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3-2


 少人数での……親しい間柄のものを持て成すための小部屋で、王と姫ぎみは向かい合っていた。優雅なカーブを描くテーブルをはさみ、それぞれ長椅子と一人掛けのソファに腰掛けている。

 自分は王の斜め後ろに立っていた。正確にいうならば、姫ぎみは青年の膝の上に抱きかかえられている。

 姫ぎみの状態では、ひとりで王に対面させる事は出来ないし、たとえ姫ぎみが常の状態であっても、青年や家令は反対しただろう。

 姫ぎみは今日も、青年の腕におさまったまま、こちらに視線を向けようともしていない。

 姫ぎみの様子を初めて目の当たりにした王は、かける言葉もないのだろう声を失い顔色を白くしていた。

 

 青年は王の謝罪を希望したが、王自ら臣下の家を訪れることは出来なかった。非が王の側にあるとしてもだ。

 またすみやかに王兄の名誉は回復されたものの、様々に“証拠”が……全ては偽りであったが……あがっていたため、半信半疑の者もいまだに多かった。姫ぎみにこれ以上の心痛を与えないように、会見の場は密かに設けられた。

 姫ぎみは青年に抱き抱えられてやってきた。身にまとう衣装は黒一色。髪を束ねるリボンも黒。

 王宮へと足を踏み入れるのは父親を亡くしたあの時以来であろうに、凍りついたように動かない表情からは何も読みとれなかった。

 対して……青年はいっそ“不敬”ともとられかねないような目で王を見ていたが、それを咎めるような気にはなれなかった。王もそれに気付く余裕はなく、また気付いたとして何も言えなかっただろう。

 しばらくして、王は震える声で謝罪の言葉を口にする。それに対し、姫ぎみはちらりと王へ視線を向けたものの、すぐに興味を無くしたように目を伏せる。そうして細い声で呟いた。

 ねえ、わたし何か大事なことわすれちゃったみたい。どうしよう。

 青年がすぐに答える。何でもないように。

 忘れてないよ、いまはちょっと思い出せないだけ。全部ちゃんと残ってる。

 それなら、いつか思い出せる?

 迷子になったような、心細い声に青年は大丈夫だよと答えた。

 全部姫さんの中に残ってるから、いつか思い出せるよ。安心してて。

 うん、と頷いて、姫ぎみは目を閉じた。

 今のはどういうことだと王は眉をひそめた。青年は淡々と答える。

 あれから姫さんがしきりに気にしてることだ。何か忘れたみたいだけど、何を忘れたかわからないって。よほど気にしてるのか何なのか、口を開けばそればっかりだ。

 王に対しても青年の言葉づかいは変わらなかった。しかし王は咎めるような余裕もないのだろう。初めて目のあたりにした姪の様子に衝撃を受けていた。

 王がどのような謝罪をしたところで言を重ねたところで、姫ぎみには届かない。すべて虚ろにすり抜けるだけ。その空しさを思い、さてこれからどう進めるべきかと思い、ふと首を傾げた。

 何故姫ぎみがこのような状態にもかかわらず、青年は“王の謝罪”を要求したのだろう。

 つい尋ねると、青年はゆるく首を振った。

 何も見ていない、聞いていないように見えて、少しは見えているし聞こえているんだ。何かの刺激になればと思ってね。それと……この間の宰相様からの提案について、返答したかったし。

 その言葉に、王は顔をあげ青年と自分とを交互に見た。姫ぎみの後見となる旨の書類には、いまだ王のサインは入っていない。この状態を見て、なおも後見は自分だと言い張るならば、さて如何にしようと思う。

 青年は言葉を続けた。

 やはり親族に後見を頼むのは無理そうだから、宰相様に姫さんの後見をお願いしたい。ただし宰相様の屋敷で暮らすのでなく、今居る屋敷にそのまま住む。最低限の人手は頼むかもしれないけど……あまり干渉はされたくない。その条件を飲んでくれるなら、ね。

「……そうしよう。陛下もそれでよろしいですね」

 王はなかなか頷かなかった。それどころか、何故私が後見してはいけないのだ。王族に連なる者として、王宮で面倒をみるぞと言う。それに言葉を返したのは青年だった。

 おそれながら……それは無理かと。

 何故だと険しい顔をする王を気にした様子もなく、青年は言葉を返した。

 姫さんの体が震えているから。ここには入った時からずっと。まずここで暮らすのは無理。

 王はしばらくの間青年と姫ぎみの顔を見たあと……深々とため息をつき、言った。

 わかった、後見は宰相に任せる。よいように取り計らえ。

 そして椅子から立ち上がると、姫ぎみの方へと近寄り手を伸ばしかけて……その手を握りこむ。そのまま何も言わずに部屋から出て行った。



 

 自分が姫ぎみの後見となって以降、王兄に対する様々な噂は聞こえなくなった。

 宰相である自分が後見をする、その事がいまだ拭えぬ影を消してくれる。

 青年の申し出どおり、後見をしているとはいえ、姫ぎみを自分の屋敷に引きとることはせず、姫ぎみはそれまでどおり元の屋敷で暮らしていた。

 使用人が少なくなった屋敷では不便もあったろうに、青年や家令が何ごとかを言ってくることはなく、時折屋敷を訪れ何か困った事はないかと尋ねても、返事は決まっていつも同じ。判で押したように、何も困ったことはないと返って来る。

 自分としては姫ぎみがどこかへ嫁ぐまで、後見を続けるつもりだった。

 けれどそれはあっさり覆される。

 自分が後見として立ち、数年が経っていただろうか。時間が経つにつれ、姫ぎみは会話も出来るようになった。しかし笑顔が戻ることはなく、表情は硬いまま。

 そのような時。王が言いだしたのだ。姫ぎみと自分の息子を婚約させたい、と。それを機に、姫の後見を自分がし、姫には王宮で暮らしてもらいたいと。

 丁度その頃。他国からは幼い王子に対し婚約の申し入れがひっきりなしに届いていた。姫ぎみとは五歳の年の差がある王子である。王族であるから……幼いうち、それこそ生まれたときから婚約者が決まっていても、さして不思議なことではない。

 ただ、状況がいささか悪かった。他国からの申し出のどれをとっても角がたち、それなら国内の貴族の姫を選べばいいのだが、身分的に釣り合う位の貴族には丁度いい年周りの姫がいなかった。

 それについては自分も頭を痛めていたが、まさか王が姫ぎみとの婚約を言い出すとは思いもしなかった。

「……陛下、ご自分が何を言っているか、わかっておられるのですか」

 あの時以来、姫ぎみは王宮に足を踏み入れていない。

 王兄の屋敷はひっそりと息をひそめるように静かに佇んでいる。

 今ではもうあの事件を噂する者もいない。幼い姫のことなど、日々新しい噂を追いかける宮廷雀の頭からは忘れられているだろう。姫ぎみにとっては、その方がいい。そうであるのに、姫ぎみを王子の婚約者などという立場におけば、要らぬ荷を負わせるだけではないか。過去の事件を蒸し返されるのではないか。

 わかっている、と王は頷いた。

 だがお前も知っての通り、周りが婚約者を決めろと煩い。あの姫ならば血筋的にも身分としても、王子に釣り合う。それにこれはあくまで仮の婚約だ。

「仮、ですか」

 周りを黙らせるため、取りあえず婚約者として姫ぎみを立てる。情勢が落ち着けば婚約を解消し、王子には改めて婚約者を定める、と。王は苦い笑みを浮かべて言った。

 流石に私も、これ以上血を濃くするのはためらうのでな、と。



 

 やはり、何としてでも王子と姫ぎみの婚約には反対するべきだった。

 何度も後悔した。姫ぎみの身に起きたことを知った時に。

 そして何年も行方を晦ましていた姫ぎみが現れ、望みを口にした時に。

 そして、今。


「……そのような姫ぎみは居ない。お前はなにか夢でも見たのではないか」

 留学先から帰国した息子が、自分に尋ねたこと。

 それは……今では誰も覚えていない筈の、姫ぎみの事だった。息子は自分の返答に、落胆と恐れの色を浮かべて部屋を出ていった。

 本当は自分は忘れてなど、いない。しかしそう答えるしかなかったのだ。それが……姫ぎみの望みだったから。



 行方知れずとなっていた姫ぎみが、魔術師とともに現れた日。

 魔術師の青年は姫ぎみを会見の場から遠ざけたあと、術を発動させた。

 王子も大臣たちも皆糸の切れた人形のように床に倒れ伏してゆく。その中、自分だけがひとり、立ち尽くしていた。

 何をしたと叫んだ自分に、青年は肩をすくめて答えた。

 ほんの一時眠るだけ、目が覚めたら今ここで何をしていたか忘れてる。忘れたことも忘れて。

 何故自分は忘れないんだと聞けば、青年は口の端を歪め、笑った。

 言ったでしょ、思い出したい忘れたくないと強く願ったとしたら、いつかは思い出すって。その時のために誰か一人くらいには覚えていてもらわないと。姫さんが面倒な事に巻き込まれないためにもね。

 姫ぎみは王族譜から自分の名を消すことを望み、そして人々の記憶からも消える事を望んだ。

 そうまでして……こちらの手には何も残したくはないと思われたのだろうか。

 自分の名を消し、存在の記憶も消し、功績も消した。何一つ残らないように。

 あまりに徹底していて、いっそ笑いたくなるほどだった。

 しかし、ふと思う。

 姫ぎみが姿を消してはや数年が経っていた。多くの者は、姫の事など記憶の片隅にも残っていなかっただろう。姫ぎみを探しだそうとしていたのは、位を継ぎ、王となったかつての王子のみだった。

 自分でさえ……どこかで平穏に暮らしてくれればいいと思い、探し出そうとはしていなかった。

 だからわざわざ姿を現し、決別を告げずともよかったはずなのだ。

 それを……思い当たった可能性に、震える声で問いかける。青年は明言しなかった。その事で逆に自分は確信を持てたのだ。

 明確に決別をしたかったのも事実であろう。しかしそれ以上に、姫ぎみには守りたい存在があったのだと。

 自分が姫ぎみの事を覚えているのもそのためだ。もし……万が一姫ぎみや姫ぎみに近しい存在に何かあったときの、助けとするために。

 そう青年に問うてみても、さあ、と惚けたように首をふるばかりで、明確な答えはついに返らなかった。



「……たとえ十年後に思い出したとして、それは幸いであるのか、それとも」

 辛いばかりであるのか。

 他国へ留学していたためか、もしくは自分と同じ理由のためか、息子は姫ぎみの事を覚えていた。

 周り中すべて、誰も姫の事を覚えていない中では、さぞ戸惑い不審に思うだろうが……自分は何も言うつもりはなかった。それが姫ぎみの望みであるがゆえに。

 いつか、今は王となったかつての王子は、すべてを思い出すのだろうか。 思い出したとして。

 それは後悔と焦燥しか運ぶまい。

 いっそ忘れたままでいた方がよいのだと、やるせない思いでため息をついたのだった。




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