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ジ・アナザー  作者: sularis
第十章 それぞれの旅
95/204

第十章 第五話 ~飛ばされた地で~

 さて、ここで時間が一月以上巻き戻る。


 朝から降り始めていた雨は、この時間になってますます激しくなっていた。

 その雨の中びしょびしょに濡れながら、激しく揺れる馬の背で文句を言っている男がいた。

「くそっ!こんな土砂降りになるなんて聞いてないぞ!」

 雨除けのコートとフードは被っているものの、あまりの雨の激しさに役に立っているとは言い難い。隙間からも雨が入ってくるし、何より顔の所からいくらでも雨が入ってきて、すっかりコートの中でずぶ濡れなのだ。

 そんな濡れ鼠になったサビエルの愚痴に、いつもなら返ってくる連れからの返事はない。

 サビエルの前には、もう一騎の騎馬が走っている。それが連れのレックである。だが、レックに今の愚痴は届いていないのだろう。

 何しろ、役に立たないフードを叩く雨音のおかげで、自分の声すら満足に聞き取れないのだ。例え身体強化を使っていたとしても、レックがサビエルの愚痴を聞き取れるとは思えなかった。

 まあ、仮に聞こえていてレックが何か言っていたところで、間違いなくサビエルの方が聞き取れないわけだが。

 そんな彼らの前方に馬車らしき影が見えた。

「スピードは出ないが、こういう時は羨ましいなっ」

 とは言え、これだけの雨である。風は吹いていないものの、余程作りがしっかりした馬車でなければ多少は水が入り込んでいてもおかしくないかと考え直し、サビエルはそれ以上羨むのを止めた。元々、強盗の真似事をするつもりもない以上、こちらに向かってくる――つまりは逆方向に進んでいる馬車に乗る選択肢などない。羨むだけ無駄というものだった。

 かたや、サビエルの連れであるレックも馬車に気づいていた。

 尤も、サビエルと違ってすさんだ考えを持ったりはしない。

(こんな日でも輸送の馬車が走ってるんだ)

 実のところ、輸送商隊の馬車が一台だけで護衛も付けずに走っている事などあり得ないのだが、キングダムまであと数日という所まで戻ってきていたレックの思考は、些か以上に注意力を欠いていたと言わざるを得ない。

 馬車の御者台には妙にがたいのいい男が座っており、何となくグランスを思い出したレックだったが、その男もレック達と同様、雨を避けるためか頭をフードで深々と覆っていたため、結局すれ違うその瞬間も顔を見る事は出来なかった。

(グランスも元気かなぁ?)

 そんな事を考えながらすれ違った馬車は、事もあろうに幌馬車だった。軽量化を優先した幌馬車は、多少の雨風には耐えられる程度の性能しか持ち合わせていない。

(あれじゃ、中は結構濡れてるんじゃないかな?)

 そんな考えが頭の端を過ぎるが、わざわざ後ろに行ってしまった馬車を振り返って確認するには雨が酷すぎた。

 だから、馬車の後部の幌が少し開き、そこから青いジャケットを着た男が顔を覗かせた事に気づく事はなかった。

 そして馬車とすれ違って間もなくの事だった。

「!!?」

 いきなり目に飛び込んできた眩しい光に、レックは片手で目を覆いながら思わず手綱を引いて馬を止めた。

 その耳に、後ろからも急ブレーキをかけられた馬の嘶きが聞こえた。

 肌に感じる空気は先ほどまでと違って熱い。いや、いっそ蒸し暑い。

 レックが目の前にかざしていた手をどかし、ゆっくりと目を開けると、周囲の景色は一変していた。

「……ここ、どこ?」

 レックの口から思わずそんな言葉が漏れた。

「知らん。何があったか訊きたいくらい何だが?」

 周囲をきょろきょろと見回していたザビエルがそう答えた。

 そんな風に二人が戸惑うのも無理はない。

 いつの間にか周囲の様子は一変していた。

 まず、空には雲一つ無くどこまでも青い空が広がっている。

 当然のように先ほどまで降っていた激しい雨などすっかり止んでいた。いや、地面が濡れていないところからみると、そもそも降っていたかどうかすら怪しい。

 その地面には道らしきものが見あたらない。さっきまで馬を走らせていた街道には石が敷かれていたのだが、今レック達の馬が立っている場所は草がぼうぼうに生えていた。街道などどこにも見あたらず、草原のど真ん中に立っていたと言った方が分かり易いだろう。

 さっきすれ違った馬車はどうなったかとレックが後ろを振り返ってみても、そこにも何も無い草原が延々と続くのみで、馬車など影も形もない。

 そこまで周囲の様子を観察したところで、サビエルが馬から下りてコートを脱ぎ始めた事にレックは気づいた。

「暑いんだ。お前も脱いだらどうだ?」

 サビエルに言われ、レックもコートの下がむしむししていた事を思い出した。

 レックが降りると、レックの乗っていた馬もブルブルッと激しく身体を震わせ、大量の水滴を周囲にまき散らした――幸いレックはまだコートを着たままだったので被害はなかったが。そして地面に生えている草をむしゃむしゃと()み始める。

 その馬の様子にちょっと和みながら、レックもぐしょぐしょに濡れたコートを脱ぎ、その下から現れた自身の姿に軽く絶句した。

「うわ……」

 分かっていた事ではあるが、コートの下もかなり濡れていた。一方で濡れていないところは、コートを脱いだ事で中に籠もっていた湿気が飛んでいき、すーっと涼しくなった。

 レックは悪いと思いながらも、のんびりと草を食んでいる馬の背中に脱いだコートをかけさせてもらった。コートの下で濡れていた服は身体にまとわりついて気持ち悪いがとりあえず置いておく事にする。ゆったりとした風とこの気温ならすぐに乾きそうだというのもあった。

 そうしてやっと余裕を取り戻したレックにサビエルが声をかけた。

「さて、何が起きたのか分かるか?」

「全然」

 レックが首を振ると、「だろうな」とサビエルは難しい顔をした。

「とりあえず、さっきまでいた場所と全然違う場所にいる。このことだけは間違いないんだがな」

「そう、だね。何が起きたの?」

 うっかりそんな事を口にしたレックに、

「馬鹿か、お前は。分かってるなら訊いたりしない」

 とサビエルは白い視線を向けた。

 条件反射的に訊いてしまったことを反省している様子のレックを見ながら、「しかし」とサビエルは言葉を続ける。

「イデア社の仕業である事は確かだな。こんなことが出来るのはやっこさんたちしかいないだろう」

「イデア社が?何のために?」

 そう訊かれるとサビエルもそれ以上は答えられなかった。

 厳密には、おそらくレックに何らかの期待をしていて、その一環なのだろうという仮説はある。だが、検証も出来ない仮説に過ぎないし、何よりそう思った理由はレックには言えない。

 だから、

「さあな」

 サビエルは短くそうとだけ答えた。

 レックもサビエルから詳しい答えが返ってくる事は期待していなかったのだろう。すぐに周囲の様子へと興味を移した。

 そんなレックの様子を確認し、サビエルも周囲の様子を丹念に観察することにする。

 見る限り、四方は全て草原だった。だが、どうやら盆地らしい。というのも、太陽がある方角に向かって左を除けば、どの方角にも遙か彼方に山々が連なっているのが見えるからだ。

 その途中、太陽を一瞥したサビエルはある事に気づき、レックに確認をとった。

「……確かもう昼が近かったはずだな?」

「そうだけど?」

 そう返したレックに、サビエルは太陽を指さした。

「太陽が低すぎる。方角が分からないと何とも言えないが、やはり別の場所に転移したのは間違いないな」

 そう言われてレックが太陽を見ると、確かに高さが低かった。昼頃ならもっと高い位置にあるべき太陽が、山の陰に半分隠れているのである。

 そんなレックの傍らで、サビエルはぶつぶつと可能性を羅列していた。

「いや、あるいは時間も同時にずらされたか?だが、さっきのはまさしく一瞬だった。姿勢がずれたような違和感もなかった。なら、時間制御か?イデア社の連中にそこまでできるのか?」

 そんな事を無意識のうちに呟いていたサビエルだったが、幸いその声は十分以上に小さく、レックが聞き取る事はなかった。

 一方、レックは独り言を言っているサビエルを放置し、周囲の様子の確認を続けることにした。とは言え、サビエルから遠くに離れるのもまずい。なので、代わりに身体強化で大きく飛び上がって周囲の様子を確認していた。

 それで分かったのは、まずこの草原はやたら広いという事だった。東西にも南北にも――方位はまだ分からないが――軽く数十kmは広がっているようだ。その先はどうやら森になっているらしい。らしいというのは、遠すぎてよく見えなかったためである。

 そうしている間にも太陽は山の陰へと隠れていっていた。それでどうやら今は夕方らしいとレックは目星を付ける。

「サビエル、今は夕方みたいだよ」

 レックにそう声をかけられたサビエルも太陽を一瞥し、先ほどより低くなっている事を確認すると、

「そうみたいだな」

 と答えた。それから自分の推測をレックに説明し始める。

「時間をずらされていないという仮定は入るが、この気温と太陽が沈みかけているということから、多分ここはキングダム大陸のかなり東方だ」

「東方?」

「ああ。詳しい場所は夜を待って星を見ないと分からないが、多分この辺りのどこかだろう」

 サビエルはそう言いながら、アイテムボックスから取り出した地図の上、キングダム大陸の南東部を指でつついた。

「メチャクチャ東!?フロンティアとか完全に越えてない!?」

 驚くレックにサビエルは周囲に目を配りながら頷いた。

「そうだ。だから早めに安全な場所を見つける必要がある」

 それでレックもサビエルの言いたい事を察した。


 大陸東部は完全な未踏破地域である。その最大の理由は、エネミーはエントランスゲートがある3つの都市、キングダム、メトロポリス、カントリーから離れるほど出現するエネミーが強力になる事にある。要するに、エネミーが強すぎて、踏み入っても生きて帰ってこられないのである。

 勿論、ごく少数のトッププレイヤー達がちょくちょく冒険していたらしいが、それも情報が十分に出回るほどではなかった。


 さて、そんな場所にたった二人で放り出されたとなるとどうなるか。

「まずくない?」

 急に不安に襲われたレックは、日の光がかげり始めた周囲をきょろきょろと見回しながら、そう言った。

 だが、サビエルは割と落ち着いていた。これは不安がどうこうではなく、単に慌てても仕方ないと理解しているからだった。それに、

「今の実力なら、防御と逃げに重点を置けば何とかなるはずだ。正直一人じゃきつかったが、今のお前さんと一緒なら安心さ」

 どうやら随分と高く買われているにレックは少しばかり恥ずかしくなったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 そのことをサビエルに言うと、サビエルは首を振った。

「位置と方角を確かめる必要がある。幸い夜も近いし、今のところやばい雰囲気もないからな。空を遮る木もないし、ここで星を確認してから動いたほうがいい」

「でも、西に進めばいいんじゃ?」

 そう言いながらレックは太陽が隠れきった山を指さした。

 だが、それにもサビエルは首を振る。

「考えたくない仮定が幾つかあるのさ。今のうちにその可能性を潰しておきたい。後からそれが発覚して後悔したくないだろう?」



 太陽が完全に山の向こうに隠れて間もなく、周囲は夜の闇に包まれた。空には無数の星が瞬き始めている。

「さすがに別の世界に転移したってことはなかったな」

 空を見上げたサビエルはそこに見慣れた星の配置を確認し、安堵のため息を吐いた。可能性としては低いと考えていたが、星の配置が同じである事で、十中八九、ジ・アナザーのままだと信じる事が出来たのである。

「別の世界って……別サーバーに転移させられた可能性もあったってこと!?」

 その手の可能性を全く考えていなかったらしいレックに、サビエルは苦笑しつつも頷いた。

「まあ、可能性はほぼ無いと思っていたけどな」

 そう答えを聞いたレックも安心すると、別の事が気になり始めたらしい。

「ジ・アナザーに星座はなかったと思うんだけど、星を見て分かるわけ?」

「ああ。現実の夜空とは全く違うけどな。それでも星の配置はちゃんと固定されてる。芸術のセンスがあるヤツなら、適当な星座を作れるんじゃないか?」

 サビエルはそう言いながら、アイテムボックスから出した小さな望遠鏡が付いた測位計でいくつかの星の高さを測っていく。そしてそれらの結果をメモ用紙の上で計算して現在位置をはじき出した。

「多少誤差はあるだろうが、この辺りだな」

「……すごいねぇ」

 サビエルが地図の上に現在位置を表す印を付けると、サビエルの作業を感心したように見守っていたレックが、ぽつりと言った。

「こんな事出来るって、初めて知ったよ」

「現実と星の配置が違うし、そもそもこんな道具を作ったのって俺たちくらいだったろうからな」

 そう言いながら、サビエルは測位計をアイテムボックスへとしまい込んだ。レックが興味津々の視線を送ってきていたが、しばらくお世話になる測位計を間違って壊されては敵わない。何しろほんの少し調整が狂うだけで、全くの役立たずと化す代物なのだ。扱いも慎重になるというものである。

「とりあえず、現在地と方位は分かった。一直線に進むならあっちだが……」

「まずは野営できる場所を探さないといけないね」

 という事であるが、実際には下手に動かない方がいいのかも知れない。

 何しろ、今いる場所は草原である。見晴らしの良い開けた場所にはエネミーが少ない。エネミーと遭遇した時に身を隠す場所もないが、逆に身を隠したエネミーに急襲される心配も少ない。

 そう考えると、草原のど真ん中という実に心許ない場所は、それなりにマシな場所なのである。

 サビエルがそう説明すると、レックも「それもそうだね」とあっさり頷いた。

 そうして結局元の場所で野宿をする事になった二人は、別の問題に直面する事になった。

「……食料が心許ないか」

「すぐに次の町に着く予定だったからね」

 ぼやくサビエルにレックはそう答えた。


 旅をしている者は大抵、食料にもその他の消耗品にもいくらかの余裕を持って行動している。勿論、レック達もそうである。

 だが、余裕を持つと言っても限度というものがある。町から町へ移動するだけならば、2~3日分余分に食料を持っておくだけでも多すぎると見なされるのである。

 そんな旅の常識に従ったわけではないのだが、レック達の持っている食料はほとんど無かった。馬を駆っての旅であれば、町から町まで大抵は一日。長くても2~3日あれば着く。なら、持っている食料などせいぜい4~5日分といったところである。

 ましてや夕方には次の町に着く予定だった二人が持っている食料など、雀の涙にも等しい。


「まずは、エネミーを狩ってみるしかないな」

「食べられるのがいればいいけどね」

「……最悪、食料はあるさ」

 そう言ったサビエルの視線を追ったレックは、僅かに顔を顰めた。

「食料って……馬?」

 二人の視線の先には、十分に餌を食べて今は浅い眠りについている二頭の馬がいた。

「……できれば食べたくないんだけど」

 ここしばらくその背に乗って旅をしていた分くらいの愛着は湧いているレックがそう言うと、

「そうだな」

 意外にあっさりとサビエルも頷いた。尤も、サビエルとレックととではそう思っている理由が全く違うのだが。

 それはさておき、サビエルとしてもいきなり移動の足を食べてしまうつもりなど無く、二人は携帯食で平穏無事に夕食を済ませた。そして、交互に見張りに立ちながら、夜を明かす。

 だが、平穏無事に夜が明ける、などということは勿論無かった。

「……レック、起きろ」

 地面から伝わってくる微かな振動に、サビエルは寝ていたレックに小声で声をかけた。

「ん……何か来た?」

 眠りはかなり浅かったらしく、レックはすぐに起き出してきた。

 馬たちはレックよりも先に立ち上がり、不安げに周囲を見回している。ちなみに、何かあった時に逃げられても困るので、地面に打ち付けた杭につないである。

「何も見えないけど……」

 満月とは言えない月の明かりでは、草原を見渡すための光量は十分とは言えない。だが、身体強化を発動させたレックの目には、数百m先までがはっきりと見えていた。

 その夜を見通すレックの目には、何も動くものは写らなかった。だが、レックはサビエルの言葉を疑ったりはしなかった。

「気のせい……でもないよね?」

 先ほどよりも足下の地面から伝わってくる振動が、はっきりと感じられる。

「お前さんの目にも何も見えない。でも、振動は大きくなってきているってことは……」

 レックの言葉を聞いて考えていたサビエルは、不意に足元を見た。

「地中からだ!」

 そのサビエルの言葉を聞くや否や、レックは剣を振るい、馬の手綱を切って飛び乗った。サビエルもそれに続く。

 そうしてその場から二人が駆け出した直後、たった今までレック達がいた場所の地面が大きく盛り上がり、爆発するかのように周囲に土砂をまき散らした。

「でかいみみずだな!おい!」

 馬を走らせながら、後ろに現れたそれを見てサビエルが叫んだ。

 サビエルが言ったように、地面から現れたそれはミミズのような外見をしていた。

 暗いので色こそ分からないが、てらてらと滑りが光る体表。そして、ミミズと同じようにその身体は幾つもの短い節からなっている。もっとも、サビエルの言葉通り、そのサイズは半端無く大きい。直径2mは優にあるだろう。おまけに節と節のつなぎ目の間から触手だろうか。鞭のようなものが何本もピシュピシュと飛び出しては引っ込んでいる。

「あれ、捕まりたくないね」

 捕まったりすれば、最低でも巨大ミミズの身体とのランデブーが約束される。それが簡単に想像でき、レックはブルブルッと身体を震わせた。

 尤も、実際にはそんなものでは済まないのだろうが。

 とは言え、そんな危ないものとわざわざ戦う必要もない。

「無理する必要はない。さっさと逃げるぞ」

 サビエルにそう言われるまでもなく、レックもサビエルの後を追うように馬を走らせていた。

 幸い、もう夜明けも近かったらしい。

 巨大な化け物ミミズから逃げるために二人が馬を走らせている間に、徐々に東の空が明るくなってきた。

「この調子なら、森に着く頃には明るくなってるね」

「そうだな。森に入る前に軽く腹ごしらえもしておくか」

 そんな事を話しながら、レック達は馬を駆る。そうして、やっと馬の上からでも森が見えてきた頃には、既に太陽が完全に顔を出していた。

 朝食を取り終えた二人は、早速森の中を進んでいた。

 高さ10mを越える木々が茂るその森は、意外に木の密度は低かった。木々の葉が生い茂っているおかげで森の中は薄暗く、灌木が生えていたり草が深々と生い茂っている場所もあるものの、馬で進むのに問題は無かった。

 だが、レック達は細心の注意を払いながら進んでいた。

 馬で進むのに問題ないとは言え、森の中である。木々やあちこちに生えている灌木が邪魔をして、何も考えずに馬を全力で走らせる事は出来ないのだ。

 それはつまり、エネミーが隠れる場所がたっぷりあるという事であり、また、いざというときに馬の速さに任せて逃げ切る真似も出来ないということなのだ。

「襲われたらやっぱり戦うしかないかな?」

 先を行くサビエルにレックがそう話しかけると、サビエルも周囲を警戒しながらも答えた。

「出来れば避けたいがな。だが、全滅させるとまではいかなくても、もう襲ってこれないくらいには叩きのめす必要はあるだろうな」

 逃げる事が難しいことだけではなく消耗品の事まで考慮して、サビエルはそう答えた。

 そのサビエルが言わなかった事を何となく察したレックが、

「あー……武器とか全部壊れると困るしね……」

 そう零した。

 ここ数ヶ月の特訓で、レックの身体能力は身体強化込みではあるが飛躍的に伸びていた。それに見合う剣術も身につけつつあるのだが、おかげで武器の強度が今のレックの足かせになりつつあった。

 斬りつけた対象の頑丈さにも寄るが、全力で剣を振れば下手すれば一発で剣をおシャカにする事すらあるのだ。

 その為、レックのアイテムボックスには十数本もの剣が予備として放り込まれているのだが、一回の戦闘で一本剣をダメにしていたりすると、人が住む町に辿り着くまでに全滅させかねないのだった。

 そんなわけで、余計に緊張しながら進むレック達。

 だが、意外にエネミーは少なかったらしい。時折動物を見かける事はあったのだが、どうやらエネミーに分類される凶獣やら魔獣やらの類ではなかったらしい。いずれもレック達をまじまじと観察してから、あるいはレック達の姿を見るやいなや、そのまま森の奥へと逃げ去っていったのだった。

 だが、そんな平和は長くは続かなかった。

 オオオオオオォォォォォ…………

 不意に聞こえてきた雄叫びに、二人に緊張が走った。

「近い?」

「いや……だが、これはオオカミ系か?」

 レックに答えながらも、サビエルは雄叫びが聞こえてきた方角を確かめるべく更に耳を澄ませた。

 オオオオオオォォォォォ…………

 そして、再び聞こえてきた雄叫びに顔を顰めた。

「まずいな。これは狩りの合図っぽいぞ」

 その言葉にレックは嫌な予感がした。

「その狩りの獲物って……」

「もしかしなくても俺たちだろうな。……せめて、囲まれにくい場所を探すぞ」

 サビエルはそう言うと、怯える馬を走らせ始めた。慌ててレックもその後を追う。

 だが、既に遅かったらしい。

 レックの視界の端、木々の向こうにちょっとした馬ほどもある動物の影がいくつか見え始めていた。

 それに気づいたレックは、サビエルに警戒を促した。

「サビエル……!」

「分かっている!思ったより動きが早いってか、ここまで近づかれるまで気づかないとは思わなかった」

 サビエルの声には焦りが僅かに混じっていた。

 だが幸いな事に、オオカミたちはまだ襲ってくる気はないらしい。尤も、彼らにとって都合のいい場所に誘導するだけの事かも知れないのだが。

 ただ、実際には時間と共に事態は悪化していった。

 木々の向こうに見えていたオオカミたちの影は、レック達が馬を走らせるにつれ着実に大きく、近づいてきていた。

 そして、数百mも進まないうちに起こるべき事が起こる。

「ウオオオォォォォ……ンンンン!!」

 突如、レック達を取り囲むように移動していたオオカミたちの一頭が叫んだかと思うと、オオカミたちは一気に距離を詰めてきた。

「くそっ!仕方ない、迎え撃つぞ!」

 サビエルはそう言うと馬から飛び降り、その勢いで馬の手綱にあらかじめくくりつけておいた杭を地面に打ち込んだ。

 レックが同じように杭を地面に打ち付けた頃には、既に最初のオオカミがレック――の馬を目掛けて飛びかかってきていた。

「ガウッ!!」

 5m以上の距離を悠々と飛び越えて襲いかかってくるオオカミのようなエネミー。その背中には数本の鋭い剣のようなトゲが、黒い毛皮を突き抜けるように一列に並んで生えていた。

 身体強化を覚える前なら脅威を覚えるほどにオオカミの動きは速かった。だが、今となっては脅威など全く覚えない。

 鋭い牙が生えそろった真っ赤な口を大きく開けて飛びかかってきたオオカミに対し、レックは慌てることなくすくい上げるように剣を一閃させた。

 それだけであっさりと一頭のオオカミは首を落とされ、ただの肉の塊と化す。

 それを見た残りのオオカミたちはあまりにあっさり仲間がやられた事に警戒したのだろう。簡単に狩れる獲物ではないと理解し、飛びかかるのを止め、数mの距離をとってレックに対して警戒のうなり声を上げ始めた。

 一方、レックの後ろではオオカミの血を全身に浴びてしまった馬が狂乱状態に陥っていた。

 だが、レックにもサビエルにもそれを抑える余裕はなかった。

 レックの方は確かにオオカミが警戒して距離を開けてはいるが、背中など見せようものならあっという間に飛びかかってくるのは火を見るよりも明らかだった。

 サビエルはサビエルで、襲いかかってきたオオカミに剣を振ったのはいいが、オオカミはあっさりとサビエルの剣をその牙で文字通り食い止めてしまっていた。今はサビエルとオオカミの力比べの様相であるが、明らかにサビエルの方が分が悪い。

 だが、レックはサビエルがただオオカミと力比べをしているわけではない事を知っていた。

 小声で唱えていた呪文をサビエルが解放すると、サビエルとオオカミの間に突風が巻き起こった。その圧力でオオカミは数mほど後ろへとはじき飛ばされ、しかし何事もなかったかのようにすたっと地面に着地した。

 その様子を見たサビエルが舌打ちした。

「……鎌鼬も仕込んでおいたはずだけどな。効果無しとは恐れ入った」

 毛皮自体がそれほど頑丈なわけでもないのに、オオカミにはサビエルの魔術を喰らって傷一つ無い。それが意味するところは1つだった。

「こいつら、魔獣だな」

 うなり声を上げながら威嚇してくるオオカミを前に、サビエルがそう吐き捨てた。

 ジ・アナザーにおいて魔獣とは、魔力を持つ動物型エネミーを指す。勿論、魔力を持っていることと魔術を使えることは直結してない。だが、魔力を持ってる魔獣には魔術が効きづらいのだった。

 それでもサビエルの顔に焦りはない。

「レック。俺が馬を守る。お前はあいつらを叩きのめしてくれ」

 オオカミを牽制しつつ馬を守るくらいなら何とかなると見込んだサビエルは、そうレックに指示を出した。

 それにレックは無言で頷き、一歩、前に出た。

 オオカミたちのうなり声が一層大きくなる。

 そして次の瞬間。

 背中に1列の刃を生やした一頭が、猛然とレックに向かって飛びかかってきた。

 だが、その攻撃方法はさっきとは全く違う。

「えっ!?」

 身体を丸め背中の刃を突き出して、回転ノコギリよろしくぐるぐると回りながら飛びかかってきたオオカミ相手に、レックは驚きを隠せなかった。

 が、かといって何もせず攻撃を喰らう事もない。

 盾で受け止めても良かったが、幸いレックだけを狙ってきていたその攻撃は、避けてもサビエルにも馬にも害が及ぶ事はなかったので、レックはひょいっと横に避けた。

 直後、数百kgはありそうな巨体がレックがたった今まで立ってたところに着弾し、威勢良く土砂をまき散らした。

 それを合図に、次々と他のオオカミたちもレックへと飛びかかってくる。

 よく見るとオオカミには2種類いた。1種類は今レックに飛びかかってきたのと同じように背中に1列に刃が生えている個体。もう1種類は身体の両側にやや短めの刃が1列ずつ生えている個体である。

「しまった。さっきのも仕留めとけばよかったかな」

 仕留めた個体を除いてもまだ7頭もいるオオカミたち相手に、戦闘中にもかかわらずレックは思わずぼやいていた。

 だが、動きを止めたりはしない。

 迫ってきていた身体の両側面に刃を生やしたオオカミとすれ違い様に、その刃を盾ではじき返しつつ、その前足を斬り飛ばす。

 悲鳴を上げながら地面に突っ込んでいくそれを無視して、再び頭上から迫る回転ノコギリから身を躱し、そこを狙って突っ込んできたもう1頭の回転ノコギリを飛び上がって躱す。

 一方、サビエルの方にも2頭のオオカミが張り付いていたが、ダメージはなかったとは言え魔術で吹き飛ばされた事に対して警戒しているのか、サビエルにも馬にも襲いかからない。

 いや、時折襲いかかろうとするのだが、その機先を制するかのようにサビエルが風を飛ばし、上手く牽制しているのだった。

 そんなこんなでとりあえず膠着状態に陥っているサビエル同様、レックもまた膠着状態に陥ろうとしていた。

 首を落とされた一頭に続き、前足を落とされたオオカミまで出た事で、下手な攻撃は自分たちの被害を増やすだけだと、オオカミたちがはっきり悟ったのである。

 馬2頭というご馳走と、それを獲るまでに出るであろう被害。それを天秤にかけ、しかしなかなか結論が出なかったオオカミたちは、不意に耳をピンと立てた。

「……何?」

 その様子を見たレックもまた耳を立てるが、いくら身体強化をしたところで、オオカミの聴力には敵わないらしい。

 そうしている間に、

「おい、オオカミ共が逃げるぞ」

 サビエルが言ったように、オオカミたちは一頭また一頭とレック達に背を向けてその場を離れ始めていた。

 ただ、背中に刃を生やした一頭が、身体を低くしながらレックの方へとすり寄ってきていた。

 思わず剣を構えるレック。

 しかし、オオカミの目的はレックではなかったらしい。

 未だ地面の上で暴れ続けていた仲間の足を咥えると、そろそろとその仲間をレックから遠ざけるように引きずり始めた。

 その様子を見ていたサビエルが感心したように言う。

「怪我した仲間を連れて行こうってわけだな」

「みたいだね」

 レックも、エネミーとはいえ血を流す生き物としか見えないものを無闇矢鱈と殺したいわけでもない。剣を構えたまま、ゆっくりとオオカミたちから距離を取る。

 すると仲間の足を咥えていたオオカミにも、レックにこれ以上戦う意志がない事が通じたのだろう。オオカミは背中の刃をたたむと、仲間が助けに来た事を知って大人しくなっていた怪我したオオカミを背中に乗せ、一直線に森の奥へと消えていった。

 それを見送ったレック達は、大きなため息を付いた。

「やれやれ、だな」

 そう言ったサビエルの隣では、やっと落ち着きを取り戻した馬たちが、それでもまだ互いに身を寄せ合っていた。

 一方で、レックには気になる事がまだ残っていた。

「サビエル。どうしてオオカミたちは急に退いたんだろ?」

 レックとしては負けるつもりはなかった。だがあの時点ではまだ、オオカミたちが自分たちの優位を疑うほどではなかったはずなのだ。

 それに対するサビエルの答えは簡単だった。

「あれ以上被害を出したくなかったんだろう?リアリティを追求するなら、エネミーもそれくらい考えてもおかしくないだろうさ」

 しかし、レックは納得しきれなかった。

 確かにサビエルの言う事も一理ある。

 だが、それだけでは何か説明しきれない気がするのだ。

 尤も、その疑問はすぐに氷解する事になった。

「!!?」

 殺気を感じ、思わずその場を飛び退いたレック。その直前まで立っていたところに、唸りながら飛来した一本の頑丈な槍が轟音を立てて突き立ったのだ。

「なんだっ!?」

 周りを見回す二人。その視線はある一点で止まった。その先にいたのは、透けるような美しい青い鱗を身に纏った一体のリザードマンだった。

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