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科学と魔術の彼岸 後編

科学と魔術の話、後編です。


前回は主に「金枝篇」を通して、太古の魔術的な思考は現代に依然として、

生き残っているのではなかろうかなどという仮説を述べました。

今回はもう少し、魔術論を深め、科学に至る道へと整理してみたいと思います。


大げさな論文ではありませんよww


ゲームやライトノベル、アニメなどのサブカルチャーの中では魔法がごく当たり前の様に、

出てきます。また、かの「ハリーポッター」や「魔法少女まどか☆マギカ」など、

世界中みても魔法ものは定番中の定番として高い人気を獲得する事は珍しくありません。

このような現象を見ていると、つくづく人間は魔法(魔術)が好きなんだなと思います。

そして、魔法の魅力は全く衰えていないんですね。


このようなサブカルチャーの中では、魔術は白魔術(良い魔法)黒魔術(害を与える魔法)

に魔術が分類されています。どっかの小説サイトでは色々と魔術を分類していましたが、

それはそれとして、もっと本質的に考えたいと思います。


さんざん取り上げてきた「金枝篇」の著者、フレイザーは様々な儀式や伝承を分析し、

魔術を以下のように分類しました。大学やカルチャー教室で人類学を学んだ方なら、

ご存知かもしれません。


共感魔術(共感の法則)がフレイザーの論理では大本に来ます。


世界中の様々な魔術を分析した結果、似たものは似たものを生み出す。

つまり結果は原因に似るということと、かつて互いに接触していたものは、

物理的な離れた後でも、関係性を持ち続けるとする考え方をフレイザーは見つけました。

前者を類感魔術(類似の法則)後者を感染魔術(接触の法則)と呼びます。


というと難しいので簡単にすると、類感魔術とは「呪いのわら人形」のことです。

丑三つ時に神社とかで、相手に扮した人形を釘で打つと相手が苦しむあれのことです。


感染魔術は「夜中に爪を切るな」という迷信と関係があります、あれはかつて、

切った爪を誰かに、利用されて呪いをかけられるのを恐れたからだと言われています。

切った爪が関係性を持ち続けるのですね。


ちょっと脱線すると、儀式を見られると自分に呪い(魔術)が返ると言われますが、

あれはタブーとなります。何がしか魔術には失敗事項があってそれはタブーになるんですね。


こうした類感魔術にしても感染魔術にしても、

根底には何がしかの共感性が、あるとする考え方なんですね。

したがってこの二つをまとめて、共感魔術と呼びます。


さて、サブカルチャーの持てはやす魔法とは遠くなってしまいましたがw

ゲームの中のファイーボールと神社の裏のわら人形には共通点があります。


それはどちらも人間の意志や考え方が物理的な法則を飛び越えて、

願望や欲望を実現させようとすることです。

ただしそれは現実的には不可能な事を、知っています。

死んでしまった人間を生き返らせようとして魔術をいかに行使しても人は蘇りませんし、

いくら念じてもファイアーボールは指先からは出ません。

いや、出たらやばい・・・・・・。


超能力はどうなの?という意見も出そうですが、

あれはそもそも人間の一つの未発見の能力として考え出されたもので、

魔術とはちょっと違うものです。

まあ、全体的に考えれば繋がりはあるかもしれませんが。


このような魔術は科学とは根本的に異なります。

科学が基礎に据えるのは意思や因果律ではなく、観測可能な自然の法則です。

しかし、魔術は近代科学が生まれ発展していく元になり力になりました。


占星術は星のめぐりを観察して占いを行う事が目的でしたが、

遠隔作用は星のめぐりが宿命を司るとする考えから生まれ、万有引力の法則発見に導いたと言われています、


また良く言われるように錬金術は、化学の元になりました。

蛇を呑む蛇のシンボルマークは有名ですね。


自然魔術は自然と人間を一体と捉え、自然の中から天上の力の秘密を探ろうとし、

自然を経験主義的な側面から考えました。ここには科学の芽が見られます。


こうして、科学は魔術から別れ、魔術を駆逐したように思えます。

しかしそうなのでしょうか?

かやまはまたここでそう単純なものでもないと思うのです


それは科学が僕たちに対してなんらかの恩恵を与えてくれる場面を思い浮かべてください。

そこには必ず、技術が介在しているのです。

科学だけではあまり役には立たないのです。法則を知って、利用する道具がいるのです。

手わざには人の意思や欲望が宿ります。それが、言うなれば、駆逐したはずの魔術の陰として、

科学の後ろについて回るのです。


そして、これからも人間は科学技術を発展させ続けるでしょう。

それしかないですからね。

そこには嫌な言い方かもしれませんが、必ず毒と利がついてまわります。

あの地震から発生した原発事故のようにね。

 

もう、いろいろ横断的に考える時期に来ているとかやまは思います。

人間の限界もそろそろ見えているし、

日和見主義だって言われるかもしれないけど、

複眼的なものの考え方も必要とされていると思うんです。


そこに魔術的な人間の暗さ、欲なんかも考えてみてもいいと思います。


なんかまとまらんけどこれで終わります。

 

ここまで、この駄文をお読みくださいましてありがとうございました。


あっ、そうだ。

魔法の魅力って何ですかね?なんか思うことあれば一言ください。

かやまもたいした事は言えませんが。


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