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非日常は日常に含まれる

筆者の昔の話です。交通誘導やっていた学生の時の話で、いつもながら、たいした話でもありませんが、よろしければお読みください。

 何を語ろうかということであるが、日常で危機一髪だった話をしようと思う。なぜ、書こうと思ったのだが、こういう事が案外に隣にあるということを書いておきたかったからなのだ。今日はひとつ、自分がアホな理由で危なかったなということを思い出して、戒めにしておこうと思う。まあ、気楽に読んで欲しいし、あほな人間だと笑い飛ばして欲しいものである。

 さて、また、今はむかしの事である。小学生の真ん中くらいの学年で、子供の時の話である。

 このころ私は魚釣りや自転車での遠出が大好きで、学校が終わると学区から出ないようにという教師の注意を無視して、近くは空港、大井埠頭、遠くは横浜の子安、芝の公園まで出かけたりしていた。これは大したことでもなく、あのあたりは平地で子供の足でも自転車で遠くに行く事ができたからである。私は子供の時は結構、移動して動くのが好きな人間だったのだ。今はそうでもなくなってしまったけど。


 そんなある日、釣道具屋で買った安い虫取り網をもって、やっぱり、学校が終わって、大きな川のザリガニやドジョウをとりに行った。かなり上流まで行くのだけれども、その時に鉄道の鉄橋に遊びに行ってやばい目にあった。正直、これはものすごくやばかった。今となっちゃ、わはははっ、なんだけど、今でも思い出すと背筋が寒くなる出来事であった。日本刀が頚動脈をコンマ1ミリでかすめて行ったような出来事だった。ただ、諸般の事由から詳しくは書くのをやめようと思う。


 しばらく年月が流れて、学生のときだった思う。細かい事はだいぶ忘れてしまったが、自分は一時、交通誘導のバイトをしていて、川崎の臨海部に行った時の事だった。場所は覚えていて、確か、海側に貨物が通っていて、上に高速道路の横羽線があって、下を産業道路が走っているところである。周りは大工場ばかりで、騒音と排ガスがすんごい所だ。


 季節はすでに十二月に入っていて、寒かった。カイロを何枚も身体に貼り付けて仕事をしていた。まあ、高校を出て何年で若かったから、どうってことはなかった。

 交通誘導のバイトと言うのは、色々あって、私の居たところは大手だったので、業務は多岐にわたった、まず、イベントや祭り、花火大会の雑踏警備、工事現場やスーパーマーケットの駐車場の出入りとか、道路の片側を閉鎖して、交互に車を通行させたりなどが主な仕事だった。サッカースタジアムの駐車管理もやった。他には、稀に応援で施設警備もやった。動物園の希少動物の展示を監視していて、陸亀の珍しいのを、一時間毎に盗まれていないか数えて記入する事など風変わりな仕事もした。暇な現場、人の来ないところに配属されると、あくびをかみ殺し、蚊との闘いが主な業務になるのだが、打って変って、交通量の多い交互通行や出入は、はっきり言って、運動神経の良くない私には、かなり大変な仕事だった。また、花火大会やイベントは来場者の中には、文句をつけたくて来る人間も稀にいて、そういう輩を相手にするのも楽ではなかった。また、意外に社会的に地位の高そうな人間も容赦なく文句をつけてくることも経験した。こういうインテリはどこから許可を得ているか、請け元は、など、小賢しい質問をしてきて、面倒な連中が多かった。同僚も様々な人が居て、配属でローテションをやらず、楽な場所をすぐに取っていって、ズルをする人など色々な人にあった。ちゃんとした人も居て、ある年配の同僚が「誰が見ていなくても、自分に恥ずかしい事をしなければそれで良い」と言われたが、それは今も覚えている。


 交通誘導は今も街を歩くと良く見かける。暑さ寒さとの戦いであり、年配の人なんかにはとても大変な仕事だ。ただ、世の中に必要なものだと思うし、様々な人の労働の受け皿になっていると思う。ただ、事故や犯罪に巻き込まれる事がまったくないともいえないので、やってみたいと思うなら注意された方が良いと思う。あと、どうでも良い話かもしれないが、あまり会話をしたくない人にとっては向いているんじゃないかなと思う。

 寄り道が長くなったが、その時は夜勤をやることになって、工場の建築現場の出入りを誘導する事をしていたと思う。左右を見てトラックを通りに出してあげる仕事で、夜からの勤務で交通量も少なくなって、ただ形式的に誘導するだけで、楽勝の仕事だった。現場の監督や職人たちも特に追われているということもなく、作業もスムーズに進んでいたので、雰囲気も悪くはなかった。仲間の誘導員もはじめて組んだけど、親切な人だった。


 二時間毎の休憩の時に、事務所で座っていると猛烈に眠くなってくるので、どうしたものだろうと思って、仕方がないのでパイプ椅子を出して、そこで仮眠をしていた。意地悪な監督などはそれだけで怒鳴ってくるのだが、そういうこともなかった。

 夜半も過ぎ、午前三時過ぎ位になって、休憩になって、もう、今日は朝9時までトラックは来ないという話を聞かされて、ああ、良かったと思い、後は椅子に座って、報告書にサイン貰って帰るだけだと思っていた。それと、冬は寒いし夜勤はもうやめようと思ってもいた。

 椅子に寄りかかり、目を瞑って、終わったら、ここから川崎駅まで歩いて、距離があるから、バスの始発に乗るか、方位を変えて、ちょっと歩いて浜川崎からJRで帰るか、でも、浜川崎線は本数ないからなあとか考えていた。後はちょっと歩くけど産業道路駅まで歩いて帰るかと思っていたら、いつの間にか猛烈に腹がへってきている事に気がついたのだった。若いときの夜勤は腹がへるものなのだ。


 じゃあ、歩いてコンビニに行って、弁当とカップ麺でも買ってくるかと思い。防寒着を着て外へ出て、歩き始めた。少し歩くとJR貨物のごついコンクリート高架橋が見えてきて、それをくぐった。あたりを見回すと工場ばかりで、さすがに深夜なので静かで、初冬の冷たい風が吹いていた。

 私は何か仕事が終わって浮ついた感じで、誰も居ないし、気分がハイになって、歌ったり、落ちている空き缶を蹴っ飛ばしたりして、いい気になっていたと思う。


 ちょっと行くと目の前に産業道路の交差点が見えてきて、車も一台も通っていなかった。昼間は信じられないくらい大型車が通るところだったけど、この時間帯はぜんぜん交通量がないんだと感心していたと思う。これなら渡ってやれって思って、行こうとしたら、なんかよく分らない違和感みたいなものを感じて止まった。そしたら、目の前をものすごい速度で、30センチくらい前をトレーラーが過ぎていった。そこで、へたり込まなかったけど、一歩でも路上を先に歩いていたら死んでいたなあと思った。あれから、自分を救ってくれたあの違和感は何かなと思い出してみるけど、何も分らない。自分の中の六感か、姿の見えない誰かが止めてくれたのかなと思っている。


 そこから後で何を考えたかだけど、大したことはない、結局、非日常は日常に含まれ、すぐそこにあるんだなあと思うようになったということだけだ。それと、浮ついて、下らん事したりするとそれが一種の凶事への呼び水になることがあるんだなと思った。

 この事件で自分はメメントモリを意識するようになったとか言うと、格好がついて、オチがつくと思うけど、そういう事はない。ただ、非日常みたいなものは、日常の中にあるものだと思うようになったというだけである。

 ただ、それだけ、ちょっと昔の間抜けな話だ。


お読みくださいましてありがとうございました。

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