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夏目漱石思いつくまま、後編

前にも書きましたが、ブログの記事を改めたもので、新しいものではないです。長くなったので中編をいれて三部構成となりました。

後編です。この回で終わります。


 筑摩文庫「夏目漱石を読む」吉本隆明から引用してみましょう。


『人間の宿命がどこで決まるかといいますと、まず第一次的には、母親の胎内か、あるいは一歳未満の乳幼児の時の母親との関係のなかで決まっていきます。そして無意識の一番基底のところの入ります。それでも宿命と言うのは、何もそれに従わなければならない生涯の決定因ということではありません。内在的に人間を理解した場合には、宿命を超えることが人間にとって生きることだということになりましょう。また、その生きるということをたえず引っ張ってゆくのが宿命だというふうにいえます。』


 とまあ述べておられます。他の本でも吉本隆明は様々な文学のライトモチーフにこの「宿命」を重視しています。

 かやまも何冊か読みましたが、彼の言う「宿命」とは要約すれば、どうしようもできないもの。そういう方向性で生きるように定められたものといえると思います。

 村上春樹は歳をとると取り返しのつかない事が増えてゆくとどこかで言っておりましたが、それも別の「宿命」なのかもしれません。

 自分はいろいろ本を読んできましたが、これは思う作品、すくなくとも偉大な作品の作者はこの「宿命」とのあり方が大きく関わっていると思います。カフカやドフトエフスキーもそういう人でした。かれらはそれを素晴らしいものに変えました。


 では、漱石の「宿命」とはどんなものか述べてみます。まず、漱石は、両親が歳をとって生まれた子でした。当時はそれが恥ずかしいというので、養子に出され、古道具屋の店先に籠に入れて出されたり、それがかわいそうだという事で連れ戻されますが、また、別のところに養子にやられてしまいます。

 こうした幼い漱石への処遇は厳しいものでした。こういうことを幼い時にされると、人はその事を生涯引きずっていくものなのです。

 さらには留学、ですね。この当時の留学とは今の留学とは違います。期待を背負い送り出され、当時の世界の最先端であったロンドンで差別と劣等感をもって漱石は学びました。彼はあまりに東洋の文学と違っているので、下宿にたくさんの文学書を持ち込み、西洋の文学を理解すると狂人のようになって考えたりしたそうです。そして答えのないまま帰国します・・・・・・。それから、漱石は中年に至り、小説を書き始めます。

 それらの小説は丹念に読むと、常に「宿命」との関係が出てきます。そして、その多くは「宿命」と「反宿命」の物語なのです。

 次では、具体的に作品を取り上げながら、いかに漱石が「宿命」と向き合ったのか、また、その「宿命」と向き合い描くために、生み出された三角関係の小説について書いていきたいと思います。


 ***


「三四郎」「それから」「門」にみる三角関係


「宿命」とまあ大仰に書いておりますが、「宿命」は誰にもあるものです。例えば自分は生まれつき、病気を抱えて生まれたけど、その病気と付き合いながら、スポーツもして、できるだけ健康に生きるというのも「宿命」にある意味逆らった生き方でしょう。

 逆に環境が悪くて、犯罪者になってしまったというのは、ある意味、「宿命」に負けたという生き方かもしれません。自分の妄想癖も踏ん切りのつかない生き方も「宿命」かもしれません。


 漱石は小説家としてこの「宿命」に逆らった方向へ走り続けました。例えば「坊ちゃん」もそうです。東京の大学の先生を突然やめて、松山の中等学校の先生になる。古い言い方ですが、エリートの道を捨てて突如、出奔みたいなことをする。その裏には「宿命」への反逆があります。ああいう「悪童」小説が百年を超えて成立する事に、吉本隆明は悲劇性のないユーモアは一回限りと言っておりますが、そこには漱石の悲劇性が封じてあるのです。

 さて前置きが長くなりましたが、三角関係の話です。漱石の小説で三角関係がテーマになったはじまりは前にも書きましたが、「幻影の盾」からです。

 そして、いよいよ「三四郎」がやってきます。「三四郎」はずいぶん昔に読みました。たぶんかやまが三四郎と同年代の頃です。

「三四郎」は三四郎という青年が上京し、美禰子みねこという女性に恋をして振られる話です。美禰子は先進的でクールな感じの女性です。一方で美禰子は野々宮さんという先輩から一緒になりたいみたいなことを言われています。この三角関係は、美禰子が兄の友人と結婚する事で突然終わります。この終わり方は当時の自分はロマンティックに読んだ覚えがあります。

 ただ、こういう小説は以後、もう書かれません。漱石の青春小説は「三四郎」で終わりです。以後、だんだんと三角関係は暗く破滅的な物語へとシフトして行きます。

 次の「それから」では代助という彼はニートに近い存在ですが、スズランの花の匂いを嗅ぎながら、神経が沈静化して世の中と繋がれる主人公です。代助には親友の平岡がいて、彼には三千代という妻がいる。代助は三千代をまた愛して、三角関係になり、最後はそれを平岡から、実家に知らされて勘当され、仕事を探してくるといって、町へ出て行くところで終わります。


 さらに「門」では宗助という主人公になり、こんどは親友の安井の妻である御米を奪い、ひっそりと暮らしています。しかし、意外なことから安井と再会することとなり、これは偶然から回避され、夫婦は再びひっそりとした生活をつづけてゆく。おもしろいのは「門」では宗助が突然、鎌倉に座禅をしに行きます。

 そう、そうなんです。鎌倉は若い漱石も座禅に行きました。こだわりのある漱石にとって鎌倉は特別な場所だろうと思いますね。

 そして、晩年の「こころ」では三角関係はご存知ように、先生の自殺という結末になります。

 このように、漱石は三角関係にこだわり、幾度も題材にしました。では漱石の小説の大きな主題であった三角関係が何を意味していたか、書いてみたいと思います。


 ***


 漱石の描いた三角関係の図式が象徴する近代日本・アジア


 漱石の書いた三角関係の小説は、日本的なものでした。最後に一人の男が勝って、女性を得るという図式でなく、西洋的な不倫小説にはなりませんでした。

 また、いつも漱石の小説は、近しい人々の葛藤が描かれています。「こころ」でも先生は親友に先んじて、婚約して、その、苦悩から死を選択します。そうした展開をたどるのは漱石の「宿命」であり、彼の小説の特質とも言えましょう。

 ではこれらの小説が何を意味していたのか、進んで解釈して、終わりとしたいと思います。

 少し論理が飛躍しますが、お付き合いください。三角関係とは、主体がいて、それがそのどちらもを選択できない状態です。明治の知識人とは言わば、日本的なものと西洋的なものとに引き裂かれた存在でした。つまり、西欧社会を一人の女と見れば、それを選ぼうとする二人の男は日本です。一人は積極的に選ぼう、受け入れようとして、いま一人は捨てようと、あるいは手をこまねいている。そんなふうに喩えてみたいのです。漱石の三角関係を大きな時代的な宿命の中で捉えるのです。吉本隆明は漱石の小説をそうとらえました。


 補足しましょう。明治末から昭和にかけて、当時は二重生活(和洋折衷)という言葉がありました。これは日本と西洋とのどっちつかずと解釈できると思います。

 私はかつて日本民俗学を学びましたが、明治から昭和に至る近代は、伝統的なものが崩壊し、システマティックなものに変化していく過程でした。民俗学は近代の光の中に浮かび上がる過去の残像を追う学問ですが、それは同時に逆説的ですが近代的なものなのです。

 明治維新にはじまる近代の衝撃の下で、東洋と西洋の狭間で自分の自画像を探し続け、時に激しく葛藤して、その過程の中で戦争を起こし、自らも、周りの国々も傷つけた。そういう国が日本だと思います。


 漱石の小説が時代追って、破滅的な展開をたどるのはそうした行く先を暗示していたのではないかとも思うのです。優れた文学は多くの場合予言的なのです。漱石は留学を経験し、同時に漢籍などの東洋的な学問に精通しておりました。そして、上で述べたような文明的な三角関係にもっとも葛藤した知識人であったのではないかと思います。期待こめたロンドンでは、その西洋の社会にがっかりして、さらには英文学を学んで、帰国して、文学と言うものがわからなくなった人でもあります。

 なぜなら、東洋の文学は人間が自然と同化できるか、あるいは遠ざかるか、という事が大きなテーマになります。だから水墨画などの東洋の芸術ではあの絵の中に遊ぶということが鑑賞の視点にもなります。


 逆に西洋的な文学はどこまで行っても、人間を主体とします。キリスト教的なものが根本にあるのでしょう。東洋からやってきた漱石が文学をよくわからなくなったのも無理はないと思います。そして、彼が見つけたのが、このテーマだったと解釈しようと思えばできるのです。「それから」では代助は高等遊民になっています。就職して働く事は彼には、西洋的な現実社会に行ってしまうと思っています。

 これはある意味、石川啄木や二葉亭四迷とも似ています。明治知識人の葛藤を象徴したものだと言う話になります。


 こんなふうに夏目漱石の書いた小説の三角関係は色々なものを喩えることができるのです、そして、こうした彼の小説の三角関係を文明に置き換えてみれば、東アジアに共通したものとも言い得なくもありません。だから、漱石はこれからも読み継がれると思うし、さらに多くの可能性を秘めているといえましょう。

 漱石はこういう時代の、あるいはもって生まれた「宿命」に逆らい。あるいはその「宿命」を考え抜いて題材に書き続けました。このように漱石を読むことも出来ます。もちろんそんなのはないよということも出来ます。ただ、テキストから多くの智慧を得るという事は文学を豊かに読むことだと、言い訳しておきます。


 ***


漱石に少し学ぶ


 自分は漱石先生からはやはり多様性を学びたいと思います。色々なことがごくあたりまえに書いてある。実はこれは色々と考えて自分で書くとわかるけど、この当たり前が難しいことなんですよね。

 それとやはり「宿命」とどう自分はあるのかということでしょうか。時代の宿命、生まれ持った宿命、それから逃げてしまうのか、それとも漱石のように逆らい続けるのか、それは自分にいつも問いたいなどと思います。

 今回、この文章を書いてみて、自分自身がいろいろ考えてしまいました。でも、人によって、物凄く広く漱石は読めるから、そこから各々、皆さんは学ぶ事ができると思います。

 理屈だらけで下手な文章でした。ここまで読んでくださったらありがとう。

 吉本隆明の「夏目漱石を読む」を参考にしました。良い本なので、読んでみてください。


 参考文献


 筑摩書房『筑摩文庫 夏目漱石を読む』吉本隆明


これで終わります。

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