第九章 第五話 ~森を離れる日~
そして、二ヶ月が過ぎたある日。
レックはシャックレールの入り口に立っていた。隣にはサビエルもいる。
「やっと、みんなに会いにいける」
背中に盾を背負い、左の腰にはバスタードソードを差したレックがそう言うと、
「急がないと、おまえさんのお仲間、またどっかに行っちまいそうだけどな」
とサビエルがからかった。
盾と剣の他に軽装ながら防具も身に纏い、マントも着込みと旅支度は万全のレック同様、サビエルも腰に剣を差し、ブレストプレートを始めとする防具に身を固め、旅支度は万全だった。
ちなみに一見旅をする上で必要な物を何も持っていないように見えるのは、食料だの寝袋だのの荷物は各々のアイテムボックスに納めているというジ・アナザーならではの理由である。
「確かにね。キングダムならしばらくはいると思うけど……」
レックはそう言ったが、不安は消えない。
エミリオから教えてもらったところ、このシャックレールはキングダムから2~3000kmは離れているらしい。毎日50kmずつ進んでもキングダムまで二ヶ月以上かかってしまう。近くにサークル・ゲートがあれば良かったのだが、その手の情報はミネアがまとめていたので、レックにはサークル・ゲートの場所自体が分からないのであった。
「会えなかったらここに戻ってきたらいいよ!」
「それはなんか違うから」
呑気なことを曰ったニキに、レックは首を振った。
それを見ていたエミリオが、
「でも、ニキの言うとおりです。私たちは君のことを気に入りました。何かあればいつでも来てくれて構いません。歓迎しますよ」
「でも、仲間は連れてこれません、よね?」
「……まあ、それはそれです」
レックの確認に、エミリオはそう言葉を濁した。
レックの人柄はこの二ヶ月で信用できるとよく分かったので良いのだが――おかげでレックに目隠しをして簀巻きにして近くの町まで運ぶ必要もなくなった――、その仲間まではおいそれと信用できないのだった。
「本当なら、もっと君を鍛えたかったのですけどね」
そう話題の転換を図ったエミリオの考えを察したのか、レックもそれ以上元の話には拘らず、
「でも、十分に鍛えてもらいましたよ?」
そうエミリオの話題転換に乗っかった。ちなみに、ニキやサビエルには砕けた口調で話すようになっていたレックだが、エミリオを始めとする何人かには未だに丁寧語のままだった。
それはさておき。
「いやいやいや。おまえさん、まだ木剣で岩を斬ったりできないだろうが」
「そうです。魔術の方も結局、大して教えられませんでした。教え甲斐はありましたが、それだけに消化不良な感じが残りますね」
教師役を務めていた二人から、あっさり駄目出しされた。サビエルに至ってはその大きな手のひらで、レックの頭をポフポフと叩いてくる。
剣術については兎に角、魔術については確かにいくつか教えてもらった魔術のうち、きっちり使いこなせるようになったものは1つしかない。他の魔術はまだまだ術式が安定せずに発動したりしなかったりだったりする。
そんな状況なので、エミリオに未熟者と連呼されてもレックは甘んじて受け入れるしかないのだった。
尤も、毒舌と言っても悪意も害意もないこともあり、二ヶ月以上も聞いていたレックはすっかり慣れていた。どころか、
「……エミリオさんのその毒舌も、これで終わりかと思うとちょっと寂しいです」
などと、ぽつりと漏らしてしまった。
「ほほう、男に毒舌で罵られるのが好きとは……変態だな」
「変態ですね」
「うっわ、レックって変態だったんだ!?でも、そんなレックでもボクは見捨てないよ?いつでも受け入れる準備は出来てるよ!」
「変態変態言うな!っていうか、ニキはどさくさに紛れて変なこと言わないで!」
迂闊な発言をからかわれ、レックは丁寧な口調も忘れてそう叫んだ。
「いや~……これからしばらくおまえさんと一緒に旅する身としては、おまえさんの性癖は大変気になるところだからな」
そう深刻そうに言うサビエルだが、その目は思いっきりにやけている。明らかにレックをからかって遊んでいるのである。
そのことを分かっているレックがサビエルを睨んでいると、
「それならサビエルじゃなくて、ボクと一緒に行こうよ!きっとレックを正しい道に矯正してあげるよ!」
ともう一人の敵軍がシュタッと手を挙げた。
ニキと二人で旅をすると言うのは、男二人で旅するよりは魅力的な提案だとレックは思わないでもなかった。だが、正直いろいろとまずいのである。
「ニキと一緒に行くと、多分、ボクの貞操が危ないんだよね……」
とレックが呟いたように、どうやらニキはレックのことをすっかり気に入ってしまったらしく、ここ一月ほど、隙あらばレックにちょっかいを出そうとしてきていた。
若い少年であるレックとしては青い性の衝動とやらに身を任せたくもあったのだが、迂闊にそんなことをすると蒼い月の仲間達、特にリリーに再会したときに合わせる顔がないような気がしていた。
なので、ニキを押さえられるエミリオの側から迂闊に離れられない日々が続いていたのだが、それもいろいろと限界が近づきつつあった。エミリオ達はもう少しレックをシャックレールに留め置いて鍛えたかったらしいのだが、そうできなかった理由がニキの行動であったりする。
「え~?むしろボクの貞操の方が……」
ニキはそう言いながら身をよじらせ、ポッという音が聞こえてきそうな具合で頬を染めている。そんなニキを白い目で見ながら、エミリオが口を開く。
「まあ、これを連れて行くと問題しか起きそうにありませんし、後のことはサビエルに任せます」
「おう、任された」
レックをからかうのを止めたサビエルがバンと胸板――ではなくブレストプレートを叩いた。
「あと、連絡用のアイテムも渡してありますから、何かあれば連絡をするようにしてください。力になれることもあるでしょう。……持ってますよね?無くしてませんよね?」
「え?あ、はい。ここに」
エミリオの言葉に、レックは慌ててアイテムボックスから手の平一杯の大きさの巻き貝の殻を取り出した。
「結構です。それがないと互いに連絡することが出来ないので、くれぐれも無くしたり壊したりしないでくださいね?一応、壊さないように注意できるように、仕掛けはしてありますが」
「仕掛けって……本当に爆発したりするんですか?」
巻き貝の殻を受け取ったときにエミリオから聞いた話を思い出し、レックが軽く青ざめながらそう確認した。
それに対してエミリオはあっさりと答える。
「爆発しますよ。制作担当がちょっと張り切りすぎたので、建物の1つや2つ、軽く吹き飛ばす威力だそうです」
それを聞いたレックは、出来る限りこの貝殻をアイテムボックスから出さないようにしようと心に固く誓った。
「さて、そろそろ出発しないか?」
放っておくとキリがないと見たサビエルがそう声をかけた。
「あ、そうだね」
「そうですね。少々名残惜しくありますが、これ以上引き留めていると明るいうちに森を抜けられなくなりますね」
「え?そんなにこの森広いんですか?」
エミリオの言葉に驚いているレックに、
「そうだぞ。……言ってなかったか?」
とサビエルが首を傾げた。
「どっちにしても行けば分かることです。サビエルの言うとおり、もう出発するべきですよ」
その言葉を受けたレックはエミリオとニキの方に向き直ると姿勢を正した。
「それじゃ、長い間お世話になりました」
「ええ。ほんとに忙しい二ヶ月でしたよ」
「ぜーーーったい、また遊びに来てよ!」
こんな時まで毒舌を忘れないエミリオに苦笑しつつ、ニキに隙を見せないようにレックは軽くお辞儀をした。
そして、先に歩き出していたサビエルの後を追い、レックは二ヶ月以上を過ごしたシャックレールを後にした。
「二人とも行きましたか」
レックとサビエルの背中が木々の向こうに見えなくなった頃、そう言って近くの建物からエスターが姿を現した。
「……折角なのですから、一緒に見送ってあげればいいものを」
責めているともとれるエミリオの言葉にエスターは笑顔を首を振った。
「私は彼とそれほど親しくしていたわけではありませんからね。あなたたちに任せたのですよ」
「他の者たちも?」
エスターの言葉に、この二ヶ月でレックと話をした仲間達の顔を順番に思い浮かべながら、エミリオはそう聞き返した。尤も、そのうちの半分以上の仲間達はそもそもシャックレールにいなかったりするのだが。
「似たような理由と言いたいところですが、彼らにも彼らの仕事がありますからね」
「にしても、薄情じゃない?」
「ははっ。それは今更というものです。ニキ、あなたも分かっているでしょう?」
ニキの言葉にエスターはそう返すと、レックとサビエルが歩いていった後へと視線を向けた。
「さて、彼の行動でどんな波紋がこの世界に広がっていくのか。見逃さないようにしなくてはいけませんが……」
そこで言葉を切ったエスターの聞きたいことを察し、エミリオが口を開く。
「仕上がりにかなり不満がありますが、サビエルが一緒なら後一月で多少はマシになるでしょう。それに、今でも既に正面からなら彼に勝てる者はもう私たちの中にはいません。個人の強さとしては既にこの世界ではトップクラスかと」
しかしエスターはまだ懸念が残っていた。
「……あくまでも個人の強さでは、なんですよね」
「ええ、そうですね」
エスターにレックが抱えてしまったある問題を伝えた本人であるエミリオは、頷いた。だが、エスターの次の言葉には首を振るしかなかった。
「解決の目処は立っていますか?」
「いえ。並の魔導具では全く。素材レベルでどうにかしないといけないのですが……」
それを聞いたエスターはため息を1つ吐いた。
「探索に出した者たちの報告待ちですね」
それにはエミリオも頷くしかなかった。
さて、シャックレールを発ったレックとサビエルは、ひたすら森の中を歩き続け、夕方にはエミリオの言ったとおり森を抜けることが出来た。途中、何度かエネミーに襲われたが、出来ればこの森のエネミーは殺さないで済ませたいというサビエルの意見もあり、二人は逃げに徹していた。
ちなみに何故殺したくないのかとレックが訊いたところ、
「エネミーが多ければ、森の中に入ってくる連中が減るだろ?」
とのこと。
シャックレールに余所者が入り込むことをサビエル達が嫌っていることを知っているレックとしては、その理由にあっさり納得したのだった。
森を抜けた二人は薄暗くなり始めた森の側で野宿の準備を整え、小さな焚き火を囲んでいた。
「エミリオはぎりぎり明るいうちに森を抜けられるって言ってたけど……身体強化前提だったのかな?」
焚き火に乾燥した小枝を放り込みながら、レックはサビエルに訊ねた。
「あー、そう言えばそうだな。俺たちの中に身体強化を使えないのはいないから、困ってなかったわ」
アイテムボックスから携帯食を取り出しながら、サビエルはそう答えた。
「……全員が魔術使えるって、サビエル達ってなんなの?」
改めて気になったレックはそう訊いてみたが、勿論あっさりとはぐらかされる。が、いつものことなので気にはしない。
「それより、これからどうする?早くキングダムまで着きたければ身体強化で走り続ければ、2~3週間は早く着けるが?」
「何その無茶。っていうか、僕はとにかく、サビエルはそこまで魔力ないんじゃ?」
レックの指摘に、「ばれたか」とサビエルは苦笑した。
「それにそんな事したら目立ちまくるしな。人が少ないこの辺りなら兎に角、さすがにずっとそんな真似はできないさ」
そう言うと、サビエルは携帯食を一口頬張った。
「……僕だけならどのくらいで着くと思う?」
簡単な食事を終えた後、レックは再びサビエルに訊ねた。
「そうだな。おまえさんの魔力の底は結局見えなかったが、これだけはあると分かってる分だと……」
そこでサビエルは計算でもしているのか一度言葉を切り、
「2週間ってところか。尤も、魔力は兎に角体力が尽きるだろうからな。やっぱり、一月はかかると覚悟しといた方がいいぞ」
その言葉にレックは肩を落とした。やはり世の中そんなにうまくはいかないものらしい。
それでも念のため訊いておく。
「ちなみに、体力が持ったらいけると思う?」
「無理だろうな」
即答だった。
サビエルはその理由を指折り数え始める。
「まず、いくら何でも睡眠が必要だが……今のおまえさんじゃ、一人で野宿とか自殺行為と言ってもいい。熟睡しているところを襲われたらひとたまりもないからな。
それに道も分からないだろう?知ってる町に着くまでは、一人で突っ走っても迷子になるのがオチだ。下手すりゃそのままのたれ死ぬかもな」
人並みの方向感覚しか持ち合わせていないレックとしては、反論の余地もなかった。街道の上なら兎に角、まともな目印もない大自然のど真ん中で進むべき道を間違う自信はたっぷりとあった。
早々にどうあがいても無理だと言うことをレックが納得したと見たサビエルは、他にも用意していた理由を言うのを止めた。代わりに、
「そろそろ寝たらどうだ?どうせ二人じゃ満足に寝れないんだ。早めに寝た方がいいぞ」
そうレックに勧めた。
何しろ、エネミーが彷徨くフィールドでの野宿には見張りが欠かせない。人数がいるならいいのだが、二人っきりとなると一人一人が受け持つ見張りの時間はかなり長くなってしまい、睡眠時間が圧迫されるのである。その分、早めに寝ておけとサビエルは言っているのだった。
久しぶりの旅とは言え、レックもその辺は分かっている。と言うより、数日前からしっかりと復習させられていた。
「ん、そうだね。それじゃ先に眠らせてもらうよ。時間が来たら起こしてね」
レックは素直に頷くと、さっさと横になった。
しばらくすると寝息が聞こえてくる。その寝付きの良さにサビエルは苦笑しながら、立ち上がった。
アイテムボックスから小さな袋を取り出すと、焚き火を中心にして寝ているレックも入るような円を、袋の中の白い粉で描き始める。その作業が終わると、粉をもう一つまみ取り出し焚き火へと振りかけた。そして、ぶつぶつと何かの呪文を唱え始める。
サビエルが詠唱を終えると、一瞬焚き火の炎が大きく揺れ、それと同時に先ほど周囲に撒いた白い粉が微かに発光して消えた。
それを確認したサビエルは、焚き火を挟んでレックと反対側に腰を下ろしたかと思うと、そのまま横になって寝てしまったのだった。尤も、見張りの交代の時間には起き出して、しっかりとレックをたたき起こしたのだったが。
翌日。焚き火の後を誰が見ても分からないように土に埋めた後、二人は最寄りの町へと向かって歩き始めた。
既に森も随分後ろになり、何の変哲もない草原の中を二人が歩いていた頃、レックの耳に微かに水音が聞こえてきた。
「川でもあるのかな?」
「ああ。この先にあるぞ。おまえさんを拾ったのもその川だ」
サビエルのその言葉にレックは驚いた。
「ホントに?どの辺で拾ったの?」
「この辺より幾分下流の方だな。行ってみるか?」
その提案にレックが大きく頷き、二人は少し寄り道をすることになった。
まずは川に着くまで数分ほど歩き、その後は川辺を20分ほど下流へと歩き続ける。
「意外と大きな川だね」
レックがそう言ったその川の幅は10mほどはあるだろうか。深さも深いところでは1mくらいはありそうだった。
だが、サビエルはそうは思わなかったらしい。
「そうか?俺は小さいと思うがな」
実のところ、二人の認識のずれは現実世界での身近にあった川が基準になっているためなのだが、どちらもそのことには気づかなかった。
「まあ、この程度の川だから、おまえさんも無事にここまで流れ着いたんだろうな。もっと大きな川だと、いろいろやばいもんが泳いでるからな。意識を失った人間なんぞ、やつらのいい餌だ」
サビエルのその言葉に、レックは思わず身震いした。ワイバーンの巻き添えで谷底に落ちただけでなく、その後も命の危険が続いていたのだ。今自分がここにいるのは、本当に運が良かったのだと、一歩間違えれば死んでいたのだと改めて実感したのである。
おかげで、
「ちなみに、時々食事に出ていた魚はここで釣れたやつだな」
などとサビエルがしていた説明はほとんど耳に入っていなかった。とは言え、流石にサビエルが立ち止まったことには気づいた。
「ひょっとしてここで?」
蛇行している川の砂がつもった岸辺に立ち、レックはそう訊いた。
「ああ。流されてきて打ち上げられたって感じで、そこの砂の上に横たわっていたな。最初はてっきり死体かと思ったぞ」
レックはその場所に立ち、上流へと視線をやってみた。尤も、そこから見えるのはさっきまで歩きながら見てきた川だけだったりするのだが。
「……ここを上流まで遡っていったら、僕が落ちた場所にまで着くのかな?」
レックの呟きに、それは無理だろうと思いつつも、サビエルは無言でレックを見守っていた。
やがて、満足したレックがサビエルの元へと戻ってきた。
「いいのか?」
「うん。これ以上ここにいても意味はないしね」
そして二人は再び最初の町を目指して歩き出した。
「もう森じゃないから襲われたら、倒しちゃっていいんだよね?」
間もなく昼時だろうという頃。二人は一頭の凶獣と向き合っていた。尤も、実際に剣を構えているのはレックだけで、サビエルは観戦モードだったりするのだが。
「ああ。やっちまえ。肩慣らしにもいいだろうしな」
サビエルはそう言いながら、レックと退治している凶獣を観察していた。と言っても、四肢の先には蹄の代わりに鋭い爪が生えており、涎を垂らしている口からは金属光沢を放つ鋭い牙が見え隠れしている点を除けばほとんど馬そっくりのそれは、サビエルがよく知っている凶獣だったのだが。
ちなみに、走って逃げられるような相手ではない。馬に似ているだけあって、身体強化を使ったところで走って逃げられないほどの速さを誇っているのだ。
尤も、爪も牙も必殺の威力を秘めてはいるが、実際には金属の鎧を突き破るほどの破壊力はない。おまけに魔術を併用した攻撃であれば、波打つ筋肉の守りを突き破るのも容易なので、倒すのはさほど難しい相手ではない。
だが、攻撃系の魔術を使えないレックにとっては、本来そこまで簡単に倒せる相手ではないはずだった。にもかかわらずサビエルが観戦に徹するつもりなのは、たいした理由はない。
サビエルの視線の先で、既に身体強化を発動させたレックへと、しびれをきらした凶獣が襲いかかった。
が、レックは慌てることなく左手の盾で凶獣の右の前足を打ち払い、右手の剣で凶獣の左の前足を易々と叩き斬った。
思いもかけない獲物の逆襲とそれがもたらした激痛に、凶獣が耳障りな悲鳴を上げた。
それを長々と聞きたくなかったからなのかどうかは分からない。身体を支える足を一本失い、地面の上でのたうち回っている凶獣に近づくと、レックは盾で暴れる四肢――今や三本しか残っていないが――を防ぎながら、凶獣の首へと向かって剣を一閃させた。
それであっさりと戦いは終わった。
凶獣の首がごろりと地面に転がり、頭を失った首からは大量の血が吹き出す。
それを大きく後ろに飛んで避けたレックにサビエルは声をかけた。
「どうだ?強くなったという実感はあったか?」
だが、レックは剣を振って血を吹き飛ばしながら、
「う~ん。初めて戦う相手だったし、よく分からないかな」
と首を傾げつつ答えた。
「同じくらいの大きさのやつとは戦ったことあるんだろう?それと比べてどうだった」
「そうだね……思ったより弱かった気はするよ」
「そうか。つまりそれだけおまえさんが強くなったってことだ。まずはそれを感覚としてとらえろ。力に振り回されないために、自分の力を常に把握し続けるように心がけるんだ。いいな?」
そのサビエルの指導にレックは戸惑いながらも素直に頷いたのだった。
やがて日も落ち始め、昨日と同じように野宿の準備を済ませると、レックは剣の素振りを始めた。昨日はシャックレールを出る前に済ませていたが、今日はまだだったからだ。
「型だけは随分様になってきたな」
横から見ていたサビエルがそう辛口の評価を下した。
「型だけって……酷いね」
「事実だからな。それに、実戦では完全に型どおりに剣を振れる機会なんてほとんどない。それでも身体に覚えさせた型にどれだけ忠実に剣を振れるかどうかは、大きな意味を持つ」
「型どおりに剣を振れないのに、型に忠実に剣を振るって……意味が分からないよ」
剣を振りながらレックがそう愚痴った。
「だろうな。まあ、意味を言葉で説明するのはそんなに難しくないんだが、身体でそれを感じ取れるようになって初めて一人前だからな。敢えて答えは言わんよ」
サビエルのその言葉にレックは不満を漏らすが、もうサビエルは取り合いすらしなかった。
やがて剣の素振りを終えたレックは、今度は魔術の訓練を始めた。
一見、静かに立っているだけのように見えるレックの体内を確かに魔力が整然と流れていくのが、サビエルには分かった。
エミリオから指示された訓練は、魔力を正確に操作する。ただそれだけだった。尤も、最初は簡単な形に魔力を流すだけだったのが、今では術式に近い形で魔力を流すようになっていたのだが。
こればかりは何か言っても余計な口出しにしかならないと分かっているサビエルは、それでも何かあればアドバイスくらいは出来るようにと、訓練を続けているレックから注意を逸らさないようにしながら、薪に火を付け、アイテムボックスから取り出した乾燥肉を炙っていた。
やがてエミリオに課せられた訓練のノルマを終えたレックも焚き火の側に腰を下ろし、アイテムボックスから取り出した携帯食料をかじり始めた。
「明日には町に着くな。尤も、一泊だけして素通りするつもりだがな」
サビエルの言葉にレックは少々不満だった。久しぶりにエミリオ達以外の他の人間に会えるというのに、素通りするというのだから無理もない。
とは言え、早く蒼い月の仲間達に会いたい気持ちもあって、1つの町に何日もとどまっていたらそれはそれで不満を持ちそうなのは、レックもちゃんと自覚していた。
「まー、急いでるし、仕方ないね。食料とかは買い足すの?」
「勿論だ。水とかすぐ無くなるしな。……つっても、おまえさんはアイテムボックスにいくらでも入るんだったか」
レックのアイテムボックスの広さを思い出し、サビエルが苦笑する。
「正直、おまえさんと旅できるなら、腐る物以外は随分と楽が出来そうだな」
それを聞いたレックの顔が、露骨に暗くなった。蒼い月の仲間達にも似たようなことをよく言われていたのを思い出したのである。
どうやら失言してしまったらしいと察したサビエルは、話題を変えようとしたが、こういう時に限っていいネタが浮かんでこないものである。
内心の自身への舌打ちを隠しながら、サビエルはもっと実務的なことを口にした。
「今日も先に見張りをしといてやるから、おまえさんはさっさと寝な。明日は別に早起きする必要はないけどな。早く町に着けば、少しくらいは見て回れるぞ」
その言葉に従って、昨日と同じように横になって間もなく。レックの寝息が聞こえてきたことに、サビエルはやっとホッとした息を吐いた。
そして、その翌日。
二人は予定通り最初の町へと着いていた。
だが、
「ここ、なんか前にも来たことがあるような気がするんだけど……」
と冒険者ギルドを目指して町の中を歩いている間、レックはしきりに首を傾げていた。
いつ来たのかとかはさっぱり思い出せない。はっきりした目印でもあればすぐに思い出せたのだろうが、生憎と質素な建物が数十軒程度しかない町にそんな目印などあるはずもなかった。
「ここは確かナスカスだったか。今じゃ辺境の町と言ってもいいような場所だけどな」
サビエルはそう言うと、あっさり辿り着いた冒険者ギルドへと入っていった。
「ナスカス……ナスカス……?」
その町の名前にも聞き覚えがある気がしたレックだったが、サビエルにおいて行かれたことに気づいて慌てて後を追った。
レックが建物に入ると、サビエルがカウンターで宿の部屋を取っているところだった。
規模が小さい町では、宿屋のような旅人目当ての仕事だけで食べていくはできない。その結果、需要が少ないが無いと困るような施設は冒険者ギルドがその役を兼ねていることがよくあるのだった。
ちなみに、この日もレック達のような旅人は他にいなかったらしく、3つしかない宿の部屋は全部空いていた。
久しぶりの客に興味津々の受付の相手をサビエルに任せ、レックは町を少し歩いてみることにした。冒険者すらほとんど来ない町なので、ギルドにはクエストを書き記した紙を貼り付けるクエストボードすら無い有様。つまりは散歩以外やることがないのだった。
町には人気そのものが少なかった。正直、習慣上町と呼んでいるが、集落とでも呼ぶべき規模しかないのである。
それでもここで生活している人たちは確かにいて、町の各所に作られた畑で作物の世話をしている人たちの姿を、レックは随所で見かけた。
一方で、あまりの人の少なさに気になることもある。
(こんなんじゃ魔物の襲撃があったらあっさり全滅しそうだけど……)
町の周囲を囲んでいる防壁も、大半は石造りなのだが何カ所かは質素と言うより粗末と言った方がしっくり来るような木の柵である。勿論、石で出来ている部分もちゃんと手入れされていないようで、石と石の間からは草やらちょっとした木やらが生えていたりする。平たく言えば、魔物の襲撃に対する防御力はあまり期待できなかった。
とは言え、ナスカスがこうして残っていることは事実である。何とか乗り切ってるからここにあるのだろうと思うことしか、レックには出来なかった。
一方で、どうしてもこのナスカスという町に前にも来たことがあるような感じが消えなかった。
(う~ん……ずっといた所なら忘れないだろうから、多分ちょっと通っただけの町だと思うんだけど……)
とは言え、いつ来た町なのか思い出せれば、今自分がいる場所におおよその目処が付く。なのでレックとしては是非とも思い出したかったのだが、どうにも難しかった。
ナスカスでも『魔王降臨』の後にかなりの建物が解体され、防壁の材料になったらしい。おかげで、何となく見覚えがあるような気がしても、後一押しをしてくれたかも知れない建物が土台だけになっていたりするのだった。
なら、町の住人に訊いてみればいいのだろうが、数少ない住人達は各々の仕事に精を出していて、立ち寄っただけのレックとしては声をかけるのが何となく気が引けたのだった。
(……宿でサビエルに訊いてみよう)
そう思いながら、一通り町の中を見て回ったレックは、宿へと戻ったのだった。
ちなみに、サビエルからは大した話は聞けなかった。せいぜい、このナスカスがキングダムから遠く東に離れている事くらいだったのである。
そんな訳で思いもかけない消化不良な気持ちを抱え、翌朝、レックはサビエルと共にナスカスを後にしたのだった。