第十章 第六話 ~青いリザードマン~
レックとサビエル。二人の視線の先、距離にして20mも無いところに立っていたリザードマンは、身長2mほどのその全身に透けるような美しい青い鱗を纏っていた。
その色合いだけでも、明らかに並のリザードマンとは一線を画す存在だと見て取れる。尤も、一目見れば鱗の色など関係なく、その威圧感だけで十分目の前のリザードマンの強さは察する事が出来るだろう。何故、この距離まで気づかなかったのか不思議なくらいである。
ゆらゆらとしっぽを揺らしているリザードマンの腰には革製と覚しきベルトが巻き付けられ、左の腰にはショートソードが、右の腰にはロープの束が挟み込まれていた。さらには背中に長弓を背負い、遠近両方に対応した戦闘が可能な事が見て取れる。
防具の方はというと、自らの鱗に相当の自信があるのだろう。質素な金属製のガントレットと、やはり質素な金属製の脛あてを付けているのみである。だが、実際にそれらの防具をかいくぐっても、生半可な攻撃ではリザードマンの青い鱗に傷一つ負わせられないだろう。
そんなリザードマンの視線は、馬、サビエルと移動し、最後にレックの上で止まった。それだけで馬たちは萎縮しきっていて、既に逃げる事すら考えられない様子である。
「リザードマン?まさかあいつが槍を投げたのか?」
自らの上を視線が通過した時に背筋を走った寒気を押し殺し、サビエルがそう呟いた。その視線がリザードマンから逸らされないのは、やはり隙を見せる事が出来ないと感じているからである。隙など見せれば、次の瞬間、何をされるか分かったものではない。
キングダム大陸の各地を旅してきた冒険者であり、魔術師であるサビエルをしても、青いリザードマンは危険な相手だと言わざるを得なかった。
だからこそ、既に馬を見捨てる事を前提にどう戦うかを考え始めていた。
「他に考えられない、よね」
レックもそう答えつつ、額を一筋、冷や汗がたれるのを感じた。
一方で、以前にペルの東の山を越えたところにある湿地で遭遇したリザードマンロードの事を思い出していた。
(この時より、このメダルを持つ君は、君たちは、僕達リザードマンの永遠の友となる。決してその事を忘れないで)
夜の闇の中、そう言ってくれた小柄なリザードマンと彼から受け取ったメダルが脳裏を過ぎる。
そのメダルは受け取ったレックが持っているべきだという事で、幸いな事にアイテムボックスの中に入っていた。
だが、問題もあった。
アイテムボックスの中に入っているそれを取り出そうとすれば、間違いなくあのリザードマンを刺激してしまう。レックはそう確信していた。
「……まさか、こいつが来たから、さっきのオオカミたちは逃げたのか?」
話すだけならリザードマンが襲ってきたりはしないとみたサビエルが、ふとそんな事を言い出した。
「かもね」
オオカミたちが撤退していく直前のあの様子を思い出しながら、レックは先ほどまで感じていた違和感が溶けて無くなるのを感じていた。
確かにこれだけ強力なリザードマンが来るなら、他のエネミーは逃げてしまってもおかしくない。
人間を襲うほど凶暴なエネミー同士、出会えばその矛先は他のエネミーにすら向くのである。例外は協力あるいは共生関係にある場合、あるいは互いに相手にダメージを与えられないようなやはり特殊な場合くらいだった。
だが言い換えれば、先ほどのオオカミたちがしっぽを巻いて逃げ出すほど目の前のリザードマンは強いという事でもある。
それほど強くても、今のレックには自分一人だけなら何とか出来る……かも知れないくらいの自信はあった。しかし、サビエルと馬がいる。彼らの事を考えると、どうにかしてリザードマンロードからもらったメダルを取りだして、青いリザードマンに見せる必要があった。
そんな事を考えているレックにしびれをきらしたと言うより、単にこれ以上にらみ合っていても仕方ないと思ったのかも知れない。
リザードマンの右手が反対側の腰に刺さっていたショートソードへと伸びた。
「くるぞっ!」
サビエルが言うまでもなく、レックの身体は反応していた。
ギイイィィィィィンンンッ!!
20m近い距離をまさしく一瞬で詰めてきたリザードマンの動きは、生き物としての範疇を完全に逸脱したものだった。尤も、エネミーに生き物としての常識が当てはまるかどうかは別として。
それを盾で受け止めたレックとて、もはや人間の動ける速さを完全に越えている。身体強化様々である。
だが、リザードマンの武器はショートソードだけではない。
「こっちもっ!?」
ほとんど間髪おかずにリザードマンがレックの脇腹を狙って振るってきた左手。そこに人の肉などいとも簡単に切り裂けるような爪が光っているのを見たレックは、右手のブロードソードでそれを切り払う。
が、
「斬れない!?」
オオカミの首すら両断した一撃にも関わらず、リザードマンの右手を止める事しかできなかった。そのせいか、一瞬レックが剣を握る手に力が入り、
「ぐっ!」
次の瞬間、レックは大きく弾き飛ばされ、背中から木の幹へと激突した。その勢いたるや、幹の太さが1m近い木が大きく揺れたほどだった。
「痛たた……今のしっぽ?」
しかし、激突しながらも身体強化のおかげで意外とダメージの少なかったレックは、最後に見えた攻撃をそう確認した。
「見えるわけないだろ!」
レックが弾き飛ばされた瞬間、思いっきり息をのんでいたサビエルはホッとしたようにそう叫んだ。
かたや、レックを弾き飛ばしたリザードマンはそのままサビエルに襲いかかろうとしていたが、仕留めたはずのレックが大したダメージもなく両の足で立っているのを見て、大きく後ろに飛び、レック達から距離を取った。
その目に先ほどまでの敵意だけではなく、警戒感まで浮かんでいるのは気のせいではないだろう。
だが、それ故にレックにとっては格好の隙となった。
「何してんだ!?」
案の定、レックがアイテムボックスに左手を突っ込むのにも反応が遅れたリザードマンは、ショートソードをレックへ向かって勢いよく投げつけてきた。
ガイィィィン!
それを盾で叩き落とすと、レックの目の前には既にリザードマンの青い鱗に覆われた顔が迫っていた。
「……おい、何で動きが止まったんだ?」
レックの頭上に鋭い爪を振り下ろそうとした体勢のまま動きを止めたリザードマンに、サビエルが不思議そうな声を上げた。
一方で、レックは本気で安堵の息を吐いていた。
その左手に握られ、リザードマンの顔面に突き出され、リザードマンの視線を集めている物。
それは表面に精緻な王冠を被ったリザードマンが彫り込まれたメダルだった。
「で、どういう事か説明してもらおうか」
メダルを見た青いリザードマンは数歩下がったかと思うと、レックに向かって深々とお辞儀をした。その様は敬意を表したと言うより、謝罪っぽく見えたのはレックの気のせいではないはずだ。
そうして、互いに完全に敵意がない事を示すべく武器を収めた上で、全員がホッと一息吐き、それからサビエルがレックへと詰め寄っていたのだった。
は虫類っぽいリザードマンの表情は読めないが、多分面白そうに見ているんだろうなと視線から判断しつつ、レックはサビエルを宥める。
「まーまー。話せば長くなるんだけど、いい?」
「話せば長くなるってのは、お前さんが説明が下手なだけだろう?手短に話せ、手短に」
まだリザードマンを露骨に警戒しているサビエルがそう言った。
「手短に……このメダルはリザードマンの友達の証なんだ」
「……短くするにもほどがあんだろ」
サビエルはがっくりと肩を落とした。経緯を少しは知りたかったというのに、レックの説明はその辺を全てすっ飛ばしていたからである。
「まあ、いい。いずれその辺はゆっくり聞かせて貰うとして……」
そう言ったサビエルの視線は、レックの手に握られているメダルに張り付いていた。
その視線に気づいたレックは、慌ててメダルをアイテムボックスに放り込んだ。
「これは流石にダメだよ?あの現場にいなかった人が触ったら、それだけで効力無くなるかも知れないし」
「ちっ……仕方ないか」
サビエルとしては興味津々なのだが、今こうして話が出来ているのは間違いなくメダルのおかげだった。レックの言うように万が一メダルが壊れたりすれば、旨そうな肉を見る目で馬を見ているリザードマンが何をしでかすか分からない。調べてみたくとも諦めるしかなかった。
「じゃ、あの現場ってどういうことなんだ?」
「イベントだと思うんだけど、蒼い月で困ってるリザードマンを助けたことがあってさ。そのときにメダルを貰ったんだよ」
それがイベントとだったいう点には同意しかねるが、どうやら単なるエネミーと思っていた相手でもやり方次第では交流が図れるらしいと知って、サビエルは内心小躍りした。頭の中で、仲間達に伝えるべき情報リストにしっかりと書き込んでおく。
それはさておき、大体の事情を把握したサビエルは、改めてリザードマンへと視線を向けた。
それに気づいたリザードマンが、馬から視線を放し――視線を放して貰った馬が明らかにホッとしていたりしたが――サビエルとレックを見つめてくる。
「で、これからどうするかって話だよな」
サビエルがそう言うと、リザードマンがすっくと立ち上がった。
思わずサビエルが身構えるが、リザードマンからはやはり敵意などは感じられないままである。
レック達が見ている目の前で、リザードマンはくるりと背中を向けると、すたすたと歩き出し……数歩歩いたところでレック達を振り返った。
「……ついてこいって言ってるみたいだね?」
振り返った姿勢のまま動かないリザードマンを見て、レックがそう呟いた。
サビエルも警戒はしたままであるが、同じ感想だった。
そうなると、レイゲンフォルテのメンバーとしてやる事は1つである。
「そーだな。まあ、鬼が出るか蛇が出るか。覗いてみるのも一興か」
「運が良ければ食べ物も手に入るかも知れないし」
そう言って互いに頷きあうと、レックとサビエルは馬を地面に固定していた杭を引き抜き、馬を連れてリザードマンの後を追い始めた。
リザードマンはやはりレック達を待っていたらしく、二人がついてくるのを確認すると、再びレック達に背を向けて歩き出した。
そして青い鱗のリザードマンに先導されて森の中を行く事30分以上。
レック達は森の中に広がる小さな湖へと来ていた。大した広さのないその湖は、向こう岸までせいぜい1kmあるかないかだろう。
その湖の畔には粗末な小屋が何軒も立ち並び、そこからリザードマン達が顔を出してレック達を見ていた。
その視線に明らかな好奇心が含まれているのを感じ取ったレックは何となく居心地が悪くなった。
「……ここのリザードマン、みんな鱗が青いね」
レックがそう話しかけると、
「そうだな。みんな、こいつみたいに強いんだろうなぁ」
すっかり開き直ったらしいサビエルがそう答えた。
「にしても、何でここまで連れてきたんだ?」
そう付け加えたサビエルだったが、レックは分からないと首を振るしかできなかった。
何しろ、レック達の前を歩いているリザードマンはあれからうなり声1つ立てないのだ。おかげでこちらの言葉が分かっているかどうかすら分からない。
「イベントNPCみたいだけど、ちょっと手抜きが過ぎるよね」
「おま……いや。何でもない」
ぽつりと零したレックの言葉を聞きつけたサビエルが一瞬呆れた顔になったが、すぐに首を振ってそう言った。
「それより、どうやらあそこが目的地らしいな」
レックに問い質されそうになったサビエルは、そう親指で行く先を指した。
その先にはひときわ立派な石造りの、それでもやはり小屋と呼ぶしかない規模の建物が建っていた。その入り口には小柄な銀色の鱗のリザードマンが立ち、レック達へと鋭い視線を向けてきていた。
サビエルの言ったように青いリザードマンは銀色のリザードマンの正面までレック達を案内すると、すっと横にどいた。そして片膝を突き、頭を微かに垂れた。
サビエルがその様子を感心したように見ている横で、レックは銀色のリザードマンの視線を一身に受けていた。
「まずは、証を」
ゆっくりと銀色のリザードマンが言葉を発し、それに応えレックはアイテムボックスからメダルを取りだした。
「今、しゃべらなかったか?」
と横で驚いているサビエルはとりあえず放置である。空気を読むなら、今は真面目にこのリザードマンに接するべき時だった。
レックからメダルを受け取ったリザードマンは、ゆっくりとそれを検分するとレックに返した。
「確かにこれは我が同胞の手になるもの。ならば貴殿らは我が客人だ。大した持て成しは出来ぬが、ゆるりと滞在されよ。出来れば、これを汝に託した同胞の話も聞かせてもらえるとありがたい」
「はい。喜んで」
銀色のリザードマンの持つ重々しい威厳に、ついレックの口調も丁寧なものとなっていた。
一方で物怖じしない者もいた。
「なんか、あんた達って普通のリザードマンと随分違うみたいだが、なんて名前なんだ?」
「我はリザードマンロード。同胞を導く者だ」
サビエルに視線を移し、リザードマンロードはそう答えた。
それに今度はレックが首を捻った。
「前にも会った事あるけど……ロードって種族名、ですか?」
「我一人がリザードマンロードというわけではない。だが、種族名とも言えぬ」
「それってどういうことだ?」
サビエルの言葉にリザードマンロードは首を振った。銀色の鱗に日の光がちらつく。
「間もなく昼時だ。かような所で立ったまま話す必要もあるまい。昼餉の支度が出来るまで我らが集落を散策してくるがよかろう。聞きたい事があれば、昼餉の後にゆっくりと答えよう」
リザードマンロードはそう言い残すと、石造りの小屋の中へと消えていった。
その背中を不満げに見ていたサビエルだが、流石に無茶をしでかすつもりはなかった。後で答えがもらえるかも知れないし、何より周りには見るべきものがまだある。――馬鹿な事をすればリザードマンに狩られるという考えは頭の隅っこに行っていた。
「とりあえず、見物の許可が出たんだ。ちょっと見て回るか」
そう言ってレックを連れて散策を開始した。
そして昼。
湖の畔に作られたリザードマンの集落を一通り見て回ったレックとサビエルは、再びリザードマンロードの小屋――何度見てもそうとしか言いようがないサイズだった――に戻ってきていた。
途中、集落のリザードマン達が不躾なまでの視線を向けてきていたが、そこに一切の敵意も警戒感も混ざっていなかったのはメダルのおかげだろう。
それはさておき。唯一の石造りの小屋の中に招き入れられたレック達の目の前には、簡素なサラダと正体不明の肉が並べられていた。
「……火は通ってるんだな」
狭い部屋の中で石造りのテーブルに着き、出されたそれを指でつつきながらサビエルが言うと、
「流石に人間に生で喰えとは言わぬ。客人の腹を下させたとあっては、我が名折れ故」
そう答えたリザードマンロードの前には、生肉の塊が載った皿が置かれていた。
「これが何の肉か訊いても?」
「安心するがよい。この肉は森に住んでおる魔獣のもの」
それを聞いたレックはホッと胸をなで下ろした。人間を襲ってくるエネミーの食卓に並ぶ肉というと、どうしてもそういう想像をしてしまっていたからだ。
その横ではサビエルがさっさと食事を始めていた。
「しかし、何故この森に人間である汝らがおったのだ?ここは人間の活動範囲からあまりに遠く離れておるはずだが」
食事を始めて間もなく、リザードマンロードがそう口を開いた。
だが、レックもサビエルもそれに答えられなかった。むしろ、知っているなら教えて欲しい側なのだ。
気がついたらこの辺にいたのだとレックがありのままに伝えると、リザードマンロードは「ふむ」と頷いた。
「ならば、この出会いは神のお導きやも知れぬな」
「神?」
リザードマンロードが口にした単語にサビエルが反応した。
「お前さん達の神ってどんな存在なんだ?」
人間でもない何かが信奉する神とはなんなのか。イデア社の事かと軽く興味を持ったサビエルである。
「神と呼ぶべき何かがこの若き世界にはおられる。だが、かの方が如何なるお方なのかなど、我らには全く分からぬ」
「分からないのにいるってことだけ分かるのか?」
「うむ」
「魔王とかじゃないの?」
「魔王?」
レックの言葉に、しかしリザードマンロードは首を傾げた。
そのことにレックは驚いた。
「え?魔王って全てのエネミーの親玉じゃないの?」
「我らには崇める神こそあれど、我らを支配するものはおらぬぞ」
リザードマンロードはそう断言した。
そのことにレックはまだ納得できない様子だったが、サビエルに、
「そういうもんなんだろ。疑問なんて持っても仕方ないさ」
そう言われ、渋々と頷いた。
「それより、出会いが神のお導きってどういうこった?」
「我々は今ある危機に直面しておる。汝らがそこから我々を助け出してくれる……やもしれぬと言うことだ」
リザードマンロードはサビエルに答えると、小屋の入り口に立っていたリザードマンに視線を移した。
「あの者から聞いた。汝らはあの者の初撃を受け止め、尾の一撃にも耐えた、まさしく人間にあるまじき力の持ち主とな」
「いやいや。それをやらかしたのはレックであって、俺じゃない。ってか、レックみたいに半分人間止めたのと一緒にしないでくれ」
「ちょ!?人間止めたとか化け物みたいに言わないでよ!」
サビエルの言い様に思わずレックは叫んでいた。
そんなレックを見つめながら、リザードマンロードは新たな言葉を口にした。
「ふむ。あの者の一撃を受け止めた汝に訊きたい事がある」
「な、なんでしょう……?」
思わず身構えるレック。
「あの者は、汝に一撃を受け止められた時、逆に手を切り落とされると感じたと言っておった。……あの者の鱗を真、切り裂く事は出来るのか?」
「えっと……あれは正当防衛であって……」
レックはその時の事を思い出し、つい言い訳が口をついた。だが、リザードマンロードは気にした様子もない。
「我が訊きたいのは、汝にあの者の鱗を斬る事が出来るか否か。汝を責めるつもりはない。何より、もし汝が責められるべき事をしておれば、メダルは疾うに砕け散っておる」
その言葉に、レックはメダルを貰ったときにそう言われていたっけと思い出していた。それでやっと落ち着き直したレックは、訊かれた事に答える事にした。
「まあ……多分、斬れます」
「そうか」
レックの答えを聞いたリザードマンロードはそう言うと、視線を落とし目の前の皿を睨み付けた。
その様子に何かまずい事を言ってしまったかとレックの米噛みを冷や汗が流れ落ちる。
だが、幸い緊張を強いられるような時間はすぐに終わった。
「やはりこの出会いは神のお導きやも知れぬ」
頭を上げ、そう言ったリザードマンロードの口調が変わっていない事を感じ、レックは内心安堵の息を吐いた。
ふと視線を横へと移すと、サビエルも同じだったらしく、明らかに緊張が切れた気配があった。
そんな二人の様子に気づいているのかいないのか。リザードマンロードはレックに声をかけた。
「汝ならば、我々を襲う危機を切り伏せる事も出来よう。我々にその力、貸してもらえぬか?」
そう言って頭を下げたリザードマンロードに、レックは慌てた。
「いや、力を貸すって?じゃなくって危機って?え?え?」
「ちょっとは落ち着け」
「うっ!?」
混乱したレックの頭をすかさず叩いたサビエルが、代わりにリザードマンロードに訊ねる。
「で、危機って何だ?正直、お前さん達の戦闘能力を考えたら、俺たちに出来る事なんかほとんどない気がするんだがな?」
「我々にも出来ぬ事もある」
リザードマンロードはそう答えると、結構痛かったのか、サビエルに叩かれた場所を手で押さえていたレックへと視線を向けた。
「だが、少年のその魔力ならば、我々に迫る危機を叩き潰す事も出来よう」
「え?え?」
また軽く混乱しているレックとは別に、サビエルの心中はリザードマンロードの言葉で一気に冷め切った。
(こいつ……話すだけでも異常だったが、まさかイデア社の人間が動かしてるのか?)
そう警戒したが、一呼吸置いて考えてみればそうとも限らない。
どうやってかこの世界を創り上げたイデア社ならこの世界に存在する全ての人間の魔力を量るなど造作もないだろうし、それを誰かに――あるいは何かに――伝える事もできる。なら、目の前のトカゲが自力でレックの魔力の大きさを知ったとは限らない。
そう考えたサビエルは、今度はこの後何をやる事になるのか。そっちの方に興味が向いた。レックの魔力を承知した上でのイベントというなら、少しなりともイデア社の目的の一端を覗けるかも知れないのだ。
まあ、サビエルには誰も見た事のない何かなら、それだけで十分だったりするが。
敢えて言うなら、
(出来る限り面白いと嬉しいところか)
そんな事を考えながら、リザードマンロードに話の続きを促した。
「危機の正体は今この集落に迫りつつある一体の魔獣だ」
「魔獣?」
「如何にも。その歩みは遅々たるものだが、その肉体の硬さは我々には如何ともし難い」
それがどう危機に繋がるのかはサビエルにはピンと来なかったが、一方でレックの力が必要という事には納得がいった。
当の本人であるレックも、それで自分に求められている事が理解できた。
「つまり、そのやたら頑丈な魔獣を倒して欲しい、訳ですか?」
レックの言葉にリザードマンロードは頷いた。
「我々も何度もあれに挑みはした。だが、我々の爪も牙も武器もいとも容易く弾き返されてしまう」
「どんだけ頑丈なんだよ、それ」
サビエルは呆れていた。
レックの剣を簡単に受け止める鱗と、レックを軽々と吹っ飛ばすパワーを持ってしても手に負えない相手。とてもではないが想像できない。幸いな事に足が遅いらしいが、そうでなければ――いや、足の速さに関わらず是非とも見てみたい。
「あの亀が我々以上に丈夫なのは確かであろうな」
「亀?」
リザードマンロードが漏らした単語を聞きつけたレックが聞き返した。
「かの魔獣は巨大な亀なのだ。甲羅だけでこの建物の数倍の大きさがある」
「どんだけでかいんだよ」
想像したサビエルがそう零し、
「っていうか、レック。そんなでかいの倒せるのか?」
「うーん、どうだろ?首を落とすとか出来れば倒せると思うけど」
レックはそう答えたが、リザードマンロードの言葉を信じるならその亀は甲羅だけで縦横10mを軽く越えるサイズである。その首の太さもメートル単位なのは間違いない。切り落とさなくてもいいだろうが、それでも剣の長さが足りるかどうかは別問題だった。
「まあ、見てみないと何とも言えないよ」
そんな曖昧なレックの言葉にリザードマンロードが提案を出す。
「ならば一度見てみぬか?その上で倒すか否か決をめてくれればよい」
「え?いいんですか?」
「見に行くだけならさほど危険は……」
そこでリザードマンロードはレックとサビエルをまじまじと見て、何かに気づいたかのように言葉を切った。
「いや、汝らには多少危険やも知れぬ」
そう言うと、レック達には分からない言葉を発した。
どうやらそれは他のリザードマンを呼ぶ合図だったらしく、間もなくリザードマンが一体、レック達の所へとやって来た。そこで再びリザードマンロードは二言三言言葉を交わし、レック達へと向き直った。
「かの亀の攻撃は我々には何の痛痒も与えぬ。だが、か弱き肉体の汝らには致命的」
「つまり、護衛をつけてくれるってわけか」
サビエルの言葉にリザードマンロードは頷いた。
「で、どんな攻撃なんだ?」
「凄まじい勢いで水を飛ばすのだ。細い木ならいとも簡単に切断できるほどのな」
「ウォータージェットかよ……」
「ウォータージェットって?」
サビエルが漏らした言葉を知らなかったらしいレックがそう訊ねると、
「糸みたいに細く絞った水をとんでもない速さで打ち出したやつのことだ。水の速ささえどうにか出来れば、切断できないもんはほとんど無い、ある種究極の切断法だ」
「何でも切れるって……盾でも?」
「理論上はな。まあ、ここのリザードマンの鱗は切れないみたいだから、あるいは盾くらいは大丈夫かもしれないな」
サビエルはそう言ったが、リザードマンロードが首を振った。
「試さぬ方が良かろうな。例え金属製といえど、生半可なものでは役に立たぬ」
どうやら壊された経験があるらしい。
それを聞いたサビエルとレックは、
「……とりあえず、護衛の影に隠れとくのが正解っぽいね」
「そうだな」
素直にリザードマンロードが付けてくれるらしい護衛に頼る事にした。
そこでふとレックが気づいたように口を開いた。
「でも、その亀の攻撃が平気だって言うなら、別に危機でも何でもないんじゃ?」
それは確かにとサビエルもリザードマンロードへと視線をやる。だが、リザードマンロードは首を振った。
「詳しくは話せぬが、あれは動いているだけで我々にとっての脅威であり危機なのだ」
そう言いながら自分に向けられた視線にサビエルは気づいたが、追求しても躱されればどうしようもない。それよりはと、亀の魔獣を見てみる事を優先した。
レックもリザードマンロードもその意見に異論はなく、揃って小屋の外に出た彼らの前には2匹のリザードマンが立っていた。いずれも腰に革のベルトを巻き、そこにショートソードを刺しているだけの軽装備である。
それを見たレックは彼らのあまりの軽装ぶりに驚いたが、考えてみれば、亀の攻撃とやらから自分たちを守る盾になってくれるのである。多分、下手な装備を身につけていても壊すからだろうなと納得した。
レックが開き直るのを待っていたわけではないだろうが、リザードマンロードは彼らの前に立って、レック達に軽く紹介した。
「彼らが汝らをかの亀の攻撃から守る戦士達だ。名前も紹介したいところだが、どうせ発音できまい」
(発音以前に聞き分ける自信もないけどね)
内心、レックはそんな事を呟いた。
ついでに言うと、外見からリザードマンの個体を見分けるのも至難の業である。ずっと一緒に生活していれば見分けが付くようになるかも知れない。だが、ちょっとした寸法の違いとか色の違いとか仕草の違いなどがあるのだろうが、全く分からなかった。
それでも流石にリザードマンロードは見分けが付くらしく、うなり声とも何とも言えない声でリザードマンの戦士達に指示を出し、それを聞いたリザードマンが一匹ずつレックとサビエルの横に立った。それぞれが専任の護衛という事らしい。
「なんか、随分支度が簡単だが、近いんですか?」
準備完了を告げられたレックが、護衛を付けただけの準備の簡単さにそんな疑問を持った。
「不幸な事にな。かの亀の歩みが遅いからこそまだ被害は出ておらぬが、我々の足ならば日が傾く前に帰ってこれよう」
それを聞いたレックは空を見上げて太陽の位置を確認し、片道2時間もかからないんだろうなと判断した。サビエルも同じように判断したらしく、
「随分近いんだな」
空を見上げながら、そう言っていた。
護衛役のリザードマン達はそんなレックとサビエルに視線を向けつつも、言葉が通じないからか、無言を貫いていた。表情まで無表情を貫いているように見えるが、これも人間とリザードマンでは顔の作りが違いすぎるからなのだろう。
その様子を満足げに見ていたリザードマンロードが言葉を発し、レック達はリザードマン立ちに案内され、亀の魔獣の元へと向かったのだった。