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ジ・アナザー  作者: sularis
第十章 それぞれの旅
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第十章 第九話 ~サビエル~

 サビエルが魔術師の道を歩み始めたのは深い理由があったわけではない。単なる生まれの問題、そう結論づけられるだろう。

 大体魔術師なんてものは、血筋によって受け継がれていく。めぼしい理由はいくつかあるが、才能だの早期からの英才教育だのが主なところだろう。

 兎に角、サビエルが物心ついた時には既に、魔術を使うための様々な訓練や魔力の通りをよくするためのちょっとした人体改造を施されていた。

 さて、そんなことをしてまで魔術師というのは力だの真理だのを追い求める人種であるが、そのいずれも人一人の寿命を全て使ったところで到底手が届くようなものではない。

 勿論、自らの成果を弟子に受け継がせることはどの魔術師の系譜でもやられていることである。だが、その大半はいつでも読める書物として書きためる事であったり、つきっきりの訓練だったりである。そのいずれも、膨大な時間がかかるわりに満足いくだけの知識や力の伝授が出来ないことに一部の魔術師達は非常に不満を覚え、そして別の方法を――魔術による解決を試みたのだった。



 どうでもいい過去の夢を見ていた気がする。

 サビエルは顔に当たる風の圧力で目を覚ました。

 それから自分が今どこにいるのかと考え始めるまで数秒も要したのは、常のサビエルとしてはあり得ないことだった。だが、それも仕方ない事だろう。

 サビエルは周囲に視線をやろうとして、身体が自由に動かない事に気づいた。正確には胸から下にまともな感覚がない。身体があるという感覚自体が曖昧だった。

 腕はかろうじて動くが、その動作もどうにも鈍い。

 そこまで把握して、やっとサビエルはものがよく見えていない事に気づいた。

(目を開けてなかったのか?)

 そう考え、サビエルはまぶたを開けようとするが、いくらやってみてもぼんやりと明るい事が分かるだけで、目には何も映らなかった。

 明らかな異常事態に、しかしサビエルは全く慌てることなく、今自分が置かれている状況を思い出そうとする。常に冷静たれ。それが魔術師として叩き込まれたことの1つであり、この世界で生きていく上で必要な事でもあったからだ。

(確か……レックのやつと歩いていて……)

 そう、先ほどまで月の明るい夜道――というには道など無かったが――を歩いていたのだ。そこまでは覚えているが、そこからの記憶がない。

 兎に角周囲の様子を確認するのが先かと、何故か苦労しないと動いてくれない魔力を必死にかき集め、視力の回復を試みた。

 その甲斐はあったと言うべきだろう。

 何とか視力を取り戻したサビエルの目に飛び込んできたのは、闇だった。

(いや、単に暗いだけか……だが……)

 そう考えながらサビエルは下へと視線を向けた。そこにあったのは明るく光る満月と、

(……そう、か。油断しすぎたのか)

 サビエルを咥えて飛ぶ、巨大なグリフォンの顔だった。

 自分が置かれている状況を把握し、サビエルは身体の感覚がない理由も大体察した。

(酷い事になってるのだろうな)

 先ほど、視力を回復させるために魔力をかき集めた時の感触を思い出す。魔力の流れは悲惨なまでに滞り、寸断されていた。魔力の流れは概ね身体の調子に依存する。つまり、魔力の流れがそうなっているということは……身体の方もどうなっているかお察しというものだろう。間もなく目でも確認する機会が訪れるかも知れなかったが、あるいはそうなる前に、とはサビエルも思わないでもなかった。

 自らに迫る死を認識しながらも、既に多量の血液が内出血という形で失われつつあるサビエルは、ぼうっとしたままグリフォンに運ばれていった。



 気を抜けば痛みのせいですぐにでも途切れそうになる身体強化を必死で維持しながら、レックは山肌を駆けていた。

 その視線の先では、サビエルを攫っていったグリフォンの影が羽ばたいている。

 追いかけはじめて既に随分な時間が経過したようなレックは思っていたが、実のところ、まだ5分と経っていない。

 だが、たった5分と言えども空を往くグリフォンを未だ見失わずその後を追いかけ続けられている事は、十分賞賛に値する事だった。尤も今のレックを見るものがいれば、賞賛するよりも先に自らの目を疑うだろうが。

 何しろ、今レックが走っているのは40度を超える急斜面である。そんな斜面をほとんどまっすぐに、生半可な鳥よりも速く駆け上がっているのだ。人間どころか野生動物ですらあり得ない。

 それでもグリフォンよりは随分と遅かった。だが、未だレックがグリフォンを見失わずに済んでいるのは、グリフォンの目的地がさほど遠くなかったためか、そのスピードが大したものではなかったからだった。

「!」

 グリフォンの影がふっと山肌に吸い込まれるように消えたのを見て、レックは焦りから更に足に力を込めた。

 その甲斐あってか、レックはすぐにグリフォンが降り立った場所を見つけた。何しろ、夜とは言え満月のおかげで随分と明るいのだ。たかだか数百m先のグリフォンの巨体を見つける事など、レックにとって造作もなかった。

 山肌の途中にぽっかりと口を開ける洞窟の前に降り立ったグリフォンは、洞窟の中を覗き込んでいるのだがその巨体故か洞窟の中には入ろうとしていなかった。

 だが、レックはそんな事には気づかない。

 作戦も何も無くグリフォン目掛けて駆けるレックは、グリフォンの足下に横たわる人影しか見ていなかった。

「ああああああああ!!!!」

 ブロードソードを握りしめ、サビエル目掛けて一直線に駆ける。

 そのレックに流石に気づいたのか、グリフォンはレックの方へと首を向けると、

「キイイイイイイイ!!」

 鋭い警戒の鳴き声を上げた。

 洞窟の中から、幾つか小さな影が出てこようとしていたが、その警戒音を聞いて洞窟の奥へと引っ込んだ。

 かたや、警戒音を上げたグリフォンは翼を広げ空へと飛び立つ――かと思いきや、鋭い嘴を開けたまま、レック目指して駆け出してきた。

 その行動の意味をレックは考えることなく、サビエルの前に立ちはだかるグリフォンへと突撃する。

 グリフォンはライオンのそれをまんま巨大化させたようなその前足をレック目掛けて大きく振り下ろしてくる。

 普段ならば受け止めるではなく躱す事を選ぶはずのレックだったが、この時は左手の盾でグリフォンの力強い前足を受け止めた。

 凄まじい轟音と共に、レックの足下の地面が大きく凹む。盾も少し歪んでいた。

「ああああああ!!!」

 しかしそれだけの力を受け止めたレックは平然と、盾で受け止めたグリフォンの前足目掛けてブロードソードを突き出した。

「ギャアアアァァァ!!」

 ブロードソードを深々と突き刺された痛みに、グリフォンが堪らず悲鳴を上げた。

 そのグリフォンが前足を大きく振るい、その力に耐えきれなかったブロードソードがレックがグリフォンの足から抜き取るよりも先に根本からぽっきりと折れた。

 それで更に傷口が広がり、グリフォンは再び悲鳴を上げた。そしてレックから距離を取るべく、翼を広げて舞い上がった。

 サビエルまでの道が空いたと駆け出そうとしたレックは、背筋を走った寒気に前ではなく後ろへと大きく跳んだ。

「なっ!?」

 その眼前で、無数の何かが地面へと降り注ぎ、地表の岩も石もまとめて粉砕していく。

 レックが視線を上げると、そこには瞳に激しい怒りの色をたたえがグリフォンが飛んでいた。

 どうやら舞い上がったのは逃げるためではなかったらしい。前足を傷つけられたグリフォンは、かえってその怒りを増したようだった。

 レックはそう感じると、改めて自分目掛けて降り注いできた何かから逃げながら、折れた剣の代わりにアイテムボックスから新しい剣を取り出した。

 そして、迷うことなくその剣をグリフォン目掛けて投げつける。

 グリフォンが飛んでいるせいぜい数m程度の高さならレックとしては全く問題なく跳躍して攻撃できるのだが、如何せん、既にグリフォンのよく分からない攻撃によって随分と距離が開いてしまっていた。その距離を詰めようにも、グリフォンから飛んでくる謎の攻撃のせいで簡単には近づけそうにもない。

 だからこそ、レックはほとんど何も考えることなく、大きく翼を広げていたグリフォンへと剣を投げつけたのだ。

 レックが投げた剣はブンブンと回りながら、凄まじい速さでグリフォンへと迫った。

 それに気づいたグリフォンだが避けるにもその巨体では小回りが効かず、代わりにレックへと振り向けていた攻撃を飛んでくる剣へと集中させる。

 その攻撃を受けた剣はグリフォンまで後数mと迫りながらも、そこで粉砕されてしまった。

 だが、それによりグリフォンのレックへの攻撃は一瞬だけだが確実に途切れた。

 そして、並外れた身体強化のレベルを誇るレックにはそれだけの時間で十分だった。

 グリフォンがブロードソードを破壊するよりも前に、レックはグリフォンの意識が投げつけた剣に向いたと見るやグリフォンとの距離を大きく詰め、新しく取り出したブロードソードを右手に握りしめる。

 そして、迫ってきていたレックに気づいたグリフォンがその翼からレック目掛けて謎の何かを打ち出し始める寸前に、数mの高さを飛んでいたグリフォンの腹目掛けて跳躍した。

 そのまま、巨亀の首に比べれば圧倒的に柔らかいそれにブロードソードを突き立てた。

「ギャアアアアアアアァァァ!!!」

 先ほどとは比べものにならないほどの苦鳴が、グリフォンの口からはき出される。

 だが、それに躊躇することなく、レックはブロードソードを大きく振り抜いた。勿論、グリフォンの腹に刺さったままで、である。

 当然、グリフォンの腹は大きく切り裂かれ、グリフォンの胸を蹴って一足先に地上へと落ちたレックの後を追うように大量の血と内臓がそこから零れだした。

 地響きと共に地に落ちたグリフォンは、まだ即死してはいなかった。

 だが、明らかな致命傷を負い、すぐには立ち上がれそうもないそれは既に脅威ではなくなったと見なし、レックは今度こそサビエルの元へと向かった。

 その身体には血の一滴もかかっていない。血が噴き出すよりも前にグリフォンからもその墜落地点からも飛び退いたためである。

「なんだ、あれ?」

 途中、洞窟の中から覗いている影に気づき、サビエルの所に行く前に洞窟の入り口に駆け寄った。その正体は洞窟のせいで暗くて分からないながらも、サビエルを回収する時に邪魔をされたくはないからと迷わずそれらの影をまとめて切り捨てる。

 甲高い悲鳴を上げながらそれらが真っ二つになるのを見たレックの耳に、ワンテンポ遅れて悲しみを交えた怒りの鳴き声が届いた。

「えっ?」

 振り返ったレックの視界に飛び込んできたのは、腹からはみ出た大量の内臓を食いちぎり、先ほど落ちたその場所で立ち上がって大きく翼を広げたグリフォンだった。

「まずっ!」

 先ほどと同じ攻撃が来るのを察したレックは、洞窟の入り口から少し離れたところに倒れているサビエルとは反対方向へと跳んだ。

 だが、待てど暮らせど何も起きない。

 視線にいぶかしげなものが混ざったレックは、大きく翼を広げていたグリフォンが力尽き、ゆっくりと崩れ落ちていくのを見たのだった。

 今度こそ大丈夫だろうと判断したレックは、それでもグリフォンにも洞窟の入り口にも注意を払いながら、サビエルの元へと駆け寄ったのだった。



 地面にドサリと落とされたサビエルは、頭を打ち、そのショックで再び意識を失いかけた。だが、何とか意識を保つ事に成功したものの、次の瞬間、それを後悔した。

 グリフォンが短く優しい鳴き声を立てている。

 それはあたかも何か大事な存在を呼んでいるかのようで、それはすなわち、今から自分が生きたままそれに喰われるのだという、サビエルにとっての死刑宣告に他ならなかった。

(感覚がない事だけが……救いか……)

 察するに、魔術を使って癒そうにも自分だけではどうにもならないような致命傷を負っているのだろう。ここに運ばれてくるまでに僅かな時間で、体内に魔力を流し、その魔力の流れが乱れているどころから寸断されている事からサビエルはそう判断していた。

 既に肩から上の感覚しか残っておらず、それすらも痺れるような感じに飲み込まれつつあった。

 だからこそ、今から自分を待ち受ける運命を直視しなくてもいいだろうという事だけがサビエルには救いだった。

 ただ、心残りもある。

(悪いな……父上。せっかくの知識も力も……ここで無くすことになってな……)

 父から魔術師として受け継いだ先祖代々の知識も力も、こんな訳の分からない世界で無くしてしまう。そのことだけが気にかかっていた。

 だが、ここにはそれを渡せる相手などいない。

 いたとしても、間もなく喰われる自分にそれを渡すだけの時間があるとは思えなかった。

 そのことをとうの昔に鬼籍に入った師でもあった父親に謝りつつ、サビエルはそっと目を閉じ、その時を待った。

 洞窟の入り口に何かが出てくる気配があった。

(いよいよ、か……)

 覚悟を決めるにはあまりにも急な事だった。

 だが、失血のせいか意外と冷静なままサビエルはその時を迎えようとしていた。

 この時までは。

 だが、

「キイイイイイイイ!!」

 サビエルの横に屹立していたグリフォンが、急に鋭い鳴き声を上げた。

 それに反応してか、洞窟の入り口付近に出てきていた幾つもの気配がぴたりと動きを止めた。

 その直後、サビエルの横からグリフォンの気配が消えた。

 暫くして聞こえてくる轟音。そして何かが破砕されていく凄まじい音。

 その中に、聞き覚えのある声が混じっているのを聞きつけ、しかしサビエルのまぶたは既に持ち上げる事すら出来なくなっていた。

(レック……か。追いついてきたのか……)

 ただそれだけを考えたサビエルは、次の瞬間、ある事に気づいた。

 たった1つの心残り。

 それをあるいは果たせるかも知れない。

 そう気づいた瞬間、サビエルの脳は猛回転を始めた。

 そのための条件を羅列し、手順を確認する。

 必要な術式を脳内に展開し、なけなしの魔力を練り込む。

 たったそれだけの事に、どれほどの時間を使ったか。

 いや、あるいは準備を終えるだけで残り僅かとなった力を全て使い果たすかも知れない。

 だが、サビエルはそんなことはもはや気にしなかった。

 今すぐレックがここに来て治癒魔術を施してくれたところで、自分はもはや助からない。それはもう確定しているのだ。

 確かにレックの魔力は相当なものだ。だが、所詮魔力だけ。制御能力は多少改善されたが、それでも治癒魔術そのものに限界があるのだ。

 助けられる怪我と、そうでない怪我がある。

 そして、サビエルの怪我は間違いなく後者なのだった。

 そんな事を頭の片隅で考えながら、サビエルの準備は完了した。

(何とか間に合った……か)

 そう考えたサビエルは、残りの時間と力を何とか準備を完了させた術式の維持に全て費やす。

 その時間はもって1分。

 だが、サビエルにとって幸いな事に、それで十分だった。

 30秒としないうちに何か重たいものが落ちる地響きが伝わってきた。

(……まだなのか?)

 だが、すぐに来ると思っていたレックが来ない。

 1秒また1秒とサビエルに焦りが募る。

 死の恐怖による混乱がなかったサビエルでも、折角見えた希望が潰える事への焦りはまだ残っていた。

 どれほどの時間が経ったのか。

 無限の時にも思える時間が過ぎ、しかしまだ術式を維持できている事に、サビエルはまだほとんど時間が経っていない事を知る。

 そして、ついにサビエルが待ち望んだ時が来た。

 微かに聞こえてくる、土を踏み駆け寄ってくる足音。

 それに歓喜し、サビエルはレックが横に来るその時を待った。



「サビエル、大丈夫!?」

 地面に倒れ伏していたサビエルに駆け寄ったレックは、声をかけながらもサビエルの状態を見て絶句した。

 グリフォンの嘴で挟まれていたサビエルの身体は、腹部から下が明らかに変な方向に曲がっていたのだ。

 身につけていた防具のおかげで出血などはしていないようだが、とてもではないが無事だとは言い難い。

 いや、下手すると既に……

 そんな事を考え始めていたレックの耳に、微かな声が届いた。

「……近くへ…………」

「サビエル?」

 サビエルから上がった声に、彼がまだ生きてると知りレックは喜色も露わにサビエルの横に膝をついた。

 そして即座に治癒魔術の詠唱を開始する。

 が、

「止め……ろ……それよりも……」

 力などほとんど失われたサビエルのその声に、何かを感じてレックは思わず詠唱を止めた。

 治癒魔術は多少の時間稼ぎにはなるが、サビエルとしてはそれよりも折角の準備が治癒魔術で全て無に帰される方を恐れたのだ。

「何で止めるんだ!?」

 レックがハッと気がついてサビエルにそう叫ぶも、サビエルに気にした様子はない。代わりに、

「俺の……手を…………受け……入れてくれ……」

 何を受け入れるのかは分からないが、その言葉通りにレックはサビエルの手を取り、再び治癒魔術の詠唱を始めようとした。

 だが、サビエルのほとんど光が失われた目がそれを再び止める。正確にはそこに見える避けようのない死の色に、それを踏まえたサビエルの覚悟にレックの動きが止まったと言うべきだろう。

「先に……やるべき……ことがある……」

 それでもサビエルは言葉をゆっくりと続けた。

 これからやるべき事には、是非ともレックの同意が必要なのだ。レックの膨大な魔力を考えると、レックの同意無くしては継承は成功しない。

「やるべき事ってなんだよ……!」

 治癒魔術よりも優先すべき事があるとは思えないレックがそう零した。しかし、サビエルの様子に軽い混乱状態にあったレックは、既にサビエルの言葉を聞き取る事を優先してしまっていた。

 そんなレックの様子にサビエルはこんなんじゃまだまだ心配だななどと思いつつ、レックに伝えるべき事を、頼むべき事を口にする。既に意識しないと動いてすらくれなくなりつつある肺に空気を送り込み、何とか声を絞り出す。

「俺の……手を……額……に当てて……俺が渡す……ものを……受け……取って……くれ……」

「分かった。こうすればいい?」

 サビエルの様子に息を呑みつつ、レックはサビエルの言葉に従った。

「ああ……」

 サビエルはそう答えると、用意しておいた術式を発動させる。

 その術式はサビエルの一族に伝わる秘術。

 発動した術者の記憶と知識を全て吸い上げ、対象者へと転写する。

 本や教育では伝えきる事が出来ない自分たちの研究成果をより確実に、漏れなく伝えていくために――とは言ってもかなりの穴があるのだが――サビエルの祖先が編み出した魔術だった。

 既に準備段階でサビエルの主立った知識と記憶を吸い上げ終わっていたその術式は最後のトリガーを引かれ、サビエルの手からレックへと一気に流れ込んでいく。

「っ?!」

 それを感じたレックが息を呑んだ。だが、サビエルの願いという事もあってサビエルの手を放す事はなかった。

 そして僅か数秒。

 術式の完了を知ったサビエルは意識を命を手放したのだった。

 だが、術式を受け取ったレックはサビエルの様子を気に掛けるどころではなかった。

「ぎゃあああぁぁぁぁ!!!!!」

 最初は額から魔力の塊が入ってきただけだったのだが、レックが首を捻っている間にそれは瞬く間に展開され、レックの脳へと一気に情報を書き加えていった。

 数百年に及ぶサビエル達の魔術研究の成果が、知識が、経験が、少なからぬ欠落があるとは言え一気に脳に書き込まれていくのだ。その負荷は生半可なものではない。

 いつの間にかレックはサビエルの手をふりほどき、あまりの頭痛に地面の上をのたうち回っていた。

 そうしている間にも、レックの脳ではその神経回路に膨大な負荷を掛けながら、次々と情報が書き込まれていく。レックは受け入れると答えていたが、そのあまりの苦痛に知らず知らずの間にレックの魔力は高まり、その魔力が脳に送り込まれた術式を圧迫していた。

 やがて、その役目を終えた術式は魔力を霧散させて消え、それと共にレックを苛んでいた頭痛も去っていった。

 だが、既にレックの意識はもうろうとしていた。

 その中でも安全を求める意識が少しは残っていたのだろう。

 レックはふらふらと洞窟へと向かい、その奥でぱたりと倒れたのだった。



 鳥が鳴いている。

 こんなまだ太陽も昇っていないくらい時間から鳴き始めるとは、随分と気の早い鳥もいるんだなと思った。

 だがまだ眠い。

 だからもう暫く寝ようと寝袋に潜り込もうとしたレックは、頬をちくちくとつつく何者かの感触にハッと目が覚め、

「あたたた……」

 軽い頭痛に襲われ、頭を抱えた。

 幸い大した頭痛ではなくすぐに収まったので、改めてレックは周囲に注意を向けたが、生憎真っ暗で何も見えない。

 ただ、すぐ近くからピーピーと鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 その実に庇護欲をそそられる鳴き声に思わず手を伸ばしたレックの指先に、ふさふさの毛皮の感触が伝わってきた。

「……あれ?」

 鳥なのに毛皮。

 鳥なら羽毛じゃないのかと首を傾げたレックだったが、とりあえず心地よいその感触にどうでもいいかと開き直った。

 ピーピーと鳴くそれをたぐり寄せて抱きかかえてみると、意外に大きい。

 というか、

「……鳥じゃないし」

 ふかふかの羽毛に包まれた腕っぽいものはいいとしよう。なにやら随分大きいがまだ鳥だと思える。

 問題は足である。ふかふかの毛皮に包まれたがっしりした足。とてもではないが鳥の足ではない。それが実に4本もある。

「…………」

 何となくそれがなんなのか察したレックは、それの正体を確認するべく、僅かに光が入ってくる洞窟の入り口へと向かった。勿論、それを抱きかかえたままである。

 ぐちゃぐちゃになった何かの死体が散乱する入り口を通り抜け、太陽の下に出たレックは、一瞬、腕の中に抱きかかえたそれの存在を忘れていた。

 洞窟の前には人が倒れていた。

「サビ……エル……?」

 一瞬にして、昨夜の出来事が次々と思い浮かんでくる。

 レックは抱いていた白いふわふわを放り出すと、急いで地面に倒れているサビエルの元へと駆け寄った。

「サビエル!サビエル!!」

 何度も身体を揺すってみるが、サビエルは全く動かない。

 いや、動くわけもない。

 それでもレックは何度もサビエルの身体を揺さぶった。

 手から伝わる温度はあまりにも冷たい。

 それでもそれを信じたくなくて、レックは何度も何度もサビエルの名前を呼びながら身体を揺さぶり、そして思い出したように治癒魔術を使う。

 何度も何度も。

 だが、幾度治癒魔術の光をサビエルの身体に当てようとも、その光がサビエルの身体に吸収される事は無かった。勿論、サビエルが動き出す事も……ない。

「サビ……エル……」

 小一時間ほど経って、レックはようやくそのことを認めた。

 サビエルは死んだのだと。

「ひっく……ひっく……」

 ただ泣き続けるレック。

 その耳にピーピーという鳴き声が聞こえてきた。

 いや、ずっとそれは鳴き続けていたのだが、やっとレックの耳に入るようになったと言うべきだろう。

 改めてそれへと視線をやったレックの目に映ったのは、よたよたとしたグリフォンの雛だった。

 真っ白なふわふわの毛と羽毛に覆われた身体の大きさは柴犬ほど。その目つきも精悍と言うよりもまだまだ愛くるしいと言った方がしっくり来るだろう。

 そんなグリフォンの雛がレックを見ながら、ピーピーと鳴き続けているのだった。

 レックが手を伸ばすと、グリフォンの雛はよたよたとレックの方へと寄ってきた。それを抱きかかえ、レックは再びサビエルの遺体へと視線を向けた。

 腕の中の温もりのおかげか、先ほどと違ってどうにか悲しみには耐えられそうだった。それでもまだ動く気にはならず、レックはまだまだじっとしているのだった。

 その腕の中では、グリフォンの雛がピーピーと鳴き続けていた。

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