フランツ・カフカの手紙
ちょっと書いてみました。今年もよろしくお願いします。
フランツ・カフカは十九世紀から二十世紀にかけてチェコのプラハで活躍した小説家です。彼はマイノリティだったユダヤ人でした。そうなると、彼はあのアウシュビッツに消えたかと思われるかもしれませんが、その犠牲者の一員になる事はありませんでした。彼はあまり長くは生きませんでした。
ある日、自分が大きな虫に変わってしまう小説「変身」は彼の代表作であり、よく知られています。私はフランツ・カフカの書いたものに影響を受けたかどうかは良くわからないけど、この人はほんとうにすごい人だと思います。私はこの人の書くものが好きで、ほとんど全部読んでいます。自分は特に「城」が好きです。これを友人や知った人に言うとほとんどが理解してくれませんが、この小説の中に流れる。奇妙な緊張感と切迫感が好きです。
今回はフランツ・カフカの若いときの手紙を紹介したいと思います。これがなかなか非凡な手紙だと思います。そして、こういう文章はそう書けるものではないです。
『 [前略]
僕は、およそ僕自身を咬んだり刺したりするような本だけを読むべきではないかと思っている。僕たちの読んでいる本が、頭蓋のてっぺんにこぶしの一撃を加えて僕たちを目覚めさせる事ができないのだとしたら、それではなんのために僕たちは本を読むのか?君の書いているように、僕たちを幸福にするためか?いやはや本がなかったら、僕たちはかえってそれこそ幸福になるのではないか、それに僕たちを幸福にするような本は、いざとなれば自分で書けるのではないか。しかし、僕たちが必要とするのは、僕たちをひどく痛めつける不幸のように、僕たちが自分よりも愛していた人の死のように、全ての人間から引き離されて森の中に追放された時のように、そして、自殺のように、僕たちに作用する本である。本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。そう僕は思う。
[オスカー・ポラック宛て、一月二十七日] 』
これは一九〇四年にカフカが友達に宛てた手紙です。私は
『僕たちが自分よりも愛していた人の死のように、全ての人間から引き離されて森の中に追放された時のように、そして、自殺のように、僕たちに作用する本である。本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。そう僕は思う』
この部分が心に突き刺さる。中でも
『本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。そう僕は思う』
という部分です。『凍結した海』か、と私は立ち止まって考えてしまうのです。『凍結した海』の意味とは何だろかと私はそこにひっかかり、ずいぶんと長い間考え続けたことがあります。本はとても抽象的な部分です。悲しみに『凍結した海』あるいは、先に進むことが出来なくしている『凍結した海』なのかとね。私自身も『凍結した海』によってどうしようもなくなったことがあります。確かに本もそこから解き放たれることに力を貸してくれました。そういう本は、深い意味を持つ本(言葉)でした。
『凍結した海』に阻まれて、進めなくなったときにもう一つそれを解き放つ力があります。それは時間だと思うのです。自分は経験からそれを知りました。
他にも素晴らしい言葉と文章がこの本には載っています。とても良い本なのでぜひご覧ください。
引用文献
フランツ・カフカ著 吉田仙太郎訳『平凡社ライブラリー149 夢・アフォリズム・詩』株式会社平凡社