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 遅かったかと呟いた父の表情は……酷く苦いものだった。


 

 手の中に捕えていたはずのものは風のようにすり抜け、手の届かない何処かへと行ってしまった。

 彼女の行方も、そして前後して姿を消した彼女の友人たちの行方も探させてはいるが、見つけ出すのは難しいと思われた。

 一度逃げ出したあの時とは違い、今回は準備する時間はあっただろう。

 その間、彼女の友人でもあり自分の友人でもあった、あの食えない男が何の手段も講じていないはずはない。

 自分に近しい場所に居たからこそ、こちらの手のうちも読み、彼女が望むなら二度と自分に会わなくてもすむような、そんな手だてを講じているにちがいない。

 まして、今酷い混乱に見舞われている自分たちには、事態を収拾するだけで手一杯で、ここから去った者を探しだし連れ戻す余裕などなかった。

……罪人でもない者を、拘束する正当性は、ない。

 それでも捜索の手を止めないのは、ただ彼女に謝罪がしたかったからだ。

 容易く許されるとは思っていない。

 彼女の言葉を疑い、信じもせず酷い仕打ちをした。

 長く傍に居た彼女を信じられず、たやすく他者の甘言に惑わされ、踊らされた挙句が、この事態を引き起こしたのだ。

 自分を惑わし、彼女を陥れた者らには相応の処分を下すべく、審議にかけている。

 彼女の名誉も回復され、戻って来るのに何の支障もない。

 もし戻ってきてくれさえしたら、謝罪と……そして、もしも。

 もしも彼女が許すなら、再び傍に居てくれないかと請うつもりであったのに。

 彼女は毛筋ほどの手掛かりすら残さず、行方をくらました。

 友人の方を辿っても手掛かりの糸は断ち切れていて、既に八方ふさがりだった。行方がつかめない旨の報告が重なるたび、胸の奥に石を呑みこんだような重みが溜まってゆく。

 あんな言葉に耳を貸さねばよかった。彼女を信じていればよかった。

 そして、彼女にあんなことをしなければよかった。

 幾度、返らぬ繰り言を繰り返しただろう。昼間はまだよい、処理すべき仕事に紛れ余計な事は考えずに済む。

 しかし一人になった夜は駄目だった。

 美味いとも思えない酒を呑み、逃げるように眠りに落ちる、そんな日々が続いていた。


 そんな時だった。離宮にて静養している父から呼び出しを受けたのは。

 王である父は病を得ており、そのため早くに自分に位を譲ることにしていた。譲位の儀式の準備も進んでいた。そのような折りであるからこそ、余分な人手が避けず彼女たちの捜索が進まない一因でもあった。

 自分にしても今回の事態を引き起こした者たち、関わった者たちの処分や、無用な疑いをかけた者たちへの名誉の回復や補償、そしていまだ内部に残る不快な噂を打ち消す事も勿論であるが……王としての執務を引き継ぐにあたって、宰相に教えを請う立場であった。

 今まで父が背負っていた重責を、今度は自分が背負う事になる。

 それは以前から定められた事でいずれはと覚悟をしていた事だった。

 それが今、酷く重く感じられるのは、傍に居て欲しい人がいないから。

 傍でずっと支えてくれると……疑いもせず思っていた彼女と、幼い頃から兄のように接してくれていた、年上の友人が居ないからだった。

 他に支えてくれる人がいないわけじゃない。

 宰相の息子もまた、幼い頃からの自分の友人であり、いつかは父である宰相のようにこの国を支える仕事がしたいと言っていて……いずれは実務につくべく他国へ留学していた。この事態もいずれは彼の耳に入るだろう。

 その時何と言って説明すればいいのか、さっぱりわからなかった。

 

 諸々の雑事に追われ、父のいる離宮を訪れたのは、午後も遅い時間だった。

 父は寝台の上に身を起こし、背に幾つもクッションを当てていた。

 自分の顔を目にするなり、父は侍従に人払いをするよう告げる。呼ぶまで誰も入らぬようにと言うと、侍従は目礼し静かに部屋を去った。

 父の体に障らぬようにと、部屋は昼間でも帳が下ろされており、ほの暗い。

 何をどう切り出すべきか迷い立ち尽くす自分に、父は寝台傍の椅子に腰かけるよう言った。

 いつまで突っ立っているつもりだ、おおよそのところは宰相から聞いているが……お前の口から話せと、病んでなお鋭さを失わない目で父は見据えてきた。

 言葉に従い、腰を下ろす。そして裁きを受ける罪人の気分で……これまで起こった全ての事を話したのだった。



 話を聞き終えた父は、疲れたように目を閉じ、遅かったかと悔やむように呟いた。

 何が遅かったのだろうと疑問に思った自分に、父は大きく息を吐き出したあと、信じられない事を告げた。

 

 お前とあの娘の婚約は、近く解消するはずだった。お前にもたらされた言葉のうち、それだけは真実だった、と。


 目を見開く自分に、父は言葉を続ける。

 もともとこの婚約は、あの娘を守るためであり、お前にとっては煩わしい縁談を避けるためのものだった。それはあの娘も承知の上だ。婚約を解消する旨、そろそろお前と話をしようとしていたところだった。

 父の言葉の意味が分からなくて、一体それはどういう事ですかと尋ねると、父はゆるく首を振った。

 分からないのか……だが、我らが何と呼ばれるか知っているだろう。私にこれ以上血を濃くするつもりはなかった。だいいちお前とあの娘が婚姻したとして、対外的に益はない。お前の妃には、初めから他国の娘をと考えていた。あの娘を仮の婚約者とし時間を稼いだ上で考えるつもりだった。それも今となっては仇となってしまったな。

 何故ですかと言葉が考える間もなく口を突いて出た。

 私たちが何と呼ばれるか知っています。近い血が危険を呼ぶことも。ですが、婚約の解消とこれが何の関係があるのですか。……私は誰も手に掛けてなどいません。


 血族殺しの一族と、影で自分たちが呼ばれている事を知っている。

 長く続いてきた王家に、血腥い話はつきものとはいえ……自分たちの一族は度が過ぎている、それは認めよう。王位を得ようと兄弟姉妹を惨殺した王もいれば、弟の妻に懸想して、自分の側室にした挙句弟を殺した王も居る。 血腥い、眉をひそめるような話は枚挙に暇がない。

 それは酷い猜疑心の表れでもあったのか……特に血族に対し疑う心が強い一族であった。

 

 確かにお前は誰も手に掛けてはいないが……そもそも、血族殺しと言われる所以は血腥い話にあるのではない、と父は目を閉じた。

 血が伝える気性であるのか……我らは時々自分でも抑えきれないような激情に駆られる事がある。そして何かに酷く執着することもある。その激情と執着が向かいやすいのが血族なのだと父は言った。

 これまでの血腥い話のうち、殆どは激情と執着が引き起こした果てのものだと。

 俄かには信じがたい話に首を振るしか出来ないでいると、父はだから言わなかったかと疲れたように言った。

 激情に流されるな、人の話に耳を傾けよ。そうでないといずれ後悔することになるだろう、と。

 確かにその言葉は折に触れ、父が自分に言い聞かせてきた言葉ではあったが、思い出しても今となっては遅すぎた。激情にかられた自分が何をしたか思い出し……血の気が引いた。椅子に腰かけていなければ、床に膝をついたに違いない、そう思えるほど視界が揺らいだ。

 そう、確かに自分は命を奪ったわけでは、ない。しかしそれが何の言い訳になるだろう。

 彼女の言葉を信じなかった。そして彼女が望まない行為を強いた。

 それはすなわち、彼女の心を殺し続けたようなものだったから。

 ですが、何故と喉の奥から絞り出すように声をあげる。

 いずれ解消すると決まっていて……なぜ彼女を私の婚約者にしたのですか。たとえこの件が起こらず、婚約解消の話をされたとしても、私には到底受け入れがたかったのに。私は彼女が、ずっと私の傍に居てくれるものと思い疑ったことすらありませんでした。

 それも誤算の一つだったと父は後悔の滲む瞳で答えた。

 お前の気持ちを考えに入れなかった。産まれたときから傍にいる娘を婚約者にしたところで……姉を見るような気持ちしか持てまいと思っていた。

 お前の婚約者ということにすれば、あの娘を公然と守ってやれる大義名分が出来るとしか思わなかった。

 それはどういうことでしょう。怪訝に思い父に尋ねれば、父はお前の耳には入らないようにしていたから、知らないのも無理はないかと呟き、淡々と述べる。

 お前はあの娘の身内を知っているか。

 急な話題の転換に、はて、と首を傾げる。彼女の父は、自分の父の異母兄だったが、自分が産まれる前に亡くなっていると聞いていた。彼女の母も既に亡くなっている。それゆえ、彼女は幼い頃から叔父である父の後見の元、王宮で育ったのだと思っていた。

 事実は些か違うなと父は言った。

 あの娘の父が亡くなったあと、誰も娘を引きとろうという親族が現れなかったからだ。身の潔白が証明されたとはいえ、一度は疑われ挙句命を落とした者の、娘だからな……厄介事に関わり合いになりたくなかったのだろう。だから私はあの娘を手元に置き、お前の婚約者にした。煩い者らを黙らせるには、一番手っ取り早い方法だったからな。だが今は後悔している。そもそも、何故あの時もっと冷静に話を聞いてやれなかったか……未だに後悔して夢に見る、と。

 辛そうに顔を歪める父に、問うたものかと躊躇いながらも、口を開いた。

 何故彼女の父親は命を落としたのですか。

 父は虚ろに笑いながら答えた。そのような暗い目で笑う父を見たのは初めてだった。

 お前と同じだ。同じことを、した。あの時……あれには私の暗殺を謀った疑いがかけられた。いつもであれば笑って取り合わなかったろうな。だがあの時、あれはこの国を離れる準備をしていた。謀殺しすぐさまこの国を離れるつもりだったかと問い詰めれば、身に覚えのない疑いであると否定した。国を離れるのは、娘に妻の育った国を見せたいからで、しばらくしたら戻って来るつもりだとも言った。それでも謀の“証拠”が後から後から出てきて……もう疑う事しか出来なかった。最後まで自分は潔白だと言っていたが、私は最後まで信じることが出来なかった。自分の手であれを斬り殺した。……あの娘が見ている前でな。

 告げられた事実に息を呑んだ。それでは父は、兄を……彼女の父を手に掛けたというのか。

 貴方たちは何故信じてはくれないのですかと彼女が零した言葉。

 貴方たち、それは父と……自分。

 彼女の言葉は、この事を指していたのか。

 父は乾いた声音で続けた。

 激情と執着の果てに、私は一番失えない者を自らの手で失くした。お前もその轍を踏んでしまったのか。

 悲しそうに呟く父の顔が見られず、俯いて拳を握り締める。

 ですが、彼女を探して謝罪して、その上で……っ。

 喉の奥から絞り出した自分の声は、淡々とした声に遮られた。

 傍に居て欲しいと望んだところで、あの娘は頷くまいよ。お前には自分などではなく、誰かよい人が見つかればいいと言っていた。穏やかに過ごせるような誰かと生涯を共にして欲しいと。お前が抱いたような感情ではないのだろうが、弟のようには大事にしていたのだろうよ。知っていたか、あの娘は人に触れられるのが苦手だということを。

 初めて聞かされる話に、声もなく首を横に振る。父は、それこそが、お前があの娘に大事に思われていたという何よりの証であったのだと言った。

 幼い頃からを知っている、という面もあろうが……お前に触れられるのをあの娘が厭うたことはなかろう?私など、触れようものなら体を強張らせていたぞと諦めたような声で言った。

 だから、お前が疑ったという私との関係だが、まずあり得ないものだったな。あの娘が私に望んだ事はただ一つ、私を看取ることだった。私が死んだことを己の目で見て確かめないと、安心出来ないそうだ。父親が死ぬときの事を未だに夢に見ると言って。

 父の言葉は自分を打ちのめした。

 初めから自分の元を去るつもりだった彼女。それに駄目押しをしたのが自分の愚か過ぎる行いだと思い知らされ、言葉もなかった。

 もう二度と会う事はないのだろうか。謝罪することすら、出来ないのだろうか。

 項垂れる自分に、父は遠くを見るような目をした。

 あの娘は……昔はよく笑う子だった。大人しくて人見知りする子だったが、よく笑う子だった。今のような表情も変えない、笑わない娘になったのは、あの時からだ。

 そうですか、と唇を噛みしめてきつく目を瞑る。

 思い出すのは穏やかな瞳で、静かに佇む彼女。

 そして一番最後に見た……涙に濡れた目を拒絶するように閉じた彼女。

 彼女にとっては、このまま探さない方がいいのかもしれない。それをこそ望んでいるのかもしれない。

 けれど、自分はどうしても、彼女に再び会いたいという気持ちを捨てきれないでいた。







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