第九章 第八話 ~エピローグ~
そして場面はまた、何の脈絡もなく変わる。
どことも知れぬ町の狭い路地裏。空にはまだ太陽が高くに居座っているにもかかわらず、どこか薄暗い。
そこに、もはや少年とは呼べなくなった青年は立っていた。目の前には、一人のローブ姿の男。
「……」
「……」
互いに無言のまま、相手を睨み続ける。
相手の一挙手一投足を見逃した方が負けるのだ。一瞬たりとも青年は気を抜いたりはしない。
ローブのフードに隠され、男の顔は見えない。だが、青年は男が何者なのか知っていた。
勿論、具体的な名前などは知らない。ただ、青年にとって必要なこと、男がどこから何のためにやってきたのかは知っていた。その目的が、青年を殺すことであることも。
要するに、目の前の男は青年に対して差し向けられた刺客というやつなのだった。
睨み合いを始めてからどれだけの時間が経っただろうか。
不意に男の手が動いた。
そこから男が何をしようとしているかを見て取った青年は、男に対抗するべく適当な魔術を選び、素早く詠唱を終わらせる。
その詠唱を聞いた男からは怪訝そうな気配が伝わってきた。青年が何をするつもりなのか、理解できていないらしかった。
勿論、それは青年にとって好都合以外の何ものでもない。
男自身は火属性の魔術師だったらしく、風属性の青年にとっては実に与しやすい相手だった。案の定、詠唱を終えた男の手には小さな火種が点り、それを男が青年に向けると、途端に巨大な炎となって青年へと襲いかかってきた。
それで青年を仕留めたつもりだったのだろう男の顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。だが、それは次の瞬間見事に砕け散った。
「馬鹿なっ!?」
青年が解き放った魔術は風。
男が放った炎は、いとも簡単に青年の風に押し戻され、逆に男自身へと襲いかかっていた。
「ぎゃあぁぁぁぁぁああ!!!」
自らの炎に全身を焼かれ、男が悲鳴を上げた。
その結末を見るまでもなく、青年は踵を返していた。既に男は無力化した。もはやここにいる意味はない。むしろ、今の悲鳴を聞きつけて物好きな野次馬がやってくる前に、ここから立ち去るべきだった。
「……さすが」
路地裏を出たところで不意にそう声をかけられる。
だが、その声の主が誰かを知っていた青年は警戒するよりも苦笑しながら、
「運がよかっただけだよ」
そう言って、人除けの結界を張ってくれていた少女に礼を言う。
尤も、人除けの結界といっても少女が使えるそれに大した効果はない。せいぜい用もないのに近づこうとしなくなる程度なので、先ほどの悲鳴を聞きつけた誰かには、何の効果も期待できないのだが。実際、少女を連れて青年がその場を離れてすぐ、野次馬たちが路地の出口へと集まり始めていたりする。
そんな気配を背中に感じながら、青年は今回の青年たちの行動がどこから漏れたのかと考えていた。
「考えるだけ無駄」
そんな青年の思考を、少女の声がばっさりと切り捨てた。
「……また、顔に出てたかな?」
青年が首をかしげると、少女はこくりと頷いた。
長いつきあいである。青年も少女の考えていることが何となく分かるのと同じくらいには、少女も青年の考えていることが分かるのだった。
(それはそれとして、この時は何をしに来てたんだっけ)
歩き出した自分の中で、青年はそう考えていた。
だが、所詮これは夢。
深く考えても仕方ない、と結論づけるより前に、青年の思考はそこから逸れてしまった。というより、逸らされてしまった。
青年たちが住処としている屋敷に比べると、ずいぶんと近代的な建物が目の前に建っていた。
勿論、今、ここにあるべき建物などでは断じてない。
だが、そのことを一切疑問に思うことなく、青年は少女を連れてその建物へと入っていった。
建物の中では、スーツを着た若い男が一人、青年たちを待っていた。マフィアのメンバーと言われてもしっくり来そうなその男は、確かクレイなどと呼ばれていたか。勿論、本名などではなくニックネームだ。
かく言う青年と少女も、クレイとは仲間と言って良い関係のはずだが、本名を教えたりはしていなかった。それが、青年たちが属する集団のルールなのだ。
「よく来たな。話は聞いているか?」
クレイの言葉に青年は頷いた。
「とんでもないゲームが発売されていたらしいね」
青年の言葉に、クレイは大げさな仕草で、
「とんでもないなんてもんじゃない。これは我々に対する、いや、全魔術師に対する冒涜であり、宣戦布告だ!」
そう嘆いて見せた。
このクレイという男、マフィアっぽい外見に似合わず、なかなか剽軽な性格をしているのだ。初めて会った人間はそのギャップについていけずに、いろいろと悩むらしい。
尤も、その隙を突いて、その人間の考えや行動を自分色に染めてしまうと言うのだから、全く持って油断ならない男である。
勿論、しばらく付き合っていればそのギャップにも慣れるわけで、
「クレイ、詳しく説明してくれないかな。師の説明は要領を得なくて」
青年はクレイの様子を気にすることなく、話の先を促した。
「ああ、失礼」
クレイはコホンと咳払いすると、青年たちを奥の部屋へと案内しつつ、説明を始めた。
それによると、そのとんでもないゲームというのは、ある種の仮想現実らしい。その仮想現実には、まず一般人が知り得ないはずのことが実装されているらしい。
なので、まずはその仮想現実そのものを調べるために、コンピュータやゲームに抵抗の少ない若いメンバーに声をかけていたらしいのだ。
「要するにやってもらいたいことというのは、その仮想現実に入り込んで調べて来いってことなんだね?」
一通りの説明を聞き終わり、目の前に2つ並んだベッドの意味を理解した青年がそう確認すると、
「その通り」
とクレイはあっさり頷いた。
「何で君が直接やらないんだい?」
「そうしたいのは山々だがな。現実世界側でも調べる人間が必要なわけだ。老人方はコンピュータと聞くだけで拒絶反応を示す方もおられるくらいだ。言ってしまえば、荷が重い」
その説明に青年は、ああ、とあっさり納得した。
「それで、すぐに始めるのかな?」
「そうしてくれるとありがたい。そこまで急ぐものでもないがな」
クレイはそう言ったが、青年はすぐにその仮想現実に入ってみるつもりだった。何より、あり得ないはずのものが実装されているというのだ。それはとても興味深いことだった。
「ああ、そう言えば、そのゲームのタイトルはなんなんだい?」
隣のベッドを見ると、既に少女が横たわり、準備万端といった感じで青年を見つめてきていた。その視線に微笑みで応え、青年はクレイにそう訊いた。
「タイトルか。確か、ジ・アナザーとか言ったな」
(夢、か)
不意に目が覚めたロマリオは、今まで自分が見ていたのが全て夢だったと改めて自覚した。
今、ロマリオがいるのは古ぼけた宿屋の一室だった。
天井や壁の隅は見事に黒ずみ、歩くとキイキイ音を立てる板張りの床と相まって、見事なまでにぼろさを醸し出している。
クッションがあまり効いていないベッドの上で身を起こすと、ロマリオは隣のベッドで寝ているエセスへと視線を向けた。
その容姿は、現実世界でのエセスの容姿とは全く異なるものだった。敢えて共通点をあげるなら、どちらもかなりの美形――というより可愛いというべきだろう――ことと、やたら背が低いということだろうか。
そんなエセスの寝顔にしばし見入った後、ロマリオは窓にかけられたカーテンへと視線を向けた。
外は既にほんのりとだが明るくなってきていた。エセスの寝顔が見えたのも、そのおかげらしい。
どうやら今から寝直すには少々時間が遅いらしいと考え、ロマリオはベッドから出た。そのまま、窓際へと向かってカーテンを少し開けて外の様子を窺ってみる。
勿論、何かあるわけでもない。敢えて言うならひどい雨が降り続いている事くらいだろうか。昨夜から降り始めた雨は、どうにもやむ気配がなかった。その五月蠅い雨音のせいでロマリオの目は覚めたのかも知れなかった。
それはさておき、ロマリオが目覚めてすぐに外の様子を窺ったのは、単に現実世界での癖が抜けていないだけだった。現実世界に戻ったときのことを考えると、抜けていると困る癖なので、直す予定はどこにもないのだが。
カーテンを閉じたロマリオは室内に戻ると、エセスに毛布をかけ直し、自分はさっさと着替え始めた。
しばらくこれといった予定は入っていないのでこの静かな街で数日過ごす予定だったが、外はあいにくの雨。
(どうにもついてないっていうか、ちょっと気が滅入るね)
雨音を聞きながらロマリオはそう思った。
予言者から、しばらくしなくてはならないことはないと告げられ、事実上の休暇をもらったロマリオの、ある朝の出来事だった。
これにて第九章も無事?終了です。
なんか、ペース配分を間違えた箇所がある気がしますが……。
さてはて、レックはいつ合流できるのか。
そして、最近一話あたりの文字数が減っているのはどうにか回復するのか?
……こほん。話が逸れました。
ストーリー上、登場人物達にやってもらわないといけない事がたくさんあります。にもかかわらずこのペース。これ、あと一年くらいは終わらないんじゃないかしらん。。
さて、十章ではレックを捜して蒼い月のメンバーがユフォル方面へと戻ります。その頃レックは……