第十章 第二話 ~レックを捜して~
ある街のある宿のある一室。
大きく開け放たれた窓からはゆったりと風が吹き込むその部屋にはベッドが2つしかなかった。そんな所謂二人部屋にもかかわらず、そこに6人もの男女が集まり、各々の個人端末を取り出してその画面を注視していた。
「ダメだな、まだ反応がない」
一人だけ端末を操作していたグランスがそう言うと、仲間達から一斉にため息が漏れた。
「これ、壊れてるんじゃねぇか?」
「壊れておるなら、私たちにグランスのメッセージすら見えぬはずじゃがのう」
クライストが投げやり気味に行った言葉を、ディアナがあっさり否定する。
「レックの端末が壊れてるとか?」
「なくす事も壊す事も不可能なこれをか?」
リリーの言葉もグランスに否定された。
実のところ、あれもこれも妙に現実っぽくなってしまっているジ・アナザーにおいて個人端末もそうなってるんじゃないかと全員が一度は疑った。
で、周りが止めるのも聞かずにマージンが実験を強行したのだが、結果は従来通り。
地面に叩き付けたり、地面に置いてツーハンドソードや戦斧を叩き付けたりすると流石に壊れるのだが、一度しまって再度取り出すとしっかり直っている。ついでに端末を宿において出かけようとしても、数mと離れないうちに部屋に置かれていた端末はその姿を消し、持ち主の手元に戻ってしまう。
要するに、無くしたとか壊したとか考えられないのであった。
「ギルドの通信網が動いとるから、クランチャットの会話可能距離がまた縮んだっちゅうこともあらへんやろうしなぁ」
マージンの言葉に仲間達が頷いた。
クランチャットで連絡を取り合うためには互いの距離が100km以内である必要があることが、大陸会議によって既に確認されていた。元々は距離制限など無かった事を考えると随分不便になりはしたが、それでも最も有効な連絡手段である事には変わらない。実際、冒険者ギルドや商業系クランは各街に数名ずつのメンバーを配置する事で、大陸会議の勢力圏全体に巨大な連絡網を構築しているくらいである。
そちらの方が何の騒ぎにもなっていないという事は、クランチャットの会話可能距離に変化は起きていない事を意味しているのだった。
「兎に角、この時間でクランチャットに応答がないなら、レックはここから100km以内にはいないということだ。明日にでももう一度試してから、次の街へ向かうぞ」
グランスの言葉に、仲間達は力強く頷いたのだった。
キングダムを発ってから一ヶ月。
蒼い月の一行は今、エラクリットにいた。正確には今日着いたばかりと言うべきか。
ホエールにクランチャットの説明を受けた後、グランスたちはキングダムを出る前から毎日クランチャットでレックへの呼びかけを続けていた。
会話可能距離が100kmということは、街道沿いに移動しながらクランチャットをこまめに確認していれば、街道から100km以内にいればレックを見つけられるはずであり、今のプレイヤーの活動範囲を考えればまず見落とす事はないはずだった。そのため、蒼い月の仲間達の士気は高かった。
だが、実際には未だレックは見つかっていない。大陸会議が把握しているまだ生きている最も東の町はまだ先なので、望みが皆無というわけではないのだが、そろそろグランスやディアナなどは、これで見つからなかった後の方針を考え始めていたのだった。
そして翌朝。もう一度グランスがクランチャットを確認した後、蒼い月の仲間達は宿の食堂で朝食を摂っていた。
「ここまで見つからねぇって、どっかですれ違ったんじゃねぇのか?」
パンを囓りながら言うクライストに、グランスが難しい顔をした。
「半径100kmですれ違うとか、俺たちはそんなにスピードは出してないはずだが」
それにディアナが同意した。
「うむ。せいぜい毎日進んで30kmくらいじゃ。レックが70kmとは言わぬが、50kmずつ進むくらいでなくては、一度も連絡が付かないまますれ違うなど考えづらいのう」
「それに、実際には馬車の中で誰かしらクランチャットを確認しとるしな」
マージンがそう付け加え、余程の事がない限り連絡が付かないまますれ違う可能性は無いと断言した。
「余程の事って、例えば?」
「とんでもない山の中におるとか、船で海の上とか、毎日200km以上進める手段があるとかやなぁ」
リリーに訊かれてマージンがそう答える。それを聞いたクライストがため息を付いた。
「山の中は兎に角、他は考えられねぇな」
その様子を見ていたグランスはカップに残っていた紅茶を飲み干すと、
「すれ違っていたとしても、レックがキングダムに向かったというならそこでホエールか誰かに接触するはずだ。そうすれば冒険者ギルド経由で俺たちにも連絡が来るだろうから、気にしなくていいだろう。まずはユフォルおよび例の川の下流域を確認しよう」
そうまとまったところで会話が途切れ、食堂を利用している他の客達の話し声が聞こえてくる。
「たまには柔らかい肉が食いたいぜ」
「キングダムいけ、キングダム」
「最近、鉱石の流通が減ってるみたいだが……」
「それだと刺身が食えないだろうが」
「魚はいるじゃないか」
「なんか問題があったんじゃないか?」
「前の襲撃から半年か」
「真水で育つなまっちょろいのなんか魚じゃない!」
「街の中くらいは安全を約束して欲しいぜ……」
ごちゃごちゃした会話のおかげで、誰が何を話しているのかを聞き取るのは難しい。が、分かる事もあった。
「……ここも襲撃されてるんだな」
クライストの言葉にグランスが相槌を打った。
「みたいだな。まあ、今のところ、襲撃で全滅したとか聞いた事はないが……」
「プレイヤーを全滅させるのが目的なら、わいらはとっくに壊滅しとるわけやからな。襲撃もプレイヤーを殺す以外の別の目的があるんやろ」
マージンの言葉になるほどと仲間達は納得した。
食事を終えた蒼い月の仲間達は一度各自の部屋へと戻った。エラクリットを発つ前に消耗した物を補充しなくてはならない。そのためのアイテムボックスの中身の確認である。
だが、グランスとミネアに割り当てられた一室で、二人はアイテムボックスの中の確認をしていなかった。
「ミネア、大丈夫か?」
ベッドに座らせたミネアに、グランスはそう声をかけていた。
「はい……大丈夫です。……あの……心配してくれて、ありがとう……ございます」
未だにもじもじするミネアの頭を撫でながら、グランスは苦笑した。
だが、次の瞬間には一転、まじめな顔に戻る。
「少しお腹が出てきてるからな。最近、酸っぱい物もよく食べているし……考えてみれば、キングダムに行く前の体調不良もこれだったのかも知れないな」
そう言いながら、未だ話しか聞いていない例の件についてグランスは考えていた。
今のミネアの状態はその話に、プレイヤーが妊娠するという話にぴたりと当てはまるのだ。
噂によると、既に子供を産んだ女性プレイヤーすらいるらしい。だが、生まれた赤ん坊は他ならぬ産んだ本人の手によって殺されたとも聞いている。
何故そんな凶行に走ったのか。それは女の身ならぬグランスにも容易に想像が付いた。
得体が知れないのだ。
現実なら新しい命を授かる妊娠は喜ばしい事なのだろう。だが、仮想現実に過ぎないはずのこの世界ではどうか?
命に見えるものは全て操り人形なのだ。勿論、プレイヤーはまだいい。その向こうには人がいる。だがその他は全てコンピュータが動かしているわけで、そこに命は存在しない。
尤も、通常はその事が問題になる事はない。実世界でもコンピュータ動作のロボットなど珍しくもないし、必要とあれば体内にコンピュータ制御の異物を埋め込んでいる人すら少なくなかった。
だが、新しい命が生まれるべき場所にそれが、新しい命の代わりに入り込んだとなれば、別である。
言いようのない違和感のみならず、どうしようもないまでの嫌悪感までも感じるのだ。
男性であるグランスですらそうなのだから、まさしく妊娠しているであろうミネアが抱く不安と恐怖は想像すら出来なかった。
だが、ミネアは気丈に振る舞っていた。だから、グランスはただ気を遣いながら側にいるしかできないのだった。
とは言え、ある手段がある事だけは伝えておかなくてはならない。それをいつ伝えるべきか、未だに分からない。だが、早めに伝えようとは思っていた。
(だが、今である必要はない、はずだな……)
いつまでもそれではいけないと思いつつも、グランスはミネアの肩をしっかりと抱いていた。
ちなみに、そんなミネアとグランスの様子に気づかないほど他の仲間達、特に女性陣が鈍いわけもない。
アイテムボックスの中身を確認しながら、ディアナとリリーはまさしくそのことについて話していた。
「ミネアの事、どう思うかの?」
「どうって……妊娠してるよね、どう考えても」
「うむ。じゃが、果たしてこの世界でそんな事があり得るのか。あったとして、それは許される行為なのじゃろうか」
そのディアナの声に、イデア社に対する不信と僅かな怒りを感じたような気がしてリリーは作業の手を止めた。
「……どういうこと?」
未だ気づいていない様子のリリーにディアナはフッと微笑んだ。だが、次の瞬間には険しい表情に戻り、
「この世界で妊娠したとして……赤ん坊の中身は何なのか。おぬしは気にならぬか?」
その言葉にリリーは考え込んだ、というよりも、自分がそうなったときの事を想像していた。
「……リリー、何を想像しておるのじゃ」
「え?え?」
ため息を付きながらされたディアナの指摘に、リリーは現実に引き戻された。
「まあ、その顔を見れば大体何を妄想しておったか、想像できるがのう」
リリーの赤く染まった顔を見ながら、ディアナはにやりと笑った。
「え?あ?ちょっと、ディアナ!!」
直前までしていた、人には言えないような妄想をディアナに読まれたと知ったリリーの顔は更に赤くなった。
「む、そんな大きな声を出すと隣に聞こえるぞ」
ディアナのその指摘に、リリーは慌てて自らの口を両手で塞ぎ、マージンがいる部屋の側の壁を見つめ、次に扉を凝視し、しばらくしてからやっと息を吐いた。
「ディアナの意地悪」
「うむ。おかげでリリーの愛らしいところを見れたのじゃ。私は満足じゃな」
ディアナは機嫌良くそう答えると、しかし再び表情を引き締めた。
「それで、話は戻るがリリーはどうなのじゃ?この世界で妊娠したいと思うのかのう?」
「う~ん。マージンがそうして欲しいって言うならアリ……かな?」
ほんのり頬を染めながら出てきたその言葉に、ディアナは一瞬変な物を見たと言わんばかりの表情を浮かべたが、すぐに納得したらしい。
「ふむ。結局は個人の主観によるという事なのじゃな」
そう言ってふむふむと頷いているディアナ。
哲学的な話になるが、結局、他人が他人として生きているかどうかなど個人の主観でしかない。なら、生まれてくる何かがこの世界で人間と区別が付かないのであれば、気にする必要はないという考え方も有りなのだろうということだった。
そんなディアナに、リリーが次はディアナの番だと声をかけた。
「そう言うディアナはどうなの?いい相手とかいるの?」
「む?いや、おらぬのう」
そう答えるとディアナはにやりと笑い、
「それより、『マージンがそうして欲しいって言うなら』、のう」
「ちょ!な!!?!?ええっ!!!?」
一瞬で再沸騰するリリー。
「さぁて。今日は逃げられまい?ゆっくりと話を聞かせてもらおうかのう」
そう言って、ディアナは獲物を目の前に舌なめずりせんばかりの勢いで、リリーへと詰め寄っていった。
尤も、ディアナが言うほどゆっくり出来るだけの時間はないのだが、リリーはクライストによって扉がノックされるまでそれに気づく事はなかった。
「隣の部屋、なんや随分賑やかやなぁ」
「女部屋だからな。仕方ねぇだろ」
早々にアイテムボックスの整理を終えたマージンとクライストは、そう言いながら苦笑していた。
ちなみにこの宿の壁の防音は割としっかりしていて、隣の部屋で二人が騒いでいる事は分かっても、会話の内容までは聞き取れない。本来なら話している事すら分からないはずなのだが――それが分かってしまうのは、それだけ隣の部屋のディアナとリリーが騒いでいるという事なのだろう。
会話が聞こえていれば、マージンもクライストも呑気にはしていられなかったのだろうが、幸か不幸か何も聞こえない。心配事が皆無とまではいかないものの、ノンビリとしていた時間を過ごす二人だった。
そして、エラクリットを出発して数日後。蒼い月の一行はユフォルへと着いていた。
「なんや。ますます人が減ったような気がするなぁ」
御者を務めていたマージンの第一声が表すように、ユフォルの活気のなさは相当なものだった。
「だね~。よく残ってるって感じだね~」
隣に座っていたリリーもそう頷く。
「話には聞いとったけど、これは流石になぁ」
そう呟きながらも、マージンは馬車を進めていく。本来なら町の中で馬車を操るのは相当神経を使うはずなのだが、あまりに人が少なすぎてその必要すらないのだ。
「そんなに酷いのか?」
二人の声を聞いていたのか、御者台の裏の幌をめくってグランスが顔を出した。
「うん。見たらすぐ分かるよ」
リリーの言葉を聞いて、通りの様子をざっと眺め、グランスも「確かにな」と頷いた。
「正直、こんなんやとここで一泊っちゅうのもきついかも知れへんけど、どないする?」
マージンに訊かれたグランスは個人端末を取り出して素早く操作した。そして、クランチャットの反応を待つ間、馬車の中にも聞こえるようにユフォルでの予定を告げた。
「一度例の場所に向かう間、馬車はここに置いておくしかないからな。まずはユフォルの状況を知りたいし、ギルドに行ってくれ」
「了解っとな。……ところで、何でそこの幌だけおろしとるんや?」
そう言ってマージンが指さしたのは、御者台の真後ろの幌である。
季節は再び夏になり、それに見合う気温になったために馬車の幌は前後左右全部開け放たれていた。勿論、風通しを良くするためなのであるが、何故かマージンとリリーが御者台に座った途端、御者台の後ろの幌だけ下ろされたのだった。
「さあな。下ろすように主張したのはディアナとミネアだ。理由は二人に訊いてくれ」
「……もうっ」
マージンに答えたグランスが馬車の中に引っ込むと同時に、リリーが何か言ったような気がしたマージンはリリーへと視線を向け、
「……リリーもなんで赤うなっとるんや?」
「知らないっ」
首を傾げる事になったのだった。
それはさておき、ユフォルの冒険者ギルドにはすぐに着いた。
「それじゃマージン達はここで待っててくれ。クライストは着いてきてくれ」
そう言って、グランスはクライストを連れて冒険者ギルドへと入った。
「……ここもこれか」
受付を兼ねているギルドのエントランスホールの様子を見たグランスは、思わずそう呟いた。
「こりゃ、人が減ったとかそういうレベルじゃねぇな」
少し遅れて入ったクライストも、そう漏らした。
だが、二人の言葉も無理もない。何しろ、誰もいなかったのだから。
正確には二人の姿を見て怪訝そうな視線を投げかけてきた受付の男が一人、いることにはいた。
「なんだ、まだ冒険者が残ってた……というより、来たのか。物好きもいたもんだな」
「ああ、ちょっとこの先に用事があってな。にしても、数ヶ月前まではもっと人がいたと思ったんだが、ここはどうしたんだ?」
受付に足を運んだグランスがそう訊くと、受付の男は「簡単な事さ」と答えた。
「数ヶ月前にワイバーンが出たからな。確かに身体強化は魅力的だが、命あっての物種って事で全員逃げたのさ」
「ワイバーンは倒されたんだろう?」
「ああ。蒼い月とか言う連中が倒してくれたんだけど……な……?」
そう言いながら、受付の男の目が大きく見開かれた。
「さっきから見覚えがある気がしてたんだが……あんたら、ひょっとして蒼い月か!?」
そう叫んだ男に、グランスは頷いて肯定した。
「そうか!あのときは助かった!改めて礼を言わせてくれ」
そう言って頭を下げた男に、グランスは頬を掻きながら、
「頭を上げてくれ。俺たちも襲われたから戦っただけだ。そんなお礼を言われるようなことじゃない」
「そうか。でも、おかげで助かったのは事実だし、俺たちもホントに感謝したんだぜ」
そう言った男は本当に嬉しそうだったが、その表情はすぐに暗くなった。
「と言っても、あれにびびってユフォルから逃げ出す連中が後を絶たなくてな。あんたらも外は見てきただろう?今じゃこの様さ」
「なるほどな、そういうことか」
あまりの人気のなさに、グランスはやっと納得した。
「そうさ。一応身体強化の祭壇があるって事で、大陸会議はこの町を放棄するつもりはないらしいが、冒険者がほとんど逃げちまったからな。軍の部隊でも常駐させてもらわないと、もう持たないだろうな」
そう言って受付の男はユフォルの状況を軽くグランスたちに説明した。
それによると、現在ユフォルの人口はせいぜい100人足らず。その大半が冒険者ギルドの関係者で、残りもその友人とか恋人のような親しい人間ばかりとの事だった。
「宿などは……」
「勿論とっくに無くなってる。泊まりたいならギルドの部屋を宿泊用に開放してるぞ」
そんな風にグランスたちが受付の男と話をしていると、奥の方から足音が聞こえてきた。
「客でもきてんの~?」
そう言ってグランスたちの前に姿を現したのは、だらしなく服を着崩した美女だった。深い青色の髪が顔の左半分を覆っているが、それでも十分に美女である事は見て取れる。まあ、ジ・アナザーの住人の大半は美男美女なのでその点は驚くに値しないのだが、服が肩から大きくずり落ちているおかげで、結構なボリュームの胸がむき出しになりかけているのはよろしくなかった。
尤も、その女性もグランスたちに気がつくと、慌てて後ろを向いて服装を正した。そして手ぐしでぱっぱと髪を軽く整えると、グランスたちの方を向き直り、あからさまな営業スマイルを振りまいた。
「いらっしゃいませ~」
勿論、その場にいた男達は迷わずそんな彼女に白い視線を送った。
「ごほんっ」
自分に集中した白い視線に耐えきれなかったのか、その女性は咳払いをすると、改めて受付の男に声をかけた。
「それで、この人達はこんなとこに何のような訳?」
「それは今から聞くところだったんだ」
そう返した男の視線は、「お前が出てこなければな!」と露骨に物語っていたが、女はそれに動じる様子も見せずにグランスたちへと向き直った。
「失礼しました。私はここの受付担当のディと申します。こちらのワッツが何か失礼な事を致しませんでしたか?」
ディのあまりの変わりように呆然としていたグランスとクライストは、それでやっと立ち直った。
「特に問題なく対応してもらっていた」
そう答えたグランスの視線が、未だに服の隙間から覗くディのどことは言わない谷間にちらちらと行くのは……まあ、男の性という所か。
それを敢えて気にせず、ディはグランスたちの用件と身元の確認にかかる。
「それで、このたびはどのような用件でこちらに来られたのですか?」
「あ、ああ。この町の先の森の奥の谷川の周辺とその下流を探さないと行けない用事が出来て、こうして邪魔しているわけだ」
「祭壇ではなく谷川、ですか?」
怪訝な表情を浮かべたディに、ワッツと呼ばれた受付の男が補足を入れる。
「彼らは既に身体強化を覚えてる。だから、要らないんだよ」
「ああ、そういうことですか。しかし、それならば何故……」
そう言いかけたところで、これ以上は余計な詮索に当たると思い当たったらしく、言葉を切った。
「それで、冒険者ギルドにはどのようなご用件で?」
グランスはこのままディと話していいのかとワッツの方に視線をやった。それに気づいたワッツはこのまま続けてくれと、ディに気づかれないように片手を上げた。
それを確認したグランスはディに用件を伝える事にした。
「そうだな。その前に確認したいんだが、蒼い月向けに何かメッセージは届いてないか?」
「蒼い月?」
ディはそう言ったかと思うと、急に腹を抱えて笑い出した。
「珍しい客かと思ったら、有名冒険者の騙りとか!あはっ!あはははっ!」
その様子にグランスたちは呆然としていたが、ディの横にいたワッツの顔色は一気に悪くなっていた。
「ディ!失礼だぞ!」
「あはははっ!失礼も何も、どーせいつもの騙りでしょ?そんな奴らに礼もクソも無いじゃない」
「騙り?」
クライストがそう首を捻っているが、グランスも首を捻りたかった。が、まずはそれより先にやるべき事がある。
「あ~……いろいろ気になる点はあるが、俺たちは確かに蒼い月なんだが」
グランスがそう言うと、ディは笑うのを止めた。そしてグランスをキッと睨み付ける。
「あんた達、いい加減にしないと怒るわよ?こう見えてもあたし達もそれなりに強いんだからね?」
が、
「いい加減にするのはお前の方だ」
ワッツに頭をぽかりとやられた。
「いった!自分の彼女に普通そんなことする!?」
「これくらいしないとお前は人の話聞かないだろうが」
ワッツはやれやれと頭を振ると、
「俺が保証する。この人達は本物の蒼い月だ」
「え?え?」
それを聞いたディはしばらくワッツとグランスの間で視線を往復させていたが、やがてワッツの言葉が本当だと理解したのか、さぁーっと音がしそうな勢いで顔から血の気が引いた。そして、受付カウンターにぶつけそうな勢いで頭を下げた。
「ごめんなさいっ!まさか本物の蒼い月とは思わず!」
事態についていけていないグランスとクライストだったが、とりあえず話を聞いてもらえる状態にはなったと察した。
「とりあえず、いろいろ訊きたい事が出来たんだが……」
「はいっ!なんでしょう!」
がちがちに固まったディの態度に当惑しながら、グランスは一番気になっている事を訊いた。
「その、騙りとか本物とかって何なんだ?」
それに苦笑混じりに答えたのはワッツである。
「ああ。あんたらは結構有名なクランだからな。特にこのユフォルではワイバーンを倒すって偉業を成し遂げてる。そんなあんたらの名前を騙ればってな事を考える連中が、時々いたのさ」
全員おっぱらってやったがなと笑うワッツに、今度はグランスたちが驚く番だった。
「俺たちを騙るって……んな事していいことでもあるのかよ」
それにワッツはあっさり頷いた。
「あんたらみたいに活躍してる冒険者だといろいろ大陸会議の方から便宜が図られるのさ。そのおこぼれにでも預かろうと考えたんだろう。わざわざ冒険者カードまで偽造してたくらいだからな」
便宜という言葉に、クライストは納得せざるを得なかった。心当たりはたっぷりとあったからである。今使ってる馬車もその1つだったりするわけで。
だがそれで、グランスもクライストも先ほどからのディの言動にも納得がいった。
「なるほど。それであれか」
グランスの言葉に、何を感じたのかディはビクッとすると再び頭を大きく下げた。
「間違えて申し訳ありません!どうか許してください!」
怯えているようにも見えるその様子に、グランスはワッツに苦笑を向けながら、
「許すも何も害はなかったし、あの程度の事で怒ったりはしないさ」
「ああ。ってか、あの程度で怒ったりしてたら、うちの女性陣に殺されるぜ」
クライストも苦笑しながらそうグランスを援護した。
「そういうことだ。さ、後は俺がやっとくから、ディは戻っとけ」
ワッツにそう背中をさすられ、ディは顔を赤くしながらもう一度グランスたちに頭を下げ、奥へと戻っていった。
それを見送り、ワッツは頭を掻いた。
「まあ、なんだ。恥ずかしいところみせたな」
「いや、気にするな。どっちかというと微笑ましかったしな」
グランスの言葉にワッツは「そうか」と苦笑すると、
「じゃ、さっきの用件だが、あんたら宛のメッセージは特にないな」「そうか」
ある程度予想していた事とはいえ、グランスは多少肩を落とした。その一方で、これからの予定に変更がない事を確認もした。
「なら、いくつか頼みがあるんだが、いいか?」
「ああ。まっとうな冒険者をサポートするのが冒険者ギルドの役割だ。どんとこい」
ワッツはそう胸を叩いた。
そして、夜。
グランスたちは冒険者ギルドの奥に借りた部屋の1つに集まっていた。勿論、これからの予定を確認するためである。
尤も、その前に恒例の確認も勿論忘れない。
「……ダメだな。やはりこの近辺にはいないんだろうな」
グランスはそう言うと個人端末をしまい、仲間達へと視線を向けた。
「となると、やはり予定通りに動くわけじゃな?」
「ああ。幸い、馬車を預かってもらうのは簡単に受けてもらえたからな」
ディアナの言葉にグランスは頷いた。ちなみに馬車を預けていく理由は、
「森の中で馬車は邪魔やもんな」
というマージンの言葉の通りである。
「馬車を取りに来るかどうかは、谷川がどこに流れて行っているかによる。が、多分しばらく預けっぱなしになるだろうな」
グランスの言葉に仲間達は頷いた。
馬と違って馬車はある程度整備された道しか走れない。厳密には整備されていなくても走れない事はないが、段差や大きな障害物が多いところは流石に無理である。そして、これから先、グランスたちは川沿いを歩き続ける予定なのだ。とてもではないが、馬車で移動できるとは考えられなかった。
だが、馬車をおいていく事にためらいはない。
「ここからが本番って事だね」
そんなリリーの言葉通りだからだ。
これまでレックは見つかっていない。なら、レックがいる可能性が一番高い場所の1つが、あの川の下流域なのだ。
そこを調べようというのだから、グランスたちにためらいも迷いもなかった。
ただ、一方でもうレックはそこにいないのではないかという疑念もないではなかった。
何しろあれから既に何ヶ月も経っているのだ。町も何も無いところにいつまでもレックがいるとは思えなかった。
その可能性を誰も口にしないのは、もしそうなら今更どこを探せばいいか分からないからである。
だからこそ、グランスたちは目の前の予定に集中していた。ディアナあたりに言わせれば、余計な事を考えるより動く方が大事であって、うまくいかなかったときの事はそのときになってから考えればいいのである。
「しっかし、あれで生きてるって……身体強化ってすげぇよな」
話し合いが終わったと見たクライストが、しみじみとそう言った。
あのときの事を思い出すのはずっとタブーだったのだが、レックが生きていると分かれば別である。
確かにあのときの感情まで思い出してしまうが、レックが生きていると分かった今感じるのは、ほとんどショックそのものだけであって、悲しみとかそんな負の感情は残っていなかった。
「じゃのう。と言っても、レックの身体強化じゃったからじゃろうな。私にはあそこから落ちて死なぬ自信はないからのう」
レックの身体強化のレベルを知っている仲間達は、ディアナの言葉に頷いた。
「俺だと、間違いなく重傷じゃ済まないだろうな」
「あたしとか論外だしね~」
そもそも身体強化を使えないリリーの言葉にマージンが首を振った。
「下が谷川やろ?リリーは精霊魔術があるから、むしろレックより楽なんちゃうか?」
「そっかな~?」
「落ちておる最中に魔術が使えるなら、じゃがのう」
ディアナのその言葉に、リリーは残念そうにそれもそっかと頷かざるを得なかった。確かに落ちてる最中はパニックを起こしていて、魔術を使える自信は全くない。
だが、マージンは別の事を考えたらしい。
「ん~、ついでに思いついたんやけどな。リリーの精霊魔術使うたら、水面とか歩けへんか?」
その言葉に仲間達は互いに顔を見合わせ、次の瞬間、一斉にリリーへと視線を向けた。
「あ~、うん。できる、かも?」
水をどうあって操るか少し考えた後、リリーはそう答えた。
その返事に仲間達はワッと盛り上がった。
が、
「水面を歩けるなら、川とか橋が無くても渡れるのう」
という用途以外が思いつかない。
何しろ、ある程度大きな川や湖だと、水中にも肉食性の巨大魚のようなエネミーがいるのである。水面など歩いていれば、そう言ったエネミーの格好の餌食になるのは目に見えていた。
そう考えると、水面を歩いて渡れる川の大半は、ぬれる事さえ気にしなければ川底を歩いて渡れる程度なわけで。
「水に落ちた仲間を助ける役にも立つな」
というグランスの案が一番実用的かも知れなかった。
場面は変わり、キングダム北西の森の中。
「なるほど、確かにあったね」
「サークル・ゲート」
馬をつれたロマリオとエセスは、あるサークル・ゲートの前に立っていた。
ロマリオはすっかり夏にあわせた軽装となっているが、エセスはいつも通りのゴシックドレスだったりする。それもせめて半袖なら分かるのだが、長袖のしかも黒っぽいドレスである。
この妹分の服装については、ロマリオも常々暑くないのかと不思議に思ってはいた。だが、訊いてみてもまともな答えは返ってこないし、そんな本人も汗一つかかないので今ではそう言う物かと諦めているのだった。
それはさておき、この二人が何故こんな所にいるのかは言うまでもあるまい。
だが、サークル・ゲートは光など放っておらず、つまりは明らかに閉じていた。
とは言え、それは想定の範囲内なのだろう。ロマリオは特に不満を見せる事もなく、アイテムボックスから透き通ったビー玉のような物を取り出した。
「彼の言うとおりなら、これでゲートが開くはずだけど……」
そう言いながらロマリオはサークル・ゲートの中央に埋め込まれている直径2~3mの平たい岩の上にビー玉を転がした。
そして変化はすぐに起きた。
磁石にでも吸い寄せられたかのごとくに不自然に岩の中央で停止したビー玉は、すぐにその形が崩して消えてしまった。代わりにビー玉が消えた場所から透明な光が吹き出してきた。
「開いた……?」
「みたいだね」
しばらく前に夢に予言者が現れ、ロマリオは新たな指示を与えられていた。その夢から覚めたとき、枕元に今のビー玉――予言者曰く魔晶石が幾つか置かれていたのである。
勿論、ロマリオは寝る前に警戒のために簡易結界を部屋の周囲に張り巡らせていたのだが、それには何の反応もなかった。にもかかわらず魔晶石はロマリオの枕元に置かれていたわけで、その事実が意味するところに、ロマリオはぞっとしたのである。
それはさておき、予言者の言葉通りに魔晶石でサークル・ゲートは開いた。
それを前にした二人の次の行動は、勿論決まっていた。
「じゃ、行こうか」
そう言って、馬の手綱を引きながら歩き出すロマリオ。エセスも微かに頷いてその後に続いた。
そして二人と一頭の姿はサークル・ゲートに消えたのだった。