科学と魔術の彼岸 前編
どうもかやまです。
科学と魔術のお話をちょっと広く書いてみることにします。
というのも、かやまは魔術をテーマにした長い話を書いてみたいなと思っているからです。
まあ、いつになるか分からんですが。こそこそと資料を集めているんですよ。
さてさて、そんなもんで科学と魔術についてあれこれ読んでいると面白くってね。
それをつまんで紹介してみます。
だいたい魔術と科学と言うと、魔術とは迷信、非科学的な物であり、
魔術とは前近代的な思考の象徴とされます。
ところが色々と本を読むとどうもそんな簡単な話でもないらしいです。
というか、そう思えてくる・・・・・・。
最近、「金枝篇」を読み返していて、そっから説明すると、
まあ、サー・ジェイムズ・ジョージ・フレイザーって勲爵士だったんですね。
それはどうでもいいですが、そうそう「金枝篇」はこんな書物です。
『イタリアのネミの湖にはアリチアの木立というディアナの祭られた聖なる地があり、オークがあり、
そこに聖なるヤドリギが寄生していた。この木は決して折ってはならない禁忌があった。
ただ、例外があり、逃亡奴隷だけがこれを折る事が許されていた。
それには理由があった。新たなる祭司(森の王)になるためには、逃亡奴隷がこの黄金の枝(金枝)
を持って来て、その祭司の前任者を殺さなければならない掟があったからである」
とまあこういうなんとも言えない伝承を初めに紹介して、
この伝承をエッセンスにして、魔術、禁忌、神殺しと王の役割など、
未開人(古代人)の思考とはどんなものか解明していく、書物なんですよ。
うーん、ただ「金枝篇」本編は読みにくいです。
一種の博覧強記の本で、膨大な伝承やら風習やらが次々と出てくるんですが、
それがいまいち、ネミの話とどう関連しているのかわかりません。
かやまは昔、読んで分からんかったので、今は解説みながら読んでます。
思えば柳田國男もこんな感じですねー。
スゲー量の伝承を持って来て、びっくりしたなあみたいな感じです。
でも、フレイザーも柳田も、椅子の上でこんだけ集めたんだからすごいですね。
フレイザーは科学が迷信を一掃するみたいな時代に生きた人ですから、
当然、進化論的な考え方をします。
未開な人々の魔術から、一神教的な宗教へ、やがては科学へと、
人間は進歩します的な考えが貫かれています。
やがては西洋的な理性と科学が非西洋世界の迷信と不幸をどこかへと消し去るでしょう。
しかし、僕らはフレイザーの時代の続きを知っています。
実際はフレイザーたちの未来図のようには行きませんでした。
僕らは原爆が人類の上に落ちたことも知っていますし、
貿易センタービルがテロで破壊されたことも知っています。
原発事故のように、良かれと思って科学が生み出したもので苦しめられていることも。
それに全然、人間は暴力を理性で押さえ込めなかったし、
やがてはなくなるだろうと思っていた魔術的な思考もなくなっていません。
それが証拠に、オウムなんか出てきたし、
ゲームの中では魔術がしぶとく生きております。
結局、人間は新しい技術は獲得できたけど、
本質的には未開人(古代人)とほとんど脳の構造から来る思考自体は変わっていないのではないか?
人間は人間以上にはなれないのではないかってことです?
サイボーグ技術がそこまできているからやがて、人間は人間以上になれますかね?
まあ、なりたいですよね。
少なくとも暴力や悪がなくなったら、この意味のない人生は少しは救われますよね。
かやまは改造人間になりたい、でもならんだろうなと・・・・・・。
でも、逆を言えば人間が変わらんかったからフレイザーの研究はいまだ意味があるんです。
そんなこんなで、魔術は現代にもしぶとく生きているとかやまは思います。これからも・・・・・・ね。
とここでひとまず終わります。
その2では、ルネサンスくらいにあった、自然魔術とか錬金術、占星術の話をしながら、
迷信を駆逐すると言っていた科学も魔術と関係があったぞという話しをしましょう。
では。
参考文献
吉川信訳『初版 金枝篇』ちくま学芸文庫
内田昭一郎・吉岡晶子訳『図説金枝篇』東京書籍