第十章 第七話 ~岩亀~
「……でかいな」
リザードマンの集落から歩く事1時間ちょっとの森の中。たったそれだけしか離れていないところに、問題の魔獣はいた。
それを遠目に見たサビエルの第一声が先ほどのそれである。
森の中なので木々に遮られて視界はかなり悪い。それでも木々の向こうに見える緑色の岩のような物体の大きさは見て取れた。ちょっとした建物よりも大きいそれは、まさしく小山だった。
ただ、
「動いてるように見えないんだけど……生きてるんですか?」
身体強化で視力を強化して観察していたレックが、あまりにもそれが動かない事を疑問に思い、そう訊ねた。
「生きておる。ただ、一日に100m動くかどうかなのでな。ほとんどの時間は休んでおるからな」
それを聞いたレックは、集落からこんなに近いのにリザードマン達がまだ余裕を保っていた理由を理解した。一日100mしか動かないのであれば、数kmの距離を移動するのに数十日もかかる。
「それでも納得できぬのであれば、あれの周囲をよく見てみるとよい」
そう言われたレックは緑色の巨岩にしか見えないそれの周囲へと視線を移した。
よく見ると巨岩の周囲はそこだけ妙に葉が生い茂っている。
「……あれ?」
そのことに違和感を感じたレックは改めて周囲を見回してみるが、時折生えている灌木や藪を除けば、森の中に青々と葉が茂っている場所など無い。付け加えるなら、巨岩の周囲の葉は生きのいい色をしているようにも見えた。
「気づいたようだな。周囲の葉は、あれが押し倒した木々のものなのだ」
リザードマンロードにそう言われ、レックは理解した。そして、岩にしか見えないそれが見たままの物ではないと納得する。
一方、サビエルはもうちょっとよく見えないものかとあれこれと工夫していたようだが、無駄な努力だったらしい。
「しかし、ここからじゃよく分からないな」
そう言って、もっと近づけないかとリザードマンロードに訊ねた。
「もとよりそのつもりでおった。だが、ここから先は彼らの後ろから出てはならぬぞ」
「ここまで攻撃が飛んでくるのか?」
サビエルはそう言って、巨岩にしか見えない魔獣との距離を目算で測った。ざっと、100m。いくらウォータージェットと言えども届くとは思えない。
だが、リザードマンロードは頷いた。
「もう少し進めば、あれの攻撃の射程内なのだ。射程を出た途端、葉っぱすら切れぬほどに威力は落ちるのだが」
その言葉に、サビエルは魔獣の攻撃が単なるウォータージェットではないと察した。おそらく、射程内では何らかの方法――おそらくは魔術を使い、威力を維持しているのだろう。
その推測が正しければ、何とかする術をサビエルは持っている。だが、間違えていればウォータージェットを防げないし、あっていたとしても手の内を周りに見せたくもない。
そんなわけで、サビエルは素直にリザードマンのお世話になる事にした。
リザードマンロードはレックも同じようにリザードマンの後ろに付いた事を確認すると、「では行くか」と前へと進み始めた。
そして歩き始めてすぐの事だった。
ズズズズズ…………
重たい物が動くような地響きが起きた。
レック達の前方にあった巨岩――もとい、巨亀がゆっくりと浮き上がっていた。接近する何者かの存在を感知し、もっそりと立ち上がったのである。
地響きに驚いた周囲の鳥たちが甲高い声を上げながら逃げ出し、途中、その鳴き声が一斉に悲鳴に変わった。
「なんだ、今のは?」
木々の葉に遮られ、何が起きたのか把握できていないサビエル。その顔にぱたぱたっと水滴が落ちてきた。
「我々に気づいた魔獣が、鳥を撃ち落としたのだ」
リザードマンロードの言葉にサビエルが水の出所に納得している傍ら、レックが首を傾げた。
「何で鳥を?」
「早く動くものに反応するらしいのだ。尤も、動いておらぬものでも視認すれば攻撃してくるのだがな」
リザードマンロードがそう言った直後、レックの前に立っていたリザードマンが短く警告音を発した。
見ると、巨亀がその頭を大きく持ち上げていた。その両側にちょこんと付いているビーチボールよりも大きな目玉が、ぎょろりとレック達を睨んでいたのだが、そこまではレック達からは見えていない。
そして次の瞬間、高さ20mを越える亀の甲羅、その周囲に開いていた無数の穴から、糸のように細い水が目にもとまらない速さで噴射された。勿論、その飛んでいく先はレック達である。
「なんだなんだ!?」
瞬く間に周囲の木の枝葉が切り落とされ、地面にいるレック達の上へ水と共に降り注ぐ。
「うわああぁぁぁあ!!」
「待て待て待て待て!!!?」
レックとサビエルが慌てる一方、彼らを守るリザードマン達は自分たちの上に落ちてくる枝葉だけを打ち払いながら、巨亀を睨み付けていた。
林冠が無くなり見通しが良くなってしまった事で、その身体には次々と巨亀が打ち出すウォータージェットが次々と突き立っていく。
だが、リザードマンロードが言ったように、青い鱗を持つリザードマン達は周囲の木々とは運命を異とした。一抱えもあるような木の幹ですら輪切りにされていく中で、リザードマン達の鱗はいとも簡単にウォータージェットを弾き返していたのである。
彼らの鱗に当たって弾けたウォータージェットの水は単なる水しぶきと化し、リザードマン達の後ろに隠れていたレックとサビエルの上にシャワーのように降り注いでいた。
そうしてびしょ濡れになりつつあるサビエルは、リザードマンの陰で先ほどの推測が正しかった事を確認していた。
(速すぎてとらえきれないが、ウォータージェットが集中している辺りに強い魔力を感じる。やはり、魔力で制御しているのか)
流石魔獣と呼ばれるだけはあるなと感心しつつ、しかしどうしたものかと頭を悩ませようとして、サビエルは別の問題に気づいた。
リザードマンがいくら無傷と言っても、無数のウォータージェットが殺到すれば如何ともしがたい問題が発生する。
一本一本のウォータージェットは大したことがなくても、それが大量に集まれば十分な質量を兼ね備える。つまり、リザードマン達は殺到する水の圧力に耐え忍ばなくてはならなかったのである。
彼らは両足の爪を地面に食い込ませ、何とか耐えているが、それも時間の問題であろう。歯を食いしばる彼らのうなり声に、既にそう余裕はなくなっていた。
そして、リザードマン達が吹き飛ばされれば、守ってくれる者を失った人間二人はあっという間に死体すらも残らないほどに切り刻まれ、吹き飛ばされ、押し流されるのは目に見えていた。
「……これはまずいか」
そのことに気づいたリザードマンロードの前にも、一体のリザードマンが立って水圧で彼が吹き飛ばされないように守っていた。
その余裕を生かしてどうするか思考したリザードマンロードは、さっさと撤退する事を決めた。
「二人とも、護衛の者の尾につかまるのだ。射程外まで撤退する」
レックとサビエルにそう告げると、見本と言わんばかりに自らの前に立っていたリザードマンの尾につかまった。
すると彼を護衛していたリザードマンが大きく後ろに跳んだ。空中にいる間もウォータージェットをくらい続けたリザードマンの身体は、ただの一跳びでウォータージェットの射程から抜け出す。
それを見ていたレックとサビエルは互いに頷きあうと、リザードマンロードと同じように護衛のリザードマンの尾につかまった。それを確認したリザードマン達も大きく後ろに跳び、ウォータージェットの勢いも利用して一気に射程から抜け出した。
接近していた者たちが射程から抜け出した事を確認した巨亀は、しばらくレック達の様子を窺っていたが、再度射程に入り込んでくる様子がないと見るや、再び地響きを起こしながら地面へと身体を下ろした。
「……とんでもない化けもんだな」
巨亀が大人しくなったのを確認したサビエルがそう言って胸をなで下ろした。
レック達と巨亀の間に生えていた木々は、巨亀のウォータージェットで全て切り刻まれてしまっていた。おかげで今では巨亀の様子がよく見えるのだった。
中程から下半分だけ何故か緑色になっている甲羅は、その高さだけで20m超。幅も同じくらいだろう。まさしく小山である。足下の木は伐採されなかったため巨亀の足はよく見えないが、先ほど降りていた首の太さは2m以上はあった。
「ふむ。汝らでもあれを倒す事は難しいか?」
リザードマンロードの声に不安の色が混じっているように思いながら、レックは首を振った。
「分かりません。あれを避けるだけなら何とかなる気もしますけど……」
「マジかよ……」
レックの言葉を聞いたサビエルが、驚いたようにレックを見た。
この数ヶ月レックを鍛えてきた一人としてレックの力はある程度知っている。だが、それでもやはり視認すら難しかったあれを躱せるとなると、驚かざるを得なかった。
同時にそれを可能とするのがレックの並ならぬ魔力量だと知っている身としては、
(これで魔力の制御力がもっとあればな。全く勿体ない)
と嘆息することを止められなかった。
レックは魔力こそ多いが、それを十全に生かし切れるだけの制御力がなかった。レイゲンフォルテではそれを勿体なく思い、あれやこれやの案が出たのだが、余計な事をしてイデア社の計画を歪めてしまい、その目的も行く末も分からなくなるのは流石にまずいと、常識的な範囲の訓練にとどめられたという事があったりした。
ただ、身体強化などそれなりの親和性がある魔術に関しては、レイゲンフォルテの誰もが敵わない域に達するだろうと見られてもいるのだが。
それはさておき。
確かにレックなら何とか出来るかも知れないが、何も考えずに正面から突っ込むのは流石に無謀である。そう考えたサビエルはレックに策があるのかと問い質す事にした。
「んで、どうやるつもりだ?まさか正面から突っ込むつもりか?」
「それは……流石にまずいかな?」
苦笑いを返してきたレックにサビエルは大きく頷いた。
「一斉に飛び立った鳥をことごとく撃ち落としたくらいだ。ウォータージェットを一度に何本も撃ち出せるのは明らかだろう?」
サビエルに視線を送られたリザードマンロードも頷きながら、
「甲羅の中程で緑色から茶色に色が変わっておるのは分かるな?あの境界線あたりから無数の水が打ち出されるのだ」
と、サビエルの推測を肯定した。
「……あの緑色ってひょっとして苔?」
どうでもいい事に気づいたレックの台詞を無視し、サビエルは考えを説明していく。
「流石にあれが乱れ飛んだら、いくらお前さんがすばしっこくても避ける先がなくてはどうにもならんだろう。まずは、あれの狙いを分散させるための囮が大量に必要だろうな」
幸いな事に、サビエルはあれが当たっても平気な囮にアテはあった。
「任せるがいい。囮ならば、我々でも十分に務まる」
その囮のアテが自信満々にそう言った。
「まあ、どのくらい分散するか、あらかじめ調べる必要があるけどな。被害が出るわけでもないから、これは何とかなるだろう」
そうまとめると、サビエルは話を進める。
「次は木があった方がいいのか、無い方がいいのかだ」
そう問われたレックは、先ほど巨亀によって薙ぎ払われた森を一瞥し、次にまだ無事な森を一瞥した。
「……木はない方がいいかな。避けるのに十分な時間が取れそうだし」
「なるほどな。なら、あらかじめ囮のリザードマン達に動き回って貰って、あれに木をなぎ倒して貰うか。あるいはここで一気に叩くかだな」
それに答えたのはリザードマンロードだった。
「できれば、あまり森を痛めつけないで欲しい」
「なら、一当てするのは早いほうがいいな」
「うむ」
リザードマンロードはそう答えると、リザードマンの戦士の一人を呼びつけ何事か伝えた。それを聞いたリザードマンはすぐに集落の方へと走っていった。
「手空きの者を全員呼んでくるように伝えた。急ぐようにと伝えたから、すぐに囮は揃うであろう」
「手際がいいな」
「元々我々の問題であるからな。手際も良くなるというものだ」
そして20分後。
リザードマンロードの言葉通り、集落からリザードマン達が囮という名の援軍として到着していた。その数、実に100体。
あまりに多かったためか途中で巨亀が少し首をもたげ、その場に緊張が走ったりしたが、射程外の事に興味はなかったのかすぐに巨亀が頭を地面に下ろしたのは余談である。
「随分来ましたね……」
「最低限の者を残し、全員がこちらに来たそうだ」
森の一角を青く埋め尽くすリザードマン達に圧倒されたレックに、報告を受けていたリザードマンロードがそう答えた。
「だが、これだけいれば、あいつの攻撃もかなり分散できるだろ」
サビエルがそう言うと、リザードマンロードも軽く頷いた。そして、目の前に集まっていた彼の民に、レック達にはやはり意味の理解できない言葉で、今からやって貰うべき事を説明していった。
それを聞いたリザードマン達は各々森の中へと散っていった。鬨の声を上げそうな勢いだったが妙に静かだったのは、
「わざわざあの亀を刺激する必要も無かろう」
と考えたリザードマンロードの指示だったらしい。
やがてリザードマン達が配置につき、一当てする準備が出来た。
あくまでも目的は、巨亀の攻撃がどの程度分散できるかの確認である。後ろから近寄っても巨亀には気づかれるとの事で、不意打ちはとっくに考慮の外に追い出されている。
そして、リザードマンロードが鋭い笛の音のような声を出した。
それを合図に、レック達の目の前で一斉にリザードマン達が動き出した。見えないが他の場所でも動き出したはずである。
それに反応した巨亀が首を持ち上げ、さらには立ち上がり、再び周囲に地響きが起きる。
それが収まる間もなく、亀の甲羅から一斉にキリのようなものが吹き出した。
それと同時に、巨亀の周囲の木々の間からもキリが立ち上り、一息遅れて次々と木々が枝葉を失っていく。
見る間に巨亀の周囲が開けていく光景が、そこには展開されていた。
「……ここからだと、細すぎて見えないな」
サビエルが不満そうにぼやく横では、レックも巨亀の甲羅とその周囲を睨み付けていた。
「どうだ?」
「細くて見づらいけど……なんとか見えるよ」
「数は分かるか?」
サビエルの言葉に、レックは何とかウォータージェットの数を数えようとする。が、
「多分リザードマン達を追いかけてるからだと思うんだけど、動きすぎてよく分からない」
その答えにサビエルは少し考えた後、訊き方を変えた。
「何とかなりそうか?」
しかし、熱心に巨亀を観察しているレックからの返事はなかった。
地面に落ちた木々の枝葉も幹も、乱れ飛ぶウォータージェットに粉砕され、もはや原形など留めていない。それと泥が入り混ざった地面を青いリザードマン達が縦横無尽に駆け回り、時に背に隠し持っていた武器を巨亀の足や首へと打ち付けるが、何の痛痒も与えていないのは見て取れた。
レックからの返事を諦め、巨亀に群がるリザードマン達を観察していたサビエルの口から、呆れたような声が漏れた。
「あーあー、確かに半端無い硬さだな……」
「おかげで、我々の手には負えぬというわけだ」
レック達と一緒にいたリザードマンロードも、苦々しくそう呟いた。
そんな彼らの視線の先では、囮と言えども一矢報いたい者もいるのだろう。時折、甲羅の隙間に潜り込もうとするリザードマンもいた。だが、流石に甲羅の隙間には入り込まれたくないのか、その都度巨亀が身じろぎし、隙間の中で潰されそうになったリザードマンが慌てて飛び出していく。
ちなみに巨亀の方もウォータージェットだけではなく、時折口でリザードマン達に噛みつこうとしていた。
流石に幅が2mを越えるような巨大な口に噛みつかれれば、そのパワーの前では青い鱗と言えどもひとたまりも無いかも知れない。だが、巨亀の動きはあまりに遅く、リザードマン達が食いつかれる心配だけはなさそうだった。
「とは言え、ホントに不毛だな」
リザードマン達と巨亀の戦いとも呼べない戦いが始まって数分。サビエルは早々に見切りを付けていた。
互いに相手にダメージを与えられない戦いほど不毛なものはない。勿論、持久戦になればリザードマンの方が不利だろう。だが、先ほどレック達へ攻撃した際、レック達が退いたら追おうとしなかった事を考えれば、リザードマン達はいくらでも体力を回復するために退けるのだろう。
サビエルの横に立っているレックも、声には出さないながらも同じ意見だった。どう見ても不毛以外の何物でもない。
そんな戦いを見るのに飽きてきたレックは、ふと巨亀の周囲の地面へと視線を移した。
巨亀の周囲の地面は巨亀自身がばらまいた大量の水で、既にどろどろの泥濘になっていた。風が吹いてくるとそこから草いきれのような匂いが漂ってくるのは、やはり粉砕された木々の葉が原因なのだろう。
(足場としては最悪かな。あれじゃ身体強化もなにも、足が滑って上手く動けないかも)
正直、レックもあのウォータージェットをまともに受ける気にはならない。時折要領の悪いリザードマンが巨亀のウォータージェットで得物を真っ二つにされているのを見れば、剣も盾もアテになるとは思えなかった。
となると、ひたすら回避するしかないのだが、泥の上であのウォータージェットを回避し続けられるかと訊かれると、全く自信がないのだった。
そんなわけで、少々早まった事を口にしたかもと後悔し始めていたレックは、ふとある事に気がついた。
(……あそこだけ濡れてない。どうしてだろ?)
その疑問への答えはすぐに得られた。
それと同時に、ある作戦を思いつき、巨亀の首の動きを観察し始めた。
そして1~2分後。
「……もういいんじゃないか?見るべきものは十分見た気がする」
「かもしれんな。ならば、そろそろ退かせるか」
そう言いだしたサビエルとリザードマンロードをレックは止めた。
「待った。やってみたい事があるんだ」
その言葉にサビエルは軽い驚きを、リザードマンロードは期待を露わにした。
「あの亀、どうにかできそうか?」
サビエルに訊かれ、レックは一瞬戸惑った。
しかし、
「どうにかできるのなら、大変助かる」
リザードマンロードの真剣な声音に、グッと歯を食いしばり、覚悟を決めた。
「成功するとは限らない。それでもいいですか?」
「元々諦めかけていた事。うまくいく可能性があるなら、それだけでも価値があるのだ。是非とも頼みたい」
その言葉にレックはリザードマンを一人付けて欲しいと頼んだ。
「目的地までの盾になって欲しいんだ」
どういう事かと訊いてきたサビエルに、レックは思いついた作戦を説明する。
「ウォータージェットの吹き出し口って、甲羅にあるからね。そのせいか、死角があるみたいなんだよ」
そう言いながらレックが指した先を見て、サビエルは感心したように、
「ああ、確かにな。よく気づいたな」
そう言った。
リザードマンロードも納得したように頷くと、すぐにリザードマンを2匹呼んだ。そして、レックの前に立って盾になるようにと指示を出す。
「それじゃ行ってくるよ」
準備が出来たレックはそう言い残すと、2匹のリザードマンに守られながら、前進を開始した。
そして、巨亀の攻撃射程に入った途端、幾筋ものウォータージェットが盾役のリザードマン達に襲いかかり、2匹と1人は水しぶきに覆われた。
ただ先ほどと違って、100匹近いリザードマン達が巨亀の周囲を動き回っていて、ウォータージェットの狙いが分散しているおかげだろう。盾役のリザードマン達にかかる水圧は随分と弱く、レック達は一歩ずつだが着実に前進していった。
そんなレック達を援護するため、リザードマンロードからの指示を受けたリザードマン達は、それまで以上に巨亀の周囲を動き回り、その皮膚に意味が無くとも爪や牙を突き立てていた。
その甲斐あってか、何とかレック達は巨亀まであと10mという所まで近づいていた。
だが、流石にこの距離まで近づくと別の問題も起きてくる。
「グアアア」
レックの前に立つリザードマンが何事か唸るが、何を言っているのかレックにはさっぱり分からなかった。
だが、リザードマンの後ろからでも、亀の頭がこちらに向かって動いてきているのは察せられた。リザードマンもこれを警告しようとしたのだろう。
このままウォータージェットを避けるためにゆっくりと動き続けていれば、ゆっくりとだが大きく開きながら近づいてくる亀の口を避ける事など出来はしない。
だが、亀の頭が近づいてきているという事は、レックにとってはチャンスでもあった。
「ごめん!先に行くよ!」
言葉が通じないと分かっていても、レックは今まで守ってくれていたリザードマン達にそう言い残すと、彼らの後ろから飛び出した。
途端、ウォータージェットが襲ってくる、なんてことは無かった。
亀の首そのものがウォータージェットを遮っていたのだ。
「ここまで来たら!」
一瞬で数mの距離を詰め、亀の首の下に潜り込んだレックはブロードソードを握りしめていた右手に力を込め、頭上を覆い尽くすように広がる亀の首の付け根目掛けて斬りつけた。
しかし、
ギイィィィィンン!!
そんな音と共に、振り抜いたブロードソードの刃がいとも簡単に折れてしまった。
「ホントに硬いね!」
レックはそう叫びつつ、折れた刀身が誰かに当たったりしないかと目で追っていた。そして刀身が誰もいないところに飛んでいったのを確認して安堵の息を吐く間もなく、
「…………ォォォ」
音無き悲鳴を巨亀が上げた。
レックの頭上、先ほど斬りつけた場所には数cmの深さの傷が数十cmに渡って一直線に走り、そこから赤い血がしみ出してきていた。
レックのパワーで巨亀の硬い表皮に叩き付けられたブロードソードはいとも簡単に折れてしまったが、それでも何も出来ずに折れたわけではなかったのだ。
リザードマン達はレックの武器が折れた時に失望の呻きを上げ、巨亀の首から血がにじみ出たのを見て歓喜の声を上げ、しかしすぐにレックの武器が失われた事を思い出して再び失望の呻きへと戻った。
だが、レックは焦っていなかった。
もとより、今の自身の力に剣がついてこれない事などよく承知していた。実際、シャックレールにいる間にも何本も駄目にしては、サビエルやエミリオに呆れられていたのだ。
一方で、巨亀は首の下に潜り込んだ異物を追い出すべく、首を地面へと下ろし始めていた。
いくら動きが遅いとはいえ、巨亀が太さ2mを越えるその首を地面に下ろすだけならばさほど時間はかからない。そうして、首が降りきってしまえばレックはウォータージェットから身を隠す場所はもはや無い。
首の下に隠れていられる残り時間は僅か10秒もないだろう。だが、レックは慌てなかった。刀身が失われたブロードソードの柄を足下に落とすと、手早くアイテムボックスから新しいブロードソードを取り出し、
「これも間違いなく駄目になるけど、仕方ないよねっ!?」
サビエルに聞こえるように叫びながら、レックは腰を落とし、頭上の巨亀の首に狙いを定めた。
その巨亀の首は今、レックを押しつぶすべく地面に向かってきていた。あと数秒もあればレックが首の下から逃げ出せるだけの空間もなくなり、そうなればレックは潰れたヒキガエルになるしかない。
それでもレックは焦りを抑え、全身に行き渡る身体強化を更に強化した。
右手に握られたブロードソードの柄から、レックの力に耐えきれないと言わんばかりに微かに軋むような音が聞こえてくる。
そして次の瞬間。
レックは頭上の巨亀の首目掛けてブロードソードを一閃させていた。
音もなく巨亀の首を通り抜けたブロードソードに既に刀身は残っていなかった。それどころか、レックが握りしめていた柄さえも粉状に崩れて風に散っていく。
それを見届けることなく、レックは巨亀の下から駆け出していた。
だが、その背に向けてウォータージェットが放たれる事はなかった。
いや、リザードマン達を執拗に追い回していたウォータージェットの全てが止んでいた。
その場にいた全てのリザードマン達が動きを止めて呆然と見守る中、巨亀の首の付け根から大量の血が噴き出し、それに誘発されたかのようにゆっくりと山のような甲羅が地面に向かって沈み始めた。
未だ巨亀の目には光が残っていたが、それも地面に落ちきる寸前に消えた。
巨亀の甲羅が地響きを立てて地面に落ちるに至り、それを見ていたリザードマン達の間からやっと歓声が沸き起こった。
そして次々に巨亀から距離を取っていたレックの周りにリザードマン達が集まり、言葉も通じないまま、喜びの叫びをレックへと浴びせかけていく。
中には爪を出したままレックの背中をばしばしやろうとして、それに気づいた仲間に慌てて止められるうっかり者がいたりと、端から見ていると喜びの場が悲劇の場になりそうで結構危なかったりするのだが。
そんな中、鋭い叫び声が短く響き渡った。
途端にレックを囲んでいたリザードマン達がレックから少しだけ距離を取り、ざっと膝を地面に落とした。
そのリザードマン達の間をゆっくりとリザードマンロードが歩いてきた。
そしてレックの前で立ち止まると、ゆっくりと頭を下げた。
「見事だった。そして一族を代表して礼を言う」
リザードマンロードはそう言うと、ゆっくりと頭を上げ、そしてどこからか取り出した短剣をレックへと差し出した。
「既に汝は我々が友人としてメダルを与えられている。故にこれを授けよう。我々に迫っていた危機を排除してくれた礼としてはあまりに不足しておるやもしれぬ。だが、汝ら人間に授けられるものとしてはおそらくこれ以上の物を我々は持っておらぬのだ」
どこか悔しそうなリザードマンロードに、しかしレックは首を振った。
「僕の力だけで倒したわけではないですし、気にしないでください」
「ならばこれを受け取ってくれるか?」
「よろこんで」
レックはそう言うと、リザードマンロードから短剣を受け取った。そして、手の中の短剣に施された精緻な装飾に一瞬だが目を奪われた。
短剣の柄は金のような色合いの光沢を放ち、柄尻には竜の頭部の像が彫り込まれている。その目に埋め込まれた小さくとも透き通るような青い玉は宝石だろうか。
持った時に手で隠れる部分は竜の胴体に当たるのだろう。むき出しの金属の表面には無数の溝が彫り込まれていた。それらの線が寄り集まり、竜の四肢と翼が描かれていた。
鍔はどうやら竜の尾らしい。くるくると巻いた尾が柄と刃を分ける鍔となっていた。
そして鞘を持たずむき出しの刃は青い光沢を放つ金属だった。だが、この短剣の作者も流石に刃に無粋な彫刻を刻むつもりは無かったのか、優美な曲線を描いた刃の表面は鏡のようにレックの顔を映し出していた。
この短剣における唯一の欠点は、刃が潰されていることだろう。言い換えれば、短剣という形こそとっているが刃物として使われる事は想定されていないのだった。
レックが受け取ったその短剣を横からサビエルが覗き込んだ。
「これ、なんか特殊な効果とかあるのか?」
「ない。故に、人間の町で売り払って金に換えるがよかろう」
その言葉に、サビエルは短剣への興味をあっさりと失い、
「他になんかないのか?」
リザードマンロードにそう訊ねたが、リザードマンロードに素気なくあしらわれていた。
尤も、何の成果もなかったわけではない。
これから数週間の間の食料を分けて貰う事には成功し、レック共々、当分の間食料の心配をしなくて良くなった事に胸をなで下ろしたのだった。