第九章 第六話 ~キングダムに戻って~
レックがサビエルと共にシャックレールを発った日から、時間は数週間ほど戻る。
レックを失った(と思っている)蒼い月の一行は、馬車を乗り継いでやっとの事でキングダムに戻ってきていた。
だいぶ立ち直ってきたものの、まだまだどこに行ってもレックの不在を感じてしまう一行は、キングダムに戻ってきてすぐに確保した宿の部屋で潰れていた。これが数週間前なら原因の大半を精神的なものが占めていたのだろうが、今、彼らが潰れているのは単なる肉体的な疲労によるところも大きかった。
ただ、それでも立ち直りには個人差があり、精神的に一足早く立ち直ったマージンは他の仲間達と同じように疲れているはずなのだが、まだ動けるだけの余裕があったらしい。
「とりあえず、ホエールんとこに顔出してこよ思うけど、誰か一緒に行く?」
「……そうだな、一緒に行こうか」
マージンが同室の男性陣にそう声をかけると、グランスが起き上がった。
クライストはベッドに顔を埋めたまま、
「悪いけど、俺はパスな。やっぱ、馬車での移動はきついわ」
と右手だけを振っていた。
男性部屋を後にしたマージンとグランスは女性陣にも声をかけたが、キングダムに戻ってくるまでも時々吐いていたミネアは体調が良くないとかで、宿に残ることに。ディアナもミネアに付いていると言って宿に残ることになった。結果、マージンとグランスにリリーも加えた3人だけでホエールがいるはずの建物へと向かうことになった。
ホエールの所へと向かうのは挨拶と近況報告のためである。が、これは別に義務でも何でもない。冒険者は受けたクエスト以外についての報告の義務など一切負っていないのだ。そもそも、報告の義務があったとして、その対象は冒険者ギルドになるのだが。
「キングダムはいつ来ても賑わっとるな」
宿を出て、キングダムのメインストリートを歩きながら、マージンが感慨深げにそう言った。
どうにも最近、大きな街に人口が集中する傾向があるらしく、キングダムに戻ってくる途中に通ったいくつかの街では明らかに活気が失われつつあった。そのせいで、余計にキングダムの人の多さが身にしみるのだろう。
マージンが横を見ると、宿で少し休憩を取っただけにしては随分顔色が良くなったグランスとリリーがいた。
「これなら、他の連中も連れてくるべきだったか?」
「それは無理かも。ミネアとかホントに疲れて果ててたし」
それを聞いたグランスは自分は宿に残るべきだったかと思ったりしたが今更である。それに、ミネアにはディアナもついているのだから、ミネアを優先して蒼い月のリーダーとしての役目を放り出すわけにもいかなかった。
「そうだな。ならせめて夕食だけでも外で食べるようにしてみるか」
春と言うには少しばかり暑く感じられる太陽を見上げながら、グランスはそう言った。
「そやな。一眠りしたら、それくらいの体力は回復するやろ」
そう答えたマージンの動きがぴたりと固まる。
「どしたの?」
リリーが声をかけると、マージンは目をごしごしと擦り、もう一度視線を元の場所へと向け首を捻った。
「いや、なんか、とんでもないもんが見えた気がしたんやけど……」
「とんでもないもの?」
「いや、気のせいかも知れへん。それに目の錯覚やなかったら……多分、近いうちにリリーも見かけるやろ」
マージンはキングダムに戻ってくる途中に聞いた噂を思い出しながら、そう答えた。
いつもならそんな答え方だとリリーの好奇心を刺激して逆に質問攻めにされるのだが、なんだかんだ言ってリリーもまだまだ本調子には遠いせいか、
「ふ~ん」
そう反応するにとどまった。
「それで、ホエールに報告したらすぐに戻るのか?」
リリーと同じようにマージンが見かけた何かを探していたグランスだったが、リリーとマージンの会話を聞いてあっさりそれは諦めたらしい。代わりにそんなことをマージンに聞いてきた。
「ん~、冒険者ギルドっちゅうか、ギンジロウに直接報告した方がええこともあるけどな」
マージンの言う、冒険者ギルドのマスターであるギンジロウに直接報告した方がいいこととは、幾つもある。と言うか、今回の旅の成果のほとんどがそうだとも言えた。
本来、些細なことならどこかの街の冒険者ギルドに報告すれば、そこからギンジロウや大陸会議にまで情報は伝わる。だが、その途中で多くの人の目に触れることにもなる。
今回蒼い月が得た情報は、魔術の祭壇の位置といいマジックアイテムの製作法といい、迂闊に拡散させるわけにはいかないものが多かった。いずれは知るべき者に知らせないといけない情報であるが、無闇に拡散すれば悪用されたり、マージンの身に危険が及びかねないとグランスが判断したのである。
「なら、行くのか?」
そう訊いてきたグランスの顔を一瞥し、マージンは首を振った。
「別に一日二日遅れたところで困る情報でもあらへんやろ」
それを聞いたグランスは複雑な顔になった。
本音を言えば、早めに宿に、と言うよりミネアの所に戻りたい。だが、重要な情報は早めに報告しておいた方がいいとも分かっているのだ。
そんな葛藤がグランスの中で巻き起こったが、それを冷静に決断できるのがグランスである。
「いや、少し戻るのが遅れるが、ギンジロウにも会っていこう。確かにもう2年近くも経っているし、今更一日二日急いだところで何かが変わるとは思えないが、その一日二日で助かる命もあるだろう?」
勿論、マージンもリリーもその判断には異を唱えなかった。が、
「なら、先にギンジロウの所に寄らへんか?ってか、そっちの方が近いしな」
ということで3人の予定は少し変わったのだった。
名前を告げるだけであっさりとギルド本部の奥にまで通された3人は、ギンジロウの書斎で机を挟み、ギンジロウと向き合っていた。
「久しぶりだな。いつ戻ってきたんだ?」
「今日だな。それで挨拶やら報告を兼ねて少し顔を出しておこうと思ってな」
グランスがそう答える傍ら、マージンが出された茶をすすっている。
その様子を見ながらギンジロウが、
「そうか。全員で来なかったのは……残りのメンツは宿か?」
そう言った瞬間、3人の動きが止まった。訊かれなくても話すつもりだったとは言え、やはりいざそのことに触れるとなると、多少の覚悟はいるのだ。
「……どうした?」
3人の様子をおかしく思ったギンジロウがそう訊ねた。
「……いや。今宿に残っているのは3人だけだ」
「3人……?」
グランスの答えに首を傾げ、さらに口を開こうとしたギンジロウはそこであることに気づき、動きを止めた。
足りない人数、先ほどのグランスたちの不可思議な行動。1つ1つなら気にするような事でもないが、それらが合わさり、さらにそこに彼ら蒼い月が冒険者であるという事実が加わったとき、彼らを襲ったかも知れない悲劇がイヤでも推測される。
だが、冒険者ギルドのマスターという肩書きはそれを確認しないという選択肢をギンジロウに許さなかった。
「誰か死んだのか?」
その言葉に、グランスたちは軽く俯いた。
それこそがギンジロウの予想が当たっているという答えに他ならなかった。
「……レックがな。ワイバーンとの戦いで崖から落ちた」
「……そうか」
ギンジロウはそうとしか答えられなかった。
ちなみに、その脳裏では2ヶ月近く前にユフォル近郊に現れたというワイバーンに付いての報告を思い出していた。確かに、蒼い月が倒したと報告を受けていた。たった7人であれを倒したという報告に驚愕してそれ以上考えていなかったが、言われてみれば被害が出ていてもおかしくないのだった。
室内にしばしの沈黙が落ちた。
だが、ギンジロウとしては黙っているわけにはいかなかった。冒険者ギルドのマスターとして、グランスたちに確認しておかなくてはならないことがあることを思い出したからである。
「そう言えば、ミドリとコスモスの二人はどうなったか知らないか?」
だが、グランスはその問いに首を振った。
「結局、行方不明なのか?」
「ああ。目撃情報すら出てこない」
そう言いながらギンジロウは机の引き出しから小さなノートを取り出した。
「こうなることを知ってたのかも知れないが……最後に送ってきたのがこれだな」
「……辞書の写しか」
ノートをぱらぱらとめくったグランスがそう言った。
「そうだ。お前らがロイドの所に向かうために別れた時までに写し終わった分だけが、ユフォルの冒険者ギルド経由で送られてきた」
そう言いながら、ギンジロウはノートを引き出しへとしまった。
「正直、あの二人が何を考えていたかとか、さっぱり分からない。どうして、たった二人で街の外に出ようなどと考えたのか……」
ギンジロウのその言葉に、グランスたちは答えを持っていなかった。
そして、再びの沈黙が落ちたが、今度それを破ったのは、マージンだった。
「まあ、そのうちふらっと帰ってくるかも知れへんと思うとこうや」
その言葉にギンジロウは軽く頷き、
「そう言えば、他にも報告があるのだろう?」
「ああ、そないに身構えることはあらへん。他の報告は悪い報告とはちゃうからな」
マージンはそう言って軽く手を振ると、グランスへと視線をやった。
「ああ、そうだな。いい報告でもないかも知れないが、役に立つ報告ではある」
グランスはそう前置きすると、ロイドのところで得た情報を1つずつ話し始めた。
「……祭壇の位置は初耳だな」
ギンジロウはそう言うと、ベルを鳴らして部下を呼び、地図を一枚持ってこさせた。
その地図に書かれていたものを見て取ったグランスの目が丸くなる。
「俺たちにこんなものを見せていいのか?」
「構わないさ。むしろ、おまえ達に見せずに、誰に見せるって話だ」
ギンジロウはそう言って、冒険者ギルドが把握している全ての祭壇の位置が書き込まれた地図をマージン達にもよく見えるように机の上に大きく広げた。
「なんや、意外に少ないんやな」
そこに書き込まれた祭壇の数を見て取ったマージンがそう零し、
「そーだね。もっとあると思ってたけど」
せいぜい20に満たない祭壇を表す印を数え、リリーも頷く。
「元々、『魔王降臨』以前ですらそれほど多くの魔法が知られているわけではなかったからな。そこに『魔王降臨』で祭壇の位置を知っている連中がかなり落とされて、今じゃこんなとこだ」
ギンジロウはそう言いながら、グランスに聞いた祭壇を書き足していく。
「……おまけに、そこにあると確認された祭壇なんか、半分くらいしかないけどな」
「そうなのか?」
「ああ。『魔王降臨』の際に廃人級のプレイヤーも相当数落とされた。おまけにデスゲームのおまけ付きだ。ゲームじゃどれだけ強くても、死の危険にまで勝てるヤツはそうはいないさ。今でも第一線で活躍している冒険者なんか、おまえ達を含めて数組しかいないぞ」
その言葉にグランスたちは驚いた。
「他の冒険者たちはなにしてるの?」
「街周辺のエネミー退治やら商隊の護衛。鉱石や木材採取、素材集めが大半だな。やはり死なないように安全マージンを取ると、エネミーが大して強くない地域での活動に限定されるからな」
リリーの言葉にギンジロウはため息を吐いた。
「それじゃ魔王討伐にはいつまで経っても届かないな」
「ああ。だが、無理強いも出来ない。大陸会議でもそれが問題になっていてな。軍の精鋭を各地の調査に出すかどうかで揉めてるところだ」
そう言うとギンジロウは首を振り、「話が逸れたな」とグランスに話の続きを求めた。だが、グランスはあっさりと説明役をマージンに丸投げした。
「わいかいな……」
マージンはそう言いながらも、自分が一番詳しいのは事実と諦めたように説明を引き受けた。そして、何故グランスが説明をマージンに任せたのか理解できていないギンジロウに向かって、説明を始めた。
「アイテムの制作に関わることや。つっても、並のアイテムとはちゃう。所謂マジックアイテムっちゅうやつの話やな」
「マジックアイテム!?ジ・アナザーにそんなものはなかったはずだぞ!?」
ギンジロウはバンと机を叩きながら思わず立ち上がった。
「どうかしましたか!?」
ギンジロウの大声を聞きつけ、廊下にいた警備が突入してくる。
「あ、いや、何でもない」
警備達が腰から剣を抜いてグランスたちに飛びかかろうとしていたところを、ギンジロウは慌てて止めた。
「そうですか?にしては様子がおかしかったですが?」
「少し驚いただけだ。と言うわけで警備に戻ってくれ。俺はまだこいつらと話があるからな」
ギンジロウはそう言って警備達を追い出すと、扉をバタンと閉めた。そして大きく息を吐くと、
「済まなかったな。それでマージン。どういう事かちゃんと聞かせてもらえるんだろうな?」
「勿論や。そのために来たんやからな」
その言葉にギンジロウは安心したように胸をなで下ろすと、自らの椅子に戻った。
「結論から言うと、ジ・アナザーにもマジックアイテムは存在する。実際、その作り方は覚えてきたし、作ってもみたから、これは間違いあらへん」
「作れる……だと?」
ギンジロウは今度は驚きながらも、叫んだりはしなかった。
「そうや。どこの祭壇かはロイドには教えてもらえへんかったけどな。作り方は覚えてきたで」
「やはり魔法関係だけあって祭壇なのか……」
そう言いつつ、祭壇の場所が分からないと聞いてギンジロウは失望を隠せなかった。一方で、ジ・アナザーには存在しないと思われていたマジックアイテムに興味津々でもある。
「作ったというマジックアイテムを見せてもらえないか?」
その言葉に頷いたのはグランスだった。グランスは手にはめていた腕輪を外すと、ギンジロウの前に置いた。
「これが?」
「そうや。効果はささやかやけどな。力を底上げしてくれる効果があるで」
「付けてみても大丈夫か?」
グランスが頷くと、ギンジロウはいそいそと腕輪をはめた。
「……いまいち何か変わった気はしないが?」
不満そうなギンジロウにマージンが苦笑した。
「ささやかな効果しかあらへんって言うたやろ。せいぜい、今までの腕力を100として、それを104か105くらいにする程度の効果しかあらへんからな」
それを聞いたギンジロウは残念そうにしながら腕輪を外し、グランスへと返した。
「ええんか?」
あまりにもあっさりとギンジロウが返したことに、マージンが驚いたようにそう訊くと、
「構わないさ。おまえ達が嘘を吐いているとは思わないしな」
そんな答えが返ってきて、何となくグランスたちは落ち着かなくなった。
「それで、それって量産できるのか?」
「無理やな。丁寧に作ったら一日一個が限界や。材料の問題もあるしな。何より、わい自身、もっと研究せなええもんは作れへん。こんなしょぼいの量産するより、しっかりしたのを作った方がええやろ」
その言葉にギンジロウは素直には頷けなかった。
だが、本当にマジックアイテムを生かせる冒険者たちは今は皆キングダムから出払っていることを考えると、急いで作ってもらう必要も少ないのだった。
「そうだな。だが、いずれはいい物を作ってもらいたいな。材料とか手伝えることがあったら言ってくれ。制作に専念しろと言うのは無茶かも知れないが、早くいい物を作れるようになる手伝いはしてもいいだろう?」
「勿論。大歓迎や」
その後、マージンから詳しい説明を聞いていたギンジロウは、あることをふと思いついた。
「カードぐらいの小さいアイテムでもマジックアイテムとして作れるんだよな?」
「強度が心配やけどな。やろうと思ったらできるで」
「偽造は出来ると思うか?」
「作り方を習わん限り、無理やろな。見よう見まねでどうにかなるもんちゃうし」
そのことを聞いたギンジロウはさらにカード程度のマジックアイテムに仕込める魔術について聞き出していった。
「どうするつもりなんや?」
途中、疑問に思ったマージンがそう訊いてみたが、
「すぐに分かるさ。それまでは悪いが秘密にさせてもらう」
ギンジロウはいたずらっ子のようににやりと笑って見せた。
冒険者ギルドでの用事を済ませたグランスたちは、最初の予定通り軍のホエールを訊ねた。
「そうか……大変だったね」
最初は喜びをあらわにしてグランスたちを迎えたホエールだったが、レックの事を聞くに至りその表情は暗く沈んだものとなってしまっていた。
「ああ」
グランスが短く答え、室内に沈黙が落ちる。尤も、軍の建物の壁はあまり分厚くないせいか、外で訓練をしている兵達のかけ声が微かに聞こえていたりする。
「……まあ、それでマージンとリリーを出した理由が分かったよ」
「そうだな。さっきギンジロウのところで同じ話をしたばかりだ。わざわざもう一度こんな気分を味わわせる必要もないだろう」
それを聞いたホエールは苦笑した。
「こういう時までクランマスターは大変だな」
「かもな」
「それで、これからどうするんだい?」
「そうだな。しばらくキングダムでゆっくり考えるつもりだ。出来れば、冒険者は引退したかったんだが……」
「ああ、事情は聞いてるんだね」
グランスの言葉の先を察し、ホエールは小難しい顔になった。
「正直、今のペースではいつになったら魔王を打倒できるのか分かったもんじゃない。早く打倒しないと死人は少しずつでも着実に増えてるのにね」
「それで軍の出番というわけか」
「その通り。思ったより早く出すことになりそうなんだ。正直、精鋭と言っても君たちのような一流冒険者にはどうしても劣るから、もっとしっかり育ててからにしたかったんだけどね」
「ホエールは出るのか?」
グランスのその問いにホエールは首を振った。
「出来ればそうしたいけど、生憎レインから止められてるよ。幹部級に万が一のことがあったら、軍の運営に支障を来すからやむを得ないんだけどね」
「そうか」
「だよ。せめて、亜竜種相手に被害を出さずに勝てる程度に鍛えたかったんだけど……そう言えば、マジックアイテムの作り方だけど、マージンから他の職人に教えたりは出来ないのかな?」
その言葉にグランスは首を傾げた。
「どうだろうな。祭壇を使って覚えたわけだから、難しいんじゃないか?」
「難しいのと不可能の間には越えがたい壁があるんだよ。不可能じゃないなら、試せないかな?危険を冒さずに戦力を上げられるなら、雀の涙でも試してみたいんだ」
雀の涙で役に立つのかとグランスは思ったりしたが、誰も命を危険に晒すことがなく強さを底上げできるなら、試してみるべきかとすぐに思い直した。
「とりあえず、俺からは何とも言えんな。後でマージンに訊いてみてくれ」
「そうだね。そうするよ」
そう言うとホエールは眉間を軽く揉んだ。
「全く、いつになったら全部の問題が解決して、ゆっくり出来るんだろうね」
「魔王を倒して現実に戻るのが最低限の条件だろうな」
「戻ったら戻ったでいろいろ大変そうだね。一年以上も寝たきりになってるのは間違いないから、仕事とかクビになってそうだよ」
「おまけに体力も信じられないほど落ちてるだろうな。こっちの感覚でいると、骨の1本や2本すぐに折りそうだ」
「そう考えると、魔王は別にしても、現実には戻りたくなくなってきたよ」
そんな言葉に、グランスも言った本人も思わず苦笑した。
その頃、部屋から追い出されたマージンとリリーはと言うと、建物の入り口にまで戻っていた。
「グランスは先に帰ってええとか言うとったけど、どないする?」
「あたしは別に待っててもいいかな」
思いもかけずマージンと二人きりになれたリリーは、内心を押し隠してそう答えていた。正直なところ、出来ればこのまま二人で少し歩きたいとか考えていたものの、流石にそこまで言い出す勇気はなかった。
が、
「そやな。流石に先に帰るのは薄情ってもんやな」
というマージンの言葉に、肩を落としてはいた。
「それにしても、こないだまで寒かったのに……また暑うなってきたなぁ」
無駄に晴れ渡った空を見上げてマージンがそう言う。その額ににじむ汗を見つけたリリーは、
「そーだね。そう言えば、去年も夏はここで過ごしたんだっけ?」
「過ごしたっちゅうか……いやまあ、大変やったな」
去年、久しぶりに戻ってきたキングダムであった一連の事件を思い出し、マージンは苦笑した。
「なんや、わい以外の全員がチンピラに捕まったり……メチャクチャやったな」
「そんなこともあったね~……あの時のマージン、格好良かったよ?」
そのときのマージンの姿を思い出したリリーは、後半の言葉を小声でそっと付け加えた。
「ん?なんか言うたか?」
「何も言ってないよ~」
流石に聞かれたら恥ずかしいことを言った自覚があるリリーは、顔が赤くなったりしていないだろうかと気にしながら、そう答えた。
「まあ、今はキングダムもすっかり平和になったし……しばらく腰を落ち着けて、制作に精を出すんもええかもしれんな」
「鍛冶とか?」
「いや、流石にそれは暑いから遠慮したいわ」
「あはは、それもそ~だね」
夏が来ようとしている時期にそれはないかと、リリーは自分の失言に笑うしかなかった。
「やるなら、細工とか裁縫とか……」
「ポーション作成は?」
「そんなんもあったな。材料無いからすっかり忘れとったわ」
「治癒魔術もあったしね」
「そやな。おかげで無くてもなんとかなるようになってもうたしなぁ」
しみじみと言うマージン。
「でもま、結局はマジックアイテムの研究やろな。ずっと馬車の中で何もできへんかったからな」
「どこまで出来そうなの?」
「んー、簡単ならええんやけどな。しっかりしたのは、難しそうや。ロイドが言うところのステーブルなやつも難易度高いんやけどな。その上のパーマネントがなぁ……」
そうため息を付くマージンに、リリーは分からなかった単語を訊いてみた。
「よく分かんないんだけど、ステーブルとかパーマネントって何?どう違うの?」
「マジックアイテムの1つの基準やな。ロイドに言わせるとマジックアイテムとしてどのくらい安定してるかで3つに分類するもんらしいで」
「3つ?」
一つ足りないとリリーが言うと、マージンは頷いて答えた。
「いっちゃん脆いんがショートや。普通のアイテムに一時的な魔術をかけるだけのやつやな。込めた魔力が消えたら、効果も消えるやつや。
そん次がステーブルやな。詳しい話は横に置いとくとして、これはちょっとやそっと放っておいたくらいやと、効果は消えへん。
で、最後がパーマネントや。これは基本的に壊さん限り効果が消えることはあらへん。まあ、魔力が無うなったら効果は消えるんやけどな。他の2つと違うて、効果が切れた後でも魔力さえ込めなおせばそれだけで元通りの効果がでるんや」
「ステーブルとショートは?」
「魔力が完全に切れたら、もう一度魔力込めても、効果が戻ることはあらへんな」
「???」
聞き直してみたものの、結局リリーに分かったのは効果時間が違うことと、効果時間が長いものほど作るのが大変らしいということだけだった。
そこで会話が途切れ、しばし二人は街の喧噪に身を任せた。
通りを行く人々のざわめきや足音のおかげで、昼間のキングダムの表通りは静寂にはほど遠い。その活気はここが仮想現実ではなく現実そのものと錯覚する十分なものだった。
だから、視界の端を過ぎったそれに気づくのが、リリーは少し遅れた。
「え?」
ワンテンポ遅れてそれに気づいたときには、既にそれはリリーの視界から消えていた。
「どないしたんや?」
「えっと……目の錯覚かな……?」
「疲れでもたまっとるんかも知れへんな……グランスに先に帰るて言うてくるわ。はよ帰って休んだ方がええやろ」
マージンのその言葉はリリーにとって嬉しいものだったが、さっき見たある女性の姿の衝撃の方が大きく、リリーは頷くことしかできなかった。
尤も、リリーが見たものをマージンが知れば、こう言っただろう。
「あー、やっぱ、さっきのは目の錯覚やなかったんやな」
あるいはこう言ったかも知れない。
「あの話って、デマとかやのうて、ほんまやったんやな」