不安を覚えたのだろうな、姫は一度王宮から姿を消したのだよ。しばらく身を隠しておこうと思われたのだろうな。ただそれが最後の引き金を引いてしまった。姫は再び王宮に連れ戻された。姫がまた姿を晦ますまでの間、陛下は姫に酷い仕打ちをしていたらしい。姿を消したのが姫の意思なら、たとえお子が出来ていたとしても二度と戻っては来られまい。

 その言葉にもう声もなかった。青ざめる自分を見やり、父は言葉を続ける。

 姫と陛下の婚約は解消された。今後たとえ姫が戻ったとしても陛下と姫が婚姻されることはあり得ないと……先王陛下は仰せだった。お前もそのつもりでいなさい。

 頷く以外、自分に何が出来ただろう。


 幼馴染の様子が気になったが、留学中の身であり留学先へ戻らねばならない。心残りを抱えたまま留学先に戻り、そして学び終え再び帰国した時、自分は驚きのあまり声を失った。

 幼馴染が以前のように、朗らかに笑っているのはいい。

 留学先に戻る前、幼馴染が浮かべていた熱に浮かされたような目が酷く気になっていたからだ。思い詰めた様子は、何をしても不思議ではないと思わされた。

 ああ、もしかして彼女が戻って来たのか。

 彼女との婚姻はありえないと父は言っていたが……不思議に思いながら幼馴染に尋ねた。

 彼女が戻ってきたんだな、久しぶりだから挨拶をしたい。

 そう言うと幼馴染は怪訝そうな顔でこちらを見返した。

 誰だその女は。お前は何を言っているんだ。心底不思議そうに言う様子は、嘘をついたり誤魔化したりするような気配はない。

 お前の婚約者の姫の事だと言っても、私に婚約者はいないぞ。何か夢でも見たんじゃないかとまで言われ……混乱した。

 挨拶もそこそこに幼馴染の前から去り、家へと戻る。たまたま早く帰宅した父に彼女の事を尋ねても、先王の兄ぎみにお子はいなかったと答えられ、茫然とした。他の家人に尋ねても同じだった。

 誰もが彼女の事を忘れていた。初めからいない人間になっていた。

 彼女の名で建てられたはずの孤児院や療養院は、幼馴染の名に変わっていた。建設の記念碑にも、確かに刻まれていたはずの名は、そこにはなかった。

 文書庫に忍び込み、目にした王族譜にも、彼女の名はなかった。

 まるで初めから存在していなかったかのように。

 悪い夢を見ているようだった。誰もが彼女を忘れている中で、自分一人が覚えている。何故こんな事になったのかと頭を抱えても、誰も答えをくれはしなかった。

 困惑していても時間は容赦なく過ぎる。やがて幼馴染は他国の姫と婚約し、あまり間をおかず婚姻した。

 穏やかで優しそうな王妃は、どこか彼女を思い出させた。幼馴染は王妃を大事にしているようだったから、自分は口を噤むしかなかった。

 彼女の事を口にするたび、誰もが奇妙な顔をした。何度目かで自分は彼女の名前を出すことをやめた。

 自分一人が頭がおかしいのではなかろうかと誰にも言えないまま悩んだ事もあった。そして幼馴染が結婚した今、自分が余計な事を言って波風をたてるわけにはいかなくなったのだ。違和感も重苦しさも一人胸の奥に押し込めるしかなかったのだ。

 やがて王妃は子を生んだ。女の子だった。

 その子に幼馴染は……彼女の名をつけたのだ。

 幼馴染は彼女を忘れているはずだ。珍しくない名だから偶然だろう。そう思うものの……やはり、とも思う。

 自分でも気付いていないかもしれない。時々何かを探すように視線をさ迷わせること、見つからない何かに焦れるように、眉をひそめること、そして次の瞬間には、夢から覚めたような顔で瞬きをしていること。

 それらは幼馴染が時折見せる奇妙な仕草だった。

 もしかしてと思いながら……何も言う事は出来ないまま、時は過ぎて。



 初夏の日差しが濃い影を落とす中、幼馴染は真っ青な顔をして頭を抱えている。髪の毛に差し込まれた指は関節が白く浮き上がっていた。

「何で今頃思い出したんだ……っ。あれから十年以上が経ってる。彼女を探したくとも私とお前以外誰も覚えていない。どうしようもない」

 やり切れないように呻く幼馴染に、自分は努めて冷静な声をかけた。

臣下、としてではなく、長い付き合いの幼馴染として。

「お前が何をやったのかは、父に聞いている。あの時、留学先に戻るのでなくここに留まっていればよかったな」

 そうすれば、少なくとも今になるまでお前が心を残す事がないように、何か出来たかもしれない。そう言っても幼馴染は力なく首を横に振った。

「いや……あの頃の私はおかしかった。誰が傍に居た所で無駄だったろう。ただ彼女に会いたくて探し続けていた。ああ、だからか……彼女がここにやって来たのは。もう二度と探すなと、これが最後だと突きつけるためだったんだな」

 それも当然かと幼馴染は目を伏せる。

「彼女の言葉も聞かず、意思を無視して無理矢理奪った。その後もさんざん嬲り続けた。当然の報いだ」

 それに対して返せる言葉がある筈もなく、自分は違う事を尋ねた。

「彼女が此処へ来たのか?いつのことだ」

「姿を消してから三年ほどが経っていたかな。今日みたいな夏になる前の、よく晴れた日だったな。なんの前触れもなくやって来た。彼女の家に仕えていた、魔術師を連れて。お前はまだ留学していた頃だ」

 そうか、と頷く自分に、幼馴染はありありと蘇る過去が辛いように目を眇め、吐き出した。

「彼女は私の謝罪も願いも聞いたうえで……それらを受け入れるとも拒むとも言わなかった。そして彼女は言ったよ。自分の名を王族譜から削って欲しいと。初めからここには存在しなかった事にしてほしいと。もう二度とこの国と関わり合いになる事はない、そう言った。それから……魔術師に望んだんだ。自分にまつわる記憶を、人々の中から消して欲しいって」

「そんな事が可能なのか?いくら力のある魔術師でも不可能だろう」

「その魔術師も、消すことは出来ないと言っていた。ただ忘れるよう……思い出せないよう目くらましをかけることは出来ると言っていた。忘れたいと望むのならより簡単で……そうであるなら二度と思い出せないだろうとも。現に、私以外の者は彼女の事など忘れたかったのだろうな。あんな後味のわるい事件だったから。その証拠に誰ひとり思い出していないだろう。あれほど強く思っていた私でさえ、思い出すのに十年の時間が必要だった。なるほど、あの魔術師の言ったとおりになったな」

「その魔術師は何と?」

 おそらく当時この国を自分が離れていたため、魔術師の術が自分に届かなかったのだろう。それが自分だけが彼女を覚えていた理由。しかし、これほど大掛かりな術を為せる魔術師など……あの頃も今も、居たのだろうか。

 内心首を捻りながらの問いかけに、幼馴染は記憶を辿るように目を閉じた。

「永続する術など無いから……いつかは思い出すだろう。忘れたくないと強く思えば、十年を超える頃には。だが忘れたいと願うなら、忘却はたやすい。彼女にとっては、それをこそ望んでいる、と。そして最後に言ったよ。十年も経てば……誰が何を望んでも、現実は変わらない、変えられないと」

 確かにそうだなと静かに言葉を返す。今幼馴染が彼女の事を思い出しても、彼には何も出来ない。彼女を探す事も、再び会う事も……そして彼女に、再び傍に居て貰う事も。幼馴染の隣には既に別の人が居るのだから。

「全てが遅すぎる。これが罰、なのだろうな」

 虚ろな声で幼馴染は呟く。何と声をかけていいか分からず息をひそめていた自分は、ふと王女の名前のことを思い出した。

 幼馴染には三人の子どもが居る。王女、王子、王子の三人だ。

 一番初めの子どもに名づけた名。それは彼女と同じ名前だった。

「お前、王女に彼女と同じ名をつけたろう。あれは何か理由があったのか」

 幼馴染ははっと顔をあげた。茫然としたように目を見開き、呆けた表情で首を振る。

「いや……何故かこの名でなくては駄目だと思ったんだ。そうか、もしかしたら……」

 泣き笑いの表情で呟いた。

「彼女の事を、どこかで覚えていたんだな」

 


 長い影が床に伸びる。押さえきれない嗚咽が響く部屋を静かに後にして、人気のない回廊を歩く。

 見上げる空はすでに陰りを帯びていた。王が昼から執務を放り投げた状態だ。緊急の用件があるかどうかくらい確かめねばなるまい。

 今日だけだ、明日になればいかに内心嵐が吹き荒れていても容赦はしないと幼馴染に心の中で呟いて、王の執務室にむかうのだった。



 誰からも忘れられることを望んだ彼女。遠い面影に呼びかける。


 貴女は何処にいるのでしょう。

 自分の存在を消したいと思うほど、この国は辛いばかりでしたか。

 ですが……叶うならどこかでもう一度お目にかかりたいと思うのです。

 昔馴染みとして、他愛ない話の一つでも出来ればと願うのです。

 いつかあるかもしれないその時まで、どうか息災でいてください。

 そして願わくば、貴方の傍に誰かが居てくれますように。

 一人、さみしい夜をこえることのないように。


 その願いとともに、彼女の面影を心の底へ沈めたのだった。





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