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ジ・アナザー  作者: sularis
第九章 生き別れて
89/204

第九章 第七話 ~蒼い月、再び~

夜。既に昼間の熱気も抜けた時刻。

 軍のキングダム本部で酒を飲んでいる者たちがいた。レインとホエールである。

 二人は精鋭部隊をいつ動かすかについて話していた。

「周りは明日にでも動かせって感じだけどな。お前はどう思う?」

「無理無茶無謀だね。もうしばらくちゃんと準備しないと、無駄な被害が出るだけだよ」

「やはりそうだよな。仕方ない、もうしばらく何とか抑えるか」

 そう言ってぐいっとグラスを傾けたレイン。その様は飲まなきゃやってられないと言った感じである。

 それがよく分かっているホエールは、レインの飲み方を止める事はせず、代わりに今後為すべき予定を口にする。

「とりあえず、探索の仕方や野宿の仕方、警戒の仕方なんかの基礎は何とか仕込めたけど、まだまだ物足りないかな。今のままだと場所によっては半分以上帰ってこないとかありそうだし。それに分かってる範囲でのエネミーの情報だね。特殊攻撃とか知らずに立ち向かわせるのは、死ねと命令するようなものだものね」

「ああ、そうだな」

 不機嫌そうにグラスに酒をつぎ直すレインを見ながら、ホエールはもう1つ思い出した事を付け加える。

「そう言えば、マジックアイテムが実在したらしいよ」

 それを聞いたレインは、口元に近づけていたグラスをぴたりと止めた。

「……なんだと?」

 剣呑な視線で睨み付けてくる友人に苦笑しながら、ホエールは言葉を続けた。

「まだ確認されてるのは貧弱な効果しかないんだけどね。それでも、少しは戦力の底上げが期待できそうなんだ。必要な数が揃うまでちょっと時間がかかりそうだから、レインにはそれまで粘って欲しいかな」

「俺が聞きたいのはそういう事じゃない。マジックアイテムが見つかったってのはどういう事だ?」

「蒼い月の情報だよ。作成法が実在したらしい。今のところ作れるのはマージンだけだし、覚え立てで大した物は作れないって言ってたよ」

「覚えたって……どこでだ?」

 レインはそう言いながら、グラスをテーブルの上に置いた。

「勿論、ロイドのところだってさ。ただ、マージンと同じ方法で習得するのは多分不可能だろうってグランスは言っていたね」

「どういうことだ?」

「祭壇が必要らしいんだ。でも、その場所までサークル・ゲートで移動したらしくて、場所がどこなのかはさっぱり分からないって」

「なるほどな……。となると、マージンには頑張ってもらわないといけないな」

 そこでホエールは表情を歪めた。それに気づいたレインはホエールに訊いた。

「どうした?」

「いや、ね……」

 そしてホエールはレインに蒼い月の状況を説明する。

「そうか。蒼い月はそんなことになってたんだな」

 一通り説明を聞いた後のレインは、すっかり酔いも覚めた様子でそう言った。

「そうだよ。僕も驚いた」

「で、彼らは冒険者家業を続けるつもりなのか?」

「微妙なところだろうね。仲間を失うってのは決して小さい事じゃない。確かにレックを失った彼らは戦力としては大幅に弱体化したわけだけど、それでもまだまだそこら辺の冒険者よりはよっぽど強い。個人的には引退はして欲しくないけど……」

「無理強いは出来ないな」

 レインはそう言うとため息を付いた。

「全く、誰も彼もが身近な誰かを失っていって……終わりが見えないな。忌々しい」

「でも、だからこそ力一杯生きていかないといけない。生きて戻るためにね」

「ああ、分かってる」

 そう言って、レインは再びグラスを手に取り、そこでふと何かに気づいたように手を止めた。そして、心に浮かんだ疑問をホエールにぶつける。

「そう言えば、レックが死んだのを蒼い月はどうやって確認したんだ?」

「崖から落ちたって言っていたね」

「それだけか?」

 レインのその言葉に、ホエールもレインの気づいた事を察した。

「確かに、端末での確認はとったとは聞いてないね。まあ、結果は変わらないだろうけど、そうだね。今度人をやって確認させてみるよ」

「ああ、ダメ元だ。だが、期待させるような事だけはするなよ。酷だからな」

 そう言うと、レインは再びグラスの中身を大きく(あお)った。

 それに負けじとホエールも杯を重ねていったのだった。おかげで、翌朝には何を話していたのか二人とも覚えていなかった。



 レックを失った蒼い月一行がキングダムに戻ってから、早くも一月が過ぎようとしていた。

 グランスたちは何度か話し合ってみたが、未だに今後の方針について結論が出ていなかった。

 座して待っていては魔王が倒されるのはいつになるか分からない。その事実は6人全員の共通認識になっていたが、問題はそこから先である。

 これ以上仲間を失う危険を冒すべきか否か。それに尽きる。

 魔王を倒そうとすれば、この先も仲間を失う危険は付きまとう。それが怖くて誰も強く旅を続けるべきだと主張できないのだった。

 おまけに、2年近くも限りなく現実に近くなってしまった仮想世界で生きていると、あの現実世界は夢か何かだったかのような感覚すら生まれつつあり、余計に魔王を倒してジ・アナザーから脱出するのだという意識が薄くなっていた。

 小説などにあるファンタジーに出てくる魔王なら、じわじわと世界を征服するなり破壊するなりの目的のために行動するから、もっと危機感があったりするのだろう。だが、所詮ゲームのキャラクターで、まさか本当にそんな事が現実にならないだろうという無意識の楽観的観測のため、手が届く範囲だけでも平和ならそれでいいかもという惰性が生まれているのだった。

 実は冒険者による各地の探索が進まない理由の1つが、この問題だったりする。大陸会議もこの問題には頭を悩ませているのだが、各地の治安を取り戻し、時折発生する魔物の襲撃を除けば各地の街に十分な安全を保証してしまったが故に、閉じ込められた者たちの大半が危機感を失ってしまっていた。

 話は逸れたが、そんな訳で結論を出せないまま、蒼い月はだらだらとキングダムに居座っているのだった。

 尤も、だらだらと居座っているからと言って、無為に日々を過ごしているわけではない。


 場所は冒険者ギルドの訓練施設。

「せいっ!はあっ!」

 掛け声と共に巨大な戦斧を振っているのはグランスである。

 どれほどの時間そうしているのか、それとも暑くなってきた気温のせいか。

 グランスが戦斧を大きく振るたびに、服を脱ぎ捨てた上半身から汗が飛び散っていた。

 旅に出るかどうかは分からないが、いざというとき仲間を守るための力だけは鈍らせるわけにはいかない。そのため、ギルドでクエストを受けて生活費を稼ぐ傍ら、こうして暇を見つけては身体を鍛え続けていた。

 小一時間、満足するまで戦斧を振った後は、装備を換えて他の冒険者たちとの模擬戦である。対人経験しか積めないが、一人で武器を振っているとどうしても型を繰り返す事しかできないのだ。

 尤も、この日の相手はいつもの格下相手ではなかった。

「なんだ。今日はクライストか」

「まあな。他の冒険者たちじゃグランスの相手はきついらしいぞ。ギンジロウからクエストとして依頼されたくらいだからな」

 苦笑しながらのクライストの言葉に、グランスも苦笑するしかなかった。

「じゃあ、当分俺の相手はお前って事か?」

「いや。マージンやディアナも来る事になってる。それとリリーも来るはずだぜ。魔術相手の訓練も役に立つだろ?」

「ああ、そうだな。まあ、避けるだけになりそうだが」

 まさかリリー相手に攻撃を仕掛けるわけにもいかない。となると必然的にそんな訓練になりそうだった。

「だよなー。俺もリリー相手の訓練予定を詰め込まれたけどさ、多分そうなりそうな気がするぜ」

 そう言いながらクライストはぐるぐると肩を回し、グランスの前に立った。

「じゃ、始めるか?」

 クライストのその言葉にグランスが頷き、二人の模擬戦が始まった。

 模擬戦という事で、グランスの武器は先ほどまでの巨大な戦斧ではなく、バスターソードになっていた。戦斧だと相手が受け損ねるとそのまま大けがをしかねないからである。ちなみに、空いた左手にはバックラーを持っていた。

 対するクライストの武器はナックルである。銃を使わないのはグランスが戦斧を使わない理由と同じで、模擬戦では威力がありすぎるからである。尤も、最近のクライストは銃よりもナックルでの近接戦の訓練を好んで行っていたが。

 ちなみに二人とも、上半身を覆うプレートメイルを身に纏っている。いくら模擬戦で刃を潰した武器を使うとはいえ、勢いよく振り回される武器が身体に当たっては大怪我をしかねないからだ。ただ、二人とも身体の動きを邪魔するような防具は基本的に使わないため、腕や足にはせいぜい革製のプロテクターを付けているだけである。

 尤も、万が一怪我をしたなら、今日に関してはクライストが治癒魔術を使えばいいだけなので、二人とも防具に関してはあまり気にしていなかった。

 左手の盾を身体の前に押し出し、右手の剣は少し引き気味に構えるグランス。言うまでもなく、防御を意識した構えである。勿論、だからといって攻撃力がないわけではない。むしろ、実戦時には鍛え上げられた肉体が身体強化で更に強化され、そこから生み出される破壊力は中堅程度のアタッカーのそれをも上回る。

 その防御重視の構えを前にして、クライストは攻めあぐねていた。そもそも体格からして、グランスの方がリーチが長い。加えて、グランスが構えている剣の分だけ、クライストは射程という点でハンデを背負っているのだった。

 だが、実戦でもそれは同じ事。

 クライストはそう割り切ると、じりじりとグランスとの距離を詰め始めた。防御型のグランスは、基本的に先に動く事はないと知っているからだ。

 そして、一足飛びにグランスの懐へ飛び込める距離にまで近づいたとき、クライストは一気に動いた。

 身体を低くして、グランスの右手から飛び込んでいく。

 勿論、グランスはバックラーでクライストの進路を塞ぎにかかった。その傍ら、右手の剣を突き出す準備も忘れていない。

 進路をバックラーに塞がれたクライストは、慌てる事もなく今度はグランスの左手に回り込み、そして鋭い突きを繰り出した。

 が、冷静に見極めたグランスは肘のプロテクターでそれをあっさりと受けてしまった。互いに身体強化を使っていない状態であれば、問題なく受けられると判断しての事である。

 グランスはすかさず右手の剣を肘の下からクライストめがけて突き出すが、一撃離脱を旨とするクライストは既に射程圏外へと抜け出していた。

「相変わらずすばしっこいな」

「グランスこそ、相変わらず馬鹿力だな。こっちの手の方が痺れたぜ?」

 そう短く感想を述べあった後、再びクライストから距離を詰める。

 今度のクライストの狙いは盾よりも更に下。グランスの足だった。

 その狙いをすぐには読めなかったグランスは盾でクライストの突進を止めようとして、逆に自らの視線を塞いでしまっていた。

 その隙に大きく身をかがめたクライストは、グランスの足を刈りに行く。

 だが、

「ちっ!」

 グランスの足を完全に刈りきれず少し動かすに終わってしまった。むしろ、クライストの方がバランスを崩しかけ、そこにグランスが剣を叩き付ける。

 が、横に転がるようにしてクライストはそれを躱した。ついでに盾を蹴りつけ、グランスから距離をとる。

「う~ん。やっぱ、その体格は反則だぜ。体重だけでこっちの攻撃の威力が半減してるじゃねぇか」

「かといって、身体強化ありだと流石にまずいだろう?」

 頭をかきながら文句を言うクライストに、グランスはそう返した。ホエールほどの技量があればいいのだが、自分たちの技量では何かの拍子に互いに当てかねないと分かっているのだ。

「まーな。だけど、俺じゃグランスの相手には向かねぇな。刃物ならグランスも避けようとするだろうけどさ。拳やら蹴りやらじゃな」

 クライストの言葉に自分のさっきまでの対応を思い出し、グランスは軽く頷き、

「だが、エネミーの中にも単なる打撃で攻撃してくるものもいる。そういった意味では、俺としては訓練になってありがたいが」

「でも、俺の方の訓練にはなってない気がするんだよな」

 それは流石に何とも言えないグランスだった。



 一方でマージンはと言うと、軍本部に併設された工房と公立図書館を往復する日々を送っていた。軍本部の工房を利用させてもらう条件は、グランスに渡したような筋力や敏捷性を少しでも引き上げる腕輪系アクセサリの製作だったりする。

「う~ん……」

 この日は図書館で写してきた資料を片手に、ホエールから独占使用を許可された軍本部の工房の一室に籠もっていた。

 その横には冒険者ギルドから派遣されてきた少年細工師が一人ついていた。身長150cm未満の身体にぶかぶかの作業着を着込んだ姿がアンバランスなまだまだ幼さの残る外見だが、例によって中身は見かけよりも遙かに上である。

 その証拠に、ふわふわの髪と同じダークグレーの瞳をマージンに向け、じっとマージンが抱えている問題が解決するのを待っていた。

 ちなみに今抱えている問題というのは、

「ステーブルをもーちょい安定させへんと、倉庫どころかアイテムボックスにすら入れっぱなしにできへんのに……」

 要するに、割と安定しているはずのステーブル型のマジックアイテムだったが、数日ほど放置するだけでマジックアイテムとしての性能が消えてしまう問題だった。

「原因はもう分かっとるんやけどなぁ……」

「刻みつけた魔力回路それ自体を保持する魔力の枯渇ですよね?」

 助手と言うより見習いとして付けられた少年の確認にマージンは頷いた。

「そや。ステーブル型は魔力で魔力回路を作り上げる方式やからな。いくら回路の維持に必要な魔力が微々たるもんや言うても、空っぽになってもうたら意味あらへん。かといって装備しとる時間が長いもんなら兎に角、人の手から離れとる時間が長いやつやと、使用者から魔力を受け取る事もできんしなぁ」


 マジックアイテムを使用する場合も術式という名の魔力回路は欠かせない。その魔力回路がアイテムの中にあらかじめ用意されており、マジックアイテムとして使うときにはそこに魔力を流し込む様式なのである。

 マージンが祭壇から得た知識では、その魔力回路をアイテムの中に構築する方法は2つあり、ステーブル型では魔力そのものを使って魔力回路を構成するのである。

 この魔力回路を構成・維持するための魔力は、装備者が無意識のうちにごく少量ながら垂れ流しにしている魔力を回収してまかなっている。そのため、使用者の手から離れて時間が経過すると魔力回路が消えてしまうのだった。


「パーマネント型はダメなんですか?」

 少年の言葉にマージンは首を振った。

「構造も作り方も知っとるけどな。あっちはもっと問題が多いんや。ぶっちゃけ、現時点では作る事すらできへん」

 その言葉通り、マージンがロイドの元で試作したマジックアイテムも全てステーブル型だったりする。

「どんな問題があるんですか?」

「まずは材料やな。魔力伝導率が異なる素材の組み合わせで作成するんやけど、伝導率が近いとうまくいかへん……らしいんや」

 祭壇からの知識を元に説明するマージン。

「んで、もう1つの問題が厄介なんや」

「そんなに厄介なんですか?」

 首を傾げる少年の様子に、よくこれでショタコンの餌食にならへんかったななどと関係ない事を考えながら、マージンは頷いた。

「パーマネントでは魔力回路を製造段階で物理的に組み込むわけやけどな。その難易度がなぁ……。歪んどったらそれだけで術式としてアウトやからな。最初に形を作るときもやけど、内部に埋め込んだ後の処理工程で歪んでもアウトなんや。でも、そうなったら目では見えへんやろ?」

 マージンの言葉を何となくだが理解できた少年は頷き、

「なんか、不可能な気がしてきました」

 その後いい事を思いついたように顔を輝かせた。

「アイテムの表面に魔力回路を書けばいいんじゃないんですか?」

 しかしマージンは首を振った。

「小説とかで出てくる呪術師が使うとる使い捨ての符ならそれもありやろけどな。表面に書くだけやと、摩耗やら何やらであっさり魔力回路が壊れてまう。そこに下手に魔力流し込んでみ?最悪暴走して爆発や」

 その様を想像した少年はブルブルッと身体を震わせた。

 その様子を見たマージンは、これ以上工房に引きこもっていても解決策は分からないと判断して立ち上がった。

「ちと図書館行ってくるわ。腕輪の原型制作は任せるで」

「分かりました!行ってらっしゃい!」

 元気よく返事をした少年に見送られ、マージンはよたよたと公立図書館へと向かったのだった。



 さて、そのマージンが向かった先の公立図書館では、蒼い月の女性陣が調べ物をしていた。

 ミネアの体調も戻ってきたので宿でじっとしている必要がなくなったが、キングダム近郊のエネミー退治のクエストをこなして生活費を稼げるほどでもない。そこで調査結果を可能な限り冒険者ギルドに報告する代わりに、賃金をもらって地下書庫の本の解読を行っているのだった。

 尤も、戦闘能力を有するディアナとリリーはちょくちょくエネミー退治の依頼も受けていたりするので、こうして女性陣が3人とも揃っているのは珍しかったりする。

「う~、あたしの英語の成績って知ってる?」

 薄暗かった地下書庫に持ち込まれた頑丈な燭台の明かりの下、解読作業に疲れたリリーが、やはり新しく持ち込まれた広めのテーブルの上に突っ伏した。

「知るわけが無かろう。おぬしが自分の成績を全世界に向けて公表する趣味でもあったなら別じゃがのう」

「ぎゃふん」

 ディアナにばっさりと切り捨てられたリリーが漫画のような声を出した。その様子を微笑ましくミネアが見つめている。

「まあ、辞書片手の翻訳作業にも慣れたとは言え、大変なのは認めるがのう」

 ちょうどいい休憩だとばかりにディアナも手を止めた。ディアナはリリーと違って英語は苦手でも何でもなかったが、読み方すら分からない言語の翻訳となると話は別だった。

「マージンならこういう作業得意かも知れませんね」

 バイリンガルどころじゃないマージンの言語能力を思い出し、ミネアがそう言った。

「あー、あれってすごいよね~」

 マージンの話のせいか、がばっとリリーが身を起こした。

 それに内心苦笑しながら、ディアナが、

「全くじゃ。どこでどう育てばああなるのか。興味がないと言えば嘘になるのう」

「え?ディアナ、ひょっとして……」

「何を勘違いしておるか。あやつに異性としての興味はないわ」

 リリーの勘ぐりをばっさりと切り捨て、ディアナはフンと鼻を鳴らした。

 そのことにあからさまに胸をなで下ろすリリーの様子に、ディアナとミネアは互いに顔を見合わせ、微笑んだ。そして、ミネアがディアナにこっそりと耳打ちする。

「ちょうどいい機会ですし、はっきり訊いてみませんか?」

「む。確かにそれは面白そうじゃのう」

 ディアナはにやりと笑うとリリーに声をかけた。

「のう、リリー」

「え?何?」

 きょとんと首を傾げるリリーの様子は大変愛らしく、これで何故マージンがああしていられるのか不思議に思うディアナであったが、今はそれはさておき。

「おぬし、マージンの事、好きじゃろう?」

 ピシリっと音がしそうな勢いで、リリーの動きが止まった。

 面白そうに見ているディアナとミネアの目の前で、完全に動きを止めたリリーの顔がみるみるうちに赤くなり、

 コンコン。

 誰かがドアをノックしたかと思うと、ガチャリと扉が開いた。

「なんかええ本見つかったぁ?」

 姿を見せたマージンに、今度は部屋全体が固まった。

「どうかしたんか?」

 女性陣の様子にマージンが首を傾げた。

 それに対して真っ先に再起動して応答したのはやはりディアナだった。

「マージン、女性しかおらぬ部屋に入るときは、返事を待つものじゃろう!」

「ん?そうなんか?」

 が、今日に限ってマージンはディアナの強気な台詞を気にした様子もない。それどころか、

「なんか、リリーが真っ赤何やけど……風邪でもひいたんか?」

 女性陣が気づいて欲しくない事に気づく有様だった。

 そして次の瞬間、リリーが湯だちすぎて倒れる前に、

「……マージン。おぬしはそう言うところがデリカシーがないと言うんじゃ!」

 ディアナの教育的指導という名の拳が、マージンの意識を刈り取った。

 ちなみに、意識を取り戻した後のマージンは何も覚えていなかった事を付け加えておく。



 そんなある日。

「ん。ホエールやん。久しぶり~」

 見習いの少年を連れたマージンは工房へを向かう途中、軍本部の中で部下を連れたホエールを見つけてそう片手を上げた。

 ホエールも足を止め、マージンが来るのを待っていた。

「ああ、久しぶりだね。なんか、同じ建物にいるのにさっぱり会わなかったね」

「そやな。まー、それだけ互いに忙しいってことやろな」

 そう言いながら雑談を始めるマージンとホエールに、二人の、特にホエールの部下達が顔を顰めた。だが、マージンが作り続けているマジックアイテムの事もあり、多少は容認する事にしたらしい。

 そんな周囲の様子を気にする事もなく、久しぶりに会ったマージンとホエールは互いの近況を軽く説明しあった。

 その途中、ホエールは何かに気づいたようにぽんと手を打った。

「そう言えば、今思い出したんだけど、ちょっと端末のチャット画面見せてもらえないかな?」

「ん?構わへんけど、誰かになんか用でもあるんか?」

 そう言いながら個人端末を取り出し、マージンはホエールに頼まれた通り、クランチャットの画面を出した。

 その画面のクランメンバーのリストに視線を走らせたホエールの表情が一変した。

「マージン、ここでぼーっとしてる場合じゃないよ」

「へ?」

 がっしと肩を掴まれ、軽く混乱しているマージンを放置し、ホエールは部下とマージンの見習いの少年に向き直った。

「僕と彼には急用が出来た。それが済むまで他の仕事は全てお預けだ。それと、蒼い月の者たちがすぐに来るから、彼らが来たらすぐに僕の部屋に連れてきて」

 有無を言わせぬ勢いでそう命令すると、ホエールはマージンの腕をがっちり掴み、自分の部屋へと引きずっていった。

「んで、ここに引きずり込まれた理由は聞かせてもらえるんやろな?」

 ホエールに言われ、蒼い月の仲間達にすぐに全員ホエールの所に来るように連絡したマージンは、無理矢理連れてこられた割に落ち着いた様子でホエールにそう訊いた。

「そうだね。二度手間になるかも知れないけど、マージンにだけでも先に話しておいた方が楽だろうね」

 背の低いテーブルを挟んでソファに座っていたホエールはあっさりと頷いた。

「とりあえず、さっきの行動の意味と、それからこうしてマージンを連れてきた理由を言うよ」

「先に理由を言わへんのは何でや?」

「その方が話が良く頭に入ると思うからだよ。ああ、ちなみに悪い話じゃないから、そこだけは落ち着いててくれたらいいよ」

 冷静ではあるが警戒感むき出しのマージンの様子に、ホエールは慌ててそう付け足した。

「まあ、分かったわ」

 マージンはというと、余計な事を訊いても話が遅れるだけだと察したのか、そう身を引いた。

「なら、端末を見せてもらった件からかな。僕が見たかったのは、クランチャットに表示されるクランメンバーのリストなんだ」

「つっても、新規加入はおらへんし、もう知っとる名前しか載っとらんかったやろ?」

「そう。そして、ここが重要なんだけど、知ってる名前が消えてもいなかった」

 その言葉の意味をマージンはすぐに理解できない様子だった。

 これ幸いと、ホエールは説明を続ける。

「君たちは知らないだろうけど、クランメンバーのリストで、あることが確認できるんだよ。軍ではそれを利用してメンバー管理をしてる」

「あること?」

「そう。メンバーリストは現在クランに属しているメンバーの名前しか表示されない」

「ああ、それは知っとるで」

「だろうね。では、死亡したメンバーはどう扱われるか。知ってるかい?」

「いや……」

 マージンの言葉は途中で途切れた。代わりにみるみるうちに驚愕がマージンの表情を支配した。

「まさか……」

 かろうじてはき出された様子の言葉を、ホエールは頷いて肯定した。

「レックが死んだのなら、レックの名前はリストから消えるはずなんだ。でも、名前が残ってた。つまり……」

「レックは生きとる……」

 部屋の中にマージンの言葉だけが響いた。



 数日後、多くの人で賑わうキングダムの東門で馬車に乗り込む蒼い月一行の姿があった。

 言うまでもなく、レックを捜すためである。

 マージンの硬直がまだ解けきらないうちにホエールの部屋に集まった蒼い月は、レックの生存を知らされて大いに動揺し、驚喜し、涙した後、ホエールの前で早速話し合いを始め、すぐにキングダムを出てレックを探しに行く事を決めた。

 レックの生存に驚いたレインやギンジロウもそのことをすぐに快諾した。有力な冒険者パーティが立ち直るのは喜ばしい事だったからだ。

 ただ、問題もあった。マジックアイテムの製造である。

 マージンだけは引き留めたいという意見が、マジックアイテムの件を知らされていた各所から出たものの、「レックが気になってまともなもん作れへん!」というマージン本人の叫びの前では無力だった。

 代わりに出発の準備が整うまでの数日間、見習いに来ていた少年に徹底的に筋力増加の腕輪の作り方を教える事で妥協が図られた。そして連日連夜の徹夜の末、厳しい選抜を勝ち残ってきた少年が見事腕輪の制作に成功したのが今朝の事だった。


「これで心置きなく、レックを探しに行けるな」

 ここしばらくなかったほど生き生きとしている様子の仲間達に、嬉しそうにグランスがそう言った。

「もう十分待ちくたびれたがのう」

「いや、レックはもっと待ってるぜ。再会したら、怒られるの覚悟しといた方がいいだろうな」

 馬車の状態を確認し終わったディアナとクライストも、明るい表情でそう軽口を交わした。その様子を見ているリリーとミネアの表情も明るい。

 ちなみに、マージンは馬車の中に(しつら)えられた寝床で爆睡している。

 そんな蒼い月の様子を見ていたホエールとギンジロウが、口を開いた。周囲の目を気にしてか、軽くフードで頭を隠している。

「僕も彼が生きていたのは嬉しいよ。次に君たちが戻ってくるときには全員で戻ってきて欲しい」

「そうだな。出来れば、この数ヶ月どうしていたのか、聞いてみたいしな」

「ああ、そうだな。だが、忙しい中わざわざ見送りに来てもらって悪いな」

 グランスがそう答えると、ホエールは声を潜めて、

「気にしないで欲しいな。実のところ、数週間前にレインに君たちの端末を確認してみたらとは言われてて、すっかり忘れてたんだ」

 事もあろうにこんなタイミングでのカミングアウトに、グランスは怒るべきか呆れるべきか、一瞬判断が付かなかった。

「ああ、それでわざわざ馬車を用意したんだな……」

 小声だったにもかかわらずしっかり聞いていたギンジロウは、隣で呆れていた。

 グランスとしても、いくら遅れたと言ってもホエールの指摘が無くてはレックの生存を知る事は出来なかった事に代わりはなく、結局深々とため息を付いたのだった。

 それからも別れの挨拶を交わしていた3人に、御者台から声がかけられる。

「おーい、そろそろ出発するぜ!」

 クライストの声に、

「帰ってきたら、レックに締めてもらうからな」

 グランスがそう言い、

「ああ。覚悟して待ってるよ」

 ホエールがにこやかにそう返した。

 そして、グランスも御者台に乗せた馬車が出発する。

 ホエールとギンジロウはそれが人々の向こうに見えなくなるまで見送ると、次の時はいい知らせが聞ける事を期待しながら、それぞれの仕事に戻っていった。




 蒼い月の一行が旅立った数日後。

「う~ん、一体何がどうなってるんだ……」

「あたいに訊かれてもねぇ。むしろこっちが訊きたいくらいだよ」

 ここは大陸会議本部の隣にあるふたこぶらくだ本部。その居住区にある部屋の1つ。

 厳つい外見のパンカスの言葉に、着物を色っぽく着崩したケイが答えた。

 この二人、ここしばらく会議に全く顔を見せないどころか自分の居室から出てくることすらなかった部屋の主を心配して、仕事が終わってから様子を見に来たのである。

 さて、二人の視線は部屋にもう一人いる人物――ピーコの腹部へと向かっていた。もしここにマージンとリリーがいたなら、自分たちが見たあれが目の錯覚ではなかった事を知っただろう。

「……食べ過ぎで太ったって事はないのか?」

「それにしちゃ、あまりに脂肪が一カ所に集まりすぎてやしないかねぇ……」

 さんざんな言われようであるが、ピーコは何も言い返そうとはしなかった。

 話には聞いていたが眉唾物だろうと思っていたことが自分の身に起こっているのである。それが信じられなくて、しかし今の姿を人にも見られたくなくて引きこもっていたくらいなので、多少のことを言われたところで言い返せるほどの心の余裕がないのであった。

「それで、あなた達から見て、これはどうなんですか?」

 既に一通りの説明を終えていたピーコは、いい加減結論を聞くべく、二人を急かした。

 しかし、

「いや……うん。まあ、そういう事なんだろうな」

「あたし達に聞かなくても、十分分かってるんじゃないのかい?」

 二人ともそのことを自分の口から言いたくないのか、答えるのを避けた。

 尤も、答えを聞くために二人を部屋に入れたピーコには、答えの先送りを認めるつもりなど無い。

「自分ではっきりと認められるくらいなら、あなたたちに聞いてなどいません。さあ、はっきり言ってください」

 そう、大きくなったお腹をかばいながら、ずずいっと答えを濁そうとする二人へと詰め寄った。

「いや、でもなあ……」

 それでも言葉を濁そうとするパンカス。一方のケイは腹をくくったらしい。

「あー、ならはっきり言うよ。言えばいいんだろ」

 そう言うと大きく息を吐いて、吸って、もう一度吐いて、吸って、十分に間をためた。

 そして、

「今のあんたはどっからどう見ても妊婦だよ!」

 そう絶叫したのだった。


 そんな一幕があったことなど、当人達以外知る由もない。例え、大陸会議の他のメンバーであってもである。


 それはさておき、はっきりと他人に言われたことで、ピーコは自らの正気を確信した。一方で、現在の状況については、もはや理解できそうにもないと確信していた。

「……はっきり言って、イデア社が何をしたいのかさっぱり分かりません。理解の範囲外です」

 部屋の棚から出してきた酒をちびちびやりながら、ケイ相手にそう愚痴っている。

 ちなみにパンカスはとっくの昔にそそくさと逃げ出していた。

「あー、その気持ちはあたしもよく分かるよ」

 ケイは絡み酒を始めたピーコを宥めようとするが、

「それは嘘です。今の私の気持ちは、同じように妊娠した人にしか分かりっこありません」

 ばっさりである。

「大体、これは気持ち悪いとしか言いようがありません。時々動くんですよ?お腹を蹴られてると分かるんですよ?」

「うへ、マジかい?」

「おおマジです。こんな事で今更嘘なんか吐きません」

 そう言いながら態とらしく自分の身体を抱え、ブルブルッと震えて見せたピーコの気持ちが、今度はケイにもよく分かった。

 仮想現実で妊娠などあるはずがない。そのあるはずがない現象が起きていて、自分のお腹の中に正体不明の何かが入っているなど……どう考えても、怖気しか誘われなかった。

「正直、これを排除できるものなら排除しようと思いました」

 それを聞いたケイは、そんなことをして大丈夫なのだろうかと思った。尤も、同じ頃はピーコも考えたからこそ、目の前の光景があるのだろうが。案の定、

「でも、下手に排除しようとしたら、もっと酷い事が事が起きそうな気がするんです。それに……」

「それに?」

 ケイはそう聞き返したが、ピーコはそこで貝のように口を閉ざしてしまった。

 ピーコが何を言おうとしていたのか気にならないと言えば嘘になるが、酔っぱらい相手に無理をする気もないケイは、酒を一口すするとピーコが話す気になるのを待つ事にした。

 だが、次にピーコが口にしたのはケイが期待していた事とは違っていた。

「……私はこの世界がもはや仮想世界じゃなくなってるんじゃないか。そう考えているんですよ」

 それを聞いたときのケイとパンカスの表情は、誰一人見ていなかったのだった。




 そんな一幕を、馬車で先を急ぐグランスたちは勿論知らない。

 朝早くから降り始めた雨の中、今日も前へ前へと進んでいた。

「雨は流石に大変だな」

 御者台でフードを深く被ったグランスがそう独りごちる。雨に濡れるのは一度に一人で十分だという事で、今日は御者台に一人しか座っていないのだ。

「ん?」

 激しくなってきた雨の中、鉄蹄の音が前方から聞こえてきた。

(こんな日に旅をする奴らが他にもいるんだな)

 グランスが変な事に感心していると、間もなく2騎の騎馬の姿が見えてきた。雨を避けるためだろう。騎手達はグランスと同じように深くフードを被っており、すれ違ったときでもその顔を見る事は出来なかった。


「こんな日に旅する変わり者が他にもおるみたいじゃのう」

 グランスが耳にした鉄蹄の音を馬車の中で耳にしたディアナが、そう呟いた。

 激しい雨が馬車の屋根を叩く音はかなり五月蠅い。とは言え、近づいた鉄蹄の音は十分聞き取る事が出来るものだった。

「やな。どんな連中やろ」

 そう言いながら、マージンは馬車の後部の幌を少しだけ開けて外を覗いた。

 ちょうど、馬車とすれ違った2騎の騎馬の雨にかすむ後ろ姿がマージンの視界に入り、そして次の瞬間、消えた。

 勿論、既に距離が空きつつあった騎馬の姿は視認する事も難しくなりつつあった。だが、注意してみていればそれが雨の向こうに消えたのではなく、文字通り消えたのだと分かっただろう。

 果たしてマージンはそれに気づいたのか。あるいは全く驚かなかった所から見て、気づかなかったのかも知れなかった。

 ただ、騎馬の姿を見失ったマージンはゆっくりと幌を閉じたのだった。

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